No.338782

外史異聞譚~幕ノ三十~

拙作の作風が知りたい方は
http://www.tinami.com/view/315935
より視読をお願い致します

また、作品説明にはご注意いただくようお願い致します

続きを表示

2011-11-24 05:40:44 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2711   閲覧ユーザー数:1580

≪???/世界視点≫

 

後に“袁家動乱”と称される諸侯の軍事蜂起はこうして幕を閉じ、諸侯はそれぞれに渡された沙汰を胸に再び各地へと散っていった

 

それら諸侯の中でもっとも動きが迅速だったのはやはり曹孟徳であり、60日の猶予を与えられていたにも関わらず、交州へと旅立ったのは実に20日後の事である

事前に許可を与えられていたとはいえ、陳留の地に残るのは土着の農民や職人と漢室に属する官吏くらいなものであり、その一族と曹孟徳自身に従う兵馬民衆の数は、実に10万を数えた

これは曹孟徳が陳留の刺史として、事実上漢室を超える求心力を得ていた事の証明であり、その政事が餓え乾いていた民衆にとっていかに必要とされていたかの証明でもあるだろう

もっとも、これら兵馬民衆も“逃避行”であったのならばどれだけ着いてきたかという点に関しては大いに議論の余地が残るところであろう

ただし、現時点に於いては民衆は派遣されてくる官吏の能力や治世に期待するよりも、より確実な人物の庇護を求めた、という事実は揺るがず存在している

 

袁家は当主を事実上、質として差し出し代官の派遣を臨んだ事で、その権勢は既にないと認識されている

ただし、現当主袁公路が若輩である事と、漢室のお膝元ともいえる洛陽での勉学をその理由としている事、官位や身分は据え置かれているという点から、後々影響力を回復する機会は十分にある、と考えられている

また、袁公路自身はかなり見目のよい少女であり身分も明らかであることから、外戚としての権勢を削いだ上で親王である劉協殿下の正室に、という意見も内外に存在する事から、その影響力はいまだ十分なものがあると考える諸侯は数多い

 

涼州諸侯は、この表向きの沙汰に静観の姿勢をとった

内心穏やかならぬのは誰の目にも明らかではあるが、涼州が豪族の寄り合い所帯であるという事実から、まとまった行動を起こすにはしばしの時が必要だろう、というのが衆目の一致した意見である

特に、天譴軍を称する輩が牧として上に座した事で五胡の動きが活発化した事もあり、潜在化している反発が表面化するのにそう時はいらないだろう、というのが一般的な見解といえる

先に馬孟起が活発に諸侯に接していたこともあり、漢室を一義に置く以上、天譴軍を認められないだろうという意見は当然とも言える

 

このような中で河北に位置する劉玄徳と公孫伯珪が漢中訪問を表明したのは異質とも言えるが、これは民衆には歓呼をもって迎え入れられている

先の反乱では大半の民衆を無血で救い、民衆に大量の施しを行い、その後の洛陽動乱にあってもあらゆる諸侯に先駆けて漢室と相国、そしてなによりも民衆に手を差し伸べた天譴軍の民間での人気は相当なものであるからだ

河北にて仁政を謳われる劉玄徳とその同門であり太守としての実績を持つ公孫伯珪が“対外的には”天譴軍と誼を通ずるのは、塗炭の苦しみに喘ぐ民衆にとっては喜ぶべき内容と言える

 

 

これら諸事情に関して、天譴軍は対外的な発言を控え、ただひとつの事柄に対して以外は沈黙を守る事で応えている

唯一応えたのは、先の袁家動乱にあってその忠義を称えられ、義候の名と共に衛将軍を諡名された華猛達の威を称え漢中にても奉る、という事に対してのみである

涼州に対しては、正式に代官を派遣するまでは馬一族の統治に委ねる、とのみ伝えられたとの事であり、これが俗にいう身辺整理の猶予であろうというのは衆目の一致した見解ともいえる

 

 

ともかくも、誰にとってもこれで平和な世が来る、などとはとても言えた状況ではなく、嵐の前の凪であるのは自明といえるだろう

 

そして、次の嵐の中心は間違いなく漢中であろうこともまた、誰の目にも明らかであった

≪漢中鎮守府/北郷一刀視点≫

 

さて、ようやく帰ってきた、といえる感じだけど…

 

俺は不在中の漢中の状況について報告を聞きながら、実はかなり苛々していた

 

理由は言うまでもないだろう

近く、令則さん、仲業、徳の3名の天律違反告知と、恐らくは大陸で最初といえる国民投票がこれからはじまるからだ

 

この時期については他のみんなに丸投げしているんだけど、張将軍の天譴軍に対する表敬訪問と同時期に、という事で話は纏まっているらしい

 

俺達としてはすぐにでも、と言いたいところなんだけど、無視したら問答無用で攻めて来かねない勢いだったという事で譲った形になったということだ

張将軍はどうにも全員を無罪放免に持ち込む気満々のようで、それだけはありえない、と言っても聞く耳を全くもっていないようだ

 

あの勢いなら無罪にまで持ち込めそうなのが恐いところなんだけどね…

 

まあ、もしそうなったのなら、それはそれで“民意”であるなら俺としては文句を言いようもないどころか、むしろ有難いと言えるんだけどね

 

状況が確定するまでは俺も人の子な訳だし、苛々する事しきりな訳なんだが、これに輪をかけてくれたのが、孫家の客将化だったりする

 

俺は正直、孫家に独立をさせてやる気は全くなかった

彼女らは江東における“王”であり、その姿勢は俺が考えるものとは絶対に相容れない、と考えているからだ

 

その上で周瑜や陸遜やら呂蒙が漢中に来るとなれば、どれだけ胃が痛い思いをしなきゃいかんのか、と考えると疲労しか感じない

 

それだけでも頭が痒くなってきそうなのに、同時期に諸葛亮に龐統も来るとか、どんだけなんだと叫び出したい気分になっても誰も俺を責めないと思う

 

憚りながらこの北郷一刀、確かに天の知識と言える未来の知識と、歴史や外史に関する知識は十二分に有しているし、それなりに智謀で渡り合う自信もありはする

 

しかし、しかしだよ!?

 

一気にこれだけ相手にしろとか、どんだけなんだよ!!

無茶にも程があるだろ、これ

 

いくら懿に皓ちゃん明ちゃん、子敬ちゃんや巨達ちゃんに伯達ちゃんがいたってさ、これはちょっと無茶振りだと俺は思うんだよ、うん

 

本来各個撃破しなきゃいけない連中だよね、これ?

 

なんとかかんとか曹操を辺境に追いやって時間稼ぎできたと思ったらこれだもんな…

 

苛々もしようというもんである

 

他にもいくつか気になる事が残ってはいるんだけど、当面これらの問題を抱えてしまった身としては、布団を股に挟んで悶絶するしかないというのが厳しいところだ

特に、劉備やら孫家に関しては、全員から笑顔で

『私達は忙しいのでお任せします』

と言われてしまって、ぐうの音もでなかったという事もある

 

いや、俺が一番暇になるようにやってきたんだから、なんていうか仕方ないんだけどね?

 

 

他にも理不尽と言える事はもうひとつあった

 

結局、孫権が俺の元に嫁ぐって話は“保留”となったらしく、恐ろしい事にいまだ消えてはいない

 

これは孫策がいうには

「まだ相手がいない以上は立候補する分にはいいのよね?」

という事で、こちらとしてはそれに明確に反論をする根拠がなかったというのがある

 

「なんなら側室でもこの際は構わないわよ?

 こっちの立場があがれば正室になるって話はよくある訳だし」

 

そうですか、そこで不満そうにしている妹の意見は無視ですか

 

いや、俺も男だしね?

そりゃあ可愛い子が嫁になってくれるとか、嬉しくないって言ったら嘘なんだけどね?

 

一緒にこられても準備があるから、と遅れて来てもらう事にはなったんだけど、真の理不尽は漢中に帰ったその日におきました

 

中世の魔女狩りとか異端審問ってこういう感じだったんでしょうか?

 

理屈も理論も既に通用しない世界ってやっぱりあるのね……

 

清貧を貫いて修行僧のような生活をしてなかったら、本当に拷問にかけられていたんじゃなかろうか

 

懿が笑顔でさあ、こんな事を言うんだよね

 

「我が君専用の訊問部屋を作りたいのですが」

 

とかさあ!!

 

みんな笑ってるだけで止めてくれないんだよ?

 

一晩全員から理不尽にもたっぷり絞られた俺は、どこかに建設中っぽくていやだなあ、と思いつつ、公祺さんの捨て台詞を聞きながら意識を失ったのです

 

「無自覚コマシ野郎の末路はこんなもんさね

 ま、これはゴットヴェイドォォォ!!でも治せないアンタの宿痾ってやつだ

 一生耐えるんだな」

 

うごふぅ………

 

本当に俺、ずっとこんな感じなのかなあ………

≪漢中鎮守府/司馬仲達視点≫

 

漢中に戻ってから最初にやったことは、とりあえず我が君を絞り上げる事でした

 

油断していると、どんどん周囲に女性が増えかねませんし、そうでなくても嫁候補がやってくるというだけで穏やかとはとても言えない状態です

 

これに関しては全員一致で、我が君に奥方など認められない、という方向で纏まっております

 

罷り間違って誰かを“奥方樣”などと呼ぶ日が来るなど、想像しただけでおぞましい事です

せめてそれが、漢中に集った方々ならまだ、まだしも耐えようもありますが…

 

 

 

いえ、嘘をつきました

 

多分私は発狂してしまいます

 

私を除いてもそれぞれに、自分を含めた誰かがそう呼ばれる状況は耐え難いものがあるのは確かでしょう

 

公祺殿あたりはまだ

「仲達ちゃんならまあ、しょうがないかねえ」

などと笑っておられますが、特定の女性がそのような位置にあるのは好ましい状況とは言えないでしょう

 

10年後なら別かも知れませんが…

 

 

閑話休題

 

そのような話はともかくとしまして、現在漢中を取り巻く状況は非常に微妙なものとなってきています

 

まず、一部とはいえ諸侯が漢中に興味を示しはじめ、期間の長短はともかく、私達の手法を学ぼうとしてきている、という事があります

武力という目に見える力と、それをささえる智と経済という力を示した以上、共に歩むにせよ敵とするにせよ、それらを知ろうとするのはむしろ必然でしょう

 

事実、一部の技術や手法に関して以外は、既に隠し通すのは不可能と言えます

導入が可能かは全く別の問題ですが、理として識る事を妨害できる段階は既に過ぎ去っている、というのは全くの事実です

 

もっともこれは当初から予定されていた事でもあります

 

武に関して隠し通すこともほぼ予定通りでありますし、民需、特に農林業に関してはこれ以上隠しても益はない、と判断できるからです

容易に真似はできないという確信が私達にある以上、後は勝手に知ってもらえばそれでよい、ともいえます

 

逆に軍事転用が容易な技術や知識に関しては、これからも細心の注意を払う必要はあるでしょう

 

この点に関しては忠英殿に大要をお任せするしかないところですが、一見大雑把に見えてもそこは武人でもある方なので、見極めに関しては心配する必要はないと思えます

 

孫家の面々に関しては、私達の統治の手法を学んでもらう事で遠回りではありますが後日の土壌を作っていただければとは考えていますが、恐らくは微妙でしょう

王政であっても富国のための技術や理論は導入が可能ですし、取捨選択は私達がするものではありませんので

 

ただし、そこは美周郎の見識に少しは期待してもいいだろう、と思えます

 

劉備と公孫瓚に関しては未知数ですが、先の会見での印象から、最終的には我が君に着いてきうるのではないか、という印象を受けました

我が君から聞いていた印象より芯が強く、自身の立場や理念に拘泥する型の人間に見えなかったというのがその理由です

もっとも、それだけに相容れない部分では決して譲らないでしょうが

 

 

私はそのように考えを纏めながら、腹癒せを兼ねた訊問でヘロヘロになっている我が君の元へと向かいます

 

「せ、せめてカツ丼を……」

 

「我が君、なにを寝ぼけていらっしゃるのですか?

 これから会議ですよ?」

 

なぜか部屋が真暗で我が君の顔の部分にだけ光が当たっていたような気もしましたが、多分私の錯覚でしょう

顔も窶れて無精髭が生えていた気がしなくもありませんが、身嗜みに関しては毎日しっかりと整えていただいていますので、やはり錯覚ですね

 

どうしてそのような錯覚をしたのでしょうか?

 

今度公祺殿にでも診ていただいた方がいいかも知れません

 

「あ…あう?

 えっと、もうそんな時間……?」

 

いささかやりすぎましたでしょうか

訊問のときのまま眠ってしまわれたようです

気絶かも知れませんが…

 

私は我が君に用意しておいた湯と手拭を手渡しながら、そっと後ろに回ります

 

本来は演技のはずなのですが、こうして我が君の車椅子を押すのにももう違和感を感じなくなりました

令明がいませんので、これも今は私だけの特権ともいえます

 

それに少なくはない嬉しさを覚えながら、私は我が君に話しかけます

 

「本日は皆の時間が押しておりますので、朝餉を摂りながらの会議となります」

 

「うん、ありがとう

 じゃあ、今日も一日頑張ろうか」

 

そうして変わらず私に向けられる我が君の笑顔

 

それが私にとっての一番のご褒美なのです

 

 

とはいえ、浸ってばかりもいられません

 

それを残念に思いながら、私は車椅子を押すことに致します


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
53
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択