「春のいいところですか。そうですね。暖かくなるのも助かりますが、やはり景色が色づくことでしょうか」
隣を歩く不知火は、ぽつぽつと咲き始めた梅の花を愛おしそうに見上げながら、陽炎の言葉に答えた。
特に目的もなく散歩に出て、やはり何となくほっつき歩いていた不知火を捕まえたのがつい十分ほど前だろうか。外出するならついでに、と司令部を出掛けに陸奥から押し付けられた封筒の束を抱えている陽炎と同様に、不知火も綺麗に書類を挟み込んだバインダーを持っている。どちらとも悠長にしていられる時間はそれほどない。ではあるが、二人はどちらともなく並んで、しばし言葉を交わしつつ歩いた。鎮守府の中の植栽はいずれも穏やかな陽の光を浴びて、新たなステージに備えている。
一足先に花を咲かせたロウバイの甘い香りにうっとりとした陽炎は、不知火に問うたのである。あんたは春のいいところって何だと思う、と。
不知火の返事に、陽炎は大きく頷いた。
「景色が色づくかぁ。確かにね。この辺じゃ、冬の間も割と緑は多いけど、やっぱりちょっと寂しいもんね」
「そうですね」
不知火は幾分声をしぼって、続ける。
「不知火の柄ではありませんが……、花があると気分が上向きます。路傍の小さな、名前もわからない花でも」
「私も。ていうか、不知火の柄じゃないって、別に誰だってそう思うんじゃないの? やっぱり寒い冬はそろそろいいかなぁって時に、可憐な花を見れば、心躍るでしょう」
陽炎の言葉に、不知火はくすりと微笑んだ。
「理解いただけて光栄ですよ」
「大げさなんだから。ああ、そうだ。春と言えば、間宮さんでも春限定のお菓子が出てくるわね」
おさえとかないとね、と楽しげな陽炎の言葉に不知火は苦笑した。
「花の次は団子ですか」
「花は花でいいけれど、ずっと見てたら流石に飽きるし、お腹も空くわ。そうしたらお団子の出番でしょう? ああ、でも、お腹ふくれたらまたお花見でもいいわね」
「陽炎は欲張りですね」
「普通よ、普通。大体、花より団子って言うけど、花も団子も楽しんだ方が絶対いいじゃない? どっちかを選んでどっちかを諦める様な性格のものじゃないでしょう?」
「そうでしたね」
「そういうことで、今日は梅の花を見れたから、午後に間宮さん行くわよ」
「わかりました。調整します」
不知火はバインダーを開き、書類の隅に一五〇〇と書き込んだ。
「もちろん、陽炎のおごりですよね?」
「ええ!? 私そんなこと言ってないわよ?」
「言い出しっぺは陽炎です。そういうことで不知火は承諾しました。では、また後ほど」
陽炎の言葉を遮り、不知火は踵を返して、ゆっくりと歩いて行った。
「わかったわよ。今回は私のおごりにしてあげる。ただし、次はあんたがおごってよね!」
不知火の背に向かって声を張り上げると、彼女は振り返らず、歩みも緩めず、ただ右手を軽くあげて応えた。陽炎は苦笑してから、不知火とは真逆の方向に歩き始めた。
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第25回 #かげぬい版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題「春の訪れ」に基づいて作成。
特に変わらず平常運転のかげぬい。