*
「あなたねぇ、どうして昨日ノート見せてあげたのに課題やってきてないのよ」
マリーナ・M・クライスの大きな声が講堂に響いていた。
既に今更なのか、誰もマリーナの方に見向きもしない。時間になっても講師が現れない講堂は賑やかなもので談笑の声はあちこちから聞こえてくる。
今日も寝坊したエディを引きずるように講堂に駆け込んだマリーナは、朝からずっと声を張り上げている気がする自分に頭を抱えたい気分だった。
「え~っと、なんというか、ノート見ても幾何(きか)って意味わかんないな~、みたいな?」
あの魔術紋とか、魔法円とか、ごちゃごちゃしたの苦手なんだよね。とエディは付け足す。
魔法制御からすれば比較的魔学は得意な方のエディだったが、やはり全科目万全とはいかず、特に魔術図形の類(たぐい)は不得手としていた。
「あなたね! ただでさえ実技全滅なのに、学論も落とす気? 幾何魔学Ⅱなんて法則通りなんだから、エディにも出来るでしょ」
「私にも、ってところがちょっと引っかかるんだけど……」
エディが口ごもるが、それでもマリーナは表情を緩めない。
「答えの書いてあるノート見てもわからない人は文句言わない」
「う~ だって~ こんなのいきなり難しいのわかるわけないよ~」
「はぁ、幾何魔学も勉強しないでどうやって魔法学園に入学したんだか。そんなんだから色々と言われるのよ」
「そんなこと言われたって、面接で『魔弾』見せたら受かったんだもん」
口を尖らせてみせるエディ。マリーナが裏口入学したと本気で思ってないと知るからこそ出来る態度だった。彼女以外に同じ事を言われれば、エディは拗ねたような言葉しか吐けないだろう。エディにとってマリーナ・M・クライスはそれだけ特別な存在なのだ。
「その噂の『暴走魔弾』も最近成功してないのね」
「う~ マリーナ今日は酷ぃ」
「見せてあげたノートを無駄にされた恨みよ、自業自得ね」
「今日も賑やかね」
ローズ・マリーフィッシュの声。いつの間にか横に立っていたローズが目を細めて二人を見ていた。まるで仲睦(むつ)まじい姉妹のじゃれ合いを見ている母親のような視線であった。エディよりもは若々しいローズには不似合いの顔だった。
二人よりも早くに女子寮を出たはずの彼女がやっと現れたことをマリーナは疑問に思う。それが顔に出ていたのか、ローズが
「休講かどうか聞きに行ってたの」
と説明した。
「そういえば先生まだ来てないね」
「お陰で課題がまだ出来てないエディは助かってるんでしょっ! ……で休講なの?」
「いいえ、職員会議が遅れてるらしい。しばらく自習しておけって」
ローズの言葉が聞こえたのか、講堂中から不平の声が漏れた。しばらく騒がしい声が講堂を染める。
見れば、席を立ち講堂から去っていく者もいた。いつ来るともわからぬ講師を待つより、自主休講にするつもりなのだろう。
呪言(スペル)魔法を主とする魔法使いには「幾何魔学」はさほど重要ではない。マリーナのような付与魔術を使うものならまだしも、今の呪言(スペル)魔法使い全盛の大陸魔道業界では主流とはいえない講義である。もちろん呪言(スペル)魔法の使い手とて、幾何魔学が完全に不要というわけでもない。より上級の魔法施行には絶対に必要な要素でもある。
「まぁ、遅れて来るっていうのなら、好都合よ。エディ、課題間に合わせるわよ」
「えぇ~、今からじゃ」
「つべこべ言わない!」
まるで母親のような叱咤(しった)を見せつけられて、ローズは口元だけの笑みをこぼした。しかし、それはいつも暗い表情の多いローズからしても、少し力無い顔だった。
「ローズ、どうしたの? 元気ないね」
「そんなことない。ただ、誰でも嫌な知らせを聞いた直後はブルーになるものなの」
「ふ~ん、職員室で何かあったの?」
「マリーナには関係ないこと、気にしないで」
「そんなこと言われるととっても気になるんですけど」
ローズとマリーナの会話を遮るように、エディがマリーナの袖を引っ張る。
「マリーナ~、ここの魔術変換式なんだけど」
根は真面目なエディだ。やるとなると課題にペンを走らせるのだが、やはり苦手な科目のようだ。
「だから、ノートに書いてあるでしょ。コルスタンの第二則使って、光力場変換するのよ、そうしたら円形指向の魔法紋が書けるでしょ」
「ほんと。あなた、面倒見いいのね……」
ローズがぼそりと呟いた
「ん? 別に面度見っていうかなんというか。ルームメイトだからね私」
そんな言葉が自然と出るのがマリーナ・M・クライスという人間だ。彼女はエディの為に面倒をかけられているという風には感じていない。
「ふふふ。そういうの、いいものね」
ローズはまるで自虐するような、意味ありげな言葉を返した。
「何言ってるの。ローズにもルームメイトいるでしょ」
「……そうね」
「変なの」
ローズの何が言いたいのか見当のつかない受け答えに、マリーナは純粋に首をかしげた。
「あなたも大変ね、毎晩部屋を抜け出すルームメイト持って」
「ほんと、毎日毎日よくやるわよ。この子一体どうやって結界抜けてるのか知らないけど、そんな手間かけるなら、堂々と夜間魔道試行の申請すればいいのに」
二人の視線が必死にノートにペンを走らせるエディにそそがれる。苦手とはいえ、元々座学の筋はいい彼女は、マリーナの助言を受けて課題に邁進(まいしん)中だ。
「エディ、昨日も特訓してたのね。どうだった?」
「ん~、え? 何?」
課題をやっている最中だというのに、横から話しかけるローズ。知って意地悪をしているようにも見てしまう。
「昨日の夜も特訓しに寮抜け出しんじゃないの?」
ローズの問いに、エディはしばらくペンを走らせ
「ん~、昨日? 普通にいつも通りだけど」
と、気のない返事をした。
「どうせいつも通りに魔道衣を焼いてきたのね。どうせベッドの下にでも焦げた奴、隠してあるんでしょ。あとで直してあげるから出しなさいよ」
エディのやることなんてお見通しよ、とマリーナは溜息混じりだ。
「マリーナ、世話焼き過ぎ」
少し責めるような眼差しをローズはしていた。
「ごめん。私が魔法出来ないから、いつもマリーナに……」
エディがペンを止めてしまう。
「またそうやって、私は気にしてないから。その代わり今日の買い出しお願いね」
「あれ? 今日だっけ?」
エディが間抜けた表情で顔を上げた。そう言えば数日前からマリーナと買い出しが必要だと話をしていた覚えはある。
「あんた、自分の時間割覚えてないの? 買い出しに行くったら今日しかないじゃない。午後から空いてるでしょ、エディ」
「そういえばそんな気も……」
そんな頼りないエディを前に、これだから世話焼きたくなる気持ちわかるでしょ? と、マリーナはローズにおどけて見せる。
「あ~あ。私も午後の講義取らなきゃよかった」
疲れ心地にマリーナは講堂の机に肘枕を付くいた。人が半数近くまで減ってしまった講堂は、未だに講師は現れず閑静が広がり始めていた。
*
延々と続く下り坂。細い巻き雲が流れる空は深い青をたたえて広がっている。そして不揃いの石畳が足に堅い感触を返す。
坂を見下ろせば眼下に赤い屋根の民家が目に飛び込んでくる。どこか懐かしいおだやかな街並み。不揃いな区画分けが妙に印象的に映る。
ニルバストはバスロト学園の門前町として栄える街だ。命名の由来に始まり、その産業も魔法学園の影響を受けて魔道技術に関係するものが多い。魔法学園としても、開発した技術を工業利用してもらわねばその技術進歩の恩恵を受けられないのであるから、比較的門戸を開き魔道技術を提供している。
バストロ学園はヴォージュ山脈から続く丘陵帯の麓に作られている。ニルバストの街は更にそこから川下に構えている為、学園から街へはなだらかな石畳の下り坂が続く。そこを下るエディにとって行きは楽なのだが、逆を言えば学園寮までの帰り道はずっと続く上り坂。急勾配(こうばい)ではないとはいえ、買い出しともなると荷物を抱えての苦行となる。
太陽を直接受ける南向きの斜面。春を迎える陽気にエディは伸びをした。
「う~ん、風が気持ちいい」
足取りも軽いエディの横を、逆方向へ坂を上って行く魔道バスが通る。
ニルバストには魔道都市らしく、欧州でも珍しい乗り合いバスが運行する。既に主要都市では導入も始まっているが、人口五万弱であるニルバスト程度の都市規模では非常に珍しいことである。
無論、開発した魔道技術をまずは地元の街で試験運用しているのが理由であるが、街中にある魔道技術の新製品を見る為だけに観光に訪れる者がいることを考えると、魔法学園の魔道技術の開発がニルバストに大きな社会貢献をしているのは誰もが認める事実である。
通り過ぎるバスをエディが脇目に見れば、乗っている人は数少ない。昼間という時間を考えても、バスとは別に街中を走る乗り合い馬車の方が、未だに利用者が多い。
『魔道車』自体はそれほど新しい技術ではない。その開発自体は魔女戦争が終わった直後から始まり、十七世紀半ばには、ほとんどの基本機構が完成していたという。
しかし、動力源となる魔力出力の問題が充分に解決せず。二十世紀が始まった今日まで世界的普及には至っていない。そんな中、魔法学園の研究による技術開発で出力上がってきた数年前から、急速にその応用である魔道バスや魔道船といった大型輸送技術が街中でも見られるようになった。有識者の中には、前世紀の産業革命に続く運輸革命であると声を上げる者もいる。
ただ、そんな開発されたばかりの新技術に不安を感じ、乗るのを躊躇(ためら)う者もまだ少なからずいるのは確かだ。
それが魔法の園である魔法学園の者であった場合は悲惨だ。魔道学園の面子(メンツ)からか、街と学園を結ぶ路線に馬車は走らず魔道バスのみが運行している。バスに乗るのが嫌なら歩いて坂道を往復することとなる。
かく言うエディは「魔道車には乗らない派」である。魔道で走る車が恐いわけではないが、彼女の『霊視』には魔道車の内部は霊子(れいし)が濃すぎて、あまり心地よいものではないのだ。見え過ぎるというのも困りものである。
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魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第二章の03