No.466215

落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 11

ありむらさん

独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは悪鬼と相成りました。皆様が思われる一刀さんはもういません。ごめんなさい。
それでもいいじゃねえかとおっしゃる方。
ありむらは頑張って書き続けます。どうぞ、最後までお付き合いの程をよろしくお願い致します。

2012-08-06 22:32:48 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:9411   閲覧ユーザー数:7427

【11】

 

 

「見えてきました、秋蘭さま!」

「うむ。敵はまだ到着していないようだな」

 前方に見えているのは長社の城壁である。夜間ゆえに詳しく見聞することは出来ないが、大して補修もなされていない頼りない城壁だったはずだ。

 夏侯淵、秋蘭は暗い遠景に目を細める。

 しかし――。

「典韋さま!」

 伝令が入る。

「報告してください」

 前進しながら流琉が問うた。

「速度はそう速くはありませんが、黄巾の兵が長社へ進軍中。数は数万に上るかと」

 その報告に秋蘭は歯噛みする。並みの数ではない。先発隊だけでは厳しいだろう。野戦など、もってのほかである。

「秋蘭さま……」

「うむ、長社に籠城するしかあるまい。伝令、長社の様子はどうだ?」

「は、現在、大梁義勇軍と名乗る義勇軍が街の防衛のため防柵を築いておりますが、東門からであれば長社に入ることが出来るものかと」

「流琉」

「はい。伝令さん、その大梁義勇軍の方々に私たちのことを伝えてください。急ぎ長社に入り、防衛に協力すると」

「はッ!」 

 伝令は風のような速さで去っていく。

 それから部隊は方向を変え、長社東門の方へ向かっていく。

 黒い夜に篝火がたかれている。その様は、幻想的な雰囲気を湛えると同時に、戦の匂いを漂わせる異様でもあった。

 門前にはこちらを出迎えに出て来たのか、大梁義勇軍の指導者と思しき三名と、それらの背後に控える護衛の人影を認めることが出来た。

 代表と思しき三名が前に出てくる。ひとりは長い髪を三つ編みにしており、戦装束の間から覗く素肌には傷痕が目立つ。ひとりは幼さの残る顔立ちをしており、ふたつに結った髪がそれを助長していた。最後のひとりは洒落た服装の眼鏡の少女で、三人の中ではもっとも楽観的な顔をしている。

 流琉が馬を下り、彼女らの前に向かう。

 秋蘭はそれについて馬を下りた。

「私は典韋。こちらは夏侯淵。陳留の州牧、曹孟徳さまより遣わされました。黄巾の賊が迫っています。長社の防衛に協力させてください」

 流琉の言葉に三つ編みの娘が前に出る。

「私は大梁義勇軍、楽進と申します。こちらは李典と于禁。ご加勢ありがとうございます」

「敵は数万の規模で迫っています。私たちは四千の先発隊。そちらの兵数を教えてください」

「我々は二千五百と少々と云ったところです。先発隊と云うことは――」

「はい、夜明けに後発隊一万がこちらへ向かい出発します」

「それまでは六千五百で凌がなあかんちゅうわけか」

 李典が苦い顔をする。

「真桜、そう云っても仕方がない。典韋さま、夏侯淵さま。まずは城の中に。その後、東門も塞ぎ、防柵を構築します」 

「うむ。流琉、行くぞ」

 その後、秋蘭は流琉と共に四千の兵を連れて、長社に入った。

 だがやはり長社の設備は老朽化しており、城門も頼りない。防柵を築いてはいるが、資材が不足しているせいか、見るからに脆いであろうものも幾つか見られた。

 しかし防がねばならない。

 怯えるようにしている街の民を見て、秋蘭は胸に固い思いを抱いた。

 

 

 

 

「伝令ッ! 伝令!!」

 声が響く。

 秋蘭はその声に素早く反応した。若い兵士が転がり込んでくる。

「黄巾の一団現れました! その数、約三万! もうじき門に取りつかれます!」

 その報告に周囲の兵たちがざわめく。

 中でも大梁義勇軍の動揺は大きいようだ。

「うろたえるな! 夜が明ければ援軍が到着する! それまで持ちこたえるのだ!」

 しかし、援軍の一万が到着しても、三万に対して、一万六千五百。否、それまでこちらの六千五百がどれだけ残っているかもわからない。

 秋蘭は流琉にそっと歩み寄って声を掛けた。

「流琉、数が多すぎる。恐らく半刻持たずに長社は包囲されるだろう」

「秋蘭さま、西門が明らかに脆いです。恐らく、集中的に――」

「うむ。狙ってくるか。ならば人員はそちらに多く割かざるを得ないな」

 肝は相手の練度。

 そして、装備。

 もし攻城兵器を備えているようであれば、状況は一層悪化の一途をたどるだろう。

「夏侯淵さま!」

「楽進か、どうした」

「敵先端が正門に到達、戦闘に入りました」

「――ッ! 思ったより動きが速いな。向こうには優秀な指揮官がついていると見える。正門には私が行こう、流琉は西門に向かってくれ。楽進は東門に」

 秋蘭がそう云うと、背後から声が掛かる。

「西門にはウチもいくわ。あそこの防柵は門が弱い分しっかり作ったんやけど、それでも資材はたらんかったしなあ。出来るだけ補強しながら凌ぎきったる」

「頼むぞ李典」

「まかしとき。沙和、あんたは住民の避難を急ぎ。絶対防柵は守る、って云いたいとこやけど、正直きつい。万一の時に備えとこ」

「わかったの」

 集まった五人、秋蘭、季衣、楽進、李典、沙和の眸に強い煌めきが宿る。

 相手は五倍の兵数。

 攻城に必要とされる三倍を優に超える数を揃えてきている。しかも、これまでのような烏合の衆ではなく、統率された軍団。

 しかし。

 退けぬ。

 譲れぬ。

 敗けられぬ戦いがここにある。   

 ここで敗れれば、長社の民はどうなるのだ。

 略奪に晒され。

 凌辱に呑まれ。

 殺戮に喰われ。

 いったいこの街に何が残ると云うのだ。

 秋蘭は拳を強く握る。

「我々は勝利するッ! 皆、死ぬでないぞ! 散開ッ!!」

 それぞれは持ち場に駆けだす。

 秋蘭も駆ける。

 石段を駆け上がり、城壁の上に立った。

 赤々と猛る篝火に照らされ浮かび上がっているのは、おぞましい数の黄巾賊。

 蠢くさまは、まるでひとつの生命体のよう。

 その不気味な生物が、うずうずと動き、長社の城壁を取り囲んでいく。

「弓兵、構えッ!!」

 秋蘭の号令に気おされていた兵たちが正気を取り戻す。 

 曹操軍の神弓が、爽青の気魄を放ち、兵たちを鼓舞する。

 兵たちは一糸の乱れなく、弓をひく。

 引き絞るその腕に、民の願いを込め、自らの覚悟をこめて。

「放てッ!!」

 矢は放たれる。

 民の怒りをのせて。

 兵の使命をのせて。

 黄巾の賊徒を貫く。

 敵を殺し、味方の屍を踏み越えて、死を真隣において、戦う。

 狂乱の夜が、始まった。

 

 

 

 

 本隊は猛進していた。

 華琳は空を見上げる。

 夜は開け、太陽は上ったはずであるのに、酷く曇っているせいで辺りは薄暗い。見るからに不吉な天候であった。

 重々しい足音。

 馬蹄の響き。

 鎧や槍の奏でる固い音が、行軍に張りつめた彩りを添えている。

「進めッ!! 全速前進だッ!!」

 春蘭が声を上げ、兵を鼓舞する。華琳はそのさまを頼もしく思うと同時、短く窘める。

「春蘭、余り急がせては戦闘の前に、兵たちが参ってしまうわ」 

「うう、華琳さま。わたしだけ先行するわけには行かないでしょうか」

「だめよ、もうじき長社に到着する。ここで隊を分けても効果はないでしょう」

 そう云うと、春蘭は歯噛みしながら言葉を呑み込んだようだった。

 妹が一晩中戦っているのだ。早く己も駆けつけ、全力で助勢したいに違いない。その気持ちは華琳とて同じであった。

「華琳さま」

 傍らに桂花が現れる。

「秋蘭からの早馬が到着しました」

「報告なさい」

「敵部隊は総勢三万。長社に入り、居合わせた義勇軍と共に防衛に徹するとのこと。相手には優秀な指揮官がいるとみられるため、なるべく余力を残してほしいとのこと」

「三万。合流してもこちらの倍――油断ならないわね」

 華琳は思考する。

 長社まではもうそれほど距離はない。

 ならば行軍速度を上げるか。

 それとも――。

 しかし、そんな思索も長くは続かない。

「伝令ッ!!」

 大きな声と共に、兵がひとり転がり込んでくる。

「どうしたッ?」

「はっ、黄巾賊三万が長社を完全に包囲ッ!! すでに正門、東門、西門に取りついております! 先発隊、懸命に応戦しておりますが、戦況は圧倒的不利! 至急援軍をお願いしたく!!」

 華琳は歯噛みする。

 どうやら思案している余裕はないらしい。

「全軍に告ぐ!! 我らはこれから全速力をもって、長社を包囲する賊どもへ突撃をかける!! 遅れる者は捨てていくぞ!! 続けッ!!」

 号令に兵たちが呼応する。

 行軍速度が跳ね上がり、一万の兵団は濃紫の龍となって、地を這い、長社ヘ向かって突撃を開始する。

「華琳」

 傍らから声が掛かった。

 見れば、そこには真黒の軍馬の巨躯。

 またがるは、冷めた眸でこちらを見る従僕の姿。

 彼が身に纏っているのは白く輝くあの衣ではなく――身体の線がよく分かる細身の、漆黒の軽鎧。薄暗い曇天の下、彼の姿はさながら――。

「俺が先行する」

「だめよ、春蘭にも云ったけれど、いま隊を分けても効果はないわ」

「人員は必要ない。季衣と万徳を連れて行く。なに、突撃したりはしないさ。ただ、敵の注意を引き付ける策がある」

「……仕方がないわね。無茶をしたら許さないわよ」

「分かってる。大きな音が出るから、兵を動揺させないようにだけ頼む」

 そう云うと、彼――一刀は、虚となった青年は、季衣と万徳を引き連れて本隊を離れ、ぐんぐんと速度を上げていく。やはり、彼の黒王号はどうしようもなく速い。

 策がある、そう云っていた。

 黒王号の身体に下がった大きな六つの布袋。恐らくそれが策の種なのだろう。

 華琳は愛馬絶影の腹を蹴りながら、一刀の消えて行った方角を見つめる。

 初めて従僕と呼んだ、男の背中を見つめる。   

「頼んだわよ……一刀」

 

 

 

 

 虚は黒王号を駆る。

 豪速に髪がたなびき、それをいささかうっとうしく思いながら、そう云えば随分と髪を切っていないことに気が付く。

 しかし、それもすぐに思考の彼方へ追いやられる。

 本隊ははるか後方。

 これであれば、少々派手にやってもいいだろう。

 黒王号にぶら下げた、大きな六つの布袋を見て思う。これだけの重量を負わせ、尚もこれだけの速度が出せるのは、黒王号だけだろう。

 愛馬となった彼を頼もしく思いながら、虚は彼の腹を蹴りつける。

「兄ちゃん、はやいよ!!」

 背後から季衣の声が届く。

「もうじきだ、着いて来い。――ほら、見えたぞ!」

 顎をしゃくって季衣に合図する。

 眼前に現れたのは長社の城壁、そしてそこに群がる黄巾の賊徒。それはさながら、地に落とした飴菓子に群がる蟻のようだった。

「兄ちゃん! 街に火の手が上がってる!」

 眼前、街は赤く光を放ち、黒煙が立ち上っていた。

「――少し、遅かったか」

「否! 虚さま! 城壁を取り囲む兵の数からして未だ門は破られておらぬ様子! まだ間に合いますぞ!」

 背後から万徳の声が響く。

 虚は黙って首肯した。

 ――これ以上近づけば気づかれるか。

 そのギリギリの距離に、虚は黒王号を止める。それに従って、季衣、万徳も馬を止めた。

「季衣、話した通りだ、頼むぞ」

「分かった!」

 そう云うと、季衣は馬から降り、黒王号に結び付けられた布袋を担ぎ上げる。

 そして大きく振り被ったかと思うと、彼女の怪力をもって、それを黄巾賊ひしめくその中心へと、迷いなく投げ入れたのである。

 宙を舞う布袋。

 そこで。

「万徳!」

「はッ!」

 万徳は剛弓を構えると、思い切り引き絞り、獰猛な一矢を放つ。

 それは今にも人影に埋もれようとしている布袋を切り裂き、そして、その中に詰まった白い粉末を黄巾賊の頭上へぶちまけた。

「季衣、次だ!」

 季衣は強く首肯すると、ふたつめの布袋を放り投げる。

 万徳は剛弓の一矢にて、それを引き裂く。

 次々と放り込まれる布袋。

 それらは次々と、切り裂かれ、遠く、黄巾賊の頭上へ真っ白な粉を振りまく。

 真っ白な、小麦粉を。

 正門の前に集まった黄巾の賊徒は突然降ってきた白い粉に動揺している。

 大量の粉末が、高密度で空気中に漂っている。

 あの距離であれば、正門が巻き込まれることもないだろう。

「さあ、仕上げだ」

 虚は己の弓をひき絞り、そして――白い粉煙の中心へ。

 

 容赦のない火矢を撃ち込んだ。

 

 刹那、曇天晴れたかと思うほどの火炎の煌めきがほとばしり、猛烈な熱気が破裂する。

 加速した燃焼現象。

 獰猛な粉塵爆発が、黄巾の賊徒を襲う。 

 焔に焼かれ、正門のやや手前は、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。

 爆風に叩かれ、即死した者。

 剛炎に焼かれのた打ち回る者。

 仲間の惨状に、恐怖する者。

 自分たちを襲った突然の業火に、七転八倒する黄巾の賊徒たち。否、彼らの証である黄色い布も、或いは焼失したかもしれぬ。黒く焼け焦げ、灰燼と化したかもしれぬ。

「いくぞ! 季衣! 万徳!」

 虚は号令をかける。

 そして再び、黒王号を走らせる。

 目指すは――。

 

 

 

 

 長社の街――五人は再び集まっていた。

 正門、東門は膠着状態が続いている。相手の兵数を鑑みれば、出来過ぎである。何より、兵の士気が高いところで維持されているのが幸いであった。

 ただ敵の打ち込んだ火矢のせいで、あちこちで火災が発生している。消火に当たってはいるが、あまり大きな人数を割くことは出来ず、中々黒煙はおさまらない。

 楽進――凪は五人の顔色を見る。

 やはり、西門への攻撃が最も苛烈であるらしく、典韋、真桜の顔には疲労の色が濃い。

「あかんで、西門はこのままやと破られてまうわ。数を集めんと。もうこれ以上、防柵の強化もしようがないしな」

「うむ。では西門に更に人員を割き、私と楽進で向かうとしよう。正門には流琉。東門には于禁。住民の守護には李典を当てることにする。流琉いけるか?」

「はい! 大丈夫です!」

 幼い典韋は獲物の大円盤を抱え上げて、微笑む。幼いながら戦場において冷静に戦う彼女に、凪は尊敬の念を禁じ得ない。

 体力に応じて担当を交換する。

 五人は再び頷きあって、その場から散開する。

 凪は夏侯淵と共に西門へ駆けて行った。

「これは、まずいな」

 見れば元々脆かった西門は大きく傾き、今にも敵が侵入してきそうである。

「弓兵、整列し、一斉射だ! 構え!!」

 夏侯淵が城壁に駆けのぼりながら指示を出す。

「西門が破れるぞ!! 敵侵入に備えろ!! 決して防柵は抜かせるな!!」

 凪も負けじと声を上げる。

 しかし、見ればやはり西門の兵には動揺が走っていた。疲れも見える。そしてその多くが大梁義勇軍の兵たちだった。州牧曹孟徳の兵は、精兵揃いであった。

 刹那、轟音が鳴り響く。

 門を丸太か何かで叩いているのだろう。撞車をはじめとする攻城兵器が相手になかっただけ、時間を稼ぐことが出来たが、どうやら西門は限界であるらしい。

「弓兵、構え!! 敵が溢れてくるぞ!!」

 凪が声を上げる。

 そして。

 

 西門はあっけなく、その役目を終えた。

 

 怒声と共に、黄巾の賊徒がなだれ込んでくる。

「放てッ!!」

 号令と共に放たれる味方の矢。

 それが門からなだれ込んできた敵兵をハリネズミにする。

 しかしそれでも、黄巾の賊徒は止まらない。こちらの攻撃にひるみもせず、突撃し、ひとつ目の防柵に取りつく。

「くそッ! 第二射、構え!! 放てッ!!」

 再び黄巾賊を襲う矢の猛撃。

 防柵に取りついていた賊は尽く死に絶える。

 しかし、その屍を踏み越え、新たな敵兵が押し寄せる。相手は門を打ち破った丸太を担いで防柵に叩きつけた。柵が大きく軋む。

「丸太を担いだ敵を狙え!!」

 城壁の上から叫びながら、夏侯淵が自身の矢でもって、丸太を担いだ黄巾賊を猛烈な速度で射殺していく。 しかし、それでも次から次へと現れる賊徒は、丸太を再び抱え上げ、それを防柵に打ち付けた。

 柵がさらに大きく揺らぐ、第一防柵は、もうもたない。

「第一防柵はもうもたん!! 第二防柵後ろまで後退し、弓兵は一斉射用意!!」

 凪の指示に味方の兵士たちが迅速な行動を見せる。

 そして、最後の一撃。

 

 第一防柵が突破される。

 

「いくぞ! 一斉射! 放てッ!!」

 防柵を破り勢いづいた賊を無数の矢が打ち倒す。

 しかし、第二防柵に次々と取りつく賊を止めていられるのも時間の問題だろう。 

 街の焼ける嫌な臭いが鼻を突く。

 住民の避難は済んでいるから、兵以外の損害はないはずだが、それも時間の問題だろう。第二防柵を突破されれば、そのまま市街へなだれ込まれる。

 ――どうする。

 もう夜が明けていると云うのに、空は曇天のため暗い。

 不吉な雰囲気が漂っている。

 しかし、住民は死守。

 ここは譲れぬ。

 そう凪が思った時――。

 

 耳を裂くような轟音が轟き、曇天に赤い煌めきがほとばしった。

 

「何事か!!」

 凪が叫んだ後、数瞬、味方の兵が報告に現れる。

「正門前方にて、大火炎が発生!! 敵兵に大打撃を与え、動揺を生んでおります!!」

「大火炎? どう云うことだ?」

「分かりませぬ! 見た者の話によれば、敵兵の中にどこからともなく白い粉が投げ込まれ、直後に大爆発を起こしたと」

 分からない。しかし、敵に大きな損害が出たのはどうやら本当らしい。

「夏侯淵さま!」

 見上げて声を上げると、夏侯淵はこちらに駆けおりてくる。

「今の火炎か」

「見えたのですか?」

「うむ。妖術かと思ったが、あれは恐らく――」

 そう夏侯淵が云いさしたところで。

 

 銅鑼の音がけたたましく響いた。

 

「報告!!」

 兵士が駆け込んでくる。

「大部隊の行軍を確認!! 旗印は、曹、夏侯!! お味方に御座いますッ!!」 

 その言葉を聞き、凪の胸奥に太い芯が走った。

「東門に取りついていた敵兵が反転、業火に焼かれた正門の助勢に向かったとのこと!」

「ふむ、東門は守り切ったか」

「どうしますか?」

 凪が夏侯淵に問う。

「恐らく姉者は正門前に突っ込むだろうな。よし、東門の防衛についていた兵三分の一を住民の防護に回せ」

「了解!」

 知らせを持って来た兵は走っていく。

「夏侯淵さま」

 凪は進言する。

「恐らく正門前にお味方が迫れば西門周囲の兵も反転するでしょう。さすれば戦場は正門前だけになるはず。今のうちに打って出る準備をなさった方がよろしいかと」

「ふむ……正門前で挟撃か」

「は。ここの防衛は手勢を残してくだされば、私ひとりでもどうにかなります。今はお味方と共に、一気に形成の逆転を狙うべきかと」

「うむ。では私は正門へ向かう。いざとなれば東門から于禁を呼ぶといい。東門は彼女の副官だけでもどうにかなるだろう」

「はッ」

「死ぬなよ」

 そう云い残すと、夏侯淵は正門の方へ駆けて行った。

「一斉射用意!」

 凪は戦場に視線をもどし、指示を飛ばす。

 増援の到着に、味方の兵の士気はうなぎのぼりである。

 勝てる。

 街の外から聞こえる援軍の怒声。

 それが凪の声を鼓舞していく。

 西門もあと少し耐え切れば兵が退くはず。ひかずとも、味方が到着すれば挟撃できる。

「放て!!」

 もう幾度目になるか分からない一斉射が、湧き出る虫のような敵兵を蹂躙する。

 第二防柵は未だに堅牢。

 このまま、守り切れば。

 

「勝てる、などと――よもや思っているのではあるまいな?」

 

 戦場の喧騒の中、そんな男の声が響いた。

 見れば黄巾の中に、ただひとり白い男が立っている。

 白い長髪を風にたなびかせた、痩身の美丈夫。しかし、どこか病的に見えるのは彼の異様に青白い肌のせいか、それともこちらを貫くような三白眼のせいか。

「貴様――総大将か」

 相手の漂わせる不気味な威圧感に、思わずそう尋ねる。

「まさか、張角さまがこのようなところにおいでになる筈がない。ふふ――それより」

 刹那。

 凪は数瞬、その光景が理解できなかった。

 一閃。

 轟音。

 男が放った一閃の蹴りで、第二防柵が大破したのだ。

「さて、小娘」

 男は緩やかな足取りでこちらにやって来る。

 

「地獄へ旅立つ心の準備は出来たかね?」

 

 

 

「突撃ィィィィィィ!!」

 夏候惇、春蘭は勢いを殺すことなく、兵の戦闘へ立って正門前の敵軍へ突撃を仕掛けた。

 先刻発生した大火炎のためか、敵兵は混乱しており、また肉の焼けたような嫌な臭いが漂っている。

 春蘭はその中を駆け抜けていく。

 敵の矢を打ち落とし。

 槍を躱し。

 剣を弾き。

 首を飛ばし。

 胸を突き。

 馬蹄で踏み潰し。

 濃紫の曹操軍は、自軍の二倍三倍の敵をものともせず、微塵の躊躇もなく呑み込んでいく。

 逃げ惑う黄巾の賊徒は、ただ虐殺されていく。

 数で勝ろうが、負けを意識してしまっているのだろう、敵兵からは『怖さ』がない。

 遠目で見た時にはまるで狂っていたかのような黄巾賊は、今やただ押しつぶされるだけの、虎の前の兎と化していた。

「押せ! 押すのだ!!」

 怒号を飛ばす。

 本隊は容赦なく、敵兵を蹂躙する。

 瞬間、春蘭の眼前を影が猛烈な速さで横切り、敵兵を十人ほど一度の跳ね飛ばした。

 鎖鉄球が宙に舞っている。

「季衣か」

「春蘭さま!」

「さっきの大火炎は――」

「はい、兄ちゃんの作戦です!」

「ほんご――ではなかった、虚のか」

 それは少々面白くなかったが、勝利に必要なことであれば致し方のないこと。

 そして、突如。

 銅鑼が鳴り響く。

「む、東門の敵が戻ってきてはいるが、これは一体何の合図だ? こちらの優勢は変わらんぞ」

「春蘭さま、正門が開きます! 流琉と秋蘭さまが!」

「は! なるほど打って出てくるか! よし、このまま秋蘭たちと敵を挟撃する!! 続け、季衣!!」

「はい!」

 春蘭は馬を駆りながら思う。鎖鉄球を抱えながらも、こちらの動きについてくる季衣は、きっと将来素晴らしい将になるだろうと。

 そして恐らく秋蘭も今頃は流琉の可能性に気が付き、頼もしく思っていることだろうと。

 

「全軍、突撃!! 正門より打って出てくる味方と挟撃するのだ!!」

  

 これより、曹操軍による圧倒が始まる。

 

 

 

 

「囲め!! 隙なく陣を組み、槍を構えろ!! ひとりたりとも通すな!!」

 凪は慌てて声を上げる。

 眼前の白い男は――只者ではない。

 その事実を目の当たりにし、凪は全身に氣を滾らせた。

「ほう、氣の使い手か」

 白い男はこちらの兵に囲まれながら余裕の笑みを浮かべている。あの男が現れてから黄巾賊の突撃が止んだため、状況としては好転したように見える。

 しかし、まるでそうではないと凪は悟っていた。

「援軍は到着した! 降伏しろ!」

「ふ。確かに状況は反転した。……太平要術の利きも悪い。しかし、俺がおまえを殺し、ここを抜けて長社を押さえれば、士気は逆転する。正門から打って出たようだが、それをこちら再挟撃すれば何の問題もない」

 凪が歯噛みする。

 この男の云うことにも一理ある。

 兵数はまだ向こうが上である点、再挟撃されれば勝敗は一気にわからなくなるどころか、向こうに傾きかねない。

 この男は、ここで止めねばならない。

 凪は跳躍し、味方兵の囲みの中に降り立つと、白い男と対峙した。

「ここは通さん」

「面白い」

 両者は構える。

 凪は拳を強く握る。

 この男さえ倒せば――そこから一気に押し返す。

 拳と両足に氣を充填する。

 そして――。

「ハァッ!!」

 気合一声、氣弾を放つ。

 しかし、男はそれを難なく躱すと、こちらに迫る。それた氣弾は背後の黄巾を吹き飛ばした。

「当たらんよ」

 男の拳が迫る。

 凪は腕を交差させ、それを受けた。

 剛撃。

 重い衝撃が両腕を抜けて、胸を打つ。

「固まっている暇はないぞ?」

 刹那感じたのは、背後からの寒気。

 そこにあるは鋭い踵落とし。

 凪は慌てて躱すと、跳んで距離をとった。

 男の踵落としは容赦なく地面を砕く。

「未熟だな。そんな程度では、俺の相手は務まらんよ」

「まだだ!」

「ふふ。冥途の土産にくれてやる。我が名は波才。しかと胸に刻んでおけ、小娘。おまえを殺した男の名だ」

 瞬間、感じたのは腹部の鈍痛。

 波才の拳が、鳩尾を打ち、胸当てがひしゃげている。

「が、は――」

 速すぎる一撃は躱すことも出来ず。

 凪は胃の中身を派手に吐き出す。

 しかし、その時には、男の拳が凪の顎を捕えていた。

 顔面が跳ね上がり、身体が宙に浮く。

 浮いた先に――波才が待ち構えている。

 そして、波才の猛烈な踵落としが、凪の鳩尾を再び襲う。

 そのまま地面に叩きつけられた凪の視界が揺れる。

 鳩尾に二撃、顎に一撃。地面に背を叩きつけられ、肺の空気は押し出されている。

 けれども。

「ほう、まだ立つか。小娘――ふふ、名を聞いておこう」

 

「我、が名、は……我が、名はッ!! 我こそは楽文謙ッ!! 貴様を――貴様を倒す女の名だッ!!」 

 

 気魄。

 気合。

 負けられぬと云う、胸奥の叫び。

 ――ここで退くこと、楽文謙の魂にかけて、罷りならん!!

 己を鼓舞する。

 乱れる視界を強引に定め、拳を握り、氣を纏う。

「いくぞッ! 波才ッ!」

 凪は疾走する。

 放つ拳撃。

 しかし、波才はそれを躱し、鋭い蹴りを放ってくる。

 躱せぬ。

 ならば。

 ――躱さぬッ!

 右の脇腹を蹴撃が襲う。

 しかし、凪は堪えて踏みとどまり、左の拳を放つ。

 けれども、波才はそれをも躱す。

 絶対的な力量の差。

 だが、凪は退けない。

 退かない。

 波才の拳が左の肩を撃つ。途端、激痛と共に左肩が上がらなくなる。

 ――肩が外れたか。

 それでも。

 尚、それでも。

 楽文謙は退かない。

 波才の膝が凪のこめかみを捉える。

 脳が揺れ、吐き気が戻ってくる。

 ――右腕は、まだ動くッ!

 隙なく、右の拳から氣弾を放つ。

「読めている」

 冷酷な波才の言葉。

 そして右の腿を撃つ、波才の蹴撃。

 がくりと力が抜け、膝を折る。

 しかし、凪はまだ氣弾を放つ。

 不撓。

 不屈。

 氣弾は当たらない。

 波才は涼しい顔をして躱す。

 己の未熟が凪を打ちのめす。

 それでも、ここだけは譲れぬと云う思いが、凪を突き動かす。

 凪は気付いていない。

 囲みの陣をとり、ふたりの戦いを見守る味方の兵士たちが。

 凪の雄姿に肩を震わせ、涙を流しているのを。

 凪は知らない。

 それでもなにも出来ぬ、力になれぬ味方の兵士が、悔しさに唇を噛み切っているのを。

 凪はただ目の前の敵を打ち倒すべく、拳を握るのみ。

 膝が動かず、視界が揺れ、左の肩が外れていようとも。

 それでも、ここを通すことは己の矜持が許さぬ。    

 しかし――その時は訪れる。

 疲労。

 そして、枯渇。

「な、に――」

 氣が。

「ふふ、氣が尽きたか」

「くッ――」 

 歯噛みする。

 再び立ち上がろうとするも、脚に力が入らない。

 ゆらりと白い男が迫ってくる。

「さて、別れの刻限だ」

 波才はその美しい面立ちの中、三白眼を細めて淡く笑んでいる。

「未熟なれど、その気魄、見事」

 波才は息ひとつ切らせていない。あれだけの動きを見せたと云うにもかかわらずである。

 恐らくは、波才こそが相手の切り札。

 圧倒的な武で切り込む、必殺の一手。

「楽文謙、その名。俺が初めて認めた女として、胸に刻んでおこう」

 波才の拳が握られる。

 そして、放たれる猛烈な殺気。

「不撓不屈。良いものを見せてもらった。最期に返礼だ。我が全力の拳をもって、おまえを逝かせてやろう」

 圧倒的な気配。

 重圧。

 背後の兵たちが尻込みしているが、凪には分かった。

 楽文謙はここまで。

 波才を止めることは出来なかった。

 しかし、時間は稼ぐことは出来た。 

 今から場内を制圧したのでは、再挟撃はかなうまい。住民は真桜と沙和が上手く逃がしてくれるはず。東門からは敵が退いているのだ。

 そこからならば――恐らく。

「味方を案ずるか」

「己の身は、案じたところで仕方がない」

「ふふ、潔し。女に生まれたことが惜しまれるな、楽文謙」

 波才が構える。

 凪いだ風に、波才の白い髪が美しく揺れる。

 波才の気配が更に濃くなっていく。

 どうやら終わりらしい。

「――さらばだ」

 凪はそっと目を閉じる。

 そして。

 波才の必殺の一撃は。

 欠片の迷いもなく。

 

 振り下ろされた。

 

 響いた重々しい音。

 凪は己の死を、それで確信した。

 しかし――そこでおかしいことに気が付く。

 波才の一撃を受けたのならば。

『死を確信する時間』など、あろうはずもない。 

 刹那、凪の頭に触れた優しい感触。

 瞼を開く。

 

「――よく戦ったな」

 

 眼前。

 白い男の拳を受け止めていた。

 その人物は、漆黒の男。

 身体の線がよく分かる細身の、漆黒の軽鎧に身を包んだその男が、左の手の平で波才の一撃を受け止めている。

 波才の顔が驚愕に染まり、そして獰猛な笑いに変わる。

 拳を引いた波才は漆黒の男と対峙する。

「我が名は波才。おまえの名を訊こう」

「――虚」

 その言葉に波才が笑う。

 そして。 

 轟音。

 漆黒の男と波才とが、拳を打ち合わせている。

「ふふ。そこの小娘とは一味違うと云うわけか」

「ならば、おまえとは二味も三味も違うことになるな」

「ふ。減らず口を」

 瞬間、波才が鋭い蹴りを放つ。

 しかし、虚と名乗った黒の男は、紙一重でそれを躱すと、波才の足首を掴み、片手で放り投げた。

 波才は空中で受け身を取り、着地する。

 同時、猛進した波才は、虚の寸前まで迫っていた。

 しかし、跳ね上がったのは波才の顔。

 そして、その時にはすでに、虚の拳は波才の鳩尾に叩き込まれていた。

 波才が飛ばされ地に転がる。

 それを、凪は信じられないもの見るかのように観察していた。

 先ほどまで涼しい顔でこちらを圧倒していた波才が、漆黒の男の前では手も足も出ない。

「退け、波才。この戦、勝敗は決した。それとも、ここで俺に縊られるか?」

 その言葉に、立ち上がった波才は美しむ笑む。  

「……そうだな。正門前もどうやら決着となったようだ。俺は退く。また会おう、虚とやら」

 それから、波才はこちらに背を向けると、悠然とした足取りでその場を去っていった。

 黄巾の賊たちも、西門から退いていく。

 どうやら戦いは終わったらしい。

 代わりに、西門から黒い馬が入ってきた。

 見たこともない大きな馬。その身体は黒色よりも尚黒く、闇色よりも尚暗い。

 真黒の軍馬。

 虚は、その軍馬を迎えると、そっと撫でた。彼の愛馬なのだろう。

 そして漆黒の男はこちらに向き直る。

「よく西門を押さえたな」

 凪は淡く笑む彼から視線を外せずにいた。

「俺は、虚と云う。曹操軍の者だ」

「わ、私は大梁義勇軍、楽進と……」

「おお、きみが義勇軍の……そうか。身体は、肩が外れてるな」

 そう云うと彼は少し思案したような顔になって。

「う、うわ!」

 凪をぐいと抱きかかえると、そのまま真黒の軍馬にまたがった。

 今まで乗ったことのないような大きな馬からの眺めは、新鮮で。

 だから、焼け焦げた街の惨状が、よく見えた。

 悲しい景色だった。

 昨日までは、このまちで多くの人が幸せに暮らしていただろうに。

 屋台から美味しそうな料理の匂いが立ち上り。

 道のはじでは婦人方が話に花を咲かせ。

 子供たちが駆け回る。

 そんな街だったはずなのに。

 そう思った時、頭にそっと手が置かれる。

 柔らかにこちらの頭を撫でる彼の手は、決して嫌なものではなかった。

「すぐに元通りになる」

「……はい」

 そのまま彼はこちらを抱くようにして、馬の手綱を握る。戦いの疲労に、凪はそのまま彼に身をもたせ掛けた。初対面で、こう馴れ馴れしいのはどうだろうとは思ったが、彼は別段嫌がるそぶりも見せず、その頼もしい胸で凪の背中を支えてくれた。それがなぜだか嬉しくて、彼は不思議な人物だな、と思った。

「先ほどは……ありがとうございました」

「いや、ただ通り掛かっただけだ」

 でも、と虚は続ける。

「きみを救えてよかった」

 柔らかな彼の声が、凪の耳介をくすぐった。

 思わず身をよじる。

「痛むか? 肩を入れるのはきちんと診てからの方がいいと思ったんだが」

「あ、いえ。大丈夫です」

 慌てたように答え、そして鋭く走った痛みに息を吸う。

 そして気が付いた。

 凪の衣服も装備も、波才に殴られた際にまき散らした吐瀉物まみれなのだ。

 それは、しっかりと香しい匂いを放っているわけで。

 となれば、気にならぬわけがない。

 凪は今、虚に抱えられているのだから。

「あ、あの!」

「ん?」

「お、下ろしていただければ――」

 虚の胸に凭れながら、見上げるように彼の顔色をうかがう。    

「なぜだ?」

「その、えっと――におうのでは、ない、かと」

 凪の言葉に彼は喉を鳴らして笑う。凪は耳が熱くなるのを感じた。

「そんなこと気にしてたのか」

「じゅ、重大な問題です!」

「じゃあ、その重大な問題に答えよう。別に気にならない。そのまま凭れていてくれていいよ」

 彼は優しい声でそう云いながら、馬を進める。

 大通りを、真黒の軍馬が進んでいく。

 やがて、ひとりの男とひとりの女をのせた軍馬はゆったりと、そして堂々と正門をくぐった。

 そこには短い髪を風にたなびかせる麗人が、弓を片手に立っていた。

「夏侯淵、無事で何よりだ」

 虚が声を掛ける。

「虚か。――ッ!」

 振り返った夏侯淵は凪の傷付いた姿を見て目を見開く。

「楽進、それは――」

「肩が外れているらしくて。万徳に診せたいんだが」

 虚が代わりに、夏侯淵の言葉に応じる。

「万徳に……? あやつ医術の心得があるのか?」

「怪我の手当はひと通りできるらしい」 

「万徳なら姉者とひと通り暴れた後、華琳さまの元に控えているはずだ」

「わかった。夏候惇は追撃に?」

「うむ。だが流琉も一緒だ。深追いせずに帰ってくるだろう」

「そうか。それじゃあ、俺は行くよ」

 そう云って、虚は真黒の軍馬を進める。

 ただ、彼が夏侯淵と擦れ違うとき、彼女はこんなことを云った。

 

「虚――身を守れる程度、ではなかったのか?」

 

 

 

 

 夜、立ち込めていた雲は晴れ、中途半端に欠けた月が、それでも美しい光を放っていた。

「ささー、お兄さん」

 風がこちらの盃に注いだ酒を、ひと息に呷る。

「もうそろそろ諦めましたがねー、お兄さん」

「……」

「また単騎で突撃しましたね」

「……」

「お兄さんが強いのは知っています。別れ際星ちゃんに聞きましたから。怖いところを見せて、万徳さんを屈服させて連れまわるものいいです。颯爽と楽進ちゃんを助けるのも別にいいです。でもですね、世の中には万が一と云うものがあるのです」

 風が酒を注いでくる。

 虚はそれをまた呷る。

「しかも聞けば。西門の黄巾賊の間を突き抜けた挙句、楽進ちゃんが手も足も出なかった相手と無手で戦ったそうですね」

「……いや」

「虚さんだか、一刀さんだか知りません。みんなに怖い顔を見せていても、強いところを見せていても、頼もしいところを見せていても、お兄さんがどんな覚悟をしたとしても――」

 

「お兄さんが何になりたがっているのだとしても」

 

「風の前では、お兄さんはただひとりのお兄さんなのです」

「……」

 更に注がれた酒を、虚は更に呷る。

「単騎突撃は戦の華とでも云うつもりですか、お兄さん」

「いや――」

「せめて季衣ちゃんと万徳さんを連れて行くべきでした。春蘭さまに助勢など必要なかったのですから」

「まあ、そうだが」

「逆に動きづらいと思ったのでしょう。それも一理あります。でも一理しかありません。いいですかお兄さん、大体ですね、敵の山の中に無手で突っ込んでいく人がこの世のどこにいるのですか」

「……」

「勿論お兄さん以外で、なのです。いませんよ。少なくとも正常な頭を持った人の中には」

 風は怒った半眼を向けながら、今度は自分の杯に酒を注ぎ、ぐいと飲み干す。

「しかも装備は細くて薄い黒の軽鎧だけ。信じられないのです」

「風……そろそろ飲み過ぎじゃないか?」

「誰のせいだと思っているのですか」

 何も云い返せない。

 ぷりぷりと怒った風は、席を立つと当然のごとく虚の膝に座りに来る。

「以前云いましたね。お兄さんがいなくなったら、風はどうすればいいのですかと」

「ああ」

「風はこんなですけど、それでもいつもお兄さんを心配しているのですよ」

「うん」

「だから、云っても無駄と分かっていても、お説教が止められないのです」

「――」

 風はそっと背中をもたせ掛けてくる。

 そしてそのままこちらの胸元から、顔を見上げてきた。

「風(ふう)は風(かぜ)。誰にも捕まえることは出来ません」

 でも――と風は続ける。

「天空だけは、風を捕まえることができます」

「――ん?」

「分からなくてもいいのです」

 そのまま足を抱えて丸まった風は、虚の胸元に顔をうずめる。

「風。慧から報告が来たよ」

「南陽で蜂起がありましたか」

「ああ」

「厳しいでしょうねー、南陽は」

「だろうな」

 答えながら、虚は風の髪に指を通した。 

「そうやって機嫌を取るつもりですか、お兄さん」

「だめか?」

「……考えてあげてもいいのです」

 風の言葉に苦笑する。

「南陽宛城が落ちれば、そのまま洛陽に攻め上がるだろうな」

「その前に官軍が出るでしょうけどねー」

「官軍で押さえられる、か」

「さあ、どうでしょうねー」

 風はうずうずと身をよじる。

「眠くなってきたんだろ」

「……はい」

「じゃあ、そのまま寝るといい」

「お兄さん?」

 すっと目を閉じた風は呟くように云う。

「ん?」

「お兄さんは、お兄さんなのですよ」

 その言葉に、どう返せばいいのか。

 それが分からず、流石は軍師程昱だなと、そんなことを思いながら――虚は手酌で盃を満たした。

 

 

《あとがき》

 

 ありむらです。

 

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 今回は長社防衛戦。大まかには原作の流れをなぞっているので、あまり目新しいものはないかと思いますが、気が付くと波才さんと凪さんの戦いがメインに。

 黄巾の乱はあと二回くらいで終わるかと思います。

 そしたら少し間を入れて、反董卓ですね。

 

 さて、では今回はこの辺で。

 

 コメント、感想、支援などなどじゃんじゃんください。

 

 

 

 その全てがありむらの活力に!

 

 

 

 次回もこうご期待! 

 

 

 

 ありむら

 

 

 追伸

 

 前回色々教えてくださった皆様。ありがとうございました!!


 
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