No.265425

真・恋姫†無双~恋と共に~ #57

一郎太さん

という訳で本編です。
どぞ。

2011-08-08 21:35:40 投稿 / 全14ページ    総閲覧数:11428   閲覧ユーザー数:8121

 

 

#57

 

 

 

――――――徐州。

 

軍議の間に沈黙が落ちる。1日と経たずに戦を終わらせた袁紹軍が、無傷のまま徐州へ向けて進軍中との事だった。対する徐州治める劉備の軍は5000。その差は20倍である。いくら一騎当千の将が3人もいるとはいえ、その差が埋まるとは到底思えない。

 

「………案はいくつかあります」

 

その沈黙を破るように、諸葛亮は口を開く。もう1人の軍師は理解しているのだろう。鳳統以外の皆が言葉を発した少女に目を向ける。

 

「ひとつは降伏する事です。その降伏先として、まずは袁紹さん。幸い白蓮さんもいらっしゃいますし、我々の待遇が悪くなるという事はないでしょう。また、今後を考えた際に最大勢力のひとつに属することが出来ます」

 

隣の少女が言葉を続ける。

 

「ですが、大将は袁紹さんです。我々の予想外の行動をとる事だってあります。また彼女の性格を考えると、他の軍とあたる際に………その、連合の時のように振る舞う可能性も十分にあり得ます」

「なるほどな。数だけでは対応しきれないものもある」

 

趙雲が納得だというように頷く。

 

「次に、曹操さんに降る場合です。彼女の人材好きは皆さんも知っているとは思います。彼女の元であれば、我々も十二分にその力を発揮できるでしょう。ですが、曹操さんと桃香様の目指す先は異なります」

「彼女は覇道を目指す者。その為ならば戦に出る事に戸惑う事はありません。はっきり言ってしまえば、曹操軍に降った場合、桃香様の理想は諦めざるを得ないでしょう」

「………そうなるよね」

 

劉備も連合時に華琳と言葉を交わし、その人と為りを僅かながらにも知っているつもりだ。その僅かな部分からも、軍師たちの言葉が実感として感じ取れる。

 

「次に孫策さんです。いまだ袁術さんの客将という立場をとってはいますが、それも時間の問題でしょう。袁術軍と孫策軍が当たった場合、まず孫策さんが勝ちます。これは雛里ちゃんも同意見です」

「はい。ですが、孫家は才能ある者を採る曹操さんと違い、どちらかと言えば文武両道を重んじる気風があります。我々が動くとしても、遣りづらい部分は出て来るでしょう。何より、孫家はその武によって領地をまとめています。これもまた、桃香様とは相容れない部分があります」

「確かにあのお姉ちゃんは戦が好きそうだったのだ」

 

汜水関で出会った雪蓮を思い出し、張飛が呟く。

 

「次に袁術さん。先ほどは孫策さんが勝利すると言いましたが、我々が降った場合はそれを覆す事が出来ます。悪くとも五分五分………ですが、彼女もまた袁家の方です」

「つまりは袁紹と同様の事が考えられる、と」

 

関羽が呟き、諸葛亮も頷いた。

 

「最後に漢に降る場合です。董卓さんの善政は皆さんも知っているとは思いますが、それもこの禅譲の儀が終わるまでです。一度終わってしまえば、我々はおそらく先に述べたいずれかの将の下につくことになるでしょう」

 

鳳統が説明を終える。多くを語らずとも、すでに説明をしている為、口を挟む者はいない。再び沈黙が落ちると思われたが、趙雲が口を開いた。

 

「………ふむ、先に降伏した場合を説明したという事は、軍師様の本命は別のところにあるという事でよろしいかな?」

 

その言葉に、劉備、関羽そして張飛が顔を上げる。軍師の少女達も頷き、代表して諸葛亮が答えた。

 

「その通りです。ですから、私が提示するのは――――――」

 

少女の言葉に、今度こそ皆が沈黙した。

 

 

 

 

 

 

「公孫賛もやるわね」

 

細作からの報告書に目を通し、華琳は感心したように言う。

 

「はい。彼女もまた、ただのいち太守に収まる器ではなかったという事でしょう」

「えぇ、また袁紹もそれを読み取るだけの器があったようね」

 

稟がそれに追随し、荀彧は苦虫を噛み潰したように呟く。それを見た華琳は軽く笑う。

 

「麗羽だって腐っても名家よ?その辺りの機微が読み取れない筈がないわ。まぁ、彼の影響もあるでしょうけどね」

「あの男、ですか。確かに連合の際も袁紹の変わりようには驚きましたが………それにしても少々厄介ですね」

 

男嫌いの少女は、先ほどよりも苦い顔をする。

 

「そうですね。あの戦により、袁紹は幽州の精強な騎馬隊を手に入れました。また公孫賛も彼女の対応で、従わないという選択肢をとる事はないでしょう」

 

そう。報告によれば、袁紹は徐州に向けて進軍しているというが、それが終われば曹操軍へとその矛先を向けることは間違いない。それを理解する稟と荀彧は難しい顔をする。だが曹操だけは違っていた。

 

「いいえ。それでこそ我が覇道の障壁として相応しい。兵力の差を考えれば、十中八九劉備は負けるでしょう。降る先がどこかは分からないけれど、袁紹に降った場合を想定して対策を練りなさい」

 

覇王に相応しい表情でそう告げる。その凛々しい表情からは確かに、強敵の出現に心躍る様が見て取れた。

 

 

 

 

 

 

「………まずい事になりましたね」

 

恋が体調を崩した日から幾日かが過ぎた。彼女の体調は一向に改善の兆しを見せず、馬で移動するにしてもその距離はどうしても短くなる。何度か一刀が黒兎馬で先行して街へと向かいはしていたが、医者も薬になりそうなものも見つからない。そんな中、更なる異変が彼らを襲った。

 

「あぁ、恋に続いて香までとはな………」

 

そう、香の身体にも異変があったのだ。最初は疲れているのかと思ったが、そうではなかった。彼女もまた高熱に襲われ、馬に乗る事は出来ても走らせる事は無理なようだ。

これまでのように、1人を護衛に残して1人が先行するという事も出来なくなる。

 

「すみません…私まで………」

「喋らなくていいから。今はゆっくり休んでな」

 

敷布にくるまった香が申し訳なさそうに口を開くが、一刀はそれを優しく制する。罹ってしまった病気はどうしようもない。香も一言返事をすると、隣で眠る恋のように瞼を閉じた。

 

「こうなってくるとただの風邪なんかではありませんね」

「そうだな。恋の熱も下がらないし、香も心なしか熱が上がっているようだ」

「流行り病でしょうか?ですが、そのような報告は聞いてませんし」

「長安とはだいぶ離れているからな。報告が遅れたのかもしれない。あるいはそれほど大人数が罹っていないから報告にすら上がっていないのかもしれない」

 

ただ言葉だけが流れる。流石の一刀でも、医療に関しては門外漢だ。効果的な熱への対処は出来ても、治癒について出来る事はない。

 

「………風はもう休め。風まで病気に罹ったら元も子もないからな」

「はい…」

 

いつもは冗談を言う風も、今ばかりはそれをしない。地面に敷いていた敷布をまとい、一刀の隣で丸くなる。

 

「………どうしたものか」

 

布の隙間から見える金髪を指で優しく梳きながら、一刀はひとり呟く。ただ、己の無力さが悔しかった。

 

 

 

 

 

 

袁紹と公孫賛の報告を受けた数日後、華琳はいつものように政務をこなしていた。併合した領地の内政はほぼまとまりつつある。彼女の向かい側にある卓では稟と荀彧が何やら話し合っている。どうやら袁紹軍に対する策を考えているようだ。

華琳が竹簡をまとめ、筆を置いた時、執務室の扉が開いた。

 

「華琳様、よろしいでしょうか」

 

秋蘭だった。いつも冷静沈着な彼女の表情が、さらに真面目なものとなっている。それに気づいたのか、華琳も真面目な表情で彼女を招き入れた。

 

「劉備からの使者がやって参りました」

「劉備?うちに降ろうとでも言うのかしら?」

 

真っ先に思い当たった事を口にする。しかし、秋蘭は首を横に振った。

 

「どうやら違うようです。どうしても華琳様に御目通りを願いたいと言っているので、今は待たせておりますが………如何致しますか?」

 

その様子に違和感を感じ取ったのか、華琳は立ち上がった。

 

「すぐに会いに行くわ。桂花、稟、貴女達も来なさい」

 

秋蘭を先に案内へと向かわせ、華琳も軍師の2人を連れて玉座の間へと向かった。

 

 

玉座の間には、既に春蘭はじめ曹操軍の重鎮が集まっていた。彼女らは2つの列を作り、出来上がった道の端には1人の女性がいる。華琳は玉座に着くと、いつものように不敵な笑顔で口を開いた。

 

「驚いたわ。まさか貴女とはね」

「お言葉とは違ってまったく驚いたようには見えませぬが?」

 

応えるは、袖の端に羽根が描かれた白い衣装に身を包んだ女性。後頭部から一筋長く伸びた青い髪は、彼女の動きに合わせてかすかに揺れている。

 

「それでどういった要件なのかしら、趙雲?」

 

劉備軍で将軍職を務める、趙子龍その人であった。

 

「そちらでも既に掴んでいるとは思いますが、公孫賛を降した袁紹軍が現在南下中です。進軍方向から推測するに、おそらく目的は徐州でしょう」

「えぇ、その事はうちでも報告に上がっているわ。それがどうしたのかしら?」

 

趙雲の言葉に、華琳は何でもない事のように応える。いや、実際そう思っているのかもしれない。刃向う敵がいるのならば、討ち倒すだけだと。

 

「それで、劉備が私に降るとでもいうのかしら。まさかそのような事はしないでしょう?」

「おやおや、やはり曹操殿はお見通しでしたか」

 

一段高い位置から見下ろす少女の言葉に、趙雲は笑いながら返す。華琳もまたこの会話がただの前振りに過ぎない事は理解している。趙雲に、本題に入るように視線で促した。趙雲もまた表情を真面目なものに戻して口を開く。

 

「単刀直入に申し上げます。劉備軍の領内通過を許可して頂きたい」

「なっ、そのような事を許可できるわけがなかろう!」

 

真っ先に反応したのは、春蘭だった。彼女の言う事ももっともだ。いくら交戦の意志がないと主張しようとも、軍が他国の領内を動く事は周囲の邑々に動揺を与える。さらに言葉を重ねようとする春蘭を、華琳は制した。

 

「静かになさい、春蘭。………帝の勅も出ているのよ?我が軍が劉備軍を討つとは思わないのかしら?」

「確かにいまの状況でしたらそれもまたひとつの道でしょう。しかし、貴殿はそのような手は打ちますまい」

「へぇ?」

 

何でもお見通しだと言うような口調と視線に、華琳の口角がわずかに上がる。そしてその身から覇気が漏れ出る。しかし趙雲はそれを艶やかな笑みで受け流すと、説明を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「私が提示するのは、徐州を出る事です」

 

諸葛亮の言葉に一同茫然とする。その言葉を理解できないようだ。だが、いち早く気を持ち直した関羽が食ってかかった。

 

「それは桃香様に民を捨てろと言っているのか?」

「………」

 

諸葛亮は応えない。いや、応えられないと言った方が正しいだろう。そしてそれは、そのまま肯定となる。

 

「そんな事出来る訳がなかろう!これまで桃香様についてきてくれた民を見捨てるなどと!」

「………では、どうなさいますか?」

 

さらに畳み掛ける関羽に、諸葛亮は苦々しげな表情で返す。

 

「負けるとわかっている戦に出ますか?それとも最初から降伏しますか?」

「それは………」

 

しかし少女の言葉に、関羽は口籠る。先の説明を受け、それはないと自分自身でも考えていたからだ。少女はその言葉の矛先を変える。

 

「桃香様、ご決断ください。負け戦に出て兵を失うか、兵の為に降伏するか………………あるいは、その理想の為に苦汁を舐めながらも生き永らえるか」

 

冷たい言葉と共に、少女の顔に悔念が浮かぶ。彼女自身も、己たちの無力を嘆いていた。再び場に沈黙が落ち、皆が主を見つめる。そしてその視線を受け、彼女は口を開いた。

 

「………決めたよ。今のままだと、どうやっても私達は勝てない。でも、理想を捨てる事なんて出来ない。私は朱里ちゃんと雛里ちゃんの案でいいと思う」

 

彼女は悲しげな、それでいて確固たる意志を携えた瞳で決断した。

 

 

「………桃香様がお決めになった事ならば、私は従うまでです」

 

関羽も義姉の言葉で諦めたのだろう。その口から肯定の言葉が流れる。が、すぐに表情を将軍のそれに戻し、軍師に向き直った。

 

「それで、徐州を出るとして我々はどこに向かう?」

「はい。それなのですが、荊州を私達は推します」

「荊州?確か劉表さんが治めているんだっけ?」

 

諸葛亮の言葉に、劉備が問いかける。反董卓連合時に出会った、同じ姓を持つ老人の事を思い出した。背丈が高い割に、好々爺という表現が似合う男だったと記憶している。

 

「そうです。桃香様にはお伝えしていませんでしたが、実は、かねてより劉表さんより打診があったんです。桃香様に、荊州に来て欲しいと」

「え…」

 

劉備は驚きを露わにする。無理もない。そのような話など初耳だったからだ。

 

「お伝えしなかった事は謝罪いたします。ですがその頃は徐州牧に任命されたばかりでしたし、余計な悩みを持たない方がいいと内緒にしていたんです………」

「あ、あの、気にしなくていいよ。私の事を考えてくれたんだもんね」

 

鳳統が申し訳なさそうに告げると、劉備は慌てて言葉を返す。実際にそれを伝えらえ、また申し出を受けたとしても、朝廷からの命に背く事となり、彼女の立場を悪くしてしまう事は想像に難くない。

 

「でも、なんで劉表さんが………?」

「はい、彼からの書簡にもありましたが、理由は後継者にあります。彼曰く、彼のお子さん達は後継者としては相応しくない、治政を任せるには不安が残ると。そして、同じ劉姓である桃香様に目をつけたのだと思います。実際、義勇軍時代の桃香様の噂は荊州にも届いていたようで、出来る事ならば荊州を任せたいと」

「なるほど、それで荊州か………」

 

納得だと関羽は頷いた。

 

「ですが問題も勿論あります。間者からの報告によりますと、劉表さんは現在病で床に臥せっており、後継者争いで内側は落ち着かないそうです。ですが、我々が荊州に入ったとして、彼らがそれを善しとする筈がありません。必ずや抵抗があるでしょう」

「それに加えて、我々が行軍する際の問題もあります。袁紹さんの軍も近づいており、時間はあまり残されていません。荊州へ向かう際の最短経路を考えた場合、どうしても曹操さんの領地を通る事となります」

 

諸葛亮の説明に、鳳統がさらに言葉を重ねる。

 

「ですから、荊州へ渡る以前の問題として、曹操さんからその許可を得る事が必要となるのです」

 

 

 

 

 

 

 

「あらあら、劉備も思い切った事をするわね。それで?それと私が劉備を討たない事と何の関係があるのかしら?」

 

華琳は相変わらず覇気を露わにしながら問いかける。

 

「はい。我が軍が徐州を出るとなれば、袁紹軍は徐州を難なく手に入れ、そのままこちらへと向かうでしょう。10万という大軍ですが、袁紹は幽州を手に入れました。その騎馬隊を上手く使えば、その分の糧食を手に入れる事も難しくはない………まぁ、このくらいはそちらの軍師殿も御承知とは思うが」

 

趙雲が意味ありげに稟に視線を向ける。稟も彼女の性格を理解しているのだろう。眼鏡のつるを抑えながら言葉を返す。

 

「そうですね。幽州に加えて徐州を無傷で手に入れ、糧食の心配もないとなれば此方に攻め入る事も十分に考えられます」

「軍師殿のお墨付きも頂いた所で話を続けます。こちらの掴んでいる情報では、現在曹操軍の兵はおおよそ8万。籠城を考慮したとして、最低でも3万。余裕を以って迎えるならば5万はすぐにでも動かさなければならないでしょう。それに加えて将も、そうですな………夏侯淵殿に典韋殿、楽進殿に李典殿を連れ、軍師として荀彧殿か郭嘉殿を送るくらいはしそうですな。まぁ、これはうちの軍師の所見ですので実際にどうするかはわかりませんが」

 

軍師の言葉を思い出しながら、趙雲は説明する。スラスラと出てくる言葉に、荀彧も稟も内心驚愕する。兵の数を知られている事は間者という存在を考えれば仕方がないとはいえ、実際に袁紹軍を迎え撃つ事を考えた時、ほぼ同じ布陣を挙げるからである。

そして何より2人を驚かせたのは、そこに真桜を加えた事だ。趙雲が言葉に出していないから反応するつもりはないが、袁紹軍の大軍とあたる際、真桜の兵器が要と言っても過言ではない。

 

そこまで知られているのか――――――。

 

2人は内心舌打ちをする。

 

「………まぁ、当たらずとも遠からずといったところでしょうか。それは置いておくとして。実際に曹操殿が我らを討つとして、その数はいまの計算で言えば3万。対する我らは、隠すつもりもございませぬが5000です。その差は歴然ですが、某含めて関羽も張飛も主の為に死兵となる事に依存はない。さすれば、夏候惇殿と張遼殿を失うくらいは覚悟して頂く事になりますな」

「貴様、我らを愚弄する気かっ!?」

「あんま舐めた事抜かすと、今ここで首を刎ねたるで!」

「そう怒りめさるな。これはあくまで我らが軍師の意見です。どうなるかなど、実際に武器を交えるまではわかりようもござらん」

「趙雲の言う通りよ。2人とも気持ちはわかるけれど、落ち着きなさい」

 

趙雲の言葉に激昂する春蘭と霞だったが、華琳に宥められ、その矛を収める。

 

「本当に戦ったとして、相討ちくらいにはもっていけそうですが、まぁ、今はよいでしょう………如何かな、曹操殿。貴殿が我らを討たない理由としては妥当だとは思いますが?」

 

春蘭と霞、そして姉を貶められた秋蘭の殺気が場を支配する。それでいて表情ひとつ変えない趙雲は、やはり強者と言えるだろう。季衣や凪たち、軍師が固まるなか、曹操はひとつ息を吐くと口を開いた。

 

「確かに貴女の言う通りね………いいでしょう。劉備軍の領内の通行を許可するわ」

「感謝いたします」

 

その言葉に、趙雲は膝をついて礼節を示す。春蘭と霞は納得のいかない表情をしていたが、主が決めた事だ。異を唱えるつもりもない。だが、次の言葉で場の雰囲気は再び変わる。

 

「で、その対価として其方は何を提示してくれるのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

「それで、誰がその許可を貰いに行くかですが――――――」

「わかった。私が行こう」

 

諸葛亮の言葉を遮り、関羽が自薦する。

「いえ、愛紗さんは桃香様の傍についていてもらいます」

「何故だ!こちらも相応の誠意を見せなければならないのは朱里だってわかっているだろう。それとも鈴々に向かわせるつもりか?」

「えぇと、その………」

 

関羽の剣幕に、少女は縮こまってしまう。確かにこれだけの大事だ。劉備も誠意を示さなければならない。その為に、彼女と一番長く付き合ってきた家臣が向かうというのは理に適っている。だが、なおも捲し立てようとする関羽を止めたのは、諸葛亮でも劉備でもなく、趙雲だった。

 

「そこだぞ、愛紗」

「………星?」

「確かに愛紗の意見は正しい。だが、愛紗はどうにも熱くなり過ぎなところがある」

「そんな事―――」

「ないと言えるか?現にこうしてお主は冷静さを失っているではないか………少なくとも、軍師の言葉を遮るくらいにはな」

「くっ……」

「それにお主は生真面目過ぎる。朱里や雛里が案を出してくれればその通りに動く事は出来る事は間違いないが、予想外の事態に対して咄嗟の判断で的確に対応できるか?戦はともかく、な」

 

言葉を返さない関羽を見て、趙雲は諸葛亮と鳳統に向き直る。

 

「という訳で、ここは某が適任であろう?」

「………はい。私達も、星さんにお願いするつもりでした」

 

魔女帽子を押さえながら、鳳統が頷いた。

 

「という訳だ、愛紗。お主には桃香様を守るという仕事があるだろう。それともその大役を私に譲ってくれるというのならば、話は別だがな」

「………………」

「ふむ、愛紗も納得という事で、私がその任を引き受けるとしよう」

 

こうして、星が先行して華琳との交渉へと向かう事となった。

 

 

「で、その対価としてそちらは何を提示してくれるのかしら?」

「(………やはり私が来て正解だったか)」

 

華琳の言葉に、趙雲は内心苦笑する。これまでは軍師の脚本通りであり、多少の違いはあれど、関羽であってもそれは難なくこなせるだろう。だが、この発言は違う。何かしらを要求してくる事は諸葛亮も鳳統も予想済みだったが、それは読めなかった。実際問題として、着の身着のまま移動をする劉備軍から提示できるものなど限られている。だからこそ、趙雲はこの城に来るまでの間考えていた案を提示した。

 

「その事に関してですが………袁紹軍を退けるまでの間、この趙子龍が力を貸すという事で如何ですかな?」

「こちらがそれを必要としていないとは思わないのかしら?」

 

ここからはすべて趙雲のアドリブだ。

 

「確かに曹操殿の精強な軍であれば袁紹軍を追い払う事は可能でしょう。ですが、彼の軍はいまだその全勢力を注いでいる訳ではありません。曹操殿が敵を退ければ、一度本拠に戻り体勢を立て直そうとする事は想像に難くない。二度目の会戦の為にも、此度の戦で兵力を損なう事はしたくないものと愚考いたす。その手伝いとして、某が協力を申し出ているのですよ」

「言うわね。でも、貴女の武の程は連合の際にも知っているし、今度の戦で力を貸したとして、私が貴女を欲しないと思う?」

「曹操殿の性格を考えれば、自身に忠誠を誓わないものなど要さぬと思いますが………そうですな。もしそうしたいと仰るのならば、仕えたいと思わせる程の器を示されればよろしいかと」

 

その言葉に、華琳は僅かに固まる。奇しくもそれは、かつてとある男が発したものと同じ言葉だった。また同様に、秋蘭や稟、荀彧も表情を僅かに変える。

 

「ふふふっ……あはははは!いいわ!そこまで言うのならば、此度の戦、十分にその力を発揮してちょうだい」

「仰せのままに」

 

しばしの沈黙の後、華琳は笑い出す。そして、趙雲の提案を受け入れる。

 

 

 

 

 

 

 

――――――荒野。

 

一刀たちは相変わらずゆっくりと馬を歩かせていた。恋と香はなんとか馬上を維持しながらも、辛そうにしている。その姿を見て申し訳なく思いながら、一刀は風に問いかけた。

 

「現在どの辺りだ?」

「そですねー、おそらく予州に入ってしばらく過ぎたあたりでしょうか」

「そんなところまで来てしまったか………だいぶ逸れてしまったな」

 

普段とは違い、確証を持たない風の返答に一刀は仕方ないと頷く。無理もない。近隣の街へと向かう途中で賊に襲われてしまったからだ。恋か香のどちらかが健在であれば難なく対応できたそれも、一刀と風の状況では難しかった。2人に無理をさせると承知しつつも馬を走らせ、殿で一刀が少しずつ賊を削る。そうしているうちに、当初の行路とは離れた土地へと逃れたのだ。

 

「ですが、これも運のうちと考えましょう。幸いここは華琳さんの領地です。うまくあの人に連絡をつける事が出来れば、腕のいい医者を送って貰えるかもしれません。それが無理でも、街に行けば医者がいるかもしれませんし」

「そうだな。それだけが唯一の救いか………」

 

そんな会話をしながら馬を進ませる。と、風があるものに気がついた。

 

「………おにーさん、あれが見えますか?」

「あれ?賊…いや、規模から見て行軍中なのだろう」

 

そして、彼らは見つけた。はるか地平線の先に蠢く、黒い集団を。

 

 

「………街の皆には悪い事しちゃったね」

「ですが、最後には納得して貰えました」

「うん…」

 

馬上で劉備が誰にともなしに口を開く。傍で同じく馬に揺られていた諸葛亮が返す言葉に、劉備は困ったような顔で頷いた。

趙雲が単騎曹操の城へと向かったすぐ後に、彼女たちは行動を起こしていた。関羽や張飛、鳳統は軍の編成へと動き、劉備と諸葛亮は、街の代表へと話をしようと向かった。

劉備は伝える。袁紹軍が徐州に向けて進軍している事、いまの自分たちでは勝てない事、そして徐州を出る決断をした事。

街の人間はそれを責める事はしなかった。彼らもまた、彼女たちの善政によって暮らしを豊かにされた者たちだった。しかし、そこで予想外の事態が起きる。街の人間も、ついていきたいと願い出たのだ。

 

「嬉しかったけど…でも、やっぱり私って弱いなって思っちゃった………ホント、弱いよね………………」

「桃香様…」

 

それを、彼女は断った。曹操が許可を出すかわからなかったし、もし彼女が軍を動かせば、少なからず民にも被害が出てしまうかもしれない。いくら民の略奪等が禁止されているとはいえ、戦は何が起きるかわからないのだ。また、訓練をしている兵とは違い、街の人間を連れていくとなれば旅の時間も長くなる。そのような危険に、彼らを晒すことは出来ないと、桃香は何度も頭を下げ、謝罪を繰り返しながら伝えた。それを見て、街の人間も諦める事を決断したのだ。

 

「…っく、えぐ………うぅぅ………………」

 

己の弱さを噛み締め、涙を流す彼女にかける言葉を軍師の少女は持たない。強くならなければならないのだ。理想を現実とする為には、相応の力を持たなければならない。だが、今の彼女たちは弱い。そんな少女達に追い打ちをかけるように、1人の兵が駆け寄ってくる。

 

「申し上げます!袁紹軍と思わしき騎馬隊が、こちらへと向かってきております!その数、およそ5000!」

 

周囲に放っていた細作からの報告だった。

 

 

 

 

 

 

 

一刀達の視界には2つの大群が映っていた。近い方は、歩兵が主となる兵達。はるか遠くに見えるは、騎馬の群れ。速度から判断するに、すべて騎兵のようだった。

 

「………風」

「はい、あれは袁紹さんの軍でしょうね。幽州を降した流れで徐州を落としにかかったものと思われます。詠ちゃんに聞いた話だと、劉備軍は約5000です。袁紹さんだってその情報は掴んでいるでしょう。数で見れば、あれだけで十分に落とす事は可能でしょう」

「では、もう一つの軍はどう見る?」

「華琳さんの軍にしては少し動きがなっていないように思えます。それに、稟ちゃんや桂花ちゃんが領内への侵攻をこうも簡単に許すはずがありません。ただ…ひとつ思うところがあるのですが………」

「なんだ?」

 

風が何事かを考え、口籠る。彼女の頭の中では様々な事態が想定されていた。兌州のどこかの軍…それはない。先の討伐で、すべての街がいずれかの勢力に併合されている筈だ。曹操軍………それもない。先も口にした通り、華琳であれば何かしらの手を打つに決まっている。となると、残るは――――――。

 

「………劉備さん、ではないでしょうか」

「劉備だと?」

「はい。風たちよりも徐州の方が情報を得るのが早いのは当然です。ならば、公孫賛さんを降した袁紹さんが徐州に向かっている事も掴んでいるでしょう。兌州にはすでに敵はいない。となれば、華琳さんか劉備さんを討ちにいくはずです」

「華琳ではないと?」

「そうです。もし曹操軍とあたるならば、あれだけの数で領内に侵攻する筈がありません。となると、劉備軍……ここは華琳さんの領内ですが、劉備さんが徐州を捨てたとしたら………」

「それに気づいた袁紹が追ってを出した、そういう事か」

「はい。その可能性が最も高いです」

 

風の言葉に、一刀は考え込む。このまま進めば遅かれ早かれ戦に巻き込まれてしまう。将軍は自分たちを知っているだろうが、兵までそうだとは限らない。そうなれば、恋と香に危険が迫る。どうする?さらに思考を巡らせようとする一刀の耳に、風の慌てたような声が届いた。

 

「おにーさんっ、恋ちゃんが」

「恋っ!?」

 

見れば、先ほどまではなんとか手綱を握って姿勢を保っていた恋が、とうとう馬の背にうつ伏せに倒れてしまっていた。香はまだ何とかもっているが、恋との体力差を考えた場合、彼女もすぐに倒れてしまうかもしれない。何より、4人中2人が病に臥せるとなれば、感染性の病の疑いすら出てくる。もし悪い予想が当たってしまえば、急いで医者に見せなければならない。

 

「おにーさん……」

 

風が心配そうに見上げてくる。香も視線が定まっておらず、恋の表情は垂れた髪に遮られて見えない。

 

「(どうすればいい……どうすればっ………………)」

 

そして一刀は、決断した。

 

 

 

 

 

 

 

「報告します!」

 

歩兵の割合が多い劉備軍では、袁紹軍に追いつかれるのも時間の問題だ。ならば、たとえ同数の騎兵が相手でも迎え撃たなければならない。体勢を整えようと指示を出す諸葛亮のもとに、先ほどとは別の兵が走り寄る。

 

「どうしました?」

「劉備様に謁見したいと申す者がおられます」

「この忙しい時に………今はそのような時ではないとお伝えください」

 

普段の少女からは想像できないような表情をして拒否の意を伝えるが、兵は下がらない。

 

「それが、その………」

「なんですか?」

「………その者は、自身を『天の御遣い』だと申しておりまして」

「えぇっ!?」

 

兵の口から出た言葉に、諸葛亮は火急の事態にも関わらず、動きを止めた。

 

 

「どうしたの、朱里ちゃん!?」

「急いでください!」

「急いでるけど、どうしたのよ!?」

 

諸葛亮は、鳳統と指揮していた劉備を連れ、走っていた。手を引かれながら抗議の声を上げる主に、少女はなおも走りながら伝える。

 

「『天の御遣い』様が桃香様にお会いしたいと言っています」

「へ?………えぇぇっ、御遣い様!?」

「はい。兵から聞いた服装からも、おそらく本人だと思われます」

「そんな……どうして御遣い様が?」

「それをこれから確かめに行くんです!」

 

兵に先導させ、2人は走る。目指すは行軍の最後尾。いや、迎撃の前曲だ。

 

 

はたしてそこには、かつて汜水関、虎牢関そして洛陽で出会った1人の男と初見の少女がいた。

 

「ほ、本当に御遣い様だ!?」

「はわわわ……」

「大変な時にすまない。だが、こちらも緊急の事態なんだ」

 

劉備の姿を認めた一刀は、挨拶もそこそこに本題を切り出す。

 

「劉備たちの状況はわかっている。徐州を出た事、曹操の領地を通ろうとしている事、袁紹軍に追われている事………」

「何故それを……」

「単なる消去法ですよ、諸葛亮ちゃん」

 

驚きを露わにする少女に、風が話しかけた。

 

「貴女は……?」

「お初にお目にかかります。おにーさんの軍師をしております程昱と申します。とまぁ、自己紹介は程々にして………諸葛亮ちゃん、交換条件といきませんか?」

「交換条件、ですか?」

「はい。背後に迫っている袁紹さんの追撃隊を足止めしてあげます」

「えぇ!?」

「その代わりに、そちらの軍にいる医療に携わる方のお力を貸して頂きたいのです」

「医療…医者ですか?」

「はい。こちらにいる病人を診て貰いたいのです」

 

そう言われて、初めて劉備と諸葛亮は一刀達の背後の馬に乗る少女に気づく。1人は馬に背負われ、もう1人は手綱を握ってはいるものの、その眼は虚ろだ。

 

「………ですが、袁紹軍は勅令に反したという訳ではありません。『天の御遣い』様が加勢するのは問題ないのですか?」

「先ほども申し上げた通り、足止めです。曹操さんの援軍が来るまでは、おにーさん1人になんとか頑張って貰います」

 

その言葉で諸葛亮は納得する。目の前の少女もまた、己と同じ智の才を持つものだと。状況だけで劉備軍が打ち出した策を察したのだ。

 

「えと、その…どうしよう、朱里ちゃん?」

「………受けさせて貰いましょう、桃香様」

「流石諸葛亮ちゃんです。話が早くて助かりますねー」

 

申し出を受諾した少女に、風もまたその頭の回転の速さに感心した。

 

 

 

 

 

 

劉備が呼ばせた医療兵に恋と香を見せる。医者はしばらく2人を観察していたが、振り返ると重い溜息を吐いた。

 

「どですかー?」

「少々厄介ですな。北の地特有の病に罹っておられます。確か薬を持ってきていたと思いますが、ただ………」

「ただ?」

 

口籠る医者に、一刀は問いかける。

 

「その…診るのが少しばかり遅すぎた可能性もあります。熱が出てすぐならば薬で楽に治療できましたが、これほど日にちが経ちますと、治るかどうかは五分五分でしょう」

 

彼は申し訳なさそうに説明すると、兎にも角にも薬を取りに行くと背を向けた。

 

「御遣い様…」

 

説明を聞いて黙り込む一刀に、劉備が心配そうに声をかけた。

 

「………あぁ、すまない。それじゃぁ、2人の事を頼んでもいいか?」

「はい、お任せください。御遣い様も気をつけて………」

 

彼女の言葉に頷くと、一刀は上着のボタンに手を掛ける。それを一つずつ外していき袖から腕を抜いた。

 

「恋…ちょっとだけ離れるけど、頑張れよ」

 

それを香と一緒に荷車に寝かせられた恋の身体にかける。一度頭を撫でてやると、少しだけ動いた気がした。風はその光景を眺めながら、ふと自分と同様に彼に視線を向けている少女に気がついた。

 

「どうかなさいましたか、劉備さん?」

「えと、あの服って天の国の服だけどいいのかな、って」

「確かにこの大陸にはありませんね。………今回のおにーさんは『天の御遣い』として動くわけではありません。むしろ、それを知られてはいけないのですよ」

「そっか、だから置いていくんだね」

「そです」

 

納得したと頷く劉備と会話を続ける風に、一刀が向き直った。

 

「それじゃ、風も2人の事を頼むぞ」

「何を言っているのですか、おにーさん?」

「え…」

「風とおにーさんは一心同体です。風がおにーさんから離れる訳がないではありませんか」

「そうは言うが――――――」

 

風の提案に反論しようとする一刀の言葉を遮って、風は告げる。

 

「それに、疲れて眠ってしまったおにーさんを起こしてあげる役が必要なのでは?」

「………バレてたか」

 

その言葉に、一刀は苦笑する。風には勝てないな。心のなかでそっと呟く。

 

「風はおにーさんの頭脳なのです。おにーさんはただその武を振るっていればいいのですよ」

「やっぱり風には勝てないよ」

 

否、実際に口に出す。

 

「わかった。それじゃ頼むぞ」

「御意ー」

 

一刀は風の身体を抱き上げると、黒兎に乗せる。自身も飛び乗ろうとして、何事かを思い出したかのように動きを止め、彼らの様子を見ていた少女に声を掛けた。

 

「諸葛亮…もうひとつだけ、頼まれてくれないか?」

 

 

恋たちを連れて去っていく劉備軍を眺めながら、一刀は口を開いた。

 

「本当によかったのか?下手をすれば死ぬかもしれないんだぞ?」

「だから言ったのです。風とおにーさんは一心同体、死ぬ時は一緒です」

「そうだな」

 

馬の前に座る風の頭を撫でる一刀の顔には、布が巻かれている。頭髪すらも見えず、ただ右眼だけが覗いていた。

 

「それにしても、その恰好も久しぶりですね」

「少しでもバレる可能性を低くしないといけないからな。それより、本当に大丈夫か?」

「まだ言うのですか?」

「そっちじゃないさ」

「………わかってます。風がおにーさんの眼になり、頭脳となります。おにーさんはただ、風の指示に従って動いていればいいのです」

 

先ほどまでとは打って変わり、風の声音も真面目なものとなる。一刀の問いに応えた風は目の前にたなびく漆黒のたてがみを撫でた。

 

「まぁ、一番大変なのは黒兎馬ちゃんですけどねー」

 

撫でられた馬はといえば、任せろと言わんばかりに一声嘶きを上げた。

 

「華琳の軍が来るまで最短でどのくらいだ?」

「………おそらく1刻半程かと」

「わかった………俺もそのくらいが限界だろうな」

「おにーさん……」

 

不安そうに応える風に返事をする事なく、一刀は黒兎馬を走らせる。顔を覆う布の下の肌は、熱を帯びていた。

 

 

 

 

 

 

突如現れたそれは、数千もの騎馬隊に畏れる事無く突撃した。数千、数万の馬蹄を響かせながら進軍する騎馬隊に、別の音が響き渡る。兵たちの怒号、馬のいななき金属どうしがぶつかる音―――

 

「敵左翼が方向を変えました。右へ向かってくださいっ」

 

そんななか、場違いと思える程の高い声が鳴る。ただそれも周囲の騒音に遮られて誰かの耳に留まる事なく流れていく。少女の言葉を受けた漆黒の巨馬は馬首を右に傾け、かけていく。その背に乗るは戦場に似つかわしくない少女。その背後には覆面をした男が跨っていた。両手には敵から奪った槍を構えている。

 

「黒兎馬ちゃん、敵騎の鼻先を掠めるように駆け抜ける事はできますか」

「ぶるるっ」

 

その首にしがみつきながら、風は馬に声をかける。黒兎も承知したと熱く息を吐き出し、脚を加速させた。

 

「おにーさん、騎馬隊の先頭を掠めますよ」

「わかった」

 

一刀の返事と同時に黒兎馬は敵左翼へとあたり、一刀は左腕を振るって袁紹軍の兵が持つ武器を弾いていく。いくら『天の御遣い』という立場を隠すとはいえ、それでも殺す事はできない。ただでさえ義妹の意志に反する事を行なっているのだ。これ以上の事をするつもりはない。

 

「(………ごめんな、空)」

 

想いを馳せるは、遙か西の地にいる少女の事。その決意を穢している自分を恨みながらも、一刀は得物を振り回す。次々と先頭の騎兵が槍や剣を落とし、隊列から外れていく。

 

「黒兎馬ちゃん、敵の右側に回り込んでください。横から入り込み、内側に混乱を引き起こします」

 

巨馬は黒い風となって駆けていく。

 

 

「それにしても趙雲もたいしたタマやな。孟ちゃんの前であんな飄々と出来るのは一刀くらいなもんやで」

「そうだな。あの言葉には腹が立ったが、我らを前にしてそれを口にしたと考えれば、お前の胆力も相当のものだという事がわかるな」

「あれはうちの軍師の言葉だと言っておろうが。ま、認めて貰えたようで何よりですな」

 

荒野を走る2000の騎馬隊。その先頭を進むのは、曹操軍から選出された春蘭と霞、そして劉備軍より参加している趙雲だった。秋蘭や凪たちは先の趙雲の言葉の通りに袁紹軍とあたる為に別方向へと移動している。では、何故彼らは別行動をとっているのか。それは1刻前の報告にあった。

 

「それにしても騎馬の追撃隊が出ていたとはな」

 

その報告を思い出し、春蘭が呟く。

 

「確かにな。袁紹の性格を考えたら逃げ出す軍なんか放ってきそうやのに」

 

秋蘭たちと共に進軍していた彼女たちに、細作からの報告があったのだ。曰く、領内を駆ける劉備軍と、それを追う袁紹軍の騎馬隊を発見した、と。それを受け、曹操軍のなかでも騎馬を得意とする霞、春蘭そして趙雲の3人が騎馬隊を引き連れ迎撃へと向かっていた。

 

「袁紹も曹操殿の知る彼女ではなくなったというだけの話ですよ………っと、細作が戻ってきたようですな」

 

趙雲の言葉に、2人も前を向く。視線の先には放っていた細作が馬に乗ってやってくるところだった。彼は騎馬隊に向かう途中で軌道を逸らして反転すると、春蘭に並ぶ。

 

「何かわかったか」

「はっ!袁紹軍とそれを相手取る騎馬を1騎発見致しました」

「1騎?………まさか愛紗か鈴々が?」

 

単騎で5000の騎馬を相手にするなど、自殺行為に等しい。自軍のなかでそれをしそうな人物を思い出し、趙雲はわずかに驚く。

 

「1騎で殿を務めるとは、なかなか骨のある奴ではないか!関羽か?それとも張飛か?」

「いえ、その……遠目に見たものですのではっきりとは分からなかったのですが、私の勘違いでなければ、あれは――――――」

 

細作の返事を聞き、3人は固まる。

 

「………んなアホな事があるかいっ!なんでアイツがおんねん!?」

 

霞が疑問を呈する。だがその返事よりも早く、春蘭が飛び出した。

 

「春蘭!?」

「私は先に行くぞ!霞と趙雲は騎馬隊を連れて来いっ!!」

「アホか!アンタかて単騎で突っ込んでどうすんねん!?………あぁ、もうっ!趙雲、任せたで!」

「張遼殿!?」

 

そして霞も、春蘭を追って飛び出した。あっという間に小さくなる背を見ながら趙雲は溜息を吐くと、背後に向かって声を張り上げた。

 

「間もなく接敵する!夏候惇将軍、張遼将軍に遅れをとるな!」

「「「「「応っ!!!」」」」」

 

趙雲もまた、馬の速度を上げる。その背に数千の騎馬を引き連れて。

 

 

 

 

 

 

 

どれほど槍を振るっただろうか。いや、どれほどの槍を遣い潰しただろうか。いくら袁紹軍の頑丈な槍とはいえ、一兵のものだ。数十、数百と振れば折れてしまう。その都度敵兵から武器を奪って奮闘していた一刀だったが、敵の数は一向に減らない。当然だ。敵を殺す事はおろか、傷つける事すらしていないのだ。

幾度となく敵軍に突入し、離脱し、また突入し………激しい動きを繰り返していた一刀だったが、ついに限界が来た。

 

「くっ……」

「おにーさんっ?」

 

背後でふらついた動きを察した風が、後ろを振り返る。そして見てしまった。先ほどまで一緒にいた恋や香と同じように、否、それ以上に濁った眼を。どこに焦点を向けているのかすらも定かではない。それでも彼は槍を振るい続けている。

彼の状態を察した風は、慌てて黒兎に向き直った。

 

「黒兎馬ちゃん、全速力で離脱してください」

「ぶるっ!」

 

応える馬の息も荒い。風は再び驚く。これ程までに黒兎馬が消耗したことなど見たことがなかった。だが、すぐにその理由に思い至る。いくら名馬といえど、5000の騎馬に突っ込む事は相当の重圧を与えるものだ。体力的にも精神的にも。人馬共に限界が訪れたのかもしれない。風の背を嫌な汗が伝う。

 

「おにーさん、しっかりしてください!」

「うぅ……くそっ……………」

「おにーさん!」

 

風が声を荒げる。聞こえているのか聞こえていないのか、一刀は呻くだけだった。黒兎馬もそれを察したのだろう。己の体力に限界が近づいているにも関わらず速度を上げ、周囲の兵を騎馬ごと弾き飛ばしながら進む。そして前曲から飛び出した。

 

「おにーさん!………おにーさんっ!!」

「風…」

 

敵軍から距離をとりながら何度も大声で呼びかける。それが届いたのか、一刀が少女の名を呼んだ。

 

「おにーさん、しっかりしてください!」

「風…戻れ………まだ華琳の軍は来ていない」

「でも、これ以上やれば本当におにーさんが死んでしまいます!」

「大丈夫だ…まだ………まだ戦れる」

「無理ですっ」

 

なんとか止めようとする風の頭を撫でると、一刀は黒兎に声をかけた。

 

「黒兎…悪いが、もう少しだけ付き合ってくれないか?………終わったら、ちゃんと休ませてやるから………」

「駄目です!おにーさん、お願いですから……もう………」

 

風の瞳に涙が溢れる。これ以上戦わせてはいけない。必死に止めようとするが、彼は一向に聞こうとしなかった。そして、黒兎が主の願いを実行に移そうと反転した時――――――

 

「………………ぁ」

「おにーさん!」

 

――――――その遠心力に耐え切れず、ひとつ声を洩らすと、一刀は落馬した。

 

「黒兎馬ちゃん、止まってくださいっ」

 

風の言葉を受けるよりも早く黒兎馬は脚を止め、風が馬上から飛び降りる。上手く着地が出来ずに尻もちをついたが、痛みを気にする事なく風は一刀に駆け寄った。

 

「おにーさんっ!おにーさん――――――」

 

その身体を揺さぶり、何度も呼びかける。だが、一刀は目を覚まさない。馬蹄の音が、近づいている。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

という事で本編第57話でした。

今回の話は、SSを書き始めた当初から考えていた回で、ようやっとここまでたどり着いた、って感じです。

まぁ、そんな事はいいとして。

また次回お会いしましょう。

 

バイバイ。

 

 

 

 


 
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