「分かっていたとはいえ、やっぱり手ごわいわね」
「そうじゃな」
徐州・下邳城の近郊。
『孫』の旗を掲げた軍勢、約十万が、鶴翼陣を展開して『晋』の軍勢五万と対峙していた。
過日、襄陽にて話し合いをしてからすでに半月。
揚州に戻った孫堅たちは、すぐさま州内のほとんどの戦力を終結させ、徐州へと軍を進めた。
まず呉軍がぶつかったのは、徐州に駐屯していた晋の正規兵だった。
徐州に入ればすぐに、虎豹騎との戦いになると思っていた孫堅たちは、正直拍子抜けした。
そして、正規軍の兵たちは、あくまで”普通の”人間であった。
しかも、その戦意が相当に低いことは、火を見るより明らかだった。
わずか半刻で、徐州正規軍は撤退を始めた。それも仕方のないことだった。もともと、正規軍の兵のほとんどは、前徐州の牧である一刀に心酔していた。だが、陳登・陳珪の親子の反乱で一刀は徐州を追われ、正規軍の兵たちは否応なく、陳親子に従わざるを得なかったのである。
その陳親子が、呉軍の甘寧と凌統の二人によって討たれると、兵士たちは一目散に逃げだすか、呉軍に降伏をした。
正規軍をあっさりと降した呉軍だったが、孫堅は気を緩めることなく、
「次は確実に虎豹騎が出てくる。兵たちには、とにかく二人、もしくは三人以上で相手をするよう、徹底させておいて」
そう、部下たちに指示を出した。
少々のことでは倒すことの出来ない虎豹騎の兵たちと、まともに戦うためには、二人以上の複数で、敵兵一人に当たるしかない。たとえ、卑怯といわれようとも。
それが、孫堅たちの対・虎豹騎対策だった。
だがそれは、数の優位という、戦術上の有利を、差し引き零にすることにもなった。
戦いは、こう着状態に陥った。
「……このままじゃ、埒が明かないわね」
「じゃが、打てる手などあるのか?堅どの」
いらつきながら敵陣を見つめる孫堅に、黄蓋がその隣に並んで問いかける。
「……無い訳じゃないけど。……どうやら、あちらさんも同じ結論に至ったみたいね」
「何?」
孫堅の言葉に、黄蓋がその視線を前方へと転じる。そこには、陣からたった一人で歩み出てくる、毛皮で出来たビキニを身につけた、一人の女の姿があった。
「……一騎打ちで相手を打ち負かして、敵の戦意を削ぐ。……結局、そこに辿り着くわけよ。武人の考えってのはね」
にやり、と。口の端を緩めて言いつつ、孫堅もまた歩み始める。
「堅どの!いくらなんでも無謀すぎるぞ!」
「悪いけど祭。もう何を言っても止まらないよ。……そう、この、血の滾りはね」
自身を制止しようとする黄蓋の台詞にそう返し、孫堅は振り向くことなく、さらに歩を進める。
「……まったく。明命!おるか!?」
「はっ!」
シュタ、と。
黄蓋の背後に、どこからともなく現れる周泰。
「策どのと権どの、それと公謹に急ぎ伝えよ!すぐにこちらへ合流するようにじゃ!」
「はい!」
シャッ!
現れたときのように、一瞬で姿を消す周泰。
「堅殿……負けるでないぞ」
孫堅の後姿を見送りつつ、黄蓋はそう祈るのであった。
「晋の五神将、第四の席。祝融だ」
「呉王、孫堅文台よ。……殺り合う前に、一つだけ聞く。……あんたにとって、仲達の存在とは?」
「全て」
孫堅の問いに、何の躊躇もなく即座に答える祝融。
「そ。なら、もう交わす言葉はない。江東の虎の牙、その身でとくと味わうといいわ」
「……参る」
ゴウッッッッ!!
二人を中心に、激しい気の本流が巻き起こる。
「あああああああっっっっ!!」
「……………ッッ!!」
雄たけびを上げる孫堅と、無言のままの祝融が、正面から相手に突進する。
ギャリィィィィィッッッ!!
孫堅の南海覇王と、祝融が両手に持つ短刀が、激しい火花と金属音を立てて、ぶつかり合う。
「るああっっ!!」
「……チッ!!」
十合、二十合と。すさまじい速さで、互いの武器を繰り出しては、相手の武器を受け止め、それを受け流し、また、相手に繰り出す。
互いに、相手の致命傷を狙える機を、伺いながら。
「アハハハハハハッッッ!!流石にやるじゃないか、アンタ!!あたしをこれだけ燃えさせるやつは、本当に久しぶりだよ!!」
戦鬼。
そんな表現の似合う、紅潮し、興奮した顔で、笑って言い放つ孫堅。
「……われら”特戦機”型と、まともに張り合えるやつがいるとはな。……ナチュラリアンも、なかなか面白い生き物だな」
「とくせんきがた、ね。……やっぱりアンタも、さいぼーぐとかいう奴なんだね」
「!!……どこでそれを」
「答える必要があるかい?ま、仲達の目的とやらを教えてくれるんなら、特別に教えてやってもいいけど?」
「……フン」
「そういうこった。……それじゃ、続き行くよ!!」
祝融に再び突進する孫堅。そして、再び激突する両者。
それを、後方から見守る孫策ら呉の面々。
「……やっぱり、母様は化け物だわ」
「……そんなことを言ったら、後で文台さまにどやされるぞ、雪蓮」
「聞こえてやしないわよ。……祭だってそう思うでしょ?」
「……否定はせんがの。じゃが、不安がないとは言わん」
そんな孫策の、母親を茶化す台詞に対し、黄蓋は眉をひそめてつぶやく。
「……不安って、何よ、祭」
「……」
「年だからとか?」
ジロ、と。孫策のその台詞に、きつい視線を送る黄蓋。
「……堅どのはの、病が治っておらんのじゃ」
『…………え?』
黄蓋のその台詞に、一瞬、思考の停止する一同。
「……祭。あなた、今、なんて」
「……本人は隠しおおせているつもりじゃろうが、わしの目はごまかせん。……いつぞやかの病、まだ完治しておらんはずじゃ」
「うそ……」
「とてもそうは、見えませんが」
孫堅の戦いぶりを見る限り、とても信じられないと、周瑜が疑念の顔を黄蓋に向ける。
「じゃから不安なのじゃ。……堅どの、はよう決めてしまえ。……頼む」
「そうじゃないでしょう、祭!それならすぐにでも、みなで加勢を……!!」
「駄目よ、蓮華」
「姉さま?!」
母に対して、すぐの加勢をと言う孫権を、孫策がその正面に立って制する。
「何でですか、姉さま!?本当に母様がご病気なら、このままでは!」
「……」
「ねえ、さま……?」
姉に対して、納得できずに食って掛かろうとした孫権。だが、その姉の瞳に、涙が浮かんでいることに、彼女は気がついた。
「……あたしだって、助けに入りたいわ。けどね、当の母様が、それを一番望んでいないわよ」
「そうじゃな。堅殿とて武人。しかも相手は、下手をすれば自分以上の実力者じゃ。……先ほど本人も言うておったわ。血の滾りは、もはや抑えられぬと」
「そんな……」
「だから蓮華。今は、母様を信じましょう。……江東の虎の、勝利を」
「……はい」
姉の真摯なその表情にうたれ、うなずく孫権。
そして、孫堅と祝融の戦いは、いよいよ佳境に入っていた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
右手で南海覇王を携えつつも、もう片方の手で自身の心臓の場所を押さえて、孫堅は完全に、その呼吸を荒くしていた。
「……まさか、病気持ちだったとはな。それでここまでやれるのだから、さすがだとは言っておこう」
「……そいつは、どうも。けど、病人だからって、遠慮はいらないよ。さ、続きといこうか」
ハァ~~、と。
一度長く息を吐き、再び南海覇王を両手で構える孫堅。
(もう少し、後一撃分だけ、もっておくれよ。子供たちに、虎の魂を伝えるまでは、あたしはまだ、逝けないからね)
「……どうやら、次を最後にしたい様だ。ならば、私もそれに、全力で応えるとしよう」
両手に持つ短刀を、その柄の部分でさかさまにつなぎ合わせ、一振りの武器へとかえる祝融。
「これこそ我が剣の真の姿。名を、『ヴァジュラ・零式』。……虎の牙、今日この場にて、狩らせてもらう」
その剣―ヴァジュラ・零式を構え、体勢を低く取る祝融。
「狩れるものなら、ね。……はああああああ……!!」
「こおおおおお……!!」
気を高めていく両者。
そして、一瞬とも永劫とも思える、その間の後、
「グルアアアアアッッッッ!!」
「カアアアアアアッッッッ!!」
咆哮。
砂塵。
閃光。
爆発。
そして、大量に巻き上がる粉塵によって、あたりは完全に、視界が効かなくなる。
やがて、その舞い上がった砂煙が、徐々に晴れてくる。
そこには、
両の脚で、しっかりと大地に立つ祝融と、
地に膝を着き、片腕を失って、大量の血を流している、孫堅の姿が。
『母様!!』
「陽蓮!!」
「文台さま!!」
その孫堅の姿を見て、悲痛な叫びを上げる呉の面々。
「…………さすが、江東の、虎。その牙、病に負けず、か」
祝融がそうつぶやいた瞬間。
ドシュウッッ!!
その体の中央から、大量の血を噴出して、真っ二つになり、祝融は倒れた。
「……母様が、勝った、の?」
「母様!!」
母親の元へと、慌てて駆け寄る孫策。
「医療兵!すぐに文台様を!!」
それに続き、治療専門の兵たちが、周瑜の指示を受けて大急ぎで孫堅の下へ駆け出す。
「陽蓮!しっかりせい!」
「……祭、か。……腕一本、犠牲にしちゃった」
「……ああ」
「……はあ。久々に激しく燃えたわぁ。あたし、思わずイッちゃった」
「……ばかたれ」
医療兵の応急処置を受けながら、いち早く隣に駆け寄ってきていた黄蓋に、その満足そうな笑顔を向ける孫堅。
「……母様」
「雪蓮か。……祭、南海覇王は?」
「ここにある」
孫堅の、その残された左手に、南海覇王を握らせる黄蓋。
「ありがと、祭。……雪蓮、受け取りな」
「え?」
「予定よりちょっと早いけど、今日からお前が、孫家の家長だ。呉の民を、これからはお前が背負っていくんだ。良いね、孫伯符」
南海覇王を孫策に差し出し、孫堅は、その真剣な眼差しを向ける。
「……分かったわ。後はゆっくり、休んでてください。……病もちゃんと、治して、ね?」
「分かってるよ。あたしはそう簡単にくたばりゃしないさ。……一刀に、”四人目”を授けてもらうまではね」
「……あのね」
「はっはっはっは!」
失った右腕の痛々しさを忘れさせるかのように、大声で孫堅は笑った。
その後、母の跡を継いだ孫策の指揮の下、指揮官を失って、完全に”人形”の様になってしまった虎豹騎を、徐州、および青州から駆逐することに成功した呉軍。
孫堅は、腕と病の治療に専念するため、抹陵へと帰還することとなった。
まずは、一角。
晋の牙城が崩れた、その日であった。
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第五十二話。
ついに晋への北伐を開始した一刀たち。
まずは呉軍。
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