「春蘭、秋蘭、甘寧の部隊はそのまま前へ! 霞と呂布は手勢を率いて左翼に回りなさい!」
「柵の準備はそこで止めろ! 趙雲 、馬岱の騎馬部隊は右翼を担当、先行して敵の陣形を広げさせるな!」
砂塵を上げ、目の前に広がるのは金の旗と兵士の群れ。
最速でも明日の朝になるであろうと予測していた袁紹軍の進軍は接敵からわずか数刻、休む間も無く平原の街へと襲い掛かってきた。
防衛戦において砦や柵を利用して戦うのは定石ではあったが、今の段階で攻められては避難途中に住人に被害が及ぶ。
そこで華琳達は無用な殺傷を嫌う一刀の意思を尊重するようにあえて部隊を推し進め、街に近づけないよう平地戦に臨んだ。
慌しく戦闘の準備を進める北郷軍の中で華琳や蓮華が的確な指示を飛ばすが、まさかの電撃作戦めいた侵攻に被害は甚大なものになると誰もが予想した。
しかし、
「……おかしいな」
「? どうかしたのかしら、孫権」
「敵の歩みが愚直すぎる。休息もとらず突撃してくるのも不可解だが、要所攻めのもっと広範囲に軍を展開すべき様子がいまだ見て取れない。これは何を意味するのかと思ってな」
人前に立つ存在として威厳ある物言いになっている蓮華が顔をしかめた。
確かに袁紹軍は隊列一つ変えずに歩を進めているが今から戦闘を行う者としては勢いが足りていない。ひどく行軍が遅い。
「そう言われれば違和感があるわね。旗からして軍を率いているのは文醜と顔良でしょうからある程度の戦術の基本は理解しているはず。それでも真っ直ぐ攻め立ててくるという事は……」
「何かしらの策が用意してあるのか……」
「それとも、こちらを正面から突破出来るなにかがあるのか、そのどちらかでしょうね」
そして無策はありえない。と華琳は付け加えた。
左慈が袁紹軍に参入してからの動きは目を見張るものばかりだった。
歴史の一端を知っているとはいえ、左慈は策の先読みや、埋伏兵の使い方。的確な部隊配置と軍師さながらの活躍を魏軍に見せ付けていたからだ。
苦渋を飲まされた過去が甦り、額にしわが寄る。
「孫権。ここで深慮していてもラチがあかないわ。とにかく今は一度、一当ての様子を見てから判断しましょう」
「……そう、だな。手招いてこれ以上後手に回るのだけは避けるべきか」
ある種、不気味な攻勢を仕掛ける袁紹軍。
その真意に二人が気が付くのはもう少しだけ後の出来事だった。
混乱の坩堝にあるという平原の城下を目指し、駆けて行く一刀と凪。
内正門を抜け、現場を目撃した二人は大きなうねりとなった感情の波に晒された。
そこには罵詈雑言が飛び交い、大挙をなして押し寄せる民衆達と武器を持ち、城内への進入を阻もうとしている兵士が鎬を削っている。
「そこを退いて君主に会わせろ! 俺達の生活を脅かしやがった野郎はどこにいるんだ!!」
「俺達はここが一番安全だからって移住して来たんだぞ、家が焼かれでもしたらどう落とし前を着けてくれるんだ。えぇ?!」
「……口からでまかせの、天の御遣い」
そうだ、そうだ。と先頭で文句を訴える三人に同調し、声を荒げる街の人々。
「これは、いったい……」
「……逃げ惑って諍いが起こるだろうってのは頭にあったけど、此処まで抗議に来るなんてのは予想外だな」
唖然とその様子を眺める凪の瞳には若干の悲しみが見え隠れしている。
(この間まで街の警備担当だったし、あの信頼がこうも容易く叱責に変わるだなんてショックに決まってるよな……)
自分と同じ気持ちであろう彼女がとても寂しく映る。
とりあえず、見てるだけじゃ話にならない。前に出て直接彼らから事情を聞こう。
そう決意し、歩き出してすぐに気になったのは町民とは少し違った印象の三人。
(あの人達……どこかで?)
ものすごく見覚えがあるはずなのに名前が思い出せない。むしろ名前があったのかどうかさえ思い出せないのにひどく気になる。
あの全身黄色づくめの三人組。チビと大きいのとアニキっぽいのに面識あったけかな?
考えながら歩を進めていくところで腕が真横に引っ張られた。
「おわっ!」
「!! 何奴だっ!」
咄嗟に身構え、戦闘態勢を取る凪。けどそこいたのは、
「凪ちゃん、シーッなの。隊長もこっそり沙和に付いて来てほしいの」
もう一人の近衛隊、沙和の姿だった。
彼女に腕を取られ、招き入れられたのは近くの茂み。
急いでしゃがむよう指示された。
「もうっ、確かに応援は頼んだけど、隊長がこんなところに出てくるなんてありえないの! なんで来ちゃったかなー」
ぷんぷんと頬を膨らませて抗議の視線を浴びせてくる。
どうやら公孫賛さんを使って応援要請したのは沙和みたいだな。相変わらず物怖じしない子だ。
彼女は悲しい半分、怒り半分の心持ちで言葉を続ける。
「みんな、最初の内は沙和達の指示をきちんと守ってくれてたんだよ。でも誰かが隊長を非難し始めてから急に収拾がつかなくなって、「責任取れ」とか「城に匿え」とか言いながらここまで押し
かけて来たの。だから、今更隊長が出てきても役立たずなの。もとい、火に油を注ぐようなものなの」
言い切ってから城門前に視線を投げかける沙和。
人の波は見るからに勢いを増し、警備の人間だけでは押さえつけれないところまで膨れ上がっている。
確かにこのままじゃ、勢いに押されて城内に人が殺到してしまう。
そんな事になったらそう簡単に混乱は治まらないだろう。
(……こんな事になってしまうのは俺の責任だろうな)
この世界、というか時代で領主に噛み付いたりするのは珍しい。みんな悪い意味で権力での圧政に慣れてしまってるから、民だけでの反乱なんて滅多な事じゃ起こらない。
けど、俺『北郷一刀』はかなり特別な部類に入る人間だ。幾ら魏や呉の後ろ盾があるとはいえ、
その張本人は出自不明で天の御遣いなんて祭り上げられた肩書きしかない一般人。
偶然立てた武勲ぐらいしか証明できるものがない相手にこの人達は信頼を寄せてくれなかったんだろう。
せめて先行して戦果を挙げていれば違った反応を示してくれたはず。
自責の念に囚われ、思い悩んでいると横に居た二人が行動を開始しようとしていた。
「まさかここまで事態が発展しているとは思わなかったな。沙和、応援を呼んでくるからこの場は頼んだぞ」
「了解ー。このままだと暴動になりそうだから、なるべく強そうな人をお願いするの」
「ん。分かった」
二の口で踵を返す凪。
「……って、ちょっと待ってくれよ!」
主そっちのけで話を推し進める彼女達を両手で制す。
「二人とも、街の人たちを武力で抑えつけるつもりなのか?」
睨みを効かす、とまではいかないが目を細めて問いかけると、凪はしょうがないといった面持ちで反論する。
「そんなつもりはありません! ……ですが万が一に備え、抑止力としての兵増員は当然でしょう」
「そうなの。街の人達といがみ合うなんて沙和だって嫌に決まってるの! でも状況が状況なら心を鬼にする必要があると思うの……」
二人の真剣な眼差しは間違いなく本心だろう。
守るべき人達が転じて牙を剥く悲しい現実の中で彼女達なりに出した答え。
軍人として、民の上に立つ存在としての責務を果たそうとしている。
「……でもさ。それじゃあ、その場凌ぎにしかならないよね」
「それは……しかし、袁紹軍が目下に迫った状況で話し合いの席を設けるには時間がありませんよ」
「あぁ、だから興奮している相手にとりあえず落ち着くまで力で抑止するってのは当然の行為だと思う。けどよく考えてみてくれ。あの人達は国という大きな媒介ではなく名指しで俺を非難してる
んだ。明確な指標がある以上、怒りの対象はずっと俺に向いたままだと思う。このまま力づくで解散させたら、その仕打ちにある事無い事添付されて他の人に不満が伝染しかねない。軍の指揮は蓮
華達に任せておけば安心だから、ここはしっかりと対応しておくべきじゃないかな」
これが不甲斐ない俺なりの責任の取り方だ。
そして、この騒動をきちんと収めなければ、この場に来る前に感じた違和感に対して俺を証明できない。
真剣に彼女達の瞳に向き合い、意思を伝えた。
「……了解です。隊長の指示に従います」
「凪ちゃん!? わざわざ隊長を危険な目にあわすつもりなの!?」
「そこは自分が全力で守るだけだ。隊長の大儀、しっかりと支えさせてもらいます!」
「ありがとう、凪」
いつも最後は俺に従ってくれる彼女に礼を述べる。
そして今度こそ、民衆の人達の下へ歩こうとしたところで沙和が騒ぎ出した。
「むむむ! 凪ちゃんのそれはいい格好しいなの! 抜け駆けなのー!」
……また、この子は……。
「なっ!? そ、それは違うぞ沙和! 自分はただ主の方針に従ったまでだ!」
「ムキになるところが余計怪しいの! 隊長! 沙和もお供するからね!」
「ははは……よろしく頼むよ」
心配してくれるのはありがたいけどもう少し歯に衣を着せる言い方を覚えような。
捲くし立てる沙和を宥めながら民衆の押し寄せる城門前まで移動した。
「衛兵のみんな。一旦矛を収めてくれ。話し合いをしたいんだ」
「北郷様!? な、なぜこちらに」
振り向き動揺する衛兵達。
まあ、さっきの沙和みたいに君主がここまで出てくるなんて異例すぎて誰も予想してないよな。
俺の両脇に控える近衛二人が兵を促して道を作ってくれる。
正面には民衆を代表するように最前列で声を上げていた三人組が空けた視界の先に俺がいるのを見て目を見開いている。
「あの十文字の羽織は!? まさか君主の野郎が本当に出てきやがったのか!?」
「ど、どどどうするんすかアニキ! この展開は聞いてませんぜ」
「? どうかしたかい?」
「う、うるせえ! 黙ってろ!!」
吐き捨てるように真ん中に立った男性が声を荒げる。
おかしいな……。彼らが今一番会いたいであろう人物が正面に来たっていうのに急に勢いを弱めてしまった。
(まずいぜ、アニキ! あの二人の話じゃ騒ぐだけ騒いでれば押し返されて終わりだろうってのに、これじゃあ話が違う!)
(なんて言うか、聞いてない)
(ちっ、うろたえんな馬鹿ども! ここでうまくいなさなきゃ、その小娘達から報酬は出ねえんだぞ、腹ぁ括って気張りやがれ)
ぼそぼそと相談を始めた三人組。
やがて意を決したようにこちらに向かい怒声を散らした。
「やいやい、君主さんよぉ! 俺らはここが安全だからって言われて集まったのに敵に攻められるなんざ、どういう了見だ! えぇ!?」
「天の身遣い様は全てを守ってくれるんじゃぁないのかよ」
「どうせ口だけなんだろ? さっさと無能を認めて俺らを中で匿えよ。そうすりゃ、ちょっとは見直してやるぜ。へへっ」
口々に中傷、暴言が飛び出てくる。
予想外の侵攻に動揺しているというより溜まった鬱憤を晴らそうとしているみたいだ。
息を荒げる彼らに向かって正面から向き合う。
「君らの言い分はもっともだ。俺は天の御遣いとしてこの平原の街が安全だと触れ回って人を集め、国を興した。
それなのに敵に攻め入られ、皆の不安を煽ってしまった事に関しては本当に申し訳ないと思っている」
「お、おう! そうだ。てめえの不手際で命の危険に晒されそうになってんだ。どう責任取ってくれる?」
こちらが下手に出たのに気分を良くしたのか、アニキと呼ばれた男がにやにやと笑みを浮かべている。
「貴様っ! さっきから頭が高いぞ、この方を誰だと思っているんだ!」
「ひいっ!?」
「凪っ! ……彼らは俺と話し合ってるんだ。怒鳴らないでくれ」
今にも襲い掛からんとしていた凪を横目で制し、話を続ける。
「被害が出たところに関しては最大限の補償をさせてもらうつもりだ。それはこの国の代表である俺の責任であり当然の責務だから。ただ、皆を率いる君主としての、もう一つの責任の取り方につ
いては君達の力を貸してほしい」
「もう一つ、だと?」
「あぁ、それはこの戦の被害を出来るだけ少なくする事。家屋を守り、人を救うには住人一人一人の協力が必要なんだ。……俺は天の身遣いなんて言われてるけどさ、結局は一人の人間で、一人じ
ゃ家も建てれなければ、市を興す事も出来ない。一度にたくさんの住人を守れる力もない。ただ他の人より人望を多く寄せて貰ってるだけの凡人だから。色んな人に助けてもらって初めて王として
の責任を取れると思ってる」
真剣に真っ直ぐに嘘偽りの無い言葉と態度を示す。
「今、不安になって安全を求める気持ちは分かる。けど敵はここへ到達するには時間的猶予があるんだ。ここは落ち着いて近隣の村に避難してくれ、頼む」
「あっ!?」
「隊長!?」
「嘘だろ……一国の城主が俺ら相手に頭を下げるなんて……」
背筋を伸ばして背中の羽織が見えるぐらいまで頭を垂れた。
「月並みな言葉かも知れない。けど、俺を信じてくれ。俺は皆の意思に必ず報いてみせる!」
「北郷様……」
一刀の行動は騒然としていた場を驚くほどの静寂へと包みこんだ。
誰一人として安易に口を開く者はおらず、詰め寄った住人からは急速に熱が冷めていく。
我々はいったい何の為にここまで来たのか。
ここで駄々をこねても、戦争の邪魔になるのは初めから分かっていたじゃないか。
なぜここまで強気になって責め立てていたのだろう。
その違和感はやがて呆然と立ち尽くす三人組へと注がれた。
「な、なんだよ、俺達が悪いってのかよ。みんな同じように文句垂れてたじゃねーか」
「……でもよ、始めに文句言い出したのってお前らだよな」
「うぐっ! そ、それは……」
「何かにつけて北郷様が悪いだの、能力不足だの言いふらしてた気がするな」
波紋は除々に彼らに向かって広がっていく。
ついさっきまでの怒りが全て転化されているようだ。
「あいつらが扇動していたようですね。国を脅して何を要求するつもりだったのでしょう」
この場にいる全員の非難が集中し、爆発しようとしたところでたまらず一歩前に出た。
「みんな、彼らを責めるのはお門違いだろ? この事態は間違いなく俺が生み出したもので叱責を受けるべきは彼らじゃない」
「しかし……」
「これ以上言い争っていたら本当に避難の時間が無くなるぞ。それでも不満があるなら約束を一つしてもらおう」
「約束だって……?」
ひくつくように男が顔を歪ませる。
「この戦いが終わったら直接俺に不満をぶつけてくれ。そうしてもらえれば俺はもっと自分を戒められる。もうこんな事態を起こさないよう心に刻むよ」
目を見て告げる。
いくら集団心理に後押しされたとはいえここまで発展したのは街の住人にこの国の事を理解してもらえなかったのが最大の理由だろう。
ここで怒りの矛先を変えて場を濁しても、その原因を取り払わなければ、しこりとなって必ず禍根を残す。
それを少しでも和らげ、自分の糧とするにはこれが一番だ。
「だからみんな、とりあえずは解散してくれ。今からここは袁紹軍との戦場になる。何度も言うようだが、
一刻も早く近隣の村まで避難しなければ何かあった時に対応しずらくなる」
その声を聞いて一人、また一人を後ろを向いて城を後にしていく。
少しだけの時間が経過し、この場に残ったのは俺と凪、沙和や衛兵の人達、それに三人組が放心したようにポツンと立っていた。
それを見ながら凪が耳打ちするように呟く。
「……隊長。今回こそうまくいったもののあのような行動は差し控えください。王たる者が軽々しく頭を下げては国の威光に関わります」
「……わかってるさ、でも、あの場面じゃ、頭を下げるのが一番だと思ってね」
凪だけでなく隣にいた沙和までも、は? みたいな顔になっている。
「あそこまで興奮した状態の人には並大抵の言葉じゃ静まらないからね。一度聞く耳を持ってもらってから、
衝撃的な行動を取って畳み掛けるのが有効なんだよ。……あれは本心からの行動だったけど、ちょっと悪どかったかな?」
苦笑いを浮かべ、二人に説明した。
「……で、だ。俺の行動は眼鏡に適ったかな、二人とも」
「…………」
「…………」
城門の影から現れたのは背の低い女の子二人。
恐らく今回の黒幕であろう小喬と大喬が俯きながらこちらに歩いてくる。
「あ、ああ! そいつらだ! あの二人に唆されて俺達は住人の奴らを――」
「黙りなさい下郎。あんたらの役目は終わったのよ」
「なっ!?」
「北郷一刀様。どうして私たちが手引きしていると思われたのですか?」
三人を無視するように二喬がこちらを見据える。
「虫の知らせがまず一つ。それと、“全て”を守るという俺の誓いを知っているのは、この国でも限られた人物だけのはず。それをさっき小さい人が漏らしてたからね。犯人……は言い方が悪いけど、捲くし立てたのは内部の人間だと思った。で、最大の理由は朝見た君達の顔を曇ってたから。何か心配事があるのは確実だろうなと」
「……顔だけで相手を判断されたのですか?」
まるでお通夜の時みたいに表情を曇らせる大喬に心が締め付けられる。
「俺はさ、女の子に悲しそうな顔されるのが一番嫌いなんだ。だからそういう心の機微に敏感に反応してしまう。……けど今回ばかりは当たってほしくなかったけどな」
「そうでしたか」
無理に感情を押し込めたように塞ぎ込む大喬。
代わりにというべきか今度は小喬が口を開く。
「あんたの言うとおり、私たちはこいつらを使って騒動を起こした。それはあんたを見極める、器の大きさを測る為よ」
「ということは周瑜の指示じゃあないよな」
「……えぇ、冥琳様は関係無いわ。私たちの本当の依頼主は――」
「!? 隊長、危ないっ!!」
「っ!?」
突然の掛け声。
訳も分からず凪に押し込まれ、態勢を崩す。
その先に見えたのはこの場にもっともそぐわない存在。袁紹軍の――
西門、住居拡張予定地前の平地で二つの軍隊が交戦していた。
一方は銀の旗に十文字を描いた北郷軍。
もう片方は金色の旗をなびかせる袁紹軍。
その戦いの火蓋を実際に開けてみれば、苛烈なはずの攻防は一方的な展開へと運ばれ、戦場が戸惑いに包まれていた。
「星お姉様。これって急にたんぽぽが強くなったわけじゃないよね」
「あぁ、ここまで疲弊した兵ならば常時の半分も力を出せていないだろうからな。手応えはなかろうて」
右翼を担当したたんぽぽと星は部隊兵に掃討を任せ、戦場を眺めていた。
(やれやれ、少しでも時間を稼ぐ為に敵本陣に斬り込んだのはいいが、随分と呆気なかったな)
こちらの被害はほぼ無し、不意を突かれたというのにこれは如何なものだろう。
袁紹軍は目に見えて疲れきり、目が空ろな者までが武器を取って戦いに挑んでくる始末。
そう、戦いは北郷軍の一方的な勝利で終わろうとしていた。
「あーあ。兵士が疲弊しすぎやな。……なんで行軍して疲れとるはずなのに休憩なりを取らんかったやろな」
「む、張遼殿か。貴殿は確か恋と共に左翼を任されていたのでは?」
「あー、そっちはもうええねん。恋とセキトが全部平らげてしもうたから」
つまらなさそうに口を尖らせた霞が馬の上から溜息をついた。
「せっかくの実戦やっちゅうのに、相手は疲労懇媒。目立った将軍もいてへん。はー、とんだ肩透かしやわ」
霞の後ろでは金の鎧を身に着けた袁紹軍の兵士が天高く打ち上げられていく。
正体は勿論、恋とセキト。まさに暴風といった勢いで敵を蹂躙し、蹴散らす。
「はっはっは! こりゃあ人中の呂布って言葉の後に、馬中のセキトゆう言葉も加えんとあかんぐらい凄まじいなー」
空元気で笑う霞。
その様子に星も苦笑いし、視線を元に戻す。
「そういえば敵軍には「顔」と「文」の文字がありませなんだか? 彼女等ならば少しは歯応えがあると思いますが」
「おろ? そういや、旗だけで将の姿が見えへんな。どこいったんや?」
二人してぐるりと首を回すが敵軍は総崩れでろくな陣形も組んではいない。
将の一人でもいればもっと整然としていそうなものだが……。
「あっ、あそこ! 街に突撃していく奴らがいるよ!」
「なんだと?」
見れば戦線中央、もっとも防備の厚い守りに向かって突貫する一軍がある。
その部隊はまるでこちらが気を抜いた瞬間を狙ったかのように素早く布陣を駆け抜け、街へと赴く。
「あーらら。命知らずな連中やなー。うまく通り抜けても西門前にはうちの大将に惇ちゃんやら甘寧の部隊がおるから突破は無理やで」
「うんうん。たんぽぽだったら正面からぶつかるなんて考えられないなー。あれじゃあ、まるで目先の事しか考えられない猪じゃん」
今更、一部隊が何をしようと戦局は変わらない。
もはや袁紹軍に戦いの意思を見せるものはおらず、全員が憔悴し切っている。
回復しだい状況を聞き出させばと思い始めた星だったが
「――いや、何か動きがおかしいですな」
「なんやて?」
目を細め、促されるように本陣の様子を見定めた霞。
その先には勢いを緩めず突撃する部隊と華琳、蓮華を始め歴戦の経験のある春蘭達の本陣がぶつかり合い、交戦を繰り広げている場面が繰り広げられている。
しかし――。
「突破された!? あいつ何者や!」
映し出されたのは弾き飛ばされるように宙を舞う春蘭の姿。
その下には白装束を纏った人間が槍のような――“偃月刀”にも見える得物を振り回している。
その隙を縫うかのように今度は次々と敵兵が本陣を駆け抜け、門前に殺到していく。
「あかん! なんやわけは分からんけど、このままやったら街に侵入されるで!」
「くっ、たんぽぽよ。ここは任せるぞ」
悪寒は背筋を這い回り、馬を平原の街に向ける霞と星。
この距離ならばまだ間に合うと手綱を握り締めたところで、今度は切羽詰まったたんぽぽの悲鳴が木霊した。
「うええ!? いきなり目の前にあの二人が出てきたー!」
まるでマジックのように文醜と顔良が忽然と現れ、こちらに武器を構えている。
「ちっ、ここは離れられんという事か!」
本陣を挟んで反対側を見渡せば、砂塵の竜巻を上げながら城門に迫る影が一つ。
(こういう時は持ち前の野生が光るな、恋よ)
主の一大事をまたも過敏に嗅ぎ取った恋がセキトを走らせ追い縋る。
「文醜、顔良! お前らがいながらなんでこないな無茶を押し通したんや。答えてみい!」
「…………」
「…………」
答えは返らず、ただ無言。その状態で各々の得物を大きく担いだ。
「答える気無しってか? 随分舐められたもんやな」
「……すけ。……すけてくれ」
「――張遼殿。二人の様子がおかしい。何か喋りかけてきている」
「……助けてくれ。……助け、てくれ」
「助け? いったい何を――」
「めを……姫を助けてくれ……! あ、あ、あああぁぁぁ!!!」
千切れるような絶叫で打ち下ろされる大剣。
その姿は普段の彼女とは程遠い、悲痛に満ちた苦悶だった。
<つづく>
【恋(れん)姫無双】
―――これは、ある外史のお話。
その外史では、正史でいうところの“呂布奉先”が『王様』になっているそうな。
王様のもう一つの名は『恋』。劉邦を祖とした漢王朝の習わしでいうところの真名である。
信頼しあった者にしか許されず、それ以外の者は例え知っていても口にする事は許されない。
口にした者は、真名を穢した罪により死罪が……。
「恋」
「ん」
「呼んでみただけ」
「………ん(ぎゅっ)」
死罪……?
「恋、もう起きよう。朝だよ」
「……………(ふるふる)」
「そろそろ朝議の時間だよ」
「………一刀と寝る」
一刀と呼ばれた青年と恋と呼ばれる美少女は、今一つの閨でまどろんでいた。裸で。
朝議の為にこの国の主である恋を起こそうとした一刀であったが、
ぎゅっと手や脚でねっとりと纏わりつくように抱かれて、いわゆる『抱き枕』にされてしまい身動きが取れなくなってしまっていた。
それでもなんとかかんとか起こそうとする一刀だが、恋は一向に体を起こそうとしない。というか一刀を離す様子もない。
挙句の果てにもう一眠りをすると言い始めたからさぁ大変。
このまま一刀は抱き枕にされながら眠ってしまうのか……!と半ば諦めかけていたその時。
ダダダダっと人が走る音が聞こえ、次いでバンッ!と扉を開ける音が部屋に響いた。
「あんたらええ加減にしぃ! 朝議あるやろうが!!」
「霞うるさい」
「うる……ってあんたなぁ……! 仮にも王なんやからしっかりせんとあかんやろ!」
「霞うるさい」
「あかん、一刀……うち、こいつぶん殴ってもええか?」
「あ、あはは……おはよう霞」
「……おぅ! おはよー一刀♪ 今日もお努め御苦労さん♪」
「ハハハ……」
霞と呼ばれた袴姿の女性、“張遼文遠”は、恋を見るなり吼えた。一刀が思わずビクゥ!と身を竦めるほどの声量で。
しかし、それでも恋を布団から出すことはできない。諦めずにダメ押しをするも一蹴され……。
さすがに堪忍袋の緒が切れそうになるが必死に止める一刀の姿を見て怒りを抑えることにした。
「しっかし、相変わらず一刀にべったべたやなぁ……うちらの王様は」
一刀を抱いて離さない恋を見ながら、呆れるように言う霞。
「…………一刀は恋のものだから、恋のそばにいるのがあたりまえ」
「ははは……」
唯我独尊な王様の言葉に、思わず苦笑する一刀。
以前、恋に夜這いをかけられたあと、汗だくのまま裸で二人くっついて休憩していたとき、
「恋は、もしも俺がいなくなったらどうする?」
と聞いてみたことがある。
「恋もいなくなる」
「? どういうこと?」
「一刀が死んだら恋も死ぬ。一刀が殺されたら殺した奴を八つ裂きにしてから恋も死ぬ。一刀がどこかに行ったら恋は死ぬ」
思わず恋の顔を覗き込んでしまったが、びっくりするぐらいの真顔だった。
ぼーっとするような顔は良く見るものの、こんなに真剣な顔は恐らく初めて見たものだ。
慌てて彼女の頬に手を添え、頭に手を置く。
「大丈夫だよ、恋。俺は死なないし、殺されない。恋を置いてどこかに行くことはないから。それに――」
「…………」
真剣な表情の裏に隠れた“不安”と“悲しみ”を消し去るように、優しく頬と頭を撫でる。
「恋が……俺を守ってくれるだろ?」
「…………ん」
こく、と彼女は力強く頷いてくれた。心強いけど、やっぱり自分の身くらいは守れるようにしたいから、
今まで通り霞たちに稽古をつけてもらおう。
「まぁ、俺も恋の傍にいたいしね」
「はー、アツアツやなぁ。ウチのこともちゃんと見てくれんと、稽古見てやらんからなー?」
「ちょっ! 稽古のことは恋に内緒だって言ったでしょ!?」
「あっ! しもた……すまん一刀ぉ……」
ついつい口を滑らせてしまった霞は、素直に一刀に謝った。
しかし、一刀のすぐ隣にいる王様は聞き逃さなかった。
「…………けがしたらいやだから稽古しちゃだめって……恋言った……」
「!?」
「!! あ、あはは~……んじゃウチはここでー」
部屋から慌てて退室しようとする霞を恋は追わずに無視する。
最初から標的は隣にいる男だ。
「…………そんなに稽古したいなら……恋とヤる」
死亡フラグが立った瞬間である。
「お、お手柔らかにお願いします!」
「……それは一刀の今後の働き次第……」
そう言って、一刀を押し倒す恋。
徐々に、徐々に近づいてくる恋の顔に釘付けになってしまう。
「れ、恋……」
「……恋が満足できたら稽古は許す」
……死亡フラグは回避できなかった。
※恋が満足する=一刀の精根が尽き果てる。
<このお話は本編とは関係ありません>
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第三十七話をお送りします。
―襲いかかる悪意―
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