「それで、あの荷物もちはどこに行ったんだ? さっきから姿が見えないけど」
骸骨の魂を食べて満足な顔をしているライビットが尋ねた。
荷物もちというのは、クラウスのことである。
「さあ、迷ったんじゃないの?」
アリスは興味なさそうに言う。
「君、案外冷たいんだね。一応弟弟子なんだろ?」
「弟弟子って言ったって、私より五歳も年上なんだよ。何で私が保護者みたいな扱いになってるのよ」
「あれ? そうなのか?」
本気で驚いているライビットを見て、アリスは深いため息をついた。
「それで、あのにいちゃんはほっとくのか?」
「私としては本気でほっときたいんだけど、後で師匠に怒られるのも嫌だから探すしかないのよね…迷いの森で人探しとか、絶望しか見えないんだけど。ねえ、あんたクラウスの臭いを追うとかできないの?」
アリスの質問に、ライビットはふんと鼻を鳴らした。
「この僕に犬の真似をしろって? ほんと、君はいい性格してるな」
ライビットが少し気を悪くしたのかアリスを睨みつける。
「んで、出来るの出来ないの?」
だが、アリスはまったく気圧される様子もなく重ねて尋ねた。
「やると思うのか? この僕が」
「ということは出来るってことか…うーむ」
「……」
「…やっぱりいいや。出来ることがわかってもどうあんたを口説き落とせばいいかわかんないし。クラウスだって一応は師匠の弟子だからね。自分で何とかするでしょ。さ、先を進みましょ」
そう言って森の奥へと進むアリスをライビットは黙って見つめていた。
アリスが草木を掻き分けて進んでいくと、開けた場所に出た。眼前には綺麗な湖が広がっている。そこに一人の少女の姿があった。少女はアリスより少し年上だろうか。腰まで伸びた銀色の髪と白い肌を持つ美少女だった。水浴びをしているらしく、裸のまま湖に浸っている。
声をかけるか迷っていたアリスだが、後ろを歩くライビットの草木を掻き分ける音に気付いたのか少女が急にアリスの方を見た。
だが、少女は少し驚いただけでアリスを見ると微笑んだ。
「あら、めずらしい。こんなところで何をしているんですか?」
それはこっちの台詞だと思いつつも、アリスは少女の方に近寄った。
「すみません、驚かせてしまって。私はアリスっていいます。あなたは地元の方ですか?」
「ええ。私はミランダ。ミランダ=ローレンス。ここに住んでるんです。もしかして、迷われましたか?」
「いえ、人探しをしてまして」
「人探し?」
ミランダは湖から出ると草むらに置いてあったタオルを身にまとった。
アリスはミランダに近寄って一枚の紙を差し出した。レグルスの似顔絵である。
「この人がこの森に向かったという情報を得てここまで来たんですが、この顔に見覚えはありませんか?」
ミランダはアリスから紙を受け取ってしばらく見つめていたが、やがて首を横に振った。
「ごめんなさい。お役に立てそうにないわ」
「そうですか。では最近これくらいの大きな本を持った人間が来たということはありませんか」
言いながらアリスは両手を使って大きさを表す。
「本…そういえば、以前尋ねてこられた男の方がそのくらいの大きな本を持ってらしたけど、その方は大分前に森から出て行ってしまわれたわ」
「そうですか…ところで、ミランダさんはこんな森に一人で住んでるんですか?」
「ええ。よく悪趣味だとか言われますけど」
アリスの言葉にミランダは苦笑した。
「いえ、そういうわけではなくて、こんな魔物がたくさんいる中で暮らしているのも大変だと思いまして。森を出れば村もあるのに」
「……」
素朴なアリスの疑問だったのだが、ミランダは森に住む理由を言いたくなさそうな表情をしていた。アリスは理由を聞きたかったが、ミランダの表情を見てそれ以上の追求をやめた。
「ところで、もう日も暮れますし、よろしければ家で休んでいかれませんか? 今から森の奥に進むにしても森を出るにしても夜になったら危険ですよ」
ミランダの提案にアリスはライビットと顔を見合わせた。
「ありがとうございます。お世話になります」
結局その日はミランダの家に泊めてもらうことになったのだ。
ミランダは草むらに隠してあった服に着替えると、自分の家にアリスたちを案内した。といっても、湖のほとりにある一軒家だったので案内してもらうほどのことでもなかったのだが。
家は木造の二階建てでかなり年季が入っているらしくところどころ家の壁には植物の蔦が走っている。歩くたびにミシミシと軋む音が響いた。
ミランダはすぐに部屋のランプに明かりをともすと、作りおきしてあった食事をアリスとライビットに振舞った。
そしてその夜。
アリスは部屋に通された部屋で借りた服に着替えていた。同じ部屋ではライビットが床で丸くなっている。
「魔術師のローブって着苦しくて仕方ないのよねぇ。あー疲れた」
ぶかぶかのブーツを脱ぎ捨て、ベッドの上に横になる。
「それで、これからどうするんだ?」
ずっと黙っていたライビットが口を開いた。
「どうするって、師匠がこの森に来たんなら探すしかないでしょ。あの村人たちが嘘をついていなければの話だけれど」
アリスの言葉にライビットはふんと鼻を鳴らした。
「何か言いたいことがありそうね。何よ」
「…いや、案外能天気なんだなと思ってね」
「…は?」
ライビットの言葉にいらっとしたのか、アリスはライビットを睨みつけた。
「まさか、本当に気付いてないのか? 君、本当にレグルスの弟子か?」
「…認めたくないけど師匠の弟子ってのは本当よ」
「いやいやいや、そっちじゃなくて」
「何よ、私が師匠の弟子だってこと疑ってんの?」
「だから、本当に気付いてないのかって聞いてるんだよ」
「気付いてないって、何の話よ?」
「だから、さっきのミランダって女が人間じゃないって話…」
そこまで言って、ライビットは口をつぐんだ。アリスがにやりと笑う。
「ふーん。ミランダって人間じゃないんだ。いいこと聞いちゃった」
「……」
ライビットはアリスが気付いていないことをからかいたかったのだろうが、勘のいいアリスの方が一枚上手だった。
あの師匠にしてこの弟子あり。ライビットはレグルスの性格を思い出し深いため息をついた。
「でも、人間にしか見えなかったけどなぁ。普通にいい人そうだったし」
そう言ってアリスは横になっていた体を起こした。そしてスリッパを履く。
「何する気だ?」
「ちょ〜っと探検かな。やっぱ気になるじゃん」
どんだけ怖いもの知らずなんだと思いながらも、ライビットは何も言わなかった。
その時。隣の部屋から突然男の唸り声が聞こえた。その声を聞きアリスはぴたっと動きを止める。その音は隣の部屋からかすかに聞こえているようで、アリスは壁に耳を当てた。
「…この声」
聞き覚えのある声だった。
アリスはすぐに部屋を出ると辺りに誰もいないことを確かめながら隣の部屋の扉の前まで行く。そして扉に耳を当てる。やはりこの部屋から聞こえている。
なるべく音を立てないように扉を押す。鍵はかかっていないようだった。
「おじゃましまーす」
小声で言いながら部屋の中に入る。部屋はかなり薄暗かったが、ベッドがある場所にひとつランプの明かりがついていたのでまったく見えないというほどではない。
床の軋む音に注意しながら少しずつ近寄る。誰かがベッドで眠っているようだった。
体格からして大人の男の人間だった。怪我をしているのかところどころ包帯を巻いてある。
「……!!」
アリスはようやく男の顔が見える位置まで近づき、それが誰なのかはっきりわかると驚いて思わず自分の口をおさえた。
そして彼の名前を呼ぼうとしたところで
「お知り合いですか?」
突然後ろから声がかけられた。慌てて振り返るとミランダの姿があった。だが、彼女は先ほどと違ってにこりともせず無表情のままアリスをジィッと見つめている。
「え…あの、その…」
なんて答えようか迷っていたが
「お知り合いですか?」
ミランダの底知れぬ狂気を帯びた瞳に見据えられ、アリスは思わず首を横に振った。
「そうですか」
アリスの返事にミランダは安堵したように微笑んだ。
「彼は湖のほとりで倒れていたんです。あまりにも酷い怪我だったのでここで介抱しているんです」
「そ、そうなんですか…」
「アリスさんは、どうしてこの部屋に?」
「隣からうめき声が聞こえたので、誰かいるのかと気になりまして」
「そうでしたか。でも、勝手に入られるのはあまり行儀のいいことではないかと思いますよ」
「はい。以後気をつけます」
アリスは素直に謝ると、そそくさと部屋から出て自分の部屋に戻った。
「…どうだった?」
ライビットが尋ねると、アリスは大きくため息をついた。そして小声でライビットに話しかける。
「どうもこうもないわよ。隣にいたの、クラウスだったわ。どこに行ったかと思えば、大怪我して隣の部屋で寝てるの」
「あの荷物持ちか」
「ミランダさんが普通の人間だったら普通にお礼言って引き取るとこなんだけど。どうも彼女、クラウスと私が知り合いだと都合が悪いみたいなんだよねー。加えて彼女は人間じゃない。これで何もない方がおかしいんだけど…」
「で、どうするんだ? ほっとくのか?」
「うーん…」
アリスはしばらく唸りながら悩んでいたが、やがて一言「保留」と答えた。
「とりあえず、一度森を出て村に戻って情報を集めてみようと思うの。ミランダさんに聞いたって素直に答えてくれるとは思えないし。村の連中、あんだけ森のこと聞いたのに彼女のこと一言も話題に出してこなかったのよ。それに、彼女が言っていた大きな本を持った男の話も気になるし、もう一度戻って損はないと思う」
「その間にあのにいちゃんが食われでもしたらどうするんだよ?」
「その時はその時よ。何とかなるでしょ」
「おい…」
ライビットの突っ込みに、アリスは笑った。
「冗談よ。もし彼女がクラウスを食べる気なら、介抱なんてめんどくさい真似しないでもう食べちゃってると思わない?」
「まあ、そう、だな…」
「まず彼女が何者なのか。それを知らなきゃ打開策も出てこないと思うし、善は急げよ。朝になったらすぐ発つわよ」
次の日、日が昇るとミランダにお礼を言ってアリスたちは森を出てすぐの場所にある村に戻ってきたのだが。
「ちょっと…どうなってんのよこれ」
アリスを見るやいなや逃げ惑う村人たち。村の中央通にいた人たちはすぐに建物の中に入っていってしまった。口々に「化け物だ」とか「幽霊だ」などと口々に言っている。
ちなみにライビットは魔力で姿を消しているため村の人たちには見えていない。
そんな村人たちの態度にアリスは腹を立てながら村長の住む家までやってきた。ノックすると村長の奥さんが出てきたがやはり他の村人と同じようで驚いていたが「化け物ではありませんし幽霊でもありません」と言うと謝りながら中へ入れてくれた。
「この村は一体どうなっているんですか?」
出された紅茶をすすりながら、アリスは村長に尋ねた。
「すまないねぇ。まさか森に行って生きて帰ってくる人間なんて本当に久しぶりだったからねぇ。みんな君のことを幽霊だと思ったんだろう。皆に代わって謝るよ」
村長はからからと笑いながら「ごめんごめん」と謝った。
「まあ、それはいいんですけど。ちょっと聞きたいことがあって戻ってきたんです」
「戻ってきたってことはまたあの森に入るのかい?」
「ええ。そのつもりです」
「うーん。あんまりお勧めしないけど、どうしても行くのかい?」
「はい」
「そうかい。で、聞きたいことっていうのは?」
「ミランダ=ローレンスって名前に心当たりは?」
名前を出したとたん、村長の顔色が変わった。そして黙り込む。
「心当たりありそうですね。彼女は何者なんですか?」
「…会ったのかね。彼女に」
「ええ」
アリスが頷くと、村長は深い、深いため息をついた。そして重い腰を上げると、部屋の中の本棚から一冊本を取り出して、それをアリスに渡した。本の表紙にはタイトルが書いてあり、その下には著者のミランダ=ローレンスの名前があった。
「これって…」
アリスが村長を見ると、村長はひとつ頷いた。
「ミランダ=ローレンスは森の奥に住む小説家じゃ」
「小説家…って、あんなところで小説書いてるんですか?」
「ああ。彼女の父親が特に変わっていてね、彼はいっぱしの魔術師だったんじゃが、あるときあの森に家を建ててそこで小説を書き始めたんじゃ。どうも彼が言うにはあそこが一番創作意欲が掻き立てられると言っておったの」
「はあ…」
「その彼女の父親が死んだのは十年ほど前だったか。父の後を継いでミランダが小説を書き始めた。ジャンルは全く違うがの」
アリスは渡された本の裏表紙を見る。簡単にあらすじが書いてあるようだったが彼女の書く本はどうやら恋愛物のようだった。
「あの、彼女って普通の人間なんですか?」
アリスの質問に、村長はきょとんとしたがすぐに笑い出した。
「確かに彼女は変わっておるが、ちゃんとした人間じゃよ。彼女が小さい頃、よく父親と遊びに来ていたからね」
「……」
「そうか。彼女に会ったのか。すまんの。彼女からお願いされてたんじゃ。森に自分が住んでいることを旅人には言わないでくれと。最初に聞かれたときに言わなかったことも謝るよ」
「いえ、それはいいんですけど…」
アリスはしばらく考えながら、ミランダの書いた本を開いた。
そして冒頭を流し読みしていくうちにアリスの顔色が変わった。
「おじいさん。この本、貸していただけませんか?」
「え? ああ、いいよ。持って行きなさい」
断られるかと思ったが、意外にも村長は快く頷いた。
「あと、この前伺った時に最近は特に迷いの森に彷徨って帰ってこない人が増えたって言ってましたよね?」
「あ、ああ…もともとあの森は魔物が住み着く危険な森ではあったが、それでも以前は普通に抜けてこれる人もいたよ。それが最近は特に酷くてな、もう帰らずの森なんて言ってるやつもおるの」
「わかりました」
アリスは借りた本をバックの中に入れると立ち上がった。
「あ、あと、ミランダさんから聞いたんですが、以前これくらいの大きな本を持った男の人が尋ねたって聞いたんですが、おじいさん何か知ってます?」
「大きな本を持った男の…」
村長はしばらく考え込んでいたが、やがて思い出したように「ああ」と声を上げた。
「だいぶ前だが、確かに大きな本を持った若い男なら来たよ。わしのところにも来て…そうそう、君と同じように森に住む小説家の話を聞きに来た」
「私と同じ…」
「止めたんだが君と同じで行くと言ってきかなくてね。森に入っていったまま村には戻ってこなかったよ。わしが知ってるのはそれくらいかねぇ」
アリスは村長にお礼を言って頭を下げると、村長の家を出てそのまま村を出る。
そして森に入る手前の少し開けた場所で腰を下ろした。ライビットも魔法を解いて姿を現す。
「で、これからどうするんだ?」
ライビットの言葉にアリスはため息をついた。
「あんたねぇ、聞いてばっかりいないで少しは知恵出しなさいよ」
「別に僕が困ってるわけじゃないし。ただ君についていってるだけだから知恵を出す義理なんてないね」
「ほんとかわいくない」
アリスは悪態つきながらも、さっき村長から借りた本を取り出して読み出した。
「何が書いてあるんだ?」
覗き込むライビットに、アリスは嫌らしい笑みを浮かべた。
「あんた、文字読めないんだ?」
「なっ…」
「そりゃあそうだよねー。人間じゃないもんねー。ただの獣だもんねー」
アリスはわざと嫌味っぽい口調で言った。
「馬鹿にするな。人間の文字くらい読めないわけがないだろう」
「じゃあ、読んでみてよ」
アリスの挑発に、ライビットはふんと鼻をならすと突然身体を発光させた。あまりの眩しさにアリスは目を瞑る。そして少ししておそるおそる目を開けると
「…へ?」
目の前には見知らぬ男の子が座っており一心不乱に本を読んでいる。しかも全身裸で。
「きゃあああああ!! 痴漢!! 痴漢!!」
アリスは赤面しながら持っていた杖だの道具だのを男の子に向かって投げつける。
「なっ! 何しやがる!! 僕だ!! ライビットだ!!」
「…へ、ライビット?」
目の前の男の子がライビットだと気付いたアリスは振り上げた瓶を下ろしてマジマジと男の子を見つめる。たしかに、生意気そうな目付きといい銀色の毛と同じ色の髪といいライビットの特徴があった。が。
「服くらい着ろこの馬鹿!!」
再びアリスの猛攻撃が始まった。
ライビットに自分の予備のローブを着せてようやく落ち着いて本を読み進める彼をアリスは横から興味深そうに見つめていた。
「…な、何だよ」
アリスの視線が気になるのか、ライビットがアリスを睨みつける。
「別に。まさか人に変身できるなんて興味深いなーって思って。しかもあの凛々しい狼からこんな可愛らしい男の子に…ぷっ」
「うるせー! つーか何で僕が君の代わりに本読んでるんだ!? しかも笑われてるし」
「あら、今頃気付いた」
「…っ!!」
「まーまー。折角文字読むために変身までしたんだしさ。もう半分まで読んだんでしょ? なら最後まで読んだ読んだ」
アリスを睨んでいたライビットだったが、彼はふんと鼻を鳴らして言う。
「ま、僕もあのミランダって女が書いた本の内容も気になってたからな。だが勘違いするなよ、別に君のために読んでやってるわけじゃないからな。断じて」
「わかったから早く読んだ読んだ。こんなことしてたら日が暮れちゃうわ」
アリスの言葉にライビットはそれもそうだと頷くと再び本に目を落とした。
それから数十分後。
アリスはライビットから本の内容を聞き終えて考え込んでいた。ライビットは既に人間から元の姿に戻っている。
本の内容をざっくり要約するとこんな感じだ。
主人公の少女(吸血鬼)はある日、湖で旅の人間に出会う。彼女はずっと長い間森を出ておらず人間の男に出会うのは初めてだった。
旅人は怪我をしているのか歩けない様子だった。主人公は迷いつつも旅人を助けた。そして旅人を介抱するうちに二人の間に恋心が芽生えるのだ。
それから数日が経ちやがて旅人の体は回復する。だが、旅人を追ってきた兵士たちに旅人は瀕死の傷を負った。聞くと旅人はとある国の王子であり国を追われて逃げてきたのだと言う。彼を追ってきた兵士たちを主人公は皆殺しにして瀕死の彼を救うために彼の血をすする。彼は一度死に吸血鬼として甦る。
それからは二人仲良く森で暮らしたとさ。めでたしめでたし。
どこにでもありそうな恋愛ものだとアリスは思った。
だが、アリスは冒頭の部分を読んだとき、直感的にクラウスとミランダを連想したのだ。大怪我を負っている旅人。旅人を介抱する主人公。
これは偶然なのだろうか。
「村長は彼女が人間だと言ったわ。でも、あんたが言うには彼女は人間じゃない。この小説を見て言うなら彼女は吸血鬼ってことになるけど」
「でもそれはこの小説ありきの話だろ? 偶然だっていう可能性もある」
「結局事実がどうだろうと、クラウスをあのままにしておくのは少しまずい気がするわ。嫌な予感がする」
アリスは顔色を真っ青にして、胸を拳で抑える。彼女の癖だった。
「結局、あのにいちゃんを助けに行くんだな?」
「ええ。まずはクラウスをあの家から連れ出して、事実の確認なんかその後でもすればいいでしょ。それか関わらない」
関わらないという選択肢は必然的になさそうだな、と思いつつもアリスはあえて口にした。
「で、どうやって連れ出すんだ? 相手は人間じゃない、本のとおりだとすると吸血鬼ときたもんだ。ただの新米魔術師にかなう相手じゃないと思うけど」
ライビットの言葉にアリスは沈黙した。彼の言うとおりだったからだ。
あれから二人は森の中のミランダの家の近くにある湖まで戻ってきた。木陰でミランダの家を伺っているのが現状だ。
「別にミランダを倒すとかそういう話じゃないでしょうが。要は彼女に見つからずにクラウスを連れ出せばいい話であって」
「それが難しいって言ってるんじゃないか」
「でも、難しくてもやる」
真面目に呟くアリスに、ライビットは感心した。
「意外だね。君がそこまで人助けに真面目になるなんて。あのレグルスの弟子だからさっさとほっとくかと思ってたよ」
「…荷物」
「…はい?」
「私の荷物。クラウスに預けてた荷物の中には私が長年集めてきた魔物のサンプルデータがあるのよ。最悪あれだけでも取り返す」
自分の拳を握り締めるアリスに、ライビットは感心して損したとそっとため息をついた。
「そうだ。あんた自分の姿を隠す魔法使えてたわよね。それ使ってクラウス連れ出してきてよ」
「…」
アリスの言葉にライビットは少し黙って考え込んでいたがやがて首を横に振った。
「無理だな。言ったろ、相手は普通の人間じゃない。相手がただのそこらにいる魔物風情なのか、それとも強い魔力を持った悪魔なのかわからない以上姿を隠しても見破られる可能性がある。僕の今の力は本来の力の半分以下だからね。多分見破られる可能性の方が高いだろうね」
それに、とライビットはつけたした。
「出来たとしても僕が協力すると思う?」
「思わない」
アリスは即答した。
「まったく、魔力の封印なんて師匠もめんどくさいことしてくれちゃって」
「君は師匠にもっと感謝するといいよ。僕が本来の力を持ってたら契約破って君を食い殺すなんて簡単なんだから」
ライビットの脅しと変わらぬ言葉に、アリスは顔をしかめた。
「感謝ですって? いきなりあんたみたいな魔獣押し付けられて感謝なんてするもんですか。あんたと会ってから迷惑しか被ってない気がするんだけど」
「それはお互い様だろ?」
「っていうかやっぱり全部師匠が悪いんじゃない。あんた、本部で暴れまわってたときのこと話そうとしないけど、やっぱ師匠に命令されて暴れてたんじゃないの?」
じと目で睨むアリスに、ライビットは首を横に振った。
「確かに暴れてたときの記憶とその前の記憶が抜けてる。でも、わかる。あれはレグルスの命令じゃない」
「記憶が抜けてるのに何でそう言いきれるのよ」
「レグルスとは君が思ってるより付き合いが長いからな。あんな命令する人間じゃない、ってことは君もわかってるんだろ?」
「……」
アリスは黙った。ライビットの言う通りだったからだ。
「でも、例えば師匠に成りすました誰かがあんたに命令したら…」
「それこそ無理だね。あの魔術師に成り代われるほどの魔力を持った人間がそうそういると思う?」
「……」
「アリス?」
アリスは急に押し黙って拳を唇に当てて考え込む。そして独り言のように話し出した。
「…もし、もしもよ。力を持った魔物だったり悪魔がミランダさんになりすまして訪れる旅人を餌にしていたら。村長が言ってた彼女が人間だという話にもつじつまがあうし、最近になって森で消息を絶つ人が増えたってことも説明がつかない?」
「…昨日君が言ってたんだぞ。ミランダがクラウスを介抱する意図がわからないって。旅人を餌にしてるんならすぐに食っちまうはずだろ?」
「そこなのよね…うむむむ」
「ま、やっぱりミランダを倒すのが一番てっとり早い話だと僕は思うけど」
「それが出来ないからこうやって悩んでるんでしょうが。振り出しに戻った……ん、でも、それもやってみなくちゃわからないわよね?」
「お、やってみるの?」
「万年成績ビリの落ちこぼれを舐めんじゃないわよ」
胸を張って言うアリスに、ライビットは脱力した。
「それ、いい意味で言ってんの? 悪い意味で言ってんの?」
「何言ってんの。人間開き直った者勝ちなのよ」
「ふーん。ま、何するつもりか知らないけど僕は高みの見物をさせてもらうよ。興味はあるけど君を守れとも言われてないしね」
そう言うと、ライビットは姿を消した。本気で協力するつもりはないらしい。
アリスは杖を構えてミランダの家を見据えた。もともと、ライビットの力を当てにするつもりはないらしい。アリスは深呼吸を数回するとミランダの家に向かって歩き出した。
ミランダは目の前で眠っているクラウスの髪と顔を優しく撫でた。そして優しく額に唇を当てる。
すると、ずっと眠っていたクラウスの目がゆっくりと開いた。
「ここは…」
ミランダは彼が目を覚ましたことに喜び笑顔を浮かべる。
「良かった。目が覚めたんですね。お加減はいかがですか?」
「へ…あの…」
クラウスはぼやける視界の中声のした方を見るが、相手の顔がはっきりと見えない。
「俺の眼鏡は…」
「あ、ここにありますよ。どうぞ」
クラウスはどうもと言って眼鏡を受け取るとそれをかける。するとぼやけていた視界がはっきり見え目の前の女性を見て少し驚いたようだった。女性の露出した肌を見て赤面する。
「あの、あなたは…それに、ここは?」
「私はミランダ。ここは私の家です。あなたは近くにある湖のほとりで大怪我をして倒れていたんですよ」
「怪我、湖…っ!」
何があったのか思い出そうしたが、クラウスは突然の頭痛に頭をおさえる。それを見て、ミランダは優しくクラウスを抱きしめた。
クラウスは驚きながらも、彼女の体温の暖かさを感じ彼女を振り払おうとははしなかった。
クラウスを抱きしめながら、ミランダはふと窓から外を見た。外に人の気配を感じたからだ。
「……」
ミランダは外の人影をジッと見つめていた。人影は先日家に泊めたアリスの姿だった。
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別サイトに載せているオリジナルの転載です。
このお話は『迷いの森の吸血姫』の前編になります。駄文な上に長いですが、お付き合いいただければ嬉しいです。