どうにでも受け取れる内容の作品と言うのは・・・。について書きます。
どうにでも受け取れる内容の作品と言うのは、その作品のプランナーとかシナリオライター、演出家なんかが、過去にその作品に出てくるタレントとかモデルによく似た人とプライベートでお付き合いがあったけど、最終的にあまり良い結果にならなかった、あるいは自分はすごく気に入っていてもっと付き合いたかったけど少しの間の交際で終わってしまって未練があるとか、出会ってすぐ拒否されたり、断られたりですごくつまらない不愉快な気分になった、だから、作品の中で、この人物と何処かで出会って関わったら後々絶対に問題になるというようなストーリー設定の作品を作って、忘れた頃にその内容を巷で大々的に暴露して、すごく困った気分にさせたいという意味合いをすごく強く感じさせてくれるものだと思います。
その他に、どうにでも受け取れる内容の作品と言うのは、ただ単にその作品のプランナーとかシナリオライター、演出家、そしてもちキャスト人選係りの人なんかが、その作品を作り上げた当時や、前後にその作品の中に出てくるタレントとかモデルによく似たコンパニオンやホストが働いている接客店にプライベートで足を何度か運んだ際に、その接客店のお客とコンパニオン、あるいはゲイバーホストとちょっとしたお付き合いがあったけど、最終的にあまり良い結果にならなかった、あるいは自分はすごく気に入っていてもっと付き合いたかったけど少しの間の交際で終わってしまって未練があるとか、出会ってすぐ拒否されたり、断られたりですごくつまらない不愉快な気分になった、だから、作品の中で、この人物と何処かで出会って関わったら後々絶対に問題になるというようなストーリー設定の作品を作って、忘れた頃にその内容を巷で大々的に暴露して、あの時の思い出がすごく癪に障るから、すごく困った気分にさせたいだけということが可能性的にはすごい高い事実だと思われるのです。
だから、そういう際にいつも濡れ衣の罪を被されてしまう人物は、地位とか名誉、出世のためであっても、誰かをマジ好きで真剣に長期間、付き合うフリ、あるいはそのためだけにそういう関係にすぐなることが絶対にできないような順応性がまったくない、世渡り下手な、その反対によく言えば、いつでもピュアで、自分の心に嘘がつけないそんな性格の人物に違いないのです。
その地位とか名誉、出世に結びつくかもしれない出会いや関係をすぐに鼻先であしらってしまうような人物が、“実に態度が悪くて不愉快極まりない!”というただそれだけの理由で、作品のプランナーとかシナリオライター、演出家などの接客店遊びの後始末とか、証拠隠滅のためのアリバイ搾取に年中、当たり前のように使われてしまうということはかなり昔からの18番であると私は確信しているのです。
全世界もそうだけど我が国も接客店が関わる問題だと―生まれてから一度も接客店に行ってコンパニオンとかホストと遊んだことが無いという人はおそらく殆ど、いえ一人もいないと思います―正直言って、何処もすべてが乱交スワップ国家状態なんだから、本当のことを言うと一々ある特定の誰かのそういう実情とか秘密だけ暴露してそれを問題視していること自体がすごく差別的で可笑しくて不平等だと私はとても強く感じているのです。
ただし、たとえそんな内容の作品であってもすごくヒットして売り上げが上がれば、起死回生なんでしょうけどね。
*昨日、You Tubeの動画で「ニューヨーク恋物語1988」と「過ぎし日のセレナーデ」の動画を見ました。二種類の動画のうち、「ニューヨーク恋物語1988」の動画の中に出てくるショートカットの女性で桜田淳子とよく二人で部屋でおしゃべりをしていた女性によく似た人を、1992年から数年の間に新宿で見たことがあります。厳密に言えば、当時の女性同士の伝言板か女性同士の文通欄で知り合って待ち合わせした女性達の中によく似た人がいたのです。実を言うとモリタポさんともよく待ち合わせをしたことがある新宿のボアという喫茶店で待ち合わせして出会ったのです―証拠はまったく無いですけどね―もしかしたらその女性は作家さんとか、作家志望者だったかも、と今なら思えるのです。これは一種の直感ですけどね。そして、出会った際にボアの喫茶店の中で名刺を受け取りました。―現在はその名刺は残念ながら何処かに消えてしまいました、つまり失くしてしまったんです―自営業をやっているそうだったので、自分の証明書を渡してしまったのにその後、結局一度も会わなかったんです。―電話しようと思った時には名刺は既に無くなっていたしで・・・―つまりその女性とは最初に一回会って喫茶店でお茶をしただけでした―その時、自分の連絡先は教えたかどうかはだいぶ前のことなのでちょっと思い出せません。また、もしも自分の電話番号を教えていた場合であっても、その後一回も電話が来たという記憶が残っていません。ただし、「ニューヨーク恋物語1988」より3年か4年くらい後に出会っているので、それくらいの時期であっても、まだこの作品がすごく流行っていたと思うので、作品のお客さんに回すのに悪用したいという考えが当時の小説家とか小説家志望者、ゴーストライターの人々にきっとあった、というのは実際あり得るような感じもすごく強く受けるのです。
*そして上記の問題の他にちょっと気になることは、「ニューヨーク恋物語1988」と「過ぎし日のセレナーデ」のドラマの主役の田村正和さんの奥さんの顔のことです。―ネットで検索すればすぐ分かりますよ―奥さんの顔をみたらなんかちょっと複雑な心境になりました。
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