No.832204

チョコレート

第24回 #かげぬい版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題:「チョコレート」
に則り作成。
チョコは決して甘いだけじゃないはず。

2016-02-20 23:34:46 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1314   閲覧ユーザー数:1311

「あのさ、不知火。ごめんね」

 司令官室での報告を終えた陽炎が、丁度本日秘書艦を務めていた不知火の手を引いて、司令官室の隣の秘書艦室へ移動したのはほんの一秒前のことだった。不知火が扉をくぐるかくぐらないかのところで、陽炎は彼女を振り向いて、口を開いたのだった。

「どうしました? 薮から棒に」

「あんたにもらったチョコレート、……私の口に入らなかった」

 陽炎の言葉に、不知火は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、その後はいつものように平静な表情で陽炎を見ていた。

「それは仕方ありません。聞けば、相当大変な状況だったようですし」

「ああ、そこは何とかなったんだけどさ……。その後に」

「その後に?」

「一息入れようと思ったんだけど、……なんか、どこかに落としちゃったみたいで……」

「そうですか」

 陽炎の言葉に、自分でも意外な程、不知火は冷静に言葉を返した。恐らく一片の不機嫌さも感じられないほど、淡々とした声だという自覚もあった。陽炎がやや面食らっているのは、予想したリアクションがなかったせいだということも、それを物語っている。

「あ、ごめんね。その……、せっかく作ってくれたのに」

「何がです?」

「……怒ってない?」

「どこに怒る要素がありますか?」

「え、そうなの?」

「どうも合点が行っていない様なので、手身近に説明します」

 不知火は、秘書艦不知火、という名札の置かれた机につくと、陽炎はわざわざ机の前方に回り込んで正対する。その態度にも表情にも、不知火に何か含むところがある——つまり、嘘をついているか、隠し事をしているか——のが不知火には明確に感じ取れた。だが、不知火に対する申し訳なさからのことかもしれないので、ここでは指摘しないことにした。不知火は立ち尽くしている陽炎を見上げた。

「まず不知火が嘆息したのは、陽炎が困難な状況を切り抜けた先で、わずかばかりの甘いもので気分を和らげることもできなかった、その苦境を慮ってのことです。完全に気を抜ける状況でないならば、脳の働きを多少なりとも助けてくれる糖分を摂取できなかったことで、陽炎の判断がコンマ一秒遅れる可能性もあったことは憂慮する事態と言えなくもないですね。ですが、結果的に、その後の戦闘もなく、多少の混乱はあったにせよ、遭難船の保護にも成功し、無事に帰投できたことで、不知火としてはそれ以上望むことはありません。

 また、チョコレートというものは消耗品ですので、食したかどうかに関わらず、今作戦の終了時点ではなくなっているはずですし、不知火としてもそう考えていました。今回食べられなかったということであれば、不知火がまた陽炎に差し上げればいいだけの話ですので、特に問題があるとも思えません。加えて、材料や作成時間を捻出できないという可能性は極めて低いため、これも問題にはなり得ません」

「いや、あんたの気持ちはどうなのよ? せっかく作ったチョコがお魚さんの餌になって……」

「ですから、別にどうということもありません。陽炎の口に入らないのであれば、誰が食べようと特に考慮に値しないと思いますが、不知火の考え方がおかしいですか?」

「いや、まぁ、私が言うのも烏滸がましいけど、おかしいっちゃおかしいかもしれない……」

「とりあえず陽炎が不知火に気を遣ってくれていることはわかりましたので、そこはありがたく頂戴しておきます。それより帰投報告が終わりましたので、まずは休息をとってください。またいつ駆り出されるかわかりませんよ?」

「ああ、そうねぇ。じゃあ、先に戻ってるわ。あんたが戻る頃には、多分寝てると思うけど」

「はい。ゆっくりお休みください」

 不知火は陽炎の退室を見送って、自席に戻った。やはり、何かしら不知火に隠していることがあるようだ。不知火が寛容さを示したため、陽炎は恐らくそれを、寛恕、と捉えたのだろう。去り際にはどこか安心した様な表情をしていた。であれば、不知火としても、これ以上詮索することは憚られるし、それに無用な詮索はきっと悪手になるだろう。本当のところを言えば、口惜しいところがないとは言いきれないが、ともかく、不知火としてはこの件については不問とする以外に道はない。

 変に考えるのはやめよう。ドロ沼にハマる。

 というのが、不知火の嘘偽らざるところであった。

 数瞬の沈黙の後、瞑目していた不知火が、再び目を開いて、立ち上がった。

 傾いていた陽は、もうとっぷりと暮れている。薄暗くなっているはずの室内は、煌々と蛍光灯の光が降り注いでいた。不知火以外の室内にいる誰もが、忙しなく文書を作成し、通信に耳を傾け、或いは判子の押された書類の束を抱えて小走りに部屋を出て行く。戦線というものが維持される以上、ここは最後尾であるが、最前線でもある。その様をしっかりと見据えて、不知火は机の上に綺麗にファイルされていた書類の一塊を持つと、隣室に移動して行った。

「失礼します。司令」

 


 
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