No.470345

時川の船頭 六話

今生康宏さん

日常パートとシリアスパートをバランスよく、を狙ったのですがシリアスに偏っているかも?ちなみにこれ以降の長編は、大概ギャグ多めになっています。その方が合っているような気がして来ました

2012-08-15 03:33:52 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:275   閲覧ユーザー数:275

六 想いと共に重ねるモノ

 

 

 

 僕とユヅルは、恋人同士という関係になった。

 学校ではいとこ、家ではただの友達という設定である以上、いちゃつくようなことは出来ないし、僕もユヅルも積極的にそんなことはしなかった。

 じゃあ、想いを告げる前と後で、どんな変化があったか、と言えば……。

 少しだけ、学校に通うことの恐怖が薄らいだこと、だろうか。

 彼女と一緒の日々が、前以上に楽しく、嬉しくなったこともある。

 なぜか春香が一戦交えて以来、大人しくなったこともある。

 けどそれ以上に、お互いが信じ合えている。その安心感が恐怖心を消し去ってくれた。

 ――ちなみに、ユヅルが僕の家で暮らすことになった翌日、渚沙にカナちゃんを紹介してもらい、一通りの話を訊くことが出来たのだけど、一つを除いて、有益な情報はなかった。

 唯一意味のある情報とは、春香の兄という人物の行動についてだ。

 丁度その日の前日、僕達の状況も激変した日に、その人物は夜八時ぐらいに団地を抜け出し、どうやらまだ帰っていないらしい。

 それだけなら見過ごすことは出来ても、それから三、四日経ってもまだ帰っていないらしいという。

 彼が何らかの工作のために春香と別行動を取り出したことは、疑うべきだろう。だけど、僕達が出来ることはそう多くもない。そのままずるずると時は流れ、ユヅルが学校に通い始めて一週間、そして土日を跨いで新しい月曜日。

 今日も無事に終わりのホームルームを迎えて、ユヅルと一緒に下校する。

 最初は意識し過ぎて、変にまごついていたこの習慣も、今では段々と慣れて来た。

 僕より背の低い彼女は、前を行くことよりも少し後ろをついて来るのを好んでいる。

 後ろからの春香の襲撃に備える、といった事務的なものではなく、単純にユヅルはその方が居心地良いのだろう。

 そして、意外にも積極的に話を振ってくれるのはユヅルだ。

 学校であった不思議だと思ったことを話してくれたり、花壇に植えられている花や、木のことを僕に訊いたりする。

 その度に僕が現代の知識を教えると、ユヅルは興味深そうに頷いて、感想を漏らした。

 彼女と話したいことは他にもたくさんあるというのに、なぜか僕はユヅルに話しかけられてばかりで、自分から何か彼女に質問することはあんまりないし、家でも会話は少ない。

 今は単純に、胸がいっぱいだからなのだろうか。

 そして、彼女と一緒の時間、それ自体を楽しんでいるのだろうか。

 自分自身のことなのに、なんだかわからない。

 でもわからないのが不快じゃなくて、その理由は自分の心が幸せな気持ちに満たされているからだ。

 今日も目に入る景色は美しくて、一点の曇りもない。

 あるとすれば、それは春香なのに、彼女まですっかり毒気が抜けたように見えた。

 いや、かつて感じていた覇気がすっかり消えてしまったのかもしれない。今の優等生を演じる彼女には、どこか空元気のような痛々しい感じがある。

 ユヅルや他の生徒もそれには気付いていて、皆は引っ越して来て不安があるんだろうと。ユヅルは不安定な時期なのだろうと言った。

 彼女はもう二回失敗していて、内心かなり焦っている。けども、また攻めても同じと思っている。自分に自信が持てなくて、あの血気盛んな性格も形を潜めているのだろうか。

 今度爆発した時が最後。そんな気が僕はしているし、ユヅルもきっとそう思っている。決着が付くとしたら、その時。そして、きっともうすぐその時は来る。

 そう思っているからこそ、僕は彼女との時間を大切にするつもりだった。

 どういう形で全てが終わるのか、まだわからない。でもいずれにせよ、ユヅルの座を奪おうとする相手がいなくなれば、僕が狙われることもなくなる。

 彼女が僕の家に住んだり、学校に通ったりする理由も当然、なくなる。そもそも彼女が本来いるべき場所は、あの川なのだからそこに戻らなければならない。

 それでも、きっとユヅルは僕が会いに来るのを許してくれるだろう。けれど、そうなっても二人の距離は確実に離れてしまう。

 今までが異常だった。そう思えば割り切れる……そんな軽い気持ちなら、僕は種族も何もかも違う彼女に告白はしなかった。

 老いない彼女に想いを告げて、一人残される悲しみを背負わせようとはしなかった。

 僕はずっと今の状況が続くことがいけないことだとわかりつつも、それを願い、それが出来ないならば、せめて短いこの時間は幸せで楽しいものにしたいと思っている。

「……永?」

 あんまり僕が切なげな顔をしていたのだろうか。ユヅルの顔が目の前にあって、僕のことを心配そうに見上げていた。

「大丈夫。ただ、今からちょっと皮算用していただけだよ」

 まだ全てがどうなるかはわからない。

 未来を悲観することを皮算用と言うか知らないけど、その説明だけでユヅルには伝わったらしく、彼女はわずかに笑った。

「私は、あなたに悲しんで欲しくない。だから、あなたが望む通りのことをしたい」

「僕の望む通り?」

 その言葉は、あまりに魅力的で、甘く響く。

「僕が、全て終わってからもきみに僕の家にいて欲しいって、言ったら?」

 訊いて良かったのか、言い終えてから悩んだ。

 彼女を悩ませてしまうかもしれないし、その願望が現実になるのは、彼女が自分の役目を放棄してしまうことになる。

 過去を変えるなんて、望ましくないことなのだから、本当はその方が良いのかもしれない。

 でもそうなると、僕自身が過去を変えてしまったという事実がある。そんな僕が今更、どうこう言える身分ではないだろう。

「わからない」

 ユヅルの言葉は、あまりに簡潔だった。

 そして、過去を変えることは出来ても、未来まで見通すことは出来ない彼女らしい言葉に思えた。

 僕も、ユヅル達も、先のことなんて実際にその時が来るまでわからない。そういうことを言いたいんだ。

 もし未来を見通す神がいれば、それは未来を一つの形に規定してしまう神ということになる。それは、きっと全能にも近い存在なのだろう。

「そっか。そうだよね」

 ここで、ずっと一緒にいてくれると言ってくれなかったことを恨もうだなんて思わない。

 それは勿論、断言してくれたら嬉しかった。でも、そこまでは甘え過ぎだ。

「でも、私はあなたのことがずっと好きだから」

 幸せそうな笑顔で言ってくれたその言葉は、どんな励ましよりも僕に力をくれる。そんな気がした。

 その夜。

 深い眠りの底にいた僕は、本来自分の部屋で聞こえるはずのない物音に起こされた。

 激しい衣擦れの音。

 ただの布が擦れる音なら、まだ渚沙が何らかの理由で僕を訪ねて来たとか、他の理由はある。

 だけどこれは違う。歩くだけ、軽く体を動かすだけではこんな音はしない。

 慌てて飛び起きると、そこには普段着に選んだブラウス姿のユヅルと、もう一人。黒衣の男がいた。

 男の方は肩で息をし、腕を痛めている様子だ。それだけでなんとなく状況は把握出来る。

「――ユヅル」

「寝込みを襲うことを、罵りはしない。でも、あの子はもっと真っ当な攻め方をして来た。七月三十一日、春香の服に偽の解毒薬を仕込んだのはあなた?」

 部屋の電気が点いていないから、全てを見通せる訳ではない。それでも、ユヅルがいつもの櫂を持っていないことはわかる。

 徒手格闘で自分よりずっと大きな相手の男を圧倒したのだろうか。神格が下がっているとはいえ、相手が人間ならそれも当然かもしれない。

「そんな昔のことは正直忘れたが――まあ、したかもしれんな。なんとなくあの時はしくじる気がしていた」

「仲間を信じていないの?」

「信じているさ。今でもな。あの時は、お前がハルカを殺さない可能性が高いと思って、それに賭けただけだ」

 そんなの、信じていないのと同じだ。

 本当に春香のことを信じていて、彼女を大事にしたいと思っているなら、そんな賭けは絶対にしない。

「あなたがこうして姿を現さなかったら、私はずっとあなたが神であると気付かなかった。それを利用して私を殺すことも出来たはず。なぜ?」

「気付いているだろ?今のハルカは、相当精神的に参ってる。これ以上あいつを苦しめたくなかった」

 ……苦しめたくない?そんな理由で、有利な状況を捨てたのか?

 暗いせいで表情を伺えないこの男が、途端にわからなくなった。

 一体、この男……ユヅルの言葉によれば神、にとって春香とは何なのだろうか。

 目的を同じとする協力者?それとも、ユヅルと野宮さんのような古い友人?それとも……。

「あなた達は、本当はもう半分以上諦めている。そうでしょう?」

「冗談を。そんなに簡単に諦めると思うか?」

「思わない。でも、状況は諦めざるを得ないものになっている。あなたは私から逃げ切れないのだから」

 二人の距離は、たった三歩分ぐらい、ユヅルの俊敏さなら一瞬で詰め寄り、どうにでも出来る。

 それは相手にも言えそうだけど、かばっている右腕は折れるかどうかしているようだ。

「そうか?俺を追った瞬間、無防備になったそこの坊っちゃんを、ハルカが殺すかもしれないっていうのに」

「あなたならともかく、あの子は自分の気配を隠すのが苦手。すぐに永を狙える距離にいればわかる」

「それが演技だったら?お前は、愛する人間を失うことになるぞ」

 男は露骨に心理的に揺さぶりに来ている。僕だったら確実に決断をためらうところだ。

 それでも、ユヅルは毅然と胸を張り、決して動じない。

「あり得ない。どれだけ上手に気配を隠したとしても、私は一度覚えた気配を絶対に見抜く自信がある」

「はっ。そうか。ハルカなら、これだけ意地悪言ったら泣くか、暴走するかするんだが、さすがに冷静だな。肝も据わっていれば、実力に自信もある。そんなのとやり合おうとしたのが運の尽きか……」

 台詞の最後の方は、なぜか小さくなって行ってはっきりとは聞こえなかった。

 そのまま男の姿まで霞むと、闇と同化するように消えて行ってしまった。

「私や井波のことを見くびり過ぎた。彼がどうしてこの部屋にやって来たのかを考えれば、どんな力を持っているかぐらいわかるのに」

「……どういうこと?」

「あなたの部屋は、私がいなくても常に井波が警戒している。不審な気配があれば、すぐに私が向かえるように。本来、姿を消している間の私は川にいるけど、井波に協力してもらうことでこの町の好きな所へと行けるようになっているから」

「う、うん。理論の話は良いけど、それと相手の能力がわかること、どんな関係が?」

 急に相手が僕の部屋にやって来たから、ユヅルもここに来たのはわかるとして、それだけで相手の詳細な情報はわからないはずだ。

 しかも、相手は今まで神かどうかすらわかっていなかったのだから、前もってユヅル達が情報を掴んでいるとは思えない。

「彼が、なぜよりにもよってあなたの部屋に来たのか。それが鍵」

「……僕を狙うためじゃないの?」

「あなたは、どうして狙われている?正しくは、あなたは私を殺すための一手段として注目されているに過ぎない。なら、人質に取るのは誰でも良い。あなたの家族でも良いし、全くの他人でも良い。人質を取るという行為は、私に有効なのだから」

「た、確かに」

 すっかり狙われるのが習慣化し過ぎていて、その理由を見失っていた。

 そういえば僕自身の命が狙われているんじゃなかった。相手の最終目的はあくまでユヅルなんだ。

「もちろん、堂々と家の鍵をこじ開けたり、窓を破ったりという手段は現実的ではない。警察事になれば、神といえども面倒だから。けど、あの神は瞬間移動が出来るらしい。なら、人の家に忍び込んで人質を取るのは容易のはず」

「うん……。そうだね」

「彼には、移動する場所があなたの部屋でなければならない理由があった。その理由は、この部屋の特別性。正しくはあなたの特別性とも言える。あなたは、私と非常に緊密な間柄にある。それは、図らずともあなたやあなたの持つ物に私の気が強く残ってしまうことを意味する。彼はそれを利用した」

「つまり――どういうこと?」

 ユヅルは、わかりやすく、そして詳しく説明してくれているんだろうけど、僕の理解力が足りないのか、まだまだ神のことに疎いのか、イメージが掴めない。

「神の気の強く残った物二つを転送点とし、その間を移動する能力は土地神の多くに備わっている。彼は戦神のようだけど、その力を備えているのは十分あり得ること。今回は恐らく、あなたの通学用の鞄辺りと、私を刺したナイフを繋いで瞬間移動をして来たのでしょう」

 正しく神の所業。任意の二点のワープなんてSFじゃ珍しくないけど、目の当たりにすると改めて驚く。

「そんなことが出来るんだ……。もしかして、ユヅルや野宮さんも出来るの?」

「一応は。尤も、こちらが真似ようとしたところで、いくら弱っているとはいえ春香が隙を見せるとは思えないけど」

 ――それに、僕達は春香を憎んでいる訳じゃない。

 彼女に狙われ、今まで何度も危険な目には遭わされているけど、彼女を本気で傷付け、屈服させたいとは僕もユヅルも思ってはいなかった。

 それでも、彼女の部屋に入ることが出来れば何かの役に立ちそうだったが。

「今まで暗躍を決め込んでいた、もう一人の相手が表立って動き出した。いよいよ向こうも勝負を決めようとしている。あの神が怪我を負って戻れば、あの子は十中八九復讐に燃えると思う。あの二人には、ただの協力者以上の関係があるはずだから」

「明日にでも、本気で向かって来る……?」

 暗闇の中でもはっきりとわかるように、ユヅルは大きく頷いた。

「後先考えなくなれば、何をするかわからない。永、私はあなたを守りたい。でも、場合によってはより大勢の人を生かす選択をするかもしれない」

「……うん」

「もしあなたの命が奪われるようなことになったら、私を怨んで。人の憎悪は神に相応の苦しみを与えるから、無駄じゃない。私を信じたあなたを裏切るのだから、どんな苦しみでも私は受け入れる」

「ユヅル」

 彼女の悲しげな顔は、声から簡単に想像出来た。目で見るよりも鮮明なイメージが出来上がっている。

「そんなことしないよ。それに、ユヅルは最後まで皆を救おうとしてくれるでしょ?僕はずっとそれを信じてるから、平気だよ」

「…………ありがとう」

 死ぬことを恐れないなんて、自分でも不思議に思う。

もちろん、この言葉はユヅルを安心させるために吐いた嘘じゃない。本心から、僕は明日何が起こっても、彼女を攻めようとは思わなかった。

 何度も命を狙われて、その度に彼女に助けられて来たから、今度こそ命を失うことになっても、今まで生き永らえることが出来たのだから満足とでもいうのだろうか?

 ユヅルに告白して以来、前以上に僕は今という時間を、そして自分の命を、大事にしたいと思っているはずなのに。

「……まだ起きるには早い時間だから、あなたは寝るべき。永。おやすみなさい」

「うん。おやすみなさい」

 消えて行く彼女の姿を見送って、僕は一つ決意をした。

 もしもユヅルが迷うようなことがあったら――――。

 翌日、教室に春香が現れることはなかった。

 なんとなくこうなる予感もしていたので、僕達はいつも通りに放課後を待つ。

 ユヅルは無口ながらも、その容姿の力によってクラス内では存在感があって、結構クラスメイトから話しかけられている。

 尤も、いつもはよく喋り、ユヅル以上に目立つ春香がいるので、そちらに目を奪われがちだが、彼女がいない今日、ユヅルはその存在感を遺憾なく発揮していた。

 春香が太陽なら、ユヅルはまるで月のようだ。その眩し過ぎないところが僕の好みなのかもしれない。

「桜塚さん、どうしたのかな?」

 それでも、休み時間になるとそんな言葉が聞こえる。

 彼女は優等生を演じながらも、クラスの中に自分の居場所を完全に作り上げていた。

 クラスメイトと話す彼女の顔に、とても演技とは思えない優しげで、楽しそうなものがあったのを僕は何度も見ている。

 そんな彼女を知っているから、僕は彼女が時々わからなくなる。

 今日は、あの男の人を看病しているだけで、裏の意味なんてないんじゃないか?そんな考えが浮かんで来る。

 一週間前の彼女は、酷く人間を嫌っていた。でも、この一週間で人の温かさを知り、考えを改めてくれたのでは、とそう思う。

 ――全ては憶測ではなく、願望だ。彼女の絶望は、たった一週間で癒せるほどのものではない。

 頭ではそうわかりつつも、彼女の家にプリントを届けたがるたくさんの生徒を見ると、そう願わずにはいられなかった。

「永。帰りましょう」

 荷物をまとめ、帰る段になると、その想いは更に強まり、下駄箱に向かう間ずっと気が重かった。

 とりあえずそこまでつつがなく行けて、外の景色が目に入ると少しだけ楽になれる。

 でもここからが本番だ。きっと彼女は僕達の前に姿を現す。これで最後にするつもりなのだから、他の生徒や近所の人の目なんて気にしない。むしろ人質にしたり、こちらを感情的にさせるために傷付けるかもしれない。

 ユヅルもそれを予想して、周囲の気配を探る様子はテレビで見たボディガードのそれみたいだ。

「春香は、現れるかな」

「ああ、きっと来るよ」

 答えたのはユヅルではなく、気が付くと後ろを歩いていた野宮さんだった。

 学校を出た時はいなかったはずなのに。こんなに簡単に後ろを取られているようでは、ユヅルがいなくて、これが春香なら間違いなく僕は相手に捕まっている。

「今日は朝からずっと、この町を広域に渡って調べている。昼まで春香は一カ所に留まっていたけど、一時を過ぎた辺りから動き出した。行った場所は公園や喫茶店ばかりだけどね」

「何か意味があるんですか?」

「さあ。ぼくは気配を辿ることをしているだけだから、何をしているのかまでは知らない。自分の目で確認しようとしたら、間違いなく殺されるしね。でも、これだけはわかるよ。彼女はものすごく遠回りをしながら、学校に向かっている」

「今、どの辺りに?」

「ちょっと待って」

 そう言うと野宮さんは立ち止まり、目を瞑った。それから三十秒ほどして、再び目を開く。

「彼女の方も決心が付いた、ということか。相手が君達と同じ速度で歩くとして、十五分ほどで鉢合わせする所にいる。丁度、小さな公園があるところ……きみの家の近くだね」

「そこなら、よく覚えています。小さい頃に妹とよく遊びましたから。ブランコが二台、シーソが二台、ベンチが二脚。それだけの公園です」

 ユヅルと行ったこともある、とはあえて言わなかった。だって、その話になると、あのことも話さないといけない流れになりそうだし……。何より、二人だけの秘密を一つぐらいは作りたかった。せめてもの恋人らしいことだ。

「今そこで遊んでいる子はいないし、植え込みに遮られて公園の中の様子はわからない。意外にも彼女は、秘密裏に勝負をしようとしているみたいだ」

「人質もなく、ですか?」

「――それが、彼女なりのけじめの付け方なのだと思う」

 ここに来て初めて口を開いたユヅルの言葉は、重い響きを持っていた。

 春香のことを「あの子」ではなく「彼女」と呼んだのにも、意味がある風に感じる。

「ユヅル、後は全て任せて良いかな。ぼくの土地のことなのに、君にばかり迷惑をかけて本当に申し訳ない」

「これぐらいでお礼を言い合う間柄?相手の狙いが私である以上、私が行かなければならないのだし、あなたはあなたの出来ることをしていれば良い」

「そう、だね。じゃあ永君。頼りないかもしれないけど、ここからはぼくに護衛を任せてもらえるかな。相手が土壇場に立って、何をするかわからない以上、君をユヅルに同行させることは出来ないから」

「……いえ」

 ここで首を縦に振る訳にはいかなかった。

 だって、ユヅルは僕を守ってくれているだけの存在じゃない。僕が信じ、信じてもらっている大事な女の子だ。

「僕は、ユヅルを信じて見守り続けたいです。それに、もし僕の言葉が届くのなら……」

 続けようとした本心は、口の前に人差し指を立てたユヅルの仕草に遮られる。

 春香を説得したいなんて、自分を瀕死にさせられた野宮さんに話して良い顔をされる訳もない、か。

「……ユヅルに惹かれるだけあって、君もユヅルに似ているみたいだね。危険な目に遭わせたくはないけど、ユヅルのことはぼくも信用している。安心して任せるよ。

 それなら、いよいよぼくはお役御免だ。ユヅル、永君。無事を心から願っているよ。どちらが欠けても、悲しむ人はいる。それを忘れないでね」

 野宮さんは適当な路地へと入って行き、見えなくなった。その背中に何か言葉を返そうと思ったのに、結局言えずじまいで終わってしまう。

 お世話になりっぱなしなのに、突き放すような形になってしまい、本当に申し訳ない。でも、もう決めたことだ。今更ユヅルと離れることなんて、とても出来そうにはない。

「永。残ってくれてありがとう。私一人だと、上手く彼女と話せるか不安だった」

 それでも心残りがあって、ぼんやりと路地を見ていると、急に制服の裾を引かれて、嬉しそうなユヅルの声が聞こえた。

「僕も、春香とは話したかったから。彼女が素直に話を聞いてくれるかは、正直絶望的な気もするけど」

「出来る限り、私は彼女の動きを封じようと思う。今の私では、きっと隙を作ったり見つけたりしても、前のようには有効打を与えられない。だから、危険だけどあなたには近くにいてもらって、彼女に優しい言葉をかけてあげて欲しい」

「……優しい言葉、か」

「あなたは優しいから、思ったままのことを言えば大丈夫。彼女を信じて、彼女にあなたを信じさせてあげて。人が信仰し、神が人を愛す。そんな当たり前だった人と神の関係を思い出すことが、彼女には必要だから」

 ユヅルは自然に僕の手を取り、きゅっと手を握った。彼女の優しいぬくもりが、僕の手に伝わる。

 きっと、こういうことだ。

 頭ではなく、心でそうわかった。

 この温かい気持ちを、優しい気持ちを春香にも伝えれば良い。

 簡単には伝わらないかもしれないけど、人に優しくされてそれを嫌がる人はいない。神だってきっと同じだ。

 そう思うと、きっと難しいことじゃない。彼女は傷付きやすい繊細な心を持っていたからこそ、今こうして人を信じられなくなり、人を憎んでいる。その片鱗は既に彼女自身の言葉が見せてくれている。

 『あいつ等はまた感謝してくれた。すごく嬉しかった。それなのに……』

 あの言葉は、間違いなく彼女の傷付いた心が上げた切ない叫びだ。

 僕が過去の人々が春香にした仕打ちの謝罪をしようと言うんじゃない。辛かった過去をわざわざ掘り返して、それで更に彼女を傷付ける必要はない。

 僕の言葉で、僕自身が彼女に優しさを伝える。新しい信仰を彼女に与える。それが今の時代を生きる僕に出来ること。

 難しく考える必要はなかった。ただ、思っていることを口にするだけで良い。

 何も説得という形で説き伏せる必要はない。ありのままの気持ちを、出来るだけはっきりと伝えるんだ。

「永。行きましょう」

「うん……!」

 手を繋いだまま僕達は、いつも通りの淡々としているけど、笑顔の絶えない話をしながら公園に向かって歩き出した。

 目に移る世界は相変わらず明るくて、暗い気持ちはなくなっていた。

 今、この世界は春香にとってどんな見え方をしているのだろうか。

 晴れ空が少しずつ灰色の雲に飲まれて行くのを見て、ふとそんなことを考えた。

「永。ちょっと待って」

 野宮さんと別れて、三分ほど行ったところ。なぜかユヅルは道を外れ、空き家の多い通りに入って行った。

「どうしたの?」

 きょろきょろと周りを見回し、顔には珍しく焦りか照れの色が見える。

 足元はなんと少し震えていて、目元に輝くものは、涙の粒なのかもしれない。

「ユヅル……?」

 明らかに様子がおかしい。これではまるで、怯えているような……。

「井波にああ言っておいて、臆病風に吹かれるなんて。こんなの、あなたに信じてもらえるような立派な神じゃない」

 風が吹き抜けるように早口で言ったのに、はっきりとした重みを持ってその言葉は聞こえた。

 彼女が今まで押し殺していた感情が、一気に放出されたみたいだった。

「……ユヅル」

「彼女に近付くにつれて、動悸が激しくなる。足が震えて、しっかりと歩けなくなる。泣き方なんて知らないのに、目から滴が溢れて来る。……神に本能的にある危機を回避する力が、彼女から逃げたがっているのかもしれない。勝てないと判断して」

 声を震わせ、終わりがないようにすら感じる涙を流すユヅルを、僕は抱き留めるしかなかった。肉付きの薄い肩に腕を回し、出来るだけ体を近付けて、震える手に僕の体を掴ませる。

 そして、ユヅルは永遠のような時間を泣き続けた。

 涙が枯れるように止まって、二人の体が離れる。

 曇り空の下の彼女の顔は決して晴れず、未だに不安の色だけが見えて、僕まで泣きそうになるのを堪えた。

「ユヅル。今までごめんなさい。君の不安も考えないで、信じる、信じるとプレッシャーをかけて……」

 彼女は首を横に振る。けど、その仕草が酷く痛々しく、弱々しいものに見えた。

 強がりより、もっと悲しい気持ちが彼女にそうさせている。それは責任感、そして神が持つ義務感に他ならない。

「私は、あなたを守ることを自分で望んだ。彼女と戦うことを自分で決めた。だから、あなたに謝ってもらう必要はない」

「……ううん。必要とか、そんなんじゃないんだ。謝りたいんだ、ユヅル…………」

 今度は僕の方が彼女に寄りかかるようにして、再び二人の体を近付けた。

 華奢なのに柔らかい体を、痛がられるぐらい強く抱く。僕の顔はきっと、くしゃくしゃだっただろう。

「永、もう良いから」

「もう少しだけ、お願い」

 泣くのは、僕の番だ。

 申し訳ないという気持ちより、ただ哀しくて涙が流れる。

 彼女が哀しいんじゃない、春香が哀しいんじゃない、もっと抽象的でやるせない、僕自身の気持ちが涙を流し続けた。

 また、どれだけ泣いたのかわからない。ほんの数秒でもあったし、数十分という時間にも感じられた。

「……ありがとう」

 そう言ったのは、僕ではなくユヅル。

「あなたが泣いてくれたから、頑張れる気がする」

 まるで僕を元気付けてくれるように、力強く手が握られた。

 彼女の儚げなイメージと相反する、頼りがいのある力強さだ。

「ユヅル、もう一度言って良いかな」

「何度でも言って。それが、私の力になるから」

 小さくて色白のその手を、僕も同じぐらい強く握り返した。

 これから言う言葉は、僕も、そしてユヅルもわかっている。二人を繋ぐ、絆の言葉だ。

「僕は、ユヅルを信じてる。必ず春香を救えるって信じてる」

「私も――私も、永を信じている。あなたならきっと、神だって救える」

 それから、なぜ僕はそうしようとしたのかわからない。

 手を握ったまま腰を屈めて、顔の高さをユヅルと同じにすると、そのまま彼女の小さな唇に自分のそれをそっと重ねた。

 少しだけ触れ合って、またすぐに離れるだけの簡単なキス。

 終始きょとんとしたユヅルの顔が、ものすごく可愛らしく見えて、もう二度とこの手を離したくないと思った。

「……どういう、意味?」

 目を丸くしたユヅルが、さっきとは違う意味で声を震わせて言う。

 知識はなくても、なんとなく非日常的な行為だというのはわかっているようで、頬ははっきりと赤く染まる。

「キス。愛情や信頼の証、かな。今はもう、もっと砕けた意味になってるみたいだけど……僕は今まで一度もしたことがない。これが初めてだよ」

「そ、そうなの。私、も……はじめて……」

 正しいそれのやり方なんて、知っているはずもない。そもそも、正しい方法なんてないだろう。

 そんな情けないキスだったけど、世界はその間止まっていた。間違いなく僕とユヅルのためだけの時間がそこにはあった。

 過去を変えることも、未来を見ることも出来ない。ただ、時間を止めるだけの力。

 それが人間に。いや、僕に与えられた特別な力なのかもしれない。

「永。今なら。きっと今なら、私はどんなことも出来る。あなたがいるから。あなたのために。あなたが望むことを」

「うん……っ。行こう。いつまでも春香を一人にする訳にはいかない」

 歩幅の違う二人で、同じ速度で、一緒に歩いて行く。

 いつの間にかに下校する生徒はいなくなっていて、まるで世界には僕とユヅルしかいないみたいだった。

 仮にそうだとしても、僕とユヅルはこの手を繋いでいる限り。いや、心が繋がっている限り、決して寂しくはないし、離れ離れになることはないと確信している。

 僕達は、一人の神を負の牢獄から助け出しに行く。

 彼女はそれを望んでいないかもしれない。無理矢理連れ出すことを、彼女は呪うかもしれない。

 けど、歩みを止めるつもりはない。

 闇に慣れた目が光を見るのには、苦痛を伴う。

 しかし、光を知らない限り、未来には進めない。闇を深めて行くのは、過去を見つめること。過去に囚われていては、本当の幸せはきっと訪れない。

 だから、僕達はその闇から彼女を解放する。

 そのために過去を変える必要はない。暗く辛い過去があるからこそ、今の、そして未来の幸福は、その輝きを増すのだから。

「春香。待たせてしまってごめんなさい」

 公園の中、彼女はただ一人巫女装束を着て佇んでいた。

 その手には白銀の刃が二振り。抜き身のそれは、雲の色を映して暗く沈んでいる。

「――男と手を繋いで来て、どういうこと?アタシなんか、片手一本で十分だとでも言うの?

 死ねっ……!アンタなんか、この世から消えろぉぉぉぉぉ!!」

 弾かれたように春香が凶暴な殺意を剥き出しに走り出す。

 ユヅルは手を繋いだまま僕をその場で半回転させると、手を離して優しく背中を押し出した。

 首の間後ろに冷たい風が吹き、最初の一撃が正確に僕の首を斬り落とそうとしていたのがわかった。

「あなたの相手は私。彼を傷付けることは、許さない」

「黙れ。アンタは殺す。この男も殺す。皆殺して、アタシが生きるっ!!」

 十字を描くように振り下ろされた刀が、一本の櫂で受け止められ、そのまま押し戻される。

 春香の全力を込めた攻撃にも、ユヅルの力は決して押し負けていない。

「あなたは全身に血を浴びて、それでも生きるの?たくさんの命を背負って、生命のない空虚な世界を」

「そうよ……。これは全て、アタシが人間や、同族を救おうとしなかった神に与える罰。全てを壊して、アタシ達が生きるのが普通だった世界を取り戻すのよっ!!」

 力任せに振るわれた刀を身軽に避け、攻勢に転じようとするも、もう一方の刀がそれを阻む。

 左手でナイフを持ち、ほとんど右手一本で攻めていた前までとは、まるで戦略の多様性が違う。より実践的で、遥かに強い。

「私達の世界には八百万の神々がいた。あなたはそれをも殺そうと言う。それは元々の世界じゃない。人が言う地獄にも似た、暗黒の世界」

「アタシがいる。秋穂もいる。そこでアタシ達は永遠の時を生きる」

 見た目には木製に見えるものの、他の何かで出来ているであろう櫂が少しずつ削れ、壊れて行く。

 破壊の意思を持った刀は、それを受け止める櫂と共にユヅルの命まで削り取っているような冷たさがあった。

「全ての神を殺したあなた達は、人間よりも短い寿命を得ることになる。蜻蛉のように儚い命を、血に汚れた世界を見るためだけに費やすの?」

「……っ!他の神なら、神の穢れを取り除く力を持っているかもしれないじゃない。それに、神を殺して力を高めたアタシ自身が寿命という概念を超越するかもしれないわ」

「どちらも可能性は低い。一度穢れた神は、死の運命からは逃れられない。私は、そうして死んだ神を知っている。過去を変えても、死を防げなかった神を知っている」

「じゃあ――じゃあ、アタシに何をしろって言うのよ!?信仰を失い、信じる力も失い、おまけに穢れまで背負ったアタシは、何をすれば良いの?大嫌いな人間と同じように、無様に悶え死ねとでも言うの?答えなさいよ。アンタがアタシを救おうって言うのなら!!」

 腰まで下ろされた刀が宙を滑るように胴を薙ごうとするのを受け止めた櫂が、中心が二つに割れ、片方が僕の方へと飛んで来た。

 慌てて避けようとするが、右腕が浅く抉れ、血が乱れ飛ぶ。同時にユヅルが体を袈裟がけに斬られ、僕のそれよりずっと激しい血の飛沫が舞った。

 信じられないぐらい腕が痛む。怪我をしているのは腕なのに、足がまともに動かない。

 それでも、僕はユヅルに近付こうとした。

 何のためか、頭では考えていない。ただ、そうしないといけないと体が動く。

「アハ、アハハハハ。どうしたの?動きが止まってるじゃない。アタシ、これで仕留めるつもりなかったから、浅めに斬ったのよ?なのにこのザマなんて、殺し合いなんてしたことないんでしょ?

 ――ふざけるなっ!秋穂の腕を折るぐらい素手でも戦えるなら、土をかっ喰らってでも立ち上がって、向かって来なさいよ!アタシを噛み殺そうとするぐらいの闘志を見せてみなさい!」

 ユヅルの口から……さっき僕がキスをした口から血が流れ、返事もおぼつかない。

 立ち続けるだけが精一杯の様子の彼女に、傷口を抉るような蹴りが突き刺さった。ヒールが深々と突き刺さり、傷を悪化させる。

「春香っ!やめろ、やめてくれ……!!ユヅルを殺しても、自分の寿命を削るだけだっ!」

「それがどうしたって言うの?どうせアタシは死ぬんなら、一人でも多く、安穏と暮らしている奴等を道連れにしてやる。苦痛にゆがんだ善人面が、最高の冥途の土産よっ!」

 見たこともない量の血が流れるのを、目の前で見せ付けられる。

 それ以上、何を僕が叫んでも黙殺され、代わりとばかりにユヅルに新しい傷が刻まれた。

「――はぁ、もう殺してあげるわ。あの男にも後を追わせてやる。ちゃんと喜びなさいよ。好き合う二人を引き裂くほど、アタシも冷酷じゃないわ」

 右腕に握られた血に濡れた白刃が、光の射さない空に掲げられ、落ちて行く。

 重力と腕力が合わさり、止められない速度でうつ伏せに倒されたユヅルを貫こうとした。

 反射的に僕は駆け出す。

 それが無意味と知りながら。彼女の血を浴びるぐらいしか出来ないことを、頭ではわかっていながら。

 そして、血の流れる右腕で櫂の切れ端を投げるのと、ユヅルが起き上がって刀を避け、春香の鳩尾を蹴り上げるのは同時だった。

 よろめいた春香の右腕に追い打ちのように櫂が当たり、刀が手から零れ落ちる。拾い上げようとして、逆に刀は左手からも離れ、彼女は武器を失った。

 それを見届けると、ユヅルは音もなくその場に倒れた。しっかりと春香を抱き、彼女に体を預けるように。

「くっ、かはっ……!な、なんで、アンタ達はこんなにしぶといのよ!?そんなに、アタシに生き地獄を味あわせたいの?」

「……違うよ」

 春香は起きるよりも先に、刀を手に握った。僕が奪うことを考えたのだろうか。

「ただ、きみを助けたいんだ。未来を悲観して、壊そうとするきみを」

「そんなの……アタシは望んでないわ!大体、今まで何の苦労もなく信仰されて来たこいつと、アンタみたいに百年も生きてない若造に何がわかるのよ!?知った風な口を利いて、アタシの悲しみの一端もわからないでしょう!?」

「うん、わからない。僕が死ぬまで生きても、きっと理解出来ない」

「そうよ。理解しようとしても理解出来ない話なの。誰も、アタシをわかってくれない。この痛みに共感出来ない……。唯一わかるのは、同じ戦神の秋穂だけよ」

 ユヅルを押しのけて立ち上がり、春香は空を見上げた。その動作には力が入っていなくて、放心状態のようにも見える。

 曇り空は今にも滴を落としそうで、雲は一層黒くなっていた。

「わからないけど、わからなくても、君に言えることはあるよ」

「はぁ?何よそれ、人間独特の安い同情?とりあえず憐れだから、話を合わしておこうって言うんでしょ。アンタ達はいっつもそう」

「違う。違うんだ。きみは、ただ生きてくれている、それだけで良い。それだけで意味はあるんだ。どれだけ人間が忘れ去ろうと、必ずきみを大事に思う人はいる」

 春香はまっすぐに僕を見つめた。それに僕も応える。

「秋穂のこと?それなら、アンタ達を殺した後にも秋穂はいてくれるわ。残念だけど、アタシにアンタ達を殺させない理由にはならないわよ」

「違うよ。それは、僕であり、ユヅルだ。僕等だけは、きみを知っている。きみの存在を認めてあげられるんだ」

「だから、誰がそれを望んだって言うのよ!?アンタ達なんかに認めてもらわなくたって良いわ。アンタ達みたいな、見ず知らずの連中に!」

「じゃあ、誰が認めるの?その、秋穂っていう神と、きみだけで生きる。それで満足出来る?」

「ええ……それで良いの。アタシは人間の信仰なんていらない。偽善者の神に傷を舐めてもらいたくもないわ」

 血の臭気と、未だに殺意を持った神に見つめられているせいか、喉が干上がり、乾いた咳が出る。

 唇を噛んで無理矢理に口を湿らせ、口を開いた。

「嘘だ。きみは、さっき一瞬、目を輝かせた。それに、さっきまでみたいに大声で否定出来ていない、迷いがある。本心を押し隠しているんでしょ?もう無理はしなくて良いんだ」

「違うっ!違う、のよ……。じゃあ、仮にアンタに信じてもらえたとして、何が変わるの?アンタ一人の信仰の力じゃ、アタシの力の一割にもならない。アンタがアタシを信じるように触れ回っても、アタシが神だなんて誰も信じる訳ないわ。無意味なのよ。アンタなんかに信じられても……」

「確かに、僕一人の信仰はきみの力にならない。でも、誰か一人でもきみを信じていれば、きみが存在する理由になる。きみが今日を生き、明日を生きることが大きな意味を持つんだ」

「……どんな理由って言うのよ。アンタ達人間も、生きている意味なんかないでしょ?信仰を失った神も同じだわ。毒にも薬にもならない。ただ死を待つしかないのよ」

「きみがいなくなったら、悲しいじゃないか。僕は今日一日、きみがいない教室を見ていた。皆、きみのことを心配していて、僕自身も心にぽっかりと穴が開いたみたいだった。

 今のきみは、神としては僕やユヅルしか知らないかもしれない。でも、学校の皆はきみを一人のクラスメイトとして、かけがえのない仲間として迎え入れている。もし明日からきみがいなくなったら、皆が悲しむよ。

 ――きみが学校に通い始めた時点で、きみはもう誰かにとってのきみになったんだ。きみが生きているだけで、誰かの幸せとなり、喜んでいてくれてるんだ」

 きっと、今の僕はこれ以上のことは言えない。

 全てを言い終えると、役目を果たしたように腰は抜けて、硬い地面に尻餅を付いた。

 口も動かない。目も見えなくなるみたいだった。最後に、あれだけ空を覆っていた雲が裂け、青空と太陽が覗くのが印象的だった。

「アタシが、誰かの幸せ……?アンタや学校の皆は、アタシがいるだけで良いって言うの?何よ、それ……。今までも人間の中に混じって生きていたのにアタシ達、そんなのにも気付かなかったの?」


 
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