Ⅱ 惑わされる者たち-1
控えめに、扉をノックする音がした。音をたてているのは、まだ成長途中といった感じの、細身で小柄の王子。
いつまで経っても返事が返ってこないような気がして、ノックの後、少ししてから彼はノブを握って、回した。
「……おい、おい。こういう場合は返事を待つのが礼儀ってもんだろ?」
「そうすれば、父様は返事をくれますか?」
「いんや。有り得ないなあ、絶対」
早速はじまった会話が、瞬間終わった。不満そうな顔をしたまま、ティスは押し黙る。
微妙な空気が漂いながら、両者は口を開かない。数分経ってから、ようやくグラドフィースは話す。
「見てきたか? 城下の様子」
ただ一言。その一言に反応して、ティスは眉を寄せた。
「……自分で言えばいいじゃないですか。そんな風に、後々の事を心配しなくてもいいんですよ」
もしも前王が優秀であればあるほど、新たな王は国民から非難を受ける。前の王は素晴らしかった、この国は落ちぶれてしまった、などと。国民が王に不満を持てば、それは不信感に変わり、反旗を振りかざされる可能性に繋がってしまう。
だから国王陛下は、王子の人望を厚くしようとしているのだ。
「――俺としても、さあ。あんま負担は掛けたくないわけよ。……シェウリディスに火の粉が散らないためにも、な」
「シェウリ、ですか。確かに、一番に守らないといけないかもしれませんね――」
ティスはまだ、子供のような態度をする弟を思い浮かべた。
他の人には笑って接しているのに、自分に対する態度だけは何処か冷たい。その態度が何処か痛くて、切ない。
王族として正式に認められていないという辛さは分からないが、それでもシェウリは大切な家族なのだ。――大切な、弟。
かつてイリルが笑って手を差し伸べてくれたように、シェウリにも、幸せになってほしい。
「……いつまで、シェウリに騙させたままにしておくつもりですか。あのままでは、シェウリが――」
「仕方ないだろ? あいつだってまだ、この場所に居たいはずだ」
グラドフィースは、微笑した。その顔を見て、ティスは軽く唇を噛む。
かつて手を差し伸べられた時のように、手を差し伸べてあげたい。
そう思うのは、そんなに愚かな事なのだろうか。
「おばさーんっ! この野菜は何処に持っていけばいいんだ?」
「ああ、その野菜ねえ。取りあえず、あそこに色々積んであるから、そこに置いといてもらえる?」
指を指された場所はちょうど日陰で、休んでいる人たちが多く居た。軽い足取りで、イリルはそこへ向かう。
箱を積んでから、イリルはその休んでいる人たちに声を掛けた。
「まだまだ運ぶ物があるんですから、あんまり長く休まないようにしてくださいよ?」
苦笑を漏らす。
「この年になると、足腰がきつくて。イリル君みたいに若い人が手伝ってくれると助かるんだけど、ねぇ。皆さん忙しいみたいで……」
これからも大変になりそうね、と他の休んでいたおばさんが溜め息を吐いた。
それを見て、何だったら今度も手伝いますよ、とイリルは苦笑した。
「助かるけど、悪いわねぇ。皆がイリル君みたいに優しい子だったら、楽だって言うのに……」
軽く会釈して、イリルは小走りで荷物を取りに戻る。
二箱ほど腕に抱えていると、声を掛けられた。
「イリルぅー。お手伝いにきたよー」
声の主に目をやると、予想どうりの人物がいた。年齢にそぐわぬ、ちんまりとした身長。声のトーンも、年齢に比べると高い。そして、独特の訛りのある発音をする人物を、彼は一人しか知らなかった。一人しかいなかった。
こっそり溜め息を吐いて、方向転換をした。とは言っても、真正面に捉えてしまうと箱で顔が見れなくなるため、横向きになる。
「荷物はあっちだ、クリスナっ」
「わかったよ。じゃあねぇー」
そう言い終えると、クリスナはイリルが来た道を逆走していく。小さな影がさらに小さくなって、やがて見えなくなった。
影が消えたのを見て、イリルは進みだした。立ち止まったままでは、時間が勿体無い。
先程の日陰の場所に着いて、イリルは箱を置いた。日陰に置かれた箱の数は、十箱で一列がだいたい九十列。一箱の重さがさほど無いとはいえ、これが一ヶ月半で綺麗さっぱり無くなるのだから、城に勤めている人の数は計り知れない。
「あら? イリル君、それは離宮の分みたいよ。ほら、箱の横に青色のシールが貼ってあるでしょう? それは離宮の分の目印なのよ」
「離宮の分は、こことは違う場所に集められてるから。悪いけど、そこまで持って行ってくれるかねぇ」
分かりましたと一つ頷いて、置いた箱を再び持ち上げる。この分じゃクリスナの箱もそうだろうと、イリルは思った。離宮の分は、東の方に集められているらしく、あまり距離は無かった。
「あれ、イリル?」
後から追いついた、クリスナが声を掛ける。クリスナの持っていた箱を見ると案の定、青色のシールが貼ってあった。
「青色のシールが貼ってあるのは、東の方に集めるんだと。行くぞ」
頭が追いついていないクリスナを置いて、イリルは早々と歩いていく。待ってよ、と言いながらクリスナが駆けていった。
余談だが、ちまっとした体躯のクリスナが駆けていくのを見て、休んでいたおばさん達は大いに和んだという。
「そういえばクリスナ。何してたんだ? 荷物の整理って言ってもあの部屋じゃままならないだろ」
「え? あー、うん。……まあ、ね」
箱を置いてからの会話、クリスナは言葉を濁した。あはは、と苦笑いを繰り返す。
「イリル君たち。ちょっと大きいし、重いけど、これ持っていってくれるかねえ」
そう言ったおばさんの隣には、クリスナの身長ほどの高さの、大きな長方形の箱が三箱、台車に乗っていた。これにもまた、青色のシールがついている。少し考えた後、いいですよ、とイリルは返答した。
箱に駆け寄って、持ち上げようとする。が、
「――つっ! 重っ。何だこれ!」
その箱は、びくともしなかった。一センチも浮かず動かず、イリルは諦めて手を離す。
「それねえ。シェウリ様から特別に取り寄せるように申し付かった物で、何が入っているのか、あたし達も知らないのよ――。噂じゃ、別ルートから取り寄せたらしいわ。もう五箱は、あたし達で何とか運んだんだけれど……」
「……――あのぉ。そんなに重いものを、運ばなきゃいけないんですか? もっていけるって可能性も、ほぼゼロなんだけどぉ」
クリスナは首を傾げながら顔を歪め、その顔を見て、おばさん達は申し訳なさそうな顔をした。その表情を見て、イリルはクリスナの頭をぺちん、と叩く。叩かれたクリスナは、頭を押さえてしゃがみ込む。
「いたいよぉ。イリルぅ、酷いー!」
「分かりました。ですが持ち上げられそうに無いので、台車をお借りしても宜しいでしょうか?」
クリスナの批難を無視して、イリルはおばさん達に訊く。いいよ、とおばさんが返事をして、イリルはクリスナに向かって行くぞ、と言い放った。
「……うー。イリルのお人よしぃー」
「騎士の十戒が一つ、礼儀正しさや親切心、だろ」
「騎士の十戒って言っても、ぼくら、王国の騎士軍の軍人なんだから、騎士なんて称号の一つに過ぎないよぉ。それに騎士なら馬にのって戦わないと」
ほめ言葉を投げつけて、返されて、知らないふりされて、クリスナは渋々台車の取っ手に手をかけた。イリルは既に、掴んでいる。ためしに二人で押してみるが、あまり動かなかった。
「重いな……。これを五箱も持っていくなんて、意外と体力派……?」
「おもいー。うごかないー!」
痺れをきらしたクリスナが台車ごと箱を蹴りつけた。だが台車はびくともしない。諦めて台車の取っ手を再び掴もうとした。
刹那。
がたんっ、と箱がひとりでに動いた。
『……――』
二人は言葉を失う。顔を見合わせ、もう一度箱を見た。
「――何が入ってるんだ?」
「みないほうが、身の為じゃない……かな?」
息を呑んでから、もう一度台車の取っ手に手をかける。そして、力の限り押した。
それから約三時間後、彼らは無事に荷物を運ぶ事ができたそうな、できなかったそうな。
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騎士と王子、城に勤める者たちが織り成す、願いと思惑の物語。
第一章のⅡ-1です。