ミランダの家からは人の気配がしなかった。ものすごく静まり返っていて、明かりもついていなかった。
留守なのだろうかと思いながら、ゆっくりと家に近寄る。
ミランダがいないのならば都合がいいのだが、アリスは少し考え込んだあと家の中に忍び込むことにした。
アリスは気配を絶つことには慣れていたので、普通の人間なら気付かれずに家に忍び込むことは簡単だった。ただ、相手は人外である。どこまで通用するか。そう思いながら建物の周囲を観察しつつ鍵があいているところはないかを探る。
昨日入った正面入り口の裏側に裏口と思われる出入り口を発見した。鍵がかかっているかと思ったが、扉は簡単に開いた。
音を立てないように中に入る。やはり誰かがいるような気配は感じられない。
消音
音を消す簡単な魔法をかけて家の中を進む。いつもなら長ったらしい詠唱をするところなのだが今はそんな時間はない。
そして二階へ続く階段を上った。
「……?」
階段を上りきったところで、アリスは足を止めて目をひそめた。クラウスが寝ていた部屋の扉が半分開いていたからだ。
辺りを警戒しながら、ゆっくりと部屋の中に入る。窓が開いていてそこから日光が差し込んでいたため昨日ほど暗くはない。
そしてアリスは気付いた。昨日寝ていたはずのベッドの上にクラウスがいないことに。そして突然現れた真後ろからの殺気に。
「!!」
アリスは即座にその場から離れようとしたが遅かった。突然後ろから首を掴まれそのまま持ち上げられる。
「がっ…!!」
アリスは必死に自分の首を掴んでいる手を引き剥がそうとしたが、腕力ではかなわず引き剥がすことができない。仕方なく杖を構えると
照明球
目を瞑って魔法を発動させる。するとアリスの首を掴んでいた何者かは目をやられたのか少しだけ掴む力が弱まった。その隙を狙って何とか手を振り解いた。
そして自分の首を掴んでいた何者かを見てアリスは驚いた。
「あ…あんた一体何してくれてんのよ!」
彼女の前には包帯を巻いたままのクラウスの姿があった。だが、彼は何も言わずにただアリスを見つめている。
「クラウス…?」
うんともすんとも言わないクラウスの後ろから、ミランダが現れた。
「やっぱり、お知り合いだったんですね」
彼女は微笑みを浮かべたままクラウスの腕に自分の腕を絡ませる。まるで恋人のようにべったりと寄り添うミランダに、クラウスは何の反応も返さなかった。無表情のままアリスを見ている。
「でも、もう彼は私のもの。ずっと…永遠に」
ミランダの潤んだ瞳はジィッとクラウスを見つめていた。まるで何年もの間恋焦がれていた恋人にようやく会えたというような表情をしている。
「誰にも…邪魔はさせないわ」
キッとミランダがアリスを睨みつけると同時に、部屋の空気が一変した。一気に気温が下がったかのように辺りが寒くなる。そしてじりじりとした殺気がアリスを包んでいた。
アリスはミランダを見つめたまま距離を取っていた。後ろに何もないのを確認しながらじりじりと部屋の奥に移動する。
「!?」
が、足元にあった何かに足を取られてそのままアリスは後ろへ倒れる。部屋の奥にはもうひとつ部屋があったようで少し開いていた扉がアリスの体重を支えきれずに開く。アリスはそのまま奥の部屋に倒れこんだ。
「いたたた…ん?」
アリスは身体を起こすといきなり目に入ってきたものを見た。そして一瞬後に
「ひいいいっ!!!」
と悲鳴を上げてそれから離れる。アリスの顔は真っ青になっていた。
彼女が見たのは人の顔だった。ミイラのように干乾びた人間の。それはひとつではなく部屋の中には所狭しと吊り下げられていた。見たところ全て大人の男の死体のようだった。
「…うげ、悪趣味」
アリスの率直的な感想だった。
「大丈夫よ。あなたもすぐにこの中に加えてあげるわ」
そんな彼女にミランダが真後ろから声をかける。
「…私、男じゃないんだけど」
アリスはすぐにミランダから離れて杖を構えた。
「ええ。だからあなたがここに加える初めての女性。私、女性って初めてなの。あなたはどんな味がするのかしら」
ミランダの言葉にアリスは背筋を凍らせた。
「なんというキマシタワー…」
冗談を言いながら強がるアリスだが、彼女の頬には冷や汗が浮いている。今彼女がいる部屋は隠し部屋のような場所で窓はおろか入ってきた入り口以外に外に出るところはないようだった。
アリスが考えている間にも、ミランダはゆっくりとアリスの方へ近寄ってきている。そんなミランダの口から鋭く尖った牙のようなものが見えた。
「えっと、えっと…これでどうだ!」
焦ったアリスは自分の鞄の中から十字架のペンダントを取り出した。もしかしたら吸血鬼かもしれないと思い藁にもすがる気持ちで突きつけたのだ。
「……それが何か?」
だが、彼女には何も効果がないようだった。
ミランダの手がアリスを捕らえようとしたとき、突然床が抜けた。床の木が腐っていたようでアリスの体重を支えきれなかったようだった。アリスは穴からそのまま階下の部屋に落ちた。だが幸いにもベッドの上だったためそこまで衝撃はないのが救いだった。
「…痛い。なんという踏んだり蹴ったり。でも、助かった」
アリスはすぐにベッドから降りて部屋から出る。そして近くにあった部屋の中に駆け込んで中から鍵をかけた。
ミランダ相手にこの部屋で隠れてやり過ごすことができるのか疑問ではあったが、このまま家を出て逃げ切る方が難しい。それに、クラウスを放っておくわけにもいかなかった。
「……」
アリスは扉の鍵をかけて更に置いてあった家具でバリケードを作った。気休め程度だがないよりマシだろう。
そんなことをしているアリスの前に、ライビットが姿を現した。
「やあ、大変そうだね」
「そう思うなら少しくらい手伝ってくれてもいいと思うけど」
「労働には正当な対価を要求する」
「…ならいい」
アリスは呆れて首を横に振ると部屋の中を見渡した。今まで入った部屋の中では一番広い部屋で、女性ものの小物であったり家具や服が並んでいる。あと本がたくさんつまった本棚が並んでいた。
見るからに、ミランダの部屋のようだった。
「ここに何か手がかりがあればいいんだけどね」
偶然入った部屋とはいえ、彼女の部屋に入れたのは幸運だったのかもしれない。
部屋の中を見渡していると一冊の大きな本が目に留まった。アリスが今まで見た中でも一番大きなサイズの分厚い本だった。猫と蛇を模った金色の装飾が施された本だった。小さなテーブルにちょこんと置いてある。
「これは…」
アリスはその大きい本を取り、中を開こうとするが何か封印の魔法が施されているのかいくら力を入れても開かなかった。
「おい、これってあの本の原本じゃないのか?」
ライビットの言葉に、アリスは本を持ったままミランダが執筆を行っているのであろう机に駆け寄った。机の上には紙の束が置いてあり、さっき彼等が読んでいた本のタイトルと同じタイトルがつけられている。
「本当だわ。でもこれ…頁の数が違う」
バックに入れていた本を取り出して比較してみると原本の方が頁数が明らかに多かった。
アリスは持っていた本を机に置くと原本を取って読み始めた。最初の方は全く変わらない内容だったので読んでいる部分は読み飛ばしていく。
そして最後まで読み終えると
「なるほど。だからあの部屋にあんなに死体があったんだ…つまり」
アリスの言葉を遮って部屋の入り口から轟音が響いた。さっき作ったバリケードが破壊されている。そしてミランダが中に入ってきた。心なしか、彼女の表情には先ほどまでの余裕がなさそうに無表情でアリスを睨んでいる。否、彼女が睨んでいるのはアリスではなかった。アリスは彼女の視線の先を追うと、さっきまで持っていた装飾のついた大きな本にいきついた。
「え、この本…?」
「その本に、触るな!!!」
ミランダは今までに見せたことのないような悪鬼じみた形相で怒鳴った。そして長く尖らせた爪でアリスに襲い掛かる。
「うわっ!」
アリスは咄嗟に大きな本を抱えるとミランダの攻撃を避けて床に転がった。そして後ろでは、大きな音を立ててミランダの机がまっぷたつに割れた。それほどに、この本が彼女にとって大切なものだというのは明白だった。
「アリス!」
ライビットの声にアリスはハッとして慌てて部屋から出る。だが、廊下で待ち構えていたのはクラウスだった。再びアリスに襲い掛かるが
「普通の人間ならどうってことはないわ」
アリスは瞬時にクラウスの背後を取ると、彼の首の後ろに手刀を入れる。そしてクラウスは短く呻くと気を失ってその場に崩れ落ちた。
「君、魔術師より戦士の方が素質あるんじゃないの?」
そんなアリスを見て、ライビットが呆れて呟いた。
「かよわい乙女になんてことを言うのかしらね、この獣は…」
「かよわい乙女?」
「そんなことより、あんたは早くクラウス連れてここから離れて。私はこの馬鹿の荷物回収してくるから」
「は? 何で僕がそんなこと…」
「あら? 荷物もちの方がいいって?」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
「そう。じゃ、頼んだ」
アリスは早口でまくしあげると階段の方へ走り去った。ライビットはしばらく唖然としてアリスの背中を見つめていたが、やがて大きくため息をつくと倒れているクラウスのそばへと近寄った。
そこにふらふらとした足取りで部屋からミランダが出てきたが、ライビットとクラウスはもはや視界に入っていないらしく、彼等の横を通り過ぎ階段の方へ走り去ってしまった。
クラウスが寝ていた部屋に戻ってきたアリスは、すぐにクラウスが持っていた荷物を見つけた。だが、一人で持つには多すぎる。
アリスはすぐに部屋の窓を開けると、そこから荷物を外へ放り投げる。だがそこへ
「返して…私の、私の本、返して…」
ふらふらした足取りで、ミランダがか細い声で「返して」を繰り返しながら部屋の中に入ってきた。長い髪は乱れきっており、アリスはそんな彼女を昔本か何かで見た井戸のお化けのようだと思った。
アリスは自分が持っている本とミランダを交互に見た。この本がミランダがおかしくなった元凶なのだろうか。さっき階段を上がるときにこっそり本に向かって炎の魔術をかけてみたのだが、どうやらこの本、防衛の魔術もかかっているらしく魔術を無効化してしまうので破壊もしくは燃やすことができないもののようだった。
どうしたものか。アリスが悩んでいると、ミランダの姿が一瞬消えた。
「?」
そして次の瞬間、アリスはミランダに首を掴まれて窓から突き落とされそうな体勢になっていた。その拍子に窓から持っていた大きな本が落ちていった。
「!!」
「死ね! 死ね!! ひっひひひひひ、ひひゃひゃひゃひゃ!!!」
ミランダの理性はどこか遠く及ばないところにいってしまっているらしく、気が狂ったように奇声を上げてアリスの首をぐいぐい締め付ける。
「ぐっ…」
アリスはミランダの手を掴みながら、何か光るものを見た気がした。それは矢だった。どこかから飛んできた矢は落ちていた本を正確に射抜いた。そしてその本から凄まじい光が放出される。
それと同時にミランダの絶叫が辺りに響いた。それにともない、ミランダの手がアリスの首から離れる。アリスはそのままミランダを蹴ると部屋の中に戻ってミランダから距離を取った。
だが、ミランダは絶叫を上げ続けている。
「な、何が…」
手のあとがついた首をさすりながら、アリスが呟いた。
「いや…いやだいやだいやだいやだ。わ、私はただ…ただ…お願い、お願いもう一度…もう一度だけチャンスを…」
ミランダは涙を流しながら懇願するように虚空に手を伸ばしてわけのわからないことを呟き続けていた。
「えっ!?」
だが、アリスははっきりと見てしまった。少女のように白い肌だったミランダの肌がじわじわと老化しているのを。彼女が苦しみを増すたびに髪の艶はなくなり、肌はくすんでしわだらけになっていく。そして数分後にはもうそれは十代の少女ではなく四十代の中年女性の姿に変わっていた。
「な、何がどうなって…?」
混乱するアリスをよそに、その四十代の中年女性は足元から粒子化して消えていき、やがて塵も残さぬままこの世から消えてなくなった。辺りには静寂が残った。
窓から外を見ると、彼女が消えるのと同時にあの装飾が施された大きな本も消えてなくなっていた。
そんな彼女たちの様子を木の上で眺める一人の男の姿があった。
彼はこの場には場違いな黒を基調としたスーツを着ており金髪と紫の瞳を持った青年だった。彼は大きな本を片手に乗せている。その本の上では一人でにペンが動いており文字をつづり続けていた。ミランダが消えたのを確認するとペンが止まり本が閉じる。すると本は虚空に消えてしまった。
「やれやれ。彼女には期待していたんですがね…荷が重かったということでしょうか。いや、これもまた想定内の結末ということでしょうね。貴女もそう思いませんか?」
青年がちらりと目を走らせると、そこから一本の矢が飛んできた。先ほど本を射抜いた矢と同じものだった。
矢が青年に届く前に青年はその場から一瞬にして消えた。矢が飛んできた方向から舌打ちする音が聞こえる。
「でも、おかげで面白いものも見つけましたし、まずは良しとしましょうか」
それだけ言い残すと、青年の気配は風と共に掻き消えた。それを見ていた者も、やがてその場から立ち去った。
「結局、ミランダは何者だったんだ?」
村の中にある宿屋の一室。アリスとライビットは未だ目を覚まさぬクラウスを連れて村まで戻ってきた。
村の人たちの手を借りてクラウスを同室のベッドに寝かせ、村の人たちが出て行くとライビットが姿を現した。
「……人間じゃない、っていうのは確かなんだろうけどね」
アリスは自分のベッドのに座って言った。
「見て」
そして鞄から一冊の本を取り出すとテーブルの上に放った。
「何だ?」
「ミランダの日記」
「…何が書いてあるんだ?」
ライビットはテーブルの上の本をちらりと見るが、すぐにアリスに向き直った。自分で読む気はないらしい。
「彼女の人生の苦悩がびっしりと。四十年分のね」
「四十年?」
「ええ。恋愛小説を書きながら、素敵な恋愛に憧れながら四十のおばさんになるまで一度も恋愛ができないことに苦しんでいたみたいね。まあ、あんなところに住んでたら当然だと思うけど」
「何であんな場所に住むことにこだわってたんだろうな」
アリスはしばらく天上を見つめていたがフッと息を吐くと口を開いた。
「…私が人生で初めて取り返しのつかないことをしたのは十八の頃だった。幼い頃母をなくし、父は小説を書きながら私を男手ひとつで育ててくれた。だが、忘れもしないあの夜。十八の誕生日を迎えた夜、突然夜中に父が私の部屋にやってきた。突然どうしたのか尋ねるが何も答えない。あの時の父の目は一生忘れられないだろう。父は私を押し倒し純潔を奪った。私は恐怖と激痛をこらえながら近くにあった瓶で思い切り父の頭を殴った。殴ったのは一度だけだった。父は私にかぶさったまま息途絶えた。頭から血を流し、物言わぬ肉塊に成り果てたのだ。私は何という恐ろしいことをしてしまったのだろう。父を、父を殺してしまったのだ。このことを村の人たち、外の人たちに知られるわけにはいかない。隠さなければ、隠さなければ、隠さなければ、隠さなければ、隠さなければ。でも、どこに。ああ、いい場所がある。絶対に見つからない。父の死体を埋めて私が生涯隠し続ける。そうすれば私の罪は暴かれない。私が隠し続けるのだから。ずっと、ずっとこの場所で。そう、父は森に出かけたまま行方がわからないと言えばいい。死体を隠し続ける限り、私は父を殺していないのだから」
「日記の一文か?」
「ええ。彼女はあの家から出なかったんじゃない。出られなかったのよ。ま、今まで彼女が殺人罪でつかまっていないことをみると、父親の失踪で解決したんじゃないかしら。それから父親を埋めた場所で、恋愛小説を書き続ける。二十年も。そんなある日、一人の青年が彼女のもとを訪れた」
「ああ、ミランダが言ってた大きな本を持った青年か?」
ライビットの言葉にアリスは頷いた。そしてテーブルから彼女の日記を取り上げて頁をめくった。
「彼は言った。あなたの書く恋愛小説は素晴らしいと。その青年は若く美しく、あまり男の人と接する機会のない私は彼に簡単に恋してしまった。そんな私に青年は囁いた。あんなに素晴らしい物語を書くのに恋愛をしたことがないというのはもったいない。僕があなたをあなたの物語の主人公にしてさしあげましょう。彼はそう言うと持っていた本を開くと楽しそうに頁をめくっていく。そしてある頁を開いて何かを唱えると本の中から一冊の大きな本が飛び出した。飛び出した本は近くにあった私が書いた『迷いの森の吸血姫』の初版本から全ての文字を吸い取ってしまった。それと同時に自分の身体が光りだす。あまりにも眩しい光で目を瞑り、再び目を開けるとそこには満足そうに微笑む彼の姿。彼の促すまま鏡を見てみると、そこには若い頃の自分の姿が。綺麗な長い銀色の髪に透き通った白い肌。だが、口元に違和感を感じよく見てみると歯が尖っている。どういうことだろうと思っていると青年が言った。あなたはあなたが書いた本の主人公になったのですよと。あなたが書いた素晴らしい恋愛物語の主人公はあなたなのです。俄かには信じられなかった。だが、再び鏡から青年へと視線を移すがもう青年の姿はなかった。夢を見ていたのだろうか。そう思うが鏡の前の私は未だ若い頃の私のまま。頬をつねってみるが、痛い。何らかの魔法なのだろうか。それから数日後、私が書いた物語と同じように私は湖である男性と出会った——とまあ、彼女がどうしてああなったのかの概要が書いてあったわけなんだけど」
アリスは喋りつかれたと言って、部屋に備え付けてあったお茶をグラスに注いで飲む。
「なるほどな。彼女は自分が作った物語の主人公を演じていただけだったというわけか」
「というより、彼女の小説の主人公と同じ吸血鬼になってしまったのよ。私、あの隠し部屋でたくさんの男の人の死体を見たわ。全員水分やら血やら抜かれた干乾びた死体だった。あれを見たとき、本気で彼女が吸血鬼なんだって信じた。彼女はあの物語どおりに森にやってくる男の血を吸っていたのよ」
「でも、あの本の内容に大多数の人間の血を吸う描写なんてどこにもなかったぞ」
「それがあんたの読んだ本と初版本の違いよ。初版本は頁数が違ったわ。彼女の部屋で読んだ原稿もおそらく初版本と同じものでしょうね。初版本はラストに後日談が書かれてるのよ。吸血鬼になった旅人と主人公は二人で暮らしていくんだけど、長い間一緒に暮らしていくと二人の恋心はやがて冷めてしまい旅人は主人公を残して再び旅に出てしまう。恋を知った主人公は訪れる男の人たちを誘惑して恋愛ごっこを続けるが飽きると血を吸って殺しては次の男をとっかえひっかえ。ひどい結末だとは思ったけどね。私たちはあの本を読んでクラウスを旅人だと思いこんでしまったけど、本当は主人公にもてあそばれるだけのモブキャラだったってことね。ま、クラウスは人間的に言うならどうあがいても物語の主役とか主要キャラっぽくないしね」
「君も人の事言えないと思うけど」
「う、うるさいわね」
「けど、今回の件、全ての元凶はミランダのもとを訪れた青年にありそうだな」
「ええ。でも彼女の日記からは具体的な特徴は書かれていなかったわ。彼が何の目的で彼女に近づいて本をあげた意図もわからないし。この件に関してはお手上げってところかしらね。でも、ライビットがクラウス担いで逃げてくれたし、荷物も取り戻したし、私にとってはめでたしめでたしかな」
伸びをするアリスに、ライビットは呆れた様子で尋ねる。
「君はあのまま僕がこいつ放って一人で逃げるとは思わなかったのか?」
「思わなかったわ」
アリスは即答した。
「私がミランダに追い詰められたとき、あんたは助けてくれたわ。あの腐りかけの床をぶち抜いて私をベッドの上に落としてくれた」
「……」
「なんだかんだ言って、ちゃんと助けてくれるんじゃない。見直しちゃったんだから。だからあんたを信用して、クラウスを預けたのよ」
「…ふん。僕は気まぐれだからな。今回だけ特別だ。次もあると思うなよ」
「ふーん」
アリスはジッとライビットを見つめた。てっきり赤面して言い訳してくるかと思っていたが、ライビットは本当に不本意だったというように機嫌の悪そうな表情をしている。彼の真意をはかろうか迷っているところに
「…ん、ここは?」
ベッドの方からクラウスの声が聞こえた。
「おい、役立たずが起きたぞ」
「あら、ほんと」
アリスはベッドから立ち上がり無表情でクラウスのところまでいくと、思いっきりハリセンでクラウスの頭をひっぱたいた。
「痛いっ!! な、何するんですかアリスさん!!」
「ったく、何でそんな大怪我してんのよ!」
「へ…?」
アリスの言葉に、クラウスはマジマジと包帯が巻いてある自分の身体を見た。
「え…アリスさん、何で俺、こんな怪我してるんですか?」
「私に聞くな!」
クラウスの話によると、一緒に森に入ったところから記憶が抜けているようだった。アリスは呆れてクラウスを見つめていたが、「もういい」と言ってため息をついた。
「で、創世書探しは振り出しに戻ったわけだがこれからどうするんだ?」
ライビットの言葉に、アリスは忘れてたと頭を抱えていたが
「師匠の行方をもう一度村の人たちに聞いてみましょ。とりあえず、今回はどうなるかと思ったけど…何とかなってほんとに良かったわ」
アリスはそれだけ言うと、自分のベッドに倒れこんでそのまま深い眠りに落ちていった。
次の日、アリスは村長と村の人間を連れて再びミランダの家まで戻ってきた。
村長にミランダの最後と彼女の日記を渡してことのあらましを説明したところ、村長はえらく落胆した様子だったが、急に彼等の墓を作ろうと言い出したのだ。
村の若いものだけでやると言ったが、村長は老体を押して森の奥までついてきた。そして村人たちでミランダの家の中を捜索し埋められていた父親の骨を掘り出し、さらに隠し部屋の遺体を全て運び出した。
こうして、湖のほとりにミランダと彼女の父、それから複数の名前のない墓が出来上がった。
「まさか、ジョアンが二十年も前に既に死んでおったとは…」
ジョアンというのはミランダの父の名前である。村長はアリスの横で独り言のように呟き始めた。
「彼はもともと村の出身でな。わしの幼馴染だったんじゃ。頭が良かったから幼い頃から王都の学院に通っており、最初は医者を目指しておったんじゃが、彼の奥さんが病で死ぬと同時に医者をやめ小説家になったと言っておった。彼は誠実で、真面目な男だったのに…どうしてこんなことに…あいつが、あいつが娘を襲ったりせなんだら、ミランダも今頃は…いや、それは言うまい。彼女が苦しんでいたのに、それに気付きもせずほったらかしにしていたのはわしも同じじゃ…」
「村長…」
「もう、わしに出来ることといえば、彼等のために祈ってやることだけじゃからの…」
同時に、鎮魂の鐘の音が響いた。村からついてきていた牧師が彼等に弔いの言葉を紡ぐ。村人たちは頭を垂れて黙祷を捧げていた。それにならってアリスも黙祷する。
「お嬢ちゃん…いや、アリスさん。どうやらあんたには世話をかけてしまったようじゃの。お礼をしたいのはやまやまじゃが、何せ寂れた農村での。あまり大したことはできないが時間があるときにわしの家によりなさい。いつでも歓迎しよう」
村長はそう言うと、村人たちと共に村の方へ帰っていった。
アリスはしばらく誰もいなくなったミランダの家の周りを歩いていた。そして自分が突き落とされそうになった窓を見つけるとその反対の方角を見た。昨日矢が飛んできた方向である。
「何者なんだろうね」
突然、ライビットが姿を現した。
「私が今日生きていられるのだって、昨日たくさんの幸運が起こったから。飛んできた矢はしっかりとあの本を射抜いていた。私の魔術が無効化されたあの本を、あの矢はいとも簡単に本を貫いた。結局矢の持ち主は姿すら見せなかったしね。お礼くらい言いたかったんだけど」
「次に会うことがあればその時に言えばいいんじゃない?」
「姿を見てないのにどうやって判断するのよ」
「またこんなことがあったときに助けてくれた人?」
「またこんな目にあってたまるか!」
アリスは思った。創世書と師匠探しのために旅に出たのに、早々にこんな命に関わる事件に巻き込まれた。まあ、運が悪かったといえば悪いで済まされるかもしれないが、このまま旅を続けてもいいのだろうかと。
「怖気づいたのかい?」
まるで気持ちを読んでいたかのようなタイミングで、ライビットが尋ねた。
「怖くはないけど…あの本といい、ミランダの日記に出てた青年の話といい、何か嫌な予感がするのよね」
アリスは自分の胸を拳でおさえる。
「ま、僕はこのまま旅を続けようが戻ろうがどっちでもいいけどね。でも、あの生真面目な荷物持ちが何て言うかわからないけど」
「……」
アリスはクラウスを思い出し深いため息をついた。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
別サイトに載せているオリジナルの転載です。
このお話は『迷いの森の吸血姫』の後編になります。読んでくださった方に感謝します。