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ちゅんちゅんちちちと、どこかで鳥が鳴いている。
朗らかな陽気の、日曜日のお昼過ぎ。
狭い狭い都市型住宅の、申し訳程度の庭に面した六畳の和室のテーブルを挟んで、向かい合って座る男と女。
女の名前は井原葵。三十七歳一児の母。
男の名前は浦沢俊介。五十四歳一児の母の父。
テーブルの上には、ちょんと一つ菓子折りが載っかっている。
「これなんです?局長」
「見ての通りの手土産だ。通りがかりのデパートで一番高いものを買ってきた」
仏頂面の浦沢は、過去の改ざんと日夜戦う時間管理局の局長。地方都市に配置された支局勤めとはいえ、てっぺんにドンと座った偉いさんだ。
二人の関係は上司と元部下。
詳しく説明すれば、「時間調停者」と「調停指揮官」の関係。
過去の改変に際し、実際に過去に行って歴史の変異と対峙するのが時間調停者で、そのときの作戦指示を行うのが調停指揮官である。
「なんでまたこんなものを」
つんつんと、葵は菓子折りをつつく。本当ならそんな失礼なことするもんじゃないんだけど、この人そんなことはまったく気にしないんである。
「頼みごとをするのに手土産も無しというのでは礼節を欠くだろう」
「頼みごと。なんですかねぇ」
「察しはついているのではないか?」
「よくわかんないです。特技も何も無い一介の主婦ですんで」
浦沢は四角い顔の真ん中にしわを寄せ、そわそわと視線をさまよわせる。対して葵はニコニコ笑顔だ。
この二人、実は折り合いが悪い……とかではない。
まったくない。
全然ない。
過去二十数年遡っても、仲の悪かったことなど一度もない。
葵が結婚したとき、仲人を務めたのが浦沢だったといえば、関係のよさがよくわかる。
……あまりよくわからないかもしれない。
浦沢が浮かない顔なのはただ単に、頼みごとがつまり、頼みづらいということなのである。ところが葵にしてみれば「今か今か、まだか、まだ来ねぇのか」って具合に浦沢の来訪を待っていたので、そこで笑顔と仏頂面のツートンカラーが完成するわけだ。
「……茶は出らんのかね?」
沈黙至極。
あんまり気まずいもので、浦沢は喉が渇いてきていた。
「出ません。めんどくさいです」
きっぱりと切って捨てる専業主婦。
こういう人なのだ、井原葵は。
旦那様が海外出張でめったに家に居ないせいか、家事は手抜きがまかり通り、食事は外食、洗濯は三日に一度、掃除はほっときゃ娘がするといった有様だった。
と……。
「出ますっ」
すらっとふすまが開いて、盆に湯気の上がる湯飲みを一つ載せた少女が室内に入ってきた。
伊原紗枝十四歳、掃除が得意な井原葵の一人娘。
背ぇ高ノッポで、モデルみたいに張り出したバストに細いウエスト、悩ましげなヒップラインと三種の神器をこれでもかと揃えた母からその特徴を大いに遺伝……しなかった葵自慢の一人娘である。
似ている箇所を上げれば顔立ちだけ。
背は低いし、すっとんとした出るとこ出てない幼児体型(意外と需要は多いぞ!)だし、性格だって母親に似ず真面目一徹。良くも悪くも悪くも全然似てないのだ。
そんでもって実はぱっと見美少年にも見られてしまう外見にコンプレックスを抱き、少しでも女らしくと一所懸命に髪を伸ばしたりしている。なんともいじらしい。
母親はそんなことまったく気にせず、
「女の魅力は後から勝手についてくんのよ」
と短く髪を切っちゃっているのだが、葵は少しくらい娘の気持ちを汲んでやるべきである。
でないときっと、いつか後ろから殴られる。
「ありがとう紗枝ちゃ~ん」
「ママのじゃないよ」
ひょいと盆の上の湯飲みに葵が手を出すと、紗枝は軽やかな動作で盆を頭上に掲げた。出来た娘がお客を差し置いて、無精な母親にわざわざ茶を淹れるわけがないのである。
つっけんどんに言い放ち、紗枝はテーブルの脇に膝をついて座ると、浦沢の前に両手で支えた湯飲みを置いた。
「お客様がいらしたのに、お茶もお出ししないなんて私が許しません」
人に出された茶を指くわえてみる母親をジロリとにらむ娘。だって子供として、母親にはあんまりだらしのない姿を見られたくはないんである。
最早隠しようもないんだけど。
それでも紗枝はこの子供みたいな母親のことが大好きで、結局のところだらしのないところもわがままも全部許してしまうのであった。
(ハァ…)
胸の中でため息ついて、紗枝は浦沢に頭を下げて部屋を出て行く。
「いい娘さんじゃないか」
「あたしの躾がよかったんですよねー」
えへへへと葵は笑う。
絶対そんなわけがないのだけど、浦沢はあえて言わないでおいた。
「で、頼みってなんです」
「うん、その…な」
ぐるんとターンして卓上に戻ってくるさっきまでの話題。
浦沢は言葉を濁した。
何度もいうようだが、言い辛い頼みなのである。
浦沢は気を落ち着けるため、湯飲みを取って茶を一口すすった。緑茶は程よい温度で飲みやすく、なるほどよく出来た子だと、浦沢は自分の中で紗枝のことを再び評した。そして目の前の葵を見て、「この母からあの子が?」とげんなりする。確信することは、「反面教師としては優秀に違いない」ということだった。
浦沢は一つ息をついた。
意を決し、言う。
「一度だけ復職してくれ」
「ヤです」
意を決した一言は、発言後わずか0.1秒の間もなくあっさりとケられた。いや、葵の拒否は若干言葉尻にかかってたような気も……。
「一度だけでいいんだ」
「ヤですね」
「君は復職したがってただろう?」
「でもヤです」
「引退したくないと何度もゴネてたのにか?」
「そうですねぇ。あたしは何度も『捨てないで』って言ったんですけどねぇ。それなのに、ミソジ過ぎたからって、局長は若いムスメに入れ込んじゃったんですよねぇ……」
「人聞きの悪いことを言うな」
もちろん事実無根である。
ていうかそもそも当時の時間管理局に若いムスメなんぞ居なかった。とか言うと怒りだす人がいるので、一人居たということにしておく。もちろん伊原葵その人だ。
「いやねぇ、アレだけ無理やり辞めさしといて、一度きり復帰しろなんてねぇ……」
わざとらしく眉根をよせ、ふりふりかぶりを振る葵。言外に「虫が良すぎやしませんか?旦那」と言っていた。
「……何が言いたいんだ?」
浦沢は先を促した。
言いたいことは、すでにわかったようなものだったが……。
「だからぁ……」
葵は勿体つけて一拍おき、
「一度だけじゃ嫌なんですよ」
意地の悪い顔で笑った。
お互いわがまま言い合って、それでトントン。和解成立と行きましょう、てなもんである。
「う……」
浦沢は言葉に詰まった。
葵が五年前、引退という形で時間管理局を辞職したのは身体的事由からであり、普通人だろうと葵のようなトラベラーであろうと、時間調停者ならば仕方の無いことである。そのことはしっかりと時間管理局局内規約に明記されており、 葵にも入局時から知らされていたことだった。
が、時間調停者の仕事が大好きだった葵は、引退を拒否し続けたのだ。
「なんですかその規約は!そんなのあたしが無かったことにしてやりますよ!」
と、時間調停者自らが過去の改ざんを宣言したほどだった。そしてなんと、実際「なかったこと」にしようと、時間管理局の正確な発足日時まで調べていやがったのだ。
そこをなんとかかんとか説得し、しぶしぶながら葵を引退させたのが、ほかならぬ浦沢俊介なのだった。
だからこそ、浦沢はこの「一度きりの復帰」を、頼みに来たくなかったのである。
自分で「辞めてくれ」と言っておいて復職しろだとか……。そんなこと言い辛いし、言ったら言ったで、どうせ無茶苦茶なことを言い出すに決まっている。
想像に難くないことであり、また、そのとおりになってしまっていた。
「いやーどうしましょうね?こんなオイボレのとこに頭下げに来たんですから、すっごい大変なんでしょうね。どうしましょうね?」
葵は嬉しそうに言うのである。
浦沢は鼻の頭をかいた。
まったく、どうしようもないオテンバだ。
いや、オテンバとは少女時代に使う言葉であり、この場合当てはまらないか……。
「はぁ……」
浦沢は大仰に、ため息をついた。
なんとも情けないことに、葵の言うとおり「すっごい大変」なことになっているのだった。
時間調停者は、じつは凄い少数である。
ヘタすれば調停者が過去を変えてしまう事態にならないとも限らないので、試験に試験を重ね、人間的にも能力的にも優れた人材が集められる。だからその弊害として、人員は随時枯渇しているのだった。例外として審査なしで登用されるのは葵のようなトラベラーだけだ。
そして今現在。
浦沢が局長を務める支局は事件を抱えてるにもかかわらず、出動できる人材が居ないのだった。支局に戻れば、壁に貼りついた出退勤管理表の「時間調停者」の名前全てに「出動中」の札が下がってるのである。
他の支局から人材を派遣してもらうことも出来るのだが、それには凄い時間がかかり、早くても明日にしか人材は用意できない。
ちなみにそれがどんな手順かというと、まず浦沢の支局で「調停者派遣要請書」を書き、局長、副局長、現場管理官の捺印を貰い、それをファックスで東京本局に送り、本当に危急の事態であるかを審査し、同じ書状に同じ肩書きの人間が捺印をし、要請のあった支局の近隣の支局に書状が送られ討議が行われ、派遣可能ならばそこで初めて調停者の派遣が決まるのである。
ついでにいうと、依頼先が派遣できなかったら、また最初からやり直しとなる。その上手続きは午後五時までしか受け付けてもらえない。なんという官公庁、面倒臭いったらない。
当然事態は待っちゃくれないわけで……。
そこで浦沢は近隣に緊急的に出動を要請できる人員を探り、そして伊原葵その人に白羽の矢が立ったのである。いやむしろ、矢が狙うべき標的は葵一人しか居なかったといえる。
ここで迷うべきかと、浦沢は逡巡する。
さっさとイエスと言って、事件に対処してもらうべきではないか、と。
頭を下げるべき人間が、目の前に居るだけでもいいことだ。もしかすると、書状をたらいまわしにして、明日まで待つ羽目になっていたかもしれないのである。
「わかった。その代わり、一年間だ。一年だけ、復職を許す」
渋々ながらも、承諾するしか浦沢にはなかったのだった。
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