いつも以上に支離滅裂なひと夜が開けた。
どうせ昨夜あびるほど飲んでいた耕介とほづみは起きては来ないだろう。だが夕美には今日も学校がある。いつものように食事をし、身づくろいをして出掛けねばならない。
洗面所に天窓から朝日が斜めに差し込む。今日も天気は良さそうだ。夕美はパジャマ姿のままで、これもいつものように鏡をのぞき込む。
16年間つきあってきたいつもの顔がある。
ひととおり洗顔を終え、右頬、左頬───ニキビに発展しそうな気配はないか、目やにはついてないか、ヘンなところに毛が生えてないかなど───入念にチェックした後、両手を頬に当ててふっと表情が曇ったかと思うと、両の指先で目尻を力いっぱい、ぐいと押し上げた。
夕美はいわゆるタレ目である。綺麗な二重まぶたでまつげも長いほうだ。そのおかげかムッツリしていても実際のたくましさとは裏腹にどこか儚げな印象を与えるらしく、彼女の素行を知らない男子学生には影で意外な人気があるのだが、もちろん夕美はそんなことは露も知らないだけでなく、むしろ本人としてはこのタレ目が気にくわないのである。
もちろん顔マッサージごときででタレ目がツリ目になるわけもない事は分かっているが、もう何年も前から、こうして指先で目尻を押し上げるのが毎朝の儀式のようになってしまっていた。
(何度見ても、あたして、おかあちゃんには全然似てへん。お母ちゃんはツリ目がちで、もっとくっきりした眼ぇやったもんな…。)
夕美にしてみればそこまでとは思っていないが、父親の耕介はよく“オードリーヘップバーンみたいな眼ぇ”やったなあ、と言う。
そして次に夕美は顔の真ん中に注目する。(低い…)鼻をつまんでみる。(これや。何が似てへんゆうて、この低いハナや。お母ちゃんはシュッとした、綺麗な鼻筋してはった。お父ちゃんかて、鼻筋だけはカッコええ部類やと思うしな)
ガクッと肩を落とした夕美は、せやから鏡は嫌いや、と思った。だけど、女の身だしなみとして鏡を覗かないわけにはいかない。
しかしふと(せやからっちゅーて、幸いなことに全体はお父ちゃんとも似てへんもんな。)と思い直してまた鏡をのぞき込む。
父親の耕介の話では、夕美は耕介の母、つまり夕美の祖母に似ているのだそうだ。近所では小町娘と呼ばれてモテたと自称する祖母だが、あいにく若い頃の写真は太平洋戦争で焼けて失われてしまっているので、いわば〈使用後〉状態から類推するしかない。
しかし正直言って、夕美の記憶にあるシワシワの祖母にソックリだといわれて嬉しいかと言われると微妙な乙女心だった。
(ほんま、せめてもうちょっと鼻が高かったら…ああ、髪型も変えてみたいなあ。お母ちゃんはくるくるのクセっ毛やったのに、あたしはストレートやもんな。せやけど、下手にパーマなんかかけても似合うかっちゅーたら、自信ないしなあ)などと考えながら、リボンというよりはハチマキに近い幅広の布でいつものように髪をまとめる。
頭のてっぺんから耳の上を通ってうなじのあたりで蝶々に結ぶだけだから、本当にリレー競争のハチマキみたいなものだが、これも数年前からの習慣になっていた。
「は。」小さな溜め息と共に目線を落とすと、今度は鏡の中にパジャマの胸元が見える。なにげなく手を当ててみて、また小さな溜め息。なんで朝からこんなに滅入らんとあかんねん、と思いながらも、実はこれも毎日の儀式のひとつだった。
突然右手にある風呂場の引き戸が開き、にゅっと男の手が伸びてきたので夕美は腰を抜かさんばかりに驚いた。「わきゃああああっ」
「ええええっ!?、わっ」むしろ夕美の悲鳴に手のヌシは驚いて、棚からバスタオルをつかんだ手を引っ込めようとして扉に思いきりぶつけるハメになった。手のヌシはほづみで、朝からシャワーを浴びていたのである。
「ほほほほ、ほ、ほづみ君やったんかいな!びっくりするやんか、何してんねんな」
「何って、シャワーだよ。ジャアジャア水音がしてただろ?」
「ほんま?全然気ぃつかへんかったわ…考え事しとったから。ああビックリした。」
「こっちこそ…」
少し開いた風呂場の戸の間から顔を出したままのほづみの視線が夕美に固定されていたので、そのまま夕美はほづみと向かい合ったまま凝固する形になった。
「な………なに?」
こうもマジマジと眼を見つめられるとさすがに妙な緊張が走る。
「いや、その」
「出たいんだけど」
「…で、出たらええがな。タオル巻いてんねんやろ?何を今更。あたしお父ちゃんのと一緒にほづみ君のパンツも洗てたんやで」
「うん、でもあれはその、夕美ちゃんがまだ小学生で」
「なんや?あたしが小学生やったらパンツ洗わしても良うて、高校生になったら恥ずかしいっちゅうんかいな」
「だって今の夕美ちゃんはもう子供じゃないじゃないか。」
(えっ)と思ったとたん、夕美の中の羞恥心のスイッチが入ってしまった。
同時にガラリ、と戸を開けて下半身タオル巻きのほづみが、ぬう、と出てきたものだからたまらない。それまでは意識すらしていなかった様々なことが妙にハッキリした輪郭を持った浮き彫りになって夕美の脳裏に炸裂した。
夕美の前をさっと横切る、細身のほづみの意外なほどたくましい胸板と腕。以前小学生の夕美の目線はほづみの腹のあたりであり、いつも見上げるばかりで背の高さばかりしか意識しなかったが、ちょうどほづみの胸のあたりに視線がゆくようになった今では、ほづみのがっちりした胸の厚みや肩の筋肉が間近になってモロに眼に飛び込んでくるのである。
しかもとりあえずはタオル一枚腰に巻いただけの裸。
夕美は真っ赤になっていまや完全に下宿のおばさんモードから純情娘モードになってしまっていた。
〈ACT:07へ続く〉
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フツーの女子高生だったアタシはフツーでないオヤジのせいで、フツーでない“ふぁいといっぱ〜つ!!”なヒロインになる…お話、その6。