No.542167

Re:birth 3話

木十豆寸さん

2013-02-09 20:53:34 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:349   閲覧ユーザー数:349

「あっ、おばさん、その赤いほうの果物も二つください」

 エルシールの領主が住む城の城下町にてマリスとルドは買い物をしていた。今日は偶然にもバザーの日程と重なっていたので、マリスからの強い要望により、二人で買出しへ出かけることになったのだった。

 二人がいるのはバザー中ほどにある青果店で、色とりどりの果実や瓶詰のジャムなどが並んでいた。ルドの片脇には大きめの紙袋が抱えられており、すでにいろいろと買い物をしていることを示していた。

「あいよ、お嬢ちゃん。ところで楽しそうだけど何かあったのかい?」

 恰幅のいい、浅黒い肌をした五〇代くらいの女性店主はマリスへ品物を渡すと、そんなことを聞いてきた。

 確かに彼女は、見るものすべてを祝福するかの様な振る舞いでこのバザーを歩き回り、笑顔を振りまいている。つい先日父親を殺害されたとは到底信じられないような振る舞いだ。しかも彼女の後ろには常に幽霊のような黒い影……父親を殺害した張本人であるルドが立っているというのにだ。

「ええ、とても、こんなに人がたくさんいて、こんなに騒がしくて、こんなにいろいろな匂いがする場所なんて初めて来たんですもの」

 それには特殊な事情があるのだが雑踏を歩く人々にも、もちろん目の前にいる女店主にもそんなことは知る由もなかった

 女店主はへぇ、と声をあげ、近くの木箱に入ったブドウを取り出した。そのブドウは奇妙なことに紫や黒、緑などではなく、黄色い果実を無数につけていた。

「いいわぁ、あなたみたいなかわいい子には一房サービスしちゃう。これは砂漠ブドウと言ってね、大陸西部の乾燥地帯でしか取れないブドウなの、水分が少ないからちょっと硬いけど、その分味がとっても濃いのよ、コロコロなめて食べるといいわ」

「わっ、ありがとうございます、おばさん」

 二人のやり取りを、ルドは数歩下がった位置で眺めながら周囲を歩く人々をつぶさに観察していた。マリスを狙った追手はすでにかなり引き離しているはずだが、伝書鳩や魔術通信により既にこちらで潜伏している工作員が、追手となる可能性は十分にあった。

「ほら、そこにいる親父さんと一緒に食べるといいよ、このバザーには大体なんでもあるんだ。あたしの店だけじゃもったいないよ!」

「え……そんな、親父さんだなんて……きゃっ! お、おばさん!?」

 商売の邪魔だとばかりに紙袋と砂漠ブドウをマリスに押し付けた後、女店主はマリスの肩をつかんでぐるっと半回転させ、ルドの方向へ押し出した。

 ルドの鳩尾あたりに彼女の顔がぶつかると、ほぼ同時に軽く息の洩れる声が聞こえ、しばらくして申し訳なさそうにマリスが顔を上げた。

「……まだ十歳程度しか離れていないはずなんだがな」

 小さくそう言うと、ルドは女店主に頭を下げ、マリスを連れて雑踏の奥へと消えていった。

 

 国境を抜けた後は、不思議なほど順調に城下町へ戻ってこれた。それは非常に喜ばしいことなのだが、イクシールの寵姫を奪取したというのに、追手に必死さが感じられないのは何故だろうか。

 国境を抜けて以来、ルドはそのことが常に頭に引っかかっていた。領主が死亡した混乱によるものだと思いたかったが、それでも領内を二分して争うほど権力への執着が強い一族が、このような緊急事態で手をこまねいているとは到底思えなかった。

「……」

 前を歩くエリスの後姿を見つめる。手入れを怠っているうえ早馬で走り続けていたので、彼女の髪は出会った時のような美しさはすでに無く、見回せばどこにでもいるような、平凡な髪質へ変化していた。もとより服装はルド自身が気を付けていたので、持っている紙袋も含めて外見に関しては町娘と見分けがつかないようになっている。

 後はこのまま、エルシール領主と約束した通り、真夜中過ぎに城内で引き渡しをすれば今回の仕事は終わる。最後まで気を抜けないのは確かだが、それでもルドは穏やかな気持ちでエルシール城下町を歩くことができるのを嬉しく思っていた。

「ねぇ、ルド」

 マリスは不意に振り向くと、目の前にいる黒い影に語り掛けた。

 ルドは何も言わずに、彼女に合わせて足を止める。二人を取り巻く人の波が、二人を避けるように歩き出した。

「私たちって、本当の親子のように見えるのかしら?」

「さっきの女店主が言っていたことか、そう見られていたほうが都合がいいかもしれないな」

「じゃ、じゃあ、お父さん、って呼んでいいですか?」

「構わないが……」

 自分をそう呼ぶことに抵抗はないのだろうか? ルドの中に一つの疑問が浮かぶ。彼は何度か似たような仕事をしたことがあるが、その時は嫌がって暴れる対象を、猿轡と麻袋を使ってほぼ荷物のようにして運んでいたので、こんなことは初めてだった。

「お父さん」

「……なんだ」

「ふふっ、おとーさん」

 そして離れているとはいえ、十歳前後の差で父親呼ばわりされるのはなんだか納得のいかない部分もあった。

「はいっ一緒に食べよ、お父さん」

 紙袋の中から砂漠ブドウを取り出して、一粒をルドへ差し出す。ルドはそれを受け取ると口の中へ放り込んだ。砂漠ブドウ特有の強い酸味と甘味が口内を満たす。

 砂漠ブドウは西部の人間にとっては昔から重宝されてきた植物だ。水分の少ない岩石砂漠でも育ち、養分やミネラルが多く味の濃い実を付ける。味の濃さは唾液の分泌を活発にするため喉が渇いたときにも有効だ。その上硬いため長期間舐めていられるので飴玉の代わりにもなる。

「ふふっ、とっても濃いね」

 マリスも砂漠ブドウを一つつまんで口に放り込む。その顔は親の仇が目の前にいるとは思えないような、満面の笑みだった。硬いブドウの粒を口の中で転がしつつ、ルドは顔をそらした。

 普通子供というものは、どれほど親から虐待されようとも親を慕う様に出来ているはずだ。だというのにこのような反応をするということは、彼女にとっての親とはどういった存在だったのだろうか。ルドはほんの少しではあるがマリスへの同情と、一抹の疑念を感じた。

「……宿に戻ろう。外出は控えたほうがいい」

「はいっ、お父さん」

 そう言ってマリスはかかとを軸にしてルドと同じ方向に向き直り、砂漠ブドウの房を紙袋の中へしまった。

 

 父親を殺されたことをマリスはあまり気にしてはいなかった。

 確かに普通は仇と認識するはずだし、そうでなければおかしいということも十分承知している。しかし彼女が軟禁生活を始めてから数えるほどしか会っておらず、すでに顔もおぼろげにしか覚えていない肉親を殺されたところで、彼女にとってはあの密閉された狭い部屋から連れ出してくれたヒーローという印象のほうが、はるかに強かった。

「ねえ、お父さん」

 安宿の狭い部屋に無理やり二つ置かれたベッド。それに二人はそれぞれ腰掛けていた。小さな窓からはやわらかな光が差し込み、埃っぽい部屋を照らしている。

「なんだ」

 ルドは口だけを動かして答える。お父さんという呼び方にはしばらく慣れそうになかった。

「どうして私を連れ出してくれたの?」

 マリスは自分のベッドから立ち上がり、ルドの隣に座る。もともと老けてみられることの多いルドと並ぶと、確かに二人は親子のようにも見える。

「依頼されたからだ」

 ルドはあくまで淡々と、マリスの顔を見ないまま口を開いた。

「エルシール伯の依頼でな、隠し子を一人誘拐することとイクシール伯を殺害すること、その二つが依頼だ」

 依頼通りに事を運んだだけであって、彼女が期待するような正義感や義侠心とは無縁の存在だと付け加えてもよかったが、現在の良好な状態から崩れてしまうのは、ルド自身にとっても不利益だったので、それは口に出さずにいた。

「そう……でも、本当に嬉しかった。もう私あんなことをしたくないもの」

 マリスはほんの少し寂しそうな顔をするが、それでもすぐに笑顔を見せて、言葉をつづけた。

 あんなこと、とはどのようなことだろうか? ルドはベッドの間においてある埃のたまった小さなサイドボードのあたりを見ながら考え込む。

 まさか未成年娼婦のようなことは実の娘にさせていないだろうが、それに近しいことはさせられていたのかもしれない。そう考えるとエルシール伯へ引き渡したところでする相手が変わるだけで元の生活へ逆戻りかもしれない、そうなればマリスはルドを恨むだろうか。

 そのほうがいいかもしれない。その方がむしろ自然だとルドは考えて、思考を打ち切った。

 

 まるで質量を持ったかのような闇が二人を飲み込んでいた。空に浮かぶのは小さな星々だけで、今日は闇夜。そして日付が変わる前後の時間ということもあり、明かりなしで歩くルドの姿は、すぐ傍で彼の手を握るマリス以外には知覚できなかった。

 辺りの暗さは何も時間によるものだけではなかった。大通り、つまり昼のバザー会場のような場所であれば、夜の間でも出歩く人のカンテラなど明かりがないわけではないが、裏路地に入ってしまえば、完全な暗闇となってしまっている。

 ルドはそう言った暗い道をわざわざ選び、遠回りしつつもエルシール城を目指していた。もちろんそれは目立たないためであったし、万一追手が迫っていたとして、それを撒くためでもあった。

「……」

 ルドは路地裏におかれている木箱を布擦れの音とともにかわし、マリスにその存在を手を握る力を強くすることで教える。マリスは何とかそれを手探りでかわすと、少し急いだ足取りで、ルドに体を密着させる。

 闇夜とはいえ明かりが一切無いというわけではない。星は見えているし、大通りからは仄かな明かりが裏路地へ差し込んでいる。それは普通、視界を確保するのには不十分な明かりではあったが、闇にまぎれ、対象を仕留める事をなわないとしているルドたち暗殺者にとっては、必要最低限な明かりだった。

 整然と城に向かって伸びる表通りとは対照的に、裏路地はうねり、行き止まりが多く、ジグソーパズルの隙間を歩いているような錯覚を受ける。それはルドにとっては好都合であったが、同行するマリスにとっては進んでいるのか戻っているのかわからない、とても長い道のりのように感じられた。

「あっ……」

 石畳に躓いてマリスがバランスを崩す。しかし、そのことを予見していたようにルドは倒れこむよりも早く、彼女を抱え上げた。

「……こうした方が手っ取り早いか」

 不意に体が浮かび上がったような錯覚を受けてマリスは小さく声を上げる。しかしルドの体温を身近に感じて、彼女は体を弛緩させた。彼女にとってすでにルドは依存対象となっていた。

「お父さん……」

 マリスの目に彼は父親のように見えていた。だがそれと同時に彼自身の中にある悲哀と憤怒は、マリスの庇護欲を掻き立てる。力強く強靭な意志を持った彼がなぜこのような悲哀を内に秘めて暗殺業をしているのか。マリスにとって、身を焦がすほどの力強さと、すべてを諦観したような凍てついた心を持つ彼は、歪な形をした真珠のように心惹かれるものとなっていた。

「静かに」

 ルドの刺すような声がマリスの言葉を遮った。マリスの目には見えないが緊張した空気だけははっきりと伝わってきた。

 その空気に押されて黙っていると、マリスにも何か金属が触れ合うような甲高い音が遠くから聞こえてきた。それがどこから聞こえてきているのかまでは見当がつかなかったが、ルドにはその見当もついているらしい。

「……剣撃音? 城のほうからか!」

 その台詞と同時に、ルドはマリスを抱えたまま、表通りへ向かって走り出した。

 

 城門はすでに襲撃の爪跡を残すのみで、門戸に刺さる矢尻と、赤い染み、そして伏せたまま動かない衛兵たちが様々な場所でところどころにある染みと同じ色の液体を流して倒れていた。

「目をつぶっていろ」

 ルドはマリスに言い聞かせて、体にまとうボロ布で彼女の顔を覆った。城門前ということもあり、松明などの照明は裏路地に比べれば十分すぎるほどあり、それによって血を流す死体たちをはっきりと視認できるようになっていた。

 辺りはさながら画家に敗戦後の城門を描かせたような、一種の芸術性をも感じさせるほど凄惨な光景で、幼い少女に見せるのは憚られたのだ。

「気を使わないで、見慣れてるから」

 しかし、マリスは顔にかかった布を優しく払う。

 そういえば、ルドは思い出す。彼女を誘拐するときも血塗れの仕込剣を片手に持っていた事を。

「……」

「そんな不安げな顔しないで、私は毎日こういう人たちを見せられてきたから大丈夫」

 訝しんでいると、それをどう勘違いしたのか、エリスは自嘲的な笑みとともにそう言って視線を城のほうへ向けた。

 イクシール伯はこの少女に毎日何を見せていたのだろうか。ルドの頭に疑念がよぎる。

 彼女がいた部屋は貴族の令嬢が暮らすにはいささか薄暗く殺風景な場所ではあったが、死体や血といった類のグロテスクなものとは無縁だったように見える。

「……わかった」

 しかし今はそんなことを気にしている場合ではない、今この場で戦闘が収束しているということは、もっと内部で戦闘が始まっているということだ。

 さらに悪いことには、外部から兵士たちが集まってきている様子がない。つまり通信兵が何らかの事情で連絡を外部と取れなくなっているということだ。

「かなりの手練れか」

 そして倒れている衛兵たちはすべて同じ鎧を纏っている。襲撃者は一人も倒されてはいないのだ。

 そして衛兵たちの致命傷をざっと見る限り、いくつかの死体を除いて全てが鎖帷子ごと首を切断された状態で転がっている。どうやら一人の手練れと複数の人間による襲撃とみて間違いはなさそうだ。

「……」

 ルドは焦燥を踏みつぶすように力強く地面を蹴った。

 

 書斎というよりも、そこは書庫と呼んだ方が正しい部屋だった。見上げるだけで首が疲れそうな天井と、それと同じ高さのある本棚が三方にそびえ立っている。本棚の隙間を間借りするような状態で窓がぽつぽつと開いている。真夜中ということもあり、それらは殆ど見えていないが、暗闇の中でも十分すぎるほど存在を主張していた。

「さてさて、どうしようもないくらい歯ごたえのない兵士さんたちでしたが、親玉はどうなんでしょうねえ?」

 鈴が転がったような声が響いて明かりが一つ灯る。それに映し出されたのは幼さの残る美少女の顔。頬につく鮮血すらも美しいと思えるほどの美貌を持ち、怪しく微笑むそれは、襲撃者……イヴのものだった。

 その問いに答えるように、どこからか椅子が軋む音が響いた。そして革靴が床を叩く音が確かにイヴへ向けて鳴り響く。

「衛兵や通信兵はすでに殺されてしまったようだね、それはそれで悲しいことだけれど、この部屋で暴れられるのは勘弁願いたいな」

 思いの外、若い声がイヴへ投げかけられ、明かりがもう一つ灯る。シルバーブロンドの妖艶な少女とは対極的に、赤毛の純朴そうな青年が現れる。彼こそがエルシールを統治する領主、エルク三世であった。

「随分堂々と出てくるんですねえ、このお城に今いるのはあなたと私たちだけだっていうのに」

「そうでもないよ、そうだなあ、あと二十、それだけ数えてくれれば僕のジョーカーが来てくれるはずだ」

 イヴの部下たちはすでに通信や城の防衛、そして厨房に至るまで完全に制圧していた。それはエルクも十分承知しているようだったが、彼はそれでも余裕のある表情を崩そうとはしなかった。

「二十も数えさせてあげると思ってるんですかぁ? 相当な平和ボケの屑野郎ですぅ」

 イヴは明かりに使っていた燭台に唇を近づけて吹き消すとその燭台を少年の持つ明かりへ向けて投げつけた。

 ただ無造作な投擲ではあったが、何の訓練もしていない青年にとっては必殺の一擲であった。それは風切り音を立てながら彼の脳天めがけて飛んでいき、果たして直撃することはなかった。

「さすがは『大罪の暗殺者』の一角、僕の予想よりもずっと早い」

 依頼も正確だ。とエルクは付け足した。魔法のように二人の間に現れた影は、一人の少女を抱いたまま、精緻な装飾と憤怒の文字が施された鉄棒を握っている。

「『背教者』(ジューダス・プリースト)」

 立ちはだかる影……ルドを赤毛の少年はそう呼んだ。

「背教者?」

 その言葉を、理解できない風にマリスが繰り返す。彼女が見上げる顔には、仮面のような表情が張り付いているだけだ。

 あの宿で見えた刺青、そして仇名、そこから彼が元聖職者だということは想像できたが、彼がどういった経緯で現在の彼となったのか、マリスには全く見当がつかなかった。

「えっ……ルド様?」

 先ほどまでの緊張感ある空気とは違いすぎる。普通の少女が話すようなトーンでイヴは目の前にいる男の名を呼んだ。

「イヴか、ここで何をしている?」

 一方ルドは、いつもと変わらない調子で、温度のない瞳を少女に向けている。二人とも想定外の人間と対峙していることに驚いていたが、そのリアクションは各々で違っていた。

「そうか、『淫蕩な少女』(ティーンエイジ・スクブス)……君が相手なら僕の手持ちじゃどうしようもないわけだ、はっはっは」

 二人の混乱とは別に、エルクは一人納得いったとでもいうようにわざとらしく指を鳴らした。ルドの腕の中にいるマリスには、その様子がどこか滑稽に見えた。

「依頼主がターゲットになる仕事は『大罪の暗殺者』間では禁止のはずだが……イヴ、依頼者と時期は?」

「一週間くらい前かな? イクシールのおっさんに頼まれたの……それよりルド様ぁ、イヴはルド様に会えなくて寂しかったの、何年ぶりかなぁ?」

「二ヶ月ぶりだ、依頼時期を見るに偶然被ってしまったらしいな、イクシール伯はすでに殺害している。お前の依頼は無効でいいな?」

 唐突に蠱惑的な話し方になったイヴに、冷静に言葉を返しながら、ルドは依頼主である少年をちらりと見た。ルドがエルクから依頼を受けたのは、五日前である。内通者と通信兵がいれば、意図的に殺害対象を被らせて自分の身を守ることができるのではないか。

「……? どうかしたのかな? 『背教者』」

 彼の視線に気づいたのか気づいていないのか、エルクはわざとらしいほどに満面の笑みを浮かべて、ルドに話しかけた。

「いいや、それよりも依頼の回収対象だ。これで契約は成立だな」

 ルドは頭を振ってその考えを頭から振り落とす。不正はすべて彼自身ではなく、首領が判断することだ。ルド自身はただ人を殺す道具であるはずで、それを逸脱するのは憚られる。

 腕を緩めてマリスを解放してやる。マリスは名残惜しそうにルドを見たが、彼はそれを気付かない振りをした。

「あーっ! ルド様の浮気者! 犯罪者! ロリコン!」

 イヴがマリスの姿を見て叫ぶ。しかしその直後、自分の体を見回して、「いや、ロリコンは別にいいか」と小声で付け足した。

「……あの、お父さん、あの子は……?」

「お、おおおお父さん!? ルド様結婚してたの!?」

「ああ、彼女はイヴ、同業者、というよりも同僚だな、あいつの言うことは話半分で聞いているといい」

 イヴが騒がしく話しているのを半ば無視するように、ルドは話す。先ほどまでの殺伐とした雰囲気はどこへ行ったのか、エルシール伯の書斎は完全に和やかな空気と化してしまった。

「いいや、申し訳ないけど追加でもう一つ依頼をこなしてほしい」

 エルクは話を聞いていなかったのか、聞いていて無視しているのか、ルドとの会話を一切腰を折らずに話し始めた。

「まさかこの城の兵士たちが全滅するなんて思っていなかったんでね。しばらくマリスを預かっていてほしいんだ」

「悪いが追加での依頼は……っ!」

 ルドが話している途中、無造作に彼の左腕が動いた。

 その手は、矢尻が手の甲側から貫通し、ちょうど串刺しになっていた。

「ルド様!?」

「糞っ、『淫蕩な少女』! ターゲットを早く!」

 イヴの後ろにある扉の陰から、男の声が響き、次いで十人前後の黒装束達が弩を構えて突入してきた。

「やれやれ、意外と早くて困るな、『背教者』との契約延長もまだなのに」

 少し兵士たちの練度を高めたほうがよかったかな、とエルクは一人漏らした。

「問題ない、事後処理も契約の内だ……が、私が手を下すまでもないだろう」

 ルドがそう言うと同時に、黒装束のうち、一番イヴの近くにいた一人が、脳天から赤い飛沫をあげながら崩れ落ちた。

「……え?」

 先ほど声をあげた男が、何が起きたのか理解できないという風に間の抜けた声を漏らした。

 ルドはその様子をさも当然のように確認すると自分の手に刺さった矢を力ずくで引き抜く。マリスは再度彼の陰に隠れるように寄り添い、エルクは一切笑みを絶やさずにその様子を見ている。

「屑のくせにルド様を傷つけるなんて、どこの馬鹿ですかぁ?」

 もう一人、黒装束の男が倒れる。今度は首から上が肉色の花弁となっていて、元の顔を想像できないほど損傷していた。

「あなた達の命なんか、ルド様の髪の毛一本ほどの価値もないんですよ?それをちゃーんと自覚して……死ね」

 イヴの声が急に低いトーンとなり、また一人黒装束が倒れる。今度は脳天から股座まできれいに二分割された死体が出来上がる。

 何が起きたか理解できていないマリスの耳に、風切り音とも虫の羽音ともつかない、何かが高速でうごいているような音が聞こえた。

「ま、待て! 契約を違反するつ……」

 声を上げた男は、言葉を最後まで紡ぐことなく顔面を無造作に切り落とされた。

 

 そのあとはもう、黒装束達が憐れな肉塊へと淡々と変化していくだけだった。

「死ね、この屑、十把一絡げの癖に、蟻以下の雑魚が」

 その惨劇を引き起こしている少女は、笑みさえ浮かべて彼らへ呪詛の言葉を吐き続ける。そしてそれは、辺りを血と肉塊のスープにするまで続き、エルクの持つ燭台に照らされた書斎は、死屍累々の地獄絵図となっていた。

「ふぅー……あっルド様ぁ、大丈夫ですかぁ?」

 一通り殺しつくして気が収まったのか、イヴはまた蠱惑的な、ルドだけに向けられた声を上げた。

「腱は外れている。しばらくは使い物にならないだろうが、傷口さえ塞がれば問題ないだろう」

 ルドは左手を軽く握る。鋭い痛みとともに鮮血がしたたり落ちるが、彼は眉ひとつ動かさなかった。

「……」

 その手をマリスはじっと見つめていたが、それに気づいたのは誰もいなかった。

「さて、そんなわけでしばらくイクシールの寵姫を匿っていてほしいんだけど、それは契約延長になるかな?」

 エルクは血の海を見ても特に何の反応も示さず、先ほどの話を続ける。目の前で大勢の人間が惨殺されるところを見たというのに、彼は毛ほども気にしていないようだ。気にしていたとしても、それはせいぜい部屋の掃除が面倒だ位だろうか。

「そうだな、兵士もなにも居ない状況で引き渡したところですぐに奪還されるのが関の山、か……残りの兵や貴族たちはどうだ?」

「他の偉い人は今丁度外遊か地方の視察に行かせてる。運のいいことにね……ただ問題は兵士さ、通信兵がやられてるんじゃ早馬で国境警備隊の一部から呼び戻さないといけない」

 運のいいことに、という言葉に含みを感じたか、ルドは黙っていることにした。指示のない状況で、依頼主を疑うのは仕事に支障をきたす。

「……いいだろう、馬の準備はできているな?」

「勿論、昨日のうちからね」

 エルクの言葉に、ルドは鼻を鳴らすことで応えた。


 
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