小さなメッセージ5のお題
01 砂の上に
「砂の上に、」
「どうかしましたか?」
「足跡が付いていたんだよ」
「……何のです?」
「にゃんこ」
梅雨時の空は、常にアンニュイ。青空なんて欠片も覗きやしない。折角今日は何かを書こうかと思ったというのに、こんな気分では台無しだ。
「問い詰めてみたらね」
「誰をです?」
「汐崎千晴」
「……誰ですか?」
「妹」
そういえば、彼に話した事は一度もなかったかもしれない。だが、そんなことは気に留めるほどの事でもない。知るのが遅かったか早かったかの問題だ。
「隠して餌付けしてたんだって、家で」
「そうだったのですか。それで?」
「我が家は千晴以外、全員猫アレルギー」
「……ご愁傷様です」
「まったくだよ」
「だから、さ」
榧雪の鞄についている猫のキーホルダー、どっかに捨ててきてよ。見ているだけでイライラする。
02 曇ったガラスに
「……何をしていらっしゃるのですか、有理」
「見ての通り。落書き中だけど?」
曇った窓に指先で描かれているのは、訳のわからない模様たち。かと思えば突然英語やれヘブライ語やれハングルやれの文が書かれていたりしている。
「何を書いていらっしゃるのですか、有理」
「んー……特に何にも」
そう言いながら、まだまだ増えていく硝子の変な模様たち。
有理はハングルで書かれた部分に少し被せながら、一際大きな模様を描き始めた。鼻歌を歌いながら、やけに楽しそうだった。
「まあ、これでいいかな」
「……何なのですか、これは」
「僕の、心の中、とか?」
先程書いたばかりの、ハングルに被らせた大きな模様に矢印を向けて、彼は補足説明を付け始めた。『榧雪』と。
それを見て、書かれた本人は顔を歪ませる。
「何ですか、その『榧雪』は。貴方の心の中のでしょう?」
「さっきの質問に対する、僕の心理の部分」
「……よくわかりませんね、貴方の言う事は」
「君は賢者だからね。よく言うだろう? 天才と馬鹿は紙一重」
そう言うと、彼はまた模様を書き足し始めた。
03 ケチャップで
「オムライスとか、ケチャップで何かを書くやつって、何考えてるんだろうね」
突然質問を投げ掛けるのは、既に癖だった。
「さあ。私は書かないので知りません」
帰ってきた言葉は、少し冷ややかだった。だが彼は本から視線を外してこちらを見る。静観の構え。聞く気がないわけではない、ということだ。ならば、話を続けようか。
「不毛じゃないか。所詮はケチャップ。書くことに費やした時間が勿体無い」
「一つの娯楽なんでしょうね。貴方もやってみたらいかがです? もしかしたら、気持ちが分かるかもしれませんよ?」
小さく笑った彼の横顔を見て、有理は窓の外を見た。本日は晴天なり。雲ひとつ見当たりやしない。
「汐崎千晴がね、よく僕のオムライスに書くんだよ」
「ああ、妹さんですか? 女性ですから、何かくすぐられるものでもあるのでは」
「そんなものなのかな」
「ええ」
よくわからないな、と思う。
十人十色とは、よく言ったものだ。
「……理解しようとは、思わないけどね」
質問した僕が、馬鹿だった。ああ、無情にも時間は流れ行く。
04 てのひらに
「『好きです』ですか」
掌の中に置かれた一つの手紙。女子特有の、意味の無い変な形をした手紙。
「ハート、ですかね」
こんな面倒な折り方をされては、開ける方だって憂鬱になる。面倒だな、と榧雪は純粋にそう思った。普通に封筒に入れて渡された方が、処分もしやすい。
「こう、何枚も紙が重なった折り方だと、鋏に紙が詰まるのですが……」
素手で破るにしても、難しい。
有理はそんな風に人の気持ちを無下にするなんて酷い事をする、なんて言うが、貰ってあげているだけありがたいと思って欲しい。処分するのだって疲れるから、本当はつき返したいくらいだと言うのに。
「何通も貰っても、答える人は一人なんですよ? 面倒です」
何より、自分の何処を見て好きだと言うのか、わからない。優しいとか、綺麗とか、そういう上辺だけのもので評価されるのは何より嫌いだ。本質を理解しないで簡単に言葉で『好き』というのは、死んでも信じられない。
「別に、理解してほしいなんて訳でもないのですけどね」
そんな事があったら、反吐が出そうだった。
05 ノートの隅に
「……ん」
数学の授業は至極退屈でつまらない。有理は欠伸を噛み殺した。
「……ん?」
前の席の女子のノートの隅、そこにシャーペンで走り書きされた文字。何故か、目に付いた。気になっては致し方ない、目を凝らして、じっとそこを見つめた。
『榧雪くん、好き。だーい好き。』
そういえば、こいつは前に文芸部に来ていたな、と有理は思った。
見るんじゃなかったかもね。心の中で一人呟いた。
あの表面上の優しい仮面に、騙されている女子がまた一人。
「ああ、詐欺師にして賢者。今日は随分と早く来たみたいで」
「詐欺師って何ですか。人聞きの悪い」
「今日もまた、君に騙されている可哀想な子を見たからね。……ま、腹いせだとでも思ってて」
「……貴方は、性格が悪いから女子の受けが悪いのですよ」
棚から抜いたばかりの本を榧雪に投げつける。彼は軽く微笑んでその本を片手で掴んだ。ちっ、と心の中で舌打ち。だが、最初から彼に当たるなどと思ってはいなかった。
「冷血男。少しは誰かの気持ちを汲んであげたらどうだい?」
「ふふ。貴方にそれを言われるとは」
そう笑いながら、ゴミ箱の上で封の切られていないラブレターの束を破り続けている榧雪を見て、有理は一つ、溜め息を吐いた。
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やる気のなさそうな、文芸部の学生の小さな日常。
お題は疾走ターコイズ様(http://fine3day.web.fc2.com/ )よりお借りしました。