SEED Spiritual PHASE-66 これが欲しかったんだ
博物館、だろうか。身の丈を超えるガラスケースが林立する天井の高い空間だった。外はまだ昼に調整されている時間帯だというのに薄暗い。窓が全て閉められているか、全て崩れているのかは判断できない。外からの様子ではどちらとも採れた。
ライトを点けるべきか。携帯灯でも持っていたら点けただろう。相手が何者であれ一対一なら例え奇襲を受けたとしてもあしらえる自信はある。
(どこだ?)
シンはヘルメットを外し、そのまま両目をきつく閉じ、しばしして開けた。コーディネイターの眼球が直ぐさま薄闇に順応する。やはり博物館らしく、年代物の展示品がシルエット以上を浮かび上がらせ始めた。声を上げて呼びかけようかと思ったが――
「!」
屋根を貫通したモビルスーツの足下で何やら動く気配に気づく。シンは音もなく間近まで近づくと聞こえよがしに銃の撃鉄を鳴らした。
「動くな――!?っ」
跳ね上がる背中を想像していたシンは敵のあまりに速かった挙動に身を投げ出していた。一瞬で振り返ってきたノーマルスーツがこちらに向かって発砲してくる。姿を映すほど磨き込まれた床を転がれば後を追う着弾音。柱に隠れ、銃撃をやり過ごし、銃声の隙をついて銃撃を返す。
「意外にやるじゃねーの……」
刹那の確認。距離が半分になっていた。弾の残った弾倉を外してしまい込むと一発も減っていないマガジンを装填する。
突撃の覚悟を決めて――
柱の左を踏みしめ照準。
そして真っ向から銃口が向かい合った。
「な!?」
互いの銃口は頭部を狙う。一撃で命を奪う距離。だがシンは殺意ではなく視覚情報に度肝を抜かれていた。ともすれば握られた命さえどうでも良くなってしまう程に。
先程の戦闘の結果か。相手のバイザーは七割が割れているためその素顔は容易に伺えた。だが、そんなはずはない。
「そんな、まさか、マユなのかっ!?」
3年前に死んだはずだ。3年分人並みに成長した妹が、ここにいるわけがない!
「チッ……」
シンは思わず銃口を下ろしてしまった。喜びと、それを染みこませた混乱が胸中を席巻し、ただ惚けることしかできない。しかし彼女から険は消えず、むしろ眉間の堅さが増していく。
「統合国家だか、ラクスだか知んないけど……あたしのこと調べてくれるのは構わないけど……これはちょっと陰険なんじゃないっ!?」
銃声!
慌てて跳ね上がり距離をとろうと試みるも手の中の銃が弾かれた。一瞬の判断、それが精一杯。シンの両目はもはや画像データの中にしか有り得ないはずの少女の面差しに釘付けられ、離せない。
「ま、マユっ! やめろ! おれだ! シンだよっ!」
「馬鹿っ! 違うっ!お兄ちゃんはオノゴロで死んでるの! クローンだか整形だか知らないけど、腐ってるわ! 人のことめちゃくちゃ言うくせに、腐ってるわっ!」
連続でヘッドショットを狙ってくる銃撃をダッキングで回避するとその勢いを前に倒して密着する。肩を合わせ、すれ違う速度を上げて引き延ばした手刀を真上に払えば一撃が銃身を弾き銃を跳ねさせる。
が、続く足払いは相手も読んでいた。それでもシンが強引に水面蹴りを押し込むと体重の差が彼女の抵抗を抑え込んだ。軽い音を立てて転倒したその上半身を押さえつける。
「やめろマユ! おれなんだ! シンだ!」
「うっさいっつってんの!」
予想もしなかった腕力で右腕を払われ、殴りかかられる。一瞬の判断で上体を浮かせ、その拳をブロックするも、
「っ!? ぅあっ!」
信じられない重さ。カルシウムとタンパク質に在らざる硬さに吹き飛ばされた。一度の後転で勢いは殺せたものの鋭すぎる痛みに再度呻く。見やればガードに使った左腕が完全に折れていた。
「あたしと取っ組み合いってのは馬鹿だったわね。左手、ちょっと特殊なのよ!」
ゆっくりと拳を握り込む少女の姿にシンはあの時を思い出し吐き気を催した。シンは見ている。オーブで、爆発に吹き飛ばされた妹の、左腕を。
痛みをこらえて後方に跳ねる。先ほど叩き落とした相手の銃を拾い上げ、銃口を向けるが、引き金は絞れない。
「……何か仕込んでる、っつーか、義手か?」
「まぁね。再生するより武器付けたかったの。力がないのが悔しかったからね……」
その言葉にシンは心臓をわしづかみにされた。骨折の痛みさえ忘却され、左腕を掲げる妹を…ただただ見つめることしかできない。
(絶対マユだ……。それが)
「なんで……なんでお前が連合なんかにいるんだよっ!?」
「なんで!? よくもまぁ……。あんたも爆撃くらって死にかけて見なさいよ。死神に縋ってでも生きたいって思うわよ!」
突然彼女は真横に飛んだが虚をつかれようがつかれまいが彼には撃てない。
「あたしを助けてくれた奴が、あたしを兵器にしたの。でもそれを拒めば――お父さんとお母さんと一緒に、死んでたっ!」
惚けている間にこちらが落とした銃を拾われる。シンは彼女から銃口を遠ざけながらその挙動を追い接近した。動かない左腕を邪魔と断じながら発砲される銃弾を――見切ることのできない銃弾を経験と勘で回避する。
「――だからって……お前、なにしてきたんだよ!」
再度彼女に襲いかかり彼女の背後に回り込む。マユの驚く目元を見つめながらシンは悔しさだけに苛まれた。
「おれはザフトにいた。で、連合が現地の人強制労働させたり意味もなく殺したりしてるの見てきた! お前、そんな思想に染まっちゃったってのか?」
首に腕を回し、手首を捻って銃口を頬に突き刺す。だが彼女は凶器を一顧だにせず自嘲にも似た笑い声を漏らした。
「はは……。そーよ。あたしはしっかり汚れちゃってる。でもそれは、あたしが悪いの? 罪を犯すくらいなら、死んでた方が…………善良な市民のためだって?」
「ち、違う……」
「ただ普通にガッコ行って遊んで……そんな普通をぶっ壊したのは世界の方なのよ? それなのに、あたしだけが馬鹿を見なくちゃいけないの!?」
声の色が明らかに変わった。湿り気を帯びた絶叫に、聞かされるシンの方さえたまらなくなる。
「やめろ……」
「あ、あたしが! 我が儘言って家族殺しちゃったどうしようもない奴だからっ! お兄ちゃんの亡霊に殺されなきゃなんないわけ!?」
「いいから黙ってろよっ!」
いつの間にかシンの手は彼女の肩口に回されている。耳の間近で聞こえる嗚咽にライラの骨子に突き刺さっていた信念やら強がりやらががらがらと音を立てて崩されていく。零さないよう堪えていた熱さが頬を伝うと、強さと信じていたものさえ流れ落ちていった。
「あぁおれが偽物だってんならそれでもいい。お前に殺されるんなら、おれはそれでいい。お前はおれに、なにしてもいいから、頼むから黙ってろ…………」
(お兄ちゃん……)
偽物でも構わない。彼に殺されるのならそれでもいい。
「――ちょっとだけでいいから、泣かせてくんない?」
「お前が強がっても、似合わねーよ」
後はなんだか解らなかった。バイザーの割れたメットをいつはぎ取ったかも覚えていない。兄に、兄だと思いたいものの胸に思いの丈をぶつけ続ける。この整形した暗殺者も馬鹿な社会不適合者をとっととあの世に送り届ければいいもののいつまでもいつまでも優しく背中を叩いている。
遠くで何かが大地を揺るがし風がここまで吹き付けてくる。永遠に甘受したい暖かみから離れられずにいつまでも浸っていると冷たい足音と冷たい溜息に遮られた。
「あぁ……ロアノーク小佐…。そちらはどなたですかな?」
腕の中でびくりと跳ね上がった妹にシンもつられて表情を険しくする。声をかけてきたのは壮年の男。ビクトリア基地辺りで見た覚えのある、連合製のパイロットスーツを身につけている。後ろに控えているもう一人も同じ恰好をしている。
「マユ、誰だ?」
「え、えと」
ライラはシンの口を無理矢理掌で押さえつけると壮年男の方に向き直った。シンはひとまず毒づいて相手の素性を問い正すのは控えたが、何やら雲行きが怪しい。彼女が何か――言い訳だろう、恐らく。慌て方に何となく覚えがある――言いかけるより先に男のうんざりしたような声が届いてきた。
「ライラ・ロアノーク……。流石にわたしは疲れましたよ」
男は頭を振ると視線をこちらに向けてきた。敵の目がこちらを値踏みするように見つめ、自分の左手を掠めていったのを、シンは気味悪げに考える。
「ザフト兵ですか?」
赤のスーツを身につけているこの姿から推されたのだろうが。
「〝プラント〟に潜り込ませていた内偵と?」
「そ、そうそう。ここで落ち合って情報を引き出そうと――」
ライラの言葉がそこで止められた。銃口に。
「もううんざりなんだよ小娘。最精鋭部隊である〝ファントムペイン〟を私物化するな。俺達は、法だけではどうしようもないこの世界を、何とかしなけりゃならないんだよ!」
「青き清浄なる世界のために!」
呆然とするマユを抱えてシンは飛んだ。連続した発砲音が後を追って強化ガラスケースに弾痕を残していく。
「裏切り者には制裁を! 世界は甘くなどない!」
「…………ふざけるな」
「老人の戯れ言に付き合っていられる余裕は、世界にはないのだ!」
「………………ふざけるな……っ!」
銃声が立て続けて木霊する地獄の中でシンは聞こえることのない呪詛を漏らし続けている。
「世界だと?」
そんなものが。
折角の、得られるはずのない奇跡をこの手に掴みかけた瞬間に絶望をもたらす。そんなものが……。
腕の中で信じられない面持ちで震える妹を、無慈悲な私刑に放り出す。そんなものが守られるべき存在で――
「――あるものかぁああっ!」
「!? ちょっとあなたっ!?」
マユの制止をいつの間にか振り切り、銃撃者達との間合いをいつの間にか切り取る。左腕の痛みも消え去るクリアな視界の奧にははじけ飛んだ何かだけが残っていた。慌てて照準を正す男の眼前を横転して攪乱し、真横から拳銃を突き付ける。神経系を撃ち抜くにはにはその腕が邪魔だ。銃を握った右腕を突き込み腕でガードを払いのける。だがその隙に相手の銃口が返ってきた。
意識せず、くの字に折れ曲がったままの左手を突き出す。
敵の銃口は腕に阻まれこちらを向けられず。
こちらの放った銃弾が脳髄に突き刺さり、骨に埋め込まれて暴力を解放させた。銃創の逆側から血飛沫を爆裂させて自分の二倍は生きていそうな体躯が倒れ込む。その男、いやそれが頽れきる前にぐにゃりと曲がった物体を憎しみを込めて蹴り飛ばす。
残る敵の驚愕が見える。直ぐさま肉塊に隠されたが。着弾の衝撃か、肉の盾が2、3度震えたが押し返すことは叶わない。
敵に出来たことは舌打ちが関の山だった。支配者だったモノを押しのけることもできず、体ごと避けた。
「いっ!?」
その額に拳銃が押しつけられる。死を覚悟した肺が最期の吸気を貪欲に飲み込んだが終わりの代わりに軽い金属音だけが届いた。
(不発?)
眉を抜けた汗を煩わしく思えないまま目を見開く。残弾ゼロか、ジャムったかどちらにせよ隙だ。口元が逆の三日月へと歪んでいくのがはっきりとわかる。撃ち返せば生き残るのは自分の方だ
シンは軽い音を立ててスライドの戻らなくなった銃をそのまま掌を開いて落としながら――後方に腰を落とした。尻餅の頭上を銃弾が走り抜け、唐突な挙動に敵の姿勢が泳ぐも銃口は直ぐさまシンを捉える。座り込んだ無様な姿勢は回避が不可能に思えたがシンの足はそのまま上がった。
「ぐぁっ!」
足の裏を押し込み、敵を完全に押し倒すはずだった体重は靴に仕込まれ一挙動で解放された鋭利なエッジを腿に深々と喰らい込ませる結果に終わった。呻き声を噛み潰し、銃を操ろうとするもシンの方が早かった。ブーツのエッジを抜いたかはたまた別の刃を隠し持っていたか、闇の中でも鈍く輝く先端が首筋に冷たさを残し――
血飛沫が一吹き。後は止めどなく腕を伝う。戦闘用の肉厚ナイフを頸動脈から頸骨にまで差し込んだシンはターゲットの痙攣が収まるまで死の抱擁に押し込める。
倒れる。ナイフを拭くこともなく仕舞う。脳裏で何かが結合し、消えていく感覚が終わると卒倒しそうな激痛が襲ってきた。
「ふ――ぁうっ……!」
「あ、あの、大丈夫なのっ!?」
だが、弱音を吐くことは許せない。兄の矜持として。
「なんともないよ。お前こそ大丈夫か。マユ?」
脂汗までは隠せていない。ライラの目はぶら下げられた左手に吸い寄せられた。自分が折ったのだが、自分のために酷使され、今は血に塗れてすらいる。
「な、なんでよ! あ、あたしは、あんたの敵よ? ほら、ここであんた撃って、モビルスーツ盗って――」
《はいっ! マユでェす!》
迷って垂れ流されていた言葉共が自分の声に掻き消された。少し前、だが遙かに遠い自分の声に。
《でもゴメンナサイ。マユは今ぁ――》
シンが、いつの間にかピンク色の携帯電話を取り出し、画面に見入っている。そこから漏れる、遠い自分の声……。その無邪気さがこの上もなく憎らしい。
遠くに、時に近くに聞こえる砲弾の音。母に手を引かれ、息が上がっても強引に走らされた荒れた坂道。その崖下へと転がっていくねだって手に入れた携帯電話――
それに執着した結果、家族が消えた。
「あ、あたしが、我が儘言っちゃったから……お、お父さんも、お母さんも……お兄ちゃんだって――っ! し、死んじゃったの!」
「死んでない。おれは、ここにいる」
弾かれるように見上げれば携帯を閉じたシンと目があった。自分は復讐者で指導者で虐殺者で在るというのに目元で光る弱さの象徴を彼の前から隠せない。シンが一歩ずつ近づいてくる。
(ダメ……。そんな奇跡、ない。あたしは甘えちゃダメ!)
ぶら下げていた手を取られ、その上にピンク色を乗せられた。そして髪の上に優しく置かれる掌の感触。
「ようやく取ってきてやれたよ。もう落とすなよ」
「お兄ちゃん……」
奇跡なのか夢なのかは……持て余す心の前には些細な概念が溶けていた。マユはいつの間にか、彼の胸に体を投げ込み、誰憚ることなく泣いていた。
そう。自分は、これが欲しかったんだ。
「とどめだ。悪いなエライ人」
星流炉から汲み上げられる凄まじい力が長射程砲を通じ、国防本部の最期の抵抗を沈黙させた。地上であったらこの破壊に「果てなき」と言った修飾語が着くのだが、やはり人工岩塊と惑星では星の生命力が違いすぎるようだ。太陽光充電も努力の跡が見られる、としか言えない。〝ルインデスティニー〟のエネルギー残量を気にするなど、このミッションが初めてではないか。
「が、あっちが頑張ってくれてる。せいぜい利用させてもらうぞ」
少し離れた場所では、〝デストロイ〟が近づく羽虫をなぎ払っている。コロニーを破壊しかねないあの兵器は心情的には黙らせたいのだが、状況が許さずその余力もない。シンのシグナルが消えもせずあの付近から動いていないのが気にはかかるが、彼を捨て石としてでもやり遂げなければならない。ゴールはもう、見えているのだから。
「軍事力はほぼくたばったと思う」
〈ご苦労様です。先程〝エターナル〟が〝アプリリウスワン〟に入港しました。詳細は少しばかりお待ちいただきますが……ラクス・クラインは行政府、ですか? そこに向かってると思います〉
「了解だ」
が、すんなり行けるだろうか。自己修復ガラスの穴の修復か、外からの迎撃に向かっていた〝フリーダム〟もいつまで放置していられるか、保証はない。煙を上げる国防本部から反転し、スロットルレバーを押し込みペダルを踏み込む。ほんの一瞬で辿り着く建物を――蹂躙し、その瓦礫で何人を殺そうとも、彼女に思い知らせなければならない。殺すことも捕らえることも二の次だ。思い知らせなければならない。
「ラクス・クライン……平和の歌姫よ。オレは結果だ。あなたが狂わせた世界の、結果だ」
虹を残し、悪魔が去るのを這々の体で見上げる者達は、手遅れになるまで戦意を取り戻すことはできなかった。
「はい。予想到着地点を転送します。参考にしてください」
制御室。〝アイオーン〟の奥深くに据えられ、自分以外が訪れたところで何ら意味のない空間に接続されながら、ティニは通信を切った。一つを切ったところで〝ターミナルサーバ〟と繋がった身には大した負荷軽減にはなってくれない。
ルナマリアは、まもなく帰投する。
シンは、何があったかコクピットから出て行ったきり戻っていない。
先程一人艦護衛用のモビルスーツを放ったが、元より敵はこちらの位置を掴めてすらいないようである。
(クロはこのプランのままで大丈夫だと言いましたが……)
宇宙の支配領域に侵攻し、軍神及び歌姫を捕獲もしくは殺害する。あのカリスマさえ亡くせば世界は緩やかに普通に移行するだろう。その結果を見て思考補助を考える。現行のプランは、これだ。これで済めば全ては容易い。だが、ギルバート・デュランダルと言う男が似たようなことをして見事に失敗したのは記憶に新しい。敵は、世界を支配しうるだけの力を持つ存在達である。それが二度と起きないなどという保証はない。
よしんば問題なくプランが完結してしまった場合、ラクス・クラインとアスラン・ザラ、二人はどうなるのだろうか。もし会えるのなら問いただしたいのだが――親からどこまで聞かされているかを。
今も地球は血で汚れ続けている。それらの映像を見続けながら〝エヴィデンス〟の心はただただ体に溜息をつかせる。
「人で成り立つこの世界。世界を変えることは、人を変えること。うまくいくことを願いますよ」
「おお! ラクス様」
「状況は解っています。フェイス全員を〝アプリリウスワン〟に集結させてください。申し訳ありませんが〝インパルス〟の搭乗員にも可能ならば集結するようにと! 避難状況はどうなっています?」
「評議員とザフト関係者以外はシェルターポッドに――えぇ、62%完了との報告があります」
ヒルダと合流し、最大速度で歩く。走ることなど論外だ。あぁ終ぞ味わったことのない焦燥に駆られれば走ることなど論外になる。右往左往する官僚を捕まえては指示を飛ばし、最悪を一歩でも良い方へと進ませるための方法を模索する。縋るものをヒルダが押しのけ頼るものをラクスが諭す。歩き慣れたこの回廊が今この時だけはいつまでも終わらない。
「最悪の事態を想定しましょう。定員に達したポッドから射出してください。〝フェブラリウスフォー〟、〝アーモリーテン〟辺りが妥当と考えますが……いえ、避難場所は戦況次第で適宜対応してください。可能ならば統合国家政府にもポッドの回収依頼を!」
「ラクス様――」
その官僚の顔が――唐突に歪んだ。驚愕するラクスはそれを見続けてはいられなかった。突如強固な壁が粉砕され、降り注いでくればその質量からは頭を庇って後ずさるしかない。巨大質量をまともに受け止め頭蓋骨を強烈に変形させた男を完全に包み込んだ瓦礫に外の光が差し込んでくる。ラクスが息を飲み振り仰いだ先には――大きすぎる双眸があった。
「……くっ!」
自分がキラに与えた剣と似ているようでその実かなり違う、モビルスーツ。
今の戦争暴力を象徴する機体、黒の〝デスティニー〟。
その双眸に睨み付けられようと自分は引くわけにはいかない。平和の象徴が、暴力に屈することだけはあってはならないのだ。
「ラクス様お下がり下さいっ!」
自分を奧へと押し遣ろうとしたヒルダの手をやんわりと押し止める。彼女は目を丸くしたがそれを見ていられる余裕はなかった。ラクスの目は、ただ巨大な魔物から離せない。
「いえ。無駄です。わたくしは大丈夫ですから」
どうしようもないヒルダを押しのけ一歩前へ出る。彼女にこの間の件での遠慮がなかったら、こうは行かなかったかも知れないなどと思いつつ、一歩、進む。黒の〝デスティニー〟は腕から瓦礫を降り注がせながらじわりと距離を詰めてくる。
〈どうもラクス・クライン〉
外部スピーカーからの通信はラクスを戸惑わせた。まさか向こうから話しかけてくるとは……。だが好都合でもある。対話できる相手ならば、対話で解決できるのならば願ってもないことである。
「……ごきげんよう。わたくしのことは既にご存じのようですが、どちら様でしょうか、そしてご用件は?」
死ねの一言。直後に襲いかかる断絶さえ覚悟しての問いかけは、何とか震えずに出すことができた。
〈停滞した世界を動かすため、あなたには死んでもらう〉
モビルスーツサイズの銃口に生身のまま狙われると言うのはもはや恐怖を通り越して冗談ごとのように感じられる。
〈――と、オレはこのためにここまで来たはずだが……事ここに来て優先順位の繰り上がった疑問がある。答えてもらいたいが?〉
デュアルセンサー、そしてメインカメラに視線が吸い込まれる。ラクスは視線を外せないままただ頷いた。それにモビルスーツが頷き返したような錯覚を覚える。
〈どうも。まずあなた――に限らないが、組織の意味、そして価値とはなんだ?〉
計りかねる。だが応えないわけにはいかない。命を握られていれば尚更。
「……? 個人単位では不可能なことを、束ねた力で実現させることではないでしょうか」
〈うん…。模範解答だと思う。
が、正しいと信じて所属した組織もやがては熟れすぎた果実のように腐っていく。いつもだ。絶対だ。その時上にいたのなら、腐敗がもたらす甘美な快楽を何人が捨て去れる? そして下にいたなら、腐った上位を変えるための力と気概を持てる人間が何人いる? 大多数が腐るというのなら、組織が存在し続ける意味や理由ってなんだ?〉
なんだと言われても…。この問いかけが致命的なものに化ける可能性は高いが、ラクスは心を隠すことを良しとしなかった。
「……あなたの真意が解りかねます。申し訳ありませんが、要点を伝えてもらえませんか?」
研いだ刃と思われても仕方がないが、彼は気にもしなかったらしい。声の調子は変わらなかった。
〈お前達は力による統一で、世界という単位を一つの組織にしてしまった〉
刃は手元で反転し自らの胸に突き刺さる。心にまで突き刺さる前には、押し止められたが。
〈自由とは? あなたはどう考える? いや、これは質問じゃない。オレの、あなたへの印象を聞いてくれ。自由とは、自分でモノを考え、行動してこその概念だ。
あなたの〝デスティニープラン〟への反発もこれに端を発していたはずだが、今はどうだ? あなたの周囲はラクス様を信じていれば大丈夫、ってのばかりではないか? 本当の自由とは、責任を伴う恐ろしいものだと、オレは思う〉
望んだ要点は一向に得られないが何かが冷たく感じていく。ラクスはただ、睨むではなく見返し続ける。そして、問いかける。自分は貫き続けている。だが、何かが変わったか? 彼の言葉に圧迫感を覚える。
〈ある国の番組でコメンテーターが言ってたよ。「選挙を興味本位で投票するな、国民主権で選んだ政治家の責任は国民にもある」ってな。もっともだと思わなくもないが……あんたの存在って言うかカリスマってのか、そいつを見てるとこうも思うんだ。
偉そうにして高い金貰ってる分、知識稼いで選ばれた分、愚民を導く責任ってのもできるだろうってな。
ヒトを一目見ただけで価値を見抜ききって選択できる人間が文明社会にどれだけいる? たった数分の演説だ何だを参考にしろってんなら、政治を行うものは全てを公として扱い、晒す覚悟があるというのか?
人を見ずに投じた一票に価値はない。ならどこまで見せてくれるというのだ? 選挙運動中の綺麗事、それを物差しに扱うのは悪で無責任なのか――〉
「わたくしに無私での世界貢献を求める、と言うことなのですか?」
嘆息が聞こえた気がする。相手の心が解らない。それは――自分が上に立つもので彼が使われるものだからなのか?
〈今みたいな、国民が政治家を監視すべきだってな質問に、倭国の若者がこう答えた「だってめんどくせーもん」〉
ラクスは、その若者とやらを想像し、少しばかり苛立ちのこもった呆れを感じる。
〈コメンテーターはキレてたよ。正しいよな。――だが、そいつは本当に悪か? その全てを逐一のべつ幕なし監視出来なければ政治に参加する資格はないのか? 悪いが貧富の差を問わず、個人はそこまでヒマではないぞ〉
……それが、彼と自分の差だというのか。
〈まぁ、『わたくし』の廃止ができれば――多少は世界も変わるかもな?〉
今までとは異なり、その問いかけにだけは意図の知れない笑いが込められていた。ラクスは感じる恐怖がいつの間にか別の形にシフトしていることに気づかされる。
〈と、長くなったが、オレの戯言に対するあなたの意見を聞きた――〉
唐突に言葉を途切れさせた黒の〝デスティニー〟がその視線を彼方に流した。
〈ラクスっ!〉
「キラ!」
シールドを掲げた〝デスティニー〟を〝フリーダム〟が押し遣っていった。押し遣られ、体勢を崩した黒の〝デスティニー〟が翼を広げて後ずさる。強烈な突風と更に降り注いだ瓦礫に慌て、ヒルダに無理矢理引き寄せられて難を逃れる。
〈ラクス、下がって! 僕が、あの人を――!〉
怒りが感じられた。恐らくここに自分がいるなど思わなかったらビーム兵器を叩き込みたかったのだろう。こちらの返答を聞くこともなく〝フリーダム〟も翼を広げ、黒いモビルスーツを追い縋っていく。
「ラクス様! こちらへ!」
振り解きたくともそれはできない。ヒルダに引き寄せられ、キラと破壊者から離され、もう見えなくなる。
キラを、案じ、胸の前で掌を組み合わせた。そして祈りの最中に……彼への回答を模索した。
SEED Spiritual PHASE-67 多少の怯えを認める
――脱出艇を抱えた〝プロヴィデンス〟が近づいてきた。
「あ」
帰投を確認したサイ・アーガイルがビーコンを示し、制御室の壁面を蹴る。
「お帰りケインさん。無事で何よりです。おじさんは?」
〈サイか。何とか無事だよ。多少は考えて欲しいんだが……〉
危うく脱出艇との通信まで繋ぎそうになったサイは苦笑を漏らしながら壁を蹴る。何度か跳躍を繰り返し、格納庫(ハンガー)へと入り込んだ。ビーコンに誘導された闇の機体が入り込んでくるなり小惑星に偽装した〝ファクトリー〟は直ぐさまカモフラージュを開始する。
L1第8〝ファクトリー〟。
サイは数機のモビルスーツが並んだ無重力中を泳ぐ。黒いモビルスーツに張り付いた顔の中央に向こう傷のある男がそれを見止め、しかしすぐに興味を愛機へと戻し、作業に移った。
「ナチュラル共がいつまで隠れ続けている気だ……?」
その声に不遜はあっても傲慢はなかった。隠れなければならない立場というものを彼は理解している。〝ジン〟のメンテナンスを終え、追加スラスターの具合も確かめられた彼は脱出艇を抱えて工廠に流れてくるザフト機に息を飲んだ。〝プロヴィデンス〟だった。
「ナチュラルが……」
パトリック・ザラの決戦兵器。それなのに自分には扱えない。この場ではあの男こそが操るにふさわしい適正を持っている。それが彼には口惜しかった。
脱出艇を下ろした〝プロヴィデンス〟も格納庫に固定されハッチが開きパイロットが泳ぎ出てくる。ケイン・メ・タンゲレだった。
「お疲れ様。サトーさん。調整は終わってますか? 恐らくここも破棄することになるけど」
「自分の心配だけをしていろナチュラル」
右半身をサイバネ義体で補完した男は辛辣な言葉を投げかけた。以前の大戦後、散っていった人々の嘆きを忘れ、偽りの笑いを謳歌する愚民全ての目を覚まさせるため、彼はテロリストと呼ばれた。そして最近の大戦後、死に損なった自分はやはりテロリストになっている。愚かで傲慢なナチュラルを駆逐するそのために。
「己(おれ)はパトリック・ザラの意志を継ぐ。それだけだ」
脱出艇に張り付いたサイはそんなサトーに非難を込めた視線を向けながらハッチを開きリーダーに手を差し伸べた。
「大丈夫でしたかおじさん」
「サイ君…すまんな。だが、命を危険に晒しただけの甲斐があった!」
彼の喜色にサイは不安感をかき立てられた。バルドル・ケーニヒ。サイにとっては工学カレッジ時代の友人、トール・ケーニヒの父親という以上の接点はなかったのだが、今は違う。彼に従って働かねばならないのだ。
いきなり地球連合の士官に身柄を拘束され、新造の強襲揚陸艦〝アークエンジェル〟のCICを担当したあの戦いでトールは死んだ。自分にとっても苦しすぎる思い出だが、彼はその事実を受け止めきれていないようにサイには感じられていた。父親だということか。自分には感じられない苦痛を抱えてしまっているのだろう。
「近いうちに〝プラント〟が攻められるぞ!」
それ故か、バルドルは時折、壊れる。道義に外れたことを嬉々として絶叫したり、他者の行動を自分の手柄のように感じてしまったり。
「おじさん……どこからの情報です?」
「N/Aは今大丈夫か?」
「――えぇ、まぁ……」
喜色満面で頷いたバルドルはサイを置き去りに情報端末へと浮遊していった。深く、大きくため息をつく。ここは自分の居場所なのだが、気に入らない人間が多い気がする。喜び勇んでサーバ使いの下へと駆けていくトールの父を見送りながらサイは青空でも見たくなって顔を上げた。サトーはどこかへ行っており、こちらに気づいたケインが肩をすくめる。サイも彼には微笑を返した。無論空など見えるはずもない。
「お! 見ろサイ君。ソースは東欧のサーバ使い。……意図的に流されてるって話もあるみたいだがこれで実際に動く組織が複数確認されている。どうだ? サイ君は、不安か?」
「N/A……これは本当に大丈夫なのか?」
友人の父をないがしろにする心地は決して良いモノではなかったが、事は自分の、そして皆の命に関わるかもしれない。遠慮をして死ぬようでは誰も褒めてはくれまい。
〈ソースは、信頼できますよ。発信元まで調べるとなるとすぐに、とは行きませんが、実際この情報に基づいて行動を起こす準備が見受けられています。信用するに足るとボクは思います〉
幾つかの証明データの表示と共に少し甲高い少年の声が端末を通してサイの耳に届いた。バルドルとほぼ同じ事を繰り返されただけに過ぎないが得られた心の安寧は比べるべくもない。自身の中で咀嚼するため眼鏡の位置を正していると、上手から声がかかった。
「ほう。ムウもどーかなっててアスランも地上……今〝プラント〟を防衛できるのは〝フリーダム〟だけだな。奴が歌姫の下を離れるとは思えんから……今を置いて好機はないとも考えられるな……」
流れる体を筐体を掴んでとどめたケインが会話に加わる。話は戦争開始の方向へと流れているようだ。サイは辟易した。
――だが〝プラント〟が攻められる。その事実にだけはサイも昂揚を禁じ得ずにいた。理性が非道と罵っても、心は是として悦を生む。
(キラ、お前はに出来ないことを俺に出来るって言ってくれたよな。俺に出来るのは、お前の目を覚まさせることだ……!)
サイは仕事に戻りながら地上の様子を時折見やる。〝ターミナル〟は、〝へリオポリス〟やオーブにいては見られない、見られても他人事としか思えない世界を色鮮やかに見せてくれる。思い返せばマリュー・ラミアスも自分達を拉致する際叫んでいた。「見たいものだけを見るな」と
裕福などと言う概念を、想像すら出来ない存在もある。レールに沿って行けるだけでも幸せだと思う弱者を切り捨ててもらっては困る。
「お前は一方的に切り捨てたが……それに縋った奴だっているんだよ……」
サイは戦闘を忌避しながらも戦闘開始を心待ちにした。
――だがその戦闘は思いの外早くはじまり、そして手をこまねいている内に終わってしまった。
ウィラードは取って置きの入ったヒップフラスクを開けた。なにやら避難勧告が出ているとのことだが、場末に暮らすうらぶれた人間にはあまり関係の無いことだ。世捨て人にもなりきれず、酒で不幸を薄めるようになると危機感と言うものがどこかへ行ってしまう。
彼ともう一人は今の今まではバーの片隅に陣取っていたのだが、昼日中に暗がりに籠もる、モグラのような姿をさらすという羞恥、共に耐えかね、こうして別の暗がりに出てきたというわけだ。片や白服にまで登り詰めた壮年、そして片や国防委員長まで務めた男が昼日中から酒場に浸り込み愚痴を並べるなど沽券に関わるではないか。
「いや、すみませんな」
ウィラードの眼前で笑みを浮かべるその男は昨年までの国防委員長タカオ・シュライバーその人であった。無論両者とも平服。ザフトの上位者を示す証などどこにも付けていなかった。
「変わりましたな……。世界も」
自己修復ガラスに覆われた青い空を見上げる。雲が流れ、風が吹く。この〝アプリリウスワン〟は、何か変わっただろうか? 〝プラント〟の中心。見渡せる風景に何も変わりはない。それでもタカオは目の前の元軍人に同意していた。
「……変わりましたな」
変わったのは……自分たちだけではないか? ナチュラルのように区別するのは愚かしいとは思うが、それでも勝ち組から誰の意識にも留まらない存在に格下げされた。そのことをいつまでも悔しがり腐っているだけではないのか。
ウィラードはヒップフラスクをそのまま口元に運び、舗装されているとは言え地べたとしか呼びようのない場所へ腰を下ろした。タカオにはしばしの逡巡があったものの結局彼に倣う。思い知れ。自分はもう下層階級なのだと。
「自分は……これが平和だとは思っちゃいません。無論グラディスや年端もいかない一兵卒をフェイスに取り立てていたデュランダル議長が――……シュライバーさんは〝デスティニープラン〟賛成派でしたかな?」
「いえ」
ウィラードのその問いかけにタカオは彼に政治家としてギリギリの及第点をつけた。最近の政治家はその辺りに転がっている学生よりも話していいことと悪いことが理解できていない。冗談にもならない冗談を公共の電波に垂れ流し、糾弾されて開き直り、更に糾弾されて謝罪する。そんな茶番は数度と見たいモノではない。
彼は確か北欧方面の部隊を指揮していたとタカオは記憶していた。〝アークエンジェル〟撃沈を目標とした〝エンジェルダウン作戦〟の陣頭指揮を執っていたはずだ。当時ザフトのトップであった男の言葉を壮年の指揮官はどう受け取ったか。酔いも手伝ってから彼の弁舌はとどまりそうもない。
「では、大丈夫ですかな。自分は当時の評議会を手緩いと批判した事はあります。だが変わったとまでは思いませんでした。あの議長が世界を支配する目的であったにせよ、世界に一石を投じたのは認めています……だが……今の議長は、あぁ統合国家もですが、ただ大昔の専制君主制を復活させただけに過ぎません。〝デスティニープラン〟と言う敵が見えていた頃は団結もしたでしょう。が、敵を倒した後は? 色々な思惑を無理矢理恐怖で束ねて壁に貼った「平和」の文字を読ませて支配した気でいるだけでしょう………」
あの戦いでは、ウィラードはどちらにいた? タカオは国防委員長という立場もありザフトの側で〝クライン派〟からの防衛行動を行った。敵の旗頭――今の議長だ――の演説に現場の兵士達が手を止める様を見せられたときは目もくらむ絶望を味わったものだ。
「貴殿の言い分も解るが……。ならばどうするというのです? クーデターか?」
「いやいや恐ろしいことを。あの〝フリーダム〟に対抗できる戦力など揃えられるはずがない」
否定は、そっちか。彼の心には不満しかないらしい。クーデターも辞さない思考を抱えながらも燻っている。タカオは危険な存在だと考え、受けた杯を飲み干したが――例え現時点国防委員長の座についていたとしても彼を糾弾したりはしなかっただろう。
「今が専制君主制というその言葉には、賛同させていただく」
「おぉ……」
元国防委員長の意見は絶大だったようだ。現状では一市民以上の価値はないというのに。ウィラードは酒気に濁った目に希望を灯すと座る二人の距離を縮めてきた。
「ここだけの話ですが……動かせる部隊などありませんか?」
「はは……ご冗談を」
瞬間、世界が激震した。男二人が壁に背を付け堪えている間に、なんと〝プラント〟を囲う自己修復ガラスに大穴が空いた。
「うぉうっ!?」
「ウィラードさん! こちらへ!」
穴が空いた場所は遠い位置ではあるが、吸い出される風の流れがここまで感じられる。タカオは最も近いシェルターポッドの在処を思い浮かべると壁に縋り付くウィラードの袖を引っ張った。横幅では二倍近い彼を抱える自信などない。手を引いて抵抗があるようなら見捨てる。そしてその抵抗は直ぐさまあった。ウィラードが彼方を見据えたまま腕を振り払ったのだ。
「ウィラードさん! 私は行きますよ!」
「ま、待ってください! あれを――」
振り返る意味などない。身の安全を確保する方が優先される。そのはずだったが彼の声にはタカオの意識を引くだけの響きがあった。どういうことか? その声に歓喜が含まれている。
「何を……」
苛立ちは彼の指先をたどれば驚天に変わった。
「な!? く、黒い〝デスティニー〟!」
舞い降りた黒い悪魔が滞空しながら〝アプリリウスワン〟の地表を舐め見ている。そして直ぐさま獲物を見つけたらしく光に粒を残して飛び去った。
「……なんだ?」
タカオは携帯端末を取り出し警告情報に眼を走らせる。そして驚愕し、舌打ちした。避難勧告が避難命令に変わるような警報は聞こえなかったぞ? 地下室じみた酒場にいたせいか、長々と路地裏に籠もったせいか。それでも自分達の非など認められず今の防衛体制に疑問を持つ。民間人の避難はどうなっているのか。
「どうしたんですか?」
携帯端末に顔を近づけてきたウィラードも驚愕する。〝プラント〟は防衛行動に入っている。黒い〝デスティニー〟と言うテロからの。
「こ、これは!」
「っ! 国防本部が!」
「あぁ! シュライバーさんあれは!」
黒い〝デスティニー〟だけではない。連合の悪魔たる巨大モビルスーツ〝デストロイ〟が先程開いた傷口から入り込んできている。一刻も早くシェルターに逃げ込む必要がある。そうこうしている間にもザフトの防衛隊が〝デストロイ〟を囲み、舞い散る閃光が目視で確認できる程になった。
(……なんだ?)
この理不尽な破壊行為、唾棄すべき非道を目にしながら――タカオは言い様のない高揚感に支配されている自分に気づいた。ウィラードが新たな歓声を上げている。が、それを止めようという気がなぜ…………。
惚けて見上げている場合ではない。政府の撒き散らす避難命令がそこかしこから聞こえてくる。
「行きますよウィラードさん!」
「あ、あぁ……」
暗がりから出てみれば喧騒は聞こえる。そして避難する人だかりもしっかり見られる。タカオは舌打ちした。時間をかけすぎた。最寄りのシェルターポッドは満員になったらしく別場所への誘導員が手を振っていた。次の場所……ここからならば行政府が一番近いだろうか。元国防委員長の立場を濫用するのは気が引けるが命には代えられない。いちいち足を止めるウィラードに辟易しながら走り続ける。
まもなくだ。行政府が視界の中で大きくなり――そしていきなり弾け飛んだ。
『うぉおおおおぉっ!?』
大の男二人が悲鳴を上げるその目の前で行政府が貫かれていた。
黒い〝デスティニー〟。魔神の機体が体ごと建造物に突撃し、壁を突き破って潜り込んでいる。近すぎる。走れない。いつまた瓦礫が雨となるか、想像することさえ危険だった。
が、こちらの心配に反して黒い機体は動こうとしない。意図の汲めないタカオは両足を地面に縫いつけられたが今度はウィラードが手を引いてくれた。そして二度目の轟音。
「〝フリーダム〟……!」
〝プラント〟の守護天使が悪魔を突き飛ばし離れていく。だがもうタカオ達にはそちらに目をやり喚声を上げる余裕は残されていなかった。
「な、何者だ…? 君たちは」
アサルトライフルとマシンガンで武装した――しかし防具などない平服の――一団が二人を取り囲んでいる。
「無礼な真似を失礼します。タカオ・シュライバー元委員長ですね」
「君は……?」
一人拳銃だけを手にした男が少しばかり眉を歪めたが、平静を装って近づいてくる。
「申し遅れました。マッド・エイブスと申します。昨年まで〝ミネルバ〟で整備技師をしておりました」
笑顔の想像できない引き締まった顔の男が黙礼を返してくる。反政府勢力。そんな言葉が脳裏をよぎるがなぜだかタカオの胸中には嫌悪感が湧いてこない。
「ご同行願います。シュライバー国防委員長閣下」
「行くぞマユ!」
「あ、うん」
左腕にダメージ、右腕に銃では手を引いて貰うわけにもいかない。それに自分はそこまで望んでいない。彼の折れた腕は医療キットの添え木で固めてあるもののそこに縋り付くわけにも行かず、マユはシンの後について破壊された博物館を出た。ぶら下がった〝ブレイズウィザード〟に、放棄していく〝カラミティ〟に未練は残るものの今も大きく揺れ動くこのコロニーにいるのは得策ではないだろう。母艦〝クリカウェリ〟の待機座標、思い描き外へ出て、大爆発音に思い出す。
「とっ! ちょっと待ってお兄ちゃん!」
「あぁっ!? 何言ってんだマユ、早く〝デスティニー〟に乗れ――」
「ステラを助けてあげて!」
シンは、自分の体が何かに掴み取られたかのように動けなくなってしまった。何と言った? 妹は今、何を助けろと言った?
「ま、待て……なにを助けてって……?」
こちらの干涸らびた声に気を回す余裕もないのか、マユは〝デストロイ〟を見上げながら通信を繋げようと躍起になっていた。
「ステラよ! あの、でっかいののパイロット。あたしの部下なの!」
ステラ? そんなはずはない。自らの手で、怖いもののいない……だが戻りようのない冷たすぎる湖の底へ沈めたのだ。〝デストロイ〟のパイロット、ステラ。絶対に有り得ない。偶然の符合、他人の名前だ。おれのことなど知るはずもない。
「マユ急げ!」
そんな胸中の言い聞かせがシンの心に染み渡るはずもない。役に立たない通信機を弄くるマユの手を引き自らの力――〝デスティニー〟のコクピットへと投げ込み自分も滑り込む。
「痛ったぁ!」
「悪ィ」
とても悪びれている様子もない謝罪。マユを座席奧へと追いやったシンは素早く操作系のロックを解除する。
(早く動けよっ!)
ザフトのロゴが明滅する時間すらも惜しい。一足早く起動したモニタが空中にミサイルをばらまく〝デストロイ〟の姿を映し出した。
「ステラ……!」
絞るような声は妹か、自分か。
「マユ、こいつの通信機使え! パイロットにこっちに乗るように伝えるんだよ!」
「あ、ぅあああ、そうね!」
動かしにくい左に舌打ち。繊細な操作は諦めスラスターレバーに添えたまま放置する。ヘルメットを掠めて伸びたマユから頭を離しながら〝デスティニー〟を立ち上がらせる。そして〝デストロイ〟が撒き散らす分厚い弾幕にCIWSの細かい波を混ぜ込んだ。
「ステラ、喋れる?」
〈ライラ?〉
「あたし今〝カラミティ〟捨てて、赤い羽根のに乗ってるから。見える?」
シンはスラスターの調節に手間取りながらも巨大兵器のメインカメラに自機をねじ込んだ。〝デストロイ〟の偉容を目の当たりにするとどうしても攻撃衝動が沸き上がってしまう――かと思ったが、混乱、いや焦燥ばかりが占めていた。
「こいつで帰り道作るから、あんたも協力してよ」
〈わかった。とにかく撃つ〉
(ステラ……本当に、ステラなのか?)
マユの体に遮られて、それ以上に敵地の真ん中で外部モニタから目を離すわけにも行かず、相手の映像を確認することはできなかった。迷いが戦場で良い結果を生むはずもないが、捨て去ることはできそうにない。
「マユ、下がってろ」
「あ、うん」
それでもザフトの防衛部隊が〝デストロイ〟と〝デスティニー〟を取り囲みつつある。弾幕を擦り抜け接近を果たした〝ザクファントム〟へとビームブーメランを投げつける。トマホークごと右腕を持っていかれた〝ザクファントム〟だが、しぶとく左のシールドを回転させもう一本のトマホークを手に取るも、更なるビームが残る腕も吹き飛ばす。
「近寄んなよ……!」
もしかしたら、同僚を殺してしまうこともあり得るかも知れない。その恐怖。両腕を失った〝ザクファントム〟が真上から降り注いだ大型誘導弾に晒され爆煙に飲み込まれる。シンははっとしたが、次へと意識を向けられる。今の機体、自分の手で撃墜していたらどうか? 吐いて動けなくなっていたか? ――アスランを貫いた時のように。
「くっ!」
ビーム突撃銃の乱舞がシールドで弾けた。光と残像を散らしながら肉薄する二機の〝ザクウォーリア〟と〝グフイグナイテッド〟へとビームブーメランを投げつけ武装をこそぎ取る。一機はバックパックまでも破壊され墜落していった。爆死したかも知れない。だがそれ以上に意識を奪うのは脇を擦り抜けていくザフト機の存在だった。張り巡らされる陽電子リフレクターが降り注ぐ連射を受け止めているものの、時折その閃光が黒い装甲で弾けている。
「くそっ…! ステラ!」
険しさを増した兄の表情をマユは怪訝そうに見下ろしたが彼はそれに気づくことなく焦燥を募らせている。〝デスティニー〟が加速し、〝デストロイ〟の死角に回り込もうとしていた一機を斬りつけた。そこに加減はない。
遠距離からの〝オルトロス〟をビームシールドで撃ち弾く。後方の砲撃部隊に急迫し、長大な砲身に〝アロンダイト〟を叩き付けた。
サイドモニタに膨大な赤光が映った。掠め見ると黒い機体が国防本部に攻撃を加えている。
(クロ、か?)
かなりの数のモビルスーツが引き返していく。
(よし。これで楽になったな)
隙を見て〝デストロイ〟と接触し、パイロットを引き上げる――想像を実行すべくカメラを回すが、その考えが油断だった。ステラの機体の右ミサイルランチャーが弾け、黒煙を噴き上げながらカブトガニが片膝をついた。
「ステラ!?」
「く! くっそぉおぉっ!」
油断が不幸を呼ぶのか? 神なんて意地の悪い存在は、おれに気を抜く時間すら与えたくないって言うのか? 耐えきれない憤怒を吐き出したシンは愛機にビームソード〝アロンダイト〟を担がせたまま最大速度で救助対象の元へと舞い戻った。〝デストロイ〟は立ち上がれずにいるが、未だ実弾光線問わずばらまき敵の接近を阻んでいる。だが、崩れかけたその姿勢はシンに焦燥感ばかりを募らせた。守りたいものを悉く失わせるこの世界、それを――斬り裂く!
「やめろぉおぉっ!」
左腕が不自由なためスラスター制御に不安は残るが指先が使えれば武装制御は可能。コクピット内が盛大にシェイクされることも厭わず巨大兵器に銃口を向けるザフトの兵器に急迫し、装甲に光と鉄塊を喰らい込ませる。力任せにフレームを引き裂き人工の地表に叩き付ける。間髪置かずにリアカメラで確認した敵機へビームライフルを撃ち込む。二機を潰し、一瞬の安息を得たものの敵の増援がそれを刹那で削り取っていく。迫り来る次を斬り伏せても稼げるのは数瞬。とても互いのコクピットハッチを開けてパイロットを引き寄せる余裕は与えられそうもない。
「ちっ……マユ! 乱暴に行くぞ!」
「ら、乱暴って?」
更に迫り来る〝ザクウォーリア〟と〝グフイグナイテッド〟を瞬時に斬り捨て〝デストロイ〟の懐に潜り込む。
以前ステラの操る〝デストロイ〟を〝インパルス〟で斬り裂いた経験がある。あの機体の装甲厚は理解しているはずだ。
「ステラ、下がってろっっ!」
鋼鉄の切っ先を漆黒の胸部に滑り込ませる。凄まじい負荷をものともせず、モビルスーツ高を超える刀身が鋭い破片を千々にばらまく。
「お兄ちゃんっ!?」
「痛! 落ち着けマユ!」
ヘルメットがっしり掴んでいた妹に辟易しながらも潜り込んだ〝デスティニー〟を見上げさせる。浅かったか? 多少の怯えがあったことは認める。斬り込みすぎたと言うことはないはずだ。
「ステラ!」
「――見えた」
重甲冑を思わせるパイロットスーツが奥深いコクピットの中に見えた。〝デスティニー〟は武装を仕舞うと二つのマニピュレータを黒い傷口にねじ込み出口とのなるべき傷口を押し開く。
「マユ、呼んでくれ」
「え? あ、あぁ――」
シンがコクピットハッチ開放の操作をする間にマユが通信機のスイッチに触れる。
「ステラ、出られる? こっち開けるから、入ってきて」
〈これは? 捨ててくの?〉
通信機までは壊されていなかったようだ。
「捨ててくの」
〈かわいそー〉
ハッチが開き、這い寄ってくるステラが肉眼で確認できた。可哀想。彼女の言葉にマユは少しばかり心を打たれた。思いの外愛着を持っていたのか、もしかしたら「勿体ない」と混同しているだけか。判断つかないまま手招きをする。
シンは間近まで迫っているはずの殺意に対する自衛意志を忘れた。這い寄ってくる少女を注視する。思っていたより、遙かに幼く、小さい。遮光処理か逆光か、伺えないバイザーの中が覗きたくてあからさまに顔を下げてしまう。ステラと呼ばれていた。彼女が? ステラ。その単語から想像するのはおっとりとした金髪の同年代……。
「だ、大丈夫ステラ?」
「だいじょぶ。――ライラ、これ誰?」
それなりに急いでシート裏に回っていった少女に指差され、憮然としたシンはハッチを閉じた。外されることのなかったヘルメットにも憮然とするものの、アラートがそれを遮る。
「舌噛むなよ!」
それだけを叫んで〝デスティニー〟に急制動をかけた。魂を失った〝デストロイ〟が次々と着弾の炎を上げていく。
「逃げるぞ。――マユ、お前の母艦の位置教えてくれ」
ルナマリアを放っておくのか? 心に囁きかけてきた自分に苦虫を噛み潰したような渋面を作ってしまう。どちらも捨てられないが、今はできることをするしかない。――と、マユの拳骨がヘルメットに降ってきた。
「………まゆ?」
「気にしなくていーの。おに――シン、ナビコン借りるわ。んでステラ、あれ自爆させよーと思うけど、ダメ?」
「……いーよ」
妹のポーズに内心苦笑、少女の暗い声色に同情をよせながらクロが開けたコロニーの穴を目指す。マユがスーツの腕部を操作しウェアラブルキーボードに何やら撃ち込んだ。
刹那、目も眩むほどの閃光が全てのモニタを埋め尽くした。激震が、コロニーを揺るがす。
「お、おいっ! おま、アレの自爆用にどれだけ威力突っ込んでんだよっ!?
「いっ!? えっ、あれ!?」
コーディネイターの中心、〝アプリリウス〟が崩壊する!? その懸念にシンは罪悪感の混ざった震えを覚えた。
SEED Spiritual PHASE-68 怒りは以外を拒絶する
「キラ・ヤマト……」
目の覚めるような青と白の機体から遠ざかりながらクロは呻き、自嘲する。流石に話しすぎた。だが、かつて彼女を崇拝してしまった身としては、問わずに消し去ることなどできようはずもない。最大の目的をも忘れ去ってしまう人の心を、あの生物はどう思う?
嗤うか。間違いない。
「〝フリーダム〟!」
だがその失態感を燃やし尽くすほどの昂揚が、目の前にある。
邪魔は入らない。
〝ストライク〟ではない。
奴は、オレを憎んでいる。
およそこれ以上は望めない。叩き潰せれば、確実の世界を変えられる――こんなシチュエーションなど英雄たり得ない自分の人生に二度とあるものではない!
〈あなたに、ラクスは殺させない!〉
コロニー内で射撃をばらまくわけにもいくまい。キラが両手に剣を握り込んだ。
「望むところだよ……!」
クロは戦を経て神と崇められる存在の敵意を嬉々と受け入れた。〝デスティニー〟の機体構想はショートレンジをこそ支配する。二刀を構え、正面からかき消えた〝フリーダム〟をAIの絶叫が追い縋る。クロはそれに従い大剣を振り抜いた。切り裂こうとした青の機体は有り得ない鋭角を描いて飛び離れ、二機の〝ドラグーン〟をこちらに向けて飛ばしてくる。小型機動兵器の連射にシールドを向け、弾きながら存在座標を変え続ける。究極の反射神経に対し、長時間の座標の固定などしようものなら一瞬で蜂の巣にされかねない。TPS装甲なら奴のビームの大分部を無効化できるが、複相砲〝カリドゥス〟だけはその限りではない。それに何より――足下が惑星ではない。いつダウンするとも知れない装甲にべったり頼れるものではない。
〈あなたが! あなたさえいなければっ!〉
「万事平和だったか!? 本当にそうかっ!? お前達は停滞する生を死と断じてザフトを討った。その結果お前らの支配する世界は――〝デスティニープラン〟と何が違う!?」
再度消える〝フリーダム〟。AIの知覚が引きずる先には二刀を靡かせる敵がいる。ビームライフルにアクセスする余裕はない。〝ルインデスティニー〟が左手を開き掌部よりビーム砲を解き放った。撃ち抜かれるより他にないこのショートレンジでさえ奴は光の刀身でビームを弾き飛ばした。
クロはただただ驚愕する。あんな技、真似ようなどとは考えられない。
「そんな技できる奴が一体この世に何人いるんだか…。キラ・ヤマト。お前は『強さ』って概念を、どう考える?」
〈あなたこそが強さだと!? そんなことを、力で抑え付けることを正当化するつもりかっ!〉
十字に裂かれる空間へ二つのビームシールドをねじ込む。サーベル発信器へ掌部を向けたが敵の速さがそれを許さない。
「他者を圧倒し、無視できることが強さか。ふん、良い解答だとオレは思う。暴力だかなんだかに限定されるが、確かに真理だろうよ」
〈だからテロリストと言われるんだ! 自分が信じていれば、それで良いと言うつもりか!〉
ビームライフルを突き付け撃ちまくるも青の機体は霞んで消える。全てのモニタから消えた敵機に戦き、光の翼を撒きながら元いた場所より大きく離脱する。
「お前がそれを言うか!? 最強力をもって、対抗意識全てを撃ち殺したお前が! 暗躍を続け、二つの正々堂々に文字通り横槍入れた奴が!」
出現し、サーベルを空振りした〝フリーダム〟を〝カリドゥス〟で照らす!
ビームシールドで受け止められた様を確認するなり長射程砲を立て続けて撃ち込む! それも受け止められたがクロは照射を繰り返す。ビームシールドコアの、耐熱限界まで。
「綺麗事だよ。お前は、お前にだけはオレを蔑む資格はない!」
気丈に見えても震えている。ちらりと見ただけだが、ラクスの悲壮な表情が目に焼き付きヒルダは唇を噛み締めた。表面を鎧っているものの、彼女は絶対泣いている。あんな恐怖にさらされたのだ。身も世もなくなるほど忘我に陥り泣きじゃくってもそれが落ち度と言えるはずもない。
(あたしは……! なんて失態だい!)
世界一安全にしておかねばならない場所に危険を持ち込んでしまった。失態だ。ザフトは軍隊ではない。ザフト軍すら軍事の専門家集団ではないが、国益や国民を守護すると言う理念は正しき軍と同じよう持ち合わせるべきだと考えられる。
(役立たずだね……。あたしは!)
この間から、ラクスに何もできていない。どころか悲しませてしかいないではないか。噛みやぶった唇に血が滲むことさえ置き去りにラクスの肩を守りながら、走る。
「ヒルダ!」
「! ヘルベルトかい。マーズは?」
「シェルターのガードに行ってるぜ」
振り返る。もう瓦礫に埋もれて奧を見通せるわけもないが、激震だけは伝わってきている。キラは、倒せたか?
「ヘルベルト」
「どうした姐さん?」
「ラクス様を頼むよ!」
「おいっ!?」
「ヒルダさん?」
ラクス様に対し、最敬礼を返したヒルダは乗り捨てておいた自分のモビルスーツへと駆けだした。彼女の意にそぐわぬ自分の暴挙が心を崩し、自分の無能戦闘力が、こんな事態を招いている。ラクス様に合わせる顔などあろうはずもない。だが、彼女を見ずに生きていくなど自分には考えられない。
「そうさ……あたしの全てはラクス様のために、ね!」
〝カリドゥス〟と〝ゾァイスター〟の交互照射が2週目に入った。徐々に押し遣られる〝フリーダム〟は防戦一方のまま動けまい。クロはほくそ笑んだ。幾らキラと言えど終わらない照射から身を翻すことはできまい。
(だが一対一だってのに……周囲に目をやれないプレッシャーってなんなん――)
爆音と振動。シートベルトを思いっきり押しやり肺が締め付けられた。
言ったそばから被害を受けたか。いきなりの振動に照準がずれる。
「ぐっ!」
その一瞬で〝フリーダム〟に逃げられた。敵機を示すマーカーを意識で追いながら振動をもたらせた出所を探す。コクピットの揺れ具合から榴弾砲辺りを想像して目を懲らせば、モニタが見やすく引き寄せてくれる。バズーカを抱えたモノアイの機体を。
「〝ドムトルーパー〟…」
ビームライフルをそちらに向けるがホバリング推進で大地を滑るその陸戦高速性は〝フリーダム〟の追随さえ許さない。また、虚空と異なり遮蔽物だらけのエリアを疾走する〝ドムトルーパー〟を捉えるのは存外骨の折れる作業だった。
「――だがな」
襲いかかってくる〝フリーダム〟から距離を取る。宇宙空間ならば奴も思う様〝ドラグーン〟を扱うため、こうはいかなかったかもしれない。
〈っ! 来ちゃダメだ! 下がって!〉
光の粉を振りまく翼を残し、バズーカ二射目の軌道を逆行する。敵がどれだけ高速移動しようと所詮は在来機。最大出力では〝ルインデスティニー〟に敵うはずもない。高速平行移動した〝ドムトルーパー〟の一歩先に着地するとそのモノアイをライフルで撃ち抜く。
〈やめろぉっ!〉
「キラ・ヤマト、お前が作り上げた世界を……オレが壊す!」
仰け反る機体の右腕をブーメランから出力したビームサーベルでこそぎ落とし、倒れ込んだリアスカートに対艦刀を突き立て拘束する。接近していた〝フリーダム〟の眼前に黒い銃口を突き付けた。
「なぜなら、この世界が間違っていると思うからだ!」
〈どうして!? 軍人だから、平和が嫌いだとか……そんな理由なのか!? そんなことでみんなを傷つけ、ラクスを襲ったって言うのか!?〉
「理由は――もう話したかもな。どちらにせよ、理解し合えるとは思えない。お前は………そうだな。言うなれば人の欲望ってものを、感じられてない」
絶句は思いの外長かったようにも思う。
〈僕は……みんなが、自分の望むままに暮らして行けたらって思う。それなのに夢を、欲望を感じてないって言うのか?〉
「そこだ。お前のその言葉、オレは〝メサイア〟の最中か後かに聞かされた。お前の、そんな言葉をな」
〈それがいけないって言うのか!〉
「いけないんだよ。
お前自分のやってること理解しろよ。お前は、夢の裏側を煌びやかに語り、気の知れた友人とだけそれを共有し――敵対者の欲望を悉く潰してる」
〈……っ!〉
「いや、敵対者に限らないな。目の届かない存在全てを文字通り斬り捨ててる。そんなお前の、お前らの思想が――社会になっちまってる」
絶句に満足する。だが絶句が長くは続かなかったことに苛立つ。
〈僕たちは……探してるんだ。みんなが幸せにいられる世界を! その為に、戦って――〉
戯言を雑談し続ける気は失せた。
「黙れ。お前達は無限に連なる憎しみの連鎖に、何ら答えを返せてねぇんだよ。あれから一年は経ったがお前の言う平和に近づいたかよ!? 人間なんてのは所詮自分以上に誰も大事に思えない、そんな不完全な群生物なんだよ!」
〈壊すしか知らないあなたがっ! 人は――人は、そんなものじゃない!〉
「今までてめぇは何を見てきた!? だからお前は壊れてるっつってんだよっ!」
動こうとした〝ドムトルーパー〟を押し止めるためとどめを刺す。否、怒りが手元を狂わせたか? ともかく振り抜かれた実体剣が重厚なシルエットの中心線をなぞり彼方まで弾き飛ばしていた。
〈うぁああっ!? あな――なんてことをぉっ! 勝手な理屈で、なんてことをっ!〉
「……………弁明すべきじゃないよな。が、これが人間の醜さだ。それを堂々と表に出してる、戦争って奴だ。戦う覚悟、お前にはあるんだろう?」
剣を引き寄せる間も銃口を離せない。失態を犯したか? やたらと感じるプレッシャーが操縦桿を握る手を震わせる。怯えている? 馬鹿な。クロは震える拳で震える掌を殴り付け、口で大きく息を吐きつつ正面モニタを睨み据えた。
〈これが、こんなことがあなたの、幸福へ続く手段だってのか!? 全てを支配下に置いて、――あぁ、そんな傲慢があなたの戦う理由だと言うんなら――〉
愚かだ。これは――手段に過ぎない。オレの考える道は、もっと非人道的で、もっと端的に社会の角を落とすことができる。しかし違うと言っても彼は聞くまい。先程までの自分と同じ、怒りは容易に自分以外を拒絶する、理由になる。
〈――僕は、僕はっ! あなたを討つ!〉
(……来る!)
何がどうというわけではないが来ると感じる。装甲越しにそんなものを感じられるわけもないのだろうが、あえて言えば威圧感に押し遣られたように感じた。そしてそれは――現実に脅威となって現れる。
AIが喚いた。だがその先にすら〝フリーダム〟はいない。
「う!?」
左を向いた瞬間背中に衝撃を受けた。肝を冷やしながら機体状況を確認すれば、ギリギリメインスラスター損壊は免れていた。だがダメージよりも問題なのは、奴を完全に見失ってしまったと言うことだ。
(エナジーシフトフレームで辺り一帯焼き払う――馬鹿考えるな。コロニーでそんなこと……)
何故だ? ラクス・クラインとキラ・ヤマトを確実に殺せるというのならば――他者の魂全てを圧殺し無限の恨みを背負うことすら引き受けるべきではないのか?
(人間じゃなかったら、それもできるかもな!)
ライフルの一撃からかろうじて身をかわす。捉えた〝フリーダム〟を逃がすまいと目を懲らしながらその姿へ右の〝フラッシュエッジ2〟を引き抜き投げ放つも敵機に到達する前に撃ち抜かれる。もう一本にアクセスしかけたが、光の速さで迫るビームすらも打ち払う相手だ。ビームブーメランなど――。
「これが――お前の強さか!」
〈ぅあああああああああああああああああああああああ!〉
更なる加撃。機体が揺れる。戦場では久しく――ではなく初めて味わう感覚だった。モビルスーツに銃向けられてこれだけシェイクされる前には確実に撃墜されている。無抵抗に悔しさを感じ、反撃を繰り返しているというのに、墜とせない。AIからのビープサウンドがより一層悔しさと苛立ちを募らせていった。
「機体性能は……圧倒してるってぇのに!」
圧倒するどころか翻弄されているではないか! 地に足を着いた〝ルインデスティニー〟が怒りを込めて振り仰ぐが振り下ろされたビームサーベルをすんでの所で回避するしかできない。同型機、同程度の実力ならばこの直後はぶちのめす隙になるはずなのに、突き出した掌、そこから吹き出すビームさえも空振りに終わる。〝フリーダム〟はいない。AIが喚くより先に操縦桿を引き倒す。元いた空間を横薙ぎにして二条のサーベルがこちらの角膜に光を残し、網膜には一丁のライフルを構えた敵機が映る。二連射を、装甲で受けざるを得なかった。ビームシールドを展開した――AIが自動的に――時にはもう既に〝ストライクフリーダム〟が失われたライフル一丁と〝ドラグーン〟を除く全ての砲撃兵装を展開している。クロは慌てて右手の〝ソリドゥス・フルゴール〟にも発動をかけ、二重の光盾に命を繋ぐ。
レールキャノンの激震が実体盾と脚部装甲で弾け、複相砲が二枚目のシールドまで届く。ビームライフルは受け止めきれたものの、再度同威力の負荷がかかればシールド発生装置がオーバーヒートするかも知れない。
「ちっ……っつーよりいつまでフェイズシフトさせとけるかが、問題だな……」
通信機には、尚も最強者の絶叫が届く。モニタは、尚も満足に敵機を捉えてくれない。疑問に心配を混ぜている間に二振りのサーベルを振りかぶった敵機がこちらにまで迫ってきている。クロはビームソード〝メナスカリバー〟を相手に向けると――そのリミッターを解除し、急迫する光の刃へ撃ち込んだ。対艦刀から出力されている紅のビーム刃が、蒼白に輝き膨大化する。
普通、ぶつかり合ったビームサーベルは互いに干渉して湾曲する。それでもサーベル自体が失せるわけではないため押し込まれ続ければ実体剣は溶断されるだろう。磁力なのか、そのほかの何かなのか。技術屋ならぬクロは知らない。
しかし蒼く輝く刃はビームサーベルを構成する高熱金属粒子を吸着させ、サーベルに空洞を生じさせた。
〈う!〉
バイタルエリアに刃を撃ち込まれる。キラの断末魔じみた呻きはクロの耳まで届いたが、刀身は敵機を両断できず、〝ストライクフリーダム〟を弾き飛ばすに留まった。その理由は見やるまでもなく表示されたデータが教えてくる。
「ちっ! 所詮はプロトタイプか……!」
最強の剣は一回の高電圧で発生装置が焼き切れ、ただの実体剣に成り下がっていた。
〝フリーダム〟が再びこちらに向き直る中、クロは……考える。邪魔してくれるのは――自分のくだらないプライドだけだった。どうせ自分は、大した存在ではない。そんな矜持にまた意味もない。クロは脳裏の回線を開いた。
〈はい。見てます。ボコボコですね。問題です……〉
「それには申し開きもできないが黙れ……」
〈もう一つのプランにしますか?〉
「そう言うことだ。今の状況でコズミック・イラの最強力には…………敵わない」
それがプライドというものだろう。一言言葉を吐くために身を切られる思いを伴う。果たして自分がキラを下せるこの考えは、痛みをも取り去ってくれるだろうか。
(痛みを、取り去って良いのか。そこを問われそうだがな……)
〈了解しました。面倒です。今から色々書き換えるのは。やっぱり『注射器(シリンジ)』持たせて正解でしたね〉
こちらは面倒では済みそうにない。再度銃口を向けてくる〝フリーダム〟から距離を取る。常のキラならばそれを追うことなどしなかっただろう。
〈逃げるのか!? これだけの……これだけのことをしておいてっ!〉
キラの心には慈悲の心など生まれようはずもない。墜とさなければならない。平和という世界に、禍根を残さないためにも。
〈そうだ……これが、僕の戦いだ!〉
〝ルインデスティニー〟を自己修復ガラスに張り付かせようとした。少しばかり躊躇う――が、地上地区から大きく離れたからと言って、そんな気遣いが何になる?
「……どうせ、もう誰か死んでる」
追い縋ってくる〝フリーダム〟を見下ろしながら、哀れむような、悔しがるような言い表しがたい表情を浮かべていた。装甲のシフト率を最大値に設定、エネルギーゲインに不安があるためあらゆるリミッターを寝かせていく。叩き起こすのは星流炉、そして直接伝わる破壊機関のみ。
迫り来る〝フリーダム〟が砲口を向けるも、遅い。――終わる。
「キラ・ヤマト……お前は本当に、世界を救えるか?」
突然白んだ視界に驚愕し、キラは慌ててビームシールドを全開にした。
「キラっ!」
極大の爆発。
脱出シェルターポッドは必要充分あったのか? 皆が乗り込むことはできたのか? 為政者として必要な懸念を置き去りに、ラクスは思わず叫んでいた。
「あ…ぉ……おい…〝アプリリウス〟が……!」
白の光球に圧倒され、消え失せた。
「ま、マジかよ…………」
――それは許容量を超えた網膜の見せる悪夢に過ぎなかったが、それでも無事などと言う概念からはかけ離れてしまっている。天秤型コロニーはその中心部を剔れさせ、辛うじてわずかな壁面でぶら下がっているにすぎない。遠心力に引き延ばされる構造材の軋む悲鳴がある程度離れたこの脱出艇にまで届きそうである。無論真空間で音が伝わるはずもないが。
「――っ、」
忘我から帰還したラクスが通信機に縋り付く。マーズが先んじて国際救難チャンネルを引き出すと礼を言うこともできないまま声を絞り出した。
「侵攻中の部隊に停戦を申し入れます。 ザフト全軍、コロニーの補修作業に当たってください!」
マーズに対して頭を下げた議長の心中を慮ればそうそう笑ってもいられない。敵がこちらの撲滅を狙っているなら今の宣言は武力放棄による無条件降伏となりかねない。
(いや――そんなことするはずねぇ。そこまで無慈悲な人間、いねぇだろ……)
コーディネイター殲滅を掲げた旧連合ならいざ知らず、奴らは民族紛争をしたいようには思えない。そう思っても敵陣から何の返答も攻撃もないこの状況は神経をすり減らすことに代わりはなかった。
「ラクス様……我々も出ますぜ」
〈お願いします〉
VIPクラスの救命艇を〝ゴンドワナ〟の方へと転進する。その間にもマーズはヒルダと繋がるはずのチャンネルに呼びかけ続けているのだがノイズ以上の応答がない。
やるべきことを考え終わるとラクスの中にはキラの安否しか残らなかった。――父は、逃亡生活中にいつの間にか死んでいた。
(いえ、そんなはずありませんわ……)
脇で叫ぶマーズの姿が心のどこかに押し込めた自分を見るようでつらいもののまさかやめろと言えはしない。心をこのまま持て余すこともできず彼女も深呼吸をしてマーズに倣った。ヘルベルトは頑ななままに前だけを向いていた。
「キラ! 応答してください。キラ!無事ですか!」
〈――クス! ラクス! 良かった! 怪我してない?〉
爆発には、巻き込まれなかったか。苦しげな所などどこも感じられないキラの声にラクスは思わず脱力して座り込んでしまった。そして言葉を続けようとしたが、涙の気配が邪魔をする。
〈ら、ラクス? ホントに大丈夫? ど、どうしたの?〉
「おいおい軍神さんよ……。女を泣かせちゃいけねーと、俺は思うぜ?」
ヘルベルトが茶化す内に……マーズが声を止めていた。
「ヘルベルトさんっ! い、いえ、キラもお気になさらずに……。ただ、嬉しかっただけですから」
再度深呼吸。声の調子を落ち着け、声色に威厳を染めさせる。
「キラ、機体の状況は? 行動に支障はありませんか」
〈――なんとか大丈夫。あの黒い〝デスティニー〟が……自爆したんだ。反応が間に合わなかったらまずかったけど〉
自爆? この被害は、モビルスーツの自爆が引き起こしたというのか? 核動力だとして、自ら爆破したなら未熟核爆発は有り得ないように思えるが。いや、それよりも最大の障害が消えたとする情報の真偽を調査するべきだろうか。
「そうですか。ではキラにもコロニーの補修を手伝って貰います」
〈ほ、補修!? 直せるの!? それよりみんなの避難は――〉
「住民の避難は完了しています。回収のためのモビルスーツ部隊は既に手配してあります。1,2時間程度で〝アーモリーテン〟より資材が届くと思いますので、まずはそれまで〝アプリリウスワン〟を保たせてください」
〈保たせる……〉
キラも気づいてくれただろうか。地上部分が消し飛んだなど大質量が失われたのなら廃棄も案としてあげたのだが、この塊を放置する気にはどうしてもなれなかった。
(〝ユニウスセブン〟落下の件で、臆病になってますか? 確かに、無理を頼んでいる自覚はありますが……)
「お願いします」
〈………………わかった。やれるだけやってみるよ〉
巨大宙母からも応急処置のための資材を手にしたモビルスーツが吐き出されている。彼らとすれ違いながら、ラクスは両手を組み合わせていた。
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プラントに突き立てられた暗黒の運命。阻む自由の破壊力が世界の中心で叫びあう―Spiritualの価値。劇薬でしか救いきれない腐った世界が排斥するのは自由か、それとも運命か。
66~68話掲載。ストーリー的には第一部完。
この言葉を言うためにオレはこいつを書いてきた。