「私を開放すると?」
「そうだよ、さくら」
「何故だ?」
なぜ……か。
「お前は、ずっと私を封じて居たではないか」
「そうだね」
封じたかったわけじゃ無いけど……私には、他に方法が無かった。
「厳しい修練の果てに手にした、その力の大半を使い」
そう、私は、自身が無力だった故に、式姫達が戦い、傷つくのを、後ろで見ているのだけの男だった。
それは、確かに辛かったよ。
けどね、さくら。
人が力を欲するのは、何かを成し遂げるためで。
私は多分、人として一番幸せな力の使い方が出来た陰陽師だったと……心からそう思っている。
「ずっと、都の安寧の為に、私を封じて居たのではないのか?」
貴方は、ずっと都の平和を祈って戦い続けた。
自らの力が殆ど使えなくなった後も、式姫達と共に戦い。
この都を、強大な妖たちから守り抜いた。
……私は、その妖の側の一人。
そこまでして守って来た都を、何故、今、危機に晒す。
「それは違うよ、さくら」
……今、何と。
違う?
何が違うと。
「私は、都の為に戦って来た訳じゃ無い」
「嘘だ!」
私は知っている。
貴方は、最前線に立てない事を、他の陰陽師や武士たちに蔑まれながら。
それでも、式姫達と共に。
彼女たちが万全に戦えるように、あちこちに頭を下げ、家財を投じて人を懐柔し。
時に妖怪すら凌ぐ力を持つ、そんな彼女たちの身に危害が及ばぬよう、したくも無い政治的な折衝を繰り返しながら、妖怪討伐を続けたのではないか。
ここを守りたいんだ。
そう言いながら、辛い毎日に耐えていた姿を、私は知っている。
「いいや、都を守ったのはついでの話さ」
わが身を賭して、都を守る……か。
そんな聖人君子に、私が見えていたのかい?
私に、そんな御大層な望みは無かった。
あれは、結果としてそうなっただけの話。
「ついで……では、貴方は何を」
あんなに傷つきながら、何を守りたかったの。
「守りたかったのは、自分の屋敷だけ」
そう、私は度し難い、自分勝手な我儘者なのさ、さくら。
「君が居た、あの場所だけだ」
花びらが散り、空を漂う。
一片。
二片。
時が止まったような空間の中で、ただ、その動きだけが、時を刻んでいた。
彼女が、じっとこちらを見る。
感情の無い、あの目で。
ただ、何かを滅ぼそうという。
その意思だけが、そこには宿っていた。
ぴぃ。
狐火が小さく悲鳴を上げて、私の懐の中に飛び込んで、小さな体を震わせる。
それが合図だったかのように。
「おう!」
ひゅうという彼女の鋭い呼気と、武者の気合が交錯した。
鬼すら凌ぐ、あり得ない身体能力から繰り出される、予測の付かない体術。
そこから変幻に繰り出される左右二刀。
それを、武者は、甲冑の防備と最小限の見切りで辛うじて凌ぐ。
いや、凌げているのは、彼の武術のお蔭のみでは無い。
明らかに、彼女の動きは、鈍くなっていた。
ここに至るまでに、幾度も繰り返された交戦によって受けた傷により、彼女は著しく消耗していた。
とはいえ、その動き、力、鋭さ、その全てで、未だに彼女は彼を凌いでいる。
故に……機は一度だけ。
(いつ、誘いの手を入れられるか、俺にも判らぬ、ヌシに合図も出来ぬ)
だが、私はそれを見出し。
(その時だけ、あやつの刃を、ヌシの術で防いで貰えぬか)
やらねばならない。
失敗したら……。
「火は灰となりて土を生じ、土、その体内より金を産す」
これに失敗したら、私と彼は死に、彼女はまた殺戮を繰り返すのだろう。
「金は面に結露し水を生じ、水、その恵みにて木を生ず」
誰も……彼女自身にすら、何も生まないその営みを。
「木は火を生じ、火は土を生ず、ここに五行の相生の理は巡る」
天地万物は繋がっているのだ、滅びたと見えても、次の命を繋いでいく。
ならば、私は陰陽師として。
彼女の回す過剰な破壊に満ちた、悲しい連鎖の輪を、止めねばならない。
札を構える。
じっと、二人の戦いを見据える。
すね当てが砕けた。
しころがちぎれ飛ぶ。
明らかに、彼が押され始め、彼女の刃が彼の身を捉えだす。
だが、まだ。
(ただ、あれだけの達者を誘う一手は、こちらの命を的にせざるを得ぬ……頼むぞ呪い師)
彼は、自身の命を防いでいる。
だから、まだ、その時では無い。
じっと見据える、その視界の中の光景が、ボウと霞む。
それなのに、不思議な程、私には二人の動きがつぶさに捉えられていた。
彼の発する陽の気と、そして、彼女の虚無が。
その二人の間で、激しくせめぎあう、金の気の動きだけに、意識を絞る。
時は、唐突に来た。
彼の手にした刃が強く弾かれ、彼の手から飛んだ。
次いで薙ぎこまれる刃。
防ごうと掲げられる彼の手。
これか?
だが、彼は己の命を守ろうとしている。
故に、まだ。
むぅぅっ!
掲げた左腕に刃が食い込み、それを両断した。
だが、籠手が、鍛え上げた筋骨が盾となり、その刃の力を奪う。
だが、それで盾は無くなった。
彼の空いた胸に、もう一方の刃が薙ぎこまれる。
だが、彼の手は、その刃を防ごうとはしなかった。
その気を感じた。
これだ。
「我が命により、金の気を封ず、刀、汝、切る事能わず!」
一言毎に、全身から力が抜ける。
世界の理を、ほんの一瞬だけ歪める。
本来やってはいけない。
その存在の在り様を、否定する呪。
「禁!」
刃が彼の胴に食い込む。
だが、それは棍棒で叩いたかのように、鈍い音と共に彼の甲冑に止められた。
刃であることを禁じられたそれは、ただの薄い鉄棒となる。
本来、この世の理に非ざる事態に直面した時、彼女は、疑問や驚愕という物を抱くのだろうか。
その、私の時ならぬ疑問に答えが出る前に。
「おおおおおっ!」
満身の気力を振り絞る気合声と共に、彼が手にした直刀が、鋭く彼女の腹を抉っていた。
下から上に。
その切っ先が、柄まで腹に埋まるほど深く。
彼女が血を吐いた。
その光景を見届けた私の目に、溢れるように額から流れ出た膏汗が入り、嫌な痛みをもたらす。
背筋から何か抜けたかのように力が失われ、眩暈を感じる。
歪む光景の中で、彼女がゆっくりくずおれる。
この光景を望んでいた筈なのに。
「……ああ」
私の口からは、ため息しか出なかった。
目を濡らしているのが、汗なのか涙なのか。
その涙は、悲しいからなのか、それとも汗を洗い流すための、ただの体の要求だったのか。
それすら判然とせずに溢れた涙が、この世界の全てを滲ませた。
それで気力が尽きたように、私はすとんと、冷たい土にへたり込んだ。
武者もまた、よろりと後ずさり、彼女の腹に刃を残したまま、その場に腰を落とす。
彼も死ぬことは無かろうが、暫くは動けまい。
空しい戦いだった。
だが、それだけに、生き残った物は、ちゃんと生きるべきだろう。
「止血位はしませんと……」
よっこらせ……と、じじむさい声を上げながら、私はなんとか重い腰を上げようとした。
その視界の中で。
「……そんな」
歪んだ私の目が見せた、それは悪夢か。
彼女がぐにゃりと動いた。
「何?」
それが、何の前触れも見せずに跳ねた。
とぐろを巻いていた蛇が、獲物に襲い掛かるような、そんな動き。
彼女が、空中で刃を腹から引き抜く。
「呪い師!」
私の方に。
弱い命の方に。
今の彼女でも奪えそうな命に向け、一直線に。
咄嗟に刀に手を掛ける。
亡とした意識のまま、手に掛けた束から、何か聞こえた気がした。
キリタイ……。
その声が導くように、私の手がするりと動き、まるで練達の武士でもあるかのように刃が手の中に納まった。
だが、遅かった。
いや、彼女が速すぎた。
私が構えるより先に、彼女はその直刀を私の胸に擬していた。
腹の傷から、夥しい血を振りまきながら、それに頓着せず。
死に瀕してなお、その体は己の命を保つより、人の命を奪う事を求めたのだ。
何という……哀しい命か。
人を憐れむなど、私にそんな資格は無いが。
私が、彼女が奪う、最後の命となるなら。
「それも良いか」
ぴーーーっ。
その時、泣いているような細い声が、私の懐から飛び出した。
青白い光が、真っ直ぐに彼女に向かう。
「飯綱、よせ!」
私は咄嗟に手を伸ばした。
たかが狐火の式……。
その時、私はなぜかそう思わなかった。
飯綱の体が、刃を握った彼女の腕に飛びつく。
小さな式の体当たりにすら揺らぐほどに、彼女は弱っていたのか。
その切っ先が揺らぎ、心臓を狙った刃が私の肩口を浅くかすめた。
そして……私の手は。
刀を握ったまま、飯綱に伸ばそうとした、その手が握った刃は。
「あ……あ」
彼女の心臓を、刺し通していた。
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式姫草子の二次創作小説になります。
申し訳程度の式姫要素……