No.436672

真・恋姫無双~君を忘れない~ 九十四話

マスターさん

第九十四話の投稿です。
曹洪と曹仁、曹魏が誇る歴戦の将を見事に打ち破ることが出来た麗羽。正しく彼女は凡才が才覚ある者を努力でもって討ち果たせると証明することが出来たのだ。が、勝利の余韻に浸ることなく、麗羽には次の試練が立ちはだかることになった。

今回の展開は賛否両論かもしれません。批判的なコメントは控えて頂けることを願います、現在の作者のメンタルは豆腐並みですので。

続きを表示

2012-06-13 16:48:06 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:5652   閲覧ユーザー数:4884

 

 荒い息を吐きながら、斗詩と猪々子は自分たちの足元に横たわる猛将たちの姿を見る。額からは汗が止まる気配はなく、身体全身から湯気でも出るのかと思えるばかりに熱が発せられる。

 

 曹洪と曹仁への最後の一撃。

 

 麗羽自身が自ら囮となり、これまで徹底した二対一と構図を、麗羽が両者を相手にすることで、同時に可能にさせたのだ。そのおかげで自分たちは背後から無防備な二人に渾身の攻撃を繰り出すことが出来た。

 

 勿論、最初はそんなことを考えていたわけではなかった。

 

 あのとき、斗詩と猪々子の二人で一気に曹洪を集中狙いして、そのまま勝負を決めるつもりだったのだが、曹洪はそれを全て避けてしまった。そして、その隙に曹仁が麗羽へと足を向けた刹那、麗羽は二人に視線を向けたのだ。

 

 ――わたくしに構わずにお決めなさい。

 

 そう言われた気がした。

 

 主を守らないという不忠極まりない行為を、唇を噛み締めながら敢行した。

 

 そして……。

 

 改めて曹洪と曹仁を見下ろす。

 

 自分たちが放てる最高の一撃だった。あれを避けられたら、本当に勝てないと思った。

 

 それでもまだ二人の歴戦の猛者たちは命を取り留めていたのだ。

 

 曹洪は戦闘技術においては桁外れだった。猪々子の斬撃に対して、こちらを見もせずに剣を背後へと回したのだ。剣同士が衝突した瞬間にも身体を半回転させることで衝撃を逃がすことすらした。

 

 衝撃はそれでも全て捌き切ることが出来ずに、地面へと叩きつけられてしまったのだが、血反吐を吐きながらも意識を保っている。

 

 曹仁もまた己の身に纏う鎧に命を救われた。彼が持つ得物同様に、常人では身に着けて歩くことすら出来ないであろう程の重量と硬度をもつそれは、斗詩の金光鉄槌の一撃を受けても砕けることはなかった。

 

 だが、衝撃は内部へと浸透し、確実に曹仁の身体は粉砕されたのだ。おそらくは身体の骨が多く砕けているのだろう。しかし、それでも涼しい顔をしながら天を仰いでいる。

 

「わたくしたちの……勝ちですわ」

 

 麗羽が剣を杖代わりに立ち上がり、二人に声を掛ける。

 

「麗羽様っ!」

 

「姫っ!」

 

 斗詩と猪々子がすぐに麗羽に駆け寄る。先述の鎧を身に着け、戦場で暴れることの出来る強靭な肉体を持つ曹仁の一撃を、剣でとはいえその身に受けたのだ。麗羽自身も無事で済む筈がない。

 

 肋骨辺りが折れているのか、脇腹に手を当てているが、咳き込むとその掌に血の華が広がる。その痛々しい光景を見て、斗詩と猪々子は今にも泣きだしそうな表情を浮かべるも、両側から麗羽の身体を支えてあげた。

 

「……何故………だ」

 

 力無き声で曹洪が告げた。

 

 何故自分たちは負けたのか。分からない。負ける要素など一つもなかったのだ。

武将としての信念なのか、曹洪は地面を這いずりながらも何とか身体を起こそうとする。ガクガクと身体が震え、口から大量の血を吐きだしながら、麗羽の許へと向かおうとする。

 

 それを止めようと猪々子が動こうとするが、麗羽が手で制す。

 

 抵抗しようにも意識があるだけでも驚きなのだ。これ以上こちらに危害を加えるようなことはしないだろう。麗羽は二人に肩を借りながらも、曹洪へと屈みこみ、最後までその柔和な微笑みを見せた。

 

「曹洪さん、どうしてわたくしたちが勝つことが出来たかお分かりになりますか?」

 

「………………」

 

「わたくしは非力ですわ。才能などなく、いくら努力したところで下地となる力はあなた方のような優れた人間を超えることなど出来ませんわ」

 

 しかし。

 

「非力であっても、無力ではありませんわ。凡才であっても努力だけはいくらでも積むことが出来ますわ。そして、わたくしには、わたくしを守ってくれる娘がいて、守らなくてはいけない娘がいますの。その決意と彼女たちの信頼だけはあなた方にも負けませんわ」

 

 その言葉を聞いた曹洪が少しだけ笑ったような気がした。

 

 その表情を麗羽だけが目撃したのだ。気のせいかもしれないし、見間違いかもしれないが、それでも麗羽がそのとき初めて曹洪が自身の敗北を悟り、その理由に気付いてくれたのかもしれないと思った。

 

「……殺せ」

 

 曹洪はそのまま麗羽の瞳を真っ直ぐに見つめながら言った。

 

 自分たちは負けたのだ。全ては勝者のためにあり、敗者にあるのはただ死のみである。誰よりも戦場を駆け抜けた曹洪だからこそ、その意味をもっともよく分かっている。

 

 だが、麗羽は首肯することはなかった。

 

「断りますわ。あなた方にはまず然るべき治療を受けて頂き、そして捕虜として丁重に扱います。華琳さんの御親類とあれば、尚更ぞんざいに扱うことは出来ませんもの」

 

 それに対して更に何かを言い募ろうとする曹洪であるが、言い始める前に口を噤んだ。

 

 敗者には死のみであるが、それを許すかどうかを決めるのもまた勝者の役目なのだ。

 

 戦場という表舞台から身を退く最後の機会。この戦いは果たして彼にとってどのようなものなのだったのか。華々しく散るわけでもなく、勝者として絶賛を浴びるわけではない。しかし、彼の表情には何故か満足ささえ窺えるような気がした。

 

 麗羽は身体を起こして空を見上げた。

 

 自分が勝利したという実感がここで初めて彼女の全身を巡るのだ。

 

 さぁ、これから益州軍先鋒を任された指揮官としての最後の仕事が残っている。周囲を囲う兵士たちからはざわめきの声が徐々に大きくなっていた。それが混乱へと繋がる前に告げなくてはいけないものがあるのだ。

 

 自分たちの指揮官が――曹魏でも知らぬ者はいない、歴戦の猛者の敗北。未だに曹操軍の兵士たちはその事実を受け入れられずにいるのだ。おそらく抵抗はしまい。そうしようにも彼らを率いる者はいないのだから。

 

 麗羽は斗詩と猪々子の顔を見て、そっとその頭を撫でる。

 

 よくぞ最後まで自分について来てくれた。勝つ見込みなど、仮に麗羽の脳裏にあったとしても、客観的に見れば到底信じられるものではないのに、常に麗羽のことを信じ、その言葉に従ってくれた。

 

 彼女たちこそ最高の部下であり、仲間である。

 

「皆様、わたくしたちの勝利ですっ! 勝鬨を――」

 

 そこまで麗羽の喉が詰まる。極度の疲労からでも、偶然そうなったわけでもない。彼女の本能が続く言葉を連ねる直前に警鐘を鳴らしたのだ。身体に電撃が走ったかのような衝撃が襲う。

 

 と、そのとき……。

 

「え、袁将軍っ! 」

 

 囲いの中から一人の兵士が酷く狼狽した状態で駆けて来た。これから指揮官が勝利宣言をするというときに、それを遮ってまで伝えなくてはいけない事態が発生したのだと、麗羽がすぐに察知した。

 

「そ、曹操軍本陣が動き出しましたっ! 軽騎兵のみの八千の部隊が既に間近まで迫ってきておりますっ!」

 

「ま、まさか……ここで動きましたのっ!? ……華琳さんっ!」

 

 

 麗羽の言葉通り、既に曹操軍本陣は動き出していた。

 

 しかも、その八千騎を率いているのは、華琳自らであった。動かすことの出来る将は全てこの戦に参陣させ、しかも曹操軍は対益州軍と対江東軍に分割させている。本陣には既に一軍を任せられる将の余裕などもないのだが。

 

 ――麗羽がどれだけの人材になったのか、私自身が確認しないとね。

 

 部隊の後方に位置する華琳はにやりと口を歪めた。

 

 華琳たちは麗羽たちが常山の双頭蛇の陣形を展開した直後に、部隊を発したのだ。それに対して、華琳自らが指揮をすることに桂花は反対した。その段階では先鋒の勝負は決したわけでもなく、桂花自身も曹洪と曹仁が敗北するなど露にも思っていなかったのだ。

 

 しかし、華琳は桂花の進言を受け入れなかった。

 

 華琳も客観的に考えれば、あの叔父たちが負けることなどあり得ないと思っていた。彼らの強さは彼女がもっともよく知っているのだから。幼き頃より、母親の隣でその雄姿をずっと見続けていたのだから。

 

 しかし、それと同時に華琳にはもう一つの想いもあった。

 

 それは麗羽に勝ってもらいたいというものである。敵軍に勝利して欲しいなど、自分自身ですら何故にそのようなことを考えるのか不思議であるのだが、かつての友が進化を成し遂げ、自分に向かっていることに対して、華琳は喜びを覚えていたのだ。

 

 ――だったら、その牙をへし折るのもまた私の役目よね。

 

 桂花には叔父たちが万が一にも敗北することがあれば、先鋒の兵士たちの狼狽は収拾がつかないものであり、また勝利すれば、そのときはそのときで、そのまま益州軍本陣に叔父たちと突撃を仕掛け、この戦を終わりにするだけだと告げたのだ。

 

 言い出したら他の者の声を聞かず、加えてそれが人材に関係することであれば、尚更であることを桂花はよく理解していたので、溜息を交じりに主の部隊を見送ったのだ。

 

 接敵するまでもう間もなく、視界の奥には 蜷局(とぐろ)を巻いた大蛇の陣が見える。報告では聞いていた。有名な常山の蛇に、あの三人の姿を象徴するような奇抜な陣を見事に展開したものだ、と感嘆の声を漏らしたものだ。

 

 双頭の蛇、あれは本来であれば防御に適した常山の蛇を攻撃型へと発展させたものだ。曹洪が陥ったように、本隊である胴に攻撃を加えようとすれば、そこが新たな頭部となり敵を呑み込む、言わばカウンター型の陣形だ。

 

 だがその陣形に曹洪の部隊が包囲されてから、妙なことに闘争の気配が伝わってこないことに、華琳は不信を感じていた。敵を陣中深くに誘い込むことが出来たのであれば、そこが勝機に繋がるのは目に見えている。

 

 だが、そうしないということは。

 

 ――麗羽は二人だけを討ち取るつもりなのね。

 

 曹洪と曹仁の用兵術の卓越さは言うまでもない。春蘭や秋蘭に幼い頃からその技を指導していたのも彼らであるし、その一点に絞ってしまえば、人材豊富な曹操陣営の中でもトップレベルに位置しているだろう。

 

 だからこそ、麗羽は戦争での勝負を切り捨て、戦闘での勝負に賭けたに違いない。

 

 そんなことを考えていた直後、遠くに映る兵士たちのどよめきが風に運ばれて華琳の耳に入り込んできた。

 

 その瞬間、華琳は麗羽たちが勝利したことを確信する。

 

 兵士たちがどよめいたということは、彼らが信じられない光景を目にしたことを意味する。しかも、どよめきは今も続いていて、そこから何の動きを示していないのだ。

 

 もしも、曹洪たちが勝利したのであれば、自軍の兵士たちにとって、それは当然のことであり、勝鬨の雄叫びを上げるならまだしも、ざわめく筈がない。また、その声の持ち主が益州軍の場合でも、ざわめきの直後に曹洪たちがすぐに益州軍の兵士たちに攻撃を加える筈だから、動きがないのもおかしい。

 

 従って、勝利したのは麗羽たちなのだ。

 

 それに気付いた華琳の中で、叔父たちが敗北したという事実に対する驚きと、麗羽たち勝利したことが当然であると主張が衝突し合った。叔父たちには申し訳ないが、もしも仮に、麗羽が自分と対峙するだけの人物ならば、叔父たちに勝利することに何ら不思議もないのだ。

 

 それに部隊の指揮能力一つであれば、麗羽が勝利することは不可能であろうことは承知だったが、それが個人の武であれば、話は別であるとも思っていた。叔父たちは麗羽たちのことを詳細に知っているわけではないのだから。

 

 麗羽は――否、麗羽、斗詩、猪々子たちは本物の絆で結ばれた者なのだ。それは忠義だとか、信頼だとか、そんな言葉でも説明できない程に親密で、立場などの一切ない純粋なまでの絆である。

 

 かつて麗羽が袁家の老人たちによって幽閉された際、斗詩と猪々子は文字通りに命を懸けて麗羽を救おうとしたことがあった。一度は老人たちの奸計により麗羽と離れ離れになってしまったのだが。

 

 ――あの娘たちは敵対していた私に麗羽を助け出すように懇願したわ。

 

 それから麗羽たちがどのような経緯で益州軍に合流したのかは知らない。彼女たちの存在を知ったのは、以前荊州を攻めたときだった――と言っても、あのときは春蘭に任せていたわけだから、華琳自身は見ていない。

 

 しかし、それでも麗羽はそのときの戦いで江東軍を翻弄し、その後、同盟して春蘭たちを迎撃した際にもその勝利に大きく貢献している。その姿など華琳には想像も出来はしない。

 

 その麗羽の成長には様々な要因があるのだろうが、華琳は斗詩や猪々子の存在がその中でも最も重要なものだと思っていた。あの二人の存在がなければ、今の麗羽は存在していないと確信しているのだ。

 

 だからこそ、あの三人が連携すれば、その武は何倍にもなるだろう。三人の武をただ足しただけでなく、それ以上の力すら発揮するだろう。もしも、そうなってしまえば、曹洪たちが勝利すると断言することは出来ないのである。

 

「ふふふ……」

 

 華琳は声を出して微笑んでいた。

 

 それを不審に思った左右の将校たちに向けて、華琳はごめんなさいと軽く謝ると、すぐに思考を戦闘態勢へと移行し、兵士たちに命令を下す。官渡の戦いでは残念ながら実現出来なかった、麗羽との本当の戦いが始まろうとしているのだ。

 

 彼女が下した命令は勿論一つである。

 

 ――全軍、突撃よ。

 

 わざわざ華琳自らが少数精鋭の部隊を率いたのは、その目で麗羽を確認したいだけなのかもしれない。戦術的にはこの場で麗羽に対して攻撃を加えることに確かに意味はあるのだが、それ以上に華琳は麗羽への興味の方が強いのかもしれない。

 

 華琳が率いる部隊は勢いを保ったまま、麗羽の部隊へと襲い掛かる。曹洪たちとの激戦直後の手負いの三人は、華琳による奇襲を捌くことが出来るのか、それとも無残にも散っていくのか、ここに来て最後の正念場が待ち構えているのであった。

 

 

 勝利の余韻の味わうことなく、麗羽は素早く思考を再回転させた。

 

 華琳がこのタイミングで仕掛けて来たということは、少なくとも自分が曹洪たちに勝利するという可能性を考慮していたからなのだろうか。だが、今は華琳が攻めてきた理由を考えるのではなく、現状をどう切り抜けるかが肝要である。

 

 理由ではなく目的を考えるべきなのだ。

 

 麗羽はすぐに決断を下した。

 

「斗詩、猪々子っ!」

 

 二人をすぐに招き寄せる。二人も現状の危険性を充分に理解しているのだろう。今は主の身体よりもそちらの方を重要視しなくてはいけないのだ。麗羽の指示を聞くと、脇目も振らずに行動を開始した。

 

 華琳の目的に関して言えば、麗羽には断定することが出来なかった。一般的に考えれば、曹洪、曹仁がいなくなったことで生じる混乱をいち早く収拾することだと思うのだが、相手が華琳である以上油断することは出来ない。

 

 たかが八千、されど八千である。

 

 しかも、周囲には曹洪たちの部隊の兵士が残っており、彼らがたとえ今は戦意の無い状態であったとしても、華琳がこの場にいればそれも戻って来るであろう。そうなれば、手負いの状態で万全の華琳と戦わなくていけない。

 

 故に麗羽が下した決断とは速戦である。

 

 常道を選ぶならば、未だに周囲にいる曹洪たちの部隊を蹴散らし、その混乱を更に華琳の率いる部隊にまで拡散させる。この規模の混乱は容易に鎮静することは出来ず、潰走、最悪はその場で華琳すら討ち取ることが出来るかもしれない。

 

 しかし、麗羽はその策を選ぶことはなかった。

 

 ――我が君が進む王道とは、弱きを砕くことに非ず。戦意を失った兵士たちを嬲り殺しにするような真似、わたくしには出来ませんわ。

 

 麗羽が狙うのは部隊を三つに分け、速度をもって華琳の部隊を掻き回すことである。この場にいる部隊を自分と猪々子が、囲みの外で曹仁の部隊の一部を足止めしていた隊を斗詩が率いて、とにかく駆け回る。

 

 華琳は八千騎しか率いていないならば、三部隊を同時に相手取ることは不可能であるし、またここの曹洪の部隊を立て直そうとするならば、三方向より同時に突貫を仕掛ける。そうして時間を稼ぐ目論見である。

 

 斗詩が単身で囲いの外の部隊へ向かうのを見送ってから、麗羽たちもすぐに行動を始めた。おそらく間もなく華琳の部隊が目視出来る位置まで来るだろう。それまでに駆け始めないと間に合わないのだ。

 

 三分の一の部隊を率いて、麗羽は左方向へと馬首を巡らせる。猪々子が右方向、残った斗詩は華琳の部隊を迂回するように進むように言いつけてある。後は各々で判断し、攪乱する手筈になっている。

 

 ――華琳さんの部隊は……?

 

 駆けながら華琳の部隊を探す麗羽。まずは華琳がどう動くかである。素直に前線支援に向かうか、それともこちらを警戒した動きを見せるか。華琳は頭の切れる人間である。一瞬たりとも油断は出来ない。

 

 とそのときであった。

 

 ――こちらに向かってきますのっ!?

 

 しかも、それは確実にそこに麗羽がいると確信した動きであった。何の迷いも見せていない。その直後に麗羽は、華琳の目的は最初から自分なのではないかと思い始めたのだ。しかし、既に遅い。華琳はすぐそこに迫っている。

 

 相手は華琳だ。

 

 正面から立ち向かって果たして勝てるのだろうか。曹洪や曹仁といった生粋の武人ではなく、しかし、用兵術の巧みさでは大陸随一の腕の持ち主である。兵力の差など一顧だにしないであろう。

 

 ――……怖いですわね。

 

 華琳の行動には必ず理由があり、その理由は勝利へ条件なのだ。彼女が麗羽に向かったのも、勝つことが出来るからだと判断しているからだろう。こちらの小手先の策など全て見抜いて無効化する。

 

 勝てるだろうか。

 

 逃げられるだろうか。

 

 生き残れるだろうか。

 

 いくつもの疑問が浮かんでは消えていく。恐怖が身体を縛り付ける。華琳から放たれる、あの強大な覇気が自分の胸元に深く抉り刺さる。何もかもを放り投げてこの場から一人で逃げたい、そう思いたくなる。

 

 自分と華琳にはどれだけの差があるのだろうか。

 

 曹洪と曹仁とは比べることも出来ないだろう。

 

 方や大陸の覇王にして、天に愛され、万物を与えられし、選ばれた者だ。

 

 方や名家であったことしか取り柄もなく、何の才能にも恵まれず、ただただ足掻く存在。

 

 勝てる筈がない。

 

 逃げられる筈がない。

 

 生き残れる筈がない。

 

 だが、麗羽はそれでも目を背けることはなかった。片手を掲げるとすぐに部下に指示を出す。

 

 勝てないのなら、勝たなくていい。

 

 逃げられないなら、逃げない。

 

 生き残れなくても、生きてやる。

 

「全軍、迎撃態勢っ! 華琳さんを迎え撃ちますわっ!」

 

 麗羽は向かった。仮に勝てない相手だとしても、先に自分で述べたのだ。自分は非力であっても、無力ではない、と。足掻くだけの存在ならば、神に愛された天才にも足掻いてやる。やることだけは全てやってやる、と。

 

 部隊を一つに纏めて速やかに陣形を整えた。

 

 兵力差では勝っている――否、そこでしか勝っていないのだ。ならば、それを武器にするしかない、と普通ならば考える。だから、麗羽の思考はその裏を付いた。敢えて部隊を広げずに、鋒矢陣にし、自らが先頭に立ったのだ。

 

 ――目指すは華琳さん、貴女一人ですわっ!

 

 

 その動きを見て、華琳はへぇと小さく呟いた。

 

 麗羽の戦い方はこれまでの戦でしっかりと把握している。戦法としては、相手の心理を巧みに利用した視野の広いものである。常に冷静さを保った分析力は、一度捕えた隙は決して逃さない。

 

 故に華琳はこちらの隙を――すなわち兵力差に目を向けると思っていた。しかし、麗羽はそれを捨て置き、自分の首を狙って部隊を一纏めにしてきた。何があっても止まることはないという言外の宣言である。

 

「ふふふ……、来なさい、麗羽。貴女の力を見てあげるわ」

 

 華琳もすぐに部下に指示を飛ばした。

 

 率いているのは華琳直属の精鋭揃いである。例え八千であろうと、その力は倍する敵すら打ち砕くだろうと信じている。まずは小手調べ、正面から麗羽の突貫を受け止めてみせると、すぐさま反撃に転じさせた。

 

 無理な攻めはしない。じわじわと相手を縊り殺すかのように、圧力を掛けながら恐怖心を煽っていく。曹孟徳が――大陸の覇王たる自分が相手になっているのだということを身体の芯にまで教え込むのだ。

 

 ――さすがは華琳さんですわ……。

 

 先頭にいながらにして、麗羽は華琳の部隊から放たれる圧力を直に感じ、必死に声を嗄らして部隊を励ます。八千の部隊が放てるようなものではなく、水中にいるような、前に進もうとしても進めない感覚を覚える。

 

 息継ぎをしようともがこうとも、水面はなかなか見えず、このまま窒息死してしまいそうだ。これが華琳との戦い、覇王と命のやり取りをしているということなのだ。恐怖と緊張から既に身体は汗でしとどに濡れている。

 

 だが、麗羽は前へと進む。

 

 兵士の壁を掻き分け、その最後部にいるであろう華琳を目指して、剣を振るい続ける。その姿があるからこそ、麗羽の後続の兵士たちも戦い続ける。遅れまいと必死に華琳への恐怖に抗い続ける。

 

 ――も、もう少し……。もう少しですわ……っ!

 

 が、華琳との戦いは決して甘いものではなかった。

 

 麗羽の部隊の横腹に痛烈な衝撃が走ったのだ。前へと伸びた部隊への横撃は、麗羽たちの覚悟を決めた前進を止めるに充分だった。打撃点から中心に衝撃波のように混乱が広がっていくのを麗羽は確かに感じた。

 

 ――今のは……。どうやってっ!?

 

 八千の部隊は全てこちらの正面に位置していたのだ。そうなると、別の部隊が攻めてきたことは間違いないのだろうが、華琳は曹洪の部隊に行く前にこちらに向かっていたのだから、あの部隊が仮に華琳が兵士をいくらか割いて向かわしたとしても、ここまで立ち直れる筈がない。

 

「…………っ!!」

 

 そこで麗羽は合点がいった。こちらを攻めてきたのは、曹洪の部隊ではなく、囲みの外で足止めをしていた曹仁の部隊だったのだ。

 

 彼らは目の前で二将軍が倒されたところを見たわけではない。情報として見たわけではなく聞いたものだから、戦意を失う程の衝撃を受けていないのだ。そこに華琳は目を付けたのだろう。予め副官レベルの将を数人派遣しておけば、ある程度は戦うことは出来る。

 

 完全に虚を突かれた一撃であった。

 

 しかし、麗羽はそれでも離脱することはなかった。

 

 ――ここで華琳さんの足止めをすれば、斗詩や猪々子がこちらに向かうはずですわ。さすがの華琳さんでも、二人を同時に相手するのは困難ですものね。

 

 剣を頭上に掲げる。

 

 喉が潰れんばかりに声を発し、華琳への一本道を突き進む。

 

 だが、しかし。

 

「きゃあっ!」

 

 眼前の兵士が放った槍の薙ぎ払いが麗羽の肩に当たった。柄によるものであったから、大した傷を負うことはなかったが、曹仁の攻撃が未だに残る麗羽の身体は、それを受け止めることは出来ずに、彼女の身体は馬から放り出されてしまう。

 

 それでも宙で身体を反転させて地面に着地すると、すぐさま武器を構えて頭上から降り注ぐ槍剣の雨を必死に耐える。全て防ぎきることは出来ず、彼女の柔肌にいくつもの傷が走り、鮮血が流れる。

 

 剣を撃ち落とし、槍を斬り落とし、馬の足を薙ぎ払う。

 

 そして、その先に見えるのは一層逞しい馬に乗った華琳の姿であった。

 

 こちらを見下す瞳は妖しく歪んでおり、目と目が合うと嗜虐的に微笑みを浮かべる。背後から彼女の得物である絶を取り出すと、馬を麗羽に向けて駆けさせる。

 

 既に麗羽の身体はボロボロである。敵兵の攻撃を避けるために、何度も地面を這う必要があり、その麗しい髪にも泥が付着し、美しい顔も汗で酷く汚れている。それでも瞳だけは煌めきを失うことはなかった。

 

 華琳が眼前に迫る。馬上で絶を振り上げ、こちらに向けて降ろしてくる。

 

 動け、と鉛のように重い腕に言い聞かせて、何とかその一撃を受け止めることが出来た。

 

 だが、激戦を潜り抜けたその剣は、既に寿命を尽かせていたのである。絶による一撃を受け止めた瞬間に、真ん中辺りで折れてしまったのだ。

 

 そして、華琳の追撃。

 

 ――麗羽、残念ながら私の勝ちね。

 

 勝利への確信と共に華琳は絶を振り下ろした。

 

 だが、麗羽は諦めなかった。

 

 限界を迎えた身体を無理やりに動かして、華琳の足元に潜り込み跳躍する。華琳の持つ絶の形容上、その根元に身体を置けば、上手く回避することが出来る。そして、麗羽の折れた剣は跳躍した分だけそのリーチを伸ばしたのだ。

 

 ――届きなさいっ!

 

 必死の願いと共に伸ばした麗羽の剣は、華琳へと一直線に向かったのだ。

 

 

 緒戦は終わった。

 

 勝敗は、曹操陣営は曹洪と曹仁という二人の指揮官を失い、益州陣営は華琳の奇襲により一部が潰走、撤退を余儀なくされることになった。指揮官を失った曹操軍先鋒は、華琳率いる本陣と合流し、華琳自らがそのまま指揮をとることになったのだ。

 

 そして、麗羽たちは……。

 

 麗羽の剣は華琳の頬を浅く切り裂くだけで、その命まで貫くことが出来なかった。最後の力を振り絞った彼女の特攻は失敗に終わり、そのまま地面へと倒れ込んでしまった。それでも勝負を捨てまいと、必死に立とうとする麗羽であったが、もう立つことすら出来なかった。

 

 華琳は己の頬から流れる血を指で掬い取った。

 

 背後に控える部下から、曹洪の部隊へ向かった兵士たちが両将軍を確保。相当に酷い怪我を負いながらも命だけは取り留めたという情報を受け取ると、すぐに本陣への帰還を命令したのだ。

 

「よ、宜しいのですか?」

 

「ええ。いつまでもここにいたら、麗羽の部下が到着してしまうもの。麗羽のこの姿を見たら、きっと怒り狂って収拾がつかなくなってしまうわ。私たちの目的は飽く迄も叔父上たちの救出と、前線への支援。役割は充分に果たしたわ」

 

 部下が直立して去り、撤退命令を伝えるのを確認し、華琳はもう一度だけ麗羽に視線を向けた。身体から多くの血を流しているが、致命傷は免れているだろう。しかし、もうこの戦いで剣を振るうことは出来まい。

 

 最後の一閃。

 

 華琳は勝利を確信していた。剣を折られ、身体を斬られ、心までも砕いたはずであった。

 

 しかし、心だけは砕くことは出来なかったようだ。

 

 覇王の軍と対峙し、覇王自らと剣戟を交えた。

 

 華琳は手を抜いたつもりはない。八千の部隊しか率いていなかったが、自分が出せる力は出したはずだ。曹仁の部隊に横撃させるという策まで使わざるを得なかったのだから。

 

 麗羽は結局華琳に勝つことは出来なかった。

 

 しかし、自分もまた麗羽に勝てなかったのだろう。

 

 麗羽を失った部隊は潰走を始めており、斗詩と猪々子がそれを受け入れながら本陣まで撤退するしかないはずだ。麗羽自身も指揮不可能な程の傷を与え、こちらも曹洪と曹仁を失ったのだから、痛み分けと言っても過言ではない。きっと桂花辺りはそう言うだろう。

 

 だが、華琳の中に麗羽に勝利したという実感は皆無だったのだ。

 

「強くなったわね、麗羽。貴女の剣は確かに私に届いたわ」

 

 意識を失い行く麗羽に向けて華琳は静かにそう言い放ったのだった。

 

 今回の戦いはこちらの奇襲が成功してしまった時点で、向こうの勝利は消えていたのだ。もしも、麗羽が万全の状態でこちらと対等な兵力を持ち合わせた状態で戦ったらどうなったのだろうか。

 

 華琳は確かに麗羽のことを認めたのだ。

 

 自分と戦い、生き残り、自分に初めて血を流させた。

 

 益州、そして、江東との決戦がどのような結末を迎えようとも、華琳は一生涯このことを忘れはしないだろう。袁本初――麗羽の名は、自分が対等であると認めた人物としてずっと残されることになるのだ。

 

 華琳たちが本陣へと撤退を始めてからすぐに斗詩の部隊が到着したのだ。

 

 彼女は囲みの外で足止めをしていたはずの曹仁の部隊が既にどこかへと撤退したという情報を聞いて、すぐに麗羽の許へと向かったのだが、間に合わなかった。

 

 麗羽のボロボロの姿を見て、大粒の涙を流しながらも、すぐに傷の手当てをしたので、命に別状はなかったが、すぐに猪々子と合流した後に本陣へと撤退した。

 

 緒戦は終わった。

 

 麗羽たちは曹洪たちには勝利することが出来たが、それを察した華琳の奇襲を受けてしまい、先鋒の勝利を打ち消されてしまったのだ。客観的事実を述べれば、華琳側の機転により、引き分けに持ち込んだと言えるのかもしれない。

 

 しかし、華琳はそれを己の勝利と宣言することなく、本陣に戻ってからもそのことについても一言も言及することはなかったそうだ。

 

 益州軍は麗羽の代わりに桔梗と焔耶を派遣して先鋒の兵士たちの指揮をとらせることを決定し、麗羽はすぐに治療に専念させるために本陣に留まることになった。血を失ってはいたが、すぐに麗羽は意識を取り戻した。

 

 こうして麗羽の戦いは幕を閉じることになった。

 

 意識を取り戻した彼女は何を思ったのかは与り知るところではない。彼女がこの緒戦の勝敗をどう判断したのかさえ定かではなかった。

 

 戦いは次の舞台へと移るのであった。

 

あとがき

 

 第九十四話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 さて、やっとのことで麗羽様編が終了致しました。

予想よりも大分長くなってしまいましたが、一応はプロット通りの結末を導くことが出来て安心しております。

 

 曹洪と曹仁との激戦を制することが出来た麗羽様でしたが、直後に華琳様の奇襲を受け、麗羽様は重症、撤退を余儀なくされることになりました。

 

 今回はいろんな意見があると思います。

 

 作者はキャラを崩壊させた麗羽様の活躍を描くつもりでしたし、そう公言しておりました。故に麗羽様の事実上の敗戦という結果に対して読者の皆様の中にその展開はないと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 まぁ作者としては麗羽様を活躍させるつもりではありましたが、華琳様並みのチート能力を授けるつもりはありませんでした。曹洪たちの戦は彼女の成長の証であり、それが華琳様に通じるかどうかは分かりませんしね。

 

 さてさて、結末部分は敢えて濁した描写でお送りしました。

 

 華琳様自身の気持ちは描きましたが、麗羽様の心情描写はカットしました。

 

 彼女がこの戦いで何を想ったのかは皆様の想像で補っていただければと思います。

 

 次は江東陣営に視点を移して雪蓮たちの戦いを描きます。

 

 麗羽様編でかなり力を入れてしまったので、雪蓮編は相当大変なことになるだろうことが予想されますが、読者の皆様方にはいつも通りに寛大な気持ちでご覧いただけることを切に願います。

 

 作者はメンタルが異常な程に弱い生き物なので、批判的なコメントなどは控えて頂けると幸いです。つい最近もコメントを巡って非常に心痛がする毎日を送っていたので、特に今は厳しい状態です。

 

 さてさてさて、次回は気分を一新して次回作の投稿を行います。

 

 コメディタッチの作品なので、こちらの作品とはずいぶん違うものになると思いますが、こちらも温かい目で見守って頂ければと。

 

 では、今回はこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
51
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択