第7話 初陣
その次の日、俺が『軍旗』にしようと考えてた言葉、つまり武田軍の軍旗に使われていたものである(※1)
”疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、動かざること山の如し”
この文を漢文に直したものを愛紗が暗記しているという孫子の一節から引き抜き、
”疾如風徐如林侵”
”掠如火不動如山”
が軍旗になるように頼み、次の日には見事に完成した。漆黒の旗に赤い字。相手も恐怖に思ってくれるんじゃないかな。
本来は
”疾如風 徐如林”
”侵掠如火 不動如山”
で、このままのほうが格好いいんだけど、文字数の関係でこうなってしまった……。きれいな長方形にするにはこうするしかしかなかったんだよね……。
そして、商人としての活動を再開させた張世平と蘇双には、猪とか豚、牛や馬を手に入れて干し肉や塩漬け肉を作り、それに皮を集めるように依頼した。別に動物は痩せてても死にそうでもいいからと。
兵糧が米だけじゃ問題だよな……というのと、蛋白質摂取には肉が一番だからだ。今は魚や肉の内臓を食べれば良いだけだ。長期保存できる食糧を蓄えて、移動する時のためにきちんと備えておかないとな。動物の皮は”服”や”皮革製品”として作って売るためだ。俺の世界では、”牛革の財布”なんて高級品だったし。
初陣の日、まずは軍議が行われた。ところが……。
「あの自己中人間はドコ行ったんだ!! 盗賊討伐を今日行うというのは事前に通達したはず!! なのに、朝迎えに行かせたら書き置き一つでどこかへ行方をくらましやがった!! 今回に限って臆したとでもいうのか!!」
「ご主人様、星は一体なぜ……?」
「大方、偵察だろう。戦は情報が命だからね。あの星が敵前逃亡や単騎突撃なんてするとはとても思えない。」
愛紗の問いかけに俺はそう答えた。なんでも、”私は野暮用ができました故、軍議は先に行っておいて下され”という書き置き一つで星の部屋はもぬけの殻だったらしい。
「白露殿、先に我が軍の戦力を確認すべきかと。星殿が敵前逃亡などという行動をとるようには思えませんので。」
「それもそうだな……。我が軍は総勢5500。それに北郷・劉備軍の騎兵が50。合わせた内訳は、騎兵が550。歩兵が5000だ。まあ、歩兵は装備を変更すれば槍兵と弓兵にもなれるようになっている。」
白露がその話をした時、ちょうど星が戻ってきた。
「すみませぬな。騎馬では目立ちすぎます故、徒歩で行ったので時間がかかってしまいましてな。そのかわり敵の内情と地形はきっちり探って参りましたぞ。」
「お、おう。そうか、ご苦労。で、どうだった?」
「敵は盗賊の一団ですな。兵数は1万程度であり、何人かの頭が集まっておるようです。」
一様にどよめきが起こる。まあ、兵力差は倍だからな……。俺は星の話を遮って、質問する。
「星、統率と陣地はどうなんだ?」
「それをこれから語ろうとしておったのですが……。流石に目のつけどころが宜しいですな。全軍を統率する将はおらず、利害関係の一致のみで集まっているようです。相手の陣は川の近くの林にあるようですが、誘きだせば平地にも来るでしょうな。平地は視界の良好な荒野のみであり、連中の装備は剣が主であります。まあ、歩兵1万と思ってよいでしょうな。」
「兵力差は倍か……。なかなか厳しい戦になりそうだな……。」
と言う白露。そうでも無いと思うんだけど……。
「平地にさえ誘きだせば勝利は確実なんだが……。さて、どうしたものかな……。」
「おや、北郷殿も同じ意見でしたか。ならばその役はこの星にお任せあれ。」
「危険だけど、良いのか?」
「無論。この程度どうということもありませぬ。」
「そうか。なら頼む。」
「おい、一体何を話しているんだ?」
突然、白露が会話に割り込んできた。そういえば……。星と会話をしている間、周りを完全においてけぼりにしていたことに気づいた。
「要するに、敵は歩兵のみで統率もロクにとれぬ連中です。おそらくは陣形も考えぬでしょうな。我らは兵5000を槍兵2000、弓兵3000ほどに分け、そのうち兵100ほどを分け、私が先兵として行き、平地に誘い出すのです。」
「あとは槍兵を前にして敵兵を防ぎ、弓の雨を降らせて我らの勝利というわけです。騎兵550による横撃で止めを。まあ、騎兵には別働隊として敵の陣地を破壊し、火を放つか兵糧などを奪うかをして貰わねばなりません。この程度の敵ならば、いちいち頭を討ちに行く必要もないでしょう。」
と俺が引き継いだ。
「流石は北郷殿、きちんとお分かりのようですな。我らの陣形は衝軛の陣が良いでしょう。騎兵は関羽殿と張飛殿に任せてはいかがです? 本陣は大将たる公孫瓚殿が指揮を執ればよろしい。」(※2)
「勝手に決めんなー!!」
星の言葉に白露がうがーと叫んだ。でも、
「まあいいか。星の策が外れたことはないし。北郷と劉備は弓兵の右翼を任せることにするよ。皆、良いな?」
と、あっさり俺と星の意見を呑んだ。
「は!!」
そこに集ってた皆は一様に頷いた。
「戦か……。相手は好きで盗賊になったわけじゃないんだろうけど、まあ、倒すしかないね。」
「ご主人様は戦が嫌なの?」
俺がそうつぶやくと、桃香そんなことをきいてきた。
「嫌というより、俺の居た世界では日々の生活が戦と隣り合わせということは無かったからね……。俺は人を殺めたことも無いし……。甄のお陰で自分には身の危険はないとわかっていてもね、正直怖いかな。それに、愛紗や鈴々のことも心配だし……。」
「ご主人様、我らの心配は無用です。」
「そうなのだ、お兄ちゃんはのんびり構えてればそれでいいのだ。敵は鈴々がやっつけるのだ。」
「まあ、お前たちが強いのはよく分かってるけど……。無茶だけはしないでくれよ。」
そして、開戦。
愛紗は敵本陣の掃除に向かい、鈴々は横撃の任に就いた。まさか横撃1発で敵兵があっさり崩れるとは思っていなかったなあ……。
わずか数時間で敵兵はほぼ壊滅した。最後に残った500人ほどの兵は降伏を申し出てくる体たらく。
白露は「こんな連中なんてどうでもいい。」と言ったので、俺たちでいただくことにした。
こいつらの初仕事は穴掘りだ。敵の遺体も埋めることには批判もあったけど、”最低限の情けを”と言ってみんなを納得させた。まあ、狙いとしては俺たちの器の大きさを知って貰うのと、衛生環境が悪化して伝染病が広がったりするのを防ぐためなんだけどね。
しかし……。
「大丈夫? ご主人様? 顔が真っ青だけど。」
「何とかね。これから何度も戦はあるんだから、そう青くなってばかりもいられないよ……。とはいえ、ここまで死体が転がってるとやっぱりね……。」
両軍合わせて1万人を超える死体の山が広がっている。荒野には大量の血が今もついている。
敵はさすがにまとめて埋葬したけれど、味方の兵の遺体は一人一人埋葬した。それをきちんと見届け、今回の戦は終結した。やっぱり戦は可能な限り避けたいな、と改めて実感した。そして、俺たちは戦功として"義勇軍を募集する権利"を貰った。兵士がいなければどうしようもないから、俺が要求したんだけど。
「しかし、ご主人様、敵の降伏をあっさり受け入れるのは行き過ぎでは? 白露殿も白露殿の兵も快くは思わないでしょうし、我々もあまりいい気はしません。」
「それはそうだろうけど。でも、連中が”望んで盗賊になったわけじゃないんだろうな”ってことは愛紗も見ててわかったよね?」
彼らに墓を掘らせた後、食事
――といっても米と少しの肉だ――
を与えた。たったそれだけで彼らは泣いて喜んでいた。
さすがに、「元の村に帰らせてくれ。俺は目が覚めた」という連中を帰すことは認められなかったけど。
「それはそのようですが……。」
「白露のところにいる兵も一歩間違えればあっちに居たとしても不思議じゃないよ。基本的に金も食事もないから盗賊にならざるをえなかったわけで。」
俺は食事に困ることも、明日の暮らしを心配することも無かったし、ましてや日々の生活が『生きるか死ぬか』という極限状態であることなんて想像だにしなかった。テレビでたまに「ソマリアで海賊が~」というようなニュースをやっていて、その話は彼らは食べるものも何も無いから、海賊になるしか道はなかった……なんていう話だったけど、ここではそれが普通にある。こんな言葉で終わらせて良いのかわからないけど、『可哀相』な人たちなんだよな……。
「もし、反乱を起こした場合はどうするのですか?」
「その時は一人残らず捕らえて”車裂きの刑”にでもするしかないんじゃないかな……。二度と反旗を翻す気など起きないようにするためにはね。」(※3)
「…………。わかりました。そういえば、なぜ白露殿は白馬に乗るのでしょうか? わざわざ大将の位置を教えることもないですし、非常に目立つと思うのですが……。」
「さあ? 星も散々注意はしてるらしいんだけど、それに関しては言うことを聞かないらしいね。本人は”格好いいから”と言っていたけど。」
「…………。」
「まあ、いざというときに影武者を白馬に乗せて自分は別の馬で逃げるように……ということくらいしか弁護は思いつかないね。まあ、あの白露殿がそんなこと考えているとは思えないけど。」
「お人好しですからね……。」
その後は賊の討伐の為に幽州北部を転戦した。結果は連戦連勝。まあ、関羽・張飛・趙雲と居るのだから、賊如きに負けるはずもないし、これも当然と言えば当然かな。
俺も『戦』に慣れてきて、毎度毎度吐きそうになったりはしなくなった。まあ、進歩かな。
白露が太守を務める北平を中心に、幽州の北部は完全に制圧した。公孫度も潰し、楽浪郡
――世界史で、武帝が設置した『朝鮮4郡』なんてやったっけなあ……。今回、攻めた時は形骸化して賊の根城になっていたけど――
まで滅ぼした。つまり、朝鮮半島まで完全に制圧したことになる。まだ半年しか経っていないというのに、恐るべきスピードで進んでいるなあ……。(※4)
しかし……。俺一人で勢力図を作ったりするのは限界があるなあ……。判明した群雄は全て、こっそりとノートに書いているけど……。そもそも、『情報』は全て、張世平たち『商人』のネットワークからもたらされるものが全てだ。まあ、『諜報機関』がないからなんだけど……。どうしたものかな……。
幽州全土の統一、すなわち白露が『州牧』に任命されるまではあと一つ、西部に居る『劉虞』を倒す必要がある。(※5.6)
そこまでいったら、後は独立して流浪の旅かな……。あのメンマの作り方も覚えたし、壺も売って貰えることになった。これで星を抜く準備もかなり整ってきたことになる。それに、降伏した兵を受け入れていくうちに、俺たちの軍の兵数は2000まで増強した。愛紗や鈴々が厳しく鍛え、張世平たちのお陰で良質な武器が手に入っているから、白露の正規軍にも見劣りしないくらいの能力になっている。まあ、向こうの兵数は2万強だから、そのへんはお話にならないけど……。
解説
※1:風林火山・・・武田軍が本当に使っていたかは諸説ありますがね……。まあ、いいんじゃないでしょうか?
※2:衝軛の陣・・・要するに横長の長方形みたいな陣形。
※3:車裂きの刑・・・秦(春秋戦国時代)の政治家、商鞅が編み出した刑法。四肢を馬に引かせ、バラバラにする恐ろしい死刑。作った本人もこの刑法で死刑になる悲しい結末を辿る……。
※4:公孫度・・・公孫瓚の一族とは別物です。”遼東の公孫氏”といわれている連中ですね。
※5:州牧・・・州のトップ。軍事権を持ち、州全体を管轄する役職・・・と捉えて下さい。
※6:劉虞・・・光武帝の末裔らしいです。史実では人望厚い将だったとか。
Tweet |
|
|
12
|
1
|
追加するフォルダを選択
第1章 ”天の御遣い”として