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ジーワジーワと蝉が鳴いている。
今は四月も中頃で、蝉が鳴くにははやいだろうといったもんであるが、実はここで蝉が鳴いているのには理由があるのである。
ここはそう、四月であって四月でない。
わかりやすく言うと、井原葵ただ一人七月初頭にいるのだった。
井原葵は時間跳躍をし、十年前の過去に跳んだのである。
葵にとって「今」は、十年前の七月四日なのだ。
「十年前っていっても変わらないなー。車が空を飛んでると思ったのに」
真っ青な空を仰ぎ、葵は感慨深げに言った。
『そんなもの、当然だろう。現在だって飛んでいないものが、十年前に飛んでいるわけがない。そもそも、君はその時代を良く知ってるじゃないか』
耳につけたインカムから、局長・浦沢の声が響く。現在と過去を繋ぎ会話が出来る、便利なインカムだ。
「冗談じゃないですか。ノリ悪いですよ」
『すまん、悪かった』
ため息混じりに浦沢は言った。
悪かったなどと別に思っていないが、葵と付き合っていくにはノリをあわせるのは重要なファクターだからだ。
「それで、容疑者のナントカさんはどこに居るんです?」
十年前の繁華街を歩きながら、葵は聞いた。
今も十年前も、街の様子あまり変わっていなかった。しいていうなら、少しばかり型遅れの服装が目立つくらいだ。葵は「十年後」から来ているが、ノースリーブシャツにジーンズ、ミュールに帽子、そしてサングラスといったいつの時代にも居そうな服装なので、人ごみにまぎれても違和感はない。
もっとも、あまりにぎわった街ではないので、人出はそんなに多くないのだが。
『結城重幸、だ。年齢は二十六歳。おそらく彼は羽室坂高校に行くつもりだろう』
「おバカさんガッコですね」
『君が言うかね?』
「あ、酷いですよそれ。確かにあたしバカですけどねー」
小さくぷーっとむくれる葵。
この人は本当に一児の母である。子供っぽいけど、一児の母である。
羽室坂高校は葵の居るO市の繁華街から電車で二駅の所にある。葵はとりあえず、駅に向かうことにした。
「で、なんでハムコーなんです?」
ハムコーは羽室坂高校の愛称だ。響きとしては凄く美味しそうなので困る。
『十三年前、君の居るときよりさらに三年前だが、彼はいじめにあっていてな。それから今に至るまで十三年間ひきこもり生活なんだが、彼をいじめた二人、兵藤浩介と中川純一が羽室坂高校に通っている。それでおそらく、そこに行っただろう、と推定した』
「はぁ、復讐でもするつもりなんですかね?」
『おそらくそうだ』
「彼はアレ、トラベルマシンで跳んだんですよね?」
『ああ。彼の自室には小型のトラベルマシンがあった。どうも自作のようだな。彼の両親も、結城がそんなものを造っていることは知らなかったようだ』
「トラベルマシンを自作ですか?」
トラベルマシンは過去の改ざんを禁止しているから、製造方法は法律によって伏せられている。それを一人で作り上げるとなると、結城重幸の技術力はとてつもない。
「すっごいですね…。可能なんです?それ」
『結城は実際ソレで跳んだんだ。可能だったんだろう。それに、部屋中怨み言書き連ねたノートが散乱していたからな、よほどの執念だったのだろう』
横断歩道の前。信号が赤だったため、葵は立ち止まる。
目の前では、ごうごうと音を立てて車が走っていく。
いじめ問題は、過去も現在も、後を絶たない。
誰かが誰かを殴り、傷つける。
誰かが誰かに殴られ、傷つけられる。
そこに理由があるのかないのか、人は人を傷つける。
葵は奔放な人間で、どの集団に属しても浮いていたが、どんな人間とも仲良く過ごしてきたせいか、いじめられた経験はない。
だから葵には、いじめる人間の心境も、いじめられる人間の心境もわからない。
過去に戻ってまで復讐を成そうという人間は、一体どういった考え方を持っているのか……。
「なんですかね?いじめって」
葵はポツリとつぶやいた。
『わからんさ、そんなもんは。俺だって何度も考えたことがあるが、あれはきっと、答えの出ることではないのだろう』
信号が青に変わり、葵は歩を進める。
同じようにして信号待ちをしていた人間たちも、同じように歩き出した。
横断歩道の両の岸から、人々が目指す対岸へと歩いていく。
数を見れば、二十名ほど。
一人一人を捕まえて「いじめをしたことがありますか?」と問えば、誰か一人はイエスと返事をしそうである。
いじめとは身近に潜んだ恐怖だ。
「あたしならいじめて来たやつなんか社会的に抹殺するんですけどねぇ」
目指す駅へと歩きながら、葵は言った。
とんでもない冗談を、サラっと言いやがるもんである。そういうことは、多分あんまり言わないほうがいい。
『君がそういうことを言うと……怖いな……』
葵にはトラベラー能力を使ってそういうことが本当に出来る上に、実行しちゃえる行動力まで併せ持っているので、とてもじゃないが困ったもんである。
まぁ、実際にはやってないだろうけど。
もしかしたら実際にやっちゃったことがあるかもしれないけれど……。
「ま、そんなことはどうでもいいですかっ」
あっけらかんと言う葵に、
『そ、そうだな、どうでもいいな』
未解決の時間跳躍事件が無かったかどうか、調べてみようと思う浦沢であった。
それは結局、実行されずに終わるのだが。
実行されなかった理由はもちろん、「本当にやっちゃってたらどうしよう」という恐怖感からであったが、それが井原葵ご本人様に明かされることは一生ない。
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