No.714086

艦これファンジンSS vol.15  「受け継がれる誇り」

Ticoさん

ぺこぺこして書いた。やっぱり反省していない。

というわけでちょっと間が開いてしまいましたが、艦これSS vol.15をお届けします。前にMI作戦をモチーフに赤城さんと加賀さんにスポットをあてて書いたのですが、どうも二人の絡みが薄いなあと思って、今回リベンジとあいなった次第です。要は二人のイチャイチャが書きたかったんだよ! 成功したか分かりませんけど。

ただ、「うちの鎮守府」的には、赤城さんも加賀さんも仕事人間というイメージなので、プライベートでイチャイチャも思いつかんなあと考えていたところ、それなら仕事を絡めればいいじゃんということで今回雲龍さんにもご登場頂いた次第です。

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2014-09-06 19:10:54 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1917   閲覧ユーザー数:1892

「やや南西の風、か……」

 潮風に流れる長い黒髪をそっとかきあげながら、彼女はひとりごちた。

 彼女、いや、“彼女たち”にとっては、風向きはもっとも重要な要素だった。

 この風向きがいずれに有利になるか――天の時も実力のうちだと、あの子たちはわかっているだろうか。彼女はそう思い、海原の彼方を見つめる。

 桟橋にいるのでも岸壁にいるのでも、ましてや砂浜にいるのでもない――彼女は、海面に立っていた。波でゆらゆらと揺れながらも、高下駄に似た艤装が彼女をしておよそ人間ではありえない情景を現出している。

 赤い短い袴が印象的な、弓道着にも似た衣装。右肩から足元にかけて伸びる長大な飛行甲板。そして背負った矢筒と手にした長弓。ひとたび弓矢を放てば、それは艦載機の群れに変じて蒼穹の彼方へ飛び去っていくだろう。その艤装が、彼女が見た目どおりの女の子ではないことを如実に示している。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 温和そうな面立ちに躍るような目の輝きを宿した彼女は、ふと笑んでうなずいた。

 それまで海面上に静止していたのを、ゆっくりと速力を上げ、前へと進む。

「そろそろ始まるころね……」

 そうつぶやき、かついでいた双眼鏡を手にとる。

 実戦であっても笑みを忘れないのが自分のモットーだ。

 やるからには真剣に、しかし楽しむ。

 それが艦娘どうしの演習の見学ともなれば、気分はもうスポーツ観戦だ。

 主機の速度を上げる。波を切って駆けて行くこの感覚が彼女はお気に入りだった。

 彼女の瞳の輝きが期待できらきら輝く。その視線はまっすぐ前に向けられている。

 空の青と海の青が一文字に結ぶ水平線の向こうに、後輩たちがいるはずだった。

 航空母艦、「赤城(あかぎ)」。

 それが彼女の艦娘としての名である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 艦娘は元の軍艦と同じく様々な種類にカテゴライズされる。その中でも空母に属する艦娘は艦載機を運用することから、砲撃戦を主とする通常の艦娘からは独特の距離があり、それだけに空母同士の連帯感はひときわ強いものがあった。

 

 赤城は双眼鏡を覗きこみつつ、右手で握りこぶしをつくっていた。

 視界の先には演習の様子が繰り広げられている。

 空で巴戦を演じる艦戦、襲い掛かる艦爆と艦攻。

 そして攻撃を必死にかわそうと波を立てながら弧の字の回避機動を演じる艦娘。

 口をあわあわさせていた彼女は、しかし、自分に向かって近づく波音を聞きつけて、双眼鏡から目を離し、振りかえった。近づいてくる艦娘の姿を確認して、赤城の顔にぱっと晴れやかな笑みが浮かぶ。

 近づいてきた方はというと、表情は凪いだように静かで、ともすれば無愛想に見える。黒髪をサイドポニーでまとめ、赤城と対をなすかのような青い短い袴の、弓道着に似た衣装、同じような長大な飛行甲板。

 かさばる艤装をやすやすと操る姿は熟練の身のこなしだった。

「早かったわね、加賀(かが)さん」

 赤城はそう声をかけた。

 呼ばれた方は表情を変えずに赤城のすぐ隣につけると、こくりとうなずき、

「そうね。提督から呼び出しだから何かと思ったわ」

 そう、淡々と話してみせると、海原の向こうに目をやった。

「どっちが優勢?」

 加賀の問いに、赤城はにっこりと笑んで言った。

「白組かしら。なかなかの実力伯仲よ」

 その答えに、加賀はふと顔をうつむけた。

「五航戦の子ったら――もっと突き放すぐらい見せてくれないと」

 ほとんど声の調子は変わっていない。

 だが、加賀とのつきあいが長い赤城にはすぐにぴんときた。

「瑞鶴(ずいかく)さんが苦戦していてそんなに不満?」

 赤城がくすくす笑いをひそめながら聞くと、加賀は横をぷいと向いて、

「不満ではありません。ただもう少し頑張れるはずだと思っているだけです」

「その言葉、瑞鶴さんに直接言ってあげたら? 喜ぶわよ」

「言うと調子に乗ります。それに――」

「それに?」

「わたしからそんな言葉は期待していないでしょうから」

 一見そっけなく、しかし、少しさびしそうな加賀の声を、赤城は聞き逃さなかった。

(本当に人付き合いが苦手なんですから)

 加賀と瑞鶴が空母陣の中でも不仲なのは鎮守府でも有名な話である。しかし、本当に不仲かと言うとそんなことはないと赤城は思うのだ。お互いに可愛さあまってなんとやらとなのである。加賀は後輩の瑞鶴にもっと伸びてほしいと思うあまりに、ついつい厳しいことを言いがちであり、瑞鶴はというと加賀に認められてほしいという思いが先走って、つい生意気な口ぶりになってしまう。

 どっちが悪いかというと、タマゴが先かニワトリが先かということになるが。

(あえて言うなら先輩にあたる加賀さんがもうちょっと譲るべきよねえ)

 ただ、赤城は思ったことは言わない。口に出したのは別のことである。

「それより、も。提督、何の用事だったのかしら?」

 話題を変えてみせると、加賀はふうと息をつき、

「特に変わったことは。最近の調子はどうだ、とか」

 そう言って首をかすかにかしげながら、続ける。

「そうね……MI作戦の後で何か心境が変わったか、とか聞かれたわ」

「ふうん。おかしなことを聞くものね」

 赤城が何事もないかのように答えてみせるると、加賀はしばし赤城をじっと見つめていたが、ややあって、おとがいに手をやって言った。

「――あとは、そうですね。空母陣の練成を気にされてました」

 加賀の表情が心なしか締まったように見える。赤城もうなずいてみせた。

 鎮守府で目下急務となっているのが空母陣の育成である。

 先の限定作戦の戦訓だが、特に航空戦力の重要性が認められ、現状の正規空母と軽空母の練度向上が課題となっている。

 勢い、空母の艦娘の監督役である赤城と加賀の責任は重くなるのだが、

「――赤城さん、楽しそうでしたね」

 加賀がちらと双眼鏡を見ながら言う。赤城は照れ笑いを浮かべながら、

「そりゃあ楽しいですとも。演習は見るのもやるのも大好き」

 赤城のはずむような声に、加賀がおもわずため息をつく。

「あいかわらずね」

「加賀さんも楽しんだほうが得ですよ?」

「あなたのようにはいきません」

 そっけなく言った加賀は、しかし、すっと目を細めた。笑ってみせたのだ。

「そろそろ時間切れじゃなくって?」

 加賀の言葉に、赤城が再び双眼鏡を覗く。

「そうみたい――あ、こっちに来るわね。出迎えましょう」

 赤城の言葉に加賀がうなずく。二人は揃って海面を駆け出した。

 

「赤城さーん!」

 波を切る音にまじって、明るく元気な声があがる。

 赤城と加賀に向けて、五人の艦娘が海面を駆けてくる。声をかけたのは一団の先頭を行く、細やかな銀の髪をツインテールに結んだ艦娘――瑞鶴だ。

 赤城が微笑んで手をあげてみせると、彼女たちは主機を下げて目の前で静止した。

 瑞鶴をはじめ、一同そろって敬礼してみせる。

「本日の演習、終了しました!」

 瑞鶴が弾んだ声で言うのに、赤城はうなずいた。

「その様子だと、五航戦が勝ったみたいね」

「はいっ!」

 赤城の言葉に瑞鶴がうれしそうに答え、その後、ちらりと加賀をみやった。

 加賀はというと、その視線に気づいているのか、相変わらずの無表情で、

「練度と能力から言えば勝って当然。いかに勝つかが重要です」

 淡々とした口調でそう加賀が言うのに、瑞鶴の表情が見る見る険しくなる。

「そんなこと言ったって! 白組はわたしと翔鶴(しょうかく)姉の二人なのに、赤組は三人じゃないですか! ハンデとしては充分すぎると思うんですけど!」

「白組は正規空母が二人。赤組は軽空母二人に正規空母一人。練度もあわせて考えれば、白組の方が有利な勝負です。だから、いかに勝つかが重要だと言いました」

 加賀の声はあくまでも醒めていて、決してけなすような色はない。ただ、それだけに余計に瑞鶴の気にさわるようで、加賀の言葉を聞きながら瑞鶴の頬がみるみるうちにふくらんでいく。瑞鶴が何か言い返そうと息を吸い込んだとき、

「まあまあ、そのへんにしておきなさい。たしかに練度を考えればわたしたちが胸を貸す側なのだから」

 やんわりとした声が、瑞鶴をおしとどめる。

 細やかな長い銀の髪に、穏やかな物腰の艦娘――瑞鶴の姉妹艦、翔鶴である。

 さらに、翔鶴の声に続いて、

「良い演習でした。まだまだ練度が足りませんね」

 銀色がかった髪を短く整えた端整な顔立ちの艦娘――千歳(ちとせ)がそう続け、

「あー、もうちょっとでどうにかなると思ったんだけどなあ」

 茶色の髪を肩で揃えたあどけなさの残る面立ちの艦娘――千代田(ちよだ)が言う。

 二人ともそろいの衣装を身につけ、顔立ちもどこか似ている。瑞鶴と翔鶴がそうであるように、千歳と千代田も姉妹艦なのだ。ちなみに千歳が姉に当たる。

 赤城はぽんぽんと手を打ち、言った。

「勝った負けたも大事ですが、演習で大切なのは何を学んだか、です。自分の動きをよく振り返って、問題と思った箇所は次の演習で意識して良くするようにしましょう」

 赤城の言葉に加賀もうなずく。

「赤城さんの言うとおりよ。次はいかに負けないか、そしていかに勝つか、それを意識して動くようにすれば必ず実りがあります。勝ったからと慢心しないように」

「た、だ、し」

 加賀の言葉を受け継いで、赤城がにっこりを笑んで言う。

「考えるのは三つぐらいまでにしましょう。あれもこれもと思い悩むと萎縮して動けなくなります。大丈夫、たくさん思い当たっても乗り越えやすい課題から解決していけばいいんです」

 その言葉に、瑞鶴たちが元気よく「はい!」と返事をかえす。

 ――だが、その返事に、一人だけ覇気のない声がまじっていた。

 赤城は首をかしげ、くだんの艦娘をじっと見つめた。

「元気少ないですね、雲龍(うんりゅう)さん。大丈夫ですか?」

 声をかけられた艦娘がはっと顔をあげる。うなだれていたのだ。

 白い癖毛を後ろで編んでまとめ緑と白の衣装に身を包んだ、穏やかな面立ち。

 つい最近、それも先の限定作戦直後に鎮守府にやってきたのが雲龍である。

 新鋭の正規空母の艦娘として伸びしろが期待されている――はずだった。

「いえ、あの……すみません、どう三つに絞ろうか悩んでしまって」

「難しく考えることはないのよ? とりあえず三つでいいのだから」

 加賀がそう言ってみせるのに、雲龍は表情を翳らせて、

「わたしの場合、たくさん思い当たる箇所があって……乗り越えなきゃいけないことが多すぎて、ちょっと、困ってしまって――」

 雲龍はそこで言葉を詰まらせてしまった。目に涙がうっすら浮かんでいる。

「あのね、雲龍さん――」

 赤城が声をかけようとすると、雲龍は頭を下げて、

「すみません、わたし、気分が悪くて――先にあがっています」

 そう言って、主機を上げて鎮守府の方へと駆け去っていった。

 見送る形になった一同はそろって困った顔になっていたが、ややあって、

「雲龍さん、ちょっと悩んでいるみたいなんです」

 千歳が心配そうな声で言うと、千代田が後を継いで、

「正規空母なのにわたしたちと艦載機運用能力が変わらないっていうのも、ちょっとつまづいている原因みたいよねえ」

 その言葉に、瑞鶴が続けて、

「でも回避機動とかは良くなってるわよ。艦載機を繰り出す速度もあがっているし」

 瑞鶴のフォローの言葉に、翔鶴が軽くかぶりを振って、

「けれど、回避機動に移るのが早すぎる気もします。あれでは艦載機を充分に展開できないと思うのですけれど――まるで攻撃を受けるのを怖がっているみたい」

「そりゃ艦載機に襲われるのは怖いわよ、翔鶴姉」

「そうなんだけど、そういう意味じゃなくてね――」

 それまで皆の意見を真剣な表情で聞いていた赤城が、そっと言う。

「――思いきりが足りない?」

 その言葉に、翔鶴が、そして残る三人もうなずいてみせる。

 赤城は双眼鏡で覗いていた演習の様子を思い起こしていた。

 たしかに雲龍の動きは生彩を欠いていた。単に練度が足りないだけかと思っていたが、これまでに何度も演習を重ねて練成はできているはずなのである。となると、本人の心持ちの問題か。

「心配ね。慢心はよくないけど、自信喪失はなおよくないわ」

 加賀が赤城に身を寄せ、そっとささやく。赤城はこくりとうなずき、言った。

「本当です。雲龍さんには新しい航空戦力を担ってもらわないといけないのに……」

 その赤城の言葉はなにげなく発したものだったが、加賀は思わず目を見開いた。

「赤城さん――?」

 加賀が不安げな声で小さく呼びかける。

 そんな加賀に気づかないまま、赤城はおとがいに手をやって考えに沈んでいた。

 

 

「――というわけでご報告にうかがった次第です」

 赤城の言葉に、報告を受けた当の本人は案の定、難しい表情をしてみせた。

「むむむむむむむ……」

 のみならず、うなってみせた。白い海軍制服に身を包んだ彼は、なかなかに年齢不詳なのだが、こういう難しい話を聞くと途端に老け込んだような空気を漂わせる。

「うなってみてもだめだぞ、提督」

 彼のかたわらに立つ、長い黒髪を流し、凛とした面立ちで武人の雰囲気をまとった艦娘があきれた顔で言う。

「んんんんんんん……」

「息を止めてもだめだ」

「……はー、ぜーはー、ぜー」

「何をやってるんだ」

「そうは言ってもだな、長門(ながと)」

 提督と呼ばれた男は、かたわらの艦娘にそう呼びかけた。

 鎮守府の主、艦娘たちの司令官。それが提督である。軍籍にあるらしいことは艦娘たちにも知られているが、実際の年齢も本名も艦娘には明らかにされていない。ただ、彼が彼女たちの尊敬と支持を集める理由のひとつが、常に戦略目標を意識しながらも艦娘のことを第一に考える思考であるからだろう。

「雲龍の練成がはかどらないことには、君がいう水雷戦隊の練成も進まないぞ」

 提督の言葉に、長門は腕組みをしてみせた。彼女は艦隊総旗艦の二つ名を持つ、この鎮守府ではいわば艦娘の総元締めといえる存在だった。とはいえ、威風堂々としながらも偉ぶらないところが、やはり艦娘たちの敬意を集めている理由である。

「たしかにそれは問題だが、とはいえ、提督がうなったところで雲龍の問題が解決するわけではないぞ」

 長門はそう言いながら、手元に抱えていた書類を机の上に置く。

 それを見てまた提督が険しい顔になる。

「……長門さんが秘書艦だなんてめずらしいわね」

 赤城と連れ立ってきた加賀が言うと、長門は肩をすくめてみせた。

「月が変わって金剛たちは沖ノ島沖に出ているし、伊勢たちも対潜掃討に出てるしな。それに現状の演習は空母陣の練成で埋まっているから、そうなると監督は赤城たちにまかせるしかない――まあ、たまにはこういう仕事もいいさ」

「兵站の復習になるだろう」

 提督がじとりとした目で言うと、長門はにやりと笑ってみせた。

「提督が胃を痛くしている理由がよくわかるな」

「先の限定作戦がなあ。わかってはいたが資源の蓄積にまた時間がかかる」

 提督はふうと息をついて、赤城に向き直った。

「まあ得たものもあったわけで、それが雲龍なんだが――そうか、伸び悩んでいるか」

 その言葉を受けて、提督の目をじっと見つめて、赤城がうなずく。

「千歳さんと千代田さんは順調に伸びてますし問題はないのですが……雲龍さんがどうにも自信を失っているようで。なんとか勢いをつけさせてあげたいんですが」

 赤城の言葉に加賀もうなずく。

「提督は何か良いアイデアはあるかしら?」

 その問いに、提督はこめかみを揉みながら、答えた。

「いますぐ何か出るか、といわれると、正直ない」

 そう言って、しかし、提督はこめかみから指を離して、

「だが、雲龍が悩んでいる理由であれば思い当たるところがないでもない」

 提督の思いがけない言葉に、赤城と加賀は顔を見合わせた。

「自分たちのことを振りかえってみるんだ。鎮守府に来たばかりの頃、どうだったか」

 その問いに、赤城は少し考え込んでから、そろりと答えた。

「わたしは……MI作戦での敗北が一番堪えてましたね。あの悔しさがあったからこそ、次こそはと思って、練度を上げてきたつもりです」

「わたしもそれは同じよ」

 赤城の言葉に、加賀もうなずいて同意する。

「そうだろう。だが間違えないでほしい。それは君たちの記憶だが、同時に君たちの記憶ではない。受け継いだ艦としての記憶だ」

 提督がふうと息をつきながら、言う。

「つまりは、雲龍もそういうことなんだろうと思う」

「――雲龍さんが艦の記憶に囚われていると?」

 赤城の問いに、提督は深くうなずいた。

「雲龍の“艦歴”については知ってるか?」

「いえ、詳しくは存じません」

 赤城はかぶりを振ってみせた。赤城も加賀もかつての戦争では最初期に活躍して、そして沈んだ艦である。その後に作られた雲龍とは接点がない。

 提督は机の引き出しから、書類をひと束取り出し、赤城に手渡した。

「読んでみるといい。かつての艦としての、雲龍の誕生から撃沈までだ」

 書類を思わず見つめる赤城に、提督は真摯な声で言った。

「できれば雲龍から話を聞いてやってほしい。君たちなら彼女の悩みを引き出せるだろう――しばし、時間をくれ。うまくいくかわからんが、俺に考えがある」

 

 畳の上に座布団を敷いて、その上に座りながら、赤城は書類に読みふけっていた。

「……ずいぶん熱心に読んでるわね」

 加賀がそっと声をかけてくる。赤城はちらと加賀に目をやって、

「ええ。提督に頂いた資料です」

 と応えたものの、すぐに視線を書類に落とした。

 赤城と加賀は寮では同室である。二人ほどの格であればそれぞれに個室を要求しても差し支えないのだが、姉妹艦の艦娘がよくやるように、二人は相部屋で寝起きしていた。その代わりといっては、部屋の内装は相当に改めており、洋室が基本の寮部屋において、赤城と加賀の部屋は畳敷きの完全な和室となっていた。相応の働きが認められている古参艦ともなれば、その程度の希望は通るのである。

 不意に、赤城は足をくずすと、ため息をつきながら、ごろんと横たわった。

「戦時艦戦建造計画に基づく、戦時急造艦、か――」

 天井を見上げながら、赤城はぼそっとつぶやく。普段の闊達な調子は失われていた。

「赤城さん?」

 加賀が目を丸くして声をかける。こちらは普段どおりの淡々とした口調ながら、声には気遣わしげな色がにじんでいる。

 赤城は、加賀に向かって、苦笑いを浮かべてみせると、言った。

「あ、ううん。大丈夫です――ただ、艦の最後を知るのはつらいわね」

 赤城の声は少し乾いていた。艦娘は艦の記憶を受け継ぐ。それは赤城も同じだ。

 そしてかつての軍艦のほとんどがそうであるように、戦没している。生き残ったのはごくわずか。多くは負け戦の中で悲惨な最期を遂げており、その記憶を受け継ぐ艦娘にとっては、それは古傷というには少々痛々しすぎた。

 もちろん、赤城にも艦としての敗北と撃沈の記憶はある。だが、最後の戦いとなったMI作戦での記憶を除けば、それまでは栄光と勝利の道程であり、必ずしも苦々しいだけのものではない。

 だが、赤城が読んだ雲龍の資料から窺い知れた艦としての生涯は、かつての戦争の状況から仕方なかったとはいえ、あまりにも惨めなものだった。

「――雲龍さんの持つ艦の記憶から察するに、あの子は空母としての実戦経験はほとんどないみたいですね。その頃は航空部隊が充分にそろわなくて、雲龍さんは輸送艦として使われていたようです」

 横たわりながら、赤城は加賀の方に顔を向けて話した。

 すとんと腰をおろした加賀が、赤城を覗き込むようにして問いかける。

「戦いの記憶がまったくない、ということ?」

「艦娘の戦いで役立てられるものはおそらくなにも」

 赤城の言葉に、加賀がおそるおそる訊ねる。

「艦としての雲龍は――どんな最後を遂げたのですか?」

 その問いに赤城は困ったように薄く笑みを浮かべて答えなかった。

 赤城の表情を見て、加賀もそれ以上は聞かない。

 いまさらお互いに遠慮する仲でもない。

 それでもなお、口に出して語ってみせるにはつらい事実と言うものはあるのだった。

 ふう、と息をつくと、赤城はぽんと手を打ち、

「そうそう、雲龍さんには後継艦がいたそうです」

 赤城はつとめて明るい声で言った。

「葛城と――それに、天城というそうですよ」

 その言葉に加賀がかすかに目を見開く。

「天城って、たしか――」

「ええ、艦としてはわたしのお姉さんに当たるはずだった名前ですね」

 赤城は身体を起こして、加賀を見つめながら言った。

「もし本当なら、艦娘としての天城さんもいずれ来るはずです。どんな子なのか、ちょっと楽しみですね」

 心なしか、赤城の声が弾む。その様子に、加賀がふと目を伏せて、言った。

「名前は同じでも、その子は赤城さんが知ってる天城ではないわ」

 加賀の声は相変わらず淡々としていたが、赤城はくすりと笑い、

「なあに? 加賀さん、ちょっと怒ってますか?」

「怒ってなど、いないわ」

「機嫌を損ねると視線をはずすのは加賀さんの癖ですよ」

 赤城はそう言うと、加賀の両肩にそっと手を添えた。

 加賀の顔が赤城に向き直る。赤城は加賀の目をじっと見つめて、言った。

「わかってます。“あの天城”が戻ってくるわけではないってことも。そして、わたしにとって、加賀さんは加賀さんで、大事な一航戦の相棒ですよ」

 そう言って、赤城はいたずらっぽく笑ってみせた。

「それとも――相棒というだけでは不満ですか?」

 その言葉に加賀の顔にかすかに朱が差し込む。照れたのだ。

「……いえ、それで充分よ」

 加賀がそう言って、肩に添えられた赤城の手に、そっと自分の手を重ねる。

 赤城と加賀は姉妹艦ではない。だが、長らくコンビを組む間柄という以上に複雑な関係だった。艦としての赤城は本来、天城型巡洋戦艦として作られていたが、条約の関係で空母としての改装が決定された。ところが震災で赤城の姉にあたる天城は建造中に破損し、そのままでは建造不可能となったので、代役として白羽の矢が当たったのが、建造計画が立てられながらやはり条約の関係で廃艦の予定となっていた戦艦としての加賀である。ただし、加賀の妹に当たる土佐は結局日の目をみることはなかった。

 赤城は姉に当たる天城を失い、加賀は妹に当たる土佐を失っている。姉妹艦ではないとはいえ、条約と震災からなる数奇な運命が彼女たちを引き合わせ、いわば擬似的な姉妹関係を作らせるに至った。

 とはいえ、赤城も加賀もどちらが姉で妹かなどと考えたことはない。

 お互いに対等な、そして信頼のできるバディであり、あるいはその絆はなまじ“血が繋がっていない”だけになおのこと強いものがあるのかもしれなかった。

 重ねられた手に、加賀の体温を感じながら、赤城はそっと目を閉じて言った。

「わたしにとって加賀さんは一人しかいない、一航戦の大事な相棒で、親友で――かけがえのない人ですよ。たとえ、いま“あの天城”が戻ってきたとしても、その立ち位置を加賀さんに取って替えるなんてできない話です」

「……そう」

 赤城の言葉に、加賀もそっと目を閉じる。赤城は続けて言った。

「加賀さんだって、“あの土佐”が戻ってきたからといって、わたしに替えるなんて考えないでしょう?」

「それはもちろん……そうよ」

「なら、それでいいでしょう。わたしたちは姉妹ではないかもしれないけれど、お互いにとりかえのきかない存在。どちらが欠けてもやっていけない――そうね、生まれは違うかもしれないけれど、沈むときは一緒ですよ」

 赤城は冗談めかして言ってみせたが、加賀はたしなめるように答えた。

「縁起でもないこと言わないで。赤城さんはわたしが守るわ」

「あら、ならわたしは加賀さんを守りますよ」

 そう返して、赤城はくすりと笑う。加賀が軽く肩をすくめてみせる。

「もう、赤城さんは調子がいいんですから」

 加賀の言葉に赤城の表情が照れ笑いに変わる。そのとき。

 ぐぎゅーくるるると能天気な音が響いた。赤城が目を丸くして、口に手を当てた。

「あら、やだ。おなかがすきましたね」

「本当。もうお昼ご飯の時間じゃないかしら」

 加賀の言葉に、赤城はうなずいてみせた。

「食堂へ行きましょうか。腹が減っては戦はできぬ、です」

 

 鎮守府には大食堂があり、艦娘たちは交代制で食事をとる。

 正午きっかりに食事をとれるのは第一線に立つ艦娘であり、二軍、三軍と優先度が下がるにつれて食事の時間はずれていく。

 「飯時風呂時も星の数次第」といわれるゆえんである。

 そして、ごくごくイレギュラーではあるが、順番など気にせずに食事を好きな時にとれる艦娘もいるわけで、赤城と加賀がまさにそれだった。

「はーい、ちょっと通りますね」

 にこやかに声をかけながら歩いていく赤城と加賀――正確には赤城のたずさえた料理の量に、目を丸くして駆逐艦娘たちが見つめている。

 赤城は器用にも、両手にお盆を持ち、その上に料理の盛られた皿を山と載せていた。

 しかも右の肘にもお盆を乗せて、そこにも料理の皿が鎮座している。

「注目されてます、赤城さん」

 加賀がそっとささやくと赤城はなにごともないように答えた。

「いまは二軍の子たちが食事時ですからね。わたしたちがめずらしいんでしょう」

「いや、わたしたちだけで注目されているわけじゃないと思うけど……」

 かく言う加賀は、お盆に白飯が盛られたどんぶりと味噌汁だけである。

 一見、極端な取り合わせだが、これはこれで二人の間では理由があるのだ。

「さて、どこがいいかしら――っと」

 赤城は食堂内を見渡すと、

「あら、あそこがいいですね」

 そう言うと、絶妙なバランス感覚で三つのお盆を抱えて歩いていく。

 赤城の見つけた席に近づいていくと、加賀はかすかに目を見開いた。

「ここは――」

「隣、いいかしら?」

 赤城が“先客”に声をかける。

 白い癖毛をまとめた穏やかな顔の艦娘が、この時は驚きに目を丸くしていた。

「は、はい。どうぞ」

「ありがとう、雲龍さん」

 赤城は軽く頭を下げると雲龍の隣の席にひょいひょいとお盆を置いていく。

 加賀はというと、ごく自然に赤城の向かいの席に腰をおちつけた。

 テーブルいっぱいに展開される料理の数々を見ながら、おそるおそるという感じで雲龍が訊ねた。

「あの……赤城さん」

「なにかしら?」

「これ、お一人で召し上がるんですか?」

 その問いに赤城はぷっと吹き出し、おかしそうに言った。

「またまた。いくらわたしでもこんなに一人で食べ切れませんよ。加賀さんとわけっこするんです」

「ああ……なるほど……って、お二人でこれだけを?」

「ええ」

 加賀がうなずいてみせる。お盆ひとつで一人前、お盆三つを二人で分けて一人半前。

 食べすぎというほどではないが、それにしても多い量である。

「赤城さんたらおかずばかりたくさん取るんですから」

「だって、新メニューは試してみたいし、定番のおかずはほしいですし、いろいろ食べてみたいじゃないですか」

「そんなだから食いしん坊魔王とか言われるんですよ」

「つきあって食べてくれる加賀さん、大好きですよ」

 赤城がにこにこしながら言うと、加賀は黙りこくって味噌汁に口をつけた。

「……くすっ……」

 やりとりを見ていた雲龍がおもわずくすりと笑みをこぼす。

 それを見て赤城が目を細めて、雲龍に声をかけた。

「雲龍さんも気になる料理があったら遠慮なくとってね?」

「あ、はい――いえ、そこまでして頂かなくても」

「この茄子の胡麻油炒めは熱々のうちに食べたほうがいいわ。あ、こっちの新メニューのゴーヤの酢味噌和えも気になるわね。いったいどんな調理を――」

 言いながら赤城は箸をかちかち鳴らして、ひょいひょいとおかずを取って行く。

 ためらいなく口中に料理を運んでいき、至福の表情で咀嚼する。

 あごを存分に動かして料理を堪能すると、ごくりと飲み込み、

「うーん、美味美味! さて、次は――」

 石炭を炉にくべる機関車の勢いで食べだした赤城を、雲龍がぽかんとした表情で見つめている。加賀はというと、赤城ほどの勢いではないが、やはり料理を手早く箸でとっていきながら、そんな雲龍をちらと見て、

「食べたい料理があるなら遠慮せずにとりなさい。なくなっちゃうわよ」

「そふよ、たへなひゃげんきになへまへんかふぁ」

「赤城さん、食べながらしゃべるのはおやめなさい」

「んぐ……はあい」

 加賀にたしなめられて赤城は照れ笑いを浮かべると、ちらりと雲龍を見やった。

 雲龍と目が合うと、赤城は、こくりとうなずいてみせた。

 何か決意した表情で雲龍がうなずきかえし、料理にそっと箸を伸ばした。

 

 

 およそ二十分の激闘であったろうか。

 三人の空母艦娘が料理の山を前に黙々とたいらげていく様子は圧巻であった。

 赤城も加賀も健啖家ではあったが、それに雲龍もつられたのか、続々と口に料理を運んでいき、しかも気を利かせた新人の駆逐艦娘がお代わりをもってくるものだから、さながら食事の砲雷撃戦の様相を呈していた。箸で喧嘩するような無作法はさすがになかったがお互いにどう先手をとるかで目配せを交し合い、箸を電撃のごとく伸ばす光景は、思わず周囲の艦娘たちがあっけにとられるほどであった。

 とはいえ、それも済んだこと。

 いまは雲龍がもってきたお茶で三人ともなごんでいるところである。

「食べた食べた……」

 赤城がくちくなったおなかをさすりながら満足げにつぶやく。

「ええ、食べました」

 お茶をすすりながら加賀も応える。

「食べすぎたかも……」

 雲龍はやや苦笑いを浮かべながら、そう話した。

 赤城がにっこりと笑みを浮かべて、雲龍に声をかける。

「どう? 元気でた?」

 その言葉に、加賀も雲龍の顔をじっと見つめる。赤城は続けた。

「おなかすくと元気でませんからね。古来、飢えた軍隊に勝利はないのです!」

「はあ、その……ありがとうございます」

 力説してみせる赤城に、雲龍はやや困惑気味にうなずいてみせた。

「もしかして、気遣ってくださったんですか?」

 おそるおそる、という調子で訊ねる雲龍に、赤城は何も言わない。

 ただ、温和な顔に、満面の笑みをたたえてみせる。

 答えはそれで充分だった。雲龍がかすかに顔を赤くしてうつむいてみせる。

「――そこでじゃ! 我輩の索敵機が敵を見つけるや、赤城が号令一番――」

 向こうのテーブルから威勢の良い声が響き、それに続いて駆逐艦娘たちがおおーっと歓声をあげるのが聞こえてくる。ベテランの艦娘が自慢話をしているらしい。

 それを聞いていた雲龍が、ぽつりとつぶやく。

「――“今回のMI作戦”は勝ち戦の代名詞なんですね」

 雲龍の言葉を聞いた赤城が照れ笑いを浮かべ、加賀がふっと口元をゆるめる。

「きわどい勝利でしたけどね。二度もあんなのはごめんです」

「赤城さんの采配ならもう一回やれるわよ」

 二人の言葉に、雲龍がさびしそうに、悔しそうに言う。

「わたしにも、そんな勝ち戦の記憶があれば、まだ――」

 雲龍はそれ以上言わない。ただ、声に出さず口を動かしてみせる。

(がんばれるのに、かしら。それとも――?)

 赤城はちらと雲龍の様子を見やって、あえて雲龍とは目線を合わせないで言った。

「艦としてのあなたの記録は見させてもらいました――」

 赤城は、すっと声を落として、

「――ずいぶんとつらかったのね」

 その言葉に、雲龍が何かをこらえるような表情を垣間見せて、言った。

「それなら、わたしが何と呼ばれていたかご存知でしょう」

「――雲龍型輸送艦?」

 赤城の言葉を聞いた雲龍が自嘲気味の笑みを浮かべる。

「ええ。空母として建造されたのに、完成した当時には航空部隊は壊滅状態。使い道は大型の輸送艦としての泥を這うような任務。一度も本格的な実戦を経験する機会もないままに潜水艦に襲われてダメージを受け、最後は積んでいた特攻兵器が誘爆して轟沈……」

 雲龍の声は淡々として乾いていて、それだけに彼女の痛みがにじんでいた。

 それを聞いた赤城は、加賀と目線を合わせた。加賀が無言でうなずいてみせる。

 赤城はかすかにうなずきかえすと、一呼吸して言った。

「だから――演習でも怖い?」

 その言葉に、雲龍の瞳が揺れた。一瞬言葉に詰まり、ややあって吐き出すように、

「……ええ、怖いです。わたしには実戦に役立てられる艦の記憶が何もない。負け戦の中を使い走りとして働いて、惨めな最期を迎えただけ。こんなわたしが、本当に実戦に出て役に立てるのか、って」

 雲龍の声にかすかに涙がまじる。それを聞いていた加賀が、そっと訊ねた。

「あなたは――それでいいと思っているの?」

 その問いに、雲龍がぐっと唇を噛んだ。

「――そんな顔をするということは、いいとは思ってないわけね」

 加賀が目を細めて言う。赤城は、うなずいて加賀に続いた。

「雲龍さん、いいこと?」

 赤城は雲龍に向き直り、その手をそっと取った。

 雲龍が赤城を見つめてくる。

 迷い子のような目線をまっすぐに受け止めて、赤城は言った。

「記憶に呑まれてはだめ。ここにいる艦娘で幸せな記憶だけの子なんて一人もいません。勇戦むなしく沈んでいった者、活躍の場を与えられないままに散っていった者、そして、かつての戦争を生き残った者ですら、仲間たちの最期を見送っていくしかなかった」

 赤城が雲龍の手を優しく握った。

「だけど、その記憶は乗り越えることができます。今回のMI作戦のように、再び巡ってきた運命を塗り替えることもできます。記憶におぼれないように、記憶を糧として、練成にはげみなさい」

 赤城の言葉に、雲龍の目に涙がじわりとあふれる。

「でも、わたしのいまの能力では――」

「提督にはお考えがあるとおっしゃっていました。長いつきあいですが、あの人は空証文を切ったことは一度もありません。必ず、提督が良いようにしてくださいます」

 雲龍の手を握る赤城の手に、思わず力がこもる。

「あなたは望まれて鎮守府に来たのです。わたしも、あなたは次の世代の航空戦力を担うための大事な戦力だと考えています。あなたは、役立たずなんかじゃありません」

 そういうと、赤城は目に強い光をたたえて、言った。

「あなたは期待されているのです――期待に応えるだけの意思がありますか?」

 赤城の言葉に、雲龍は目を閉じた。

 いったん、天井を仰ぎ、ふうっと大きく息をつく。

 再び顔を戻した雲龍が、目を開き、赤城をじっと見つめた。

 かすかな、だが、確固とした光が、雲龍の目にも宿っていた。

「はい――非力な身ですが、精一杯つとめさせていただきます」

 その言葉を聞いて、赤城がぱっと笑みを浮かべ、加賀がうっすらと笑んだ。

 

「おみごとでした」

「あら、なんのことかしら?」

 赤城と加賀は食堂で雲龍と別れて、外のベンチでくつろいでいた。

 二人で身を寄せ合って座ると、沖合いがよく見える。

 寄せては返す波をしばし眺めた後、口を開いたのは加賀だった。

「雲龍さんにやる気を出させました。わたしではああはいきません」

「そんなことはないですよ。正直、雲龍さんが艦の記憶を話し出したとき、わたしはどう答えてあげようか考えあぐねてました。加賀さんがすっぱりと聞いてくれたから、話しかけるきっかけがつかめたんですよ」

 そう言って、赤城は、にぱっと笑みをうかべてみせた。

 その表情を見た加賀が、ふっと目を細めて言う。

「そこは赤城さんの人徳ですよ。その笑顔も、勇気を与える言葉も」

 加賀の声は、どこかうれしそうな、誇らしそうな声だった。

「やっぱり、空母陣のリーダーはあなたね。MI作戦のときも思ったけど、あなたには長門さんとは違った形で皆をひっぱっていく力があるわ。長門さんが先頭に立って皆を導いていくのだとしたら、赤城さんは皆を優しくくるんで運んでくれるみたい」

 その賛辞に、赤城は、はにかみながら言った。

「照れますねえ。もしわたしがリーダー役としてうまくやれているとしたら、端々で力を貸してくれる優秀な相方がいるからですよ」

 赤城のその言葉に、加賀はふっと顔をうつむけて言った。

「……その相方としては、最近気になることがあるのだけれど」

「あら、なんでしょうか?」

 首をかしげる赤城に、加賀は静かに言った。

「MI作戦完遂から、赤城さんは少し変わったように思えます」

「そう見えます?」

「ええ。前よりも後輩の育成に熱心になりました」

 加賀はこくりとうなずいてみせた。

「さっきの雲龍さんのときもそうですが、ことあるごとに後輩の子たちに『あなたたちは次の航空戦力を担うのだから』と言ってますね。演習だってそう。千歳たちを早く練成したいなら飛龍と蒼龍を相手役にしたほうが効率はいい。なのに、練度ではいまひとつ遅れている五航戦の子も一緒に引き上げようとしてますね」

 加賀の指摘に、赤城はぺろりと舌を出してみせた。

「やっぱり加賀さんにはわかっちゃいましたか」

「演習のときに、『提督がMI作戦で何か変わったかと言っていた』と伝えた際に、目が泳いでました――本当に、嘘はつけない人なんですから」

 加賀がそう言って目を細めてみせると、赤城は大きく息をついた。

 しばし黙りこくったあと、赤城はぽつりとつぶやくように言った。

「加賀さんは――MI作戦で勝ったあと、本懐を遂げたという気持ちになりましたか?」

 赤城の不意の問いに、加賀は黙って答えない。赤城は続けて言った。

「わたしは、なりませんでした。あれほど乗り越えたいと思っていたMI作戦を勝てたというのにです。拍子抜けな感じと同時に、ちょっとした脱力感もありました」

 銀の光がさざめく海原を見つめながら、赤城は、

「その時、真剣に悩みました。わたしがこだわっていたものは本当はなんだったのか――そして分かったんです。わたしは勝ちたかったのでも、負けたくなかったのでもなかったのだと。わたしの望みは別のところにあったのだと」

「その望みというのは――なんですか?」

 そっと訊ねた加賀に、赤城はうなずいてみせた。

「受け継ぐことです。機動部隊の勝利と栄光を、次の子たちにきちんと渡すこと。わたしたちが参加したMI作戦から負け戦が始まり、続く空母の子たちには辛い戦いしか残せませんでした。その意味では雲龍さんがあんなに落ち込んだのもわたしが原因です」

 赤城は空を仰いだ。まだ強い日の光に手をかざしながら、言う。

「わたしたちが健在なうちに、戦訓を、知識を、技を、受け継いでいくこと。かつての戦いでわたしが無念に感じているのは、たぶん負けたことじゃなくて負けた後に引き継げなかったことじゃないかって――」

 赤城は加賀に向き直り、微笑んで言った。

「だから、こんどはちゃんと引き継いでいきたいんです。後輩達が、航空部隊の栄光を受け継いでいけるように指導していきたい」

 加賀はというと、かすかに眉をひそめていた。

「――赤城さんの物言いは気に入りませんね」

「あら、そうですか?」

「ええ。まるでわたしたちがいなくなるような言い方です。まだわたしたち一航戦は第一線で戦えます。言いたいことはわかりますが、そんなに勢い込まなくてもいいのでは」

 加賀の言葉に、赤城は穏やかな声で答えた。

「……永遠の勝ち戦なんてありませんよ、加賀さん。それはわたしたちが一番良く知っているはずです。提督はよくやってくれているし、他の艦娘たちも頑張ってます。それでもいつなにがあるか分かりません。そして、そのときに後悔しても遅いんです」

 赤城が加賀の目をじっと見つめながら、言う。

「だから、今度は後悔がないように、しっかりと指導したい。何があっても、残った子たちが機動部隊の栄光を担えるように――誇りを引き継げるように」

 その言葉に、加賀がふうっと息をつき、赤城を見つめ返す。

「……赤城さんの思いはよくわかりました。でも、まるでいなくなるようなことは言わないで。生き残ることも、艦娘としてのわたしたちの責務のはずです」

 加賀の言葉に、赤城が満面の笑みでうなずく。

「もちろんそう簡単に沈む気はありませんよ。わたしが沈むとしたら、加賀さんが沈むときですよ」

 赤城の言葉に、加賀が目を細める。

「今度も沈むときは一緒?」

「ええ、もちろん」

「なら、わたしは意地でも沈まないわ――あなたも一緒に生き残るために」

 そう言って、加賀が力強くうなずく。

 赤城はくすぐったそうな表情をうかべると、加賀の肩にそっと頭を預けた。

「やっぱり、加賀さんは最高の相棒ですね」

 服越しに加賀の体温が伝わってくる。

 そして加賀も赤城の体温を感じているだろう。

 二人の体温がひとつにとけあい、優しい潮風がその熱をそっとくるんでいた。

 

 数日後、赤城と加賀は連れ立って工廠を訪れていた。

 白いのっぺりとした無機質な外見は、どちらかというと医療施設を思わせる。

 その工廠の出入り口で、二人は“彼女”が出てくるのをじっと待っていた。

「大丈夫かしら……」

 心配そうにつぶやく加賀の手を、赤城がそっと握る。

「大丈夫です。あの子ならきっと改造に耐えられるはずです」

 そういう赤城の声もかすかに不安を隠せない。

 艦娘の改造は精神に大きな負担を強いる。かつての艦の記憶を再度掘り起こし、再び繋ぎ合わせるためだ。練度が高くないと改造の際のプレッシャーに耐えられないという。

 ましてや――雲龍の場合は改装設計図を用いた大規模なものだった。

 提督のアイデア。それは雲龍の空母としての性能を大幅に引き上げる改造だった。

 雲龍は特にかつての艦の記憶が悲惨なものだけに、受ける負担は並大抵ではないことが予想された。最悪、艦娘として再起不能になるかもしれない。

 それだけに、提督も無理にとは言わなかった。改造を受けずに、遠征組として鎮守府の裏方を支える仕事もあるのだと。

 だが、雲龍は改造を受け入れた。

 その選択に、赤城が言った言葉は多分に影響を与えているだろう。

 赤城にしてみれば、雲龍に無茶な決断をしいたのかもしれないという不安と、一方で、あの時に自分の思いを受け取った彼女なら大丈夫なはず、という期待もある。

 加賀が、そっと手を握り返してきた。

「赤城さんは、信じているのでしょう?」

 そっとつぶやく加賀に、赤城はこくりとうなずいてみせた。

「なら、わたしも信じられます――あの子の本当の強さを」

 加賀の言葉に、赤城が再度うなずいてみせたとき。

 静かに、工廠の扉が開いた。

 雲龍が、ゆっくりと地面を踏みしめ、歩き出してきた。

 顔色はやや白かったが、表情はどこか晴れ晴れとしている。

 赤城と加賀はたまらず駆け寄った。

「雲龍さん?」

「調子はどう?」

 二人の問いに、雲龍は微笑んでみせた。

「すごく……苦しかったです。あの最期をもう一度味わうのは。炎に巻かれて死んでいった人たち、海に飲まれた人たち、その人たちの無念が全部流れ込んできて――」

 雲龍の頬に涙が一筋伝う。涙を流しながら、しかし、雲龍は笑んでみせた。

「でも、別の思いも伝わってきました。『雲龍、おまえは本当はこんなところで終わっていい艦じゃないんだ、おまえにはもっとふさわしい舞台があるんだ』って」

 手で涙をぬぐいながら、雲龍は言った。

「わたし、望まれて生まれてきたんですね。望まれて、ここにいるんですね」

 その言葉に、赤城が、加賀が、力強くうなずく。

「ええ、もちろんよ」

「あらためて、ようこそ、雲龍さん」

 そう言うと赤城はきりと表情を締めて言った。

「雲龍さん。艤装の近代化改修が終わり次第、出動です」

 その言葉に、雲龍が目を丸くし、ついで、まなざしに強い光をたたえた。

「長門さんの指揮で、珊瑚諸島沖に出撃し、敵中枢戦力をたたいてください」

 赤城は雲龍の手を取り、続けた。

「いきなり本番だけど、いまのあなたならできると思う――やれるかしら?」

 赤城の言葉に、雲龍がうなずく。

 その目には、強い輝きが、前に進む意思が、そして誇りが宿っていた。

「はい――おまかせください」

 その返答に、赤城が雲龍の手をそっと握る。

 その上に、加賀が手を重ねた。

 三人の艦娘が目線を交わす。

 どの瞳にも、強く、たしかな光をたたえながら。

 やがて、雲龍が微笑み、加賀がうっすらと目を細め。

 そして、赤城が満面の笑みで二人に応えた。

 

〔了〕


 
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