No.718073

艦これファンジンSS vol.18(2/2)  「再会・利根の決意」

Ticoさん

めそめそしながら書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、筑摩さんロストの顛末を描いた後編、
vol.18(2/2)「再会・利根の決意」をお送りします。

続きを表示

2014-09-16 16:01:01 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1306   閲覧ユーザー数:1272

 吾輩とおぬしはいつも一緒じゃったのう。

 提督の決めた重巡強化計画に選ばれて、二人一緒に演習で練度を積んで。

 ようやく第一線に立てると思ったら、まさかの再改装じゃ。

 二人そろって航巡になれたときはうれしかったのう。

 そして悲願のMI作戦じゃ。受け継いだ記憶を乗り越えようと、二人で懸命に戦った。

 思えば、吾輩が吾輩らしく戦えていたのは、おぬしが支えておったからなのだな。

 むろん、それはこれからも変わることはないぞ。

 吾輩とおぬしは、姉妹なのじゃから、ずっと、ずっと一緒じゃ。

 ――すっかり冷たくなった体をおぶさりながら、彼女はずっと語り続けていた。

 たとえその声がもう届かないのだとしても、彼女は声をかけずにはいられなかった。

 周りの者もそれを止めようとしなかった。たとえ、それが陰鬱な空気を増すばかりといってもいくらかでも彼女が慰められるなら、それをよしとした。

 緑の上着、深いスリットの入った黒いスカート。髪をツインテールに結んだその面立ちは、どこか幼さを感じさせた。普段は闊達な笑顔を見せるその顔は、いまは悲しみに打ちひしがれている。本来ならば彼女の体の各所には鋼鉄の艤装がいくつもついているのだがいまはおぶるのにじゃまになるからとはずし、仲間に運んでもらっている。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 彼女は姉で、おぶっているのは妹である。姉妹艦なのだ。

 共に暮らし、共に戦い、どこまでも一緒にいようと誓った、一人きりの妹。

 先の戦いで敵戦艦の直撃を受け、動かなくなってしまった妹を、それでも助ける望みを捨てきれずに、彼女はおぶって本拠地たる鎮守府へ運んでいるのだった。

 航空巡洋艦、「利根(とね)」。

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 永久不滅の存在などいない。それは艦娘とて同じである。戦い続ける限り、いつかはその時が来る。ただ、それがわかっていても、いざ目の前にするとそれを容易に受け入れられる艦娘は誰一人としていないのも事実なのである。

 

 鎮守府には雨が降りしきっていた。

 岸壁では、白い海軍制服に身を包んだ提督と、長い黒髪を流した凛とした艦娘――艦隊総旗艦の二つ名を持つ長門(ながと)が立っていた。提督は沈痛な表情を浮かべ、長門はあえて表情を消していた。

 艦娘たちが帰ってくる。北方戦闘哨戒をなしとげ、本来ならば勝利の凱旋である。

 だが、艦娘たちの表情は一様に暗く、沈み込んでいる。

 桟橋につくや、すぐに担架が運ばれてきた。

 利根がおぶっていた艦娘――筑摩(ちくま)を乗せて工廠へと向かう。

 もちろん、利根はそれに付き添った。提督とすれちがったが、利根は無言のまま、提督を一瞥もせずに、担架に横たわる筑摩の顔だけを見つめていた。

 栗色の長い髪を雨に濡らし、顔に険しい表情を見せて、一同を率いてきた艦娘が提督に敬礼する。北方第一部隊の指揮をとっていた、戦艦の金剛(こんごう)である。

「北方戦闘哨戒、終えマシタ」

 金剛の声は硬く、そして冷えきっていた。

「我が方の損害は多数。筑摩が――撃沈されたデス」

 その報告に、提督は短く答えた。

「ご苦労だった。各自ドックに入って休んでくれ。当面、出撃はない」

 降りしきる雨と、軍帽の陰に隠れて、提督の表情は読み取れない。

 金剛は何か言いたげではあったが、きっと唇を噛みしめると、無言でその場を去っていった。他の艦娘もそれに続く。ある者は提督を見ようとせず、ある者は涙を浮かべながら提督を見つめ、そしてまたある者は怒りの形相で提督をにらみつけていた。

 冷たい雨の中、残されたのは提督と長門だけである。

 二人ともしばし無言だったが、やがて口を開いたのは長門のほうだった。

「あなたの責任だ」

 開口一番、有無を言わせぬ口調で長門はそう言った。

「あなたの命令で筑摩を失った。あなたの判断ミスが筑摩を沈めることになったんだ。いつもの『帰ればまた来れる』という言葉を忘れたのか? 筑摩がたとえやれるといっても帰らせるべきだったんだ」

 長門の声は、刀で切りつけるのではなく、むしろ峰で打ち据えるようだった。

「あなたには、彼女を帰らせる義務があったんだ」

 その言葉に、提督は声を絞り出すようにして答えた。

「たしかに、すべては俺の責任だ。何と言われても仕方がない」

 提督の返事に、長門はふうと息をつき、顔をしかめて言った。

「なあ、提督。そんなに勲章がほしかったのか――艦娘を犠牲にしてまで」

 長門の問いに、提督は答えない。無言のまま、雨に打たれるだけだった。

 またため息をつき、長門は工廠の方を見やった。

「日向(ひゅうが)のときと同じだな。かろうじて素体は回収できた。あとはどうなるかは明石(あかし)と夕張(ゆうばり)の腕次第だ。だが、わたしたちが知る筑摩は、もう二度と帰ってこない」

 その言葉に、提督がゆっくりと長門に向き直った。

 提督の目を見て、長門は三度目のため息をつき、言った。

「殴ってほしいのか? わたしにそれを期待するのはお門違いだぞ。あなたを殴るとしたら、それは別の誰かの役目だ――金剛たちのもとへ行く。彼女たちにも声をかけてやらねばならんからな」

 長門はそう言い置くと、その場を後にした。

 残されたのは提督ただ一人。

 彼は雨に打たれながら、拳をにぎりしめ、奥歯を噛みしめた。

 うめくような声で、彼は言った。

「俺は――また間違ってしまったのか?」

 

 工廠はその名称とは裏腹に外装も内観も白いのっぺりとしたつくりで、どちらかというと研究所や医療施設を思わせるつくりだった。

 その一角、筑摩が運ばれていった部屋の扉をじっと見つめながら、利根は毛布にくるまって通路に座り込んでいた。利根自身も損傷を受けている。入渠して休んではどうかという言葉に従わず、利根はずっと扉を見つめ続けていた。

 筑摩が運ばれたのは、艦娘が傷を治すいつものドックではなかった。それは工廠のもっと奥にあり、幾重もの扉の先、利根が見たこともない場所だった。

 扉の向こうには、筑摩が運ばれ、明石と夕張が付き添っていた。

 利根は中に入ることを許されなかった。

 それでも扉の前で待つことは特例として許可された。

 本来なら利根は工廠の外で待っておくべきなのを、あくまでも中に入ると言う彼女に根負けして明石が許してくれたのだ。

 扉を見つめながら、利根は毛布にくるまり、ごろんと廊下に横たわった。

(筑摩、早う出てこい。おぬしが出てくるまで、吾輩はずっと待っているぞ)

 そう心の中でつぶやきつつ、利根はいつしか瞼が重くなるのを感じていた。

 

 

「明石さん、どう思う?」

「撃沈されてからだいぶ時間が経っている――戦闘記憶はもちろん、生活記憶も意味消失して、元の人格をサルベージできるかもあやしいかな」

「艤装の残骸に記憶の一部が残っているかも。どこまで修復できるかわからないけど」

「じゃあ、夕張さんはそちらをお願い。最悪、記憶と人格のパッチワークになるわね」

「――提督からはなんて?」

「どれだけ資源を費やしても構わない、なんとしても筑摩の回収に全力をあげてほしいって。資源が尽きたら、自分が裏ルートを使ってでもどうにかする、って」

「そう。じゃあ、わたしたちはできるだけのことをしましょう」

「ええ。どこまでうまくいくかはわからないけど」

 

 利根は目を覚ました。いつのまにか寝てしまったらしい。

「いかんいかん、筑摩が出てきたときに寝こけておってはしめしがつかん」

 そうひとりごちると、利根は目をこすりながら、目の前の扉を見つめた。

 ぼんやりとした頭で、白い扉を見つめる。

 いつになったら開くのだろう。もしかしてもう二度と開くことはないのではないか。

 そんな考えが頭をよぎり、利根はぶんぶんとかぶりをふった。

 そんなことはない、そんなことはないのじゃ。筑摩は必ず戻ってくるのじゃ。

 自分にそう言い聞かせつつ、しかし、心の中でもう一人の自分がささやく。

 もう認めようではないか。筑摩は沈んでしまったのじゃ。

 おぶって帰ったあの身体も、抜け殻にすぎんではなかろうか。

 筑摩が最後の息をはくところを、吾輩はたしかに見たではないか。

「……ちくま……」

 利根がそうつぶやき、その頬に涙が一筋伝った、その時。

 音もなく、目の前の扉が開いた。

 床を、白い靄が伝って流れだしてくる。

 その中を、誰かが歩き出してきた。

 すらりとした長身。流れる黒い髪。

 その顔を目にして、利根は息をのんだ。

 筑摩だった。筑摩が、きょろきょろと周りを見回しながら、歩いてきたのだ。

 利根は勢いよく立ち上がり、思わず筑摩に抱きついた。

「筑摩! 筑摩、筑摩! 無事じゃったか! 助かったのだな!」

「あの……えっと……」

 戸惑い気味の声も確かに筑摩のものだった。

 利根はあわてて身体を離すと、筑摩の顔を見つめながら言った。

「おお、おお。いきなり抱き着いてすまん。どこか……痛むのか? 身体の具合はだいじょうぶなのか?」

 勢い込んで話す利根に、筑摩は、ためらい気味に訊ねてきた。

「えっと……利根姉さん、ですか?」

「うむ、いかにも! おぬしの姉妹艦の利根じゃ!」

「そうでしたか。はじめまして、利根型二番艦、筑摩と申します」

 利根と同じ顔、同じ声。しかし他人行儀な口調。

 そこで初めて利根は違和感に気付いた。なにか、おかしい。

「……のう、筑摩。その服装はどうしたのじゃ」

 利根は筑摩をまじまじと見つめながら言った。筑摩の衣装は緑と柿色の上着とタイトミニを合わせた格好だった。利根とお揃いではない。

「どうしたと言われても……これがわたしたちの制服じゃないですか。利根姉さんこそ、そんな変わった格好してどうしたんですか?」

「どうしたもなにも……これがわれら利根型航巡の制服ではないか」

 利根の言葉に、筑摩は怪訝そうな顔をしてみせた。

「航巡……? あの、利根姉さん。わたしたちは重巡のはずでしょう?」

 筑摩の言葉に、利根はふるふると頭を振り、次いで訊ねた。

「そうじゃ! MI作戦じゃ! 覚えておるか? 赤城と加賀を守って――」

「えっと……ああ……あれは残念な戦いでしたね。わたしたちがもっとしっかり索敵できていれば、かつての戦いで一航戦と五航戦を失うことも――」

「違う! 違うのじゃ! おぬしはおぼえておらぬのか!」

 いつの間にか利根の声は涙まじりになっていた。

「北方のAL海域に出撃して、おぬしはひどいダメージを受けたのじゃ! それで、ここに運ばれて、明石と夕張に手当されて、戻ってきて――そうであろう!?」

「なにを言ってるんですか、利根姉さん」

 筑摩の声は利根の記憶通りで。それだけに続く言葉は利根を打ちのめした。

「わたし、今日この鎮守府に来たばかりじゃないですか」

 その言葉に、利根はわなわなと震え、目をみはりながら頭を振った。

 筑摩の顔。筑摩の声。だが――利根の知らない誰か。

 後ずさりながら、利根は震える声で言った。

「おぬしは……いったい誰なのじゃ……?」

 

「はい、お姉さま、紅茶をどうぞ」

「ソーリー、榛名。わたしが淹れる約束なのに……」

「気にしないでください、お姉さま。北方出撃でお疲れなんですから」

「日向さんに続いて二人目ですね。戦没者が出たのは」

「あれ? 霧島、そういうことになってるの?」

「そうですよ、比叡姉さま。いくらなんでもあれでは助からないでしょう」

「おかしいなあ。筑摩なら昨日、工廠のそばで見かけたよ」

「本当ですか?」

「うん、服は変わっていたけど、あの顔は間違いなく筑摩だった。なんか、長門さんがあちこち案内してるみたいだったけど」

「なんですか、それは。まるで新人の艦娘じゃないですか」

「……筑摩は昨日付で復帰デース。ただ当分はリハビリのため、優先的に演習に加えて練度を回復させるそうデス」

「金剛お姉さまはなにかご存じなのですか?」

「なにもかも知ってるわけではありマセン。それにこのことはあまりあなた達が知るべきことではないデース。ワタシも長門に聞かされて初めて知ったくらいデース」

「えーっ、気になるなあ。いったいなん……わっ、どうしたんですか、お姉さま」

「あの、急に抱きついてきて、いったい――」

「お願いですカラ。あなたたちはワタシを悲しませるようなことにはならないでくださいネ。妹に『はじめまして』なんて言われるのは、ワタシはまっぴらデース」

「お姉さま……?」

 

「……あれから一週間か」

 桟橋でいつも通りに釣り竿を垂らしながら、伊勢(いせ)はそうひとりごちた。

 いっときは沈んだ雰囲気だった鎮守府は、ひとまずいつもの活気を取り戻したように見える。起こってしまった悲劇にいつまでもつきあえるほど、艦娘は暇ではないのだ。

 演習、出撃、作業、と提督からは矢継ぎ早に指示が下される。

 身体を動かしていれば、気はまぎれるものだ。

 それで大概の艦娘はいつの間にか心の折り合いをつけていくものなのだ。

 かつて、日向のときにそうだったように。

「せめて人間みたいに葬式でもあげられればねえ。もうちょっと早く整理がつくだろうけど。艦娘にはそれさえないしなあ。時間が経ってうやむやになるしかない、か……」

 そうつぶやいて、伊勢は仕掛けを引き上げた。餌が持って行かれている。

 軽く舌打ちして、餌を付け直し、伊勢は竿を再び垂らした。ぽちょんという水音が耳に心地いい。その音が伊勢に別の想念を呼び起こした。

「それに、当の本人がいる以上、葬式なんかやれない、か……」

 誰に語るでもなく、そう口にした伊勢は、ふと岸壁をうろうろする艦娘を見つけた。

 それが誰かを確認して、伊勢はため息をつく。

 こっちの方の釣りは望んでもいないのにかかってくるらしい。

 伊勢は立ち上がると、大きな声で呼びかけた。

「おーい、筑摩じゃん、どうしたの?」

 その声に応じて、艦娘――筑摩が駆けてくる。

「ごめんなさい、人を探していて。あの、どちらさまでしょうか?」

「ああ、うん、まだ初めてだったか――伊勢型一番艦、伊勢。よろしくね。いちおー戦艦ではこの鎮守府の最古参ってことになってるから、困ったことがあったら聞いてちょうだいな――それで、どうしたの? 人探し?」

「ええ、はい……あの、利根姉さんのことなんです」

 筑摩は困ったような笑みを浮かべながら言った。

「工廠で会ってから、わたしと話してくれようとはしてくれなくて。なんだか、物陰からわたしのことを見てるようではあるんですけど、近づくと逃げてしまって」

 そう言うと、筑摩を空を仰いで、自分の頭の中を探るような表情をした。

「おかしいんです。利根姉さんとは一週間前に会ったばかりなのに、なんだかずっと前から知ってる感じもしていて。利根姉さんが着ていた服も、自分はたしかに前に着ていたような気がして。姉さんと話せれば、もっとなにかわかるのかな、と思ったんですけど、肝心の姉さんが会ってくれようとしてくれなくて」

 筑摩の言葉を伊勢は神妙な顔で聞いていたが、応えた言葉は、

「ふーん、あんたの場合はそういうことになってるのか」

「……伊勢さん?」

「まあ、ちょっといろいろ戸惑うだろうけどさ」

 伊勢は筑摩の肩にぽんと手を置いて、優しい声で言った。

「いまの筑摩は演習で練度を上げることだけ考えていればいいよ。きっと、そのうちうまくなじむようになってくる。記憶も、なにもかも。利根のことは――まあ、近いうちになんとかなるよ。それはわたしが保証する」

 伊勢の言葉に、筑摩は不思議そうな表情を浮かべていた。

「そうだ。わたしの妹で、日向ってやつがいるんだ。もし、筑摩がもっといろいろなことが気になりだしたら、一度あいつと話してみるといいよ。まちがいなく、筑摩の助けになってくれるはずよ」

「あの、よく、わからないのですけれど」

「いまは無理にわかる必要はないんだよ――それより、そろそろ昼の演習の時間じゃないかな。いますぐいかないと間に合わないよ?」

「――あっ、そうでした。すみません、これで失礼します」

 筑摩はぺこりと頭をさげると、その場を後にした。

 その後ろ姿を見送りながら、伊勢は大きくため息をついた。

「あーあ、かけあっちゃった以上、やるしかないよねえ」

 ややうんざりした口調で伊勢がひとりごちたとき。

「伊勢さーん!」

 自分の名を呼ぶ声に、伊勢は振り返った。

 亜麻色の髪をひるがえしながら、小柄な艦娘が勢いよく走ってくる。

「おう、島風(しまかぜ)じゃん。伝令ご苦労さま――提督でしょ?」

 そう言われて、島風はきょとんとした顔をしてみせた。

「へ? あれ? どうしてわかったの?」

「この状況でわたしを呼ぶとしたら、提督以外にいないからだよ」

 島風の頭をぽんぽんとたたきながら、どこかあきれた声で伊勢はつぶやいた。

「しかし、わたしを呼ぶのに一週間かかったか……ヘタレ提督め」

 伊勢はそう言うと、足元のクーラーボックスからラムネを取り出した。

 一本を島風に渡し、もう一本はすぐに開け、勢いよく飲み始めた。

「ぷはーっ、景気づけ完了。んじゃ行ってくるわ」

 伊勢はそう言うと、ラムネの空き瓶を握ったまま、すたすたと歩きだした。

 

 

 提督執務室のマホガニーの扉は、通常、艦娘には敷居が高い。

 部屋の主がいないときに掃除に入るときさえ、躊躇する艦娘がいるほどだ。

 その扉を、しかし、伊勢はノックもせずに勢いよく開けた。

 部屋の中央には、白い海軍制服を着こんだ提督が立っている。

 扉を開けてずかずか入ってきた伊勢を見るや、彼は言った。

「――君をここに呼んだのはほかでもない」

 それを聞いて、伊勢はふんと鼻を鳴らした。

「もし他の用事で呼んだのなら、あなたの思考を疑うよ。でも用事を聞く前にひとつだけやっておくことがある――提督、頭を下げてちょうだい」

「……こうか」

 提督が身をかがめて頭を下げる。

 軍帽をかぶったままのその頭を、伊勢は手にしたラムネの瓶で思い切り殴った。

「…………っ」

 苦痛のうめきをこらえる提督に、彼女は怒りに満ちた声で叫んだ。

「誰がわたしの仲間を増やせって言ったよ! このバカ提督!」

「……すまない」

「日向のことはさ、わたしも悔しかったよ。悲しかったよ。正直、提督を恨んだよ。でもさ、これで提督がきっちり学んで、こんな思いをする艦娘がもういなくなるなら、それはそれで仕方がないことだと思っていたさ――けど、あんたはまた同じミスをした! なんでだよ!」

「……すまない」

「それで答えになるか!」

 伊勢は怒鳴りながら、提督の襟首をつかみあげた。

 苦しそうな表情を浮かべながら、提督がうめくように言った。

「焦りがあったのかもしれない。油断していたのかもしれない。すべての責任は――俺にある。なんと言われようと、恨まれようと、仕方がない」

「あんたを恨んだところで筑摩が帰ってくるか!」

 伊勢はラムネの瓶で提督の胸を突いた。

 提督が胸を押さえて床にしりもちをつくのを見下ろしながら、伊勢は言い放った。

「提督だって人間だよ。それはわかってる。ミスがまったくないなんてことはない。神様じゃないんだからね。それは艦娘の誰もが承知していることだよ」

 荒れ狂っていた伊勢の声は落ち着きを取り戻していたが、しかし、その水面下には怒気が充満していた。

「けどね、艦娘の生き死に関する判断だけはミスしちゃいけないんだ。それはあんたが提督をやっていくうえで最低限守るべき義務だ。そんなこともわからないなら、もっぺん新米少佐からやりなおせ!」

 そうしかりつけると、伊勢は黙りこくったまま、提督をにらみつけた。

 やがて、おそるおそるといった様子で、提督が口を開いた。

「……それで、君に頼みたい件なんだが……」

「――利根のことでしょう? わたししか、いまのあの子をわかってあげられる艦娘はいないからね。あんたがやるなと言ってもやるつもりだった」

「すまない……頼む」

 懇願するかのような提督の声に、伊勢は顔をゆがめた。

 笑っているかのような、怒っているような、泣き出しそうな顔だった。

「あんたのためにやるんじゃない。利根と筑摩のためにやってあげるんだ」

 

 鎮守府の端っこの岸壁でうずくまる利根を、伊勢が見つけたのは、執務室を後にしてたっぷり一時間ほど後のことだった。

 伊勢が近づいていくと、利根は生気のない瞳でいったんは伊勢の顔を見、そして再び海の方へと目を向けた。

 すっかりぬるくなってしまったラムネを利根のかたわらに置くと、伊勢はたずねた。

「隣、いいかな」

 その言葉に、しばしの沈黙を経て、利根がこくりとうなずく。

 伊勢も岸壁に腰を下ろし、海を眺めた。

 演習中の艦娘の描く航跡が見てとれる。

 伊勢は、ぽつりと言った。

「あれは――筑摩ね」

 利根がうなずき、同じくぽつりと答えた。

「之字運動から練習しておる。基礎の基礎ではないか」

 その声には、どこか悔しそうな色がにじんでいた。

「仕方がないよ。筑摩はそこからやり直すしかないんだから」

「前の筑摩はのぅ」

 とつとつと、利根は話し始めた。

「あんな動きはしなかった。もっとなめらかで、流れるようで、姉ながら見ていてほれぼれしたものじゃ――それが、なんじゃ、あの動きは。まるで新米の艦娘ではないか」

 伊勢は自分のラムネを開け、一口あおると、言った。

「筑摩はあんな目にあったんだもの。戻ってきただけで御の字と思わないと」

「……本当に、戻ってきたといえるのか……?」

 利根がゆっくりと伊勢の方を向く。その目には涙が浮かんでいた。

「吾輩に初めましてといった。航巡なんて知らないという。MI作戦のこともおぼえていない。それに、物陰から見ていて思ったのじゃ。どこがというわけではないがの、何気ないしぐさが吾輩の記憶にある筑摩とは微妙に違う――それで、戻ってきたと言えるのか? あれは筑摩の顔をして、筑摩の声をした、別人ではないのか?」

 利根の声は震えていた。それはきっとこの一週間、ずっと利根がこらえてきて、吐き出したいと思っていた疑念だったのだろう。

 伊勢は、ふうと息をついた。

 かつてたどった道を、利根もたどろうとしている。

 結局は遺された者が克服するしかないのだ。

 どう考えるかは、利根自身が決めることだ。

 だが――回り道をしないで済むようにはできる。

 伊勢はそう思った。

「たしかにね……あの子は筑摩だけど、利根の知ってる筑摩じゃないかもしれない。それでも、あの子が筑摩なのには変わりはないんだよ」

「なんじゃそれは……まるでなぞなぞではないか」

 利根が涙をぬぐいながら言うのに、伊勢は穏やかな声で言った。

「でもね、それが事実なんだよ。わたしたちは、それを受け入れるしかない」

「……そうか、おぬしも日向を失っておったのじゃの」

「利根と同じだよ。目の前で逝っちゃった」

 伊勢は悲しそうな微笑みを浮かべてみせた。

「のう……伊勢はどうやって、いまの日向を受け入れたのじゃ。最近は仲も良いように見えるのじゃが」

「そうだねえ……とりあえず、前の日向とは別人だと思うことにした。過去は変えようがないけどさ、これからはどうにかできるわけじゃない? 前の日向にとらわれてうじうじ悩むより、新しい日向ときちんとした関係を築こう、って――ずいぶん、回り道しちゃったけどね」

 伊勢の言葉に、利根は信じられないといった顔で訊ねた。

「それで――おぬしは耐えられるのか。苦しくはないのか」

「ときどきは、ね。でも、結局、割り切るしかないんだよ。もちろん、利根には利根の割り切り方があるだろうから、わたしのやり方を押し付ける気はないけど」

 そう言って、ラムネをあおると、伊勢は利根の目をじっと見つめて、言った。

「ただひとつ、これだけは忘れないで。かつて共に過ごした記憶を失っていても、日常の何気ない振る舞いが前と違っていても、それでも、いまの筑摩にとっては、利根はあなた一人しかいないし、それはいまの筑摩にとって知っている唯一の姉なんだ、って」

 その言葉に、生気を失っていた利根の目に、かすかな、だが確かな光が宿るのを、伊勢はみてとった。利根は、ラムネを手に取ると、ぽんとガラス玉を押しこんで開けた。

「遠慮なくいただくぞ」

「どうぞ」

 伊勢がほほえむと、利根はラムネを一息にあおった。

 ごくごくと飲み干すと、大きく息を吐き、自らの頬をぱしんとたたいた。

「景気づけじゃ! 伊勢、ありがとうなのじゃ!」

 利根はそう言うと、ぺこりと頭を下げ、いくらか軽い足取りで駆けて行った。

 その後ろ姿を伊勢は見送る。

 がんばれよ、と心の中で声をかけながら。

 

「あの……利根姉さん、本当に相部屋でいいんですか?」

「かまわんかまわん。姉妹艦は同じ部屋が基本なのじゃ!」

 その夜、利根は筑摩を自分の部屋に引っ越させていた。

 あの出撃から戻ってきてからは別々の部屋だったのだが、何やら心配そうな提督をじろりとにらみつけると、要望はすんなり通った。

 利根はベッドに腰掛け、部屋の中を珍しそうに眺める筑摩を見ていた。

(やはり、おぼえていないのじゃな)

 かつては、筑摩も住んでいた部屋だというのに。

 いま彼女が見つめている調度は、筑摩が使っていたものだというのに。

 利根は大きく息を吸うと、つとめて穏やかな声で言った。

「のう、筑摩。ちょっと隣に座るのじゃ」

 その言葉に、不思議そうな顔をしながらも、筑摩は応じた。

 利根とは少し距離を置いて座る彼女に苦笑いして、利根は言った。

「遠慮はなしじゃ。もっとくっつくがよいぞ!」

「こ、こうですか?」

 筑摩の身体が利根にぴったりつく。その体温が服越しに、じわりと伝わってきた。

「これからだいじな話をする。よいか、筑摩」

「はい……なんでしょうか?」

「おぬしはな、おぼえておらんかもしれんが、前の出撃でそれはそれはひどい怪我をしたのじゃ。九死に一生を得て、なんとか助かったのじゃ。いろいろとわからないことや知らないことや覚えていないことがあるじゃろうが、それはダメージのせいでちょっといろいろ忘れているだけなのじゃ」

 利根の言葉は、筑摩に話しかけているように見えて――その実、自分に言い聞かせているようだった。

「おぬしはあくまでも吾輩の知っている筑摩なのじゃ。だからの、前と同じようにおぬしには接する。ひょっとしたら、おぬしが覚えていないことや知らないことを話したりするかもしれん。その時は遠慮なく吾輩に聞くがよいぞ。何があったのか、どういうことなのか、きちんと教えてやるからの」

 そう言って、利根は顔をうつむけた。ぶるっと肩を震わせて、彼女は言った。

「それで……それでの。おぬしに教えている最中に、吾輩はちょっぴり泣いてしまうかもしれん。それはな、吾輩の心が弱いせいで、筑摩が悪いわけではないからの。もし泣いてしまったときは落ち着くまでそっとしておいてくれんか。なに、吾輩は筑摩よりお姉さんなのじゃ。泣いても……すぐに落ち着く……」

 筑摩は、利根の言葉を黙って聞いていたが、そっと口を開いて、言った。

「泣いてしまうかも、って、それっていまみたいにですか?」

 落ち着いた声でそう言われて、利根はうつむけた自分の顔から涙のしずくがぽたぽたとしたたっているのに気付いた。あわてて、涙をごしごしぬぐい、利根は笑ってみせた。

「これはな、なんというか――気にするな! 気にすると負けじゃぞ!」

 両目を覆う利根の手からあふれて、涙が幾筋も頬を伝う。

 そんな利根を、筑摩は、やわらかく抱きしめた。

 息を呑む利根に、彼女は、そっと優しい声で言った。

「姉さんの言ってることが、わたしにはよくわかりません。わたし自身、自分がどうなってしまったのか、わからないでいます。だけど、ひとつだけわかることがあります」

「……なんじゃ」

「利根姉さんは、わたしの前では我慢しないでいいんです。泣いちゃうときは、存分に泣いてください。そしたら、泣きやむまでわたしは姉さんをずっと抱きしめてあげます」

 別人かもしれない。筑摩の顔と声をした、別の誰かかもしれない。

 それでも、その優しさは、かつての利根が知っていた筑摩そのものだった。

「――ちくまあぁぁぁぁぁ!」

 利根は、わっと泣き出し、筑摩の身体にしがみつくと、わんわんと泣き出した。

 そんな利根を、筑摩は優しく抱きしめ、背中をゆっくりとさすった。

 泣き止むまで、ずっと、二人は何かを確認するように抱きしめあっていた。

 

 伊勢の朝は早い。釣り場の確保は早朝に限るのだ。

 釣り道具一式とクーラーボックスを抱えて鎮守府内を歩く伊勢は、ふと、手をつないだ二人組の艦娘を目にした。

「お、伊勢ではないか! 早いのう!」

「おはようございます」

 利根が明るく声をかけ、筑摩がぺこりと頭をさげる。

「おはようさん、ってこんな朝早くから何してんの」

「なに、たいしたことではないのじゃ」

 利根がうなずいてみせる。

「筑摩はいろいろと忘れておるようじゃからの。吾輩が改めて教えておるのじゃ」

「姉さんの話、とても面白いです」

「他人事のように言うが、おぬしも体験したことなのじゃぞ?」

「そうでした。そうでしたね」

 利根の言葉に、筑摩がにこにことしながら応じる。

 伊勢は、利根の顔を見、筑摩の顔を見、最後につないだ二人の手を見た。

「そっか……あんたはそういう道を選んだんだ」

 ぽつりと言った伊勢の言葉に、利根が目を細めて答えた。

「どれだけ時間がかかるかわからんがの。必ず吾輩は筑摩を取り戻してみせる」

 その言葉は、それほど力強い声ではなかった。

 利根自身も不安はあるのだろう。だが、利根は決めたのだ。

 自分のため――そして、筑摩のために。

 伊勢は、ふっと微笑んで言った。

「今度、日向も混ぜて甘味処へ行こうか。ごちそうするよ」

「ほんとか! 楽しみじゃの、筑摩!」

「はい、利根姉さん」

 二人はうなずくと、伊勢に頭を下げ、歩み去っていった。

 伊勢は、そんな二人をずっと見送っていった。

 自分ではできなかった選択。自分ではたどれなかった道。

 それに利根は挑もうとしている。

 伊勢は、自身の選択に悔いはない。

 それでも、手をつないで歩いていく二人を見て、素直に思うのだ。

 うらやましいなあ、と。

 

 

〔了〕


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
1
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択