北方の海はどんよりと曇り、空も海も灰色がかって見える。
身も心もちぢこまりそうなのは寒さのせいばかりではないだろう、このモノトーンの味気ない景色もその原因ではないか――海を眺めながら、彼女はそう思った。
長い黒髪、緑の上着にスリットの深い黒いスカート、穏やかで物静かな面立ち。だがなにより彼女の姿で目を引くのは体の各所についた鋼鉄の艤装だった。その造形の異様さが彼女が見た目どおりの女の子ではないことを如実に示している。
艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。
いまなら、と彼女は思う。北方戦隊に加わっていた艦娘や、先の限定作戦でAL海域に出撃した艦娘が、その戦いについて語るときにどこか影を帯びていたのがわかるような気がする。時に雪の舞う北方の海は、その寒さとは裏腹に熾烈な戦いが繰り広げられる灼熱の戦場だった。
その戦場でも、しかし、彼女の意思は変わらなかった。姉にあたる艦娘を支え、守る――自分になにか誇れる強さがあるとしたら、それは敵を倒そうという意思ではなく、守りたい人がいる、ただその一点だと思うのだ。
「おーい、そろそろ行くのじゃ!」
言葉遣いは年寄りくさいものの、元気にあふれたどこか幼い声が自分を呼ぶ。
その声に、笑顔を向けながら、彼女は海面を駆け、声の主――姉の元へ急いだ。
航空巡洋艦、「筑摩(ちくま)」。
それが彼女の艦娘としての名前である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
先の限定作戦で熾烈な戦いの舞台となったAL海域。参加した艦娘の誰もが二度と行きたくないと漏らしたその戦場に、しかし彼女たちは赴いていた。ひとたび深海棲艦の中枢戦力をたたき、勢力下に置いたとしても、それを維持し続けるには戦い続けねばならず、敵に反攻の動きがあればそれに対処せざるをえなかった。
「撤退! 撤退なのデース!」
栗色の長い髪に、巫女に似た衣装、大きな砲が目立つ艤装を身にまとった艦娘が、そう号令をかける。北方第一部隊を率いる金剛(こんごう)である。
「了解! お先に失礼します!」
「しんがりの方、お気をつけて!」
軽く敬礼しながら煤まみれの衣装を身にまとった艦娘二人が海面を駆ける。いずれも飛行甲板の艤装を身につけ、長弓をたずさえていた。二人とも弓道着に似た衣装を身に着けているが、黄色い着物に少し癖っ気のある茶色い髪の方が飛龍(ひりゅう)、緑の着物に黒髪を短く二つに束ねた小柄な方が蒼龍(そうりゅう)である。鎮守府でも数少ない航空母艦である彼女たちは、なにより最優先で逃がすべき貴重な戦力だった。
「撤退先行警戒に就きます! お気をつけて!」
そう声をあげながら、戦場を離脱していく空母の艦娘の二人を追って、青紫の衣装に波打つ黒髪の艦娘――足柄(あしがら)が後を追う。身をよじって腕の砲を背後に向けながら牽制の砲撃を行う。当たることを期待はできないが、それでもしんがりになる艦娘が少しは楽になれればと思っての攻撃だ。
金剛はというと、なおも食い下がって砲撃を続けていたが、
「ここは任せるのじゃ! 金剛も退くとよいのじゃぞ!」
「姉さんの言うとおりです。しんがりはおまかせください!」
部隊の最後尾でしんがりをつとめる二人の言葉に、金剛はふっと笑みを浮かべて、
「ソーリー。利根(とね)、筑摩、あとは頼んだデス」
そう言うや、身をひるがえして海面を駆けていく。高速戦艦に分類されるだけあって、その速度は目を見張るものがあった。
残った艦娘は二人。どちらもそろいの衣装を着ている。
筑摩に向かって笑いかけた、ツインテールの髪の艦娘が利根である。
「ではまいろうか。よいか、追ってくる敵の鼻面に一撃当てたら即逃げるのじゃぞ」
難しい撤退戦のしんがりでも、この姉が言うと不思議とそれがたやすいことのように思える。それは自分にはない、この姉ならではの魅力だと筑摩はいつも思うのだ。
「はい、利根姉さん。いきましょう」
姉妹はそろって砲を構えると、海原の彼方にうごめく影に向かって砲撃を始めた。
同じ北方でも、別の場所、別の海。
荒れる波をかきわけて、小柄な艦娘たちが懸命に舵を取っている。
前方には深海棲艦の影がいくつもうごめく。
「雷撃戦、用意!」
単縦陣の先頭を行く、鉢金を模したリボンを頭に巻いた艦娘が凛とした声をあげる。
軽巡洋艦の神通(じんつう)である。彼女が引きいる艦娘は快速ながら砲撃は非力な駆逐艦ばかり。敵に大打撃を与えられるとしたら、接近しての魚雷攻撃しかない。
「撃てっ!」
神通の号令と共に、艦娘たちから魚雷が一斉に放たれる。幾重もの扇状の航跡を描いて魚雷が深海棲艦の影へと吸い込まれ、次いで爆炎があがる。
しかし、同時に深海棲艦からも航跡が伸びていた。艦娘たちは懸命に避けようとして舵を切るが、ほどなく、
「きゃん!」
「ひゃあ!」
「やられちゃったぽい!」
次々と悲鳴があがる。その数に神通はぎりと歯噛みした。北方第二部隊のうち、半数の三人が損害――とてもこのまま進撃できる状態ではない。
(まだ緒戦なのに――!)
神通は無念の思いをぐっとこらえて、叫んだ。
「一時、退きます! 全員撤退!」
その言葉に、ある艦娘は安堵の表情で、またある艦娘は悔しそうな顔で、戦場を後にしていく。しんがりをつとめるのは、無傷だった駆逐艦二人だ。
「なかなかうまくいかないね」
柔らかな亜麻色の髪の艦娘――島風(しまかぜ)が、隣の艦娘にそう言葉をかける。その声にはいつもの闊達さがなく、どこか疲れがにじんでいる。
声をかけられた方、短い茶色い髪にどこかリスに似た愛嬌のある艦娘――雪風(ゆきかぜ)が、しかし、普段の明るい様子とは異なる真剣な面持ちで答える。
「仕方がないです。ここはあのAL海域なんですから」
島風も雪風も限定作戦のAL海域に出撃している。それだけにここの厳しさはよく知っており、ある程度は覚悟していたが、限定作戦でもMI作戦に出ていた神通たちにとっては熾烈にすぎる戦場であるようだった。
(もう一度来るつもりはなかったんだけどな)
島風と雪風はそろって砲撃を続けつつも、期せずして同じ感想を心に抱いていた。
「あいたたた……」
「蒼龍、だいじょうぶ?」
「平気平気。でもいったん鎮守府に戻らないとね」
北方海域外縁まで退いて、飛龍と蒼龍はお互いに損傷の確認をしていた。
判定でいえば中破であるが、危険域に区分されるダメージだった。
「もう、なんなのデース! あの海域は!」
金剛がたまらずに声をあげると、足柄は苦笑しながらかぶりを振った。
「仕方がないわよ。あのAL海域なんですもの」
その言葉に金剛が思わずじとりとした目でにらみつける。
「経験者の余裕デスカ? まるでAL以外の海域が楽だったみたいですネ」
「そんなことは言ってないわよ。ただ、“あのAL海域”だから、このくらいで音をあげていちゃダメだってことよ。もっとゆったり構えないと」
「それが余裕しゃくしゃくに見えるのデース!」
金剛が噛み付く勢いで声をあげると、飛龍がたまらず二人の間に入った。
「まあまあまあ、そのへんで。利根と筑摩が戻ってきたときに喧嘩してたら、あの二人にわるいでしょ」
そう言われて、金剛はしゅんとしおれて、つぶやくように言った。
「ソーリー。ちょっとイライラしてしまったデース……」
その様子に、足柄がややばつの悪そうな声で応える。
「わたしも……ちょっと言い方わるかったかも。ごめんなさい」
二人の様子に飛龍は、思わずため息をついた。
飛龍自身もまた疲れを感じている。いったんは制圧したAL海域に再集結しつつある深海棲艦を再度たたき、反攻の芽を摘む――ただそれだけの作戦であり、そして、通常海域には異例なことに二方向からの攻略にも関わらず、敵の中枢戦力になかなかたどりつけないでいる。
中枢戦力の手前に置かれた敵の防衛陣が厚すぎるのだ。緒戦か、さもなくばその次の戦いで、必ず艦娘の誰かが無視できない損害を受け、撤退する羽目になっている。
そのたび重なる出撃が、やはり疲労と焦りになって積み重なっているのだ。
「――ところで、利根と筑摩はだいじょうぶなのかしら」
足柄がそう言うと、金剛が微笑んで答えてみせる。
「あの二人なら心配ないデース。索敵でもしんがりでも安心――ほら!」
金剛が手を挙げてぶんぶんと大きく振る。海原の彼方から、二つの影が海面を駆けながら近づいて来る。全身煤だらけで艤装のいくつかも凹んでいたが、それはまごうことなき利根と筑摩だった。
「いやー、なんとか帰ってこれたの!」
「ええ、姉さんが無事でよかったです」
金剛たちに寄せて利根が明るい声で言うと、筑摩がそれに合わせる。
「二人とも、しんがりおつかれさま。いったん鎮守府に戻りましょう」
飛龍がそう言うと、利根が頬をふくらませてみせる。
「戻るのはいいのじゃが、どうせ“バケツ”をひっかけられて、ちょっと休憩したら出撃なのじゃろう? まったく、限定作戦なみのハードさじゃ」
「まあ、姉さん。仕方がないですよ。提督もそれだけ意気込まれているんでしょう」
筑摩がそう言ってなだめると、利根はぷうとふくらませた頬をひっこめ、
「まあ、よいのじゃがな……こうもうまくいかんと何か考え直した方がいいのではないかと思うのじゃがのう」
「それは提督や長門(ながと)さんが考えることですよ。わたしたちは命令に従って、ひたすら最善を尽くすだけです。そうでしょう?」
「むむむ、たしかにそのとおりじゃのう」
考え込んでしまう利根に、それを優しい眼差しで見守る筑摩。
そんな二人を見て、金剛がこそっと足柄に耳打ちする。
「ホントにあべこべ姉妹デース。これでは筑摩がお姉さんデスネ」
「まあ、筑摩って、うちの妙高(みょうこう)姉さんにちょっと似てるわね」
足柄がそう答え、くすりと微笑んでみせる。とにもかくにも、北方第一部隊がどうにか士気を保っているのは、ひとえにこの姉妹あってこそと言えた。
「北方第一部隊、第二部隊、ともに帰還。損傷は中破以上が五人、小破以下も含めると十人――どうするんだ、提督?」
鎮守府、提督執務室。
凛とした声が読み上げる報告を聞いて、部屋の主は疲労を隠せない声で答えた。
「高速修復剤の使用を許可する」
着こんだ白い海軍制服もどこかくたびれて見えるのは気のせいか。
「損傷を受けた全艦娘に使い、各自小休止の後、再度出撃――なんとしても、こじあけてもらわないといけない」
最後に付け加えた言葉に、彼――艦娘の司令官である提督の思いがこもっていた。
そんな提督を秘書艦をつとめる艦娘はじっと見つめた。流した長い黒髪、端整な顔立ちに武人風の雰囲気――艦隊総旗艦と呼ばれる長門である。
ややしばらく間を置いてから、ようやく視線に気づいたのか、提督は、
「どうした? 俺の顔になにかついているか」
その問いに長門はふうと息をつくと、
「不運と疲れと無精ひげがついているぞ――後で顔を洗ってくるといい」
「そんなにひどいか、いまの俺は」
「ああ、鏡を見てみるといい」
言われて提督はのろのろと立ち上がり、しかし、洗面所の方には行こうとせず、執務机の背後に掲げられた地図に歩みよった。橙色の大きなピンが立てられたポイントを目指して、北と南から回り込むようにふたつの航路が描かれている。北ルートの終点近くには赤いピンが立っているほか、各ルートには丸とバツが添えて書かれていた。
正確には、それぞれに一個ずつの丸と、多数のバツである。提督はペンを取り出すと、北と南にバツを一つずつ書き足し、ため息をついた。
「北ルートの第一部隊、第八次攻撃失敗。南ルートの第二部隊、第七次攻撃失敗……」
提督はゴール地点の橙のピンのそばをこつこつと指でたたきながら言った。
「偵察による敵中枢の損耗率はどうだった、長門?」
「――およそ五割だな。自己再生能力はないようだ」
「あと二撃、か――」
その二撃が果てしなく遠いな、と提督はひとりごちた。
地図をじっとにらんだままの彼の背中を見つめながら、長門は言った。
「作戦方針を変えたほうがいいんじゃないか?」
その言葉に提督は首を横に振りながら、
「北ルートと南ルート、どちらが有効かまだ見極められていない。どちらかに絞るのも、編成を変えるのも時期尚早だ」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「どういう意味だ?」
「もっと長いスパンで作戦を考えてもいいんじゃないかということだ。限定作戦と違って短期間に集中して戦力投下すべきでもないのだから、ゆったり構えて試行回数を増やしてもいいんじゃないかということだ」
「それはわかっているんだがな……」
提督は背中を向けたまま、そう答えた。そして、そのまま地図をにらみ続ける。
長門はため息をついた。提督自身も迷っているし、焦ってもいる。だがなによりもこの海域を攻略しなければという思いが強いのだ。それは鎮守府の司令官としての義務感だろうし、人類の反撃を託されている責任感だろうし、そして、なによりも意地というやつなのだろう。
ただ、長門の目には、いまの提督が普段の視野の広さを失っているように見えた。
かすかな危惧を感じて、長門はなだめるような声で言った。
「なあ提督――無理はするなよ」
「……食事と睡眠は最低限摂っているぞ」
「そういう無理じゃない」
あきれ声で言う長門に、提督からは、ただ無言の返事がかえってくるだけだった。
「敵警戒網、突破!」
足柄の言葉に、一同の顔にひさしぶりの晴れやかな笑みが浮かんだ。
北方第一部隊、第九次攻撃、緒戦突破。
戦艦タ級を含む深海棲艦の防衛陣をまずはほぼ無傷で突破できたのだ。
これなら行けるかも、という期待に、お互いにうなずきあう中、旗艦をつとめる金剛は咳払いをして、言った。
「油断は禁物デース! 中枢戦力まではあと二つの防衛陣を突破しなくてはいけマセン。しかも二つ目はあの北方棲姫の制空権下を通過デース。これらをどうにかくぐりぬけないと中枢戦力とは戦えないネ!」
「しかしたどりつけさえすればこちらのものじゃ!」
利根が自信満々の声でそう言う。
「敵中枢戦力は新しく確認された深海棲艦じゃが、軽巡クラス! 我輩の弾着観測射撃が当たればひとたまりもないわ!」
やや鼻息も荒く、利根が隊伍の先頭に出る。
「では索敵はまかせてもらおうか! 次の敵もいち早く見つけてみせるぞ!」
意気揚々という感じの利根を見つめながら、筑摩は穏やかな笑みを浮かべている。
「姉さん、やる気じゅうぶんですね」
そう言う筑摩に、金剛がそっと寄せてくる。
利根に聞こえないようにやや声をひそめて、
「ヘイ、筑摩。利根ったらちょっとやる気ですぎじゃないカシラ」
「いえ。姉さんはあれぐらい伸び伸びしている方が戦果があがります。きっと自分の攻撃で戦艦タ級を沈めたのがうれしいんでしょう」
あくまでもにこにこと答える筑摩に、金剛は眉をひそめた。
「――それは利根の手柄だけじゃないでショウ?」
金剛の言葉に筑摩はわずかに目を見開いた。
「さすが、金剛さん、お気づきでしたか」
「筑摩たちからはちょっと距離を置いて砲撃してましたカラ。二人の動きがよく見えたデース。タ級が利根の射程に入るように、筑摩がうまく追い込んでましたネ?」
そう言って、金剛はウィンクしてみせた。
「利根の戦果は筑摩のおかげデス。ナイスアシスト! もっと筑摩も自分のことを誇っていいのではないカシラ?」
それを聞いて、筑摩はそっと目を閉じて、答えた。
「利根姉さんが攻撃に集中できるように気を配るのがわたしの役目です。姉さんがあんなふうにやる気満々なのは、わたしのサポートがうまくいってる証拠。姉さんが戦果をあげて喜ぶ顔を見るのが、わたしにとっての一番のご褒美ですよ」
筑摩がそう言うのを聞いて、金剛はふうっと息をついた。
「本当に筑摩はよくできた妹デース……頑張ってクダサイネ」
そう言い残して金剛は筑摩から離れていった。
筑摩は、ふっと微笑むと、主機の速度をあげて先頭の利根に並んだ。
「索敵機発進じゃ! 準備はよいか、筑摩?」
利根が戦意充分な顔で振り向き、声をあげる。そんな姉に筑摩はうなずいた。
「はい、姉さん。いつでもだいじょうぶです」
「……はい、わかりました。神通さん、お気をつけて」
通信機を耳元に当てていた足柄が険しい顔のまま、そう言葉を発する。
その様子を固唾を飲んでみていた金剛たちは、通信機から顔を上げた足柄の表情を見て第二部隊の状況を悟った。
「――先行して南ルートの攻略にあたっていた第二部隊が、第二戦で被害を出して撤退したそうよ。まあ、損傷は少ないみたいだし、北方海域外縁まで明石が出てきてるようだから、鎮守府に帰るまでもなく再出撃可能みたいだけど」
足柄の説明に、やはり、と落胆の表情を浮かべた金剛であったが、次の瞬間にはきりと表情を締め、
「ワタシたちも油断できないネ! なんとか中枢戦力までたどりつきまショウ!」
「でも打開策の見えない状況ですね」
飛龍のその言葉に、利根の勇ましい声が応えた。
「かくなるうえは多少の損害は覚悟の上で突き進むしかないのじゃ! 中破程度ならだいじょうぶだとわかっておるしの!」
利根の意見にうなずいてみせたが金剛だったが、ちらと筑摩の方を見やった。
筑摩は、利根のほうを少し見ると、金剛に向き直り、
「たしかにわたしたちの北ルートは敵の布陣も重厚で、なにより中枢戦力手前では北方棲姫の空襲をくぐりぬけなくてはなりません。ある程度は覚悟すべきかもしれません――ただ、やはり無理は禁物だと思います。無理だと思ったら改めて引くべきでは」
「筑摩は甘いのじゃ! そんな勢いで突破できると思っておるのか!」
「でも姉さん、もし姉さんが大破なんかしたら、無理やり曳航しても帰りますからね」
「ぐぬぬぬ、筑摩はこういうときは厳しいのじゃ……」
やりとりを聞いていた金剛は、ふうと息をつき、言った。
「ある程度は覚悟して……最終的な判断は提督の指示を仰ぎまショウ。利根も、それでいいですネ?」
「うむ、提督の判断であれば、どんなものであれ仕方がないな!」
うなずいてみせる利根を見ながら、しかし金剛は思っていた。
(普段の提督なら艦娘に無理はさせないはずデース……利根をなだめるためにもここは提督のお力を借りまショウ)
艦載機が雲霞の群れとなって迫ってくる。
飛龍と蒼龍の艦載機が巴戦を演じて防ごうとするが、さすがに新型の艦載機を擁した空母ヲ級二隻相手ではかろうじて互角に戦うのが精一杯で、撃ち漏らした敵の艦攻や艦爆が筑摩たちに襲い掛かってくる。さらにダメ押しのように、敵の戦艦タ級や重巡リ級が間断ない砲撃を浴びせて、筑摩たちの周囲にいくつもの水柱を立てた。
北方ルートを進んでいた第一部隊は、第二陣の敵防衛ラインの突破に挑んでいた。
必ずしも敵を撃滅する必要はない。防衛ラインを突破できればいいのだ。だが、それだけのことがこれほどまでに困難だとは。
利根のすぐそばに水柱があがるのを筑摩は見た。
戦艦タ級が利根を狙っているのだ。
考えるよりも早く、筑摩の体は動いていた。
利根をかばうかのように戦艦タ級の視界に躍り出て、砲撃を加える。
(こっちよ――こっちを向いて!)
利根は空母ヲ級を狙っている。タ級に狙われていることは気づいていない。
そんな利根を守れるとしたら自分しかいない。それが筑摩の覚悟だった。
筑摩の砲撃を浴び、戦艦タ級の砲がぎょろりと自分を向く。相手を倒す必要はない――敵の注意をひきつけられれば充分。筑摩がそう思い、回避運動をとろうとした矢先。
突如、側面から衝撃と痛みを感じ、筑摩はよろめいた。
苦痛に顔をゆがめながら見ると、重巡リ級がこちらを狙っている。
「筑摩!」
至近の爆音で気づいた利根が引き返してくる。
重巡リ級に砲撃を加えながら、利根は筑摩のそばに寄せて、声をかけた。
「だいじょうぶか!?」
利根の声に、不安と心配がいりまじっている。
姉を安心させようと、筑摩は微笑んでみせた。
「平気です……艤装で防げましたから。でも、左の方はもうだめですね」
筑摩の艤装は半分ほど鉄くずになっていた。
その様子を見て、利根がわなわなと身を震わせ、深海棲艦に向き直る。
「よくもやってくれたな!」
そのまま筑摩をかばいながら、利根が果敢に砲撃する。
「熱くなってはダメデース! 進路啓開につとめて!」
金剛が支援につき、その巨砲で連続して砲撃を加える。
深海棲艦の陣形が徐々に崩れていくのを、金剛は見逃さなかった。
「全艦隊、主機全開! 敵陣を突破するネ!」
金剛の号令に、筑摩も痛みにうずく左半身をかばいながら前へと進んだ。
「第一陣突破!」
島風の声に、第二部隊の一同が歓声をあげる。
北方攻略第二部隊。神通たちは急ぎ修復を終えて再び戦場へ戻ってきた。
これほど早く戻ってくるとは思っていなかったのか、深海棲艦の守りは薄く、これまで何度も断念していた第一陣をさしたる損害もなしに突破することもできた。
「気を抜かないで! 全艦隊、単横陣に編成! 第二陣突破に備えて!」
内心、はやる心をおさえつつ、神通はそう号令した。
第二部隊が手間取っているぶん、北ルートの第一部隊――金剛たちに負担がかかっているだろう。なんとしても南ルートも突破し、敵中枢にたどりつかなくては。
ふと、神通は第一部隊に加わっている利根と筑摩を思い出した。
先の限定作戦では、ともに空母護衛戦隊を編成して戦った仲だ。あの索敵力、目を見張るような機動、的確な射撃。そしてなにより勇猛果敢に戦う利根と、利根のサポートに徹する筑摩の働きは、艦娘二人で倍の四人分の働きといえた。
あの二人がいれば、第一部隊はきっとだいじょうぶ。神通はそう信じた。
「各自、損害報告ネ!」
煤だらけになりながらも、疲れきっていても、なお声は大きく出すのが旗艦のつとめ。北方棲姫の空襲を受けてぼろぼろになりながらも、金剛はなお指揮官としての義務を忘れてはいなかった。
「飛龍、まだいけます!」
「蒼龍、こっちもだいじょうぶ!」
「足柄、小破はしてるけど、まだやれる!」
「我輩はだいじょうぶなのじゃが……」
普段は闊達な利根の声が珍しく元気がない。
「……筑摩はひどそうですネ」
金剛は彼女の様子を見て、そう言った。
北方棲姫の空襲は第一部隊に万遍なく損害を与えた。敵の新型艦載機は性能も数もこちらを上回り、飛龍と蒼龍の航空部隊では防ぎきれなかったのだ。
幸いだったのは、敵の攻撃が薄く広がったために、無傷の艦娘はいなかったものの、それぞれは戦闘継続に差し支えないダメージを受けた程度で切り抜けられたことだったろうか――ただ一人、第二戦で損傷を受けていた筑摩を除いては。
筑摩の艤装は右半身も半ばぼろぼろになり、かろうじていくつかの砲が動かせる状態だった。耐久力にはまだ若干の余裕があるとはいえ、判定するなら大破相当だろう。
「ごめんなさい……わたしが足を引っ張ってしまって」
うなだれてそう言う筑摩に、利根が気遣わしげな声で応える。
「気にするな。筑摩を我輩がかばってやればよかったのじゃ。そうすれば――」
そういう利根に、筑摩は微笑んでかぶりを振った。およそ“守る”とか“かばう”とかは利根の性格に合わないのだ。無理をして筑摩をかばえば、せっかくの機動にキレがなくなり、結果として利根が大破していたとしてもおかしくない。
(よかった……姉さんは無事で)
筑摩としては、そうほっと安堵のため息をつくほかない。
利根はというと、敵中枢戦力の方を見ながら、いささか悔しそうに、
「しかし目前にして撤退かの……残念じゃ」
「姉さん、行きたいですか?」
筑摩の問いに、利根が目を丸くして、首をぶんぶんと振った。
「いや、いや、筑摩の身の安全が第一じゃ。ここは退くべきじゃろう!」
利根の言葉に、足柄がうなずく。
「そうね。運がよければなんとかなるかもしれないけど――」
運が悪ければ。その先はさすがに言葉に出せない。
腕組みしていた金剛は、通信機を耳に当てながら、言った。
「事前のうちあわせでは、こういう場合、テイトクの判断を仰ぐことになっていたネ。中枢戦力目前なるも、筑摩損傷につき、撤退を意見具申する――これでいいデスネ?」
金剛の言葉に、利根もうなずく。
それを見て金剛はふっと目を細めてみせたが、程なく、その表情が一変した。
「――ホワット!? それは本当デスカ!?」
金剛の顔はこわばり、声は硬くなっていた。
「了解――ただし、筑摩の意思を確認したいネ。オーバー」
通信機を切った後の金剛は、難しい表情で黙りこくった後、ぼそりと、
「筑摩の耐久に余力ある場合は進撃せよ、とのことデース……」
その言葉に、足柄が血相を変える。
「そんな……無茶だわ、退くべきよ!」
「ワタシもそう考えマース。でも提督のお考えも理解できマース」
一同を見渡しながら、金剛は言った。
「中枢戦力で怖いのは戦艦タ級だけネ。あとは軽巡に駆逐艦、それに補給艦。戦艦にさえ狙われなければ筑摩が切り抜けられる確率は高いデース。テイトクはたぶん勝負に出たのですネ。第二部隊も突破に成功してイマス。わたしたちの攻撃が成功すれば、それが膠着状態を打開できるきっかけになるかもしれマセン」
金剛は、筑摩をじっと見つめながら、言った。
「テイトクは、『筑摩に余力ある場合は』とおっしゃいマシタ。テイトクは進撃を決められましたが、筑摩に余力がない場合は、あえてそれに逆らうことも覚悟していマス」
そこから先は金剛は続けない。筑摩はしばし空を仰ぎ、言った。
「……提督も迷われた上での決断だと思います。提督が進めとおっしゃるなら、それに従うのが艦娘。わたしはだいじょうぶです」
「じゃが、筑摩!」
眉をつりあげて声をあげる利根に、筑摩はいつもどおりやんわりと笑んでみせた。
「怖いのは戦艦タ級だけ。一隻だけならなんとかなります。行きましょう、姉さん」
筑摩のその笑みを見て、利根は口をぱくぱくさせたが、結局何も言えなかった。
幾つもの砲を連ねた巨大な両手。拘束具にも似た外装。
深海棲艦の中枢を束ねる軽巡ツ級は、人型の深海棲艦であったが、しかしなお異様な外見をしており、その威圧感は戦艦並みといってよい。
第一部隊が会敵するのはこれが二度目である。付き従うのは不気味にふくらんだ腹部を持つ輸送ワ級、俊敏な猟犬と鮫をかけあわせたような駆逐二級。そしてその生気のない瞳を除けば不気味なほど艦娘に似た戦艦タ級。
金剛たちは単縦陣で突入した。相手と進路が並行する同航戦。
万全の状態であれば、まず敵の撃滅間違いない体勢だった。
飛龍と蒼龍が艦載機を繰り出し、金剛と足柄が砲撃体勢をとる。
利根はというと、なかなか筑摩のそばを離れようとしなかった。
筑摩はふるふるとかぶりを振ると、微笑んで言った。
「行って、姉さん。戦艦タ級なら金剛さんがひきつけてくれます。姉さんは軽巡ツ級を。攻めに転じてこそ、利根姉さん本来の戦いです」
「じゃが……」
「わたしは、だいじょうぶ。行って、姉さん」
再度促されて、利根はしぶしぶうなずくと、きりと表情を引き締めて、離れていく。
筑摩はよろける足を奮い立たせながら、回避運動を取り始めた。
(攻撃はしなくていい、避けるだけ、避けるだけなら……)
そう自分に言い聞かせ、筑摩は後方から皆の戦いを見つめていた。
制空権はこちらが取っている。足柄が牽制の砲撃をいくつも浴びせ、金剛の砲が間断なく火を噴き、敵の隊伍に砲弾の雨を降らせる。
利根はまっすぐに軽巡ツ級に向かっていった。
制空権をとれているいまなら、弾着観測射撃ができる。何事もなければ、利根の砲撃が敵をしとめるだろう。
しかし、ツ級に向かっていた利根の至近に、いくつもの水柱があがった。
はっとして筑摩が目を向けると、戦艦タ級が利根を狙っているのが見えた。
あくまでも旗艦を守るつもりで、利根をしとめようとしているのだ。
それは、いつものように、いつもどおりの行動だった。
考えるより前に、筑摩の身体は動いていた。利根を狙う敵は自分にひきつける――それは何十回と繰り返してきた行動であり、自分の状態を考慮する余地はなかった。
筑摩の残った砲がか細い火を噴き、戦艦タ級に命中する。
戦艦タ級がこちらを向くのがはっきり見えた。
筑摩を見て、タ級がにんまりと、笑みを浮かべるのさえ、はっきり見えた。
タ級の砲がうごめき、筑摩を指向する。
筑摩は回避運動を取ろうとして――そこでようやく自分が万全の状態でないのに気づいた。いつもなら避けられる砲撃、いつもなら至近弾で済む攻撃。
だが、いまの筑摩にはままならないことだった。
戦艦タ級の砲が一斉に火を噴き、それはあやまたず筑摩に直撃した。
利根は、軽巡ツ級に砲撃を加えていた。
弾着観測ならではの連撃に、ツ級の体躯がおおきくかしぐ。
轟音と爆音と――そしてかすかな悲鳴を聞いたのはそのときだった。
利根が振り向くと、筑摩がいたはずの場所に爆炎が見えた。
それを見て、利根は顔から血の気が引く思いがした。
敵に構わず、急回頭して筑摩のもとへ向かう。
背中を見せた利根を、軽巡ツ級の砲が狙う。
衝撃と痛みが艤装越しに伝わるのを感じながらも、利根は駆けるのをやめなかった。
「利根!」
金剛がせっぱつまった声をあげる。
利根の耳には届かない。利根は、ただ筑摩のもとへ急ぐので必死だった。
金剛と足柄が利根をかばうように割ってはいる。軽巡ツ級と戦艦タ級相手に、熾烈な砲撃戦が繰り広げられるのを背後に聞きながら、利根はようやくたどりついた。
利根は、もはや艤装が形をなしていなかった。
左腕が大きくねじれ、幾筋も血が流れ、その肌は紙のように白かった。
震える手で、利根は筑摩を抱き起こした。
その体がみるみる間に冷たくなっていくのに、利根は全身を恐怖が巡るのを感じた。
「ちくま……おい、ちくま、しっかりするのじゃ」
かろうじて声を絞り出す。ぐったりしていた筑摩が、その声を聞いて、うっすらと目を開けた。利根の顔が見えているのか、いないのか、か細い声でささやく。
「利根……姉さん……」
「そうじゃ! 我輩じゃ! 我輩のことがわかるか!」
利根の呼びかけに、筑摩はほうっと息をついた。
魂が抜けていくかのようなその息と共に、筑摩は途切れ途切れの声で言った。
「そう……姉さんは無事だったのね……なら……よかった……」
筑摩のこうべから、がくりと力が抜ける。
その様子に、利根は目を見開き、その目に涙をあふれさせながら、叫んだ。
「筑摩! しっかりせい! 筑摩! 目を開けんか! こら!」
何度も、何度も、利根は呼びかけた。
だが、筑摩が再び目を開けることはなかった。
「このままじゃ押し切られる!」
足柄が悲鳴混じりに声をあげると、金剛が叫び返す。
「ノー! 退いてはダメ! 利根たちを守らないと!」
筑摩にただならぬことが起きたのは分かるが、確認できない。
分かっているのは、利根も筑摩も動ける状態ではなく、自分たちが身を張って彼女たちを守るしかないということだ。
金剛の艤装に、敵の砲撃が当たる。爆炎に巻かれて、金剛は歯噛みした。
(このままじゃ、押し切られる――!)
覚悟を決めて敵へ突撃するかと思ったそのとき。
いくつもの航跡が海面下を疾駆し、深海棲艦へと吸い込まれていった。
直後に、壮烈な爆炎があがり、深海棲艦がうめき声をあげる。
「第二部隊、遅くなりました! ただいま推参!」
鉢金に模したリボンをひるがえしながら、神通が高らかに声をあげる。
それに続くは駆逐艦娘たち。いずれも煤だらけだが、第二部隊は全艦健在だった。
「ここはまかせてください!」
神通の声に、金剛たちはうなずき、回頭して利根たちの元へと向かった。
利根は筑摩の名を呼び続けた。
両の目から涙をいくつもこぼしながら、あきらめきれずに、認められず、納得できず、筑摩の名を呼び続けた。
筑摩の返事はない。抱きかかえた筑摩の身体はすっかり白くなり、その体温も失われ、北方の海のごとく氷のような冷たさに変わっていた。
金剛が、そっと手を伸ばし、利根の肩にふれた。
利根は振り返ろうとしない。ただ、力なく、もう何十度目かになる呼びかけをした。
「筑摩、おい、起きるのじゃ……」
金剛は息をつき、利根をゆさぶった。
そこでようやく利根は振りかえった。涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。
金剛はふるふるとかぶりを振ってみせた。
それを見て、利根が目を見開き、ゆっくりと頭を左右に振った。
「何を言いたいのじゃ……? のう、金剛、おぬしは何を……」
「……もう筑摩はじゅうぶんに戦ったのデス。ゆっくり休ませてあげナサイ」
「そんなことはないのじゃ! まだまだこれからなのじゃ! そうじゃ、鎮守府に戻って入渠すればすぐに元気になるのじゃ! 我輩がおぶっていく! 我輩が筑摩を届ける! いつも守られてばかりの我輩が、ここで筑摩をおぶわなくてどうするのじゃ!」
涙交じりの声でそう叫び、利根は悲痛な声をあげた。
「筑摩とはずっと一緒だったのじゃ! こんなの、こんなの、納得できるか!」
なおも続く爆音を背景に。
利根の声は北方のどんよりとした空へと消えていった。
〔続〕
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しくしくしながら書いた。やっぱり反省していない。
というわけで、前回の予告通り、vol.17(1/2)「別離・筑摩の思い」をお届けします。続くvol.18とは前後編の二部作となります。
本当はこんなに急ぐ必要はなかったのですが、3-5で筑摩さんをロストした弔いとして、自分ができる精一杯はなにかと思うと、このエピソードを書くしかないなと思いました。
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