夏の日差しが入り込まないように、部屋の窓に簾がかかっている。時折吹く風に揺られ、その隙間から洩れてくる日差しは夏らしさを感じさせた。それに反射するかのように窓際においてある金魚鉢が光る。その光が机の上に飾ってある写真立てに光を当てている。
机の上に飾ってある写真。その写真は、花火を見に行く前にお母さんが撮ってくれたものだ。そこには少しだけ照れくさそうな表情の私と彼が浴衣姿で写っている。私はその写真たてを手にとり見ながら、その日の事を思い返した。
「ごめんね。何度やってもしっくりこなくて。」
「いいわよ。これぐらい。」
お母さんはそう言って、浴衣の着付けをしていく。お母さんが誕生日プレゼントとしてくれた浴衣。牡丹の花が大きくあしらってある薄いピンク地のとってもかわいい浴衣だ。
プレゼントされたときから、今日の花火大会に着ていくつもりで、何度も練習したのに中々思ったようにできなくて、結局お母さんに手伝ってもらっている。
「亜由美が自分でしたのと、あまり変わらないけどいいかな。」
私は鏡に写っている姿を確認する。しっくりこなかった部分は完全に納得のいくように仕上がっていた。
「そんなことないよ。ありがとう。」
「そうだ、せっかくだからお化粧もしない?」
お母さんの目が何だか輝いているような気がした。
「いいよ、別に。まだ、早いよ。」
興味がない訳じゃないけど、何となく自分がしても似合わない気がしたのと、ものすごくお金がかかるので今まで一度もした事がない。
「ううん遅いくらいよ。座りなさい。せっかくだし、真一君を魅了させないと。」
「そんなの必要ないよ。」
「ドキドキさせてあげなさいよ。久々のデートなんだから。」
私のささやかな抵抗も虚しく、そういってお母さんは化粧道具を準備していく。私はされるがまま座っていた。鏡で見ているとそこには私から私じゃない私へと変わっていく様が写しだされていた。
「はい、完成。うん、我ながらいいできね。」
「ねぇ、何か変な感じがするよ。落としちゃダメかな。」
「大丈夫よ、変じゃない。自信持ちなさい。そうだこれもってなさい。」
そういって携帯用のウエットティッシュを渡される。渡されたものを浴衣付属の小物入れにいれる。けど、何に使うのだろうか。
「ねぇ、ティッシュはあるのになんでこれがいるの。」
「化粧しているからね。必要になるはずだから。」
そんな話をしていると玄関のチャイムが鳴る。彼が迎えにきてくれたみたいだ。時計を見ると予定していたより早かった。待ちきれなかったのかな、私も待ちきれなかったから一緒かな。
そんな事を思いながら、玄関に彼を迎えにいく。ドアを開け、目があると彼はそのまま私の顔見て立ち尽くした。
「どうしたの?変かな?」
彼がしばらく何も言わなかったので私はそう言って、ぐるりと回って見せると彼は首を振っていた。
「よく似合ってるよ。」
「ありがとう。」
それだけ言うと彼は下を向いてしたまった。照れているのがよくわかる。でも私も照れていたりする。やっぱり男の子にそう言ってもらえるのは嬉しい。
「ねぇ、まだ時間あるよね。」
そんな私たちを見ていて、お母さんが後ろから声をかける。
「まだ、いいけどなに?」
「真一君、着替えなさい。」
「えっ。」
「浴衣同士がいいと思うけどな。」
そう言うが早いか、お母さんは彼を部屋に連れて行った。しばらくすると浴衣をきた彼を連れて出てきた。いつの間に準備していたのだろうか。思いつきじゃないよね。
「亜由美どう。すごく似合っていると思わない?」
彼を上から下までゆっくりと見る。なんだかとっても懐かしい気がした。
「すごくいい。何だろう、懐かしい。」
私がそう言うと、お母さんは嬉しそうな顔をして、急に目頭に手を当てていた。それを見ていて、何故懐かしいのか理解した。これ昔、お父さんが着ていたのだ。
「じゃ、いってくるね。」
「あっ、まって、写真とるから。お父さんにメールであげなきゃ。」
そう言ってお母さんはポケットからデジタルカメラを出す。いつの間に準備していたんだろう。液晶を覗きなにやらかまっている。オートで撮れるんじゃなかったけ。
「ほら、もっとよって。真一君、亜由美の腰当たりに手を回して。」
彼はお母さんに言われるまま、私の腰当たりに手を伸ばしそっと抱き寄せるようにした。もう、彼に以前のヘタレの面影はどこにもない。照れたりはするけど、行動は大胆になっていった。よし、じゃ私も頑張ろう、体を彼にそっと寄せて、下から彼を見上げる。彼はちょっとビックリしたようだったけど。優しく笑ってくれた。
「もう、二人とも恥ずかしがってくれなきゃ面白ないでしょう。」
「お母さん」
「はいはい、じゃ、撮るよ。」
軽くフラッシュが光る。明るいと言っても室内だとフラッシュが反応するのかな、それともお母さんが設定したのかな。お母さんは液晶を眺めながら、とっても満足した顔をしていた。帰ってきたら見せてもらおう。ついでに私の分もプリントアウトしてほしいな。
「真一君。」
お母さんがそう言って、玄関を出る彼に、耳打ちした。耳打ちされた彼は少しだけ赤くなっていた。何を言ったのかな、彼の反応からするとなんか恥ずかしくなるような事をいったんだろうな。
「行こう。」
そう言って私は彼の手を取り歩きはじめた。何だかデートしにいくたびにからかわれているような気がする。何かを言われる前にさっさと出かけよう。
「いってらっしゃい。」
お母さんの声が後ろから聞こえて来たので、振り向いて手を振って答える。しばらく無言で歩いていたら、彼が話しかけてきた。
「化粧してるの初めて見た。」
「どうかな?」
私がそう言うと彼はマジマジと顔を覗き込んだ。えっと、そんな風に見られるとすごく恥ずかしいんだけど。暑さのせいでなく顔に熱が集まるのを感じる。
「もう、そんなに見つめないでよ。恥ずかしいよ。」
「ごめん。でももう少し見ていていい?」
彼は悪戯っぽく笑った。ダメな事はないけど、さり気なく見てくれないと困る。気温と恥ずかしさの所為で化粧が落ちちゃう。それにしても、さっきお母さんは彼に何て言ったんだろう。何となく気になったので聞いてみる事にした。
「ねぇ、さっきお母さん何て言ったの?」
「あぁえっと……。たいした事じゃないよ。」
何だか言いにくそうだ。どうせ変な事を言ったに違いない。そう思っていると彼がボソボソと続きを言った。
「無事に送り届けてって……。」
本当に心配性なんだから。でも、何でそれだけで彼は照れたのかな。たぶん他にもなにかからかうような事をいったのだろうな。彼を信頼しているからだろうけど、何の拍子にそれが引き金になる事もあるだろうし。
―思っていた通り、お母さんは彼にもう一言伝えていた。それはまた後で知ることになる。今思うと、最初からお見通しだったのかもしれない。―
花火の打ち上げ会場は多くの人で一杯だった。チラホラと浴衣をきている子達もいるけど、男の子で着ている人はいなかった。そのせいか行き交う人々の視線が私たちに集まる。
「ごめんね。」
「ん、なに。」
「何か目立っちゃってるね。浴衣姿の男の人って珍しいから。」
彼は視線を確認するかのように辺りを見回す。そして納得したかのような顔していた。
「違うって、亜由美が可愛いからだって。」
彼がまた、そんなことを言った。普段は絶対そんな事いわないのに、何でこういうときだけなんでもないような感じで言うのかな。いつも、いつも不意打ちみたいにいわれると心臓に悪い。とは言え毎日いわれるのはもっと恥ずかしいけど。私が赤くなってモジモジしていると、彼はさらに耳元で呟く。
「もう、わかったから。でもありがとう。」
そんなやりとりをしながら、辺りを見回さすと多くの露天がならんでいる。金魚すくい、輪投げ、射的、サメ釣り、ボール掬い。あの子達がいたら一目散に走っていくんだろうな。
「どうしょうね。いつもだとあの子達の後ついていくだけだから。」
「なぁ、亜由美。今日、この時間だけでいいから。俺だけの亜由美になってくれないかな。」
「えっ。」
「二人のお姉さんの亜由美じゃなくて。恋人の亜由美でいて欲しい。」
彼はそう言って私の手を握って歩きはじめる。私はその手に指を絡ませて離れないようについていく。彼が言った意味は何となくわかった。普段、家で一緒にいるとき、頭のどこかにあの子達の存在がある。一緒に何かやっていても、あの子達に何かあればそっちに意識の優先順位はもってかれる。
「じゃ、真一に甘えていい?すべておまかせだよ。」
「わかった。まかせとけって。最初は何したい?」
「ねぇ、金魚すくいしたいな。」
「いいよ。じゃ行こうか。」
金魚すくいの屋台を探し出し、おじさんにお金を渡して網をもらう。コーンと紙との二種類があったが、二人とも紙の網を選んだ。
そして、二人並んで金魚が泳いでいる水槽を見つめる。赤くて小さい金魚がたくさん右に行ったり左に行ったりしている。時折、小さい黒い金魚が見え隠れしている。
小さい時にやっていらい久しぶりだ。水面近くに来たのを狙えばよかったはず。そう思って水面近くに来た金魚に狙いを定めて網を近づける。金魚は網をすりぬけていく。何回かやっていると見事にど真ん中に穴が開いた。
「難しいね。何かコツがあるのかな。」
そう言って彼を見ると彼はお椀一杯に金魚を捕っていた。しかもまだ、網には穴すら空いてない。同じ網だよね、それだけ画用紙で作ってあるってことないよね。そんな事を思って彼を見ているとおじさんが声をかける。
「兄ちゃん。上手いな。それはいいけど、彼女がむくれてるぞ。」
おじさんがそんなことを言う。私そんな顔していたのかな。うん、たぶんしていたんだろうな。彼のお椀にいる金魚が羨ましい。
「ごめん、何か夢中になってた。」
彼はそう言って私に振り返る。視線が私の手元に移り、その瞬間におじさんに追加注文をしていた。
「おじさん、もう一枚ね。亜由美、一緒にやろう。」
「兄ちゃん、お手やらわらかにな。」
彼はそう言っておじさんから網を受け取り、私の後ろに回り込み手を取る。何か私が妹に文字を書かせるときみたいだ。しゃがんだままで上から抱きしめられるこの体勢はすごく恥ずかしい。おじさんは何だかニコニコしている。
「こうやってさ。水面と網を水平にして、網の淵に金魚をのせるんだ。」
彼はそう言いながら、私の手を握りながら網を動かしていく。恥ずかしいけど、金魚はすくってみたいので、彼に導かれるままに手を動かしていく。彼に導かれるままにタイミングを伺い、金魚を狙う。空気を吸いにきたのか小さな金魚が水面近くに顔出す。
「ほら、いくよ。」
彼が私の手を握りながら網を巧みに動かす。すると網の淵に金魚がのり、お椀の中にすっと吸い込まれる。
「なぁ、こんな感じで。追いかけちゃダメなんだ。水面に浮いてきた奴をはじく感じで。」
そんな感じで何往復か彼と一緒に金魚をすくう。お椀には見る見るうちに金魚が入っていった。
「じゃ、今度は一人でやってみようか。おじさんもう一枚ね。」
そう言って新しい網をもらい。渡してくれる。彼に握られていた手の感覚を思い出しながら水面と睨めっこをする。その間も彼は横で金魚をすくっていた。
「あっ、とれた。真一できたよ。」
私の持つお椀のなかには黒い小さな金魚が元気よく泳いでいた。何だか可愛い。お椀の中を覗いていると、隣で彼がおじさんに金魚を返していた。
「おじさん、これ全部返却ね。」
彼はそう言ってお椀に入っていた金魚を次々に水槽に戻す。
「兄ちゃん、いいのか。」
「楽しかったからいいよ。それにこんだけ持ってかえると怒られる。」
確かに彼のお椀はすごい事になっていた。中もそうだけど、彼の前に浮かんでいるお椀は7つ。その一つ一つに目一杯入っていた。さすがに取りすぎだと思う。
「助かった。それだけ持ってかれると水槽が寂しくて客が来なくなる所だった。」
「亜由美はどうする。それ。」
お椀の中にいる黒い小さな金魚。大きくなるまで飼ってみようか、どれぐらいの寿命があるのかしらないけど。
「持って帰るよ。大きくなるのかな。」
「なる。そこの隅にいるだろう。うちのお守りだ。」
おじさんが指差した水槽の隅っこには大きな赤い金魚がいた。見た感じだと20cmぐらいある。あんなにも大きくなるんだ。
「寿命は平均で7年位だ。上手く育てればもっと生きる。そいつは8年目だ。一匹じゃ寂しそうだから。これは返してくれたお礼な。」
そういって私からお椀をとると、同じような私がすくったのと同じ大きさの赤い金魚を一匹すくい袋に入れてくれた。
「ありがとうございます。」
「いいて、その金魚みたいに。いつまでも仲良くな。」
そん風に声をかけられながら、金魚すくいの屋台から離れる。その後、私たちは順番に屋台を見て遊び回った。輪投げ、ダーツ、ボール投げ、遊べるものはほとんど遊んだ。
二人で遊び回っていると何だかお腹が減ってきた。そう言えばご飯は屋台で買うんだった。そこら中からいい匂いがしてくる。
「ねぇ、お腹空かない。何か食べよう。」
「そうだな。食べ物買って、花火見る場所に行こうか。」
「何食べる?私はお好み焼きが食べたい。」
「いいなそれ、俺はたこ焼きかな。後冷たい飲み物。」
そんな私のリクエストもあり、お好み焼きの屋台を探す。見つけたのはキャベツが一杯はいっている広島風のお好み焼き。すごく良い匂いが漂っていた。それにしても大きいな、中に焼きそばも入ってるんだ。すぐ隣にたこ焼きの屋台もあった。
私たちは、お好み焼きとたこ焼きを買い、途中で良く冷え得たラムネを買い込み。花火を見る場所に移動した。花火を見る場所は多くの人たちでごった返していた。少し遊びすぎたかな。
「もう少し、早めに移動するべきだったね。」
そう言って当たりを見回していると彼は何かを思い出したらしく。
「そうだ、いいところがある。こっち。」
彼はそう言って私の手を引っ張っていく。そして、花火の会場から少しずつ離れていく。周りを見ると、ちょっとづつ木々が生い茂り薄暗くなっていく。よくみるとその木の影でカップル連れがいちゃいちゃしてた。
どこに連れて行かれるのかな、たぶん花火が見やすい所だろうけど。もう少し通る道や場所は考えてくれてもいいかな。
しばらく二人で歩いていくと木々が生い茂っていたのが晴れて、見晴らしが良くなる。振り返ると会場がすぐ下に見えた。
「こんな場所があったんだ。」
彼は懐からシートを取り出して、土手に引いてくれた。すごく準備がいい、もしかして初めからこのつもりだったのかな。いや違うか、花火会場でもシートは必要だしね。
「ここだと人もいなくて、花火がよく見れるんだ。ちょっと暗いけどさ」
「途中どこに連れて行かれて、何されるのかなとか思っちゃった。」
私が悪戯っぽくそう言うと彼はばつが悪そうに呟いた。
「しないよ。あんな思いは、もうしたくない。」
彼はそう言って私の手をギュッと握る。あの時の事まだ気にしていたんだ。でもあの時は一方的にというより、私もほとんど受け入れていた。ただ私のなかで先に進む準備ができてなかったのと準備できてた彼との気持ちのズレ。だから伝えとかないと、彼がそのことで苦しんでいる理由はない。
「うん、大丈夫。信じてるから。それにあの時のは、真一だけじゃないよ。お互いに感情が溢れちゃっただけなんだから。」
私がそう言うと彼は小さく『ありがとう』と呟いた。
それから、二人仲良く並んでシートに座り空を見上げる。下の方では夜店の灯に照らされた人々が見えた。丁度、花火を見る場所の後ろみたいだ。
そんな周りの状況を確認した後、シートの上に買ってきた食べ物を広げる。金魚はすぐ近くの木の枝に引っ掛けておく。
花火があがる前に、ご飯にすることにした。最初に、たこ焼きをあけて二人で食べる。
「タコが大きいというよりも、タコしか入ってない。」
「具沢山で、タコが小さいよりはいいよ。」
そんな感じで、たこ焼きやお好み焼きを食べていると、アナウンスが流れ、最初の花火が打ち上げられる。次から次へと空一面に花火が広がっていく。
小さいて可愛いのや、大きく夜空を飲み込みそうなのや、柳のように広がるものや、色々な花火が色とりどりと打ち上げられていく。
そんな花火に見惚れていると隣から視線を感じた。横を見ると彼と目があった。目があった彼は照れくさそうに笑っていた。
「どうしたの。」
「なんでもないよ。」
彼はそう言って花火を見つめる。
「もしかして、私に見惚れてた?」
暗くてよくわからないが、彼は照れているみたいだった。お化粧のおかげかな。
「そうだよ。」
彼はそう短く答えた。冗談で言ったのにそんな風に真顔で返されどうしていいのかわからないでいると彼の顔が近づく。何となく彼がしたいことがわかり、私は目を瞑る。すると唇を濡れた何かでゆっくりとなぞられる。驚いて目を開けると彼は手にウエットティッシュも持っていた。
「おばさんがさ、キスするときは口紅に気をつけろって教えてくれた。」
横を見ると、私の小物入れの口があいていた。私がお母さんに渡されたものだ。何で入っているって知っているんだろう。あぁ、そうか出かけるときに、それもか。そんな事を思いながら私たちは花火の音を聞きながら静かに唇を合わせた。
スターマインが一つ打ち上がり終わるまでの間、私たちは唇を離さなかった。もっともっと彼を感じていたかった。音が静まり次の花火のアナウンスが聞こえる。ようやく私たちは唇を離した。お互いに見つめあい、ちょっぴり照れくさくて笑った。
「なぁ、亜由美。鞄の携帯って。おばさんの?」
「ううん、違う。私の。お父さんが誕生日プレゼントにくれたの。」
私はそう言って小物入れから携帯を取り出す。これを使ったのは、手紙の返事を書いたときと、たまにくるお父さんのメールに返信して以来使っていない。もっと、使いなさいよって言われるけど、使う機会がないと言うと、彼との連絡にとかあるでしょうと、言われても、ほぼ毎日一緒にいるのに、携帯で連絡する事もほとんどない。
「ねぇ、真一。携帯の番号教えて。」
「あっ、うん。いいよ。携帯貸して。」
彼に携帯を渡すと彼は何やら操作を初めて、携帯同士を合わせた。お母さんも同じ事してたっけ、赤外線通信だったけかな。そんなことを思って彼を見ると彼は困った顔をしていた。どうしたのだろう。
「ごめん。俺、知らなかった。亜由美の誕生日。」
「いいよ。私が伝えてなかったんだし。それに誕生日は今日だから。」
そう、今日は私の誕生日だったりもする。いつもなら誕生日の日にみんなで、ご飯を食べに出かけたりするのだけど、今年は弟妹達がお泊まり会でいないのでご飯は、昨日食べにいった。
「本当か?」
私が頷くと、彼は何だか安心したように笑顔になった。
「おめでとう。」
「ありがとう。」
「そうだ、プレゼントどうしよう。今日は無理だけどさ。」
彼がそう言ってくれる。そんなこと気にしなくていいのに、私としてはこうやって一緒にいてくれて『おめでとう』を言ってくれるだけで十分なんだ。彼の気持ちはすごく嬉しかったので思っている事を素直に告げた。
「プレゼント何ていいよ。一緒に過ごしてくれるだけで十分だよ。」
「そんな事言わないで、何でもいいよ。物じゃなくても俺に出来る事なら。」
私はしばらく考えて彼にこう告げる
「じゃ、もう一回、キスして。」
「えっ。」
彼はそう言って、私を見つめる。そう言えばキスしてって頼むのは初めてかも。いつもは彼からしようって言われるか、さっきみたいに不意にされるばっかりだっけ。
「プレゼント。ねぇ、いいでしょう。」
彼をじっと見つめると、彼は意を決したように頷く。私は、さっきと同じように目を瞑って待つ事にした。しばらく目を瞑っていたが、一向に彼が近づいてくる気配がしない。うっすらと目を開けると、彼は何故か固まっていた。
もう、何でこうじれったくなるのかな。自分がしたいときは度胸よくするくせに。しかたないので私はから彼に近づく。
「ねぇ、目閉じて。」
彼はとまどった表情をしながらも頷き、目を瞑ってくれた。いつもと逆だね。私はドキドキしながらゆっくりと唇を近づけていく。されるのとするのではドキドキ感が、どうやら違うらしい。私たちの後ろでは、最後のスターマインが始まろうとしている。
ヒュルルルルルルルルルル
ドン ドン ドン
ヒュルルルルルルルルルル
ドン ドン
始まりの花火が夜空に広がり、当たりを薄らと照らす。連続して夜空に開く大きな花は私たちを祝福しているように思えた。
その音を聞きながら彼と唇を重ねた。風に乗ってきたのだろうか、火薬の匂いが鼻をくすぐる。それと一緒にする彼の匂いをまといながら花火の音が聞こえなくなるまで重ね続けた。
—それにしても、外でよくもあんなに長い間キスしていたな。しかも、二回。今らながらに顔が熱くなり照れくさくなる。花火が終わった後もしばらく二人で寄り添いながら、色んな話をしていた。おかげで家に着くのが遅くなり、彼が泊まっていく事になったんだけど。—
そんな思い出がある写真が収まっている写真立てを元に戻して、背伸びをする。さぁ、宿題の続きをやろう。夏はまだ始まったばかり、この先いくつ心に残る思い出が出来るんだろう。
fin
Tweet |
|
|
3
|
0
|
追加するフォルダを選択
さてさて、夏休みが始まり、気がついたら前半が終わろうとしています。みなさまはどのような夏休みをおすごしでしょうか。そんなわけで今月は彼女が心に深く刻んだ思い出の残る一日を覗いてみる事にしましょう。それでは「とある」シリーズスタートです。