波がさざめく水面下で、彼女は目を凝らし、耳をすませていた。
もとより空気のない海の中で普通の音が聞こえるはずはない――だが、彼女の耳には聞こえるのだ。敵が海面を駆ける音が。そのうごめきが。
目を凝らしても海中ではそれほど見えるわけではない。しかし、海面に映る影を追うのは耳をすませる助けになったし、なにより意識を集中させ度合いが違う。
彼女は青い水着に身を包み、上半身にセーラー服に似たシャツを着込んでいた。唯一奇妙に思えるとしたら、身に鋼の艤装を身にまとっていたことだろう。それは小ぶりで水中での動きをさまたげないものだったが、それでも、その艤装の存在が彼女をして普通の女の子ではないことを如実に示していた。
艦娘。人類の脅威たる深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。
(――いま!)
影が通り過ぎたのを見計らって、彼女は右手を大きく振ると同時に、たずさえていた魚雷を放った。泡立った航跡を引かずに静かな軌跡を描きつつ二本、そしてそれに続くかのように仲間達の放った魚雷群が続く。
魚雷が影へと向かうのを見送る間もなく、彼女は右手で海底方向を指した。
そして彼女自身もまた深く潜る。仲間達が続いて潜るのが感じ取れた。
ほどなくして、後にした海面方向から爆音が伝わってきた。
手ごたえあり。思わず、彼女の口元に笑みが浮かぶ。
この海において自分達の牙から逃れられる獲物などいないのだ――深海棲艦をしとめるたびに、それを確認できて、彼女はささやかな満足を感じていた。
潜水艦、「伊401」。
それが彼女の艦娘としての名前である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
様々に種類わけされる艦娘の中でも、潜水艦は特に変わった存在といえる。その独特な戦い方ゆえに正面からの艦隊決戦に用いられることはないものの、シーレーンをどうにか維持している海域でもなお跳梁する深海棲艦を音もなく静かに狩る者として、彼女たちは鎮守府では欠くべからざる存在といえた。
「軽空母が二つ、補給艦が二つ、駆逐艦が一つ……かなあ」
ひょこっと波間から頭を出してあたりを見回しながら、伊401はひとりごちた。
海面には深海棲艦の残骸が浮かんでいて、そこから戦果を確認できる。
「どう? しおい?」
伊401の後ろにもう一人の艦娘が浮かび、声をかける。しおいと呼ばれた伊401は振り返ると笑みを浮かべてみせた。
「上々じゃないかな、イムヤちゃん」
そう答えるとイムヤと呼ばれた艦娘は、親指を立てた拳を海面につきだしてみせた。
潜水艦の艦娘は伊で始まる番号付きが正式名称だが、さすがにそれでは味気ない。
そこで彼女たちは番号を元にした愛称を決めていた。伊401は「しおい」となるわけだが、「イムヤ」と呼ばれた艦娘は正式名称を伊168という。
後ろでまとめた黒髪によく日に焼けた小麦色の肌が印象的なしおいに対して、イムヤは赤い髪に白く抜けるような肌をしている。イムヤもしおいと同じように身体にぴっちりと張り付いた青い水着に身を包んでいたが、この格好は潜水艦の艦娘に共通だ。
「これで合計何隻になったでち?」
海面にもうひとつ顔を浮かび、しおいたちに声をかける。短めの明るい橙色の髪にやや舌足らずな口調の艦娘――伊58、愛称は「ゴーヤ」である。
「二隻ずつ沈めたなら空母が計十隻になったところね」
また海面に顔が浮かび、声をあげる。後ろで編んだ長い金髪、頭にかぶったベレー帽、かけた眼鏡が理知的な印象を与える艦娘――伊8、「はち」だ。
「じゃあこれでノルマ達成なのね~」
海面に顔を出すと同時に両手をばしゃっとあげて、チームの最後の艦娘が声をあげる。三つに束ねた青い髪に、ゆるい笑顔を浮かべた艦娘――伊19、「イク」である。
海面にそろった仲間たちの顔を見て、しおいは内心でほっと息をついた。海中では仲間たちとの連絡は勘に頼ることも多く、お互いに健在かどうかはこうして顔を合わせないとなかなか確認できない。海面を駆けて戦う通常の艦娘とは違う、潜水艦ならではの苦労といえる。
しおいは、ぽんぽんと手を叩き、言った。
「うん、空母は目標達成だと思う。でも補給艦はまだまだだよ」
その言葉にゴーヤがうえーっと口をへの字にする。
「もう疲れたでち。鎮守府に帰りたいでち。過重労働でち」
そう言いながらゴーヤがばしゃばしゃと海面をたたく。その水しぶきをかかってくるのを手で防ぎながら、イムヤが顔をしかめながらたしなめた。
「そんなこと言わないの。提督から与えられただいじな任務なんだから」
イムヤの言葉に、はちが眼鏡の位置をそっと直しながら、
「計算なら残り六体で目標達成のはずですよ。あと三回は襲撃しなきゃ」
はちの言葉にゴーヤが頬をふくらませる。
「オリョールの海は飽き飽きでち。場所を変えたいでち」
その言葉にイクがしおいに顔を向けて訊ねた。
「どうする~? バシー島沖に移動する?」
イクの問いに、しおいはおとがいに手をやって束の間考えた後、答えた。
「ううん。しばらくオリョールにいよう。そろそろ沖ノ島沖攻略部隊が鎮守府から出る頃だし、その子たちのために露払いしておかないと」
その言葉にイクがこくこくとうなずく。
「イクも賛成なのね! オリョールなら戦艦をしとめるチャンスもあるのね!」
そういうイクが記憶を受け継いだ伊19はかつての戦争では多数の船を沈めた武勲艦であった。そのことは腕の確かさとなって艦娘のイクに受け継がれているが、一方で大物狙いの気質となって現れているらしい。
「じゃあ、このままオリョールで。みんな、いいかな?」
しおいが皆を見回しながら訊ねると、それぞれこくりとうなずいてみせる。
最後に目を向けられたゴーヤは軽くため息をつくと、
「仕方がないでち。ゴーヤだけ帰るわけにもいかないでち」
そう言って、しぶしぶながらうなずいてみせる。その様子に苦笑いを浮かべながら、イムヤが空を仰ぎながら言った。
「せめて潜水母艦が来れば補給が楽なんだけどね」
イムヤの言葉にしおいは肩をすくめてみせた。
「ないものをねだっても仕方ないよ。遠征組からの補給で我慢しよう」
そう言って、きりっと表情を引き締め、ひときわ大きい声で言う。
「オリョールはわたしたちの海。わたしたちにまかされた大事な狩場。わたしたちがいる限り、この海を深海棲艦にはやすやすと渡らせないんだから」
しおいの言葉に一同の表情も引き締まる。それを見てしおいは満足げにうなずいた。
「じゃあ、ここから離れたらまた索敵機を出すよ。早く次の敵を見つけよう」
「それじゃあ、テイトク、行ってくるネ!」
海面に立つ艦娘がそう声をあげ、目の冴えるような敬礼をしてみせる。
長い栗色の髪、巫女に似た衣装、そして戦艦ならではの大口径砲をそなえた大きな艤装――高速戦艦の金剛(こんごう)である。
敬礼を送るのは彼女だけではない。付き従う重巡の艦娘、そして空母の艦娘もまた並んで金剛に続いて岸壁の提督に敬礼を送る。
敬礼を受けた提督は、いつものごとく白い海軍制服に身を包み、そして艦娘を送り出すときはいつもそうであるように、どこか沈痛な面立ちで彼女らを見つめていた。
「頼んだぞ、金剛。沖ノ島沖の反攻敵戦力を押し返してくれ」
彼がそう言うと、その傍らに立っていた艦娘も声をかける。長い黒髪を流し、武人風の雰囲気を身にまとった、凛とした顔立ちの彼女――長門(ながと)は、
「戦果を期待している――金剛たちなら任せて安心だ」
その言葉は、いままさに発とうとしている金剛たちにかけられたものか、それともかたわらの提督にかけられたものか。
二人の言葉に、金剛は人差し指を立てて横に振り、
「言われるまでもないデース。この編成なら確実に敵中枢戦力を蹴散らせますネ。提督はいつも心配しすぎなのデス。長門の落ち着きっぷりを見習うべきデース。ほら、見送るならそんな顔しないでクダサイ」
彼女はそう言うと、上目遣いに提督の顔色をうかがう。
覗きこまれた提督がやや苦笑してみせると、金剛の顔にぱっと笑みがほころんだ。
「フムン! 提督は笑ってくださるのが一番なのデス! それでは――」
そう言いさして彼女が海面を駆け出そうとしたとき、
「――金剛さーん!」
ややか細い声を精一杯にあげながら、小柄な艦娘がぱたぱたと陸を駆けてくる。
短い黒髪、幼い面立ち、そして身体にぴったりとした白い水着をつけている。
岸壁にたどり着き、金剛たちを認めると、ぺこりと頭を下げて、言った。
「あの、あの。しおいさんたちにもし会えたらよろしくお伝えください。このまるゆ、航海の無事とご武運をお祈りしています!」
まるゆと名乗った艦娘はそう言うと、敬礼してみせた。金剛や提督がしてみせた、脇を締めた海軍式ではない。脇を開けた陸軍式の敬礼である。
思わぬ見送りに金剛は目を丸くし、ついで目を細めてまるゆに向けて敬礼した。
「それでは、沖ノ島沖攻略部隊、出撃するネ!」
高らかにそう号令を発し、金剛は滑るように海面を駆けていく。随伴の艦娘たちがそれに続き、海面に航跡を描きながら、沖の方へと消えていった。
金剛たちが見えなくなるまで、提督も長門も敬礼をやめようとはしなかった。
彼女たちが水平線の向こうへ去っていくと、ようやく敬礼を解き、ほうっと息をつく。
「――見送るときはいつも同じ気持ちだ」
提督がぼそりとつぶやく。
「無事で帰ってきてくれ、と。ときに攻略がうまくいかずに目標半ばで彼女らが戻ってくるときもある。戦果をあげられなかった苛立ちはあるが、そのときは見送ったときの気持ちを思い出すんだ。無事に帰ってきてくれた、と」
「『帰ればまた来れるから』か、提督?」
長門がそう言うのに、提督がうなずいてみせる。
「艦娘が無事なら挽回のチャンスはいくらでもある。戦力としての彼女たちを失うわけにはいかないからな」
提督の言葉に長門がふっと口元をゆるめる。
「そんな事務的な理由だけじゃないだろう。提督の場合、艦娘とはいえ、女性を戦場に送り出すいたたまれなさが顔に出ているように思えるぞ」
「そうか」
「そうだとも」
長門の顔をちらと見た提督は、帽子をとって頭をかいてみせる。図星だったらしい。
金剛たちが去っていった方角を見つめながら、彼は長門に行った。
「――沖ノ島沖に金剛たちを送り出すのはこれが最後になるかもしれない」
「前に話していた別編成での攻略か」
「ああ、空母と戦艦をはずし、航巡、重巡、軽巡からなる巡洋艦部隊で攻略を行う――これまでは安定性を重視して戦艦と空母を入れた重い編成を送り出していたが、敵の正面戦力を避けて進撃する方が結果的にうまくいくかもしれない」
提督の言葉に、長門が慨嘆するような響きの声で応えた。
「戦艦は必ずしも最適解ではない、か――変わったものだな。前は戦艦を前に押し立てればとりあえず力押しでどうにかなったものだが。MI作戦のときでも感じたが、戦艦が主役を張れる場面というのは今後限られてくるかもしれない」
「さびしそうだな、長門」
「そう聞こえるか、提督」
「ああ。だが、大丈夫だとも――君の力を発揮する場はきっとある。温存したままお蔵入りにする気は俺にはない。そのときが来たら、存分に戦ってもらうぞ」
提督の言葉に、長門がふっと口元に笑みを浮かべる。
さながら二人だけの空気が流れる岸壁だったが、
「あの、あの、隊長」
声をあげたのはまるゆである。
「金剛さんたち、しおいさんたちに会えるでしょうか……?」
控えめな問いに、提督はやや宙を見つめて考えながら、言った。
「さて、どうかなあ。沖ノ島沖の別ルート調査はしおいたちの実地調査の賜物だが、彼女らの普段の狩場はオリョールだからな。普通なら会えないと思うが」
「そうですか……」
しゅんとしおれるまるゆ。小柄な彼女の頭にぽんと手を乗せて提督は言った。
「そんなに心配か?」
「まるゆも一応潜水艦です。でも潜るのがへたっぴで、まだまだ練習です。しおいさんたちは鎮守府へ戻ってきたときは、非番なのにまるゆの練習につきあってくれます――まるゆは戦闘向きじゃないから、しおいさんたちについていけません。鎮守府で無事をお祈りするしかありません」
そうつとつとと話すまるゆに声をかけたのは長門である。
「案ずるな。しおいたちは百戦錬磨の艦娘だ。練度も経験も一線級だし、オリョールの海で彼女たちにかなうものはいない。無事に帰ってくるさ」
長門の言葉に、まるゆが安堵の笑みを浮かべる。それを見て、ふっと目を細めた長門がふと提督をみやると、彼は鋭いまなざしでオリョールの方角を見つめていた。
「敵の立場で考える――もし、俺が深海棲艦の指揮官なら……」
それ以上の言葉は提督の口からは語られない。
ただ、長門には、言わずとも提督の懸念を察することができた。彼女も、不安と緊張に満ちた表情でオリョールの方角に目をやる。
まるゆだけが状況をつかめないまま、かすかに首をかしげていた。
しおいが記憶を引き継いだ潜水艦、伊401は潜特型とも呼ばれる特殊な艦である。
かつての戦争では戦略目標である運河を搭載機で爆撃しようという目的で作られ、潜水艦ながら水上機を三機搭載できる性能を有していた。
伊401の名を引き継いだ艦娘であるしおいにもそれは受け継がれていて、装備した艤装から水上機を発艦させることができる。
さすがに艦隊戦で空襲に使うには搭載機数が少ないが、索敵に飛ばしてチームの眼として働くには充分といえた。
上半身を海面上に出して、しおいは意識を集中させていた。
索敵機を展開して、次なる獲物を探しているのだ。
「……見つけた」
しおいがそっとつぶやくのに、周囲にいた仲間達が表情を引き締める。
「敵の編成は?」
イムヤが訊ねると、しおいは首をかしげながら、答えた。
「いつもの強襲揚陸艦隊だと思う。軽空母がいたし。ただ……」
「ただ? なんでち?」
言いよどむしおいに、ゴーヤが不思議そうな顔をしてみせる。
「補給艦と間違えたのかなあ。軽巡がいたような気がするんだけど」
しおいの返答に、ほわわんと笑みを浮かべながらイクが言う。
「見間違いじゃないの~? 軽巡と空母の取り合わせは見たことないの」
イクの言葉に、はちが眼鏡を直しながら言う。
「ええ。いつもなら重巡と軽空母と補給艦の取り合わせのはずです」
しおいは腕組みして考えこみ、ややあってからイムヤに向き直り、
「いつもの群狼戦術で行くけど、ちょっとお互いに距離をとろう。イムヤ、わるいけど先行して様子見してくれないかな?」
その言葉にイムヤがうなずいてみせる。このチームではイムヤが一番機動力が高い。そのため襲撃作戦では彼女が先触れの役目を果たすことが多かった。
「まかせて。問題なければそのまましかけましょう」
「みんなもいいかな?」
しおいが訊ねると、一同がそろってうなずく。お互いに目配せしてわずかに笑みを交わすと、一人、また一人と海面下に潜っていく。
しおいもまた海中に身をしずめ、獲物の方角へ泳いでいった。
オリョールの海は澄んだ碧色で、潜ると海面から差し込む光がカーテンのように幾重にもきらめいている。戦闘任務でなければ、ゆっくり堪能したいところだ。
(深海棲艦なんていなければ……)
泳ぎながらしおいはきりと眉根を寄せた。
どんなに綺麗な海でも、深海棲艦が跳梁する以上、そこは危険な死の海である。
一日も早く深海棲艦を世界の海から駆逐する。そのために自分たち艦娘がいるのだ。
戦意を高めながら、しおいは配置についた。目視では確認できないが、他の仲間たちも同じように獲物を待ち構え、前方ではイムヤが相手の動きを見張っている。
獲物が通り過ぎるはずの海面を、しおいはじっと見つめ、機を見計らっていた。
しばしの沈黙が流れ、イムヤが問題なしのハンドサインを送ってきた。
それを目にしてしおいがうなずき、魚雷を構えた、そのとき――
いきなり、鋭い音の波が海中を駆け、しおいたちを打った。
(――探信音!?)
しおいは目を見開いた。前方のイムヤが急回頭して後退してくる。
それを見てしおいも手にした魚雷を捨て、あわてて回れ右をした。
逃げようとするしおいたちに、再度の音の波が襲い掛かる。
そして、頭上を影が横切り、海面に重い何かがいくつも投下される音。
爆雷だ――それも一個や二個ではない。雨のように降ってくる。
しおいは顔をこわばらせながら、海底に向けて深く潜った。
このうえは深度をとって逃れるしかない。
暗い海中へ向けてひたすら進むと、やがて海中でいくつも爆発が起こり、衝撃がしおいの身体をゆさぶった。身体を打つ痛みに耐えながら、しおいは歯を食いしばりながら、ひたすらに逃げた。
ちらと振り返ると、イムヤの姿がかろうじて見える。
他の皆も同じように逃げているはずだ。
あれはいつもの獲物ではない。こちらを狩りにきた対潜特化の艦隊だ。
(――みんな、無事でいて!)
しおいは祈りつつ、耐えられるぎりぎりまで深く潜っていった。
海面に顔を出すと、西の水平線に日が沈もうとしていた。
赤く染まる空が血のように見えて、しおいは思わず眉をしかめた。
ややあって、イムヤがしおいのそばの海面に顔を出す。
その顔を見て、しおいは安心すると同時に、少し笑んで、
「イムヤ、ひどい顔してる」
そう言ってみせると、イムヤはじとりとした目で言い返した。
「そういうしおいだって疲れきった顔してるよ」
その指摘にしおいは苦笑してみせた。
敵の追跡は執拗だった。距離をとってもう大丈夫かと思い、浮上しようとするともぐらたたきのように探信音をはなってきて、直後に爆雷の雨を降らせてくる。
ほぼ半日、敵から逃げまくって、その間ずっと潜りっぱなしだった。
結局、事前に打ち合わせていた合流ポイントのいくつかが使えず、もう最後の撤退ラインの三歩手前あたりでようやく日没を迎え、敵の追跡を振り切ったのだ。
「……みんな大丈夫かな」
不安げなイムヤの言葉に、しおいは努めて明るい声で言った。チームのまとめ役である自分がここで凹んでいてはどうしようもない。
「大丈夫だって。みんなそう簡単にやられる艦娘じゃないよ」
そう声をかけていると、二人から離れた水面に、ぽこんと顔が浮かんだ。
「あ、いたいた。二人とも怪我ない~?」
こんな状況でもほんわかしたイクの声に変わりはない。
それを聞いて、しおいとイムヤは思わず顔を見合わせて笑みをこぼした。
太陽が水平線へと沈んでいく中、遅れてはちとゴーヤも顔を出した。
皆総じて疲れた顔をしていたが、大きな怪我はないようだった。
だが、まったくの無傷というわけにもいかないようで、
「あちこち痛いでち……」
ゴーヤがうんざりした声で言う。爆雷で揺さぶられる海中を逃げまくっていたのだ。疲れもあるし、衝撃で身体を叩かれて軽いダメージを受けているのだ。
「みんな、ゴメン。もうちょっとよく確認できていれば……」
しおいの謝罪に、はちがふるふると頭を振ってみせる。
「ビッテシェーン。あれは潜水艦専門のハンターキラー艦隊です。オリョールでは見たことがありません。区別がつかなかったとしても仕方がないかと」
はちの言葉にイムヤがうなずいてみせる。
「あらかじめお互いに距離をとっていたからみんな逃げ切れたんだよ。しおいの判断は間違っていない」
それを聞いてイクが空を仰ぎながら慨嘆する。
「水中探信儀にたっぷりの爆雷、水中聴音機もたぶんあるのね。オリョールにいるのは、ただの水雷戦隊だから、あんなにてごわくないのね~」
「じゃあ、あの艦隊って、ゴーヤたちを狩るためにわざわざどこかから出てきたっていうことなの!?」
目を丸くして声をあげるゴーヤに、しおいは苦々しい顔でうなずいてみせた。
「油断してたね。あんなのを出してくるなんて、思いもよらなかった」
「深海棲艦にとっては、それだけわたしたちがオリョールで荒らしまくるのが我慢できなくなってきたっていうことなのかしらね」
イムヤが肩をすくめてみせる。
しおいたちがオリョールで存分に狩りができたのは、この海域には潜水艦に有効な敵部隊がいなかったからだ。気をつけるとしたら、オリョールの中枢にいる敵本隊ぐらいで、それも最初の奇襲で駆逐艦を沈めてしまえば、ほぼ問題なく対処できた。
だが、今回やってきたのは、これまでにいないまったく異質の存在だった。
「わたしたちを狩ることを目標にした、特務部隊……?」
しおいがつぶやくと、イムヤが眉をしかめて言った。
「そんな! まるで人間か艦娘の作戦みたいじゃないの!」
「赤城さんがMI作戦で戦った深海棲艦も、まるで人間が立てた作戦みたいな動きをしたそうだよ。あいつらも進化してる。そんな特務部隊がいたとしてもおかしくない」
そうしおいが言うと、はちが眼鏡の位置をなおしながら応えた。
「その特務部隊は現に存在しています。いま考えるべきは深海棲艦の思考に驚くことではなく、あれにどう対処するかだと思います」
はちはしおいに向き直った。落日の光が眼鏡に反射してきらりと光る。
「意見具申します。あれを叩くにはわたしたちでは無理です。水雷戦隊以上の戦力が必要――鎮守府に一度戻って報告を。ハンターキラー艦隊を討伐するための部隊を提督に出してもらいましょう」
それを聞いて、しおいはおとがいに手をやって考え込んだ。
はちの提案はもっともだ。自分達ではあれには勝てない。だから援軍を頼む。理にかなっているし、常識的に考えればそうすべきだろう。だが。
「――あれは普段オリョールにはいないイレギュラーな存在。わたしたちが鎮守府に戻って討伐部隊を出して……そのときにまだあいつらがオリョールをうろついてくれている保証があるかな」
しおいの言葉にイクがうなずいてみせる。
「きっとわたしたちが引っ込んだらまた隠れちゃうのね。そしたら討伐部隊が見つけるのはとっても難しいのね~」
「逆に言えば、あれをしとめるなら、わたしたちをつけねらっているいまがチャンスっていうことか……」
イムヤがそうつぶやくと、はちが困惑した顔で言った。
「でもどうやってしとめるんですか? わたしたちでは対潜特化部隊に太刀打ちできません。全滅覚悟で戦えば相討ちにできるかもしれませんけど……」
「要はあれと正面から戦える部隊がいますぐに用意できればいいでち?」
ゴーヤがふと首をかしげながら、誰に答えるでもなく言う。
「いるんじゃないかなあ。でも沖ノ島沖になっちゃうでち」
その言葉に、しおいがハッと顔をあげて言う。
「沖ノ島沖攻略部隊――金剛さんたちの部隊なら、もしかして」
しおいがそう言うと、イムヤがかぶりを振りながら肩に手を置いた。
「無理だよ。金剛さんたちは別任務だもん。オリョールには立ち寄ってくれないよ」
「……オリョールに金剛さんを呼ぶんじゃなくて、沖ノ島沖にハンターキラー艦隊がいるのだとしたら?」
しおいのその言葉に、他の四人はそろって息を呑んだ。
「ちょっと、もしかして」
イムヤのとがめるような声に、しおいはうなずいてみせた。
「沖ノ島沖までハンターキラー艦隊を引っ張っていく。沖ノ島沖の中枢戦力に奇襲をかけて金剛さんたちの本来の相手はつぶして、出てきたハンターキラー艦隊を金剛さんたちにたたいてもらう」
その提案は豪胆そのもの、イチかバチかの賭けといえるものだった。
「つまり、沖ノ島沖の中枢戦力をわたしたちで攻略するんだ」
月が静かな光で夜の海面を照らしている。
夜の帳の下りた空に星の光が散り、それが海面にうつっている。
何もなければ幻想的な風景の中を、しおいたちは懸命に泳いでいた。
数時間程度の睡眠をとったあとの夜半の進軍である。
潜水艦といってもしおいたちは浮上して泳いだほうが速度がでる。一晩中駆ければ沖の島沖の外縁には到達する計算だった。そこで水上機を飛ばして金剛たちの艦隊と連絡をとり、事の次第を説明する。
とはいえ、外縁に到達するとすぐに潜行して中枢戦力に忍び寄らなければならない。
水上機には言伝を託すしかないのが実際のところだ。実際に金剛たちと連絡がつくかどうかは運任せ、万一、敵の艦載機にでくわせば連絡がとどかない可能性もある。
それでもしおいはこの作戦を選んだ。仲間たちも了承したが、最後の最後まで反対していたのは、はちである。最終的には彼女も折れたのだが。
いま、しおいは、そのはちと並んで泳いでいる。
ちらと横顔をうかがうと、はちは表情を消して黙々と泳いでいる。
「ねえ……やっぱり無謀だと思う?」
しおいがそう訊ねると、はちはふうとため息をついて言った。
「ヤー。まるでギャンブルです。それもポーカーでフルハウスを期待するようなもの」
はちはそう言うと、しかし、ふっと口元に笑みを浮かべていった。
「それでもロイヤルストレートフラッシュみたいな奇跡を願うものじゃなありません。あくまでもフルハウスです。やりよう次第では狙えなくもない。わたしはそう考えます」
はちは眼鏡に月の光をきらりと光らせながら言った。
「だから反対を取り下げました。沖ノ島沖の中枢戦略は戦艦に、軽巡と駆逐が随伴についたもの。戦力クラスは上ですが、それでもわたしたちがたまに相手をするオリョールの中枢戦力と構成はさほど変わりません。対潜警戒をしていないぶん、奇襲もしやすいかもしれません」
淡々とはちが話すのに、しおいはこくりとうなずいてみせた。
「うん。戦艦さえ沈めればあとは金剛さんたちで充分に掃除できると思う」
「ええ。ただ――」
「ただ?」
しおいが首をかしげると、はちは仏頂面を向けてきた。
「提督になんて説明するかです。作戦領域を超えた独断専行、鎮守府に帰ったらあとできついおしおきと尋問が待ってますよ。そのあたり、どうするんですか?」
はちの問いに、しおいは頭をかいてみせた。
「そっか……ははは、そこは仕方ないな。わたしがまとめて引き受けるよ。言いだしっぺだし、まとめ役だし」
「ナイン。何を言ってるんですか」
しおいの言葉に、はちは心外そのものだという顔をしてみせた。
「しおいはまとめ役ですが、提督に命じられたわけじゃありません。もともとわたしたち潜水艦娘の間では上下関係も古参新参もない、フラットな関係だったはずです。なにかやったときはもちろん連帯責任ですよ」
そう言って、はちはにやりと笑ってみせた。
「わたしたちは一蓮托生。潜水艦ってそういうものでしょう?」
その言葉に、しおいは苦笑してみせた。
水上艦なら沈むときになっても助かるチャンスがある。だが海中に潜る潜水艦が沈むときは乗組員はまず助からないのが普通だ。それだけに潜水艦の乗組員には独特の連帯感が生まれる。艦娘の中に乗組員がいるわけでもないが、そのあたりの気質は艦の記憶となって艦娘である自分達にも受け継がれているのかもしれない。
「一蓮托生だから――生きて帰るのも、みんな一緒だよ」
しおいはそう言った。その言葉へのはちの返事はない。
星明りの下、沖ノ島沖を目指してしおいたちはひたすら泳いでいく。
「――これで三機目!」
しおいが声をあげると、艤装から水上機が飛び立っていった。
西北西の方角に、これで搭載していた機体をすべて放ったことになる。
すでに敵中枢の位置はつかんでいる。
ここからは潜行して忍び寄るしかない。あとは、飛び立った艦載機がうまく金剛たちと接触してくれるのをいのるばかりだった。
しおいは背後を振りかえった。イムヤが、ゴーヤが、イクが、はちが、それぞれの顔に緊張と戦意の色をたたえて自分を見つめている。
大きく一呼吸すると、しおいは自身を奮い立たせるように言った。
「さっき、南の空に偵察機らしい影が見えた。たぶんハンターキラー艦隊にわたしたちの位置はしれていると思う。ここからは競争。あいつらに追いつかれる前に、沖ノ島沖の中枢戦力に奇襲をかけて、戦闘海域にあいつらを引きずり出す」
しおいは声に気合をこめて、言った。
「オリョールの海の狼の意地、見せてやろうじゃないの」
沖の島沖の海は、深く、濃い。
海中の色合いもオリョールの明るさに比べれば闇に近く、海面から届く光もか細い。
その中をしおいたちは静かに泳いでいった。沖の島沖の中枢戦力には随伴艦として軽巡と駆逐がいる。対潜装備は充分にないだろうが、それでも爆雷はいくらか積んでいるだろうし、それをまともに食らうことになればひとたまりもない。潜水艦はタフにはできていないのだ。
時折、海中で静止しながら、音に耳を澄ませる。
敵の位置、距離は音で測るしかない。
何度かの聴音を経て、やがて。
(――とらえた)
しおいはこくりとうなずいた。そのまま海中を巡り、ついてきた仲間たちの肩にひとりずつ触れていく。そのたびに仲間がうなずき、散っていった。
ゆっくりと数を数えながら、魚雷を用意し、海面を見上げる。
心臓がとくとくと脈打つのが感じられた。
狙いは戦艦。五人の潜水艦娘で魚雷の網を張って仕留める。
(――さん、にい、いち……いま!)
しおいはうなずくと海面に向けて浮上を開始した。
ほどなく、深海棲艦の影が海面にうつるのが見えた。
魚雷を構え、そして、放つ。
海中に静かな軌跡を描きながら、魚雷が深海棲艦の影に吸い込まれていく。
(もういっちょ!)
再び魚雷を準備し、放つ。そうするや、しおいはただちに潜行を開始した。
背後の海面の爆音がいくつも響く。
振り向くこともせずに、しおいはひたすら深く潜っていった。
やがて、海面にぼつぼつと重いものが投下される音がした。
続いて海中でいくつもの爆発が起きる。
その衝撃にゆらされながら、しおいは海底をめざしていた。
暗い海底に、しおいはそっと手をつけると静止し、耳をすませた。
戦艦をうまくしとめられたか、手ごたえはあったが確認はできない。
しばらくして、海面に無数の爆雷が投じられる音がかすかに聞こえた。
それに続いて海中でいくつもの爆発が起こり、衝撃が幾重にも伝わる。
歯をくいしばってこらえながら、しおいはじっと身を潜めていた。
ハンターキラー艦隊の到着は思いのほか早かったが、中枢戦力が打撃を受けたことに慌てたのか、探信儀をつかわずにあわてて爆雷を投下してきたことは幸運だった。
爆雷で水中をかきまわせばかきまわすほど、こちらの位置は掴みにくくなる。
皆も爆発の衝撃に耐えながら、必死にこらえているはずだ――
しおいはじっと耳をすませていたが、やがて爆音が消えた。
静かになった海中。敵も耳をすませてこちらの位置を探っているのだろうか。
あるいは探信音が来るのかもしれない。
その瞬間に緊張しつつ、しおいは沈黙の中にあったが――
耳を済ませても、爆雷の投下音も探信音も聞こえてこない。
(いや、かすかに何か聞こえるけど、これは――?)
しばらく逡巡したのち、しおいはそっと浮上を開始した。
海面が見えてくると、深海棲艦が駆け回っている影が見えた。
意を決してしおいが海面に顔を出すと――
そこは、砲弾の飛び交う戦場になっていた。
中枢戦力の残り、そしてハンターキラー艦隊。
軽装備の戦力とはいえ、数の上では勝る深海棲艦たちに、栗色の髪を雄雄しくなびかせた艦娘が先頭にたって、次々と砲撃を浴びせている。
「ワーオ! 敵がたくさんデース! 皆さん、撃てば当たりますヨ!」
金剛の勇ましい声が戦場に響く。
しおいは、ほっと息をつくと、振りかえった。ややあって、仲間達が次々と浮上してくる。眼前で繰り広げられる灼熱の戦場に見入っている一同に、しおいは、
「全員、魚雷準備!」
大きく声を張り上げて言った。
「作戦成功! 引き続き金剛さんたちを援護するよ!」
しおいの号令に、皆が戦意に満ちた顔でうなずいた。
「まったく、すんでのところデシタ」
中枢戦力とハンターキラー艦隊を殲滅して、まっさきに金剛の口から出てきたのはあきれ声のたしなめだった。
「索敵機が運よくしおいの艦載機を見つけましたけど、もし見つけられなかったらどうするつもりだったんデスカ?」
金剛の言葉に、しおいは苦笑いを浮かべてみせた。
「いやー、はははは……」
無茶な作戦で無茶なお願いだったのは自覚があるだけに、しおいとしては金剛に弁明する言葉がみつからない。うまくいったからいいじゃないですか、とはこの場合しおいから言うべきではないだろう。
「テイトクにはきっちり報告を上げさせてもらいマス。鎮守府に帰ったら覚悟しておくことデース」
そこまでひとくだり言ってから、金剛は気遣わしげな声で言った。
「それで――まだ帰らなくていいんデスカ?」
「はい。オリョール海での任務が残ってますから」
しおいはそう答えた。敵補給艦をしとめるノルマはまだ達成できていない。
せめてそれをこなしておかないと提督に合わせる顔がないというものだ。
金剛が目を細めて、そっとしおいに手を伸ばした。
「しおいたちがオリョールで頑張ってくれるから、そこを回廊にしてワタシたちは各地に出撃できるのデース。あなたたちの頑張りは鎮守府の皆が知ってます。ダカラ……」
しおいの頬に手を当てながら、金剛は優しい声で言った。
「……くれぐれも、無茶はしないでネ?」
その言葉に、しおいは満面の笑みでうなずいた。
「はいっ、もちろん!」
それを見て、金剛も笑顔を返した。
「じゃあ、ワタシたちはいきますね。鎮守府でまた会いまショウ!」
そういい残して、金剛は海面を駆けていった。
それを見送って、しおいは後ろを振り返った。
仲間たちがしおいをみつめている。しおいは高らかに声をあげた。
「オリョールへ戻ろう。わたしたちの狩場、わたしたちの縄張りへ!」
「うん!」
「はい!」
「ヤー!」
「行くのね!」
リーダーの号令に、群れなす海の狼たちは揃って笑顔で応えたのだった。
〔了〕
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がうがうして書いた。やっぱり反省していない。
というわけで、艦これファンジンSS vol.16をお送りいたします。
二回連続で日常回だったので、今回は戦闘回がいいなあと思い、かねてから考えていた潜水艦娘にスポットを当ててみました。
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