七 これから始まる時間をきみと
ユヅルの傷は一晩の内に全て治り、僕は腕に包帯を巻いて登校になった。
とりあえず理由は自転車で転倒。しばらく僕のことはドジッ子と呼ばれそうだ。
あれから僕やユヅルは、春香に殺されることもなく、気が付けば二人して公園のベンチで横になっていた。ご丁寧に頭の下には枕代わりのタオルがあり、救急箱まで目に付く所にあった。
結局、あれ以来春香とは話が出来ていない。
でも、今こうして僕達の命があるということは、もう命を狙われないということだろうか。
それとも、もうこの町を発ってしまっているのだろうか。
通学路で彼女を見かけず、教室にも彼女の姿は現れなかったので、後者とばかり僕達は思っていた。
――それはそれで、彼女らしいのかもしれない。
あのどこまでも強気で、意地っ張りな性格だ。素直に謝って和解しそうとしたり、これからは仲良くしよう、なんて言い出したりはしないだろう。
だから、朝のホームルームで彼女が教壇の上に立った時、心底驚いた。
「桜塚春香よ。よろしくね」
一週間前と全く同じような光景。思わず僕は、ユヅルの船で過去に渡ったのでは、と思ったけど、それならユヅルまで驚いている理由が説明つかない。
クラス全員が拍手し、男子は彼女の美貌に見惚れ、女子は羨望の眼差しを向ける。
その面持ちは新鮮なもので、彼等に既視感などは全くないみたいだった。
恒例の質問タイムがあり、普通に授業があり、放課後。
僕とユヅルは、春香について来るように促され、苦い思い出のある屋上にやって来た。
「……一応質問すると、あの春香だよね?」
殺意も、過剰な猫被りもない彼女は、異性として魅力的に感じられた。
伸ばされた金髪、大きな赤い瞳、抜群のスタイル、守ってあげたくなるような低い背丈。
ユヅルとは正反対のようで、その魅力は彼女に通ずるものがある。
「ええ。戦神のハルカよ。刃物を自在に操り、好きなだけ刀やナイフを呼び出せるわ」
得意気に自己紹介する春香には今までのような毒気も、自暴自棄な哀しい虚勢もない。
きっと、これがありのままの彼女なのだろう。
「これは、どういうことなの?」
「簡単な話よ。ここの土地神、井波だっけ、に頼んで、学校関係者の記憶から、アタシに関するものを全部消してもらったの」
「え……?何のために?」
「永。アンタが言ったことが本当か、試すためよ。またゼロから出会いをやり直して、ありのままのアタシを皆に見せる。それでアタシを受け入れてくれるか、アタシがいることを喜んで、アタシがいないことを悲しんでくれるか」
しばらく僕達は呆気に取られて、じっと春香を見つめていた。
……そういえば、今日の彼女は僕の知る通りの春香だった。いや、正確には僕が知る春香がもう少しソフトになった感じだったと思う。これが素の春香の性格なのだろうか。
「もうわかってくれると思うけど、アンタ達を狙うようなことはしないわ。永、アンタに諭されて、もう時を操ることも、他の神を逆恨みすることも、馬鹿らしくなったの。それよりアタシは、今の人間も捨てたもんじゃないのは本当なのか、検証するのに忙しい身になったわ」
一方的にそれだけ言い、すねたようにそっぽを向く姿は、まるで漫画の中のわかりやすいツンデレの女の子みたいで、思わず笑いが漏れてしまう。
それに気付いて睨まれるけど、それも嫌じゃなかった。もう恐ろしい想いもしない。
「後、ユヅル。アンタはちょっとあっち行ってて。絶対に聴き耳立てるんじゃないわよ」
「……わかった」
ユヅルが素直に屋上から姿を消すのを待って、春香は急に僕に近付いて来た。
豊満な胸が当たりそうになってしまい、慌てて身を引くが、彼女はお構いなしに体をくっ付ける。
予想通り、こう言うとものすごく悪いけど、ユヅルにはあまりない柔らかな感触が伝わり、本能的に幸せな気持ちになってしまう。
「な、何?」
「耳、貸しなさい」
よっぽど言いにくいことなのか、声を潜め、耳の近くで囁くように彼女は言う。
「アンタのこと、好きなの。付き合いなさい」
「え、ええ!?つ、付き合う?」
「ばかっ。声が大きいじゃない。ユヅルに聞こえるわ」
「い、いやいやいや。そういう問題じゃなくて、えっ?なんで春香が?僕に?」
頭が真っ白になる。いや、ピンク色かもしれない。とにかく何も考えられない。
「……アンタのあの言葉。アタシを信じてくれるっていうアレが、ずっと忘れられないのよ。あの時アンタは、誰かってぼかしていたけど、アレはアンタ自身なんでしょ?アンタ自身が、アタシがいてくれるだけで喜んでくれるんでしょ?」
「そ、それは」
あの主張は、春香を説得する上で核をなすことだ。
下手に否定することは、僕の言葉全てを破綻させることになるし、本心を隠すことにもなる。
「……うん。少なくとも僕は、春香がいなくなったら悲しい。そう思う。今日きみと会えて、驚くと同時に安心もした」
「でしょ?……で、アンタみたいなうだつの上がらないヘタレが勇気を振り絞って告白した以上、慈悲深いアタシは断ったりしないわ。付き合ってあげる。感謝しなさい」
「え、ええ?さっきとは言ってることが逆になってるような」
「良いから、素直に頷きなさい!アタシと付き合ったら、好きなだけアタシに触れて良いのよ?」
「えっ」
そ、それは魅力的……じゃないっ。
「僕はもうユヅルと付き合ってるんだし、彼女を本気で愛してる。悪いけど、きみの気持ちはその、受け取れない。だけど、すごく嬉しいよ」
まさか、僕が女の子に告白されて、しかもそれを振ることになるなんて……。少し前の僕なら絶対に信じられない。
「そ、そう……。まあ、アタシは器が大きいから、別に良いわ。じゃあ、もう帰れば?本当はここって出入り禁止なのよ」
「わかってるよ……」
春香にお尻を突かれるようにして屋上を出て、ユヅルと一緒に帰る。
とんでもないハプニングは起きたけど、今日の下校中もまた、楽しい話が尽きなかった。
「……春香に何を言われたの?」
「え、えっと……。ちょっとしたことだよ」
「人の告白をそんな風に言うのは、ちょっと感心しない。春香が可哀相」
こんなことを大真面目な顔で言われてしまった時には、さすがに肝が冷えたけど……。
これから悲しむべきことがあるから、一層楽しいものになったんだと思う。
何も言わなくても、僕達は家を素通りして川へと向かった。
ユヅルが本当に帰るべき場所は人間の家ではなく、そこなのだから。
「永。今までありがとう」
しっとりとした彼女の声は、記憶の中で一番切なげで、同時にそういう照れと哀しみが混ざったような顔は、一番彼女に似合っていてこれ以上がないぐらい魅力的だ。
「そんな、お礼なんて良いよ」
「……うん。住む場所は違うけど、私はあなたと別れるつもりなんてない。これから、言葉ではなく行動で恩返しをしたい」
そういうことじゃないつもりなんだけど……。真面目な彼女らしい。
それに、彼女の口から僕と一緒にいてくれると言ってくれたのが嬉しかった。
僕とユヅルの気持ちがずれているとは思っていなかった。でも、自分から言い出すのとでは、意味合いが違って来る。
「最後に」
「最後って……悲しいこと言わないでよ」
「う、うん。この川の神に戻る前に、あなたも皆も知っている由弦として、これだけ言っておきたい」
きっ、と引き締まった顔で、ユヅルは数拍の間黙る。
何を言われるのだろうか。見当も付かないその言葉を待つ僕は内心冷や汗をかいていた。
「この質問は、本当にただの好奇心だから。答えなくても良いけど、私を信じてくれているあなたなら、答えてくれると信じている」
「そ、それで?」
「あなたは、過去に戻って何を変えたの?かつてのあなたは、何にそこまで心を傷めたの?」
――なぜだろうか。僕は彼女にこう訊かれるのを予想していたのかもしれないし、実はこの質問を期待していたのかもしれない。
時の流れを遡ってまで叶えた望みなんて、きっと誰にも言えない。墓場まで持って行くしかない記憶だろう。
もし誰かに話せるとしたら、それはユヅルだけだ。僕は彼女に打ち明けてしまいたかったのだと思う。過去を変えるという行動自体は褒められたものとは思えない。でも、恥ずかしいことはしていないつもりだ。
「七月二十三日、あの日は渚沙の誕生日だったんだ。だけど僕はうっかりして、友達の家に泊まり込みで遊んでしまっていた。それで、毎年贈っていた誕生日プレゼントを当日渡せなかったんだ。
一日遅れでも渚沙は受け取ってくれたけど、喜びながらも悲しそうな渚沙が可哀相で、やるせなかった。それから自分を責め続けて、その友達にも愚痴をこぼした。一度過ぎ去った時間は、二度と帰って来ないのに」
そんな時、僕はかつて聞いた伝説を頼った。
ただのお伽噺と思っていたユヅルの伝説は本当で、今こうして過去を変えた僕がいる。
「――それだけ?」
「う、うん。他に理由なんてなかったし、後は多分、前と違うことはしていないと思う。あ、ちなみに渚沙へのプレゼントっていうのは、今もはいてくれているミュールなんだけど」
「そう」
短く言うユヅルの顔は、微笑を湛えていた。
それから、晴れ晴れとした笑顔で続けてくれる。
「あなたと出会い、春香と出会ってから、私はこの川の存在意義について悩んでいた。過去を都合よく変えてしまうことの身勝手さを強く意識し始めて、こんなことを続けても良いのか、わからなくなっていた。
だから、私が信じられて、春香も信じようとしているあなたの、過去を変えた理由を訊いた。そして、あなたの優しさが、これ以上がないほどよく伝わって来た。
あなたは多分、今まで過去を変えて来たどんな人よりも、ささやかな過去改変をした。それがすごく嬉しい。
……永。これからは私と一緒にこの川の船頭をして欲しいの。今までは私が一方的に相手に機会を与えるだけだったけど、今度からはちゃんと話し合って、一番正しいと思う形の過去への干渉をしたい」
長袖の制服をまとった愛しい人の手が差し出される。
それを握り返さない理由はなかった。
「――――ありがとう。もちろん、喜んで」
こうして、一夏の現実離れした、しかし現実に起きた物語は終わった。
そして、これからは新しい物語が描き出される。
今度は僕もユヅルと同じ、人知を超えた過去を変える川。――時川の船頭として。
終わり
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これで終わりです
「一夏の物語」という言葉が好きなので、舞台設定は初夏か夏真っ盛りにすることが多いのですが、これもそうです。とことんヘタレ主人公を追求したのですが、最初の頃と比べると、微妙に男らしくなってるかも?