No.421933

恋姫異聞録139 -点睛編ー

絶影さん

とりあえず一段落です。

私の文章力が高ければ、もっと短くできたんでしょうが
申し訳ありません

続きを表示

2012-05-12 20:54:13 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:7743   閲覧ユーザー数:5941

先頭に立ち劉備を連れ、殿に魏延を置いた蒲公英は、自陣の中軍にたどり着くと

直ぐに満身創痍で指一本動かす事のできなくなった厳顔を兵に預け、敵陣で獅子奮迅の活躍をする翠へと視線を向けた

 

此れなら行ける。お姉さまを中心に軍を立て直し、今度は御義兄様の首を獲ることは頭から外す

お姉様を前線に置いて、フェイを連れながら御義兄様の眼を撹乱して陣を崩す

そうすれば敵陣を切り崩しながら此方の兵を大量に展開することが出来るはず

兵を展開することが出来れば圧力で押し込みながら洛陽へと行くことができるし

右翼か左翼を崩し、敵陣を無視して洛陽を目指すことだって出来る

 

翠の成長具合から時間を頭に入れ、敵を無理やり圧力で退かせ抑えながらでも十分に間に合うはずだと割り出したが

櫓から放たれた紅の煙屋が視界に入った時、蒲公英の顔が蒼白になっていく

 

臆病だからこそ理解し、知ることが出来た一つの不安。此処に来るまで、森を通ってきたこと

森の出口で布陣され足を止められたこと。進軍を止められ、後方の大軍は森の中で立ち往生しているということ

そして、雨が止み、草木が乾くほど時間が経過しているといういこと

 

「皆っ!逃げてっ!!」

 

口から出たのは逃げろと言う言葉。一体何処へ逃げろうというのか、後ろから次々に送り込まれる兵達

前にも後ろにも行くことは出来ず、騎馬兵である故、草木の生い茂る森の中に兵を広げたりしない状況

 

蒲公英の声が、森で待機する兵達に聞こえたかどうかは解らない。振り向いた時には、既に兵たちは火柱を上げて

燃え盛る炎に飲み込まれていたのだから

 

炎の中で、黒い影が蠢く光景に蒲公英は両手で頭を掴み、悲鳴のような声を上げていた

 

そんな、そんなっ!御兄様が火計を使うなんてっ!!蒲公英だって、火計をされるかもって思ったけどっ!

でも、御兄様なら火計なんてっ!人が焼け死ぬ火攻めなんてっ!

 

心の何処かでは覚悟をしていた。この状況で火計を使えばどれほど効果的か、そんな事は解りきっていたこと

だが、義兄である昭は逆に雨を降らせた。落とし穴を使い、隘路を創りだし、新たに創造された陣を持って迎撃した

火計はしない、優しい御兄様がこんな事、軍師にだって許さないはずだと思い込んでしまっていた

 

火に焼かれながら、森の出口から火達磨で泥水に躯を投げ込む兵士達の光景に

人が焼け死んでいく初めて見る光景、肉が焦げる異臭に蒲公英は錯乱してしまっていた

 

「大丈夫、怖くないよ」

 

涙で前が見えぬほど瞳を濡らし、騎馬の上で蹲ってしまう蒲公英を優しく抱きしめるのは劉備

兵の焼ける光景を眼に刻むように見つめながら、魏延へと指示を出す

 

「敵の攻撃に集中せよ、背後は私に任せて」

 

更に、扁風を呼び戻すように指示を出そうとすれば、既に扁風は敵の騎兵を上手く躱し劉備の元へとたどり付いていた

 

兵たちは、任せろとの言葉に素直に従う魏延とは別に、絶望的な状況に追い込まれたと士気を下げていく

敵の陣を変化させぬよう、取り囲んでいた兵達も、後方で燃え盛る火炎と仲間の悲鳴に動揺を始め、前線が崩れ出していた

 

士気の下がる兵達をそのままに、劉備は抱きしめた蒲公英を優しく躯から放し、両手で頬を包むようにして涙を拭いた

 

「落ち着いて、大丈夫。貴女になら皆を救えるはずだよ。ううん、二人と一緒にこの状況を変えられる」

 

劉備の言葉に、普通ならば何を勝手なことを、こんな状況で何も出来るはずは無いと声を荒げるはずだが

蒲公英は、劉備の指差すままに、翠の方へと視線を向けた

 

翠は、この場所へ戻ってきてから、ずっとある一点に視線を向けていた。片時も眼を放さずに、敵の櫓に聳える叢の牙門旗を

そして、扁風は逆に燃え盛る炎の森を見ながら、次々に兵に指示を出し始めていた

 

二人の動きに、蒲公英の心の中で何かが弾け、先ほどまで錯乱していた表情とはうってかわり

口元に握り拳を当てて思考に深く潜り始めた

 

「そうだ、この光景この状況、同じだよ。変わらない、変わらないなら出来るはず」

 

呟き、翠とは逆に瞳に熱き炎を灯すと、黄金の穂先を天に掲げて叫ぶ

 

「火計など恐るに足らずっ!聖人、劉玄徳の天舞をとくとその目に焼き付けよっ!」

 

天に向かい掲げた黄金の槍、金煌を劉備へと投げ渡せば、劉備は頷き騎馬から降りて大地を踏みしめた

 

「フェイ、兵を円形に配置して擬似的な舞台を此処に作ってっ!焔耶に伝令っ!前衛を退かせる。敵を押さえ込めと伝えてっ!!」

 

既に準備は出来ていると、扁風は兵に指先と腕の動きで指示をだし、竹簡に文字を書き掲げた

 

【開幕】【演目 乞巧奠】【雨雲招来】

 

瞬時に劉備を囲む舞台が完成。更には槍や剣を叩き合わせ、武器で音楽を奏で始めた

 

「お姉さまは焔耶の位置に、火を消したら全軍の撤退を開始する。そのまま最後尾で殿を」

 

「任せろ、風は完全に変わった。演舞を開始してくれ」

 

銀閃で叢の牙門旗をさし示せば、確かに蒲公英が望む風の向きであることに大きく頷いた

 

「桃香様、残念だけど朱里達が用意した策は此処まで。でも、此処からは桃香様の望みどおりにしてあげられる

此処で無事、逃げきれば、兵数は魏とほぼ互角。ご自分の力で、ご自分の意志で魏と対等の立場へともって行ける」

 

ゆるりと槍を回す劉備は、騎馬の上で強い意志を持ち、輝く瞳を向ける蒲公英に笑みを向けた

 

「火計で士気は下がりきってしまった。士気を上げるのには時間がかかるし、此れ以上、攻め込めば此方は必ず負ける

だから、後は桃香様ご自身の力で曹操と決着をっ!」

 

蒲公英の言葉に桃香は応えるように黄金の槍を流麗に回す。劉備が舞うは、一つの舞

彼女は此れしか出来ない、これだけしか出来無い。一度だけしか見たことが無い舞

 

だが、彼女の心に深く残るこの舞は、己の望む理想郷で眼にし、心に刻み込んだ舞

 

何度思い出し、何度夢に見て、何度真似をしたことか

 

槍を美しく回し、兵達の奏でる武器の音楽に合わせて、生来の彼女の性格を表すような優しい足運び

昭とは対照的に、激しいステップではない、まるで薄氷の上を歩いているように静かで、羽のように軽やかな足運び

 

回す槍も、音一つ立てること無く緩やかであり、黄金に輝く槍が動作の美しさを更に際立たせた

 

そう、彼女の出来る唯一の舞とは、昭が一度だけ見せたことがある舞

魏国内を通過した時、立ち寄った邑で見た皆を笑顔に導く舞

 

兵たちは、武器を叩き合わせながら、絶望的な状況であると言うのに初めて見る劉備の舞に見とれていた

見れば見るほど彼女の躯からにじみ出る柔らかく優しい雰囲気が、戦場で負の感情に染まる心を優しく包み込む

 

兵たちは櫓で舞う昭に龍を見ただろう。だが、目の前で舞う劉備に見出すのは優しく暖かい母の姿

 

 

 

我道に退く道はなく

 

前を見れば、艱難辛苦

 

辛き茨の道なれど、無心で歩み続けた

 

立ち止まり 振り返れば

 

今と変わらぬ 千辛万苦の道のりよ

 

無常な日々を歩み 唯一学んだ事は

 

我は孤独にあらず

 

足を血で濡らし 歩んだ道は

 

親ほど離れし先達と出会い 年端も行かぬ子達と家族となった

 

繋がりし縁(えにし)は我を象る

 

君あり 故に我あり

 

なんと儚き道であるか、なんと儚い我であるか

 

君無くば 我は存在せず

 

此処に有ることすら無いであろう

 

縁で繋がれし君よ 我が在ることを証明するならば 我は君を愛そう

 

皆が我が在ることを願うなら 我は皆を想おう

 

我は皆であり 皆は我である

 

我を王と呼ぶならば 君もまた王なのだ

 

 

 

 

劉備は見つけ出した己の道を、歌ではなく力強い言葉で紡ぐ

 

此方には歌がない あのように 兵達を恐れさせる鬼気迫る歌声が

ならばと言葉を発し己の道を語り、兵と共に在ることをつたえる

 

歌などではない、叩き鳴らす武器の音楽に合わせる訳でもない、ただ優しく力強い言葉で兵たちに語りかける劉備

 

劉備の見出した道こそ【中道】、王など無く民も無く、唯そこに在るのは人であるという道

国を作り、国を支えるのは王でも将でも無い、ただそこで懸命に日々を生きる人なのだという道

 

完全に覇道からも、王道からも離れた道。いや、放たれたと言ったほうが良いだろう。其れこそが劉備の見つけた道なのだ

 

王や帝といった権力の執着から放れた【空】の理論

 

中道は、すべての人が王であり、すべての人が民であるとも言える。ならば、そこに君臨する唯一の王も、帝も要らぬ

要るのは、ただ助け合う人々のみ。人が人を理解し、認めることで人が存在し縁によって国が成り立つ

ならば国とは家であり人は全て繋がり、個は全であり全は個である

 

全の人が掛け替えの無い存在であり、欠けることがあれば国は滅ぶという思想

 

【空】の思想に達した劉備が真っ直ぐ視線を向けるのは一人の男

 

秋蘭に肩を借りて、櫓の中心に戻った男は向けられる劉備の瞳に無表情で視線を返した

 

無機質な瞳の全てが男の心を物語る

 

【貴様の思想など、聞く価値も無い】

 

返す瞳は物語る

 

【高尚な理想を掲げるならば、貴様は何者なのだ?】

 

王と呼ばれる存在では無いのか、そう男の氷のような瞳が牙を向く

 

【私は皆の代表であり、皆の願いを叫ぶ者。王などではない】

 

黄金の三叉槍を振り上げた瞬間、辺に轟く雷鳴

 

まるで劉備の願いに応えるように、天は咆える

 

灼熱の太陽を思わせる瞳は男に強く向けられ、男は静かに歯の根を噛み締め無表情で劉備を睨み返した

 

「華琳を否定するのか。アイツの歩んだ道を批判するのか。貴様の理想など詭弁だと解らないのか」

 

氷塊の瞳を持つ男は静かに言葉を放ち、舞い踊る劉備の姿を見詰めていた

 

 

 

 

「俺はアイツと共に現実を眼に刻んでいる。貴様が言うとおり、人とは互いに繋がりを持ち、相互依存であるとしても

そこには他者を正しく導く導き手が居なければ、法と秩序が無ければ共倒れとなる」

 

劉備に視線を送り、無表情で語る男に秋蘭は何かを感じて、きつく躯を温めるように抱きしめた

 

「王が居なければ国は滅びる、統率者が居なければ無秩序な世界となる。代表者だと言ったな?もし、民が選んだ代表者が

残虐性のある者ならばどうする。何も知らぬ者たちが回りの不確かな情報に踊らされ、上辺だけの偽善者が民の声を

叫ぶ者だとなったらするつもりだ。それとも、貴様が平定したあとは代表者を無くし、皆で方針を決めると言うのか」

 

遠くで大きく頷くように舞う劉備の姿。同時に、天はいつの間にか分厚い雲が再び太陽を覆い隠し、ポツポツと地面を大粒の雨で濡らしていた

 

劉備は男の声など聞こえはしていないだろう

 

だが、男の言葉は止まることはない。聞こえずとも言わねば治まらぬ怒りがその無表情な顔の奥底に滾っているのか

夫の心を敏感に感じ取った秋蘭は、必死に昭の躯を抱き締めていた

 

「民衆主権を謳うつもりか?今の体制で叶う訳が無いだろう。蜀は基盤すら整えて居ないんだ

幾ら羌族を仲間にしたとはいえ、五胡はまだ他にいるだろう。外敵は幾らでもいるんだ、敵は俺達だけじゃないんだ

法や秩序を固めた後でならば貴様の理想は尊いものとなるだろうが、争いが続き、大陸を三国に分け

国々が違う法や理想を持っていて出来る訳が無いだろう。だから戦い、統一するとでも言うのか?」

 

昭は降り注ぐ雨を受けながら、顔を俯かせると秋蘭の躯を強く抱きしめ、秋蘭は何も言わず不安げに昭の顔を見詰めていた

 

「王とは重き責任を背負い、礼節と学問を修め威厳を保つ。自由など無い。当たり前だ、船頭がよそ見をしていたら船は容易く沈む

何故、華琳は今まで私を滅して政に従事し戦をしてきたんだと思っている。導き手としての責任を理解していたからだろう

どれだけ自分の理想に自信があるのか知ら無いが、天子様までその言葉で誑かすつもりだったのか?」

 

劉備の理想に対し、眼の奥で悔しさに憤る男の心を見た秋蘭は、一度だけ悲しい顔をするが

頬をよせて男をなだめるように何度も背を撫でていた

 

「・・・私には、お前が言っている事が少ししか解らない。だが、私はお前が華琳様を一番に見ていた事は良く知っている

お前がそこまで怒るなら、我等は尚の事、負けられぬと言うことだ」

 

雨が昭を濡らし、まるで涙が頬を伝うように流れれば、秋蘭はボロボロになった指で優しく拭うように撫で、柔らかい笑みを作ってみせた

 

「察するに、これで劉備は逆賊となったということだ。天子様に対して明言しては居ないとしても、昭はそう読み取ったのだろう?」

 

秋蘭の言葉に昭は小さく頷きユガケが破れ、血を流す手を優しく握り、自分の心を凍りつかせる

 

「劉備の理想が王の存在を否定し、民を中心として考える事ならば、自ずと陛下を否定する事にもなってくる

ならば、我等は大義を得たと言うことだ」

 

大丈夫だと、昭に伝えるように握られた手を握り返せば、再び秋蘭は微笑み

 

「だが、此れで天子様のお力が、漢帝国の力が完全に無いと兵にも解ってしまった。勅を受けた華琳様に【民】が容易く牙を向くのだからな」

 

秋蘭は、大陸の三分の一に住む民が劉備を支持し、皇帝が廃することを望んでいるのだと理解してしまう

だが、それは同時に三分の二は今だ天子様を支持し、従おうとする者だと言うことだ

 

「劉備の理想が変わったわね。漢帝国の復興から、今度は漢帝国を完全に潰そうとする事に」

 

雨が降り注ぎ、劉備の背後で燃え盛る炎が小さくなるのを眺めながら、詠は昭の側によって何時もの腰に

手を当て、胸を張る格好をとると鼻で笑っていた

 

「天子様の元で理想を語って、同意を求めようとしたんでしょう。劉備もまた大義を持っていると言える。民の願いというね

天子様は民を想い行動を取るでしょうし、今の劉備の姿ならきっと天子様は受け入れてしまっていたかもしれないわ」

 

詠は首を振り、昭の顔を見てため息を吐く

 

「確かに、今の大徳である劉備を見れば不可能では無い。華琳の事を否定されて腹立つのは解るけど、何も出来無い事を言ってないわ

戦は元々、自分達の正解や正義を相手にぶつけ、認めさせる事。勝利でしか何も得られないのが戦よ

勝った後、理想を押し付けて華琳達やアンタにそれに従事させれば事は素早く進む。今はまだ理想に程遠いってだけよ」

 

【まぁ、ムカつく事には変わらないけどね】と付け足す詠は、昭に笑ってみせる

自分も天子様や華琳、そして昭を否定されて頭に来ていると解らせるように

 

「アンタが危ういと思うなら勝ちなさい。涼風の未来に相応しいと思わないなら抗いなさい。そういうモノでしょ?

僕も、月の居場所を守るために負けるわけには行かないんだから」

 

気がつけば、いつの間にか風も昭の側で下から何時もの眠たそうな眼で見上げていた

 

「風も同じです。劉備さんの理想は素晴らしいと思いますが、民の教養もまだまだ未熟。字も読めぬ者がいる現状で

早計ではないかと想いますよー。華琳様は、治世の能臣、乱世の奸雄と評されたようですが、劉備さんは

治世の英雄、乱世の能臣とではないかと」

 

劉備を評価し、眼を細めて【お兄さんの真似をしてみました】と言う風に、男は笑みをこぼした

 

「雨、また降ってきたねー。此方の儀式を真似されたよ。侮れないね、さっすが昭様の義妹!

でも、ほっとした。それほど人が焼け死んで無いみたいだからね・・・・・・だから、怒っちゃ嫌ですよ」

 

火計を潰され、無断で策を発動させた事を詫びる鳳に、昭は微笑んでいた

見れば、森を覆っていた黒炎が治まり、此方を囲んで居た敵が此方を抑えながら器用に後退していく姿

 

「お前が怒る理由は、もうひとつある。民の繋がりとは、お前の真名である叢(群れる)だ

劉備の語る理想は昭の真名。生きる道そのものだからこそ、怒りがこみ上げるのだろう?」

 

誰も理解できず、誰も知ることの無い心の深層を知る秋蘭は、小さく昭にだけ聞こえるように呟けば

昭は少しだけ驚き、秋蘭には隠し事は出来無いと思うと同時に、秋蘭にだけは自分の心が理解できるのだと何処か嬉しくもあった

 

敵が陣から離れる動きを見て、風は直ぐに陣形を大蛇へと組み替えようとするが、その手は止まり

降り注ぐ雨で濡れ、顔にかかる髪を手櫛で後ろへ流すと、武器を構えて後退する敵兵の中で此方に武器を向けて立つ二人の将に視線を止めた

 

一人は言うまでもなく、この場で成長し別人のような進化を遂げた翠の姿

常に此方の動き、全てを把握するように視線は櫓の軍師の動きを捕らえ、槍の穂先で己の動きを此方に見せつけながら

威嚇するようにユラユラと動かしている

 

もう一人は武器を二つ持ち、半身を豪天砲の反動でボロボロにした魏延の姿

豪天砲に込めた氣が鉄杭を射出させる時に、上手く弾倉に氣を送り込めていないせいか、引き金を引くたびに

射撃手である魏延に氣が弾け飛び、躯を傷つけていた。だが、それでも武器から手を放さず

常に銃口を此方へ向け、馬超とは対照的に敵兵の動きと仲間の退路確保だけに集中していた

 

トントンと指先で足を叩く詠。思考に没頭する詠に壊れた手の痛みは頭の隅へと追いやられていた

風も、同じように敵を見ながら陣形をゆっくり八風へと変えるのみ

先ほどのように単騎で・・・いや、単騎などではなく馬超と魏延で突っ込まれれば、再び昭を抑えとして送らなければならない

 

此方の戦力を考えれば、一馬は腕をやられ、凪は骨折、真桜は螺旋槍を破壊され、沙和は治療で気を使い果たし体力の限界

軍師である詠まで拳を壊し、戦えるのは秋蘭と昭のみ

 

一度ならず、二度までも昭を将と、妹と戦わせることなど出来無い。そう思う風は、陣形を変化させることが出来ずにいた

 

「軍師の腕の見せ所、なんだけど・・・。ホンッッッとに面倒臭いわねーっ!何なのよアンタの義妹はっ!!

恋に知恵を足したみたいな、完璧すぎて頭痛くなるっ!!」

 

「追撃する絶好の機会なのですがー。下手に追わせると広範囲に放たれるあの武器に加えて、切れ味の劣化を気にせず

振り回せる金棒。何よりも、凪ちゃんの腕を折った程の威力では下手に兵を送れない。森に逃げ込まれたら詰みますねー」

 

出来ることなら森へ逃げこむ前にケリを付けたい。だが、殿に立つ二人の将に頭を悩ませる詠と風

火計によって負傷し、道を塞いでしまっている今が狙い時であり、時間が経てば森へ逃げらる

逃げ込まれ、道の狭い場所での追撃などしたら、殿の将二人にどれほど兵を殺されるか解ったものではない

 

下手をすれば逆に全滅させられる。元々、追撃戦は追う方が不利なのだから

 

背水の陣を敷いたも同然である劉備の軍

劉備の声を聞き、舞を目の当たりにした者たちだけではあるが士気を取り戻す

 

兵の士気の回復を見たフェイは、即座に指と手振りで兵を前線に送り出し、士気が下り後退する兵と入れ替えていく

更に、背負った竹簡を次々に取り出して文字を書き記し、掲げたそばから捨てていく

 

【第二幕】【神楽】【剣戟開始】

 

入れ替わった兵達は、指示されるままに武器を叩き合わせ、フェイは音を文字通り指揮し音楽を奏ではじめ

士気を取り戻した兵は、後退する兵達を守るために翠と魏延の元へ集い始め、強固な前衛を作り上げ始めた

 

「・・・早すぎる。何これ、フェイの能力ってわけ?それとも馬家三人の力なの?始めからこれだったら死んでたわよ」

 

気がつけば、既に強固な迎撃陣形、半円の方円陣を作る

見ればみるほど此方の陣形を模したようにして陣を敷いており、櫓と地面という違いはあれど舞台を作り上げていた

 

長い月日をかけて此方が練り上げ、作り上げたモノを即興で不完全とはいえ、やってのける劉備軍に軍師達は言葉を無くしてしまう

 

此処までされてしまえば軍師達に奇妙な不安が過ぎってしまう。まさか、此方の龍佐の眼を使った八風までも真似されるのではと

 

普通ならばされるはずなど無い、出来るはずなど無い、そもそも龍佐の眼を持つ者が劉備軍にいるなど聞いたことはない

宦官の編み出した技術が、古き者しか知らぬような滅びた技術を使いこなせる者などいるはずがない

 

何よりも、この目は使用者に大きな負担を掛ける。他人の傷が自身の躯を傷つける程に

 

だが、ようやく手にした昭の水を使って見せた翠の恐るべき成長に軍師達はその疑問を拭えない

 

使えるのでは無いか?先ほど単騎で乗り込んで見せた馬超の姿を見ただろう?あれほど華麗に騎馬を操り

此方の陣を、兵の頭上を飛び越え、槍をかすらせもせずに乗り込んで来たのだ。万が一があり得る

 

新たな命令を出すことも出来ずに固まる三人の軍師

 

「良い、目的は達した。無理をするな」

 

そんな軍師達に昭は意外な言葉をかけた。此処で劉備を獲れば、長い戦を終わりにできる。全てに決着を着けられる

手を伸ばせば届く位置に劉備がいるのにと軍師たちは考えるが、昭はゆっくり首を横に振った

 

「フェイがいるから向こうの動きは探れない。それに、下手に手を出しても兄弟が殺される

俺達の目的は華琳が戦っている今、家を敵から護る事だ。だから、此処で終わりだ」

 

昭の命令に、詠は本当に良いのかと振り向けば、全身が粟立ち背筋に冷たいものが流れ落ちた

同じように、振り向いた風は眼を見開き身体が固まり、鳳は倒れた李通を抱きしめて歯をカチカチと鳴らし

秋蘭は、珍しく昭の顔を見ずに強く躯をその場に押しとどめるように抱きしめていた

 

「一馬」

 

「はい、兄者」

 

「逝くぞ」

 

ボソリと呟き弟を呼べば、一馬は気を失った李通を見て怒りを顕にしながら的盧を櫓へ寄せ

昭は秋蘭の抱きしめる腕をゆっくり放して一馬の後ろへと騎乗した

 

小さく、掠れた声で「行かないで」と言う秋蘭の声が聞こえたのか、聞こえなかったのかは解らない

昭と一馬の姿は、気がつけば既にその場には無かった

 

「・・・・・・」

 

「・・・秋蘭」

 

何が起こったのか解らない、昭が何をしようとしているのかは解らない。秋蘭も、理解はしていないだろう

だが、底知れぬ嫌な予感を感じた秋蘭は、その場で自分を抱きしめるように崩れ落ちてしまった

 

「また、あの時と同じ眼だ。華琳様を守った時と、剣帝を使った時と」

 

森での火が完全に鎮火し、退却をはじめる劉備軍を見ながら、詠は秋蘭の姿に戸惑っていた

たった二人で一体何をしようと言うのか、兵に追わせたいが、下手に追わせれば鋭く察知した馬超に何をされるか解らない

 

困惑する詠に、風はどうすることも出来無い、唯、私達には昭を信じることしか出来無いと

鳳と共に自陣の警戒と迎撃体制を固め昭の指示通りに兵をまとめ始めていた

 

「存分に見せてもらったわ。魏の登用、受けて間違いは無かった。此れであの子達と戦うことが出来そうね」

 

劉備軍の様子を見ながら、櫓の階段で全てを瞳に刻み込んだ司馬徽は「好、好・・・」と艶のある笑みを浮かべ

羽扇で優雅に仰いでいた

 

 

 

 

 

追撃が行われず、火計で負傷した兵を騎馬へ乗せ、背後で待機する兵達に退却の命を伝えて一斉に武都へと撤退する劉備軍

森へ吸い込まれるように全ての兵が戦場から離れるのに多くの時間を要したが、方陣を使い、殿に着いた将が敵兵を蹴散らし

無事に森へと逃げ、道程の中ほどまで撤退を済ませていた

 

「なんとか此処まで来れたか、敵兵の追撃は無いみたいだ」

 

「躯は大丈夫なのか?豪天砲の反動でボロボロじゃないか」

 

「戻ったら、桔梗様に使い方を御教授して頂かなければならないな」

 

小休止の為、行軍を止めた劉備軍。最後尾で、遠く新城の方向を見つめ敵を警戒する翠は、魏延の火傷を負ったような傷を見ながら

魏延よりも少し後ろへ騎馬を寄せ魏延は翠の気遣いに笑みを返し、豪天砲の銃口を背後へと向けていた

 

「なあ。あの時、何故退いた?私からは眼を閉じて戦っていたように見えた。あれならば舞王の慧眼を無効に出来ただろう」

 

勝つことも出来たはずだと言う魏延に、翠は冷たい瞳のまま首を振る

 

「御兄様は、あたしが眼を閉じた瞬間、きっと夏侯淵に眼を合わせたんだ。だからあたしの動きに対応できた

御兄様は地力が無いからね、使えるモノは何でも使うし隙を幾らでも突いてくる。油断したら簡単に負けるんだ」

 

「地力が無いか。どうも、そうは見えない」

 

「そう感じるのは当たり前だ。そう、感じさせないように戦ってるし、何時だって御兄様の周りには誰かが居る

それに、あたし達の考えを利用したりするしな」

 

此処まで敵から離れていながら、今だ警戒を解かず、水のままの翠を見ながら魏延は武器を構え直した

 

「今だ警戒を解かないのは、そういう事か」

 

「ああ。退却を開始した時、御兄様の姿が消えた。何か動きが有るのかと思っていたんだけど、敵兵に動きが無かった」

 

「援軍を求めに曹操の元へ行ったんじゃないのか?」

 

「御兄様が行く必要は無い。仮に、そうだとしたら御兄様の軍は追撃を開始して

武都へ曹操の軍を向けるはずだ。だけど、今頃、武都に着てるだろう愛紗から何も無い」

 

「なら、なんだと言うんだ?」

 

「解らない。蒲公英とフェイにも話したけど、予想がつかないみたいだ」

 

冷たい瞳で、何も無く音も聞こえない自分達の通ってきた道を見ながら魏延は喉を鳴らした

何も無い道に、何故か心がざわめき、不安だけが襲う

 

「桃香様の警備を固めよう。此処まで来たら、後は桃香様を直接狙う暗殺しか無い。御兄様と義弟の劉封が一緒だったから

可能性は有る」

 

冷静に可能性を導き出す翠は、魏延を劉備の護衛に付けようと蒲公英と扁風の元へ騎馬から降りて向かえば

劉備の側には何故か蒲公英しか居なかった

 

「桃香さまは?」

 

「桔梗を看護してるよ」

 

「フェイは?」

 

「フェイは・・・えっと・・・」

 

歯切れの悪い蒲公英に、翠は少しだけ不思議に思うが、姉妹ゆえか何となく答えが解ってしまう

 

「前か?」

 

「うん。ちょっとだけ、皆と離れたいって」

 

「そうか・・・」

 

義兄を裏切り、敵対し、それどころか涼州を蜀へと売り渡したことへの良心の呵責に扁風は押し潰されそうになっているのだろう

魏に居た時の話を聞いていた翠は、あれほど慕っていた義兄から厳しい眼を向けられ、きっとあの子の小さな心は耐えられない

幾ら知恵が回り、馬家の為だ、裏切りも覚悟していたなどと言葉を並べても、まだ子供なのだからと先頭へと足を向けた

 

甘い言葉でも良い、慰めになるなら抱きしめるのも良い。あの子の逃げ場所となってあげなければ

最早、父は居らず、父のように慕った義兄は今回のことでもうあの子を見てくれないだろう

なら自分が父や義兄のようにならねば、扁風だけではなく蒲公英や涼州の兵達にも、自分はそう在らなければならないと翠は心で決意する

 

「フェイは居るか?」

 

「これは馬超将軍。馬良様は小用だと森の中へ」

 

「森へ?」

 

軍と軍が途切れた場所へ出てみれば扁風は居らず、兵の言葉に翠の表情は強張る

 

「何時だ、どれほど経った?」

 

「え、ええと」

 

考え込む兵の様子に、随分と時間が掛かっていると判断した翠は銀閃を握り締めた

 

「どっちだ、フェイの消えた方向はっ!?」

 

「えっ!あっ!む、向こうです」

 

「お姉様っ!!」

 

心配で様子を見に来た蒲公英は、険しい表情と声を荒らげる翠に何かがあったのだと理解し、金煌を握り

森へと走る翠の後を追った

 

「チィッ、狙いはフェイかっ!叢雲兄様っ!!」

 

自分が考えたようにフェイの事を義兄も考えるはずだ!フェイは必ず一人で軍から離れると考える

何故気付かなかったと、水の心により氷塊のようだった瞳は何時しか熱く、荒々しい瞳の色に変わり

無意識に、森の中へ向けて兄の名を叫んでいた

 

 

 

 

 

 

 

踏みしめる度に、足元からパキリと音が立つ森の中

人が立ち入った事が無い事を証明するかのように、足元で落ちた枝が音を立る

 

雨が去った後の森は、普段よりも一層、寂しさを感じさせ、扁風は顔を俯かせたまま森の奥へと足を進めていた

 

心の中を幾つもの問が浮かび続ける。義兄様を裏切ってしまった。これで良かったのか?

馬家の存続にはこれしか無かった。自分の力は魏の文官達の中で突出したものではない

いずれ、このままでは涼州は馬家の手から放れた。でも、一度はそれでも良いと思ったのでは無いのか?

 

義兄様がいれば、もしかしたら魏の中で、涼州だけは馬家の統治する場所とすることが出来たのでは?

でも、私は劉備様の理想に共感してしまった。何よりも、父の盟主としての生き方は、劉備様の理想そのまま

劉備様の姿そのまま。皆の代表であり、皆の意見をその身に受け、叫ぶ者

 

父様はそういう人物だった。そんな父様が大好きだった

 

だから、真名に似た言葉を持ち、同じ生き方をする義兄様が大好きだった

 

義兄様の元ならば、私は何も迷う事は無かった

 

でも、御兄様が仕える華琳様の理想は父様のようなモノではない。力がない私は涼州をいずれ力ある文官に取られてしまう

戦で戦功を上げられる軍師様達と違う、私は内政でしか功を上げられない。それですら、鳳様には敵わない

 

全ては私の力の無さが原因

 

なのに・・・私は、私は・・・

 

足元へ視線を向ける扁風の視界に細い木の根が映り、顔を上げれば足のような太さの木

扁風は、堪らず義兄の足を抱きしめるようにしがみつき、瞳から大粒の涙をボロボロと流していた

 

弱い自分に対する自虐の言葉が心を埋め尽くし、仲間を殺した重責が小さな肩に圧し掛かる

回りに誰も居ないなか、何時しか扁風は声を上げて泣いていた

 

パキッ・・・

 

負の感情を吐き出し少しだけ心が落ち着いた扁風は、背後から聞こえた枝を踏み折る音に

随分と泣いていた。姉様が迎えに来てしまった。心配させてしまっただろう、怒られるかも知れないと振り向けば

 

そこには真蒼で蒼天を切り取ったかのような外套を身にまとい、右手に美しく輝く宝剣を手にし

無機質で冷たく、なんの感情も篭らない氷塊の様な瞳をする男の姿

 

「・・・ぁ」

 

見上げ、眼が合った瞬間、扁風の躯にトンッと軽い衝撃が伝わり、口から流れる一線の赤い雫

 

ジワリと鈍い痛みが広がっていく自分の腹を見れば、義兄の手にした宝剣の切っ先が躯に埋まっていた

 

「ぁ・・・ぅ?」

 

込み上げる恐怖感に躯は勝手にカタカタと震えだし、全身に広がる痛みに崩れるように膝を地面へ着ける扁風

 

何が起こったのか解らない。目の前に何故、義兄がいるのか解らない

 

地面に流れ落ちる自分の血液、無意識に傷口を抑えた掌が真っ赤に染まる

 

痛い・・・

 

手がベタベタする・・・

 

手に着いているの赤いものは何だろう?

 

これは血?

 

誰の血?

 

私の血?

 

これは夢なのだろうか?それとも、自分を責めすぎて、幻覚を見ているのだろうか?

 

理解できぬまま虚ろな眼で顔を上げれば、義兄は冷たい眼を自分に向けたまま剣を振り上げ、横薙ぎに剣を振るっていた

 

「このっ!」

 

首を切り落とす宝剣は、横から全速力で突きを放つ翠の攻撃に阻まれた

躯を狙い槍を放てば、隠れて側に待機していた一馬が的盧と共に現れ、昭の躯を抱え上げてその場から森へと消えていった

 

「ちくしょうっ!間に合わなかったっ!!」

 

まるで幽鬼のように、突然現れ、音もなく消え去る義兄に恐怖を感じ、怒りで恐れを振り払う翠

 

扁風は、去り際に氷塊のような瞳を自分に向ける義兄の姿を瞳に映しながら、自分で流した血の海へと躯を沈めた

 

「直ぐに戻るぞ蒲公英っ!」

 

「フェイっ!しっかりしてフェイっ!!」

 

静かな森の中、走りながら扁風を抱え兵を呼ぶ翠と、名を呼びかける蒲公英の悲痛な叫び声だけが何度も反響していた

 

 

 


 
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