SEED Spiritual PHASE-69 頭を抱えた
「なんだと!? 〝プラント〟が!?」
通信機を操作した指が固まった。アスランの中で〝ターミナル〟施設の一つを駆逐できた高揚感も直ぐさま冷める。部下からの報告を問い返す意味などなにもない。
〈如何いたしましょう?〉
キラと、ラクスの元に……あの黒い〝デスティニー〟が? 友を心配する心と、憎悪対象を捉えた心地を混ぜ合わせられたアスランは言葉を選ぶ時間を取られた。
「――いや、今から手配したところで間に合わない」
カガリの恨みをぶつける機会を逸するのは断腸の思いではあるが、キラがあいつを討ち取ってくれれば何の問題もない。
――自分自身にそう言い聞かせたのが2ヶ月程前。この約2ヶ月間、まずまずの戦果を出せたと思う。だが――
〈アスラン・ザラ代表代行。お戻り下さい〉
「どうしてですか? 私は時間が惜しいのです!」
通信に混じった溜息にアスランは苛立った。もう何度目になるか。
〈代表代行としての公務はどうなります!?〉
全く何度目になるか。
「私は政治に関して何の役にも立てません。私がすべきことは、混乱の原因を可及的速やかに殲滅することだと考えます」
〈――あぁ! 氏族会議の決定として命じます。ザラ代行、多国籍軍と共にオーブへの帰還を!〉
何を……。〝プラント〟さえ混乱させられていることを知らないとでも言うのか? 優先順位を考えられない氏族連中に辟易しながらも従わざるを得ない。
ユーラシア連邦から借りていた兵力を返還する際、〝ジャスティス〟を輸送機に収める様をただ苛立たしげに見つめ続けた。
「お疲れ様でした。あなたのような大戦の英雄と共に戦え、光栄でした」
「……あぁ、いえ。こちらこそ。お疲れ様です……。ご協力、感謝します」
ノーマルスーツ姿が顔を見合わせたが、アスランはそれに気づけずにいた。
「あの……何か心配事でも?」
「………我々は、必要なことをしているはずなんだがな」
「当然です。国際的なテロ組織の撲滅を完遂できる軍隊など我らを置いて他にあり得ません」
「……そうだよな……」
やがて彼らとも別れ、空ばかりを見て過ごす内にヤラファス島が近づいてくる。そしてタラップに足をかけるなり大勢の黒服に頭を下げられ、取り囲まれる。アスランは少しばかり気後れを覚えた。
(偉くなったってことなんだろうか……だが俺は、望んじゃいない……)
臨時の閣議が開かれる。氏族のお歴々が定位置に付く中、アスランはアスハの席に着くことを頑なに拒んだ。
「今、統合国家に必要なのは長期国を放置できる人間ではないのですよ。これだけ混乱している世界……迅速な意志決定機関は不可欠です」
理解はできる。むしろ自分の所行は、それに適合している。
「私には政治に関する技能などありません……。いくらカガ――アスハ代表の言葉とは言え、国家の意思決定を私が担うつもりはありません。むしろ、担うことに問題があると思いますが」
「かつての英雄としての立場、カリスマ性、そう言ったものを自覚していただきたい。あなたはご自身が思うより遙かに大きな影響力を有しているのですよ」
「結局のところ、私はザフトを離れても、軍に関係する人間です。現状鎮圧を続ける他に成果が挙げられるとは思えません。キラ――いえ、〝プラント〟側でも〝ターミナル〟の対応を優先せざるを得ない状況だと聞いています。これは――」
「あなたが飛び回っていては、その最終決定が行われないと言っているんです!」
わかる。言いたいことは。だが、それで良いのか? 立場や伝統が意志遂行を妨げるなど愚かなことではないのか。互いが「忙しい」と言い合えば、どんな崇高な議論も互いの勝手で折り合わず、無駄に終わる。ここも同じだ。家族間や学級の会議と、地球規模の意志決定……差があって然るべきのはずだが、何も変わらない。
(……伝統より理性を優先させるのは、俺がコーディネイターだからか?)
空転する。そのただ中にいるアスランは腕時計に流されかける視線を自制するので精一杯だった。数時間で関係施設を探し出し、叩くことができると思えるほど単純ではないが、逆を言えば数時間あればそれに近づくことはできただろう。無駄に寿命をすり減らしている感覚に苛まれ続けるアスランは投げかけられる意見をただただ鬱陶しい戯言と感じることしかできなくなっていた。
「話し合いだけで終わらないことがあるように軍事力だけでは解決しないこともあるんです。あなたの立場では、放蕩など許されませんぞ」
(だったら俺をこの立場から引きずり下ろせよ!)
法的に無理でも道義的には可能だろうに。何を期待する? 全員の意識を統一する方法でも探せと言うのか? 軍人でしかない俺に!
苛立たしい時間から意識を離している内に幾つかの意見が出た。曰く最高意志決定機関は全ての話し合いの場に出席していなければならない。曰く、武力制圧はまずい。参加国の心が離れる可能性が高いのでやめろ。曰く選ばれた者には選ばれたが故の責任が伴うのだ。そして――
「〝ターミナル〟は必要なんですよ」
情報が、欲しいらしい。
「敵を作っている場合ではありませんぞ! これだけの損失……。今敵を作る余裕など……!」
できるだけ無駄な仕事を増やしたくないらしい……。
「アスラン・ザラ! 独断専行が過ぎますぞ!」
カガリは今も目覚めないというのにだ!
「何故あなた方はそんな一般論しか言えないんですかっ!?」
会議ではない。討論ではない。ただ、喧嘩を売られただけで、自分はそれを買うこともなく怒り狂ってるだけだ。アスランはそれをむなしく認めながら、オーブに帰ってきた価値さえ見つけられずにいた。
(俺は……何をしに来たんだ……。彼らは何をさせたくて呼び戻したんだ……)
彼らの言葉全てが妄言だとは思わない。むしろ自分が感情的になっているという自覚はある。だがしかし、自分は間違ったことをしているか? 今〝ジャスティス〟が駆逐している相手が第二の〝ロゴス〟でないと、言い切れるのか?
怒りにまかせての絶叫の余韻が消え去ると……議場は途切れない沈黙に支配されていた。誰かが何かを呟く。アスランが聞き返せずにいる内に、座する全てがゆっくりと右手を挙げていった。
「アスラン・ザラ。代表補佐官を辞していただく可能性も、検討させて戴きます」
「……どういうことですか!?」
先程自ら望んだことだというのに、いざ現実に引き上げられると十二分に心を冷やす。氏族会議が機能するとき、議会は時に形骸化する。彼らの意見は数で意志を圧殺する民主主義という暴力になり得る。
「言葉通りの意味である。君には謹慎を申しつける。追って沙汰があるまで、………む……自宅待機とさせて貰う」
周囲が一様に頷く。オーブ風に言えば蟄居と言う奴か。アスランはかぶりを振って項垂れた。
「我々は、時が惜しいのではなかったのですか……?」
「なればこそ、一刻でも早い復帰を願います」
アスランは無言で席を立った。
重苦しい音を立てて扉が閉じられる。対立者を失った会議は大きく嘆息した。
「…………若いの…でしょうな」
「代表を思うが故の行動、と言うのも解りますがな……」
皆が項垂れる。代表を思う気持ちは誰も同じなのだ。アスランの心中を考えれば皆が皆罪悪感すら感じている。
「だがこれは、必要なことです。彼の武力は容易に世界を変えかねません。今は……明確な敵を与えられ、他国も協力的ですが、彼を「頼もしい」ではなく「危険視」する事態になれば統合国家自体が――」
憤りを含んだ声がいきなりのノックに遮られた。皆が各々の面持ちで音のした扉を注視する中、女のおずおずとした声が入り込んできた。
「あ、あの、会議中に済みません!」
「どうぞ。入りなさい」
勢いよく扉が開き、彼女が最敬礼する後ろで閉まる。メイリン・ホーク次官だった。彼女は入ってくるなりきょろきょろと左右を見回したが、目的の人物を見つけられなかったらしい。隠そうとしても表に出ている落胆を示し、再度頭を下げた。
「どうしましたホーク次官?」
「は、はい! その、大変です!」
要領を得ない回答を視線で急かす。メイリンはとりあえず真正面の人物に視線を定めた。彼女が向けてきた必死の視線には思わず怯んだが、彼女が伝えてきた内容は怯むどころでは済まされなかった。
「代表が! 意識を取り戻されました!」
「何ですと!?」
ざわつく議場。もし、アスランがこの場にいたら椅子でも蹴り捨て走り出していただろうか。
「ホーク次官、詳しく!」
「あ、いえ。わたしもICUから連絡を受けただけです。取りあえず意識は回復して、記憶の混濁などは見受けられないそうです」
安堵の溜息が議場を占めた。民主主義は時に心を共有する。
「――ただ」
心を共有する。彼女の逆接に皆の表情が一様に曇った。
「蘇生の際、心停止から5、6分経ってしまったため、あの、脳なのか体なのかに障害が残る可能性があると、伝えられました」
途中でつまりはするものの語尾をしっかり止めたメイリンをどよめきが包んだ。
「一度、わたしICUに行ってきます。結果は後ほど報告させていただきます」
頭を下げたメイリンが退出しても議場の空気は晴れてくれない。
「代表は……復帰できますでしょうか……」
「む……」
「せ、性急な結論で話すのはよしましょう…」
「いえ、長年アスハ家が首長の座を任されていた、とは言え法的に他の氏族から代表首長が――いえ、べつに取って代わろうというつもりなどは……」
そんな言葉は意外と多くの時間を浪費する。代行たるアスラン・ザラを交えていくつもの案件を片付けるつもりが予想外の方向に転がってしまった。しかしそれを残念と思う心の余裕すら与えてもらえない。
「で、ですが、吉報には違いありません! これでザラ補佐官も落ち着いてもらえるに違いありません!」
力強い言葉に皆が一様に頷く。が、次いで聞こえたサイレンが皆の心臓を跳ね上げた。
「何事ですかっ!?」
叱責じみた返答には国防本部からの泣き声じみた応答が返る。
〈た、大変です! 〝ジャスティス〟がっ!〉
振り仰ぐ先には赤い機体。力強すぎる存在感が議場の窓ガラスを揺さぶった。双剣の片割れから目が離せないながらも国防本部に怒鳴りたて、〝ジャスティス〟との回線に強制割り込みをかけた。
「アスラン・ザラ! なにをする!? 何を考えているのだ!」
〈……すみません。ですが、俺にもできることが、やらなければならないことがあるんです!〉
超人の理論だ。確かに我らは彼に存在の重さを再認識させようとした。だが、それでも個人なのだ。一人で世界を背負い、潰されないわけがないではないか!
「戻りなさいザラ代行! あなたのその行動……何の解決にもなりません!」
だが何を言おうと彼の心は曲がらなかった。
〈すみません。ですが、俺は立ち止まるわけにはいかない――!〉
そんな強さが何になる!? ガラスを大きく震わせ〝ジャスティス〟が飛び発つ。スクランブルをかけた所であの強さを止める術になり得るかは疑問が残り、煩悶の間に〝ジャスティス〟が飛び去る。オーブの、統合国家の中心は頭を抱えた。
天秤型コロニーが何故崩壊しかけたのかは未だ理解できていない。〝デストロイ〟の自爆が霞むほどの大爆発が起こったのは確かだが、それが包囲を突破する一助となった。少女二人を助け出したシンは戦場の混乱に紛れてマユ――ライラ・ロアノークの示すポイントへと機体を走らせる。
「もうちょい。グリーン・アルファ、距離二百、くらいかな?」
「ん~……見えねぇよ……」
「ミラージュコロイドついてるからね。だからあんまり急加速はダメよ」
ほとんどのものが大きく傷口を開けた〝アプリリウスワン〟の姿に呆然としている宙域で、シンの目は星空の中にいきなりぽっかり開いた機械的な口腔を認知していた。
「あれか……」
シンが安堵の溜息をつくと後ろ手から心配そうな声が上がった。
「ライラ、いいの? 知らない人入ってくるよ」
「あぁ、いいの。この人はあたしの知り合いなの」
「でも……こいつライラ斬って墜としてた」
「ぅぐっ……」
妹は言いくるめられなかったとシンは溜息をついた。今も気になるヘルメットを外さない幼女は自分に良い印象を持っていないらしい。あれだけ切り結んだのだから当然と言えば当然だが……妹に仲介してもらわなければあちらは警戒心を解いてはくれないだろうというのに……マユはあんまり頼りになりそうにない。
やがて〝デスティニー〟を飲み込んだ〝クリカウェリ〟は全身にステルス迷彩を施したままガス推進で後退を始めた。マユの指示で格納庫(ハンガー)に無事固定された〝デスティニー〟の中から、シンがコクピットハッチ開放の操作を終えたが、出て行こうとしたその肩を後ろからつかまれた。
「ん?」
「ステラ先に出て」
「……なんで?」
「えー…………あたしを斬りに来るこのお兄ちゃんを教育しとかないとならないでしょ?」
ステラはとても納得ができたように繰り返しうなずくと素直にコクピットから泳ぎ出た。シンはこんな言葉に騙されるものなのかと眉根を寄せていたが、それが信頼というものなのかもしれない。
「で、なんだよマユ?」
「それよ。注意しとかないといけないと思って。あたしはここではライラ・ロアノーク宇宙軍少佐。んで多分お兄ちゃんはザフトの裏切り者とか裏社会からの協力者って事になると思うの」
「ああ」
「だから呼び名よ。あたしはお兄ちゃんを呼び捨てにすることにするから、おに――えーと、シンもあたしをロアノーク少佐とか、せめてライラって呼んでよ」
「…呼び捨てか……」
「あたしはこれでも少佐――大隊指揮官様なの。結構偉いんだからね」
ザフトには軍式の階級制度がないためシンにはその概念がいまいち掴みづらい。それでも妹の立場を考えれば首肯するしかないだろう。故に先に出たシンはライラが出てくるのを待ち、彼女の後について装甲表面を蹴った。連合製の船内に見覚えがあるはずもなく、ただただ上官に誘われるがまま進んでいく。
「艦橋(ブリッジ)に向かってるのか?」
「そ」
敬語を使えとまでは注意されないようだ。マユ――いや、ライラはシンの問いに軽く答えると無重力移動用のガイドベルトに触れて流れる。彼はただただその後をついていく。やがて眼前に扉が現れ、妹が慣れた手付きで脇のリーダーに掌を滑らせた。ドアは行く手を遮ることなくスライドする。
「ただいまー。犠牲者出たけど……こっちは無事?」
ドアが開くなり戦場とは思えない楽しげな声が聞こえてきた。ライラの脇から視線を投げれば小柄な金髪を囲む女性3人が目に入った。
「あれ?」
マユを押しのけ艦橋(ブリッジ)に踏み込む。3人がこちらを向いた。シンは口を半開きにしたまま彼女らを指差したが、脳裏のもやもやは一向に形になってはくれなかった。
「どーしたの? お…シン?」
「あ……。っと…姉さん達……なんだろ? テレビとか出てなかった?」
そう、オーブにいた頃、映像で見た覚えがある。
「ああ、みんなに紹介するわね。シン・アスカ。補充パイロットって言うか、ザフトの裏切り者って言うか、そーゆのよ。よろしくね」
シンが納得いかなげにマユを見下ろすが、彼女はこちらに笑いかけてきた。
「この人達に見覚え、あるんでしょ。当然よ。この人達はオーブ初のモビルスーツ〝アストレイ〟のテストパイロットってんでテレビ出てたもんね」
「アサギ・コードウェル。よろしくねシン」
「マユラ・ラバッツよ。ちょっといい男じゃん」
「えー、ジュリ・ウー・ニェンです。よろしくね」
次々に挨拶をされ納得しかけたシンだったが頷こうとして凍り付く。思わず叫びそうになったが理性が押し止め、マユの肩を無理矢理掴むと艦橋(ブリッジ)から逃げ出した。
「ちょっと待てマユ!」
「ラーイーラー!」
「ら、いやそんなことどーでもいい! あの三人、〝ヤキン・ドゥーエ〟の戦死者とか出てたの覚えてるぞ!? なんだアレ? 実は情報操作とか――」
「あーあー黙って黙って」
口角から泡飛ばすシンに掌を向けながらライラは煩そうに宥めたが、その口元は僅かに笑んでいた。
「彼女達の、そうねェ、オリジナルは確かに〝ヤキン〟で死んでるよ。三人は、〝ファントムペイン〟が保有してるデータから造ったクローンよ」
「く、クローン!」
シンの脳裏に……レイ・ザ・バレルの最後の微笑みが浮かび、背筋を怖気が駆け上がった。
「うん。何か、旧連合の裏側じゃ一応一流パイロットのデータはほとんど取ってあるみたいよ。んで、オーブ関係のは条約で派兵要請したときに取ったって聞いてる」
既に〝ヤキン・ドゥーエ〟で死んでいた者の遺伝子を? クローンが違法とされているのはもっと昔からなのだからオーブも知っていて保有していたのか、それとも当時の連合がリストアップしていた一流パイロットの身辺を調べたとでも言うのか……遺髪の一本でも手に入れば可能な技術とはいえ、墓荒らしを連想させるその行為にシンは嫌悪を催した。
「あ、別に3人に詰め寄っても大丈夫だよ。みんなクローンだってのは納得してるから」
「おい……マユ……」
兄の怯えたような眼差しに、マユは意地悪く微笑みかけた。悪意を多分に含んだ微笑が彼を更に怯ませる。
「今、汚れたオンナって思った?」
「そ、れは……」
連合とザフト。同じ、世界を二分する軍事力でありながら両者の倫理観は天地ほどの差がある。
「悪いけど、こーじゃなかったらあたしはもっと前に死んでたんだからね」
命を、超える、価値は、あるか? シンは自問し、ただ目の前にマユがいる。それを上回る綺麗事は……シンの中には浮かんでこなかった。むしろ妹にこれだけ過酷な環境を強いた世界の方にこそ苛立つ。
「じゃ、入るよ」
再び艦橋(ブリッジ)の扉が開く、3人娘は上官たるライラに何やら問い質している――と言うより学生じみた雑談になっているように聞こえる。手持ちぶさたになったシンだが、同じく一人取り残されたステラがこちらを向いていることに気づいた。
(……す、ステラ? この子が?)
大きな瞳から向けられる無垢な意志にシンは何やら居心地が悪くなったが、その子から目を離すことなど考えられなかった。容姿は、かつて自分が守れなかったあの少女にうり二つで――記憶の中の彼女をそのままスケールダウンしたような幼女。彼女に見上げて見つめられ、とにかく落ち着かなくなった。
「あ、えと……」
シンはしゃがんで彼女との視線高を合わせた。
「ステラって言うのかい?」
「お前は、シンって言うの?」
幼い声に精一杯の黒さを乗せて睨み付けてくる少女にシンは苦笑いを零した。そう言えばステラと初めて会ったときも敵意をむき出しにされた記憶がある。
「お、おれのこと怖がらないで……」
「怖がってない。なんだおまえは」
完全に嫌われているようである……。
「おれは、きみを守りに来たんだけど、ステラはおれと、仲良くできない?」
「……まもる……?」
「そう、一緒に戦って、怪我しないようにする、とか」
いつの間にかステラの表情から険は消え、興味深そうにこちらを見ている。シンは笑顔を返しながら、同時に心に忍び寄る冷たさも感じていた。
(…………この子も、クローンなんだろうか)
「俺はもう長くは生きられない……。俺は、クローンだからな」
冷たさが零下に落ち込む。シンは首を傾げるリトルステラの目の前で頭を振りながら気持ちを切り替え、艦橋内を見渡した。
小さなステラ。
笑顔で談笑するのテストパイロット達。
それに囲まれ何やら爆笑する妹……。
その世界にシンは違和感を覚えた。彼の中で〝ファントムペイン〟は人道を外れた憎むべき悪として固定されている。事実、今聞かされた事実の数々はその断定を裏切ってはいない。しかし……このアカデミーより明るい雰囲気は何なのだろう。
「ライラ」
「ん?」
「戦争を止めるために戦うんだよな。おれ達は」
「そうよ。二度とあたしや、みんなみたいな人間が出ないように」
見つめる。見つめ返される。マユは目を反らさない。否定したいことは幾つもあるが、妹のやることを、認めたい。
「戦争を止めるため、その為には協力する。が、場合によっては、おれは傍観させて貰う」
「――それで、いいよ」
オソロシイを感じながらもカワイイに囲まれ、シンは取り敢えず肩から力を抜いた。
SEED Spiritual PHASE-70 困惑しかなかった
追放されると言うことは予想以上に辛かった。父親と決別した3年前、議長とレイをはね除けメイリンを連れた1年前。思い出して自分自身に失笑する。脱走など慣れたものではないか。
――だが、今は少し状況が違う。過去二度は、共に〝エターナル〟や〝アークエンジェル〟と言った逃亡先が見えていた。だが今は――
「どこへ向かえばいいんだ……」
モビルスーツを手近な場所に隠し、あまり足がつきにくいとは言えないホテルの一室に寝転がる。上質な寝台から部屋の空気をゆっくりかき回す羽を見つめている。それでもまんじりともできずにいた。逃亡生活は、充分に疲労感を誘っているというのにだ。
寝返りついでに手を伸ばすと指先が何かに当たった。表紙を見れば、ある章の冒頭が思い浮かぶ。備え付けられていたのは新約聖書だった。誘われる。指が吸い寄せられ、紙面に触れ、何気なく開かれた先には――創世記。
その、全ての木から取って食べなさい。
但し、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない
食べると必ず…死んでしまう
――だがやがて、共に創られた野の生き物の内で、一番賢い蛇がこう言ったという。
決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神と同じく善悪を知るものとなる。そのことを、神はご存じなのだ……。
そうして――はじまりのヒトは、その実を食べたのだという
閉じる。軽い音だけが部屋を撫でつけ、アスランの溜息が後を追った。果実を食べ、「目が開けた」結果、この戦乱が起きたとも言える。悪魔の化身たる蛇は……この事態を想像していたのだろうか。神ならぬ身には理解できない。
だが、そこから導き出される天国へ至る道は容易に想像できる。
目を閉じさせたなら人は原初の平和に戻れるのだろうか。
「…………」
どこかで聞いた概念にアスランは渋面を浮かべた。電波ジャックをした異形の生物……。DSSDの博士が語った反逆。そして〝ギガフロート〟で見た人の心への許されざる侵犯――その全ては、「目を閉じさせる」ための布石ではないのか。そう考えると、怒りが萎える。奴らを否定する材料が消えてしまったような気がして。
「……まいったな。弱気になってる」
失笑に失笑を被せると開きっぱなしにしていた携帯端末がメールの着信を告げた。開いてみれば、転送処置は無事に成功したようだ。
行政府のアドレスに届いていた諜報機関からの情報をこちらに転送されてくる。断続的につぎ込まれる二桁に達するほどの拠点情報に眼を走らせ、近辺に存在する情報を掴めば――横になることなどできなくなった。
「帰ってこないな………シン……」
「クロもですよ」
ヴィーノとフレデリカが見上げる先には――修復も終わり、今は鉄灰色に佇む〝ルインデスティニー〟がある。破壊不能なあの機体は搭乗者を失い、エネルギーの9割強を吐き出してさえステルス迷彩の展開と安全経路を選択しての帰還を成した。破壊不能であるため修復の必要もほとんどなかったわけだが、この姿に戻すまでには4ヶ月を要している。
「剣は……いかんな。まだ最大出力持続時間が三十秒足らずとは――」
修復に疲弊しても更なる力を求めるノストラビッチは、期待に添わぬデータに頭を掻いた。ミッションレコーダーに残っていたクロの最後の一刀は十秒以下となっていたため。進歩はしている。
「博士大変ですね……」
「ふん。軽く言ってくれるわ。もうこれとブーメランは使用禁止じゃな」
そう言いながらも専門家に丸投げするなりなんなり、対処法を考えてくれるのだろう。〝アイオーン〟には大した素材などない。そう、閉鎖空間での特別製管理は質、量、時ともにコストがかかる。
ヴァーチャルの中だけで負荷試験を繰り返したノストラビッチはふと、クロの言葉を思い返す。被弾しない戦場などない。殺し合いの場に出て安全を求めることこそ愚かだと反論された。ゴビ砂漠でだったか、シアトルでだったかは良く覚えてないが。
「ふん。科学者が完璧を求めて何が悪い?」
「――あ、今度は刀身、イカレましたね」
ディアナは思いっきり舌打ちを零す博士に笑いかけた。次いで大股に歩いていく人影に気づく。
「ん?」
「ルナマリアさん?」
皆も気づいていく中、ルナマリアは周囲を一顧だにせず制御室の方へ歩いて――いや、踏み込んでいった。
「ティニ!」
立てばスライドする扉と網膜走査を求められる扉を潜り抜けると、常の通り引き籠もりながら外界と接する少女がいる。
「ティニ! ちょっとっ!」
「何でしょうか?」
「シンの居場所、知ってたんでしょう!?」
彼女の目の前に浮かんでいた無数の空間投影ディスプレイが弾けて消えた。見上げてくるティニを臆することなく睨め下げながらルナマリアは苛立ちを言葉に乗せて吐き出した。
「知ってたんでしょうっ!?」
「はい」
ルナマリアは目元を手で押さえると聞こえよがしの舌打ちを投げつけかぶりを振った。
「一度〝ターミナル〟を通った機体ですからね。私に追えないはずがありません」
こいつはまたこの小憎らしい……!
「教えなさいよ!」
絶叫したルナマリアの眼前に指が3つ立てられた手が突き出された。
「教えられない理由が幾つかあります」
「何よそれ!?」
「今はあなたと彼しか艦を守れる人材がいません」
一つめの指が折れる。知ったことか。部屋の中でティニから大きく離れ、直立不動を保っている被洗脳者をも睨み付けるが反応は返ってこない。
「ルナさんに裏切られては困りますし」
「何よそれ?」
二つめの指が折れる。
「裏切らずに敵対した場合、幾ら何でも〝ストライクノワール〟一機で撃墜されない可能性は低いでしょうし」
こちらの声が聞こえていないのかマイペースに最後の指を折る。
「だからあんた、解るように説明しなさいよ! 裏切るってなんなの!?」
「お答えしましょう。今シンさんは〝ファントムペイン〟と申しますか、あの〝デストロイ〟を要していた部隊に所属していますよ」
「!?っ……つ、捕まってるの?」
「『所属』してます。理由はまでは調べていませんが。あの人は自分の意志であちらについていますよ。ですから〝デスティニー〟もシンさんも壊されてません」
怒りしかなかったはずの心が、何も絞り出せなくなった。ルナマリアは惚けてティニを見下ろしながら言われた内容を脳裏に並べ、整理してみる。つまりは、こういうことか? シンは、あれだけ憎悪していた〝デストロイ〟で破壊活動を続けた部隊に、あっさり取り込まれた、と?
「なんでよ!?」
「流石にそこまでは。〝ターミナルサーバ〟は個人の考えまで教えてはくれませんよ。あの人の考え方についてはルナさんの方が推論の材料、持ってると思います」
「そんな……し、シンは今どうしてるのよ!」
ルナマリア幾つか開いた空間ディスプレイに求める解の一端でも覗いていないかと忙しなく視線を彷徨わせたがティニの声はその時間さえ与えようとはしなかった。
「そんなことより仕事してください。ルナさんには、ここに行って貰いたいんです」
「え?」
艦の護衛云々という話はどこかへ置き去りにされ、ティニが指した地図は南アフリカを示していた。
「ちょっと! わたしに降りろって言うの?」
「イアンさんに降りて貰いたいところですが、あの体ですし。彼では定型以上は望めません。ルナさんは、指揮経験ありませんか?」
「いや……っ……アカデミーで、基礎的なのは習ったけど……」
「ほらルナさんが適任ではありませんか」
「……ってゆーか話をすり替えないでよ! わたしが聞いてるのはシンのことで――」
「シンさんの行方は大体解ってますが、会える方法がありませんよ。調べますので少しばかり時間を下さい」
これがティニの手法かと考えてしまっても、従わざるを得ないのだろうか。情報を制する者の存在価値に舌打ちしながらも、取引に利点を感じてしまえば受けざるを得ない。
「……っ、で? わたしは何をすればいいわけ? 〝ストライクノワール〟単機でクロみたいなテロ行為はできないわよ」
「一応情報は送られてきているのですが……。現地での反応を知りたいのです」
ただただ疑問符を浮かべるしかできないが、指揮をせよというのでなければまぁ……構わない。たまには地上に降りて蒼いものでも見つめないと心が荒んでいきそうだ。
(メイリンだったら……買い物できるって喜ぶかもね)
買い物でのストレス解消というのは未だに分かりかねるものがあるが、自分には自分なりの気分転換の方法はある。ルナマリアは狭苦しい艦内にいるよりはマシと考えることにした。
「じゃぁ……行くは行くけど、降下ポッドとか準備できるの?」
「はい。デブリに偽装したポッドをジャンク屋さんから買い取ってあります。ルナさんに承諾してもらえれば届けてもらうつもりです」
資金はどこから出てくるのか――おそらく、自分達は知らぬ間に出資者のためになるようなミッションでもやっているのだろう。ジャンク屋はこんな世界の敵に与して風当たりは大丈夫か――何を第一に考えるか、だけなのだろう。正義よりも懐具合。そして周囲も必要であれば、それを看過する。
「あぁっ……! くそ…。あの黒い〝デスティニー〟が……負けてしまうなんて…!」
漁夫の利を期待して準備を進めた対〝プラント〟は……N/Aからの結果報告を聞くだけで終わってしまった。世界を確実に変えた黒い〝デスティニー〟。バルドル・ケーニヒはそれに信仰心すら抱いていたのではなかろうか。神が墜ちたと聞かされた彼の苦悩は如何ほどか。サイは各モビルスーツを地上対応にカスタムしながら項垂れる大人を一瞥し、視界から外した。降りてきたケインが彼の肩を叩くのが見える。
「はいはいケーニヒさん腐ってないで。人間未来を見てないと」
「どうしろというのだ……? この戦力でザフトに喧嘩を売る気か?」
沈思してみればそれもアリかとさえ思う。政治中枢が修理に躍起になってる今なら抵抗も大したことがないかも知れない――その思考に苦笑する。〝フリーダム〟が生きている。それだけでザフトの軍事は盤石なのだ。
「それ以外にも世界にこっち向かせる方法はあるでしょうが」
嘆息し、愛機を見上げたケインだったが〝ドラグーン〟は無線障害の強すぎる地上では使えないため別の機体を用意する必要がある。もしくは地上に埋まったNジャマーを全部掘り起こす手段を探すか。
「おーいサトーさん。地上を頼ることになる。気にくわなくても降りてもらうからな」
ケインの言葉にサトーは常の如く無愛想だったが、彼の場合無言は肯定と受け取ればよい。彼には最終目的しかない。過程など関係ない。
(私も、うん最終目的のためなら過程はどうでもいいか……)
バルドルの離れた端末に今度はケインが張り付いた。そして自分とN/A以外は扱っていないIDとパスワードを打ち込む。
トレースの結果はすぐに出た。
(『滅ぼすべき異能者』も、地上に降りたことだしな)
コーディネイターがあってはならないとの意見以上に高度空間把握能力者(私たち)こそあってはならない。自然発生した異能者など、まだ時代に許されない。人が先に進みすぎるなど、まだ認められない。現に殺し合いの役にしか立っていないのだから。人の精神はまだまだ稚拙だ。これ以上の進化を扱える域には達していない。
それでも高度空間把握能力者(私)
はここにいる。存在を許された存在として。
(支配なんてのは柄じゃないが……私達こそが次の世代の架け橋になる、くらいは考えてもいいだろ)
〝ターミナル〟を駆使しても見つけられた同類はムウ・ラ・フラガ、モーガン・シュバリエの二人だけ。エンデュミオンクレーターではあまりに多くの同胞が命を散らせてしまった。できれば生き残る全てと手を取り合い、進化した世界を甘受したいものだが――まずムウは殺されてしまった。かつての戦友だ。悼む気持ちはある。しかし利己のために様々なものを犠牲にしてきた彼を許せない気持ちが大きくあった。シン・アスカがやらねば、自分が殺す羽目に陥っていたかも知れない。
(さて……クルーゼを名乗った奴は悪魔か天使か……)
ケインはあの時〝レジェンド〟に酷似した機体に、密かに搭乗者の遺伝子データをトレースする発信器を撃ち込んでおいた。一度当人認証をしてしまえばパイロットが機体から降りようとも〝ターミナル〟の情報網で追いかけることができるという優れものだ。
天使だったら――協力したい。自分は上に立とうが従うことになろうが構わない。
悪魔だったら――彼はムウ・ラ・フラガの渋面を想い出した……。
頭を掻きながら端末から離れていったケインの表情にサイは首を傾げたが、自分は他人を気にするよりやることがある。ようやく空いた端末を見据え、N/Aが拾い上げたデータに目を通していく。表示させられたのは先日の〝プラント〟に対するテロリズム――の事後処理の様子とデータだった。
「〝デストロイ〟の残骸があったって……こんなものを扱ってるのは元連合――〝ロゴス〟に関係した組織でしょうかね」
「そんなん調べてどうする……」
無気力を眼光に乗せたケーニヒおじさんに辟易しながらサイは次のデータに眼を走らせた。
「別に〝プラント〟と戦うことだけを考えなくてもいいでしょう。一般人が専門分野が解らなくてつまずいたら、専門家を雇えばいいんです」
バルドルは濁った視線をサイが操る画面へと向けた。解っている。腐っている場合ではない。
だが――心のどこかが泣き叫んでいる。地球連合……こんなものに関わってはならない。
いきなり息子は死んだと言われた。
そして遺体すら、返して貰っていない。
「ちっ…!」
押し殺された怒気にサイは思わず跳ね上がった。息子の友人を怯えさせてしまったことを恥じ入りながらも胸中の黒は全く消せない。サイはこちらから目を反らしたバルドルに非難するような視線を向けた後、虚空に浮かんだ戦闘員に目をやった。
「ケインさん!」
「お? ちょっと待って……なんだサイ、問題か?」
「あの、何でしたっけ、あっちのPMC……。そこは他の戦力にコネがあったりしないんですか?」
「うーん……元は連合資本だから何某かあるとは思うが……どうするつもりだ? いきなり大規模侵攻とかは、反対だぞ」
バルドルは二人の話を聞くとはなしに聞きながら端末に目をやった。サイが流していくデータはモビルスーツと過去の戦術データ各種。
(こんなものは、必要ない。危険を呼び込むだけだ……)
ただ、世界の裏側を利用して金だけを稼いでいけば生きてはいけるではないか。地球連合を連想させるもの――あんなものに関わっては何もかも奪い取られる。もう残っているのは命くらいだ。これ以上供物を捧げて何になると言うのか……。
「しかし我々だけで統合国家に何かするのは無理ですよ」
「わかってはいるが……どうする? サトーさんの〝ジン〟一機で攻め込んで勝てるものじゃないだろ」
二人の議論を聞き流しているつもりで脳はそちらに引き込まれていた。バルドルが声を出す。
「――だからこその戦力増強だと、サイ君は言ってるんじゃないかな」
虚をつかれたような二人の顔は――当然のことだとしても無礼に思えた。バルドルはまん丸になった二人の目をそれぞれ見返すとサイをどけて端末に手をついた。
「降りてからすぐ動けるよう今の内に連絡だけはしておこう。――N/A」
〈はい、何でしょう?〉
「中東付近……いやユーラシア連邦まで含めた大手PMCを挙げてくれ。繋がるように、な」
「ケーニヒさん、それは……?」
「できるかどうかは解らんが……傭兵で一軍が造れれば不足は補えるのではないかと思ってな」
ケインはその考えを短絡とも感じたが……確かになにもしないよりは、それしかないのかも知れない。
ライラは現状を把握する。
モビルスーツの並パイロットが三人にザフトでも中核を担えるエースが一人。
ライラはディスプレイから目を離し、すぐそばの大型強化ガラスに意識を移す。機体の種類は選り取り見取り。流石に兄に漏れなく付いてきた〝デスティニー〟程のモビルスーツは得難いが、地球連合――〝ロゴス〟から流される資金は潤沢の一言。彼女がやりくりに苦心した記憶はないものの、湯水のように使ってもなくならない資金は……その内ありがたみを忘れさせられる。
「パイロットは、足りないことはないわね……」
だが世界に喧嘩を売るには心許ない――〝デストロイ〟数機を一蹴したエースを抱えるとそうでもないように感じてしまうが――。このままでは〝クリカウェリ〟の隠密性を存分に生かしてオーディエンスに徹するしかなくなってしまいそうだ。
「ロアノーク少佐ー! 早く選んでくださいよー」
「えー……」
今、その〝クリカウェリ〟も臨むガラスの向こうにある。誰も近寄らないL3、散らばる小惑星をくりぬいたドックと言うのは幾つもある。ライラは激戦の余韻冷めやらぬL4から離脱し、2度の補給を経てここに身を潜めることとなった。自分の機体が撃墜されたとの報はあっという間に伝わったらしく、到着したこのドックには幾つかのGAT‐Xナンバーに類する機体が並べられていたが……。
「ねぇ、〝カラミティ〟ないの? カスタムならこっちでやるからただの砲撃状態でいーんだけど……」
〈すみませんねぇ。〝カラミティ〟はエネルギー効率悪いってんであんまり造ってないみたいなんです。〝ソードカラミティ〟もありません。ソード、宇宙では需要ありませんが、地上では貴重なんですよ〉
ここは以前何者かが扱っていたファクトリーの廃棄跡だったようで資材を持ち込めばしっかりと秘密工場になってくれた。しかし擬装情報を流すのが結構面倒であり。素直に〝ファントムペイン〟の施設を頼れば良かったなどと言う意見も出ていたらしい。
それとはともかくとして、ライラは並べられたデータを回し、渋面を作り続けた。基本のなっていない自分はオーソドックスなX100フレームを用いた〝デュエル〟や〝ストライク〟タイプを使う気はない。消去法を駆使した結果地球連合の裏側らしい機体だけが残った。GAT‐X252〝フォビドゥン〟とGAT‐X370〝レイダー〟の2タイプ。〝フォビドゥン〟はミラージュコロイドを転用したエネルギー偏向装甲〝ゲシュマイディッヒパンツァー〟とトランスフェイズ装甲に鎧われあらゆる弾種から身を守るのみならず、耐圧装甲として優秀な防御機能は深部海底での行動さえ自由自在。対して〝レイダー〟は簡略化した変形機構により航空爆撃、一撃離脱戦闘と格闘まで含めた汎用戦闘をフレキシブルにこなせる上、ハードポイントが充実しており換装可能な武装は〝ストライク〟タイプにすら迫る。
データに表示されているのは試作原型機のデータから局地対応として完成させた海戦用のGAT‐706S〝ディープフォビドゥン〟、制式仕様となったGAT‐333〝レイダー〟の二つだが、これらをプロトタイプたる強化人間用高性能機に戻すことは可能だろう。アズラエル財団は頭を失っているようでその実今も広く太い根を張っている。
「ライラー! ここ破棄して出て行くんでしょう? 早く積み込まないとカスタムできないよー」
二つに絞ってから悩む。余分に積み込めば済むことだろうがマユラに言われたとおり、カスタムを優先させる品は決めなければならない。資材が豊富でも時間はその限りではない。体は一つ、シミュレーションも二つ同時には不可能だ。
ライラは少し考える。〝カラミティ〟はダメのようだが、考えてみれば〝デスティニー〟のような大火力モビルスーツは既に組み込める。ブルーノと話せば、あの時の口ぶりからもう一機〝デストロイ〟を得ることも難しくはないと思える。
(あたしには攻撃力いらないかなー……)
「〝レイダー〟にするわ。取り敢えず〝オーブ解放戦線〟で使われたって言う急造タイプに造り替えてみて」
「了解です」
キーボードに意志を撃ち込み転送を終えると別の端末から手元へマニュアルをダウンロードし、周囲に次々シャットダウンを掛ける。
部屋をあとにする。ドアの先は壁に背を預けたシンがいた。
「おーお兄ちゃん」
「呼び方変えろってお前言ってなかったか?」
思わず舌を出したライラは手を振り歩き始める。シンはそれに当然のようについて歩き始めた。
「〝デスティニー〟を整備できるとは思わなかったな」
「はっはっは。カネだけはあるのよウチは」
何か話したいことがあったのだろうがシンは黙ってついてくる。兄妹の会話がばったり途絶えた白い通路に………先に耐えられなくなったのはシンの方だった。
「あー……地上に降りるって聞いてるが、どこに行くんだ?」
話しかけられるのは願ったりだった。ライラにとっても見えない位置でむず痒さを表情に乗せるのは耐えられない。
「あれ、言ってなかった? ユーラシア連邦の……辺鄙なとこよ」
携帯端末を取り出し、操作してシンに渡す。メルカトル図の北半分が拡大されロシア地域をに3D化、ノヴゴロド市にほど近い、だが建物も人気もまるでない地域が表示された。
「こう言うところ、世界中にあるのか?」
おれが潰したはずの〝ロゴス〟は実は潰れていなかった。救いきれなかった世界の結果が今だと考えるとシンは気分が重くなる。
「ロドニアにあった施設、お前は知ってるか?」
「あー……そうか。あそこ占拠してたのお兄ちゃんの部隊だったのよね……。あ、お兄ちゃんステラを知ってるんだよね?」
「え? あ……あぁ…」
思い浮かべる小さなステラ。彼女を思い浮かべて浮かぶのは困惑しかなかった。失ったはずのものが還ってくる――それは嬉しさだけでなく別の感情も這いだしてくる。
「あの子、デザインベビーなの。ロドニアに残ってた遺伝子サンプルから、強制的に成長させたのがあの子なのよ」
ライラは話している内に想い出していた。あそこで……ザフト兵らしき女とやり合ったとき、シンがいたような気がしたが……あれは今ついてくる彼だったのか。もしそうだとすると……歯切れが悪くなってしまいそうである。
「地球軍なんてのは、統合国家に吸い取られてる。裏金はすげーあたし達も兵力は不足してるわけ。その為のあの子達なの」
「あの…子…? じゃあ、あのステラも――」
「クローンよ。今から行くとこにはその培養が任せてあるの」
クローン。複製人間。誰かの組織片から試験管で育った存在。一世代前には代理母(サロゲートマザー)なしには生まれ得なかったクローン人間もヒビキ博士の研究で発展した人工子宮環境が試験管内での精製を可能とした。機械に人権を煩く言うものもなく、使い回せる安定環境は――安定した兵力供給を約束する。
だがシンが反発を覚えたのは技術や倫理に関する事柄ではなかった。
(レイ……お前は、今のおれをどう思う?)
怒り狂ってでもやめさせるべきだと自分の心は叫んでいる。しかしもう一つの心がこう言う。妹のやることを信じてみたいと。
「お……シンは自分の機体を積み込んで。あたしはあたしで他の処分やるから」
「偵察型〝ジン〟とかAWCS〝ディン〟、用意しといた方が良いんじゃないか? おれ達は隠れてないといけないんだろ?」
兄の言うことにも一理認めて、〝クリカウェリ〟に通信を送った。
SEED Spiritual PHASE-71 忙殺に至ると憤怒を呼ぶらしい
オーブを発ってから既に一月、いや二月だろうか。その間はジャンク屋ギルド関係施設と、不本意ながらも〝ターミナル〟を頼って飛び回ってきた。追われながらの探索行が効率的だとはとても思えず、そろそろ現状に限界を感じる。
黒い〝デスティニー〟は表舞台から消えた。〝アプリリウス〟にて奴が自爆四散したとの報は彼の耳にも届いている。それが決定的なのか、悪しき〝ターミナル〟の活動は為りを潜めている。この約二ヶ月の間に潰した〝ターミナル〟はゼロであり、同時に彼らによる被害の報告もゼロである。
(キラが仇をとってくれて、はは……俺の勇み足はただ立場を悪くしただけか……)
気分が重く沈む。しかし鬱に塞ぎ込むのは何も自分の所作だけが原因ではない。数字は無機質な存在でありながら時に心に訴えかけ、大きな傷を残していく。
黒い〝デスティニー〟が表舞台から消えた。その報から約4ヶ月。犯罪件数が激増していた。
「えぇ! わたしですかぁ!?」
「そう。君に頼みたいのです」
考えられないことだった。わたしに責任ある仕事など勤まるとは思えない。
考えられないことだった。アスラン・ザラが失脚してしまった。確かに代表補佐官でありながらのあまりの奔走ぶりはメイリンをして眉をひそめさせたのは事実。だが、彼が何か国益に反することをしたのだろうか。雲隠れしたと言う話は彼女の耳にも入っているが、まさかそれで、国家反逆の罪に問われたとでも言うのだろうか。
考えられない……。今この人は、わたしを指して代表代行と言わなかったか!? 突然自分を囲む世界が大きく揺れ動き、メイリンは自分を指差し目を丸くしたままきっかり一分凍り付いていた。
「そ、そんな! どうしてわたしなんですか?」
納得できるようなできないような話が始まった。
一つ。未だカガリ・ユラ・アスハは表に立てる状態ではないこと。
一つ。アスラン・ザラの失脚および逃亡は一部の者を除き伏せられているということ。
以上二つのマイナスイメージを覆い隠す為、〝エターナル〟で戦った英雄として名も無き通信士を担ぎ上げようとするらしい。
(わ、わたしがアスランさんみたいに有名だとはとても思えないんだけど……)
だが、カガリやアスランに近しいものを掘り下げていけば行き当たるのはムウ・ラ・フラガ、マリュー・ラミアス、そしてメイリン・ホークとなるのかもしれない。ムウは宇宙。そこで選から漏れるのは仕方がない。しかしマリューとメイリンを秤にかけるとどう考えても自分のほうが見劣りすると彼女には思えたのだが、彼らはメイリンをこそ選んでしまった。
(なんでだろ? ……一応、次官だったから? それとも、コーディネイターだから?)
――どちらにせよそれは大きな問題ではないのかもしれない。代行を、氏族からではなく〝メサイア〟の功労者から選択する……つまり、この国は産業や技術力よりもプロパガンダありきで動いているとでもいうのだろうか。
目眩を感じた。自分は役者ではない。裏方である。
(そ、そりゃ白服に憧れたりしたことはあるけど、だからって一国を預かるなんてできすぎって言うか……無理ですよ!)
「無理ですよ!」
いつもは隠しておく胸中を思い余って吐き出したが、決定事項だと言われて終わる。逆らうなと言われればなにもできない。
――そして忙殺という単語を理解した。
「あ、アフリカ共同体への表敬訪問ですか? えぇと、こ、これ片付いてないんですけど行った方がいいですか?」
補佐官などに任せても良いらしいが思いつかない。誰かが代わりに行ってくれたから良かったが。
「あぁ、汎ムスリム会議の復興支援、食料以外に何を送るべきなんで――資材ですか? それならラクス様がピュリフィケーションで下ろしているモビルスーツを……」
一応代表であるため「様」とか付けてはならないらしい。
「〝ターミナル〟……わたし詳しくないんですけど……」
個人的にデータバンクに潜り込むのは得意でありむしろ好きであるが、諜報機関に頼ると言う発想がなかなか身に付かない。二つのどこに垣根があるのかと問われれば困るしかないが、国規模となれば盗まれて困る価値も果てしなかろー。
「代行ぉっ!」
「代行ぅっ!」
(ぁわああああああああああああああああ……!)
悲鳴が胸中を埋め尽くせば一秒近く動けなくなる。これが「忙しい」という概念なのだ。究極に達したものから死んでいくのだろう。それが「忙殺」という概念かもしれない。
倭国の政治家はこう言ったらしい。「政治家は政策を作る時間がない――有権者への選挙活動が忙しくて」。聞いたときは元より今ですら愚かなものだと思う。オーブの閣議五大氏族が運営するという世襲制に縛られているためこちらは逆にこういうとこはないが……やはり議会部分は「政治家」ではなく「選挙家」なのだろうか? もしそうだとしたら……是が非でもこちらの仕事を幾らか引き受けて貰いたいものである。忙しさは、殺される前に憤怒を生むようだ。
我らは余所に目をやる余裕がなく、彼らは政治に関わる余裕すらない……行政、今までどーやって現状を維持――いや、潰れずに済ませてきたのだろうか……それがこの国だけの欠点とは、思えない。メイリンは自分の現状以上に世界のこれからを思い、憂鬱になった。
「お疲れ様です。そろそろ慣れました?」
「いえっ! 無理っ! 全っ然ダメです! あの、解らないことだとどもってばっかりですけど……こんなので良いんですか? 最高責任者の代行する人が?」
「大丈夫です。あなた、結構人気あります。それに、やっぱり情報処理に強い方ですから、こちらも色々助かってますよ」
そーかなぁ……。退出した補佐官や閣僚に疑問符を投げかけながら、山積されたデータに手を付けていく。ほとんどのものは考え終わると頭の中を通り過ぎていく事柄だが、時に心に残るものもあった。
このデータは、アスランが〝ギガフロート〟を包囲した頃のものか。そしてこちらが、現在か。
世界規模統計の死亡率が前者の辺りまでじわじわと減少傾向だったというのに、あれから数ヶ月経った今、いきなり元の水準に戻ってしまっている。
(テロリストがいなくなったのに?)
興味が移る。仕事そっちのけで関連するデータを集めてしまえば黒の〝デスティニー〟消滅の報を境に報道される内容の中に汚職や紛争や――人の黒さの具現物が増えているような気がする。
(なんでだろ?)
倭国で、黒の〝デスティニー〟が贅沢な政治家を踏み殺した事件を想い出す。そして想い出すまでもなく、あの機体が世界規模で起こした破壊行為が――抑止になっていた? 巨悪が……審判としての機能を有していたとでも言いたいのだろうか? そして今、「審判」の死を理解した身勝手達が「自由」を主張した結果が数字に表れているのか……。
メイリンはディスプレイから目を離すと大きな窓から空を見上げた。
代表の疲労を感じた補佐官は珈琲か紅茶かしばし逡巡した。
それを聞かされて数日後、〝ジャスティス〟は〝ムラサメ〟を一機、蹴斬し、墜としていた。
「何故だ!? 今〝ターミナル〟の全容解明を否定する理由が、統合国家にあるのかっ!?」
〈そう言うことを言ってるんじゃないでしょう!〉
〈なんと言うことを!〉
部下、もしくは同僚だったはずの人間と機体に包囲される心地はと言えば、悪夢であるとしか言いようがない。バイタルエリアを避けての攻撃のつもりだが……被撃墜者の生命の安全など保証はできない。
(こ、こんなことをして、俺は……!)
何になる? 裏切り者として生きることなど構いはしないが親しいものを傷つけて何が得られるというのか?
変形し、旋回する〝ムラサメ〟に〝グラップルスティンガー〟を投げつけ突き刺し引き寄せる。中途半端な変形解除しかできなかった敵機――そう敵機を拘束した〝ジャスティス〟は僚機に銃を向けられない敵達をビームライフルで牽制する。
「こんなことはしたくない! あなた達では俺を止められないと、解っているのでしょうっ!?」
こうしている間にも敵の増援が迫っているのかも知れない。だとすれば自分の確信は虚勢に化ける。
〈戻れアスラン・ザラ! あぁ、代表が意識を取り戻したんだ! 知っているか?〉
「そんな嘘……俺を騙して何になるっ!」
仲間を撃つ必要性など感じられない。それでも、だとしてもそれが世の中の不正を看過する――(復讐を抑える)――理由になるのか!?
言葉を労しても心は通じず正義の名を持つ力は振るわれた。――やがて〝ジャスティス〟は友軍であった機体の残骸達を見据えていた。
〈乱心か……アスラン・ザラ! こんな事が許されるとでも……〉
残骸達から目をそらす。
「許してもらおうなんて、思ってはいません。ですが俺は歪んでいく世界を見過ごすわけにはいかない」
裏切り者として、彼らの意志を切り捨てた。
見つからないように隠れ、彷徨う行き詰まりを感じる生活であっても望めば情報は手に入る。時折目にする犯罪。見て見ぬふりは出来ず暴力で沈黙させ、世界に追われてまた隠れる。いつの間にかテロ組織と揶揄した彼らに酷似した生活を送っていることにアスランは気づけずにいた。
(こんな状態では何も解決しない……。手詰まりだな)
誰かを頼るのはやぶさかではないとしても、個人では何も出来なくなりつつある。〝プラント〟にいるはずのラクスとキラの姿が脳裏をよぎったが、彼らの優しさに甘えられない。もしオーブから自分の捕縛依頼でも出ていれば板挟みにさせてしまう……。
(だとすれば……頼れるのは一つか)
アスランは半分ほど飲み終えたドリンクをテーブルに戻し、彼方を振り仰いだ。
あの白い山脈の向こう側には――スカンジナビア王国がある。
ラクス・クラインはメイリン・ホークより連絡を受けた。形式的には統合国家の代表代行就任の挨拶。その実、アスランの失脚と脱走の報告だったが。厄介ごとだけは尽きることなく降り掛かってくる。それが世界というものならば、世界を形作る認識というものはどこまで歪んでいることやら……。一人でいることを利用してデスクに突っ伏したラクスは唐突に近寄ってきた賑やかな声達に危うく捕まりかけていた睡魔から逃れた。
電子的な声達が自分を呼ぶ。グリーン、ネイビー、イエロー、オレンジ……そしてピンクのハロが横手のボックスから飛び出してきた。こちらの気持ちを察してか、給仕ロボットのオカピなどはドリンクを注いでこちらまで運んできてくれている。
〈ラクス! ゲンキダセ!〉
〈ミトメタクナーイ!〉
〈ナニヤッテンダー!〉
〈オマエモナー〉
「あらあら。皆さん、もう少しお静かにお願いしますわ」
彼らにラクスは微笑みかけ、歩み寄ってきたオカピから腰を折ってドリンクを受け取る。犇めくこの子達を作り上げたのもアスランなのだ。ピンクちゃん一つに喜んだら、山のように作り上げてプレゼントしてくれた。想い出して口の端に微笑を浮かべ、そして嘆息する。
「……アスランは……思い詰めすぎるのです…」
溜息を掻き消すようにドアがスライドした。血相を変えて、キラが駆け寄ってくる。
「ら、ラクス! アスランが!」
「はい。承知しています。先程メイリンさんより連絡がありました」
「そ、捜索願ってどーゆうこと!?」
そう。キラの言うとおり統合国家から伝えられた内容は「捜索願」だった。聞こえをよくしただけであろう。統合国家の重要人物を『指名手配』などとできなかっただけのことに違いない。国の決定に反抗したことによる謹慎、その謹慎中に逃亡、それに付随する象徴機の強奪、その果ての行方不明……。
「はぁ。キラからもアスランに世界の上手な歩き方、教えていただけませんか?」
「冗談行ってる場合じゃないよ。アスラン、オーブから出たんでしょ? 〝プラント〟に亡命したいんだけど宇宙港が全部差し押さえられてるとか、そーゆーんじゃないのっ!?」
ラクスは呆れて嘆息した。しかし男というのは良いものだとラクスは常々思う。いや、男の、親友同士の友情が、か。自分にはいないと思う。窮地の際、ここまで心配してくれる同性は思い至らない。
「それはあり得ませんよ。キラは聞いていませんか? カガリさん、意識を取り戻しています」
「あ、え? そうなんだ」
「はい。あの方の考え方から行って、アスランがイジワルされることはないと考えます」
「うん。僕も」
「アスラン自身も、わたくし達を頼って良いものか迷っているのではないでしょうか?」
「そんな! 僕たちに遠慮することなんて――」
ラクスは呆れて嘆息した。確かに『わたくし達』に気を遣う理由はないだろう。だが、あまりに身勝手な理由ならば「公的なわたくし」には気を遣って貰わねば困る。如何にアスランに協力したいと個人的に考えていても、彼一人と〝プラント〟を天秤にかけるわけにはいかない。そして……いざ彼を斬り捨てる場面に出くわしたら……それでも公人でいられるかは些か自信がない……。
ラクスはキラを見つめた。彼はただただ親友の安否を気遣っている。――あぁもしキラと〝プラント〟を秤にかける事態になったとしたらなど考えたくもない。考えたくもないからこそあの頃の自分は隠棲という道を選んだというのに。
「キラ、あなたには〝プラント〟防衛に専念していただきます。アスランの捜索はわたくしに任せてもらえませんか」
彼の瞳が拒否するような動きを見せた、気がした。ぴょんぴょん跳びはねていたハロがキラの眼前を通り、煩わしがったか彼がそれをキャッチした。ネイビーちゃんが喚くがラクスが苦笑を零しただけでキラはそのまま拘束していた。
「行方が解らないままでも、定期的に捜索状況を連絡いたします。それでもダメですか?」
「ぅ……うん。議長命令じゃあ従わなくちゃね」
キラを退出させ、ハロ達も元の場所へ返すと執務室に18ある全てのモニタに電源を入れた。国内情勢、統合国家からの情報、破損したコロニーの修復状況、投機マネーの動きその他諸々……新たな通信を繋ぎながらそれらの中に別の情報を紛れ込ませた。
〈はいぃ〝ターミナル〟の――って歌姫様かい? お、もしかしてアスラン・ザラの捜索願ですか?〉
「話が早くて助かりますわバルトフェルド隊長。お忙しい中申し訳ありません」
〈いーやぁ。ボクは報告待つだけの身だからねぇ。〝エターナル〟で座りっぱなしの腰をほぐす方法の方が難儀してるよ〉
モニタ越しのバルトフェルドに微笑みを返しながら十を超えるモニタも視界の端に収める。テキストデータの羅列から映像データまで頭の中に収めながら彼の冗談に付き合っていると虎の表情が鋭く変わった。
〈――んで、余計なことかも知れんが姫様の耳にだけは入れておこうかねぇ。ラクス、あんたは月基地で軍の整備が進んでいるのを承知してるか?〉
「……いいえ」
3番モニタを切り替える。それらしい情報は表示されていない。
〈そうかい……詳しく調べてからまた連絡するが、なんであそこが軍備増強してるのか意味がわかんなくてね……。あぁ確定情報じゃない。広めようなんて考えてくれるなよ〉
「わかりました。では、アスランの件、あと以前依頼していた〝レジェンド〟に酷似した機体とその周辺情報、よろしくお願いします」
〈了解だ。それなりに期待して待っててくれよ〉
バルトフェルドを映した映像が先日キラ達が強襲した〝ターミナル〟を名乗る組織の立てこもっていた資源衛星に切り替わる。〝フリーダム〟が傷だらけにし、主に見捨てられた施設にどれだけの情報が残っているかは解らないが、彼らは――根絶しなければならない。
「皆さん……ただ平和に暮らしたいだけのはずですのにね……」
呟いて、自責する。「ただ平和に」と言う概念ならば――昨年自分が打ち砕いている。だが、彼の世界に真の安息はない。未だ指先に絡まってすらいないが、いずれ手にしてみせる。
「何と戦わねばならないのか……世の中も、難しいですわね…」
「アスラン・ザラを、匿う?」
ミリアリアはその報告に眉をひそめた。まさか王室は、彼がオーブから脱走し、国家反逆罪適用一歩手前の状態でこちらに縋り付いてきたことを知らないとでも言うのか?
「えぇあたくしだって疑問には思いますよ」
給仕の格好をした中年女性――彼女も〝ターミナル〟の端末か――が眉を垂れ下げながらまくし立て、徐に口元を耳へと近づけてきた。
「でもあれですよ。現王室は「オーブ」ではなく「アスハ」と関係が深いわけでして、アスハの姫の騎士を無下には出来ないと言うことではないでしょうかね?」
その言葉にはうなずくしかない。先年、オーブから花嫁を誘拐した〝アークエンジェル〟と〝フリーダム〟などと言う国際級犯罪者をこの国は匿っている。「カガリを本当の意味で保護している」と言う理由で。もちろん表沙汰になれば大いに糾弾される種となるため秘密裏に、ではあるが、アスハのために危ない橋を渡ることを是とするのは事実である。
「あぁ、聞いておきたいんですがハウさん」
「なに? 厄介なのはやめてよ。私も仕事詰まってるから」
「今の統合国家の閣僚、無能なんですか?」
「………? そんな話は聞かないけど。〝メサイア〟の時期から変わってなくて……って、何か問題が?」
「いぃえぇ。ただの噂に過ぎないのかもしれませんがね。ザラ代行を失脚させて甘い汁を吸うとはなんたらって話を小耳に挟んだ物ですから……」
ミリアリアは更に深く眉をひそめた。アスランを無条件に正義と認める……そこに疑問の余地が本当にないのか?
「ったく…誰がそんなことを…」
「ねー。それが、あくまで噂ですけど国王陛下の言葉だとか。「またセイランの考えに逆戻りか」なんて」
ドアが開いた。女は掃除を恰も続けているように始め、ミリアリアは書類にサインを施して脇に積む。中立を謳いながらしていることは統合国家の追従……内心苦々しく思いながらもそれを表には出さず、ドアを閉めてこうべを垂れた相手に返礼する。彼からの連絡事項を想像しながらミリアリアはとうとう内面を隠し通すことが不可能になった。
「国王陛下がお呼びです」
「……アスラン・ザラが、来たの?」
入室してきた彼女は恭しい礼でこちらの問いかけを肯定するとそのまま退出していった。
(大丈夫なの? この国も……)
表の仕事こそ副業である端末如きが気にすべきことではないと言われるのかも知れないが、自分は彼の所行によって今の座を追われかけているとも言える。スカンジナビアにいる限り、アスランへの協力を義務づけられるのは間違いない。その結果――
国家への懸念はいつの間にか自分自身への心配に化けていた。
(全く……私にあいつに尽くしてやる理由なんてあるの?)
国王は二十五の時八十を超える公務をこなしていたと言う。しかし現皇太子は昨年度、与えられた十四の公務を持て余し、完了できたのは八に満たない。他者から言わせれば公務に費やすべき時間を、彼はサッカーとラグビーで汗を流すことに消費したと国民からの非難が集中しているとミリアリアの耳には届いている。だが息子と比べて優秀とされる父でさえ、今のミリアリアの目には非難すべき対象に映る……英国には上流階級は豊かであるからこそ社会に奉仕すべきとの考え方があるようだが……C.E.での先進国は万民が中流以上になる中、その恩恵を感じにくいのかも知れない。
「さて……何を頼まれるんだか……」
「お気をつけてくださいよ。どちらかと言えば、睨まれてますよ」
掃除番の人差し指に苦笑を零しながら暗澹たる気持ちを消せずにいた。
何となく、ヴィーノよりもヨウランを選んで地球に降下したルナマリアは、再びモビルスーツを現地担当の〝ターミナル〟要員に預け、搬送用のトレーラーに乗せて貰うのだが……ディオキアでの経験が脳裏をよぎり、親しげに話すことができなかった。
「どうしたルナマリア? ティニの命令がそんなに不服か?」
「そーじゃないんだけど……」
そうじゃないのかそうなのかすら判断がつかない。判断がつかない? 自分の心だと言うのにか。
事務手続き及び会話の大半をヨウランに押しつけ示された場所まで移動する。銃を構えた少年なども散見されるこの地でソフトスキンの軍用車に乗るのは身の危険を感じてか、落ち着かない。忙しなく、ヨウランの死角に視線をばらまいていたルナマリアだが、目的地に到着するなりその落ち着かなさは極致に達した。
「敬礼!」
『敬礼!』
下は小学生年齢から上は〝プラント〟成人年齢程度が完璧な隊列を組み、号令の下に下車したルナマリアらに敬礼を向けてきた。
「ぉ……おぅっ…」
ヨウランと共に仰け反りながら、思い直してザフト式の敬礼を返す。が、これをどう理解すればよいのか。
アフリカ。何となく、超貧困低文明などと言う偏見単語が頭に浮かぶ。それをさせたのは少し前にクロが作成していた報告レポートだ。
「ね、ねぇヨウラン……。ここってクロが解放したとこの一つよね?」
「あぁ。あ、言いたいこと解るよ。あの人は、何か貧困で明日をも知れない地域で、統制されていない暴力的なガキがゴロゴロ――と聞いたよーな気がする」
二人がこそこそ耳打ちをしている間に誘導係は少年達への敬礼を解くと朗らかに話しかけてくる。
「いやぁ、あなた達の教官スゴイね」
彼は喜色満面と言った表情でこちらを向いた。ルナマリアはそれをただ、曖昧な表情で見返すしかできない。ヨウランの顔を見ることすら思いつけないが、彼も似たようなものだろう。
「こいつら、それこそ先月くらいまでは地べた這い蹲って恵みを期待することしかできない、とか、何かを壊した数にだけにしか価値を見いだせないよーな、文明国で言う社会不適合者ばっかりだったんですよ」
「それが――」
問いただすまでもないだろう。獣同然が超一流の群生物になったということだ。まるで一つの意志で作動するかのように一挙一投足までも計算し尽くされたような陣形と行動に、ただただ唖然とする。民間人から軍人と呼べる存在に変わるにはコーディネイターでも、数ヶ月単位の訓練を要する。
(それでも……シンみたいなのもいるわけだし……。わたしだって…)
彼らが――コーディネイターであるわけがあるまい。ナチュラルから造られた第一世代ならば……高い金を支払ってできあがった子供を生活すらおぼつかない地に捨てていくのも有り得ない話。一部にはベビーの『デザイン』に失敗して子供を『返却』した親もいると言うが、そう言うものはとある傭兵育成団体が貴重な素材として引き取り、兵士として有効利用したなどという都市伝説じみた話もある。
そしてコーディネイター同士から生まれた第二世代ならば――親が成功している。貧困に苛まれている道理もない。それに大半は〝プラント〟にいる。
「ナチュラルが……この短期間で……」
理由は、知っている。理由と言うより、原理か。すばらしい技術だと、思うこともできないわけではないがどうしても気持ちの悪さが残る。ルナマリアは呼び止める男とヨウランを一顧だにせず〝ストライクノワール〟の積まれたトレーラーに飛び乗った。擬装布の下に潜り込み、コクピットに潜り込むと一瞬のうちに数十桁の暗号コードを打ち込みパーソナルロックを解除、〝アイオーン〟との暗号通信をつなぎ合わせた。
現れた正面サブモニタにティニが映る。
「ど、どういうことよ!」
因果を何も伝えないその叫びだけで怪生物には通じたらしい。問い返すこともなく答えてきた。
〈クロがそこの心配をしていまして。教育の追いつかない混沌になるとか何とか。その解決策の試験をさせて貰ったということです〉
すらすらと淀みなく。こいつは……凄いのか。それとも人外にそんな呵責など存在しないのか。――それでも自分の心を解らせようとする自分とは何なのか。
「こ、こんな子供達を、洗脳したの!?」
〈言葉の使い方でしょうか。洗脳というと途端に自分勝手に聞こえますが、私は彼らに経験を教え込んだだけですよ〉
「……経験って」
〈脳波や筋肉制御は電気で行われていますから。電気制御でそれが充分可能でした〉
「……経験が?」
〈表層に過ぎないかも知れませんが。それで充分軍隊になります。彼らが特別戦士としての素質に優れていた、と言うわけではありません。過去の兵士のデータを組み合わせて、最適化したものをコピーしただけです〉
それでは、機械ではないか。ルナマリアは非難を込めて口を開きかけたが、胸中はティニに読まれたらしい。
〈力を与えられて――彼らは嘆いていますか? そう言う非難は、彼らの家族に怒られてから私に言ってください〉
「…………」
ディスプレイ奧のティニは、何を思ったか右手の爪を気にし始めた。
〈彼らを観察しましたか? どう考えても被扶養者にしかなれない年齢が幾つもあるの気づきました? そこの人間には訓練や学習をしている猶予など与えられていないのです〉
言い訳を聞いてなどいられずルナマリアはコクピットを這いだしカムフラージュ用の布きれをはね除けた。
「あんたたち! あの、その教官とかに何されたのよ!?」
一斉に軍隊がこちらを向く。その群生物共に怖れを感じ、怖れを恥じて噛み締める間に誰かが問いに答えてきた。
「一晩の手術にて、力を頂きました」
彼らは、理解している。
「自分の人生を、弄くられて……あんた達は怖くないの!?」
彼らに届く言葉ではない。言うなればこの絶叫は彼らの家族に叩き付けたものだった。だが答えてきたのは、やはり少年。
「死の恐怖には劣ります。報酬を得るための対価と、私は考えます」
「対価……。じっ…自分自身を対価にして、何をもらえるって言うの?」
周囲の目は、ルナマリアの想像していたものとは大きく違っていた。利益のために最も大切な価値を犠牲にした、後ろめたさに満ちる目ではなく、高みから見下ろす偽善者を非難するものだった。
「あなたは、ここは初めてですか? もしあの人の提案がなかったら、私はあの辺で蝿のエサになっていたかも知れない。もしくは彼らのように銃の使い方と殺した数だけを勲章にして、あなたを脅していたかも知れない」
口論する気などなかったのだが、感情に後押しされ引き下がれなくなる。一気に熱し今も熱を持つ心臓を持て余す
「でも、うっ……いいの? 本当にそれで……。尊厳とか、個性とか、いいの?」
「この言い合いも、処置を受けなければ私にはできなかったことでしょう」
彼にこう笑われては、ルナマリアには返す言葉がなかった。
「私は、こうならなければ『尊厳』だの『個性』だの言われましても、意味すら採れなかったと思います」
「…………………そ、そう」
振り上げかけた拳がすとんと落ちる。ルナマリアは彼らを見つめ続けることができず体もすとんとコクピットに落とした。
〈そう言うことです。大量出血した貴族の患者さんに平民の輸血をすると、怒られますか?〉
例えようは幾らでもある。納得はできないが、彼らとティニが自分よりは正しいのだろう。世界のせいで。
(どこまで腐ってるのよ……世界、いえ、社会が、かな……)
現状を、ティニに報告できた。任務は完了したらしいがどうにもやりきれない。達成感ではなくけだるさを抱えてモビルスーツを降りれば、ヨウランに肩を叩かれた。そのままヨウランの方など向かずに溜息をついて天を仰ぐ。
「…あ」
蒼天でありながら赤みすら感じるその空に、深紅の染みが見て取れた。視覚が異物を捉えるなり、聴覚がジェットエンジンのような遠い轟音を捉えた。ルナマリアは目を懲らす。その機影に見覚えがあり、蓄積記憶と結びつくなりルナマリアは思わず声を上げていた。
「あれ……〝ジャスティス〟じゃない?」
刹那周囲の空気が一変した。青年達が一斉に動き出し、真っ先に対戦車砲(RPG‐7)に辿り着いた一人がその照準器に高速で飛び過ぎる紅い機体を捉え込む。ルナマリアは慌てた。
「ちょっとやめなさいよ!」
砲身を無理矢理抱き落とすつもりで駆け寄ったが、彼女が辿り着くより先に少年兵がそれを制していた。
「なぜ止める!? あれは――」
「あれを撃墜できる戦力が我々にあると思ってるんですか?」
砲身を押し下げ見上げて問うのは先程ルナマリアと口論になった少年兵だった
「どちらにせよ、この武器じゃPS装甲のモビルスーツは墜とせませんよ」
「ビーム兵器だってある! それにモビルスーツだって――」
「あの……相手は――未確認ですが――〝ジャスティス〟なんですよ? それをはぐれた敗残兵と一緒にしては危険だと思います」
口ごもる大人と小賢しい子供。ぼーっとしていたルナマリアの肩が再びヨウランに叩かれた。ルナマリアはぼーっとしたまま思ったことだけを伝えてみる。
「なんか……意外ね。道理を言うなんて。あの子達自爆特効兵に造り替えられてるイメージあったわ」
「ティニは経験を与えたとか言ってただろう。偏見はあるが……戦力としては信頼しても良いのかも知れない」
ヨウランの横顔を見れば彼は終わった口論を見つめていた。彼の心がどちらに揺れたかは、ルナマリアには想像する以上できずにいる。
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戦いは終わっていない。それでも、危機は去った。つかの間の平穏を得た世界はまた急速に歪み始める。戻らないクロが蒔いた種…その萌芽にルナマリアは嫌悪もあらわに糾弾するが…
69~71話掲載。総集編などやってたまるか第二部開始! 感じてくれ読者諸君。68話から4ヶ月程経過してます。