三か月前、リウヒが突然失踪した。
東宮の寝殿の警備兵は、薬を嗅がされており王の寝台はもの抜けの空だった。
本殿は混乱状態に陥った。陛下が浚われた。すぐに集まった重鎮たちは口々に右将軍を責め立て、警備兵を統べるシラギは苦渋の顔でそれを受けていた。
「全てわたしの不始末だ…」
それでも非難の声は、次々と上がってやまない。
カグラは猛烈に腹が立った。ただ非難するのは簡単なことだし、確かに責任はこの男にある。
しかし、今は何をなすべきかこいつらは分かっていないのか。即刻、王の行方を探すのが、先決だろう。
一刻立っても事態は動かない。我慢の限界が来た。
振り上げた拳を卓上に叩き落とす。ドオンとものすごい音がした。
重鎮たちは驚き、口をつぐんだ。静寂が訪れる。
「右将軍の責任追及は、そこまでにしておいて、まずは陛下を探しましょう」
底冷えのする微笑みを浮かべて提案すると、彼らは息をのんで首をすくめた。
「ただちに国中を捜索しよう」
「王が行方不明と知られれば国は混乱する」
「闇者を雇おうか」
「それは最終手段だろう」
「その闇者が浚った可能性もあるではないか」
「暗部からの、ヨドからの報告はまだありません」
「いたずらに動いても…」
結局、王は病気ということにして、秘密裏に事態を運ぶことになった。
城下や町村の奉行を統括するいわば警察のようなものの頂点にたつ中将軍ダイゴが席を立つ。
新王直立後、リウヒが「真面目だから」という理由で抜擢した青年は陰鬱でかつての黒将軍の陰気さをかき集めて団子にして増幅させたような、そんな独特な雰囲気を放っていた。後ろに鬼火でもひきつれていそうな感じである。
めったに口を開かず、笑わない。
「わたしも明るい方ではないが、ダイゴ殿の引力には驚くことがある」
直訳すれば、シラギでさえも辟易しているその中将軍は、成程、仕事ぶりは真摯で宰相から引き継いだ暗部の管理も任されている。
自国各国の情報を探る暗部の頭、ヨドとは凹凸的組み合わせと噂されていた。
「しかし、どこのどいつが陛下を浚ったのか」
物盗りや族ならば、わざわざ薬など嗅がさない。殺すだけだ。しかもやられていたのは東宮の寝殿の兵だけで、まるで犯人は煙のように現れて消えた。
「トモキを呼んでください。あの男は宮廷の地理に詳しい」
青い顔して駆け付けたトモキは、古びた地図を広げて説明を始めた。
「…だから、よほど宮廷と後宮に詳しいものでないと、不可能なんです」
「考えたくはないが、宮廷内に手引きをしたものがいるかもしれん」
宰相の低い声に、全員が驚愕する。カグラも青ざめた。
宮廷のすべての人間、上位のものから下端、出入りする商人までくまなく取り調べられている最中である。
「リウヒさまは本当に逃げてしまったんだろうか」
トモキが放心したように言う。げっそりとやつれて、一回り小さくなったようだ。
リウヒが消えた当初、錯乱して「ぼくが探しに行く」と宮廷を飛び出そうとした。皆に止められ、それからは中将軍や宰相の補佐をしている。
「あの子はそこまで馬鹿じゃないわよ」
キャラがぶっすりとした声で返した。
「多分」
王が消えてから数日が経っても以前手がかりは掴めない。
シラギの部屋に集まったカグラ、トモキ、マイム、キャラは沈痛な顔で酒を飲んでいる。
こんな時にも酒か、と呆れるリウヒの声はしない。
「昔、国務に疲れたら海を渡って逃げてやるって言ってたんだ。じゃあぼくはみんなで追いかけてやるって返した。もしかしたら、本当に実行に移してみんなが追いかけてくるのを待っているのかもしれない」
「まさか。それならなんで寝殿の兵が薬を嗅がされていたのよ」
痛々しいため息が聞こえた。シラギが苦しそうな顔で肘をついている。
この男は、戦場では生き生きとするくせに、精神的な衝撃を受けやすい。まあ、無理はないだろう。自分の失態でリウヒが失踪した。何も言わなくとも、散々自分を責め、悩んでいるに違いない。それに、あの少女に並みならぬ想いを抱いている事を自分は知っている。
というよりここにいる全員が知っている。
「ねえ」
今まで黙って話を聞いていたマイムが、一点を見ながらポツリと言った。
「金を出すというのはどうかしら。本人を連れてきた場合と、情報のみの場合で」
全員が顔を上げる。
「お前は、陛下に賞金をかけるというのか。どこまで金に汚い女だ」
吐き捨てるように言うシラギを金に汚い女は鼻で笑う。
「だから、金持ちのお坊ちゃんは嫌なのよ。あのね、人間一番欲しいのはお金なの。そして、今の宮廷が求めているのはリウヒとその情報でしょう。理に適っているじゃないの」
おおーう。とトモキとキャラが感心した。さすがマイムさん。
シラギは苦虫を噛み潰しまくったような顔をしている。
「明日、朝議で提案してみます」
カグラがいうとマイムはにっこりと笑った。
「もし何らかの収穫があれば、あたしにも三割ちょうだいね」
おおーう。とトモキとキャラが呆れた。さすがマイムさん。
シラギはため息をついて髪をかきむしった。
****
長い髪が舳先で揺れている。またぼんやりと彼方を見ているのだろう。
が、クロエはあれからまったくリウヒに近づけなくなってしまった。キジの監視の目がきつくなった。ちょっとでも舳先に行こうとすると、襟首を掴まれる。山のように雑用を言い渡される。新参者の自分は下端なのだ。貴族の息子だからといって、特別優遇されるような場所ではない。
あの藍色の髪の少女は、何度も夢に出てきた。
ある時は、恋人として甘えたように口づけをねだった。
ある時は、妻として、横で微笑んでいた。小さな赤子を抱いて。
そしてある時は、裸で煽情的に誘惑した。
なんにしても全て夢だった。目を覚ますと、いつもの大部屋の吊床の上で、様々な鼾が各方面から聞こえているだけだった。
「何、ぼっとしてんだよ」
はっとして現実に戻る。
「おーまーえー。また嬢ちゃんをみてたんか」
「いや、あの、船の先端を」
キジが呆れたようにクロエを見る。
「お前ってほんと、ウソが下手よな」
何にも言えなくなってしまった。
「何度もいってるだろう。嬢ちゃんだけはやめとけ。頭領のもんだ」
「分かっている」
そんな事は十分、分かっている。
「まあ、気持ちは分からんでもないけど」
なんだと、この男もリウヒを狙っているのか。睨みつけると呆れた顔をされた。
「ばーか、しばらくやってねぇから溜まってんだよ。いーよなー。頭領は」
心底うらやましそうに、ぼやく。
「ああ、でももうすぐ陸にあがるぞ」
初耳だった。驚いて聞き返す。
「どこに?まさかティエンラン…」
「まさか。頭領が、そんなバカなマネするかよ。クズハだ」
そしてえらい真剣な目をして、クロエを見た。心なしか目が血走っている。
「美人がわんさかいるぞ。俺の好きな女も」
待っててちょうだい、アイカちゃーん。明日会いに行くよー
。歌いながら弾むような足取りで、去って行ってしまった。
****
「明日、久しぶりに上陸するよ」
リウヒは椀をおいて兄を見た。相変わらず食欲がわかない。今まで無限大にあったのに、トモキが注意するほど食べていたのに、この船の揺れのせいだろうか。
「クズハを知っているだろう」
無言で頷く。
ティエンランの隣にある国だった。湖に浮かぶ白亜の王宮と、美形の多いことで有名な国だ。王は病に臥せっており、王弟が政治を代行している。
「君もいい子にしていたから、おろしてあげよう」
「本当に?」
アナンは笑った。
「ただし、逃げようとしたら、どうなるか分かっているね」
リウヒは再び頷いた。絶対に逃げてやる。
「兄さま、お願いがあります」
「何だい?」
「闇夜に浮く町の灯りが見てみたい」
「可愛いお願いだね」
アナンが椅子を立った。手を差し伸べる。
「おいで、リウヒ。大分と陸についてきている頃だよ」
手を引かれて甲板に出た。冷たい風が心地よかった。夜空に星が散りばめられたように瞬いている。東宮の小庭園でみる星空とはまた違い、遠く果てしなく続いていた。
「ほら、あそこだ」
兄の指す方向を見やる。漆黒の闇の中、遠くに小さな灯りたちがキラキラと灯っていた。まるで地上の星空のようだ。天空のものよりは随分、つましいけれど。あの灯りが集まっている所が港なのだろうか。
「きれい…」
小さくつぶやくリウヒを、アナンが後ろから抱きしめた。
****
突然、奇っ怪な声を上げたキジに、後ろにいたクロエが怪訝な顔で振り返った。
二人で見張り台にいる時だった。
「どうしたんだよ、何か発見したのか」
「いや、えーと、なんでもない。ちょっと持病の癪が」
「は?」
「とにかくお前はこっち見るな、お仕事しましょう、お仕事!」
ああ、人間ってなんでいざというときに、うまい言い訳がでてこないんだ。
キジは舌打ちしてクロエを押えこもうとする。が、余計気になったらしく、親友はその手を振り切って見てしまった。
甲板の手すりに凭れて頭領とその妹が、陸地を見ている。いや、見てはいない。頭領は後ろから妹を抱きしめて、口づけている。妹は大人しく受けている。
あんたら兄妹でなにやってんのー!大声でつい突っ込みそうになった。
「なあ、そろそろ仕事に戻ろうぜ」
声をかけてもクロエは動かない。
「大胆だよなあ、頭領も」
呆然としたように、一点を凝視している。
「ああ、目の毒だ。早く明日になんねえかな」
その目から涙が溢れてきた。
「おい、クロエ!」
さすがに見かねて腕を引っ張ると、崩れるように尻持ちをついた。しかし、すぐに起き上がって甲板を覗きこもうとする。抑えつけるともがく様に暴れた。
「やめろよ、おれに構うな」
「構うよ!泣くくらいならもう見んなよ、お前…」
そこでクロエは初めて自分が泣いていた事に気が付いたようである。キジの手を掴んでしゃっくりを上げた。
「本当に惚れていたんだな」
その姿に胸が痛む。
「惚れちまったもんは仕方ないよな」
うなだれた黒い頭が何度も頷く。全く、厄介な女に惚れやがって。
「一度だけ協力してやる」
クロエが濡れた顔を上げた。キジは懐を探り、小瓶に入った青い薬を取り出す。
「睡眠薬だ。頭領に使え。寝た隙に嬢ちゃんに接近しろ。ただし、それ以降はあきらめろよ。あとな、嬢ちゃんが泣くような無理強いはすんじゃねえぞ」
いいな、と小瓶をクロエの手に握らせて、その上からグっと握らす。自分の想いを打ち開けてしまえば、この男も大人しくなるかもしれない。
「いいな、あきらめろよ。その方が、お前の為、嬢ちゃんの為、頭領の為だ」
甲板の二人はもう消えていた。
陸地の灯りは、先ほどよりもだいぶはっきりと見えてきている。
****
久しぶりの陸地は奇妙な感覚だった。一体どれくらいぶりに立ったのだろう。
兄に手を引かれて、降りたリウヒはその感覚を確かめる為に、その場でトントンと跳ねた。
アナンが微笑む。海賊たちも、無邪気な仕草にさざめくように笑った。
一行は根城としている一軒家に向かう。荷下ろしが一段落してから、酒場へ向かった。
扉を開けると、女たちが群がる。頭領であるアナンのつれなさを詰った後、海賊たちと陽気に飲み始めた。
リウヒは非常に居心地悪かった。こんな公衆の面前で、兄の膝の上に座らせられて。しかし、アナンは離してくれない。
「やっだー。可愛い女の子ー。何?お人形さん?」
「きゃー。ちっちゃーい。まさか頭領の恋人ー?」
女たちのかしましい声にアナンは、笑って答えた。
「麗しの妹だよ」
愛おしそうに、その頬に口を寄せる。女たちは一気に引いた。
そりゃあ、引くだろう。わたしでも引くと思う。リウヒは赤い顔を上げられない。
果実酒など、可愛らしいものはなく飲物は酒しかない。仕方なく、水と酒を交互に飲んで、時間を過ごしている内に、厠へ行きたくなった。
その事を兄に告げると、「早く帰ってくるんだよ」と離してくれた。リウヒはアナンの膝から飛び降り、酒場の隅へ歩いて行った。
****
クロエは酒場に入った時からアナンの酒に薬をいれる隙を窺っていた。
そして成功した。さらに女をそそのかして、二階の室に頭領をつれていくよう仕向けた。
この際、なりふり構っていられない。
女は喜々として、意識が朦朧とし始めた男を引っ張って消えて行く。席を立っていたリウヒが戻り、兄の姿が見えない事に戸惑ったように辺りを見回している。
「リウヒさま」
声をかけると、小さな背がびくりと跳ねた。
「頭領は、まだ帰らないようです。先に家へ戻りましょう」
少女は警戒したように首を振る。
「わたしも一緒に参りますから」
手を伸ばすと、怯えて身を引いた。
「こないで」
クロエはため息をつくと、親友の姿を探した。無理はない、下心はばれているのだ。ならば、キジと一緒なら警戒心は溶けるかもしれない。
目的の親友は大分と離れた席で、見事に太った女の肩に手を回し、楽しそうに酒を飲んでいた。
「どうした、クロエ」
「悪いけど、一緒に来てくれ」
問当無用でその腕を引きずって連れ去る。
「えっ?なに?おれ、これからアイカちゃんとめくるめく世界へ…。ちょっとー?アイカちゃーん!お願い助けてー!」
間抜けな恰好で引きずられてゆく男を、アイカちゃんは目を丸くして見ていたが、一転笑顔で手を振ると男前の髭親父の所へ、跳ねるように行ってしまった。
「ああああー。だから男前って嫌いなんだー。おい、クロエ!おれの貴重な時間と女を無駄にしやがって!どうしてくれるんだよ」
「あとで酒一本やるから付き合ってくれ」
「いや、二本を要求する。いいからもう離してくれよ。なんなんだよ、一体」
クロエは事情を説明した。キジはふんふんと聞いて呆れた声をだした。
「小娘を送り届ける為に、おれを拉致したのかよ。だいたい、お前が譲ちゃんにちょっかい出すから…」
「協力してくれるっていっただろう」
「一回だけっていったんだ」
ところが今度はそのリウヒの姿が見えない。
「まさか、逃げた?」
「やばくねえ…?」
二人は顔色を変えた。
「頭領は、あの薬を飲ませて女と一緒に上にいるはずだ」
「分かった。取りあえず、嬢ちゃんを探そう。それでも見つからなかったら、あいつらにも言って手分けして捜索するしかない」
クロエとキジは、慌てて酒場を飛び出した。
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ティエンランシリーズ第二巻。
兄に浚われた国王リウヒと海賊の青年の恋物語。
あんたら兄妹でなにやってんのー!
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