No.425171

恋姫異聞録140 -点睛編ー

絶影さん

140話です

いったい何話まで行くことになるか、私もドキドキしてます
そうそう次々回くらいに何話か拠点話を入れたいので、話数は増えますw

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2012-05-19 20:39:31 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:11119   閲覧ユーザー数:6181

 

 

 

撤退する劉備軍に一定の距離を取りながら追撃の矢を放ち、森の出入口まで追い立てた後

昭の帰りを待ちながら約2日が経過し、警戒をしながら兵を纏め上げる中、柴桑より駆けつけた稟、率いる魏の主力参部隊が合流し

負傷兵の回収をしながら斥候を放ち、敵が完全に兵を退いたかの確認を行なっていた

 

「お疲れ様です風」

 

「はいー。流石は稟ちゃんですねー。合流するまでの時間が風の予測を大きく上回って居ました」

 

「全軍を連れてきたわけではないですから、空馬を引き連れ、交代で走らせればどうということはありません」

 

「敵もおそらく風と同じく五日ほどかかると予想していたでしょうから、運が良かったとしか言えませんね」

 

「もう少し此処に留まってくれていたら皆殺しにできたんですがね」

 

自分の能力に絶対の自信を持っているのだろう。当然のごとく、敵を殲滅出来ると言い放つ稟

 

詠と鳳は、性格がガラリと変わった稟に驚いていた

 

其れもそうだろう、ある程度の能力があることは知っていたが、印象が強いのは策士としての姿

そして、なによりも鼻血を出して倒れる情けない姿だけなのだから、今の姿とは随分と開きが大きすぎる

 

「殲滅って、アンタはあの馬超の姿を見なかったからそんな事、言えるのよ」

 

「知ってますよ。水を手に入れ使って見せたのでしょう?後は遠当と言うのでしたか、秋蘭様が得意とされている攻撃法

あれも使ってみせたはず。火計の前くらいでやって見せたのでは?敵はそれほど損害が無く、退却したはずです」

 

「聞いたの?」

 

「いいえ、ですがこの程度は予測出来る範囲内。そこで何もせずに達観している司馬徽殿のようにね」

 

達観と言う言葉を使う稟に、櫓の階段で座り寛いでいた司馬徽は、軍を纏める中

今まで誰の言葉にも反応しなかったのだが、ゆっくりと稟の方へ振り向いた

 

「御初にお目にかかります。私の名は郭嘉。以後お見知りおきを」

 

「此方こそ、私は貴女のような逸材に出会うことを人生の楽しみとしている者

どうか、私の言動を悪く取らないでちょうだいね」

 

「そうですね、貴女は物語を見ているように我等が滅んでも、誰が死んでも何も感じない

興味が無いとは言いません。滅ばぬモノが無いと悟っていると言ったほうが良いでしょうか」」

 

礼を取りながら鋭い瞳を向ける稟に司馬徽は微笑み、逆に稟の瞳を興味深くというよりも新しく

面白いものを見つけたといった眼で「好」と呟く

 

「それが【龍佐の眼を使いこなす唯一の方法】なのでしょう?

 

返礼をする司馬徽は、望んだ答えが返った事に「好」と返し、三人の軍師達は言葉を無くす

目の前で言葉を交わす司馬徽は、昭と同じ龍佐の眼を持ち、しかも使いこなして居ると言うのだから

 

あれほど躯に傷を負い、心を深く傷つけ、想像も出来ぬ悲しみに心を染め涙を流す昭とは正反対に

司馬徽は何の外傷も無く、心を負の感情に押しつぶされることも無く平然としているのだ

 

「りゅ、龍佐の眼ですって?それって昭のっ!?」

 

「何も不思議ではありません。多くの人が集まる人物評が出来、水鏡先生とよばれ人を集める私塾を開くような人物が

昭殿と同じ眼を持つ可能性は極めて高い」

 

「ふふっ、同じという言葉は適切ではないわ。私の眼こそ龍佐の眼、舞王殿の眼は不完全

龍佐の眼とは言いがたく、相手の感情を読み取るというよりも、視野が広く足を捕らえ動きを追うのに特化している

宦官は相手の動きを読み取り戦うと言うことをしないわ。そんな事よりも、陛下に近づく者の心根を探る方が大事」

 

「なるほど、ならば不完全に覚えたからこそ今の昭殿の眼があると言えますね

創意工夫をして身に付けた新たな力。戦場に適応した龍佐の眼と言える」

 

頷く司馬徽は、稟の理解力と想像力が気に入ったのだろう。側によってわざと稟の瞳を覗きこむが

稟は怯むこと無く瞳を向けた

 

「ふふっ、この眼の防ぎ方も知っているのね」

 

「実験をさせてもらいました。なるほど、此方の激流のような思考を追うことは出来無い」

 

「そうね。舞王殿の眼は無理でしょう。でも、私は・・・」

 

ゆっくりと優しく稟の頬を両手で掴み、両目を合わせると司馬徽は眼を見開く

 

「くぅっ!」

 

「ごめんなさい、少し不快だったわよね。でも、こうすると読めるのよ。だから、私は拷問や詰問など

敵から情報を収集する事に役立つことが出来るわ。勿論、風の真名を持つ者の心でさえね」

 

胸を中を覗かれ、かき回された様な不快感を与えられた稟は肩を揺らし、浅く呼吸をするが

口元に亀裂を作り独特の笑で司馬徽に視線を向けた

 

「どうでしたか?」

 

「ふふっ、貴女凄いわ。【クソッタレ】としか読めなかった。こんな事は初めてよ」

 

「そんな汚い言葉を使うつもりはありませんでしたが、どうやら成功のようです」

 

「ええ、貴女には敵いそうにない。やはり、舞王殿の軍師を選ばずに良かった」

 

咄嗟に司馬徽の行動を予測した稟は、幾つもの情報の流を創りだし、更には心の中で

風を髪の毛一本に至るまで精密に創り上げ、覗きこむ司馬徽に激突させたのだ

 

更には、心で作り上げた風に挑発するように中指を立てさせ【クソッタレ】と吐き捨てさせた

 

心の壁を看破できなかった司馬徽は、嬉しそうに柔らかく穏やかに微笑み、稟の連れてきた部隊の中へと姿を消していった

 

「稟ちゃん、大丈夫ですかー?」

 

「はい、風のお陰で助かりましたよ。次は霞にも助けてもらえば完全に防げそうです」

 

「霞ちゃんですか?」

 

「ええ。其れよりも、昭殿は?」

 

この場に居るはずの者が居ない。風を見れば俯き、詠や鳳を見れば何故か視線を逸らす

良く見れば、側に居るはずの秋蘭の姿も見えなかった

 

「秋蘭ちゃんなら彼処に」

 

指差す方向に目線を向ければ、一人森を見ながら立ちつくす秋蘭の姿

陣から一人離れ、森の出口から視線を片時も逸らさずに、ただ昭の帰りを待っていた

 

「・・・」

 

「稟ちゃんでも、お兄さんの行動に予想はつきませんか」

 

「昭殿が討たれたと言うことは無いでしょう。一人で劉備を獲るなどと考える浅はかな人でもありません

考えられる事は・・・」

 

予測の範囲外だったのか、稟は少しだけ意外な顔をすると、次に眉根を寄せて険し表情を作り出す

 

「風、昭殿は一馬と共に行きましたね?」

 

「はい。偵察と言うわけでは無いでしょうし」

 

「そうですか・・・」

 

俯き、歯を噛み締める稟。考えついてしまったのだ、昭が何をしに行ったのかを

風や詠、鳳には絶対に考えつかないだろう。いや、思いもよらないと言ったほうがいい

目の前で待つ秋蘭ですら頭の片隅ではもしや、と思っているだろうが彼の性格がその事実を否定する

 

稟であるから理解出来ることだと言えるかもしれない。現実的に考えるならば、彼が姿を消してすることなど一つ

 

己の弱点であり、此方の情報を握る扁風の殺害

 

彼は淡々と、冷酷にやってのけただろう。彼にとって残酷で、辛く、叫び声を上げても拭えぬ程の悲しみの所業を

 

彼の心を考えるが、とても考えなど及ばない。身を引き千切るような痛みに彼は耐えている事だろう

 

自分に置き換えるならば、風や霞を自分の手で殺したようなものだ

 

「あっ!昭様だっ!!」

 

森の出口から出てきた一騎の騎馬。背には二人の男を乗せて、秋蘭の元へと走る

 

「全軍、速やかに陣払いをッ!新城に向け進軍開始ッ!後方を決して振り返るなッ!振り返ったものは厳罰に処すッ!!」

 

急に声を張り上げ、号令を掛ける稟に兵は驚きながら躯を新城へと向ける

激昂するような声に、櫓に集まった楽隊や待機していた張三姉妹、凪達までも回れ右をして新城を目指し始めた

 

「稟ちゃん、何があったんですか?」

 

「風、決して後ろを振り向かないでください。櫓はこのまま残しても構わない」

 

何も言わず櫓を降りてこの場から去ろうとする稟に、詠は回りこんで理由を問いただそうとすると

稟は、詠の躯を掴んで前を、新城の方向を向かせた

 

「お願いです。昭殿を思うなら、決して後ろを振り向かないでください」

 

「ちょっ、昭になにがあったって言うのっ!?」

 

「もう秋蘭様にしか彼を癒すことは出来ません。だから、お願いです」

 

意味も解らず躯を無理やり動かされ、抗議と共に振り返れば視界に入る昭の姿

 

騎馬から崩れ落ちるように降りた昭は躯を血で染め、秋蘭にしっかと抱きしめられていた

 

一瞬、敵の攻撃を受けたのか?そう思ったが一馬の無事な姿を見て直ぐに違うと理解する

 

「馬鹿、馬鹿バカッ!何やってんのよっ!!大馬鹿よっ!!」

 

「はい、その通りです。ですが彼は責任を果たした。その代償が、自身を責める事ならば

誰が其れを止める事が出来るでしょうか。誰も止める事は出来ません、秋蘭様ですら」

 

昭の姿を見て何をしてきたのかを知った詠は、まるで己を責めるように罵倒し、涙を流す

 

凍りつかせていた心が保たなかったのだろう。堰が決壊するように、瞳に溜め込んだ敵兵や仲間の感情が溢れだし

自分を責め立てる言葉は自分自身を傷つけていた。至る所から血を流し、虚ろな表情で秋蘭に抱きしめられていた

 

「鳳さん、花郎は無事ですか?」

 

「大丈夫だよ。今、衛生兵が治療してくれてる。昭様は?」

 

「・・・兄者ならば大丈夫です。私の兄なのですから」

 

此処へ来るまで後ろで叫びだしたい声を噛み殺し、浮き上がる痣から夥しい血を流し、ただ泣き続けて居た男を見た一馬は

「もっと強くならねば」と、血が滲むほど唇を噛み締めて拳を握り締める

 

己の力が足らぬから花郎を危険に晒し、義兄をこれ程の悲しみに染めたのだ

剣を交えた翠のように、知力に優れ、何者も寄せ付けぬ武があれば、もっと違う結果があったはず

 

扁風を斬ることなどさせずに済んだ、自分が馬超を押さえ込めば兄者は悲しむ事など無かったのだ

全ては己の無力さが悪い。兄者が大盾になるならば、私は剣に

姉者のような大剣になるのが私の役目だ

 

鳳は決意を固める一馬の後ろ、的盧の鞍が血で染まっているのが目に入り

稟の言葉と合せて理解した鳳は顔を新城へと向けた

決して振り返らぬよう、顔を上げて、決して立ち止まらぬように

 

「もう、もう嫌だ。お前がこんなに傷つくのを見たく無いっ!」

 

「・・・」

 

「お願いだ。私がお前の分まで戦う、嫌なことも全部、私が代わりにやってみせる。だから、もう戦場に立たないでくれ」

 

窶れ、生気を失った様な表情で、躯から力が抜け落ちた昭に秋蘭は取り乱し

 

きつく抱きしめ、昭の姿に何時もの平静を装うための仮面が外れる

顔をくしゃくしゃに、大粒の涙をボロボロと流して泣き叫ぶ

 

誰にも見せることなど無いだろう、子供のように泣き崩れる秋蘭の姿

 

「フフッ、まるで涼風だな」

 

「もう嫌、もう嫌なの」

 

「うん、そうだな。もう嫌だ」

 

傷跡も無い場所から浮き出た血液で躯を紅く染める昭は、秋蘭に抱きしめられながら左手を上着で拭い

秋蘭の頬を優しく撫でる。何度も何度も優しく、触れれば壊れてしまう、そんなガラス細工を扱うように

 

「うぅ・・・グスッ・・・」

 

「もう少しで終わりだから。そしたら、もう戦わなくて済むから」

 

「もぅ・・・耐えられないよぉ」

 

「本当はな、俺もなんだよ。秋蘭が泣くの、見たくないんだ」

 

「わ、私も・・・私も嫌ぁ」

 

首に腕を回して自分から放さぬよう、誰にも渡さぬようにと昭の躯を抱き寄せ泣き続ける秋蘭

昭は迷子の子供のように抱きつく秋蘭の背を優しく撫で、安心させるように優しく語りかけた

 

「妹達とだって戦いたくない。今でもフェイを刺した感触が手から離れない。でも、戦を始めた以上、殺らねば殺られる

負ければ涼風だってどうなるか解らない。きっと、もっと秋蘭が泣く事になるんだ」

 

「私は・・・グスッ・・・自分が泣くよりもお前が傷つくのが嫌だ・・・」

 

「有難う。でも、ごめん。もう一度だけ俺を戦わせてくれ、きっと次で最後だから」

 

困ったように微笑む昭に、秋蘭は感情のまま嫌だと口にしようとするが、再びキツく抱きしめて自分の心を押しとどめる

 

此れほど傷ついても、傷つくことが事が解っていても戦いをやめないのは私の為だ、子の涼風の為だ

昭も嫌なのだ、私が傷つく事も泣くことも、涼風が傷つくことも泣くことも

ならば、私は昭が私の心を大事に想ってくれているように、私も昭の心を大事にしなければならない

 

そう心に決めると秋蘭は涙を拭った

 

「秋蘭が居るなら、俺は大丈夫だよ」

 

「ああ、私は必ずお前の側に居る。何時でも、戦場でも、例え黄泉路であろうとも、共に歩もう」

 

「うん。あの世でも、地獄の鬼を相手に華琳と春蘭と一緒に国盗りでもしよう」

 

「勿論、大陸を治め、幸せに暮らした後だろう?」と何時もの調子を取り戻した秋蘭に、昭は頷けば

急に唇を奪われ、顔を紅くした秋蘭から今度は胸に押し込まれるように抱きしめられていた

 

「私が慰められてしまったな。昭の方が、ずっと辛い思いをしたと言うのに」

 

「そんな事はないよ。秋蘭の泣き顔を見たら、全部吹っ飛んでしまった」

 

「ば・・・馬鹿者、誰にも言ってはならぬぞ」

 

顔を上げて下から覗きこむ昭を秋蘭は耳まで紅潮させて、よほど恥ずかしかったのだろうか

「み、見ないでくれ」と小さく呟き、あまりの愛らしさに逆に昭の顔が真っ赤になっていた

 

「ご、ごめん。その・・・えっと・・・」

 

「フフッ、相子だ。お前の照れる顔は愛らしくて好きだ」

 

後方から聞こえてくるであろう叫び声を銅鑼の音で消そうとしていた稟は、一向にその声が聞こえないことに驚いていた

稟の予想では、自責の念に耐え切れず泣き叫ぶ姿。下手をすれば、再び戦神を使った時のような惨劇を見せると思っていた

 

何があった、一体昭殿に何が起こったのか。直ぐ様、予測を書き直おそうとするが

 

「・・・なんだ、そんな事ですか。ですが、やはり振り返るのは無粋ですね。秋蘭様がいらっしゃれば

昭殿は幾らでも強くなれる。私の想像を容易く超える程に」

 

思い出したのは、戦神を使った時に涙を必死に我慢していた涼風の顔

あの時、涼風は言った「泣いていると、お父さんは心配して起きちゃう」と

 

ならば答えなど簡単だ。秋蘭様は泣いていたのだ。昭殿を心配して

妻の泣く姿を見て、悲しみに押しつぶされそうになりながらも立ち上がった

優しいがゆえに義妹に手をかけた事により、襲う躯を切り刻む様な感情を跳ね除けたのだ

 

「さぁ、帰りましょう。貴方が護った我等の家へと」

 

呟き、稟は再度号令を掛ける

 

「戦は終わった。魏の勝利である。亡き友を讃えよ、勇ましき友を讃えよ。友の死をいずれ思い浮かべ、悲しみに頬を濡らすこともあろう

だが、今は唯喜べ。護るべきを護り、勝たねばならぬ戦を勝利した。我等は戦い、生き延びたのだ!我等の誇りは限り有る生を力の限り

戦い生き抜くことに有る。今は唯、歓喜の声と共に、死した友の魂を英霊たちを讃えようではないか!」

 

魏本隊、そして今回の総括軍師として稟は声を上げ

兵たちはそれぞれ、涙を流すものもいれば、死した仲間の姿を静かに思い浮かべて祈りを捧げ

稟の掲げる手に合わせ、声を上げていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劉備軍の撤退で赤壁は完全に魏の勝利となり、柴桑で周瑜の治療を終えた華琳は、呉の主要な将を引き連れ

新城への帰還を果たしていた

 

「この度は、私の様な者を登用して頂き、感謝いたします」

 

「いえ、それは此方の言葉です。水鏡先生ほどの方が我が魏に仕官し師事して頂けるならば、魏の文官達の名は

天に轟くことと相成りましょう」

 

新城の政庁、玉座の間で玉座から降り、目の前で礼を取る華琳に司馬徽は微笑み跪いて礼を取った

 

「私は貴女様に仕えるのでございますから、将兵に語りかけるように私にも語りかけ下さいませ」

 

「解ったわ。話は聞いているけれど、昭の軍師としては仕える事は出来無いと言った理由を教えてくれるかしら」

 

華質問に司馬徽は眼を華琳に合わせると、側に立つ秋蘭と春蘭が構え、桂花も身構え兵に目配せを始めた

だが、華琳は春蘭達を手で制して、自分の眼を見ろとばかりに跪く司馬徽を見下ろしていた

 

「好。素晴らしいわ、我が王よ」

 

「フフッ、貴女の品定めは終わったかしら?さあ、私に答えを頂戴」

 

「はい、ですが答えは簡単な事。我が真名は水鏡。雷鳴轟かす雲と共に居ては、私の心は乱され役に立つことは出来ません」

 

真名を語る司馬徽に皆は驚きの声を上げた。秋蘭は言葉を無くし、春蘭は信じられぬと声を上げていた

 

「待て、だとするならば貴様は見知らぬ者にまで真名を呼ばせていたのかっ!?」

 

「その通りですよ夏侯惇殿。水鏡の名は広く知れ渡っているようでしょうしね」

 

「真名の意味を知っているだろう、号では無かったのか、真名を広めて容易く口にさせるなど」

 

「フフッ、私にとって真名など単なる名前。呼ばれる事に何の不都合がありますか」

 

真名を単なる名前の一つだと言い切り、価値観の違いを思い知らされた春蘭は口を噤んでしまう

そんな春蘭を見た司馬徽は妖しく微笑み、立ち上がると春蘭を鏡に写したように、同じ格好をしてみせる

 

片手を腰に携えた剣に置くように腰に当て、右手は何時でも剣を抜き取れるように力を抜く

斜に構え、華琳を相手から遮らぬよう、だが直ぐに躯を入れられるようにした護衛者の基本の構え

 

「容易く口にされることは禁忌だ、殺されることも有ると言うのに、大した価値な無いとだとっ!

儀式を持って着けられる真名は、その者の本質を表し、容易く口にされれば相手に霊的人格を支配される事になる

事を知らぬわけではあるまいっ!」

 

急に開いた口からは、先ほどの司馬徽の柔らかな口調とは打って変わって厳しく荒々しい口調

口にする言葉も、全く司馬徽を思わせない。まるで誰かが乗り移ったかのような口調に皆は驚いていた

 

「な・・・なぜだ?」

 

「随分と真名を勉強されたのね。弟君である舞王殿が、真名を授かる時に調べたのかしら。

貴女の知には舞王殿が大きく関わっているわね。その成長は、いずれ王を支え、王の変わりすら果たせるようになるでしょう」

 

中でも一番に驚いたのは春蘭。司馬徽が口にした言葉は、まさしく自分が今言おうとした言葉

一言一句、全てを真似されて混乱する。それどころか、春蘭の目の前で真似をする司馬徽が

何故か鏡で見る自分自身に見えてしまい、気味の悪さに顔が青くなってしまっていた

 

「フフッ、気を悪くしてしまったかしら。此れが私、水鏡よ。貴女自身の姿を写した姿

私を知ってもらうには此れが一番。私は貴女自身であり、貴女は私。私に見た貴女の姿は貴女自身」

 

「それが貴女の龍佐の眼ね。その模倣術、確かに御祖父様の眼と同じ、いや、それ以上だわ」

 

「御意。故に真名は意味を持たず。相手が木と言う真名ならば、私は木となる。私の真名を悪しき事に使うならば

その者自身に返ることでしょう」

 

信じられない事をやってみせる司馬徽を皆は奇異の眼で見るが、彼女はそれすら「好」の一言で済ませてしまう

何者にも縛られず、己の価値観で行動する司馬徽に何も言えず。真似をしてみせた司馬徽に春蘭はただ黙り、恐れるしかなかった

 

「ですが、水鏡が私の生来の本質を表す事は確か。静寂の中、波立つこともない湖面は鏡となる。なればこそ

雲とは相慣れず、淋しき華となら共に歩めましょう」

 

「そう、良く解ったわ。私の側には芳しき花と、そして春の湖面を覆う霞。ならば、私の側に居ることは当然という事ね」

 

「我が王は良く理解されているようで安心しました。そこに郭嘉殿が入っていない事も」

 

「勿論よ、稟は別格。天から授かるという意味の真名を持つ彼女は、私と同格。彼女も天命を持つ者」

 

「ですが、王の器ではない。王佐の者でもない。苛烈な激情と情熱を持つ者。そして何より」

 

「この曹孟徳を心底、愛してしまっている」

 

華琳の言葉に妖しさの有る笑ではなく、美しく柔らかい笑みを見せる司馬徽に華琳は余裕の笑みを返していた

 

「私の真名を預けるわ、これからは華琳と呼びなさい」

 

「畏まりました。では・・・フフッ」

 

「どうしたの?」

 

「いえ、良く考えてみれば、真名を預けるなど初めてだと思いまして」

 

「そう、ならこの私が貴女の初めてをもらってあげるわ」

 

「はい。我が真名は水鏡。どうぞ、お納め下さい」

 

深く頭を下げる水鏡に華琳は、我が魏に頼もしき仲間が増えた

何よりも、彼よりも完成された龍佐の眼を持つ。ならば、彼が此れ以上苦しまずに済む方法を見つけられるかもしれない

それ以上に、稟の報告では風の真名を持つ者まで読み取る事が出来るとの話。次が最後になるであろう戦で

彼の弱点となる部分が解消されるかもしれないと満足そうに微笑んでいた

 

「華琳、報告だ」

 

「どうしたの?」

 

開かれる玉座の間の扉から入ってくるのは、体中に包帯を撒いた姿の昭の姿

後ろには魏の全ての将が、本来は呼ばれない限り参上するこはない無徒までも玉座の間に入り、玉座の回りを固め始めた

 

「只事では無いようね」

 

昭の躯の具合を知っている華琳は、階段を上がって玉座に座り、隣で手を握りしめて側から離れない秋蘭に指示を出す

彼を私の隣へ連れてきなさいと

 

「劉備が来た。華琳と話したいそうだ」

 

春蘭達は劉備の突然の訪問に驚いていたが、一番に驚いていたのは桂花だった。何の連絡もなく、華琳の許可もなく

関を通して、さらには城門を通してしまったのだから。となれば、桂花の行動は決まっている。勝手な事をした

昭に対する糾弾だが、玉座に響く笑い声に言葉が詰まる

 

 

 

 

 

 

笑い声を上げるのは華琳

 

秋蘭に肩を借りながら、側へ寄る昭の言葉に華琳は一度、大きく眼を見開き、くつくつと小さく笑いを抑えていたが

遂には大きく笑い声を上げていた

 

「本当に、本当に来たというの!?」

 

「嬉しそうだな」

 

「勿論よ、戦が終わったばかりで私の領内に来るなんて、並の胆力では無理」

 

「華琳は此処まで聞けば解るだろう?少人数だ」

 

「ええ、貴方が通したと言うことはそういう事。何か駆け引きを望んで来たのでしょう」

 

「さあな・・・少々喜び過ぎじゃないのか?」

 

「解るでしょう?貴方との戦を報告で聞いたわ。貴方の口からも」

 

そう、華琳は劉備と昭の戦を聞いていた。勿論、劉備の理想も全て昭の口から教えられていた

劉備の理想を聞いた時、華琳は心底嬉しそうに笑った。大声で笑ったのだ

 

そして「素晴らしい」と言い放った。劉備の理想は、甘い言葉しか吐けなかった劉備が変化したと感じ取るのに十分

己を否定する理想。だが、華琳は、そこに昭とは別のモノを見出したのだろう。何度も口にし、反芻し

頷き、再び笑っていた

 

「彼女が理想を見出すまで一体どれほどの事があったのか。皆が一緒に、皆と共に。その言葉が偽りなく

理想という形になっている。王を捨てる道。私には決して見出すことの出来ぬ道」

 

「そうだな、だが危うく脆弱であるといえる。衆愚政治とも呼ばれ批判された事もある」

 

「貴方に話してもらった古き時代の羅馬で行われた政治【でもくらしー】だったかしら」

 

「ギリシアだ。民の意志も政治に強く反映させる事ができるが、民の意志が駆け引きで変えられ妥協や矛盾を引き起こす」

 

「解っているわ。批判的な事を言うのは、私が喜んでいるからでしょう?」

 

微笑み、頷く昭に華琳は心配するなと足を組み、昭の右手を軽く握った

指の股を引き裂いた為、華佗に縫合され何時もよりも厚く包帯が巻かれており、手の感触など解らない

だが、華琳は愛おしそうに昭の手の傷跡を撫で、微笑む

 

「無徒まで来ると言うことは、劉備は一体誰を連れてきたのかしら」

 

「ああ、劉備は四人で来た。捕虜の統亞達を連れて」

 

「四人?連れているのは?」

 

「関羽、翠、蒲公英だ」

 

再び笑い声を上げる華琳。何か苦言をと思っていたのだろう、桂花は初めて見る華琳の子供の様な喜びように驚き

他の皆も、それぞれ面食らってしまっていた

 

「ぐ、軍師も連れず、主力であろう関羽と馬超をっ・・・ククッ、アハハッ」

 

「お前の首を直接獲るつもりかもな」

 

「フフッ、お腹が痛いわ」

 

相変わらず笑い続ける華琳の隣で、逃げるにしても馬超か関羽、どちらかは必ず死んでもらうことになると

春蘭は大剣を握りしめた。同じく、霞達も得物を握りしめ劉備の到着に殺気を漲らせ始めた

 

「うん・・・良いわね、歓迎の準備は万端よ」

 

「では客人をお通し致します」

 

少しだけ、玉座に座る華琳から身を前へ、階段を一段降りて礼を失しないよう左右を固める春蘭と秋蘭

将たちは玉座の前に引かれた道の両脇を固め、軍師は武官の後ろで扉から入ってくるであろう劉備に備えた

 

侍女の「失礼します」との断りの言葉と共に、扉がゆっくりと開かれ、現れたのは先の戦で見たままの劉備の姿

 

剣を佩き、颯爽と将の固める道を恐れること無く前へと進み、玉座の前へ立つと礼を取る

 

「お久しぶりですね、曹丞相」

 

「ええ、随分と見違えたわ。初め見た時とは別人のようね」

 

帝より賜った職を口にし、格の違いがそのまま礼に現れる。華琳は目礼で、軽く頷くだけで返し、劉備は抱拳礼を取る

後から着いて来た将、関羽と翠は両脇を固め、蒲公英は劉備の背後に立ち、礼をとる

 

一斉に返礼をする魏の将に劉備は軽く微笑んだ。一般の兵ならば、この場にいる魏の将から垂れ流される殺気で

卒倒していることだろう。だが、劉備は、何のことはなく平然と受け流していた

 

変化した劉備を初めて見る華琳は、その変化がよほど自分の望むモノと相違無かったのだろう

表情の変化は無いが、隣で華琳の表情を見る男の眼には、喜と興奮が入り交じっているように見えた

 

「で、軍師も連れず何をしに来たの?降伏なんて馬鹿な事を言いに来たわけでは無いでしょう?」

 

華琳の言葉に、劉備は一度男の方を見て、細く鋭い瞳を初めにあった時のような柔らかい瞳に変えた

 

「此方で保護した将を返そうと思いまして、足を運ばせて頂きました」

 

翠も関羽も劉備に完全に従っている。前とは違うと華琳の眼に解りやすく写っていた

何故ならば、関羽は魏の将の殺気に反応はしていたが、一度も手にする武器に力を込めていない

それどころか、前に見たように、劉備を過保護に守ろうとはしていない

 

殺気を放つ魏の将に対し、威嚇するように殺気をぶつけ返して居ないのだ

 

翠もまた、荒々しい覇気を纏わずに、冷たい水のままの瞳で劉備の一歩下がった場所で真っ直ぐ華琳を見ていた

 

「保護・・・ねぇ」

 

「ええ、怪我もしていましたし、治療もさせて頂きました」

 

保護などでも無く、怪我も劉備の軍の将が負わせたもの。全てが解りきった状態で、保護等と嘯く劉備に

桂花は何を言うのかと口をだそうとするが、華琳は手で制し再びくつくつと喉の奥で笑う

 

「そう、感謝するわ。一体何に襲われ、怪我をしたというのかしら。原因は解る?」

 

「私は、野山に山菜などをよく採りに行くんですが、あの傷は熊だと思いますよ」

 

「熊・・・ククッ、アハハッ。そう、熊ね、なるほど」

 

劉備の言葉に魏の将達は、馬鹿にしているのかと殺気を強めるが、劉備は相変わらず

左右に居る関羽と翠も同様に、無表情で目線をずらさない

 

後ろで様子を伺っていた司馬徽は、回りの変化を感じてか仲間を負傷させた相手のこのような挑発に

怒りを顕にするのか、それとも殺気をぶつけるのか、あるいは盾のような気迫で押し潰すのかと興味の眼を向ければ

 

昭は一人、華琳の直ぐ隣で跪き、静かに劉備と華琳の言葉に耳を傾けていた

 

その様子に、司馬徽は「好」と呟く

 

「それで、保護した将は?」

 

「はい、翠ちゃん、蒲公英ちゃん三人をお連れして」

 

頷き、退がった二人は、通された客室に統亞達を連れていたのだろう、直ぐに戻り連れてくれば

確かに治療はされているが、猿轡を噛まされ、言葉を発する事もできない状態

両手、両足も縛られ躯の自由は無いと一目で解るほどだった

 

「何やら自殺願望が強いらしく、眼を放すと舌を切ろうとしますので、縛って連れてきました」

 

「だから熊に殺されようとした、と言うことかしら」

 

「かもしれません。ですが、私たちは怪我をした人を放おっては置けませんから」

 

劉備の戯言に春蘭の握り締める柄が悲鳴を上げ、呼応するように大剣【麟桜】は凛とした音を立てる

将達は、それぞれに怒りを顕にして劉備を睨みつけていたが、劉備は相変わらず

柔らかい笑みを保ったまま華琳と視線を交わしていた

 

「保護に治療、此処までしてもらったからには、何か礼をしなければいけないわね」

 

「いいえ、構いません。お気になさらず」

 

「そうは行かないわ、何か望むことがあれば、此方のできる限りで礼をさせてもらうわよ」

 

一度断り、華琳の言葉を聞いた劉備は再び大きな瞳を細めて、柔らかく微笑み

華琳は、劉備が一体何を言い出すのかと期待の眼で見詰めていた

 

「では・・・」

 

劉備は、自分に一度も視線を移さない華琳の側で跪く男に眼を向けた

 

「実は、此方の方を救う際に、我等の軍師が怪我をしてしまいまして。なんとか意識は保っているものの

医師の話では、あと数日持つかどうかだと」

 

「・・・華佗に診せたいと?」

 

「はい。魏には神医と呼ばれるほどの方が居らっしゃると聞きまして」

 

華佗に診せたい人物。誰が聞いても扁風の事だと理解する。劉備が目線を向けるのは、生きているなら

必ず隣に居る昭が口添えするはずだと思っているからだろう。昭の性格を考えれば、治療させるように言うのは当たり前

死んでいない、だが聞く限りであれば、次の戦に出れるかわからないほどの重体。ならば、救うには何の問題もない

皆が皆、そう思う中、口を開くのは稟

 

「失礼ながら、華琳様。戯れも程々に願います。聞く必要など皆無、統亞達も命は無いものとして敵軍に降ったはず

劉備殿、その三人は連れ帰って結構。此方から医師を派遣するなどするわけがない」

 

「華琳様、私も同意見です。統亞達に情けをかけることはありません。今、華佗を連れて行かれれば

次の戦まで監禁されることになるでしょう」

 

稟は昭が進言しやすいように、そして桂花は華佗を派遣する際に危惧するべき事態を述べる

素早く行動をする軍師二人。華琳は統亞達に眼を向ければ、統亞は猿轡を今にも噛み千切りそうになるほど噛み締め

どうにか自分達の命を断つことは出来ないかと苑路は梁と目配せをしていた

 

「・・・・・・昭」

 

しばらく、誰かの言葉を待つように考えるような素振りを見せる華琳であったが

誰かからの声は掛かること無く、真意を推し量る事が珍しく出来なかった華琳は名を呼んだ

 

「はい」

 

名を呼ばれ、ようやく立ち上がった昭。皆は、きっと怒りに震えているに違いない、統亞達を利用したどころか

扁風の名を出して昭の心を抉った。ならば、必ず戦場で見せた独特の殺気を思い切り解き放つはずだ

そうでは無いにしても、あの見たもの全てが凍りつく様な瞳を向けるはずだと思ったが

 

立ち上がった昭は無表情で、それどころか統亞達に一度だけ視線を向けるだけで

劉備に対して美しく礼を取るだけ

 

信じられぬ昭の姿がそこにはあった

 

 


 
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