華琳視点
秋蘭が益州の反乱に関する報告書を提出した。益州に放った細作を増員したおかげでかなり綿密な情報を入手することが出来た。
益州は天の御遣いを名乗る人物が反乱軍を率い、絶大的な統率力を以って益州の地を完全に掌握しているようだ。
天の御遣い――北郷一刀。
反董卓連合の際、洛陽の郊外で出会ったあの男。黄忠の従者なんて言っていたけれど、やはり只者ではなかったようね。天の御遣いなんて真実かどうか怪しい情報を鵜呑みにするつもりはないけれど、あの者が凡庸であるとも思わないわ。
この曹孟徳を前にして、機転を利かせた策を弄するだけの胆力の持ち主が、果たしてこの大陸にどれだけいるのかしらね。
「華琳様、その天の御遣いという男……」
「ええ。あのときの男ね。とうとう本性を現したみたいだわ」
あの男を知っているのは、私と秋蘭、それから霞が董卓陣営にいたときに一度会っているそうだ。けれど、霞はそう簡単に情報を渡しはしないわね。あの娘はそういう他人を売るような真似を嫌うもの。
もう少し北郷に関する情報が欲しかった。見た目は平凡そうな、どこにでもいるような男だが、あのとき対峙してみてそれが偽りの姿――いや偽りというよりも自分の実力に気付いていないといったところだろうか――だと分かった。
どこか底が深く、見た目以上の何かを感じさせた。どこにそんな才が隠れているのか、私にさえそれは判然とはしないけれど、あれが率いる益州は容易く手には入れられないだろう。
「秋蘭、益州の現状を聞かせてもらえるかしら?」
「はっ。益州は兵力数十万と予想されます。豊饒な土地に、周囲を峻厳な山々に囲まれているため、守り易く攻め難い、まさに天然の要害、また厳顔、黄忠、張任などの歴戦の猛者も揃っております」
益州において以前から反乱の兆しがあることは知っていた。あれだけの暴政を布いていれば、いずれは民を想う者が兵を起こすのは当然であるが、それが成功するとまで予想していなかった。
また私の覇道に立ち塞がる者が増えたのかしらね。
北郷一刀が私と同じように天下を望む者かどうかは定かではないけれど、易々と私に従うとも思えないわね。
「それに華琳様、袁紹の姿も益州で確認されております」
「麗羽が?」
そう。貴女はやはりこの乱世に身を置く道を歩むのね。一度は友の誼で救ったけれど、二度目はないわ。次に私の邪魔をするのなら容赦なくそっ首叩き落としてあげる。
「如何しますか? 袁紹を匿ったことを口実に攻め込むことも出来ますが。苛政と反乱に疲弊した今ならば攻略することも可能と思います」
「いいえ。今はそれよりも大切な戦が控えているわ。益州はこれまで通り細作を放って様子を見ましょう」
「御意に」
麗羽は酷く傷ついていた。己の人生を、非才を呪い、一度は死を覚悟したほどだ。その麗羽を再起させるほどの物を北郷は有しているということだろうか。だとしたらそれは何なのか。
秋蘭の言う通り益州を攻めることも可能ではあるのだけれど、麗羽を出しにして益州を得ることなど私の矜持に反すること。私は王として、益州に攻め込むときは正面から堂々と立ち向かうつもりだ。
もし北郷が私と同じ王となるべき人間なのだとしたら、それはそれで面白い。益々剣戟を交えるときが楽しみだというもの。
それに今は益州よりも重要な戦いが私を待っている。私が大陸に覇を唱えられるかどうか、次の戦いは私の持てる全てを投入しなければ勝てないだろう。余計なことなど考えている余力などない。
秋蘭視点
やはり華琳様はあの北郷一刀なる人物を気にしていらっしゃるようだ。私にはあの男のどこに華琳様にそうさせるものがあるのか分からない。平凡な男にしか見えないのだから。
「いいえ。今はそれよりも大切な戦が控えているわ。益州はこれまで通り細作を放って様子を見ましょう」
華琳様の益州へ攻め込むことを現段階では考えていらっしゃらないようだ。いくら我が精強な軍勢を投入しても、あれだけの自然の要塞を攻略するのならば犠牲も多分に出るであろう。
それに大切な戦――南征を決行するおつもりだろう。
袁家を滅ぼして河北を得た我らに敵はない。大陸の趨勢を冷静に考えれば、華琳様に恭順を誓う方が得策というものだ。
しかし荊州の劉表はともかく、江南の孫家はそう簡単に我らに屈しまい。孫伯符、反董卓連合で一度会っているが、あやつは虎だ。誰にも飼い慣らすことは出来ない。それをしようとして袁術は逆に噛みつかれたのだ。
まずは荊州を呑み込み、強力な水軍とともに一気に江南も併呑する。そうなれば天下はもはや華琳様のもの。益州も何もせずとも軍門に下ろう。
「華琳様、只今戻りました。烏桓族の制圧は滞りなく終了致しました」
稟が霞と共に烏桓族討伐から帰還を報告しに来た。さすがの霞も騎馬民族相手では手を焼いたのであろうか、その表情には多少の疲れが見えていた。
「稟、ご苦労だったわね。首尾はどうかしら?」
「はっ。およそ三万の捕虜を部隊に組み入れます。それはやはり霞に指揮させて、次の戦に備えるべきかと」
「……そう。ならば、次の戦は稟に同行してもらおうかしら?」
「御意」
華琳様は稟の報告にかなり機嫌を良くしたようだ。河北を制圧してから、あまり時間も経過していないのに、さらに烏桓への出兵を提言したときは、少し驚きはしたものの、それを平然とやってのけた手際にはさらに目を見張った。
南征には稟を軍師として同行させるおつもりのようだが、孫呉との戦は水軍が主力部隊になるはず。次の戦に備えるため、とは一体どのような意味なのだろうか。
「それにしても稟? 貴女顔色が優れないようだけれど、体調は大丈夫なの?」
その言葉に稟を見遣ると、確かに少し青い顔をしている。目の下にもくっきりと隈が現れているし、健康体とはとても言えそうにない。
華琳様はそんな稟が心配なのか、稟に近づくと、その頬を片手で慈しむように撫でた。
「か、華琳様……いけません……そんな……ブハッ!」
稟は鼻腔から大量の血液を噴出させて卒倒してしまった。
「な! 衛生兵! 稟を医務室へ!」
「はい、稟ちゃん、とんとんですよー。皆さんもそんなに心配しなくても、いつものことなので大丈夫なのですー」
そう叫んだ私を尻目に、どこから現れたのか、風が稟の背後から首筋を手刀で軽く叩いていた。
「稟ちゃんはここに帰還するまで、華琳様に褒美をもらえることを想像して一晩中悶えていたので、一睡もしてないのですよー」
「ほんまに深夜まで喧しくてうちも寝不足や。もう報告はええか? うち、自室で寝てくるわ」
霞はそう言うと覚束ない足取りで去って行った。なるほど、霞が疲れていたのはそういう理由からか。
「全く……稟、貴女を閨で可愛がるのはこちらも大歓迎なのだけれど、いい加減誘う度に気絶するのは勘弁なさい」
「ふがふが……申し訳ありまふぇん、華琳ふぁま」
どうやら稟の体調も問題ないようだし、準備が整い次第荊州への出兵が正式に発表されるのだろう。おそらくこの情報は他国の者にも伝わっているだろうが、何をしようとも我らの歩みは誰にも止められはせぬ。
華琳視点
全く稟にも困ったものね。その智謀なくして我が覇道は達成できないというのに。心臓が縮み上がったわ。貴女を失うことは数万の軍勢を失うことに等しいのよ。
稟の軍才は私の想像を越えていた。烏桓族討伐の進言のときから私の思惑に気付いているのかも、とは思っていたのだけれど、時期まで正確に見定めているとはね。
「華琳様、風のことを忘れてもらっては困るのですよー。桂花ちゃんにお願いして水軍の調練も欠かしてませんよー」
「さすがは風ね。貴方にも次の戦には加わってもらうわ」
「承知いたしましたー」
ふふふと口元に手を寄せて優雅に微笑む風。この娘の才能は私にも測りきれない。稟は冷徹なまでの鋭い論理感の持ち主で、理を重視した策を好む。それとは別に風は独自の理論を持っていて、他人の心理を上手く利用する。
「桂花には悪いけれど、許昌に残って内政を任せるわ」
「桂花ちゃん、きっとまた怒ってしまうのですよー?」
「ふふ、あの娘がいてくれるから私は何の憂いもなく攻めることが出来るのよ。それくらいあの娘にも分かってもらいたいのだけれどね」
これまであの娘には多くの負担をかけ過ぎた。麗羽との戦いの際に新たに加入した稟と風を戦に従軍させ、桂花には内政も兼ねさせて大きな視野で大局を見てもらった方が効率が良いわ。
「それで風? あなたは何を考えているの?」
「ふふふ……乙女の心は分かりにくいものですよ、華琳様。風は稟ちゃんと違って華琳様の御心なんて見抜けませんよー。ですけど、稟ちゃんは単純ですからねー。風は稟ちゃんを後ろから支援したいと思うのですよー」
「そう」
やっぱりこの娘も悟っているのね。次の戦は並みな手段では勝てるはずがない。こちらもそれなりに準備を整えなければいけないのだけれど、さすがに我が陣営の優秀な軍師たちは謀れないわね。
「それで華琳様、既に敵はこちらの動きを読んでいると思います。先手を打つなら今かと」
「稟、貴女に任せるわ。その手腕を私に見せてごらんなさい」
「分かりました。それでは
「
「御意」
この戦いは誰の邪魔も許されない。紛れもなく私の王としての価値が試される戦でもある。それを邪魔する者は誰であろうと許されない。
相手はきっとこちらの動向など、細作を放つまでもなく分かるのでしょうね。私も彼女の気持ちが手に取るように分かるもの。私と戦いたくてうずうずしているわ。
稟が烏桓族を制圧してくれたおかげで、彼我の軍事力はどれだけの差があるのか。いや、差などないのかもしれない。兵力差なんて私たちにとってはないも同然だもの。私も貴女と戦いたくて堪らないわ。
ついに我が覇道もここまで来ることが出来た。次の戦はその集大成――王として大陸の頂点に立つと堂々と宣言するときである。決して負けは許されないわ。
冥琳視点
「雪蓮、益州の反乱終結に関する報告書に目を通したか?」
「ええ。天の御遣いを名乗る人が反乱軍を率いていたみたいね」
雪蓮の表情に驚愕や困惑は見て取れなかった。益州に反乱が起こる予測は私もしていたし、雪蓮もきっといつもの勘とやらでそこまで分かっていたのだろう。
「天の御遣いか……」
「あら? 冥琳は信じていないの?」
「そんな明らかに疑わしいものを純粋に信じる方がおかしいと思うがな。大方、人心を得るために神輿にしたと思うのだが」
「へぇ……」
雪蓮はそんなことを信じているのだろうか。それともこれも勘か……。
「いずれにせよ、天の御遣いかどうかを証明する術がない以上、こやつが本物かどうかの議論は無駄であろう。それよりも祭殿、あなたは益州の将を知っているんですね」
「ふむ、厳顔と黄忠なら知っておるの。どちらも弓矢を扱わせれば天下に名を残すほどの達人じゃ。儂と同等の腕じゃろうな」
その発言に雪蓮の口角が歪んだ。どうせまたいつもの悪い虫が騒いでいるのだろう。雪蓮も我らの王である以上、前線で戦うような真似は控えて欲しいものだ。
それにしても情報が少ないな。明命が率いる細作部隊の大半を中原の曹操の許に張り付けていたから、益州にはあまり注目出来ていなかった。黄巾の乱や反董卓連合などの大乱にも姿を見せていなかったし、君主の劉璋は暗愚だと聞いていた。
反乱の勃発の報を受けたときもはっきり言ってこんなに早く成功するとは思っていなかった。それでは私の描く天下が遠退きそうだ。
天下の趨勢は確実に曹操に傾いている。圧倒的兵力差を物ともせずに袁紹軍を滅ぼし、河北という広大な地を獲得、その許には智勇兼ね備えた猛将が多くおり、正直に言えば我が軍でもその豊かな人材では劣っている。
我が軍が曹操に対抗するために練った策――天下二分の計。
長江を伝って益州まで攻め込みその地を制圧。そこから北上して馬騰軍との同盟を以って、曹操軍を取り囲む。いくら兵力や人材に富もうが、そこまで戦線を広げられては曹操と雖も抵抗は難しいはずだ。
そのため私は長い年月を費やして水軍を強化し、水路を整えてきた。そのおかげで我が水軍はどの陣営よりも精強であると自負している。
益州の主が劉璋からその天の御使い――北郷一刀なる人物に変わった以上、この策が実用できるかどうかの判断が難しくなった。
北郷一刀の人物像など問題はない。どうせ単なる神輿に過ぎないのだから。しかし益州は意外にも人材は豊富だ。祭殿の知る厳顔と黄忠を筆頭に、張任、魏延、法正など侮り難い人物が多い。
それらの者が一致団結して益州の守りを固めてしまえば、犠牲なくして制圧することは不可能。それに時間を費やしてしまえば、それだけ曹操との国力は離れてしまう。
「それより冥琳よ、曹操軍の方は大丈夫なのかの? 文官どもは皆震えあがっておるぞ」
「これはこれは祭殿ともあろう御方がそのような心配をなさるとは……。我らが精兵を以ってすれば、曹操軍など恐れるに値しませんよ」
「何を申すか! 儂があんな小娘を恐れるはずがなかろう!」
確かに今は曹操軍の南下をどうにかしなければならないだろう。連日私の許を訪れては降伏を説こうとする輩が後を絶たない。
しかし我らに降伏などという道は最初から存在しない。この孫呉の地を守るために、袁術から取り戻したこの地を穢されぬために、死力を尽くして曹操を撃退するのみだ。
文官どもは己の保身に走っているだけだ。自分ならば曹操に降った後でも取り立ててもらえるなどと愚かなことを考えている。あの覇王がそのような甘い真似を許すはずがない。
幸い武官を中心に私が信頼する者は私に賛同し、対曹操戦を構想しながら日々厳しい鍛錬に暮れている。
勝てる。我らが王、雪蓮の許に集った一騎当千の猛者に我が智謀を加えれば、必ずや曹操を倒し、我らが大陸に覇を唱えることが出来る。
雪蓮視点
冥琳は天の御遣いの存在を信じていないようだ。確かに常識的に考えれば、管路のした胡散臭い占いなんて捨て置く方が正しいもの、それは当然よね。
でも私はそうは思えなかった。勘が私に言うのだ、天の御遣いは本物であると。おそらくそれは正しい。そして、厳顔と黄忠、二人の猛将は天の御遣いを信奉しているに違いない。
二人と戦ってみたい、などと思っていると、正面から冥琳に睨まれてしまった。こっちの考えていることはお見通しか、まぁ付き合いも長いし当然よね。
「それより冥琳よ、曹操軍の方は大丈夫なのかの? 文官どもは皆震えあがっておるぞ」
「これはこれは祭殿ともあろう御方がそのような心配をなさるとは……。我らが精兵を以ってすれば、曹操軍など恐れるに値しませんよ」
「何を申すか! 儂があんな小娘を恐れるはずがなかろう!」
冥琳の言う通りだ。私は曹操に負けるなどとこれっぽっちも考えていない。何故ならば、私には敗北するという選択肢なんてないのだから。私たちの宿願をやっと叶えたのだ、もうこの地を失うなんて死んでも御免だ。
曹操が荊州を狙っているという噂はこの地にも広がっている。曹操が水軍の調練をしているということも明命から報告を受けた。
冥琳もそれを承知で、今は全軍を挙げて曹操との決戦の対策に追われている。だけど私は妙に納得がいかなった。この情報を素直に受け取って良いのだろうか。
相手はあの覇王曹孟徳だ。生半可な相手ではない。いくら兵力差があろうと、中途半端な調練で私たちの水軍と対等に渡り合えると本気で思っているのだろうか。兵力差が戦を決定づけないことは、袁紹との戦で自らが証明したではないか。
私の思い過ごしだといいんだけどね。私の勘だって絶対とは言えないんだから。
胸の奥に靄がかかっているかのような気分で、私の調子を狂わせる。
そうそう、納得できないといえば、もう一つあったわね。
「冥琳、袁術ちゃんの行方は未だに分からないの?」
「うむ……、荊州との国境境まで捜索隊を向かわせたが、結局身柄を確保できなかった」
「そう……」
袁術ちゃんとの戦いもそうだった。あれだけ必死になって袁術ちゃんから独立しようとしたのに、相手の抵抗は明らかに温かった。まるで故意に負けようとしているかのように。
まるで肩すかしを喰らったかのような虚無感がないと言えば嘘よね。何か向こうの掌で踊らされているみたいで、不愉快だったし。最後まであの女狐の腹の底を知ることは出来なったわね。
冥琳と話し合った結果、理由は分からないが、張勲が自らの軍勢を故意に負けさせたのではないかという結論に至った。最初から逃走経路まで確保してなければ、あの戦場から脱することなんて出来るはずがない。
袁術は君主としては最低だった。民草を虐げ、自らの欲望のために国を食い物にしていたんだもの。あの娘が君主という地位に固執していないはずがない。
ではどうして故意に敗北したのか、その答えは議論を重ねても得られなかった。袁術からこの地を取り戻したという事実に満足することにしたのだ。
「雪蓮、気になるのも分かるが今は曹操との戦に専念してくれよ」
「分かってるわよ、そんなこと……」
そう返事してみたが、どうにも思考が散漫になってしまう。軍師たちの戦略も目を通すが、いずれも曹操が正面からここに侵略することを前提としている。その戦略はさすがと唸らせるほどだ。
確かにこの地に攻め込むには水軍を使うしか手がないのだろうが、そんな短脈的な戦略を曹操が肯ずるとも思えない。
では、どのような手段でこの地に攻め込むのかと訊かれれば、残念ながら私に答えることは出来ないのだけれど、胸にしこりを残したまま曹操軍との決戦に向かうのだろうか。
冥琳視点
「冥琳、袁術ちゃんの行方は未だに分からないの?」
「うむ……、荊州との国境境まで捜索隊を向かわせたが、結局身柄を確保できなかった」
「そう……」
雪蓮は袁術のことが気がかりのようだ。それには私も同意する。袁術軍は将兵の質はこちらに比べると遥かに劣っていたが、兵力差では圧倒的に有利だった。私たちも苦戦を覚悟で決起したのだ。
しかし袁術軍の抵抗は弱かった。大軍であるという利点を最大限に活かすのであれば、こちらを重囲して士気を殺ぐなり、内通者を作るなり、それなりの戦略は誰にでも出来る。
私は張勲を侮ったことなどなかった。袁術が凡愚で、配下にも大した人材がいない中で、政と軍事、どちらも一手に請け負い、たった一人でこなしたのだ。張勲が凡人であるはずがない。
であるのにも関わらず、袁術軍は兵を小出しにして、兵力を無暗に削るような真似を繰り返していた。別動隊でこちらの本陣を潰すわけでもないのに、そんな下策を平然と採用したのだ。
結果的に寿春は陥落、袁術以外の袁家由来の者は尽く処刑した。袁術だけは我々の包囲の網を掻い潜って逃走したのだ。すぐに追撃部隊を編成したにも関わらず、ついにその身を捕らえることは出来なかった。
故意に敗北したという結論以外出なかった。結局その理由も明らかに出来ぬまま、袁術の追撃を断念せざるを得なかったのだ。
もしも張勲が最初から袁術をどこかに逃すことを前提にして、我々に反乱を起こさせるように仕向けたとしたら、あれだけの圧政も、我々への処遇も、全ては張勲の想定通りだとしたら、そう考えるだけで腸わたが煮え繰り返そうだ。
「雪蓮、気になるのも分かるが今は曹操との戦に専念してくれよ」
「分かってるわよ、そんなこと……」
雪蓮の怒りも理解できるが、それを呑み込んで今は曹操との決戦に向けて準備しなくてはいけない。相手はあの覇王なのだ、総力を挙げて立ち向かわなければ勝利を掴み取ることは出来まい。
そういえば雪蓮は曹操が普通に南征することに疑問を抱いていた。確かに曹操のことだ、どのような奇策を用いてくるか分かったものではない。
しかしどんな手段を使おうが、こちらに攻め込むには水軍は不可欠なはず。荊州を狙うのもそこの水軍を得るために違いないことは明らかな以上、こちらもそれを想定した策を練らなければならないのだ。
「雪蓮、お前の心配も分かっている。明命の細作部隊も今まで以上に多く投入している。どんな情報も見逃すはずがない」
「そうね。冥琳、今回の戦には蓮華にも部隊を任せなさい。あの娘にもそろそろ王としての器を磨いてもらわないとね」
「分かっているさ。思春を護衛に、亞莎を参謀にして大部隊を率いてもらう。今回こそ雪蓮には総大将として構えてもらうぞ」
「えー? 私は暴れられないの? ぶーぶー」
「我儘を言うな。今度の敵は袁術や豪族などとは次元の違う相手なのだぞ。まぁ心配するな。勝負時にはやはり雪蓮に任せると思う」
「さすが冥琳、愛してるわよ」
「だったらこれから軍議を行うから、雪蓮もしっかり意見を聞くことだな」
「あら、何言ってるの? 私はいつでも真面目に聞いてるわよ。不真面目だったときなんて一度もないんだから」
やれやれと肩を竦めながら、諸将を招集するために兵を放った。曹操を相手に議論は出来るだけ多くしたかった。誰もが曹操を倒すために知恵を振り絞っている。どんな小さな思い付きでも、それを策に繋げるのが私の仕事だ。
次の戦こそ孫呉の命運をかけた戦いだ。負ければ滅亡、しかし勝利すれば時勢はこちらに傾くだろう。そうすれば私の描く天下二分の計も実現する。
雪蓮をこの大陸の王に。それは私の夢なのだ。それを叶えずして曹操に負けることは許されない。
あとがき
第三十六話をお送りしました。
言い訳のコーナーです。
今回は曹操陣営と孫策陣営の動向について描きました。
御覧の通り、益州の反乱終結に対するリアクションは大きく違っております。
一刀くんに会ったこともあり、彼が平凡な人物ではないと知っている華琳様は、益州の動向に気を使っており、今回の件もかなりの興味を示しております。
一方孫策陣営はというと、一刀くんの存在自体を知らない以上、彼が天の御使いであると思っているのは雪蓮だけ、ですが、雪蓮でもそれがどれ程の脅威なのかは知り得ません。
前回と繋げて、各陣営の益州への考えが分かってもらえたと思います。国全体で一刀を脅威と見なす西涼連合、華琳様(ついでに霞)しか興味を見なさない魏と、全く興味を見なさい呉。
果たしてその評価がこれからどのような違いを示すことになるのでしょうね。
それから今回はいろいろとこれからの展開を匂わせる描写が多かったと思います。
それが皆様の妄想を駆り立てれば今回は成功ということに。
紫苑さんたち意外を書くことにすっかり慣れてしまった作者は他の陣営の口調などをすっかり忘れてしまいました。不自然な部分があれば教えていただけると幸いです。あまり批判的に言われると凹んでしますので、オブラートに包んで頂けると嬉しいです。
少しずつ物語が動き出しました。展開についてもプロットを作り始めています。またオリジナル要素が増えて、最早流れに関しては原作を無視する形になりますので、ご了承ください。
相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。
誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。
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第三十六話の投稿です。
益州における反乱の終結。その一報を受けた曹操陣営と孫策陣営、彼らは天の御使いの名を聞き何を思うのか。そして河北を手中に入れた華琳の思惑、呉の地を穢されまいとする冥琳の覚悟。
二つの陣営についてお送りします。それではどうぞ。
コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!
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