魔道衣に着替え、身支度を整えても寝癖が直りきらないエディが食堂に現れた頃には、既に皆は食事を終えたのか、一度に五十人は座れる女子寮の食堂は隙間が目立ち、いくつかのグループが残って登校前の雑談に花を咲かせていた。
その雑談グループの一つにマリーナの姿を見付けエディは駆け寄った。
「マリーナごめん、待っ……げっ」
「何が『げっ』なのかしらエディさん? それが朝の一番の挨拶だなんて、いくら私でも傷付きますよ」
朝から意味ありげな満面の笑みを振りまく女性。食後の紅茶なのだろう、ティーカップを両手で優しく持つ姿はまさにお嬢様、まさに絵になっている。黒髪の長髪で目元に泣きぼくろのある美人とくれば、バストロ魔法学園に一人しかいない。
「ごめん、エディ。会長に捕まった」
マリーナが薄笑いで舌を出していた。その謝罪はまったく気持ちがこもっているようには見えはしない。
テーブルにマリーナと一緒に座っていたのは、このバストロ魔法学園の現生徒会長にして、今エディ達が住まう第二女子寮の寮長まで兼務する、堅物で有名なクラン・ラシン・ファシードだった。
生徒の自主性を重んじ、魔法の教授以外踏み込んだ生活指導をしない魔法学園では、生徒会長がその自治権を一任されているといっても過言ではない。それだけの権限を持っているのに、圧力を感じさせない物腰で割と人気があるクランだが、役職責務に正直なのか、生活態度の悪いエディには口うるさいのだ。
昨日学内では『呪詛』の件で助けてもらったが、夜更かしばかりして朝起きるのが遅いエディにとって、寮内ではあまり会いたくない人物でもある。
そしてその横にはもう一人少女がいた。到底霊装には見えないフリルをあしらった魔道衣を着たローズ・マリーフィッシュだ。初等学校の生徒と言われても違和感のない小さい体と幼い顔立ちで、朝からお菓子をつまんでいる様子はあまりに子供っぽい印象を受ける。
「エディさん。さぁ、こちらに」
クランがにこやかに席を勧める。彼女の目の前、対面の席にはご丁寧にエディの朝食が用意されていた。
そこまでされては従う他ない。エディが席に座ると、早速とばかりにクランが身を乗り出し、話を切り出した。
「エディさん。あなた確か一限の講義を入れていましたね。だから講義に遅れないように食べながらでいいので話を聞いてください。本来なら人に迷惑をかけていないのだからいい、と言ってあげたいのですけど、私にも寮長として、あなたの生活態度を注意する責任があります。いえ、本当に私はあなたを咎(とが)めるようなことは言いたくないのよ」
どう考えても咎(とが)めてるじゃない、と口を挟みたかったエディだが、それは逆効果と知っているので押し黙った。
そして横目に、どうして私の履修している講義を把握しているのよ、とマリーナに抗議の眼差しを向けるが、彼女は懸命に首を横に振る。
どうやらマリーナが喋ったわけではないようだ。クランと同じ講義を取っていないエディにとって、彼女との接点は寮内ぐらいなものなのに、どうして履修講義まで把握されているのか、エディは不思議でならなかった。
「エディさん。あなたが夜な夜な寮を抜け出して苦手な魔法制御の練習をしているのは知っています。そういう隠れた努力は私個人としては嫌いじゃないんですけど、それで毎日寝過ごしてどうするんです。顔もこんなに肌荒れしているじゃないですか。女の子なんですから、もっと気をつけないといけませんよ」
「そばかすは母譲りで、肌の手入れは関係ない……」
「いいえ。そういうのは日頃のお手入れがものを言うのです。我がファシード家に伝わる薬液を毎日使えばそんな肌荒れなど立ち所に」
「そんな妖しい薬、気持ち悪」
横にいたローズ・マリーフィッシュが平然と漏らす。相変わらず毒舌が勝手に口から出る子だと、エディは自分の立場も忘れて嘆息した。
「ローズさん。何か言いましたかぁ?」
優しい声で聞く生徒会長が、ローズに破顔した笑顔を向ける。
彼女をよく知らない者が見れば、男性たちを魅了する至福の笑顔なのだが、エディたちは幾度となくその笑顔を向けられているので知っている。あれは怒っているのだ。それも結構本気で。会長のご機嫌を機敏に感じてか
「はい。エディにも是非とも至貴なるファシード家の呪薬を存分に活用して、健康美を手に入れるべきだと言ったのです」
と、いつもは口数の多くないローズが淀みなくすらすらと言った。
「あら。ローズさんはよくわかっているじゃない。ほほほほ」
青筋立てるほど怒っていたはずが、そんな上辺だけの取り繕いの言葉で納得するなんて。そんな態度を見せられると、この生徒会長が行う学生自治に不安を感じざるを得ない。それ以上に幼い顔をして何という身替わりの早さかと、友達であるエディたちですらローズの将来を憂いてしまう。
「とこかく、エディさん。そもそも、あなたは毎日魔法の特訓をしている割に上手くならないというのは、練習法に問題があるんじゃないですか? 一人で練習していないで、困ったときは人に教えを請えばいいんですよ。何も出来ないことを恥ずべきことではありません。それを一人で解決しようと意地になって、解決出来ないままであることの方が問題と私は思いますけど。何なら夕刻にでも時間が空けば私が教えて差し上げましょうか? 別に嫌なら無理強いはしませんけど。一人夜に忍び出してばかりで、どうやっているのかは知りませんが、寮の『警備結界』をかいくぐるのだけは上手になってるのではお話しになりませんよ。昨日だって、あなたが帰って来たの誰も気付かなかったんですから。女子寮というのはね、警備に色々あるんですから、そういうのはやめて欲しいって何度もお願いしているのにあなたときたら」
そんな寮長クラン・ラシン・ファシードの小言など耳にタコで、エディは味の濃すぎるマッシュポテトと、冷め切ったスープを、黙々と食べ続けていた。
「あれ? エディまだ食事してるの?」
エディの後ろを通りがかった寮仲間の女生徒が声をかけてきた。
口にスプーンをくわえ振り返るエディの姿を見れば、誰でも食事中であることはわかるだろうに、その女生徒は少し驚いた様子だった。目の前のクラン会長は、何やら長々しい説法に夢中で、エディの余所見(よそみ)には気付きもしない。
「今、食べ始めたところだけど?」
エディはクラン会長に聞こえぬように小声で返した。
「ほれれ? 一時間ぐらい前にも食堂にいなかったっけ?」
「一時間前なら寝てたよ」
「よねぇ。エディがそんなに早く起きるわけないわよねぇ……」
と女生徒は呟きながら去っていった。そんなことに納得されても困るんだけど、とエディも煮え切らない。
「私は常々思っているんですよ。毎日特訓をするあなたの向上心は、うちの生徒皆に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいなんです。ですから、あなたにはせめて序列五十位に入ってもらって、あなたを馬鹿にしているお馬鹿さん達の目をですね。ってちょっと聞いてますか、エディさん!」
「はい。そこはかとなく」
それはエディにとって、よくある朝の日常の風景。エディはクランの饒舌(じょうぜつ)を聞き流し、「今日は何か良いことでもないかな」と漠然とした大願を、疲れ心地に望むのであった。
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魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第二章の02