No.959719

うつろぶね 第二十一幕

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/959182

ようやくタイトルネタですよ……

2018-07-12 20:29:44 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:748   閲覧ユーザー数:737

 海市の鳴動が更に酷くなる。

 立っているのすら困難な揺れの中を、漁師たちは必死で移動していた。

 最後の道を走り、砂防林を抜け。

 浜に出た彼らの前に、半分ほどの広さになった砂浜と、幾つかは海に漂い出してしまった小船が見えた。

「……この島、沈んでるのか?」

 恐怖と、想像を超えた事態に茫然とする何人かの背中を、カクと仙狸がどやしつける。

「呆けてる暇は無いよ!」

「多少すし詰めとなっても、手近な船に早く乗り込み、沖に急げ、この島は消えるぞ!」

 疲れ果てた体に鞭を打ち、漁師たちは船に乗り込み、櫂を手に船を漕ぎだし、帆を張る。

 仙狸とカクもまた、ここまで乗って来た小舟を見つけ、それに乗り込む。

 先に乗り込んでいた、件の洟垂れの父親が、流石の手並みを見せて、出帆の準備をしていた。

「これ以上は乗れないぜ」

「わっちらで最後じゃ」

 最後に飛び乗るカクと仙狸の足を海水が洗う。

 櫂を操る仙狸やカクの手つきに、彼は感嘆の目を向けて、口笛を吹いた。

「海で働けるぜ、姉ちゃん」

 その、こんな状況下で発せられた、余りに普通の言葉に、仙狸は思わずくすりと笑った。

「新鮮な魚に親しめる仕事は大歓迎じゃ、今の仕事にあぶれたら世話になろうかの」

 船が波に揺れる。

 浜が海の下に沈む。

「見て、海市が!」

 カクのよく通る声に、他の船の漁師達の目も、今逃げて来た島に向く。

 海市が沈む。

 急速に、木々や街並が、塩水に洗われていく。

 暗い波間に、渦を巻きながら、島が沈む。

「ち……実体化したまま沈む事で、わっちらを巻き添えにする気か」

 あの坊主めが……どこまで血迷っておるのじゃ。

 仙狸が低く舌打ちをして、櫂を手にする。

「全力で漕ぐのじゃ!沖に急げ」

 巻き込まれたらひとたまりも無い。

 

「無駄じゃ、無駄」

 

 その時、地鳴りのような声が辺りに響いた。

「この声、あいつかい!」

 この芝居を描いた、張本人。

 カクが叩き潰した奴は、地面に、この海市に溶ける様に消えた。

 奴はこの海市そのもの。

 そのカクの考えを裏付ける様に、その沈みゆく海市で一番高い建物の上に、巨大な顔が浮かんだ。

 その、のっぺりした灰白色の顔の中で、ぬめぬめと赤い口が開き、大声を発していた。

 ひぃ、ぎゃぁと、漁師たちが悲鳴を上げる中、仙狸がその顔を睨み据えた。

「何が不満じゃ、銭なら払い、亡者たちは納得して去った、お主も海市の主なれば、気持ちよく客を送ったらどうじゃ!」

 仙狸の怒声に、大地の唸りのような物が返ってくる。

「これって……まさか、笑ってるのか」

 それも、どこか皮肉な響きを込めて。

「市に立ち入るには、場所代が必要じゃ」

 儂や、この海市は銭など要らぬでな。

「この海市を……いや、蛭子珠を肥やす為に、儂はお主らの血肉を代金に所望する」

「聞いてないよ、そんな事は!」

「言うて居らぬからな」

 屁理屈にもならない、力を背景にした無理強いであることを自覚している口調で、それは仙狸たちをあざ笑った。

 圧倒的な力を、今や隠そうともしない。

「案ずるな、貴様らを喰らった後、あの浜の住人も皆食い殺してやる、さすれば海市の上で、幽鬼として一緒に暮らせるぞ、永遠にじゃ」

「ふざけんじゃないよ、そんなの絶対にさせるもんか」

 それを聞いたカクが忌々しげに海を睨む隣で、だが、仙狸は対照的に静かな表情で頷いた。

「成程、やはりそうか」

「なにがやはりなのじゃ、式姫よ」

 嘲弄するような唸りが返ってくる、だが、仙狸は轟々と荒れだした海にも負けず、船尾に立った。

「お主の目的じゃよ……いまいちそこの所が理解できなかったが、蛭子珠を育てる為に人の命を望むというなら頷ける」

 蛭子珠は、世界生成の力。

 故に、その世界の力を再度取り込めば、その力や輝きを増す。

 魚では足りない。

 人を。

 その欲望と意思で、世界を作り替えていく、その魂の力を。

 

 仙狸の言葉に、不気味な笑いが止まる。

「儂の目的……それを知るか、式姫よ」

「そうじゃな、お主が蛭子珠を育てたがる、その理由程度は弁えておる……そして、それが無駄な努力である事もな」

 反応は無い。いや。

 カクは驚きに目を見張った。

 あの怪物が、たじろいだように言葉を失って沈黙していた。

(仙狸さん……何を知ってるの)

 自分に語ってくれた以上の何かを、貴女は、海市で見つけて来たの。

 言葉も無くカクが見つめる、その視線の先で、仙狸は更に言葉を続けた。

「お主が巡らせた遠大な計画も、何もかもが無駄」

 ただ、世界に破壊と哀しみを振りまいただけの……。

「お主もまた、哀れな道化に過ぎぬ」

 

「無駄……じゃと」

「そうじゃよ、お主が知る事叶わなかった、その理由により、その行為に意味なき事を、わっちは知っておる」

 

「儂の知らぬ事?」

 この地で数十年を閲したるこのわしが知らぬ事を。

 この地に来て一夜の式姫が、知った風な口を!

 

「間違った物ばかり見て、迷妄に囚われておれば、何十年経とうが何も見えはせぬ」

 無明。

 世界を感じる事も無く、己を顧みる事も無く、何年禅を組もうが、それはただ、座っていただけの時間に過ぎない。

「その程度の理も忘れ果てたか、仏弟子よ?」

「む」

「そもそもじゃな、この場所が、何故『市』になったのか、お主、知っておるのか?」

 仙狸の問いに虚を突かれたのか、その顔は戸惑ったような表情を一瞬浮かべた。

「愚劣な……蜃が吹くのは都市の幻じゃ、それは世に広く、そして長きに渡り伝承されてきた知識」

「ほれ、それが先入観じゃ、違う違う」

「違うじゃと、では何だと」

「この海市はのう、お主の愛しい姫の望んだ、見果てぬ幻影じゃ」

 巨大な、不気味な白い顔が、それと分かるほどにわなわなと震えだす。

「姫じゃと!まさか、馬鹿な……あり得ぬ!姫はあの日以来、口を利かなくなったのじゃ、それが何を語れる!」

「口だけでは無い、人が他者に何かを伝える術は、存外ある物よ……後は気が付くか否かの差だけじゃ」

「む……むぅ」

「お主はあれじゃな、姫を愛したと言いながら、姫の何も見て居らなんだのじゃな」

 その仙狸の声に、凍り付いたように、島が動きを止めた。

 海が僅かだが穏やかになる、その水面に飛沫を立てて、漁師達の船が一散に逃げていく。

 その様子をちらりと見て、仙狸はカクを手招き、声を低めた。

「今の内じゃ、こやつはわっちが引き付けておく、お主、そこの男を連れて、他の船に行け」

「仙狸さん……でも」

「あの洟垂れ坊主と約束したんじゃろ」

 連れて帰ると。

「それは」

 クスリと笑って、仙狸はカクの胸を押した。

 ゆけ!

 口だけそう動かしてから、仙狸は前を向いた。

「姫はのう、わっちに色々な事を語ってくれたぞ、その生い立ちも、その憎しみも哀しみもな」

 お主はどうじゃ?

 姫の何を知って居る?

 彼女の哀しみと怒りの源泉が何処にあるのか。

 何故、姫はお主に靡かなんだのか。

「姫は蛭子珠に心を奪われた、ならば、それをより美しく、巨大に育て、それを与えれば、今度こそ姫は自分に靡くだろう……お主はそう思った、違うか?」

 返ってくるのは無言、正鵠を射られ、言葉を失った沈黙。

 だが、仙狸は頓着せずに、言葉を続けた。

「一休宗純ではないが、坊主なりとて雄よ、女の一人も抱き、酒の一つも嗜んでおかぬから、そのような初恋の小児の如き発想しか出て来んのじゃよ、よいか、姫は最初から、蛭子珠自体に魅せられた訳では無い」

「ち……違わぬ、貴様はあの時の姫の顔を知らぬから、左様な事を!」

「ふむ、では、蛭子珠で、姫の歓心は買えたか?」

 無理だったじゃろ。

「姫が……それを貴様に語ったのか、この儂が話しかけても、曖昧に、うつろにほほ笑むだけになってしまった、あの姫が」

「何じゃ、あの感情豊かな姫に、憎まれも、嘲られもしなくなったか……それは、何とも哀れなもんじゃな」

 仙狸の言葉に、獣の吼えるような音が答えた。

 傷つき、狂乱した、獣が泣き叫ぶような。

「お……おう、おう……何という、何を知った、他に姫の何を知った、儂の知らぬ姫を知ったというか、貴様はぁ!」

 

 洟垂れの親父を抱えて、海に飛び込んで泳ぎ出したカクが背中越しに聞いた声。

 その声に籠もって居た、今にも血が流れ出しそうな程に、傷ついた心の叫び。

 だが、それを聞いたカクは、心の中に少しだけ……ほんの少しだけ、ほっとする物を感じていた。

 こいつも、やっぱり人なんだ。

 人の欠片が……まだ残っているんだ。

 

 逃げるカクや漁師達から離れる様に、注意を引き付けつつ、ゆったりと櫂を操りながら、仙狸は口を笑うように歪めた。

 彼女らしくない、嗜虐的とすら呼べそうな響きを込めて。

「ほう、お主……わっちに嫉妬したか?」

 惚れた女の内心を赤裸々に語って貰えた。

 この、わっちに。

「あああぁぁぁぁぁ!」

 目の中に狂気が浮かぶ。

 巨大な、白い顔が薄れていく。

 人の姿を、保つのが無理になったかのように。

 それと共に、ゆっくりと沈んでいっていた海市もまた、その姿を薄れさせていく。

「何と……これは」

 他の船に、洟垂れの父親を引っ張り上げたカクが見守る前で、大地の姿が霧か靄の中に消える様に、薄くなっていく。

 

 商う者は、満足して市を去り。

 客は富の夢から覚め、今去りゆく。

 そして、今までこの場所に憑りつき、執念を燃やしていた男の確信が揺らぎ、突き崩された。

 ここに巨大な市を存在させていた、人の願いの力が、失われた。

 

「夢の終わりじゃ」

 厳しい顔を崩さないままに、仙狸が呟いたその視線の先で、海市が、まるで最初から無かったかのように、かき消えた。

 

 それを見ていた漁師の間から歓声が上がる。

 船尾に立って、仙狸を注視していたカクすら、安堵でその場にぺたんと座り込みそうになる……だが、その時、怒号に近い声が、一同の歓声をかき消した。

「馬鹿者共が、今の内に早う逃げんか!」

 仙狸の鋭い声が海面を震わせる。

「仙狸さん……何で?」

「まだ終わりでは無い」

 そう、まだ、残っている。

 

 この世に夢を抱けず、海の向こうに幸せな世界を夢見た、その生を男の欲望に翻弄された少女の想いと。

 愛に盲目となり、狂った男の、行き場を無くした妄執が。

 

 一時静かだった海面が、再び泡立つ。

 それを睨みながら、仙狸は槍を構えた。

「わっちは、奴の纏った、巨大な偽りと幻を剥ぎ取ったに過ぎぬ」

 ごぼり、ごぼりと、浮かび、弾ける泡が次第に巨大になっていく。

 月明かりだけの中、暗い海が更にドス黒く染まる。

 フカよりも、勇魚よりも(鮫と鯨)、遥かに巨大な何かが、水底より浮上する。

 海で生きる漁師達には、何となく判った。

 ぞわりと、背筋を這いまわる感触が、それが浮かんでくる程に強くなる。

 これは駄目だ。

 自分たちが、人間が相手を出来るような代物では無い。

「来るぞ!」

 海面が大きく揺れる。

 その揺れで、漁師達の船は沖に向かって大きく押された。

「仙狸さん!」

「……わっちとの決着を望むか、それも良かろうよ」

 だが、仙狸の乗った船は、浮上したそれの方に引き寄せられる。

 黒鉄のように鈍く輝く、巨大な皿を重ねたような円盤。

 その円盤が横に割れたように、開く。

 中には、巨大な、白く蠢く、龍に成りかけの肉の塊、無数に煌めく真珠、そして、中央に立つ二人の男女。

 やっと、出て来たか。

 

 命無き妄執を、その身の裡に乗せて、海を彷徨う虚ろ船。

 

「決着を付けてやろうぞ、蜃よ!」


 
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