朱里SIDE
愛紗さんと雛里ちゃん、北郷さんが抜けた軍議場には私と鈴々ちゃん、星さんが桃香さまの前に立っていました。
桃香さまは顔に何の表情もなく私たちを見ていました。
いつも笑っていらっしゃる桃香さまであるからこそ、それだけでも桃香さまの怒りがどれほどのものなのかは理解できました。
突然に幾つの驚くべきことが重なって何がどうなってるのか整えるまで時間がかかりました。
愛紗さんの堪忍袋が切れたこと。
突然現れた曹操軍の将。
桃香さまの激怒と愛紗さんの捕縛の命令。
愛紗さんが捕縛されたことは、ある意味それが正しい方です。
他の軍ならいきなり他の将を殴りだした人を懲罰しないわけにはいきません。
でも桃香さまに限っては、そして愛紗さんに限ってそんなことになるとこの中の誰が想像したでしょうか。
愛紗さんの誇りは、桃香さまの第一の家臣として、桃香さまの義妹であることから来ます。
甘い桃香さまの代わりに軍の規律と原則を統括し、桃香さまを支えることこそが愛紗さんの役割。
でも、今回ばかりは愛紗さんは自分の立場を誤ったのです。
桃香さまの目の前で自分の怒りのあまりに桃香さまの命令も無視して、自分の意思で北郷さんを裁こうとしました。
しかも将の全員がその場面を見ました。
誰も守ってあげることが出来ません。
「…朱里ちゃん」
「は、はいっ!」
黙っていた桃香さまが私に声をかけました。
「愛紗ちゃんと一刀さんへの処罰、どうすれば良いと思う?」
「……」
愛紗さんだけではなく、北郷さんへの処罰まで問われたのは少し以外ではありましたが、今の桃香さまは、今までとは違いました。
今は取り敢えず、軍師として桃香さまのためになるような答えを出さなければなりません。
「両方とも同じ将としての立場を忘れて、桃香さまの命令に従わず私情で相手を罵倒し喧嘩をしたこと、将としてあるまじき行為です。ましては公の場で、戦い中で起きたこと、内部の騒乱は兵の士気にも関わります。軍律を乱した罪は重いですが、愛紗さんは汜水関で桃香さまを守って、汜水関陥落に功を立ててあることに免じて、何日間謹慎させるのが妥当かと。尚、北郷さんに関しては別に桃香さまに危険な行動を強要させた理由を聞き出して、それから処罰内容に付いて考えるべきでしょう」
「……そう」
あくまで中立を保った進言。
にも関わらず、やられた側の北郷さんの罪が重くなるのはある意味必然的なものです。
何の説明もなく、ただ自分の思惑通りに桃香さまを動かそうとしていたのですから、弁護してあげるにも私にはあの人の考えが判りません。
「桃香さま、私から一言申し上げてよろしいでしょうか」
そんな時、星さんが桃香さまに言いました。
「…良いよ、言ってみて」
「今回の出来事の原因はたしかに北郷殿にもあるでしょう。ですが、今回愛紗が北郷殿を許せなかった原因はつまり桃香さまが戦場に出たことが北郷のせいであると知った途端、桃香さまのことを誰よりも大事にする愛紗だからこそ、その怒りを抑えることが出来なかったのです。桃香さまのご命令を無視した愛紗にたしかに非がありますが、それもまた桃香さまを大切に思ってからこそ。その点を察して頂きたい」
星さんもまた愛紗さんを護る発言。
「そして、」
でも、そこで終わるのだったら星さんもここで何も言わなかったでしょう。
「私にはわかりませんが、桃香さまが北郷に話を聞いてそのまま戦場に出た時は、愛紗や我々がそれを反対することを予想していながらの行為だったはずです。北郷がどのように桃香さまに言ったのが知りませんが、どんな行動をとったにしても、それを行ったのは桃香さまご自身。その非を北郷にばかり背負わせることは出来ません」
「……」
星さんの言葉はつまり、今回の事件を起こした根本的な原因は桃香さまが戦場に出たこと。つまり桃香さまに一番の責任があるってこと。
桃香さまは無言のまま星さんの言葉にうなずきました。
「お姉ちゃん」
「……」
鈴々ちゃんは桃香さまを呼びましたけど、それ以上何も言わずにただ見ているだけでした。
部下として、仲間としてではなく、義妹としてただ義姉たちのことを心配する、そんな目でした。
「…愛紗ちゃんを呼んできて」
桃香さまはそうだけ言ってまた黙りこみました。
愛紗SIDE
今私は自分の部屋に捕縛されたまま座っている。
桃香さまの命令により、呼ぶまで大人しくしていろとのことだった。
私は、私がやっていることが桃香さまのためあると信じて疑わなかった。
なのに桃香さまは……
『愛紗ちゃんへの処罰は後で決める。それまで私に一言も言わないで。愛紗ちゃんと鈴々ちゃんとの契りを破りたくないから』
『愛紗ちゃんとの契を破りたくないから』
皆の前で桃香さまには家臣としての礼をとっているつもりだった。
が、一度も自分が桃香さまの義妹であることを忘れたつもりはない。
それでこそ、私は姉上を支えるつもりでここまで来たのだ。
なのにその行為は、桃香さまにとって邪魔でしかならなかったのか。
本当にアイツの言った通りに、私がやっていたことは、ただ桃香さまの理想を砕くことでしかなかったのか?
なら私が今までやってきたことは一体……
「愛紗」
「!星」
そんなことを思っていたら星がやってきた。
「桃香さまがお呼びだ。行こう」
「……ああ」
答えて立ち上がろうとすると、ふと脚に力が入らないことに気付いた。
情けないと思いつつも理由がわかってしまう。
怖いのだ。
あの姉上が私に向かってアソコまで怒るのを見たことがない。
いや、姉としてではない。
『君主』として。
『臣下』の罪を徴する姿なんて、桃香さまに限って想像もつかないことだった。
「どうした、愛紗」
「…桃香さまは今、どんな思いで私を待っているのだろうか」
「……」
「私には、分からない」
今まで桃香さまのことならなんでも分かると思っていた。少なくともここに居る誰よりも長くあの方に仕えてきたからこそ、その自信は揺るがなかった。
でも、桃香さまの心が分からない今、それが不安で不安で仕方がない。
あの方の思いに…届かない
「…私にも分からないな」
「……」
「愛紗、いつか私が北郷に言った話を憶えているか?」
「なんだ?」
「誰も人のことを完全に理解することはできない。人間はそれぞれ違う人生を生きてきて、これからも違う道を歩んでいく」
「……」
「愛紗、お前は自分が桃香さまと同じ道を歩いているつもりだったのかもしれない。だが、最初からそんなことは出来ないのだ」
「…何故」
「お前はそんな道を選んだのだ。桃香さまの側で歩くのではなく、桃香さまの手に握られて暗闇を照らす松明になると、あの方を守る剣となると、そう心に誓ったのはお前だろ」
「……」
「確かにお前の光は明るくて、桃香さまに頼りになったかもしれない。だが、それらは所詮道具に過ぎないのだ」
「私が立場を見誤ったと、そういうことか?」
「…お前や私は、桃香さまの行く道を照らすことはできるだろう。でも、歩くのは桃香さまご自分の脚ででなければならない。お前も私も、ただ光を出すばかりであの方の目的地がどこなのかはわからないのだからな」
分からない?
私に、桃香さまの目的地が……
私はあの方と同じ場所を見ていなかったというのか。
私が桃香さまを間違った方向を案内していたと…そういうことなのか。
「いつまで桃香さまを待たせているつもりだ」
「………」
「ほら」
星は腰が立たない私に手を伸ばした。
私は力が抜けた手を伸ばしてその手を握った。
雛里SIDE
「士元、玄徳の様子を見に行くと良い」
楽進さんの真名を受けて間もなく、寝床に移された北郷さんが私に言いました。
「桃香さまに北郷さんのことを任されています」
「肋骨ちょっと折れた所で死にやしない。ここは『凪』に任せてお前は自分が気にすべき所へ行け」
「………」
私は楽進さんの方を見ました。
顔は私も居ることで淡々としていますが、やっぱり嬉しそうな表情が隠しきれていませんでした。
「私が居ない間何をするつもりですか?」
「…言ったはずだ。俺は玄徳という器を砕いた。その責任をとらなければならない」
「……」
私は、桃香さまを巡った私たちの姿に呆れた北郷さんがこの軍を逸れようとしている、そう思っていました。
楽進さんが来た時、私はもうほぼ北郷さんのことを諦めていました。
きっと桃香さまもそう思っていたはずです。だから愛紗さんを捕縛したのです。
本当に桃香さまの理想を砕けたのは愛紗さん、そして私たちです。北郷さんはただ私たちがそれを気づくようにしただけです。
なのにこの人は、そこまで自分だけで背負って、一体どこまで犠牲すれば気が済むのでしょうか。
「言っておくが、これはお前らのためではない」
また、私の心を読んだかのように、そう思った途端北郷さんは言いました。
「俺に興味を湧かせるほどの者なら、俺はどんな犠牲でも払う。部下一人得るために腕一本もやったことがあるんだ。肋骨何本折れることなんてタダで済んだのと一緒だ」
「…正直に言います」
私は自分の気持ちを率直に言った。
「私、今北郷さんがここから出て楽進さんと二人独立して新しい勢力を作ると言っても付いて行く覚悟があります」
「………」
「北郷さんは人に出来ないことを平然とやってしまいます。北郷さんみたいな人が天下を欲しがったら、乱世なんてもうとっくに終わっていたでしょう。反董卓連合軍というこんな馬鹿馬鹿しい戦いが始まる前に、乱世なんてもう終わっていたかもしれません」
「単なる夢に過ぎない」
「夢じゃありません。ただ北郷さんがそんなことに『興味がない』というだけです」
「『だから』夢なんだ」
自分がその気さえあれば出来なくもない、そう答えた北郷さんは、
「もう行け。お前は玄徳を選んだ人間だ。俺はこれ以上お前に興味ない」
「!」
「………」
…それで十分でした。
私は桃香さまたちの所へ向かいました。
・・・
・・
・
私が軍議場に近づいたのと同時にちょうど軍議場に入る愛紗さんと星さんの姿が見えました。
私も早く行こうと脚を急ごうとした途端、中から大声が聞こえました。
「うわあああん、愛紗ちゃん、ごめんねー」
「ちょっ、と、桃香さま!」
「はわわー!桃香さまおちついてくださいい!」
「お姉ちゃん」
驚いて走って中に入ると、想像したのと真逆な光景が見えていました。
桃香さまは入ってきた愛紗さんを抱きついて泣いていました。
入り口手前で、恐らく愛紗さんの姿を見た途端席から立って襲いかかったという感じでした。
「ごめんなさい、頼れない姉でごめんなさい」
「ちょっ、え、桃香さま、どうして…」
「……あ」
私は驚きました。
それはもう…何重の意味で。
私は、桃香さまが変わるだろうと思っていました。
今回の事件で桃香さまの姿が変わるだろうと思いました。
ここに居る誰もがそう思ったはずです。
桃香さまの怒り、君主としての自覚、例え愛紗さんとは言ってもその怒りから逃れることは出来ないと。
でもそうじゃないんです。
北郷さんが狙ったのはそこじゃなかったんです。
桃香さまが君主としての自覚を得たのは間違いありません。
その場で自ら状況を整理したことからしてそれは間違いありません。
でも、それを自覚したからとして変わるお方だったら、最初から北郷さんだって桃香さまにそんなに興味を持つ必要もありませんでした。
ここに居る皆は桃香さまの優しさに惹かれた人たちなんです。
君主としての自覚が、その優しさを奪い去ってしまうのだったら、ここに居る人の中の何人が本当に尽くす気持ちで桃香さまに仕えるでしょう。
君主として愛紗さんに罰を与えなければならなかった桃香さまは、初めて、実にこの軍に来て初めて君主としての責任というものに立ち向かったはずです。
だけど、桃香さまみたいな人がそれに一人で立ち向かうことはとても耐えられるものじゃないんです。
でも、優しい桃香さまのことだから、自分の苦しみの果てにこう思うのです。自分の能力が足りないせいで、今まで皆にこの苦しみを代わりに背負わせていたと。
姉の自分が頼れないせいで、愛紗さんが今まで自分が背負うべきこの苦しみを抱えていなければいけなかったのだと。
そんなことに気付いた時、愛紗さんを見るんです。
姉に叱られて、自分の誇りである人に自分のやり方を否定されて力を失った義妹の力抜けた姿が……
何一つ間違ってなかったのに、全部私がいけなかったことなのに、
妹に押し付けていた、仲間だという言い訳に押し付けていたその荷の重さが分かった途端、謝らずには居られなかったんです。
「でも、これだけじゃ足りません、北郷さん」
桃香さまが自覚を持った所で、一人で背負うことが出来なければまたその荷を愛紗さんや皆に担ってもらうことになるでしょう。
そうなったらまたふりだしに戻るだけです。
『君主』という立場を桃香さま一人で背負うことも無理、だからといって皆をそれを分け合うことも解決にならない。
なら北郷さんは、何をもって桃香さまを支えるつもりなのですか?
凪SIDE
「凪」
「……」
「…楽文謙!」
「は、はい!…あ」
な、なんか私、真名に呼ばれてぼけーっとしていました!
「……真名で呼ばれたくないのか?」
「い、いいえ、違います!これはその……」
しかも字で呼ばれて驚いて答えてしまうとは…お願いですから今になって真名で呼ぶのはやめるなんてこと言わないでください。
「申し訳ありません。これからはちゃんと返事しますから」
「……そんなうれしいのか」
「はい!」
「……」
一刀様は分からないという顔で私を見ました。
一刀様にはわかってもらえないかも知れませんけど、私は今凄く嬉しいのです。
持っていた全てを失ってまでも欲しかったものが手に入ったのですから……。
「…外に行って、お湯を沸かせと伝えろ」
「お湯、ですか?お茶でも飲むんですか」
「ちょっと風呂にはいるためだ。そう伝えて大量に沸かして来いって伝えろ。他の将たちには何も言わずに」
「お風呂?こんな時にですか?!」
戦の途中ですよ?
軍の将と君主はぎくしゃくしていますし。
怪我もしてるんです。
悠長に風呂なんてしている暇……
「凪」
「!」
「……早く行って来い」
「……はい」
真名とは、
心より信頼する人にだけ与える大切な名前。
一刀様に真名を呼ばれる度に、『凪』という声がこんな意味に聞こえています。
『俺はお前を信じている。だからお前を俺を信じろ』
「…はい、わかりました」
「二度も答えなくていいからさっさとしろ」
「…はい!」
私は急いで天幕を出て行きました。
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