カクの言葉に、先代住職だったモノの動きが止まる。
くくく。
ややあって、それから、低い嗤いがこぼれた。
「流石は式姫じゃ……儂が思っていたより、遥かに切れるわえ」
ぐねぐね動いていたそれが、人の形を失い、次第に崩れていく。
「じゃが、少し違う」
どろりどろりと……崩れた体が、地面に吸い込まれていく。
「何だって?」
カクの声に、最後に地面の上に残った、ひしゃげた頭に残る口が不気味に蠢き、言葉を発する。
「確かにわしの、この体は、蜃に、海市に『借りたモノ』じゃ……」
じゃがな……まだ。
まだまだ、それは、答えの全てではないぞ、式姫よ。
その口が、にやりと吊り上がり、声を張り上げた。
「亡者ども、そ奴らから宝物の代価を受け取れ、受け取るまで逃がすでないぞ」
「貴様っ!」
「くはははぁ、人の欲は、自分も他人も地獄へ引きずり込む重石よ……そんな哀れな人間を救おうなどと考える貴様も、奴らに引かれ、諸共に海に沈むが良いわ、式姫!」
風を切って振り下ろされた棍が、地面を叩く。
先代住職だったモノは、完全に地面の中に消えていた。
いや、違う。
戻ったんだ。
本来の姿に。
その時、カクの足元が大きくぐらりと揺れた。
カクは流石に踏みとどまったが、いかに揺れに慣れているとは言え、疲労の極みにあった漁師たちが、踏みとどまり切れずに、バタバタと倒れた。
振動に続き、地の底にある何か大きな獣が呻くような、低い唸りと鳴動が続く。
これは、まさか。
見破られた幻は、覚めた夢は、その形を保てない。
この海市も。
「皆、逃げ……」
目を転じたカクが言葉を失う。
揺れる大地にも頓着せず、再び幽鬼達がひしひしと押し詰めて来る。
ゼニヲ、ダイカヲ。
おうおうと泣き声を上げながら。
「ち……しつこいな」
ぐっと棍を握り、カクは、漁師と幽鬼の間に立ちふさがった。
「おっちゃんたち……私が血路を開く、最後の力を振り絞って付いて……」
だが、ここまで走り回り、恐怖にさらされ続けた、彼らの心身はもう限界だった。
地震に倒れた体を起こす事も出来ず、カクの言葉に反応できず、呻くだけの人。
カクの言葉に頷き返し、立ち上がろうと動く者は、ごく僅か。
……駄目か。
生きようと、最後まで足掻く力を持つ人と、そうでない人を選別する、残酷な瞬間。
御免よ。
私は、生きようとする人を、生きる力が残っている人を。
助けるだけの力しか、無いんだ。
走り出そうとするカク。
じわじわと包囲を狭める幽鬼の群れ。
カクが息を詰める。
「今……」
「その銭、わっちが代わりに払ってやろう」
その時、ゆったりとした声が、辺りを静かに圧した。
幽鬼達すら声を出すのを止め、漁師達も、何事かと顔を上げ、その声の方を一斉に見る。
「……仙狸……さん?」
ゆっくりと尾を揺らし、こちらに歩いてくる仙狸の手には、何やら壺が抱えられていた。
ゼニヲ?
幽鬼の群れの中から、数人が彼女の前に歩み出す。
「おお、たんと払ってやろう」
ほれ、これにある。
壺の中に手を突っ込んだ仙狸が、しゃらしゃらとその手から銀の板や黄金の粒や、銅銭を零す。
「だ、駄目だぁ!」
それを見た漁師の中から、絶望の声が上がる。
「んだぁ、そいつらは、その銭じゃ、満足しねぇだよ!」
「そうなの?」
慌てるカクに、漁師たちは頷いた。
「あれは網元が持って来た銭だよ……だけど、あいつら、いくら払っても、銭を払え、銭を払えって」
あの時の不気味さを思い出したのか、漁師たちが身震いする。
「仙狸さん!」
声を上げるカクに、仙狸はちらりと一瞥をくれた。
「案ずるでない、カクよ」
そう、低く口にしてから、仙狸は幽鬼達に顔を向けた。
「して、値はいか程じゃな?」
まるで、その辺の市で、大根や魚の値段を聞く程度の様子で。
コレガ、ツリアウダケ。
幽鬼が、件の秤を手にして、それを仙狸に示す。
それを見て、仙狸がにこりと笑った。
「おお、左様か左様か、良心的な価格じゃな」
仙狸は銭を壺から掴み出した。
「これが、通用しなかったのは当然じゃ」
その銭を載せて掲げた仙狸の手に、青白い炎が灯る。
「ただ、それは銭が悪かったのではない、お主らの払い方が悪かっただけじゃよ」
その火に向かい、仙狸がふっと唇をすぼめて息を吹きかけると、その炎に包まれた銭が、一瞬で溶ける様に消えた。
かたり。
その時、幽鬼の手にした秤が、僅かだが、確かに傾いた。
オオ……。
それを見た幽鬼達から、歓喜の響きを帯びたどよめきが上がった。
ゼニジャ。
モット、モット。
コレガツリアウダケ。
「急くな急くな、ちゃんと払ってやるでな」
次々と仙狸が銭壺に手を入れ、銭を火にくべる度に、秤が釣り合って行く。
魅入られたように、その不思議な光景に釘付けになる漁師たちの中で、カクは一人頷いた。
「そっか、冥銭」
冥銭。
文字通り、それは冥界で通用する銭の事。
常なら、冥銭は、術の心得がある道士や陰陽師が、紙に書き付けて作る物。
遺族から死出の旅に出た故人に送る、手向けの銭。
それは、火にくべる事で、死者の手元に送られる。
「知ってたなら、早くやってよ!」
安堵の余りか、カクが不平らしく口を尖らせるのに、仙狸は肩を竦めた。
「勿体ぶっておった訳では無い、わっちもつい先ほど気が付いたんじゃよ」
この亡者たちを、夜摩天の炎で焼き払って貰えたら、と……そう思った時。
自分の操る程度の炎でも、銭程度なら焼ける事に思い至った。
「これで最後じゃな」
ほぼ釣り合った天秤を見て、仙狸は、こちらも随分軽くなった壺の中から、底に残る砂金を掬い、それをさらさらと火にくべた。
さらり、かたり。
砂金が炎の中に消える度に、秤が釣り合って行く。
「のう、お主ら」
彼女は幽鬼達に、横顔を見せた。
纏めた髪に、紅く輝く珊瑚の髪飾り。
「髪にすんなりと馴染み、色の品も良い、良い品を商っておるな」
さらりと手から黄金が零れる。
かたりと天秤が傾き、水平になった。
商いは、成った。
オオオ。
しばしのどよめきの後、幽鬼達が、仙狸に顔を向けた。
黒く虚ろにぼやけたそれでは無い。
たくさんの、人の顔。
「御客人、我らが宝をお買い上げ頂き、ありがとうございました」
そう……穏やかにほほ笑んで、彼らは一つ頷くと。
「……あ」
あれほど沢山いた幽鬼達の姿が、かき消す様に居なくなった。
まるで、全てが幻だったかのように。
(だが、幻ではない)
仙狸の手の中で燃えていた炎が消えた。
彼らは、確かにここに居たのだ。
海市に商品を並べ、訪れぬ客を待ち続け。
その願いを、卑劣にも利用されてしまった……。
「礼はこちらが申すべきであろうな」
ふっと、仙狸はどこか寂しげにほほ笑んだ。
これが、本当の彼らの望み。
苦労して手にいれた物を、欲しいという人に渡し、代わりに銭を受け取る。
働いた証に、代価を受け取る。
そんな、人として当然の……本当にささやかな願い。
その思い半ばで海に散った人々が、この世に残した。
「良い商いをさせて貰うたよ」
ありがとう。
さぁっ、と。
彼らに払いきれず、仙狸の手から零れた砂金の粒が、吹いて来た風に乗って、海市の空に、きらきらと散った。
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式姫プロジェクトの二次創作小説です。
前話:http://www.tinami.com/view/958948
今回で海市から舞台は海に移り、ようやく終盤です。