「くッ、このぉ!」
「死ね! 死ねぇ!」
「ウオオ、行け! 行けぇ!」
「登れぇ! 何としても登れぇ!」
怒号が行き交う城壁の防衛戦。攻め立てる黄巾党。上らせまいと必死に防ぐ許の守備兵。
当初は圧倒的な数で攻め立てても、梯子を上る黄巾党の兵士は次から次へと地面に叩き付けられてその屍をさらした。それは今も変わらない。
しかし、許の守備兵の顔には明らかに疲労と焦燥の色が見えて来ている。
1ヶ月。それが黄巾党20万の猛攻を退け続けた許の防衛日数であった。
確かに物資は潤沢。篭城するだけならばもっと長期間篭る事が出来た。
だがそれは敵が城壁を登って来ない場合を意味する。今回の許の防衛戦は、黄巾党がその許の物資を求めて激しく攻め立てている。
たとえ軍需物資が万全でも、毎日戦い続ければ、その疲労は当然積み重なって行く。
許の「限界」は、まさにその兵の疲労であったのだ。
鍾会も、なんとかその疲労を分散させようと、城壁の守備隊は交代制にしたり、比較的軽傷な者はあえて優先的に休ませた後、戦列に復帰させたりと、可能な限り兵に休息を与えたのだ。
だが、圧倒的数で攻め寄せる黄巾党の前に、徐々に休ませる事すら困難になってしまった。
それに守備兵とて死者、もしくは戦列に直ぐ復帰出来ない重傷者が現れるのも当然である。
絶え間無い波状攻撃。まさに人海戦術と呼べるこの単純かつ凶悪な攻撃に前に、許に限界が見えつつあったのである。
「鍾会様! 北側は全部隊が苦戦中です!」
特に最も激しく攻め立てられている北側は、他に比べて多くの守備兵が負傷もしくは戦死しており、予備兵や他の城壁の守備兵を回してまで守りを固めなければならなかった。
それでも黄巾党の攻めが激しい事に代わりは無く、鍾会は日に日に予備役や他の城壁の守備兵と交代しながら、兵の消耗をなるべく抑えて来たのである。
しかし、消耗をどんなに抑えても黄巾党の激しい攻撃の前に、北側に回される守備兵の表情には焦燥と怯えが浮かび始めていたのである。
鍾会も、普段は愛らしい表情が険しくならざるを得なかった。
「やっぱりか。他の方角は!?」
「現状西、南、東は善戦しています。」
だが、幸いにも他の方角の黄巾党の攻撃は、北側に比べれば跳ね返す事が容易であった。黄巾党は、恐らく主力を北側に配備し、北側を崩して一気に城内に雪崩れ込む、と言う戦術で許を陥落させようとしていたのである。
とは言っても、北側に戦力を集中させ過ぎると他が破られた、等と言う事が起きかねない。そのために、鍾会が軽々しく中心部である許の中心部から離れる事は出来なかった。
総指揮を取る鍾会がもし負傷、最悪命を落とす様な事になれば、許は遠からず陥落してしまうからである。
だがそれは、通常の話である。最早事態が切羽詰まって来たこの時に置いて、打てる手を全て打たねば許は守り切れない。そう判断した鍾会はついに
「うし、じゃあ全体の指揮は任せるで! ウチは北側の指揮に向かう。」
「ハッ! お任せを!」
「親衛隊100騎! ウチについて来い! 劣勢の北側を鼓舞して回るで!」
「御意ィ!!」
鍾会自ら苦戦が続く北側の城壁で陣頭指揮を取る事と言う最終手段を執ったのである。
本来、鍾会に最も求められている事はこの篭城戦全体の指揮である。まずは4方向の城壁の守備兵を、黄巾党の攻撃に備えて適切に配分しなくてはならないし、負傷もしくは戦死した兵士、またはその家族の手当もしなくてはならない。こうした後方の仕事も、父である鐘繇が手伝ってくれて入るものの、総指揮を取る者として自らも把握して置かねばならないのである。
その他にもやるべき事があるのだが、とにかく鍾会が陣頭指揮を取る事は出来なかったのである。それでもなんとか時間を空けて、総指揮を一先ず代理の者に任せて、自らが動き回れる様にしたのである。
「増援を! 兵を回してくれぇ!」
「こ、このままじゃ、抑え切れんぞ!」
「ウオオ、行け! 行けぇ!!」
「押し込め! 後少しだ!」
丁度鍾会が総指揮を一時的に預け、親衛隊を率いて北側の城壁に向かった時、そこはまさに修羅場であった。
梯子を駆け上がって来る黄巾党兵士と、それを後方から援護する黄巾党弓手兵の矢が、ひっきりなしに襲いかかって来ていたのである。
その兵士は、体中にいくつもの矢を受けていた。その数々の矢は当然彼を傷つけていた。それでも彼が痛みに耐えて武器を持っているのは、彼の着込んでいる甲冑によって守られているからである。
だが、多くの矢を受けた彼は武器を握ってはいても、もう戦える状態ではなかった。
激痛と流血で意識が遠のき、同じ伍の仲間に支えられてフラフラと後ろに下がった。
もう、だめだ・・・
そんな弱気な考えが過る・・・実際彼の状態は危うかった。もし、矢の当たり所が悪かったならば既に命を落としていただろう。
うつろな表情で目線はあらぬ方向を向いていた。
「え?」
ふと、彼の目に力が戻る。
彼は何かを見た。それは何なのか?
「お、オイ! しっかりしろって!」
彼の肩を支えている仲間の励ます声が、全く耳に入らなかった。
武器を握るので精一杯だった腕が持ち上がる。
「あ、あれは・・・」
目を凝らして見るが、距離が遠いのかはっきりと解らない。だが確かに何かがある。これまでの篭城戦で見たものとは違う何かが、確かにある。
砂煙だった。
もうもうと立ち上る砂煙が、確かに見える。
それも、距離が遠いのに規模が大きい。
「な、どうしたんだよ! 馬鹿! お前は下がれ! 下がって治療を受けろ!」
「あれは、あれは何なんだ?」
「あん?」
不審に思った彼の仲間は、彼が武器で指し示した方向を見る。彼に肩を貸した伍の仲間は、遠くまでものが見える事を自慢にしていた。
そんな彼だから、不審な砂煙を立てる存在の正体に気付いたのである。
「援軍だアァァァーーー!!」
「龐徳将軍! 許は黄巾党の包囲攻城を受けながらも未だ健在にございまする!!」
「ご苦労、下がって良い。間に合った様だな。」
「はい! 急いだ甲斐がありましたね。」
「ああ、歩兵にはかなりギリギリの行軍だったが、良く付いて来てくれた。だが戦はこれからだ。
翠様と蒲公英様は既に動かれている様だな。」
「はい。事前に決めた通り、翠が左翼、蒲公英が右翼。七が本陣を構える山の麓を中央として軍を進めています。」
「良し、所縁も予定の位置に着いてくれ。」
「はい!!」
鷹の命を受けた所縁とその指揮下3000騎が行動を開始する。彼女の率いる軍は今回の鷹の戦略において極めて重要な役割を担っている。
そして、七が中央軍4万を率い、左軍3万を翠が、右軍3万を蒲公英が、本陣1万を鷹が。そして、中央軍と本陣の間に所縁の3000が着いた。
一方、黄巾党も動き出していた。許北西の小高い山に本陣を築く鷹率いる官軍に対し、黄巾党は許を包囲する2万程の兵を残し、残り大凡15万弱がそれぞれ中央軍、左軍、右軍を編成して、許に背を向け、鷹が布陣した山を包み込む様に陣を敷いたのである。そして陣立てからして、中央軍はそのまま本陣でもある様だ。
黄巾党は元々無軌道に暴れ回る賊徒だったのが、今や渠帥と呼ばれる者達が指揮統率しており、個々の練度こそそれほど高く無いが、士気の高さとかつての秦国の軍制度である什伍の制を利用して編成しているために、最早賊徒では無く軍そのものとなっている(最も全ての黄巾党に行き届いている訳ではないが)。
「中央に厚みを持たせ、右軍と左軍でこちらを包み込む様に横陣・・・数の多さを活かしての鶴翼だな。この陣立て、指揮する人物は間違いなく兵法を知る人物だな。」
教科書通りの鶴翼の陣形だが、兵数において勝ると言う利点を活かす、実に効果的な布陣であった。大軍に奇策は必要無いと言われる様に、まさに正攻法で確実に敵を打ち破る、と言う敵将の戦略が滲み出た布陣であった。
実に的確な戦略である・・・それが普通の敵であれば。
「さて、開幕はお任せするとしましょうか・・・翠様。」
官軍の中央軍と右軍は、いずれも癖の無い横陣であった。長槍を持った重装歩兵達が隙間を無くし、その後ろには弓手兵が控えている。横陣の後ろには騎馬隊が控える、極めてオーソドックスな横陣である。
しかし、左軍だけは陣立てが大きく異なっていた。上空から俯瞰すれば、三角形の形をした陣形。騎馬隊が先頭に立った、錐行と呼ばれる陣形である。
その左軍を率いる将軍が、その手に白銀の槍を携え、ついに軍の先頭に姿を現した時、開戦前の重圧に兵達がざわめきを飲み込んだ。
張りつめた空気がピークに達した時、先頭に立った左軍将馬超が槍を天に掲げ、叫んだ。
「気炎万丈馬孟起が精兵達に次ぐ!
我らが前に立ちはだかる者、全てを突き穿ち! 押し潰し! 粉砕せよ!!」
ウオオオオオオオオオオオ!!!
左軍将馬超の檄に、兵士達が武器を掲げて応えるその光景は、黄巾党右軍に強烈な熱気の固まりとなって襲いかかる。
「全兵私に続け!
突撃いぃぃ!!!」
喊声を上げ、官左軍3万が、一斉に翠に続き、走り始めた。
11万対15万・・・10万を越える大軍同士の戦争の火蓋が今、切って落とされたのである。
まずは、自分のつたない小説でも読んで下さっていた皆様に、ここらかお詫び申し上げます。
去年九月から色々あって、とても小説を書くどころではありませんでした。
仕事先から解雇され、精神的に不安定になり、肉体的にもおかしくなって、療養してなんとか自分は立ち直りつつあります。
その中で書きかけだった小説をもう一度書きたいと思う様になったのは、4月からでしょうか。
とにもかくにもキーボードを打ちたくなったのです。
さて、次の投稿が何時になるかは解りませんが、なるべく早めに投稿したいと考えていますので、皆様よろしければお付き合いくださいませ。
それでは失礼します。
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ごめんなさい。色々あって物書きどころではありせんでしたが、どうしてもまた書きたくなったんです。