#22
「そろそろ雪蓮の部隊が戻ってくる頃だな」
「そうですねぇ。報告ではせいぜい数百の賊なんでしょう?ちょっと心配ですねぇ」
「そうじゃのぅ………」
穏の言葉に同調する冥琳と祭さん。あれ、何かおかしいぞ?
「え?そのくらいなら問題ないんじゃないの?」
「いや、賊そのものは問題ないんじゃがのぅ………」
「そうだ。問題はその後………」
「冥琳様と祭様は、今日は誰だと思いますか?」
「「………一刀だ(じゃな)」」
「え?」
「御二人もそう思いますか?」
「何が?」
「すぐにわかりますよ~」
いま、俺たちは城門の外で、賊討伐に向かった雪蓮の帰りを待っていた。待ち始めてから、ほんの数十分しか経ってはいないが、恋はすでに、俺の肩に顎を置いて眠っている。涎で肩が冷たい。
いや、それよりも、気にするべきは、三人の言葉の意味だ。賊討伐は問題ないが、大変なのはその後、らしい。………あまりいい予感はしないな。
そうしてさらに待つこと10分。地平線の向こうに、微かに砂塵が上がるのが見える。その勢いは少しずつ増し、それが騎馬の部隊だとわかる。
「旗は………孫の牙門旗。帰ってきたようじゃな」
真っ先に気がついたのは、祭さんだった。弓の名手なだけある。視力に関して言えば、俺なんかよりもずっといいらしい。
さらに5分が経つ頃には、雪蓮の部隊が目の前まで迫っていた。
「お帰りなさい、雪蓮」
冥琳が言葉をかけ、祭さんと穏は軽く頭を下げる。俺はといえば………雪蓮から洩れ出る殺気に、若干の緊張を強いられていた。
「おかえり、雪蓮」
俺が声をかけると、雪蓮は言葉を返さず、無言のまま早足で近づいてくる。ふと、肩にかかっていた負担が消えた。祭さんが恋を俺から離す姿が、横目で窺える。
「来て」
雪蓮はそれだけ言うと、すれ違いざまに俺の腕を取り、引っ張っていく。その有無を言わさない姿勢に、俺はただ黙って引っ張られるのだった。
そして連れてこられたのは、雪蓮の私室。雪蓮は俺を先に中にいれ、扉を閉める。ようやく解放された俺は、彼女を振り返ると、自分の目を疑った。
「雪蓮………?」
「………………………」
よく見なくてもわかる。雪蓮がガタガタと震えているのだ。
「雪蓮、大丈夫か!?傷でも負ったのか?」
「………っ!!」
俺が雪蓮の肩に触れようと手を伸ばしたその瞬間、彼女は恐ろしい勢いで振り返り、俺に抱きついてきた。
「しぇれ――――――っ!?」
「うぅぅ……ぐ………………」
途端、俺の首筋に鋭い痛みが走った。
「(噛んだ?)」
「まさか、俺に害を為す気か?」そんな思いは微塵も浮かばなかった。理由はわからない。しかし、雪蓮が苦しんでいることはわかる。彼女はいまだ俺の首から牙を抜かず、相変わらず震え続けている。
「(仕方がないな………)」
俺は両腕を雪蓮の背中に回し………………そっとその頭を撫でた。
首から伝わる痛みも、抱き締めた身体から伝わる震えも消え去らない。それでも俺は、ただゆっくりと、怯える子どもをあやすように彼女を宥めた。
どれだけそうしていただろうか。雪蓮の震えが少しずつ治まり、それが完全に消えると同時に首の痛みも消え、代わりに暖かい感触が伝わってくる。
「…ん…………ぺろ………………」
雪蓮が、俺の傷口を舐めていた。
「落ち着いたか?」
「ん………少し」
俺は、雪蓮の頭を撫でながら言葉をかける。どうやら、会話ができるくらいには回復したらしい。
「そうか………」
「………………………聞かないのね」
「………何を?」
「いまのあたしを、よ」
「雪蓮が言い出さないなら、無理に聞こうとは思わないよ」
「………………ありがとう」
雪蓮は呟くと、俺の胸に顔を埋めたまま語り始める。曰く、戦闘によって欲求不満が溜まると、こうなってしまうこと。血に飢えて、それを理性で抑えようとすると、次は性欲に似たような、獣欲が増してくること。いつもは冥琳に鎮めてもらっていたこと。
「………嫌いに、なった?」
「そんなわけないだろう?どんな状態でも、雪蓮は雪蓮だ。嫌いになるはずがない」
「ふふ、ありがとう………でも、ね。こうやっている間も、あたしの中の獣は暴れたがっているの。………………お願い、鎮めて」
そう言って見上げる雪蓮は、ひどく色っぽく、俺の中の本能を掻き立てようとする。しかし――――――。
「………それは、できない」
「どうして?」
「俺は………恋を愛しているからだ。他の女性と一線を越えるつもりは………ない」
「あたしを愛してくれなくてもいい、って言っても?」
「それでもだ」
「そう………」
雪蓮は俺から離れようとする。………そんな悲しそうな声を出さないでくれ。拒絶しているわけじゃないんだ。俺は、距離をとろうとする雪蓮を抱き締めなおした。
「だが………それでも、雪蓮は俺の大切な仲間だ。その仲間が苦しんでいるのを見捨てるような真似はしない」
「………とんだ偽善者ね」
「あぁ、自覚しているよ………だから――――――」
「きゃっ!?」
俺は雪蓮を抱き上げて窓に近づき、窓を開け放つと、そこから外に飛び出した。
「――――――だから、その疼きを俺が鎮めてやる」
「あら、一刀は外でするのが好きなの?」
「本気で相手をするなら、場所なんて選ばないよ」
俺の腕から下ろされた雪蓮は腰から南海覇王を抜き、俺も腰に下げた太刀を二本とも抜く。
「一刀は本気を出すと二本使うのね。いったい何処を貫かれることやら………」
「御託はいい。こうやって会話をしていても、身体は限界なんだろう?………………来いよ」
俺が言葉を切るや否や、雪蓮は一息に間合いを詰めてくる。俺の言葉通りに身体はすでに限界で、それをようやく解放できる喜びからか、その顔には獣のような笑みが浮かんでいた。そしてその殺気もまた――――――。
「はぁっ!」
「ふっ」
そこには、雪蓮の意図など介在していないようだった。斬り下ろし、切り上げ、横薙ぎ、突き………まさに縦横無尽に剣は振るわれ、俺はそれを右手の野太刀、そして左の小太刀で流していく。
「(この間よりも凄まじいな………これが孫武の…江東の小覇王の資質か)」
初対面の時とはまったく違う雪蓮の太刀筋に、俺はそんな感想を抱いていた。おそらく、今の雪蓮こそが、彼女の本質なのだろう。あの時は、仕合の中にもどこか遊びがあった。本能的に最前手をとる時もあれば、あえて悪手をとる時もあった。あのときは、ただ俺という強者との闘いを楽しむ為に剣を振るっていたに過ぎない。
だが、今はどうだろう。すべての太刀に必殺の意志が注がれ、その筋は最も理論的に最適な手がその時々、その体勢で放たれる。これこそが孫策伯符の本領。純粋に殺す為だけの剣。
こちらも手を抜く訳にはいかないが、本気を出し過ぎる訳にもいかない。下手をすれば………雪蓮を殺してしまう。俺は殺し合いの時よりも数倍の集中力を強いられていた。
「(まずは一本取っておくか………)」
どうせ雪蓮のことだ。一回限りで終わるはずもない。俺は雪蓮に向けて、左手の小太刀を投擲した。
「甘いっ!!」
その言葉通り、雪蓮は左から右に剣を払って小太刀を弾く。
さすがだよ雪蓮………だが、今の雪蓮は最前手を取りすぎるが故に、その動きを読むことは容易い。
「知ってるよ」
「っ!」
投げられた武器を弾くには、その動きを見る必要がある。しかし、手練であればあるほど、その動きは視線の動きは最小限。雪蓮ほどならば、投げられた瞬間、いや、今の雪蓮なら手の動きでその軌跡を読むことができるだろう。
だが、俺は逆にそこを利用する。その一瞬の空隙を縫って俺は跳び出し、剣が払われたときには、その腕の下に身体を潜り込ませていた。
「まずは一本」
右手で彼女の右手首を掴み、左の掌底で南海覇王の柄の先端をかち上げる。親指と人差し指の間を支点として回転力を加えられた刀はそのまま回り、雪蓮の手から離れる。
俺自信も左足を軸に身体を回転させて袖を掴むと、彼女の身体を巻き込んで、投げ飛ばした。
「………ふぅ。どうだ?治まったか?」
「………自分でも『まずは』って言ったじゃない。わかってるくせに」
「あぁ………じゃぁ二本目だ」
「言われなくても!」
俺たちは同時に飛び出し、再び攻防を繰り広げる。もちろん雪蓮の手に武器はない。対する俺も、彼女を投げ飛ばす寸前に野太刀を鞘に納めてはいるが、あえてそれを使おうとは思わない。
雪蓮と俺は互いに徒手空拳で仕合を続ける。拳で、脚で、時には身体全体で攻撃を仕掛ける彼女に対して、俺はひたすらそれを捌き続けた。
「あらあら。あ~んなことやこ~んなことをしてると思ってましたが、まさか仕合をしているとは………」
「ほぅ………策殿を抑える為に、こういった手を採るとはのう。一刀も男じゃ。流されるかとも思っておったが、なかなかに一途な男のようじゃな」
「ふむ………私にはまず不可能ですね」
「はっはっは!当たり前じゃ!!冥琳にも出来るのならば、儂ら武官の出る幕がないわい!」
「ならば、次に雪蓮があぁなったときには、祭殿に手伝ってもらうことにしますよ………なにせ、あの雪蓮の相手をしていたら、その日の政務はすべて翌日に回さざるを得ないので」
「げ………流石の儂でも、今の策殿は相手にしたくはないのぅ」
「………なら、穏が、本を読めばいい」
仕合の舞台とはまったく逆の雰囲気の会話に、先ほどまで眠っていた恋が口を挟む。
「はっはっは!それは妙案じゃ!のぅ、冥琳よ。次に策殿が賊の討伐に出るときは、大量の本を穏に読ませておけ!いやはや、恋もなかなかの策士じゃな!」
「なるほど、どちらの性欲が勝つか、見定めるのもまた一興ですな」
「えぇ~!?私に雪蓮様のお相手は無理ですよぅ~。干からびてしまいますぅ…」
「一度くらいやってみせてくれてもよいじゃろうに………。それより恋よ。お主は果報者じゃな」
「………?」
「そうだな。一刀があぁして雪蓮の相手をしているのは、偏にお前がいるからだ。………愛されているな」
突然の話題転換に、恋は首を傾げる。
「で、どうなんじゃ?一刀は夜の武も強いのか?」
「それは気になりますねぇ。どうなんですか、恋ちゃん?」
「………夜は、いつも一緒に、寝る」
「ほぅ?それで、一刀は上手いのか?」
「………………上手い?」
「祭殿も穏も、恋にその手の話は通じないぞ。一刀のことだ。愛するからこそ、大切にしたいのだろう」
「あぁ~、一刀さんならありえますねぇ」
「ふむ………のぅ、恋よ。今度、儂も一緒に寝てもよいか?」
祭の言葉に、珍しく冥琳が噴出した。
「さ、祭殿!冗談も程ほどにしてください。恋だって困って―――」
「………ん、いい。今日は、一緒に寝る」
「―――いいのか!?」
「よし、言質は取ったぞ!」
「祭様、ずるいですぅ。穏も一緒に寝たいですよぅ」
「そうじゃな。じゃぁ、今夜は4人で………いや、おそらく策殿も来るじゃろうな。5人で寝るとするかの」
「いいですねぇ。冥琳様は今夜もお一人で寝られるんですか~?」
「これ、穏よ。本当のことでも、言ってよいことと悪いことがあるのじゃぞ?」
「………まったく、二人とも。いい加減に―――」
と、冥琳の袖を引く手。
「冥琳は………みんなで寝るの、嫌?」
そこには、祭を手玉に取ったような武の持ち主とは思えないほど、弱々しく、上目遣いで冥琳を見上げる恋の姿があった。
「いや、あ、嫌ではないが―――」
「…ダメ?」
「しかし―――」
「………………」
「………………………わかった。今夜は皆で寝るとしよう」
「落ちたな」
「落ちましたね」
「そこ、うるさい!」
雪蓮と一刀の預かり知らないところで、なにやら重大な決議がされてしまっていた。………………雪蓮に関しては、喜んで賛同の意を示すのであろうが。
「あの、これはどういうこと?」
「何、今宵は皆で閨を共にしようということになってのぅ」
「そうですよ~一刀さん?恋ちゃんが一緒がいい、って言ったから、こんなことになったんです。責めるなら恋ちゃんを責めてくださいね」
恋に責任転嫁する口調とは裏腹に、穏の声音は楽しんでいた。
「あの、冥琳さん?」
「嘘だ」
「ほっ………よかっ―――」
「『閨』に関してだけな。今夜は6人で寝るぞ。そのためにこの部屋を用意させたのだ」
「え………」
「………恋の頼みを、お前は断れるのか?」
「………………………………無理、だな」
そう言って溜息を吐く一刀と冥琳、そして祭と穏は、普段は使われないが、少し広めの、そして床の敷物の上に6組の布団が敷かれた部屋にいた。
「あれ、そういえば、その恋は?」
「ん?恋なら策殿の回収に行かせたぞ?儂が行ってもよかったんじゃが、万が一アレが治まっておらんかったら、お主と恋以外には対抗できんからの」
「半日仕合いっぱなしだったから、大丈夫だと思うんだけどなぁ………」
数分後、祭の言葉通りに恋が雪蓮を担いで戻ってきた。
昼過ぎに城に戻り、それから日没までひたすら一刀と闘っていたため、体力を根こそぎ使い果たしたのか、雪蓮はぐったりとしている。
「なんと、まだこの調子じゃったか………」
「本来なら湯浴みをさせてやりたいところだが………この様子なら朝までは起きないだろう。恋、雪蓮をそこに寝かせてやってくれ」
「あらあら、雪蓮様、朝になってきっと後悔するでしょうねぇ」
「くっくっく、楽しみじゃな」
「もういいよ………それより早く寝かせてくれ。俺だってへとへとなんだよ」
「ん………恋も寝る」
一刀の言葉を受けて、恋は一刀の手を引っ張り、布団へと向かう。
「ちょ、恋。俺は端の方でいいよ」
「………(フルフル)祭も穏も、冥琳も一刀と一緒に寝る。……まんなか」
「そうですよ、一刀さん?早く場所を決めてもらわないと、私たちだって寝られないんですから」
「………わかったよ。じゃぁ、恋、おいで」
「ん………」
平然としてはいたが、実のところ、余程疲れていたのだろう。一刀は布団に潜り込むと、すぐに寝息を立て始めた。
「さて、冥琳、穏。お主らはどこで寝る?」
「私は雪蓮の隣で」
「私は一刀さんの隣がいいですぅ」
「なんじゃ、穏もか。まぁよかろう。ならば儂は恋の隣に行くとするかの」
そう言って、それぞれの場所へと移動する3人。穏は遠慮することなく、恋のように一刀に抱きつき、冥琳は雪蓮に寄り添うように寝転がる。祭は肘を立て、頬杖をついてそれを眺めていた。
「(ふふ……なんだかんだ言って、こやつらもまだまだ若いからのぅ。人肌が恋しくなるというものよ)」
彼女たちを眺める祭の目は、まるで母親のそれのように穏やかで、慈愛に満ちているのであった。
―――翌朝。
「何これぇぇえええっ!!?」
雪蓮の叫び声で目が覚めた一刀たちがすることは、ただ彼女を慰めるだけであった。
………余談ではあるが、この日より呉の城では、王の命により、余程の大事がない限りは全員が共に寝るという習慣ができたとかできなかったとか。
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