No.430016

真・恋姫無双~君を忘れない~ 九十三話

マスターさん

第九十三話の投稿です。
双頭の蛇、その陣形の中で麗羽はついに曹洪と曹仁との激戦の決着をつけんと、最後の戦いに臨んでいた。彼女が個人の武での勝負を望んだ訳は、そして、彼女たちに勝算はあるのだろうか。

投降が遅れてしまい申し訳ありません。戦闘パート終了です。いろいろと文句を言いたいとは思いますが、それは呑み込んでもらい、何も言わずに作者をお見捨てください。
それではどうぞ。

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2012-05-30 01:16:22 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:5246   閲覧ユーザー数:4462

 

 常山の双頭蛇の陣形の中央、蛇が複雑に 蜷局(とぐろ)を巻き、曹操軍は外側から益州軍に包囲されている。それも部隊の一部のみで、残りは包囲の外側で敵に足止めされているのだから、援軍は望めないだろう。

 

 しかし曹操軍の士気は下がることはなかった。

 

 寧ろその逆である。何故ならば、曹操軍の先頭には、全身から怒りのオーラを発する二人の武将がいるのだから。自分たちが舐められたということに対して、これまでに見せなかった激昂を表している。

 

 特に曹洪の怒りようは凄まじかった。

 

 すぐにでもその首を切り裂いてやらんぞ、と言わんがばかりに、瞳を見開いてそう告げる曹洪の迫力は、彼がこれまで戦場でどれだけ武勇を誇ってきたかを雄弁に語っている。兵卒なら恐怖のあまり失禁すらしてしまうだろう。

 

 曹洪は一歩を踏み出させる。

 

 自分がかつて戦場を共にしていた愛馬は既に引退している。今乗っているのは、その馬が生ませた仔である。栗毛色の綺麗な肢体を持つが、気性が荒く、なかなか乗り手が見つからなかったようで、それを華琳に紹介してもらい見事に乗りこなしたのだ。

 

 親によく似ており、こちらの感情をよく理解している。

 

 自分が激しく憤りを感じているのを察し、今も目の前にいる麗羽の乗る馬に対して威嚇行為をしているのだ。耳を伏せ、鼻息を荒げながら首を上下に揺らしている。今すぐ駆けさせればどこまでも行きそうだった。

 

 曹洪は腿で締め付けながらそれを制す。馬は不満げに (いなな)くと、前足で地面を蹴った。

 

 ――おう、もう少し耐えろや。

 

 麗羽はずっと微笑を、感情を読み取らせない微笑みを浮かべているが、乗っている馬はそうはいかない。曹洪と馬の迫力に圧されているのか、妙に忙しく身体を動かせている。まるでその場から逃げ去りたいと言うように。

 

 麗羽は馬の耳の裏をそっと撫でた。

 

 優しく語りかける。心配するな、怖くない、怖くない、と。

 

 すると、自然にその馬も落ち着きを取り戻しているようだ。こちらの怒りを何事もないかのように悠然と流し受け、泰然と佇むその姿勢には不気味さを感じさせる。これまでとは違う相手に、胸の奥がちりちりと嫌な感触を覚える。

 

 だが、曹洪は更に一歩を進ませる。

 

 彼我の距離は、おそらく彼の馬が跳躍すれば一瞬で埋まるくらいであろう。

 

 故に曹洪に迷いはない。ただ戦を終えるために、華琳に勝利を献上するために、目の前の麗羽を斬ることだけが彼の使命である。今が絶好の機であり、これまでの戦の流れは既に思考の外に置いている。

 

 ――さぁ、これで終いだっ!

 

 刹那、曹洪は馬と共に跳んだ。麗羽との間合いを一気に詰める程の跳躍を見て、曹仁もそれに続く。曹洪は上から高らかに麗羽の頭を狙い、曹仁は地面を疾駆しながら、下から麗羽の喉元を貫かんと槍を伸ばす。

 

 曹洪が動き出す機が自分も動くときであると、曹仁も察していた。

 

 全身から禍々しい殺気を溢れ出させる曹洪の動きの邪魔をすれば、こちらごと斬られ兼ねない。曹洪とは対極に位置し、それに合わせることで、こちらの攻撃はより一層苛烈なものになる。故に麗羽の下から攻める。

 

 それに反応したのは、斗詩と猪々子だ。

 

 勿論、背後に控える彼女たちがそう易々と麗羽に危害を加えさせる筈がない。

 

 曹洪の鋭い振り下ろしの斬撃に対して、猪々子が斬山刀を合わせる。力では猪々子の上であり、体重の乗った曹洪の太刀であっても、屈することはない。気合と共に馬上から跳躍すると、迎撃を試みる。

 

「足りねーなっ!」

 

 だが、曹洪はそれでも止まらない。

 

 剣を片手に持ち変えると、空いた手で後ろに置いてある投擲用の短剣を素早く放つ。軌道は麗羽を一直線に狙ったものである。

 

「させねーよっ!」

 

 猪々子もそれに応える。空中で身体を無理やりに反転させると、斬山刀にてそれを弾き返す。刃の部分を砕かれた短剣は力なく地面へと落下するが、その反動で、猪々子の身体は曹洪に対して無防備になる。

 

「まずは貴様からだっ!」

 

 曹洪の振り下ろしに対して、猪々子は寸でのところで斬山刀の刃で受け止める。だが、身体は完全な防御態勢はとれておらず、そのまま地面に撃墜されてしまう。背中に衝撃が走り、空気が肺から一気に抜ける。

 

 一方その頃、斗詩もまた曹仁に向かって走った。

 

 ――まずは目を潰しますっ!

 

 騎乗での勝負は不利と判断し、すぐに馬から飛び降りた斗詩は、金光鉄槌にて地面を殴打する。開戦直後に見せた、地面ごと吹き飛ばした技ではなく、力を抜いたその一撃は、地面の表面のみを吹き飛ばし、それは砂塵となって周囲を隠す。

 

 その隙に麗羽との間合いを逸らす狙いであった。

 

 しかし。

 

「甘いわっ! 小娘っ!」

 

 馬上にて曹仁は両手で槍を振り回す。鋼鉄の筋肉に覆われたその腕が全力をもって槍を振り回すだけで、周囲に風が生じてしまう。それは斗詩が起こした砂塵をすぐに掻き消してしまう程だった。

 

「なっ!?」

 

「喰らえいっ!」

 

 驚きの声を上げる斗詩に向けて、上から槍を突き放つ。斗詩も負けじと金光鉄槌を繰り出すが、正面から衝突した両者の獲物が火花を散らすと、即座に衝撃が斗詩を襲う。

 

 ――わ、私が力で負けたっ!?

 

 それだけではない。斗詩の持つ金光鉄槌は並みの武器であれば容易に打ち砕いてしまうだろう。だが、曹仁の持つ武器は違った。穂先も柄も折れてはいない。

 

 それもその筈、曹仁の持つ槍は特注である。兵卒の扱う物よりも――否、おそらくは翠や蒲公英の持つ槍よりも、殊に耐久度に関して言えば段違いだったのだ。彼の巨体同様に太く長いその槍は、斗詩の一撃すら耐えてしまう。

 

 勿論、それだけの槍である以上、重さも考えられない程にあり、曹仁のような全身が筋肉の塊のような、そして、生来的に恵まれた者にしか扱えない代物である。もはや、それは槍と形容するより、巨大な鉄の棒と言った方が良いだろう。

 

「まだまだじゃわっ!」

 

 衝撃で吹き飛ばされた斗詩は、得物を通じて振動が手を襲っており、多少の痺れを感じたが、曹仁の方は平然とさらに攻撃を追加してきた。まだまだ余裕を残すような表情に斗詩は歯噛みする。

 

 馬上から、槍の柄による薙ぎ払いを金光鉄槌で受け止める。

 

 今度は腰をどっしり据えて完全に守りの体勢に入っていたので、無様に吹き飛ばされることはない。だが、そうしても曹仁の猛襲を止めることは出来ない。

 

 ――この人……守りに強いのは戦だけなんだ……っ!

 

 だが、それでも斗詩は負けるわけにはいかない。

 

 地面を蹴り、曹仁に向かう。

 

 斗詩も曹仁も己の剛腕を武器に戦う武将である。一発一発の攻撃に、それで敵を屠るだけの力を込めて打ち込む。一撃で致命傷になってしまうのは必然であり、掠るだけでも戦闘に影響してしまうだろう。

 

 斗詩の持つ重量武器は一撃で敵の得物ごと粉砕してしまうのが常であるが、曹仁はそれをこともなげに弾き返す。体重の乗せた振り下ろしも、横薙ぎも、全力の一撃を全て防がれてしまう。

 

「くっ……」

 

 思わず、斗詩は曹仁から一度距離を置く。

 

 全身から汗から滲み出る。それは肉体的な疲労もあるのだが、精神的なものが原因だ。

 

「斗詩、大丈夫かっ!?」

 

 そこへ曹洪と戦闘中だった猪々子も背中を合わせて声をかけた。彼女の方も曹洪を相手に相当の苦戦を強いられているようで、既に肩で息をしている。

 

 一方で、曹仁と曹洪も隣り合わせでじわりと二人に歩み寄るが、その表情は何の変化もなく、息も乱れてすらいない。どう考えても、斗詩と猪々子が敵う相手ではないのだ。経験も実力も段違いなのだから。

 

 

 だが、その様子を見ていた麗羽がここで動いた。

 

 悠然と構えたまま、斗詩と猪々子の背後に立つ。二人と視線を合わせると、ニコリと軽く微笑み、そのまま視線を曹仁と曹洪に移す。斗詩と猪々子を心配するでもなく、曹仁と曹洪に恨みがましい視線を送るでもない。

 

 その感情を悟らせない仕草に曹洪はさらに苛立ちを募らせる。

 

「どうした? 貴様らはここで俺たちを倒すのではないのか? 戦争で勝てないからと、戦闘で勝とうなどと、愚考も良いところだが、分かっているのか? 貴様らと俺らにはここまで決定的な力の差がある。何をしても勝てる筈がない」

 

「ふふふ……」

 

「あん?」

 

 麗羽が声を出して笑った。

 

 現状が理解出来てないのか。こちらは未だに余力を残して戦っている。それに対して、斗詩と猪々子は全力で挑んできているのだ。ここからどうやってそれを覆すというのか。こちらの能力の何を比較しても、勝っているところはないのだ。

 

 口を手で覆い、噛み殺すように発するその笑い声が、両軍の兵士たちが見つめる中で、何故か不気味に響き渡った。その声だけが周囲の雑音を掻い潜るかのように、それぞれの耳へと届いた。

 

「いえ、申し訳ありませんわ。曹洪さん、あなたの言う通りですの。わたくしも猪々子も斗詩も、あなた方に勝っているところなどありませんわ。経験、才能、力、速度、ありとあらゆる点を見ても、わたくしたちは完敗していますわ」

 

「分かってんだったら――」

 

「ですが――」

 

 曹洪の言葉を麗羽が遮る。

 

「あなた方はわたくしたちには勝てませんわ」

 

 麗羽はその言葉を言い切った。

 

 その表情はそれがブラフであると言っていない。本当に心の底からそう思っているのだ。その自信に満ち溢れた輝かしくも見える麗羽には、既に勝利の二文字しか見えていない。勝利を確信した者の顔である。

 

「は……」

 

 それを見聞きした曹洪は顔を俯かせた。乾いた声が彼の口から流れる。

 

「もういい」

 

 曹洪はそれだけを告げた。

 

 今更話すことなど何もない。この女に対する興味など既になくなっているのだから。怒りを通り越し呆れになり、殺意を通り越して虚無となる。血祭りにしたところで、最早彼の鬱憤は晴れたりしないだろう。

 

 ――殺す。

 

 目障りに飛び回る羽虫を叩き潰す。ただそれだけの行為だ。そこには何の感情もない。虫けらをたった三匹殺したところで何の感慨も得やしない。それは機械的作業であり、自分はそれを行う者だ。もう考えるのは止めにしよう。

 

「子孝、終わらせるぞ」

 

「あぁ」

 

 ゆっくりと二人は歩みを進めた。先ほどまでの激昂も既に冷めてしまっている。この三人を殺して、更に益州軍の雑兵どもを根絶やしにすれば、もう少し血が温まるだろうか、己の最後の戦場に華を添えることが出来るだろうか、と考えながら。

 

 常歩(なみあし)からすぐに速歩(はやあし)に移行し、そして、駈足(かけあし)へ。瞬きをしている内に、曹洪と曹仁は再び麗羽たちへと急接近する。人馬一体の素晴らしい動きである。

 

 両サイドから麗羽を急襲する。

 

 その動きを受けても麗羽は構えを崩すことはなかった。何故ならば、彼女の前には頼りになる、誰よりも信頼を置く斗詩と猪々子がいるからだ。二人がいる限り、麗羽は取り乱すことなど絶対にない。

 

 そこまでは先ほどまでと同じである。

 

 曹洪と曹仁もそれを承知であり、麗羽を殺す前にその二人を倒さなくてはいけない。戦いであろうと闘いであろうと、どちらにしろ自分たちが小娘如きに劣る筈はない。早々に蹴散らしてしまおうとすぐに視線を斗詩と猪々子に移す。

 

 組み合わせは同様だ。曹洪が猪々子を斬り、曹仁が斗詩を貫く。

 

 二人は同時に攻撃を繰り出した。

 

 一撃で倒せるとまでは思っていない。相手も凡将とはいえ、益州軍の先鋒を任されるくらいである。過大評価も過小評価もしない。彼我の実力を的確に測る能力もまた良将として必要な能力である。

 

 だが、同じであったのはそこまでだった。

 

 異変に気付いたのは曹洪である。

 

 それもその筈、曹洪は斜めから猪々子に向かって剣を振り下ろした。初撃で敵を防戦に追い込み、一方的に攻め込むつもりであった。力で負けていても、スピードや技術では圧倒的な差があるのだから。

 

 しかし、そこで予想外な事態が起こった。

 

 曹洪の死角、右側から剣が突き出されたのだ。こちらが攻撃に集中する一瞬の隙を狙った鋭い突きを、殺気のみを感じ取って、寸でのところで回避する。さらに、その動作のせいで、猪々子への攻撃が中途半端なものになり、それを容易に弾き返した猪々子も反撃に移る。

 

「ちぃっ!」

 

 舌打ちをする曹洪だが、彼の攻撃を乱したのは麗羽であった。

 

 猪々子は既に馬から降りており、曹洪の視線は下へと向けられていた。それに対して、麗羽は曹洪と同じ馬上にいるのだから、曹洪と同じ高さにいながら死角となる攻撃を放つことが出来たのだ。

 

 その麗羽に対して反撃をしようとする曹洪であるが、それを猪々子が許さない。

 

 そして、曹仁もまた斗詩へと攻撃を加えていたのだが、初撃を打ち降ろし、次の攻撃へと繋げようとする瞬間に、麗羽に介入されてしまった。攻撃を放つ瞬間、それはいくら彼らが猛将であろうと、放ってしまった一撃は止めることは出来ない。

 

「ぬぅっ!?」

 

 麗羽の渾身の薙ぎが曹仁の兜を掠める。

 

 直撃することがなかったのは、やはり曹仁の武将としての技量が可能にさせたのだろう。それに麗羽の細腕では、仮に曹仁の身に纏う頑丈な鎧を砕くことは出来ないのかもしれない。純粋な腕力などこの場にいる誰の足元にも及ばないのだから。

 

 しかし、それでも麗羽の攻撃は当たったのだ。

 

 傷を与えるまでに至らない稚拙な攻撃ではあった。しかし、それでも麗羽の剣は曹仁に届いたのだ。これまで児戯の如くにあしらわれていたのだが、ここで初めて一太刀浴びせることが出来たのだ。

 

 麗羽たちにとってそれは勝利への一歩である。

 

 攻撃が当たったということは、少なくとも絶対に勝てないということではないと証明されたのだから。

 

 そのことに内心で笑みを浮かべる麗羽であるが、曹仁と曹洪はそのことで焦りはしない。

 

 一旦斗詩と猪々子から距離を置くと、お互いの顔を見遣る。

 

 麗羽たちがどのような戦法でこちらに対抗しようとしているのかを理解したのだ。

 

 先の戦の中で見せた驚異的な動き。麗羽、斗詩、猪々子、三人で二対一の状況を作り出すことであろう。おそらくは斗詩と猪々子が守りを担当し、麗羽が攻撃を担当するのだと判断した。斗詩と猪々子ならばこちらの攻撃をある程度は凌ぐことが出来るのだから。

 

 ――悪くねーな。一人で勝てないのならば、一人で戦わなければ良い話だ。だが……。

 

 ――儂らを相手にそれがいつまで続くかのぅ。多勢に無勢の修羅場などお主が生まれる前からずっと経験しているというのに。

 

 油断はない。

 

 その証拠に二人は静かに下馬した。小回りのきかない騎乗では、叩き潰すのに時間がかかってしまう。これから益州軍の先鋒の全兵士を皆殺しにするのに、ここであまり時間を浪費しては、日暮れまでに間に合わない。

 

 全力をもって殺す。

 

 二人は見抜いているのだ。仮に斗詩と猪々子が守りを担い、麗羽攻めを担おうと、麗羽自身では自分たちは倒せないと。それには絶対的な力が足りないのだと。腕の一本――否、それすら犠牲にせずとも、斗詩か猪々子のどちらかを殺せば、それだけでこの戦法は破綻してしまうのだと。

 

 

 曹洪と曹仁は同時に駆け出した。

 

 斗詩と猪々子がそれに応える。だが、麗羽から離れはしない。飽く迄も三人で戦う姿勢は貫くのだ。ここで斗詩と猪々子が離れてしまえば、二対一の構図が出来なくなってしまうのだから。

 

 曹魏が誇る歴戦の二将軍はそんなことなど気にすることなく、二人へと襲い掛かる。どちらがどちらを先に斬るのか競っているかのようにも映る。

 

 曹洪が猪々子へと斬り掛かる。彼にとって猪々子のような猪突猛進型の将はやりやすい相手である。向こうの攻めを上回りさえすれば、絶対に負けることがないのだから。そしてそれは彼にとってはいつも通りのことに過ぎない。

 

 隣で曹仁も斗詩へと槍を繰り出すのを見る。

 

 視界の端で麗羽が動くことへの配慮を怠らない。彼女が自分か曹仁かどちらへと向かうか認識していれば、死角からの攻撃も推測が出来るし、曹仁へと向かえば、その隙に猪々子を葬り去る好機でもあるのだ。

 

 身体を一瞬だけ沈めて、猪々子の喉元に剣を走らせる。

 

 まだ麗羽は動いていない。

 

 剣先を弾かれた瞬間、身体を反転させてさらに横に薙ぐ。剣と剣が火花を散らせる。

 

 ――まだまだ……っ!

 

 掌の中で剣把を回し、上段から振り下ろす。それも寸でのところで、猪々子が身体を半身ほど後退させることで避ける。だが、その動きの一瞬の無駄を曹洪は見逃すことはなく、そのまま猪々子を圧倒する。

 

 攻めながら曹洪はじっと麗羽の動きを追っていた。そのくらいのことは造作もない。

 

 ――動いたなっ!

 

 麗羽が徐に馬を移動させた。矛先は間違いなくこちらだ。それを裏付けるように、猪々子がこちらと位置を入れ替えようとした。その誘いに乗るように、サイドステップで猪々子の脇腹辺りを狙い、立ち位置を入れ替え、それを防がれると、追加の横薙ぎを放つ。

 

 だが、それは麗羽を誘う罠である。

 

 背後から麗羽が剣を振り下ろす気配を察知した曹洪は、軸足を回転させて麗羽の剣を弾き返す。その勢いを保ったまま、返す刀で猪々子を斬る。振り向きざまの一閃は、速度が上乗せされ、容易には避けられないだろう。

 

 ――これならどうだ……っ!

 

 爛々と獰猛な瞳を猪々子に向ける。そこに映るのは血煙を噴き、無様に倒れる猪々子の姿だろう。剣を弾かれた麗羽が後ろから斬り掛かるかもしれないが、傷を浅くするために、一歩分猪々子の方に詰めている。

 

 だが、そこで目に入ったのは猪々子の死に様ではなかった。

 

 それは猪々子の後姿と……。

 

 ――何故、爺がこいつと対峙しているっ!

 

 猪々子に槍を繰り出している曹仁の姿だった。

 

 そのことに気付いた刹那、右方向から殺気を感じた。そして、感じるや否や、そちらを見ることなく、重心を一気に前へと倒す。剣を振り抜いているため、かなり不格好な姿になったが、地面すれすれに斬撃を放ちながら、上半身のみを沈めた。

 

 と、次の瞬間には曹洪の上半身があった場所に、猛烈な勢いを持った斗詩の金光鉄槌が放たれたのだ。それが横に振り抜かれたのが曹洪の一命を救った。振り下ろしであれば、避けることが出来なかったのだから。

 

 額に軽く汗を滲ませながらも、戦場という何が起きても不可思議ではない状況で常に戦い続けた曹洪は、反射的に斗詩に反撃をする。剣先を上に向けて、斗詩がいる右後方へと突きを放ち牽制しながら、自身の体勢を整えるのだ。

 

 ――何が……。クソがっ! そういうことかっ!

 

 素早く視野を広げて三人を視界に捉えながら、先ほど起こったことを理解する。

 

 自分が麗羽へと振り向いた瞬間、猪々子は曹仁へと狙いを変えたのだ。そこから先は見ていないが、おそらくは曹仁が繰り出した攻撃を斗詩の代わりに受け、その隙を狙って斗詩がこちらへ移動したのだろう。

 

 舌打ちをしながらも、彼は移動を止めない。素早く麗羽へと向かう動きを見せ、斗詩と猪々子を反応させると、曹仁に目配せをした。

 

 その動きはフェイクで本命は麗羽を守ろうとして左に動いた斗詩である。

 

 斗詩と猪々子の先ほどの動きは見事である。

 

 ――だが、貴様らがこの女を過保護に守ろうとすればするほど、動き自体に無駄が生じる……っ!

 

 麗羽へと向けた足を途中で無理やり反転させると、そのまま斗詩の方へ突撃する。低い姿勢を維持したまま剣を突き出すが、そこで曹洪は斗詩が全くこちらを見ていないことに気付く。

 

 不信に思いながらも、曹洪は剣先を斗詩の胸に向けて素早く突き放つ。

 

 と、その剣先に斗詩に当たることはなく、その背後から急に現れた猪々子によって弾かれてしまう。だが、ここに二人がいるということは、現在麗羽を守る者は誰もいないということだ。

 

 それこそが曹洪の狙いであり、先ほど曹仁に目配せをしたのは、自身が陽動になり斗詩と猪々子のどちらかを足止めし、曹仁を麗羽へと向かわせるためであった。

だが、さらに斗詩と猪々子の行動はそれだけに留まらなかった。

 

「斗詩っ!」

 

「文ちゃんっ!」

 

 同時に声を発すると、曹洪の目の前で猪々子が跳躍したのだ。それに少しも遅れることなく、斗詩が金光鉄槌を振りかぶると、その頂点部分に猪々子の足が掛かり、砲弾の如きスピードで猪々子を撃ち放ったのだ。

 

 麗羽へと襲い掛かろうとしていた曹仁の許に寸分違うことなく到達し、曹仁を迎え撃つ猪々子。

 

「クソったれがっ!」

 

 頭にかっと血が上り、斗詩に向けて斬撃を放とうとするが。

 

「子廉っ! 後ろじゃっ!」

 

 曹仁の声に反応し、咄嗟に身を捻る曹洪の脇をすり抜けて剣が地面に突き刺さる。

 

 麗羽が騎乗から投擲したのだった。

 

 ――俺の真似事かよっ!

 

 ぎりりと歯噛みする曹洪を斗詩がさらに追撃を掛ける。本来であれば、どの攻撃も彼を仕留めるには足りないものだ。斗詩も猪々子も力だけは突出しているが、それを当てられるほどの技量に欠けているのだから。

 

 しかし、それが組み合わさり、曹洪ともあろう者が防戦一方に強いられている。三人の内誰を狙おうにも、必ず別の誰かに介入され、そして、相手に攻める機会を与えてしまっているのだ。

 

 何よりも驚きなのは。

 

 ――こいつらの息の合い方は正直言って異常だ。

 

 兵卒の戦い方の一つとして、三人組になって、一人が周囲を確認し、一人が敵の攻撃を受け止め、最後の一人が攻撃を加えるというものがある。黄巾の乱の折、黄巾賊や義勇軍はそれにより兵の質が低いことを補ったのだ。

 

 麗羽たちの戦い方もそれに似ている。

 

 しかし、決定的な違いがあるのだ。

 

 それは。

 

 ――三人が周囲を確認し、お互いを守り、こちらを攻撃してきやがるのか。

 

 実際的にはその役割は誰かに振り分けられるのだろう。

 

 この戦法は役割が事前に明確に振り分けているからこそ、錬度の低い兵士でも戦うことが出来るのだ。しかし、彼女たちはその役割を行動の直前に決めているようだ。しかも、言葉を交わすこともなく、また、曹洪の目にも合図らしいものも見受けられなかった。

 

 だとしたら、三人はどのように意思疎通を図っているのだろうか。

 

 この戦いを通じて斗詩と猪々子が麗羽に真の忠義を捧げていることも、麗羽が二人に絶大な信頼を寄せていることも分かった。しかし、だからといってお互いが何を考えているかまで理解出来る筈がない。

 

 もしそこに齟齬が生じてしまえば、力量差のかけ離れる自分たちに一瞬で斬られてしまうことになるのが分からない筈がない。そして、それを不安に感じ、躊躇してしまうのも同様である。

 

 ――疑うことを知らねーのか……。

 

 曹洪は斗詩の攻撃を弾き返すと、一度三人から距離を置いた。

 

 まるで三人の同じ人間と対峙しているような心地である。そのような経験などある筈もなく、また、これまで多勢と渡り合った経験も、現状に対する対抗策を教えてくれることはなかった。

 

 

 麗羽は額に大粒の汗を浮かべながらも、自分たちが曹洪と曹仁を相手に善戦出来ていることを実感した。目の前にいる斗詩と猪々子も同様に手応えを感じているのだろう。肩で息をしつつもその表情には自信が見て取れた。

 

 この作戦を考え付いたのは、先日のぶつかり合いの最中であった。

 

 麗羽はあのとき曹洪の部隊に突貫され、目の前に曹洪自身の姿があった。その窮地を救ったのは斗詩であったのだが、そのとき、曹洪は斗詩の横からの攻撃に対して防御態勢を取ったのだ。勿論、それは当然のことであったのだが。

 

 ――もし、あのとき、わたくしではなく猪々子がいたら、絶好の機会でしたわ。

 

 曹洪は自分に対して無防備であった。

 

 伝説の将として未だに曹魏で語られる彼も所詮は人間であり、一人で完璧に多数の人間を相手にすることは出来ない。攻撃をする瞬間、防御をする瞬間、そこには必ず隙が生じてしまうのである。

 

 そして、それに気付いた瞬間、同時に麗羽はずっと考えていた彼らになくて自分たちにあるものにも気付いたのである。

 

 ――わたくしたちはお互いのことなら何でも知っていますわ。

 

 これまで辛いときも嬉しいときも常に運命共同体であった自分たちは、お互いが何を考え、次に何を行動するかくらい、目を見ればすぐにわかる――否、目を見なくたってちょっとした仕草で分かってしまうのだ。

 

 ならば、それを最大限に利用出来る戦いに持ち込めば良いのだ。

 

 麗羽がこれまでに行ったものは全てこの状況を引き立てるものに過ぎない。常山の蛇も、そしてそれを双頭にして行った包囲網も、飽く迄も現状を麗羽が望むような展開にするための布石である。

 

 そして……。

 

 曹洪が自分たちと距離を置いた。

 

 戦えている。

 

 だが、それも長い間は無理であろう。相手も既にこちらの戦法は見抜いている筈だ。何か対抗策を練られるかもしれないし、何よりも斗詩も猪々子も自分もかなり体力を削られている。お互いに意識を置いてしまうせいか、いつもよりも疲労感を得ている。

 

「分かりまして? 曹洪さん、曹仁さん、あなた方はわたくしたちには勝てませんわ」

 

「ふざけんな。多寡が俺たちの攻撃を少しの間凌いだだけだろうが」

 

「そうでしょうか? 必殺の剣と鉄壁の盾。剣は迫りくる敵兵を次々と屠り、盾は如何なる攻撃も防いでしまう。しかし、それは飽く迄も自軍の兵士を守ることに相違はないですわね」

 

「……何が言いたい?」

 

「わたくしは斗詩と猪々子を守りますわ」

 

「アタイは姫と斗詩を守る」

 

「私は麗羽様と文ちゃんを守ります」

 

 では。

 

「あなた方は兵士を守りますが、誰があなた方を守りますの?」

 

 言葉と共に三人が動いた。

 

 今度は自分たちが攻める番だと言わんばかりに、こちらに向かって突っ込んでくると、斗詩と猪々子が同時に跳躍した。麗羽自身は騎乗のまま態勢を低くすると、下から曹洪に向かって剣を振り上げる。

 

 それを弾き返すと同時に、空中から猪々子の斬撃を、身体を半歩分下げることで狙いは外させる。曹仁には斗詩が向かったようで、激しい衝撃音が聞こえてきた。どうやらまた自分に二人張り付いているようだ。

 

 先の言葉、曹洪にとっては詭弁以外の何物でもない。自分たちは将であり、兵士を従わせる立場にある。必殺の剣、鉄壁の盾と呼ばれるまでに磨き上げた用兵術は、戦場で勝利するために、すなわち敵を多く殺し、味方を多く生かすために築き上げてきたのだ。

 

 そして将である彼らは自分の身ぐらいは自分で守る強さを身につけているのは当然である。その自分たちが誰かに守ってもらう必要などある筈がないのだ。

 

 だが、しかし……。

 

 猛襲する麗羽と猪々子の斬撃を防ぐだけで精一杯だけなのは事実である。一つ一つの攻撃は大したものでない筈なのに、避けた方向に次の斬撃が待ち構え、反撃しようとした瞬間に追撃される。

 

 曹洪の胸に湧き上がる感情は怒り。思い通りに身体を動かせない――否、動かせてもらえない。将器に雲泥の差がある相手に、自分の動きを制限されることへのストレスが徐々に彼の心の中で沸々と熱を帯びる。

 

 しかし、それこそが麗羽の狙いである。

 

 彼女がここまで挑発的な台詞を何度も投げつけ、曹洪に対してまるで切り札を隠し持っているかのように振舞い、最終的に彼を失望させたのも、全てはこのためである。怒りが人の行動を縛り付けることは、彼女が雪蓮と戦ったときに証明したことである。

 

 太陽が照りつける中、三人はお互いを守り合い、庇い合い、その中で曹洪と曹仁に立ち向かう。もうどれだけ打ち合っているだろうか。三人で代わる代わる攻撃し、敵の斬撃を捌き、次の一撃を許さぬために更に攻め込む。

 

 個人個人の武では対抗出来ぬのなら、三人の力を合わせれば良い。あのとき――自分の力無さのせいで領地をなくし、放浪の身となったとき、どんな困難が身に降り注ごうとも、決して一人で抱えず、三人で協力すると誓ったのだ。

 

 ――故に、わたくしたちは三人で一つですのよっ!

 

 麗羽の鋭い斬撃が曹洪の剣を弾き返す。

 

 それを機に、猪々子と斗詩も曹洪に斬り込む。その怒涛の攻撃に対して、曹洪は全ての神経を集めることで、攻撃と攻撃の間隙に身を潜り込ませて避ける。そして、斗詩と猪々子が同時に曹洪に向かっていることを曹仁は見逃さなかった。

 

 ――ここじゃっ!

 

 馬上の麗羽は無防備である。しかも、猪々子と斗詩の二人は完全に曹洪に視線が向いている。勝ちを焦ったのか、それとも重装備の自分を砕けぬと最初から曹洪狙いであったのかは知らないが、思った瞬間地面を蹴った。

 

 跳躍からの横薙ぎ。

 

 突きでは万が一に避けられることを想定した広範囲の一閃を、麗羽は直前に気付き剣で防ごうとする。しかし、剛腕から繰り放たれたそれを完璧に受け切ることなど、細腕の麗羽には出来る筈はない。

 

「………っ!!?」

 

 宙に吹き飛ばされる麗羽を更に追う。

 

 吹き飛ばされた方向は曹洪のいる方であった。主が敵の攻撃に晒されたことで、斗詩と猪々子が同時に叫んだ。だが、その隙を曹洪も逃さず、二人の間をすり抜けて麗羽に凶刃を向ける。

 

 勝った。これで本当に最期だ。

 

 曹洪と曹仁の得物が麗羽へと向かう。胸に、喉元に、的確に一撃で葬り去ることが出来るものであった。それが麗羽を貫けば、残りの二人は戦意を失うか、はたまた怒り狂うか、どちらにしろ、二人に減ったのならば敵ではない。

 

 だが、そこで。

 

 麗羽が笑ったのだ。血液の滴る口唇を三日月型に歪め、それを見た瞬間、曹洪と曹仁は背筋に怖気が走る。

 

 ――まさか……っ!

 

 気付いたときにもう遅い。

 

 自分たちは両方とも麗羽へと向かっている。ならば、向こうにしてみれば、麗羽が二人を相手にしており、残った斗詩と猪々子は完全に自由な状態になっているということだ。

 

 背後に感じる殺気。

 

 避けようにも身体は既に攻撃態勢になっており、ほぼ不可能だ。

 

 ――最初からこれが狙いだったのかっ! 主自らが身体を盾にして、敢えて攻撃に身を晒しやがったのかっ!

 

 ――自分の主君が儂たちの攻撃を受け切ると信じ、何の合図もなしに行動に踏み切ったというのかっ!

 

「袁家の――」

 

「二枚看板を――」

 

「――舐めんなぁぁぁっ!!」

 

「――舐めないでぇぇぇっ!!」

 

 斗詩と猪々子の怒号と共に、背後からの一撃が曹仁と曹洪の両名を地面へと叩きつけたのだった。

 

あとがき

 

 第九十三話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 さて、またしても一か月ぶりの投稿になってしまい、まずは謝罪をします。お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。

 

 今回投稿が遅れてしまったのは、作者の体調的な理由ではなく、単純に戦闘シーンが書けなかったからです。今回が麗羽様パートの最終部分、正確には次回で終了となるのですが、麗羽様の真の狙いを描き、また彼女たちの雄姿を書く筈だったのですが……。

 

 一向に筆が進まず、また進んでもそれに納得することが出来ずに何度も修正作業を加える始末。最後に妥協に妥協を重ね、自分の文才のなさを嘆きながらも何とか投稿するが出来ました。

 

 さてさて、では本編の解説へ。

 

 今回の麗羽様の敵、曹洪と曹仁の二将軍ですが、単純な用兵術に関しては麗羽様が勝てる筈がありません。しかし、そこで個人の武で勝負を決めようともしても容易に勝てる筈もありません。

 

 では、どうして彼女が個人の武での決着を望んだのかと言えば、最初の方で麗羽様が考えていた自分たちにあり、相手にないもので、つまり自分たちの土俵に敵を上げることを目的にしたのです。

 

 それは勿論、三人の連携ということになるのですが、そこを描くことがやたら難しくて、何度心が折れそうになったことか。今回で戦闘パートを終わらそうと思ったので、多少グダグダになってしまいましたが、そこはご容赦ください。

 

 プロットの段階でこの結末に持っていくことは決まっていたのですが、いざ文字にしてみると、これで本当に良かったのか、これで読者の皆様を納得させられるかなど、葛藤に苦しみました。

 

 設定を全部放り投げてしまおうとも思ったくらいです。

 

 今回で麗羽様の活躍を書くのも最後になるので、是非とも彼女たちの活躍をスタイリッシュに書きたかったのですが、駄作製造機にはそれは無謀だったのかもしれませんね。

 

 さてさてさて、次回で益州軍の先鋒の決着です。

 

 その後は江東陣営に視点を移しますが、その前に前回のあとがきでも言いましたが、息抜きに次回作を書いてしまうかもしれません。勿論、飽く迄も息抜きであり、本格的な始動はこの物語が終了してからになります。

 

 江東陣営の方もプロットは決まっているのですが、麗羽様パートでここまで苦しんだので、そっちも相当の覚悟が必要そうですね。皆様にはどうか温かい目で見待って下さることを願うばかりです。

 

 では今回はこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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