「北郷さま、ここより先に黄巾党の軍勢を発見いたしました」
報告に来た兵士が一刀にそう告げた。
「そうか・・・それで敵の数は?」
「数はおよそ二万ほど・・・それとどうやら交戦中のようです」
「交戦中?いったいどこの軍勢だ?」
「官軍かと思われます」
「官軍・・・ですか・・・」
隣にいた雫がそれを聞いてポツリともらした。
「官軍・・・ねぇ・・・・・・それで、戦況はどうなっている?」
「はい、どうやら黄巾党が押しているもようです」
「そうですか。・・・・・・一刀様、いかがなさいます?」
雫が一刀に尋ねるが、その言葉の端々からあまり気乗りしない様子がありありと浮かんでいた。
以前にも一刀たちは官軍を助けたことがあったのだが、こちらが義勇軍と知るや、あまりに失礼な態度で応対されたのだ。
それ以来、官軍とはあまり関わらないようにしているのだが・・・・・・どうしたものかと一刀が思案していると、兵士が付け足すように報告してきた。
「あっ、それともう一つ、戦っている軍勢で官軍とは違う別の軍勢を見ました」
「ん?そうなのか?」
「はい、どこの軍なのかは存じませんが・・・・・・」
「そうか・・・ちなみに旗はどういったのがあった?」
「そうですね・・・えっと――――」
その後、兵士の報告を聞いた一刀たちは、急いで軍を進めることになった。
『うぉおおおーーーーー!!!』
大地を揺るがすほどの怒号の声が戦場に響き渡る。
切っては切られ、槍を突けば突き返され、矢を射れば射返される。まさに戦場は混沌の様相を見せていた。
片方は黄色、もう片方は紫、それときらびやかな鎧を見に包んだ者たちだった。
その血で血を洗うような乱戦の中、次第に黄色の軍勢が段々と圧倒し始めてきた。
「張遼さま!ほ、本隊が撤退を始めています!」
その報告を聞いた張遼こと霞は、兵士の報告通り、自分たちを置いて勝手に撤退を始めている、きらびやかな鎧を見に包んだ本隊――官軍を目の当たりにして思わず怒鳴り声を上げた。
「何やっとんねんっ、あんのタマなし張温!そないなことしたらせっかく持ちこたえてた戦線が崩壊するやないかっ!」
あの引き際も見極められないバカ皇甫嵩(こうほすう)も最悪だったが、こっちはもっと最悪だった。
霞の言ったとおり、本隊の撤退を知った前線の兵は動揺し、戦線に穴が開きはじめていた。
「右翼の華雄はどないなっとるっ!?」
「はっ!何とか持ちこたえておりますがそれも時間の問題かと・・・」
兵士の報告に霞は歯噛みした。実際、華雄は良くやってくれている。相手の左翼と本隊のほとんどを相手にしてくれているからだ。
以前のように曹操の軍が助けてくれるわけがないんだから、何としてもここを切り抜けなくてはならない。
「くそ!急いで中央で戦ってる呂布に華雄を援護させるよう伝令を出しぃ!何とか隙を作ってウチらも撤退を――」
「ほ、報告しますっ!何者かの軍勢がこちらに向かって来ておりますっ!」
霞の命令をさえぎって別の兵士が報告に現れた。
「何やって!?いったいどこの軍やっ!?」
兵士の指し示す方向を見ると、そこから砂塵が舞い上がっているのが見えた。
敵か味方か。霞が固唾をのんでそれを見つめると、そこに見えた旗は・・・・・・
「あれは・・・白銀の十文字!?もしかしますとあれは――」
「一刀!?」
霞は思わず叫んだ。噂で聞いたことがあるのだ。白銀の十文字旗は『天の御遣い』の旗であると。
その旗を見た味方の兵は狂喜せんばかりに奮い立ち、逆に敵の兵は震え上がった。
「御遣い様だっ!御遣い様が助けに来たぞっ!」
「あ、あれはまさか!?で、出たっ!奴がやって来たぞーっ!!」
軍の先頭には、日の光を浴びて燦然と輝く服をまとい、大きく見事な漆黒の馬にまたがった青年・・・一刀がいた。
「全軍、目の前の軍勢を助け出すぞ!総員、突撃せよっ!」
一刀の号令の下、北郷軍は敵左翼の横っ腹を貫くような形で突撃した。
それにより敵左翼が混乱している間、味方右翼は態勢を整えるために後退した。
「ど、どうします張遼さま!?この隙に我々も撤退いたしますか!?」
「アホぬかせっ!せっかく一刀が助けに来てくれたのにそないなこと出来るかいっ!さっきの命令は撤回や!ウチらも出るでぇっ!」
そう言うやいなや、霞は馬を駆けさせた。それに霞の騎馬隊が続く。
北郷軍の参戦により味方が持ち直したのに加え、態勢を整えた右翼が戦線に加わることにより、霞たちは何とか黄巾党を撃退することに成功したのであった。
「一刀~っ!久しぶりやわ~!」
一刀と再開を果たした霞はそう言うなりいきなり抱きついてきた。
「ちょっ、ちょっと霞っ!?」
突然のことに一刀は驚いて霞を引き剥がそうとするが、霞はがっしりとしがみついて離さなかった。
そして、今度は背後から何者かが抱きついてきた。
「・・・って恋!?何やってるの!?」
「一刀・・・・・・会いたかった・・・」
「あ、ああ、俺も会いたかったよ、恋。・・・・・・と、とりあえず離れてくれないか、二人とも?このままじゃ話づらいだろ?」
「え~、このままでええやん~。なぁ~、恋」
「・・・・・・・・・(コクリ)」
まるでスッポンのように離れない二人に一刀が悪戦苦闘していると、兵への指示を出し終えた雫、華雄がやって来た。
「・・・・・・一刀様。お楽しみのところ申し訳ありませんが・・・」
「楽しんでないよっ!?」
いつもより三割増しほど、冷たい声を出す雫に一刀は慌てて二人を引き剥がした。
「まったく・・・何をやっているのだ二人とも」
華雄が呆れた声で霞と恋を見た。
「だって、ほんまに久しぶりなんやもん。一刀を見て、こぉ~・・・嬉しさと懐かしさと切なさが一気にあふれてしもうたんよ」
「・・・・・・・・・(コクッコクッ)」
「・・・ゴ、ゴホンッ、・・・・・・それより霞、どうして君たちがここにいるんだ?」
一刀は軽く咳払いし話題を変えることにした。
「ん~、涼州は黄巾党がそない多くなくてなぁ。だから月と詠が領地の黄巾党を一掃した後、一刀たちの力になるようにウチらを中央へ派遣してくれてたんよ。ちょうど朝廷からも要請があったさかい」
「まぁ、あそこは西涼のように五胡の脅威に脅かされてる場所もあるからな。反乱を起こしているヒマなどないのだろう」
「・・・それに月・・・みんなにとっても優しい・・・・・・」
霞の説明に華雄と恋が補足する。確かに月のような善政をしいていれば反乱も起きなかっただろうに。
「ん?そういえば官軍が見当たらないな?報告では彼らも一緒だったと聞いたけど?」
一刀としては気になったことを聞いただけなのだが、三人はそれはもう、剣呑な雰囲気を発し出した。
「・・・・・・ああ、あの臆病者どものことか?」
「奴らなら、ウチらがちょっと劣勢になった途端に尻尾を巻いて逃げ出しおったわ」
「・・・・・・・・・置いて行った・・・」
その言葉に一刀と雫は驚愕した。
「切り捨てた・・・のですか?遠方からわざわざ派遣してくださった軍を?」
「しかも、精強で知られる涼州兵を?」
二人の言葉に三人がうなずいた。さっき華雄が言ったように、涼州はことあるごとに五胡と槍を交えている。そのおかげか、涼州の兵の強さは他国を抜きん出ていた。少なくともふ抜けた官軍なんかよりは数倍もマシだ。
それを使い捨ての駒のように扱うとは・・・・・・
「・・・なぁ、霞。どうせなら俺たちのところに来ないか?俺としては三人の強さは折り紙つきだから、是非にと言いたいところなんだけど」
「ホンマにっ!・・・とウチも言いたいところやけど、それはあかん。勝手にそないなことしたら月に迷惑をかけてしまうわ」
「そうだな。我らだけならどうなろうが別に構いはせぬのだが、董卓さまに迷惑はかけられぬ」
一刀はその半ば予想できた返事を聞いて思わず苦笑した。
「そうか・・・・・・それなら仕方ないな」
「恋も・・・一刀と一緒にいたい・・・・・・だけど我慢する・・・」
(くっ!?そんな寂しそうな目で見ないでくれ、恋!・・・・・・思わずお持ち帰りしたくなるじゃないかっ!)
一刀がどうしようもない葛藤で悩んでいると、負傷者を入れた天幕から華佗が出てきた。
「一刀、こっち方の治療は終わったぞ」
「・・・ん、ああ、いつもすまないな」
「一刀?この兄ちゃんはいったい何者や?」
華佗を初めて見た霞たちが一刀に尋ねた。
「こいつは華佗。旅の途中で知り合って共に旅をしていたんだ」
「俺は五斗米道(ゴットヴェイドー)の華佗。故(ゆえ)あって一刀たちと共に旅をしていた仲間だ。よろしくな」
「ほえ?ご、と・・・・・・?」
「五斗米道(ゴットヴェイドー)だ」
「あー、はいはい。みんなは華佗って呼べばそれでいいから」
今まで何度も同じ場面を見てきた一刀は早々にその話を切り上げた。
「そういうことなら、ウチも名乗っておかんとな。ウチの名は張文遠、真名は霞って言うんや。一刀の仲間ならウチのことは霞でええよ」
「・・・・・・恋も恋でいい・・・」
「私の名は華雄だ。・・・・・・ところで華佗よ、おぬしは医者なのか?」
「ああ、そうだが?」
「だったらすまぬが、我が隊の者たちを治療してやってはくれぬか?何せ官軍の奴らが物資すら持ち去っていったせいで治療もままならぬ状況なのだ」
「なんだと?それは大変だな」
そのことを聞いた華佗は真剣な表情でうなずいた。
「よし、すぐに治療に向かおう。案内をしてくれないか」
「おお、助かる。では付いてきてくれ」
そのまま華雄は華佗を向こうの陣地まで連れて行った。
「・・・それで、霞たちはこれからどうするんだ?」
とりあえず一刀は今後の方針を聞いておくことにした。
「ウチらはいっぺん、急いで戻らなあかんなぁ。さっき華雄が言ったように、官軍の連中が物資や兵糧をほとんど持っていったさかい。このままじゃ、野垂れ死にしてしまうわ」
「ご飯がないと・・・・・・・・・困る・・・」
常に高燃費な恋にとって、その言葉は切実だった。
「そうか。それならそんなに多くはないけど、こっちの兵糧や物資をいくらか提供するよ。雫、頼めるかな?」
「お任せください、一刀様」
失礼しますと雫は軽く礼をして、霞たちに提供する分の兵糧などを決めるためにその場を辞した。
「一刀、ええの?ウチらとしては大助かりやけど・・・・・・一刀のとこは義勇軍なんやろ?大丈夫なんか?」
霞の言わんとしていることは分かる。霞たちは国の兵隊として兵糧や物資などは国から支給されるが、一刀たち義勇軍はそれらをすべて自前でそろえなければならない。
それらの不足は即座に軍の崩壊につながる。霞はそのことで心配そうにしているが、一刀は心配するなと霞に言った。
「平気だよ。俺たちには頼もしいスポンサー・・・もとい、支援者がいるから」
「そうなん?」
「ああ、だからそれほど気にする必要はないから。・・・それに俺が霞たちに受けた恩に比べればこれぐらいはなんてことないよ」
それを聞いた霞は感極まったのか、ふるふると震えだして、
「一刀~っ!ウチ感激したわ~っ!」
またもや抱きついてきた。
「ちょっ!?霞っ!?」
ひしっ
「・・・って、恋!?君もかっ!?」
「・・・・・・・・・・・・(スリスリ)」
その後、戻ってきた雫がサンドイッチ状態の一刀を見て「・・・またですか?」と冷たい目で見てたり、治療を終えて戻ってきた華佗が「随分と仲がいいじゃないか」と笑っていたり、その隣で華雄が呆れたため息を吐くのを見て、一刀は「もう何が何だか・・・」と空を仰ぎ見ることしか出来ないのであった。
霞たちと別れた一刀たち北郷軍は許昌の郊外にある、とある平原にて陣を構えていた。
その北郷軍の陣地内では今、兵糧をはじめに様々な物資が運び込まれていた。
一刀と雫がそれらを見届けていると、一刀たちの所に一人の男が近づいてきた。
「御遣い様、頼まれていた品はこれで全部でございます」
恭(うやうや)しく頭を下げた男に一刀は困った顔で応対した。
「やめてくださいよ、旦那さん。そんなに仰々(ぎょうぎょう)しい態度で取られると、どう返していいか分からなくなるじゃないか」
「いえいえ。『天の御遣い』であり、娘の命の恩人である貴方様に対しては、これぐらいの態度は当然のことですとも」
あくまでもその姿勢を崩さない男を見て、一刀は苦笑いを浮かべるしかなかった。
この男は以前、一刀たちが許昌に訪れたときに起きた火事で、一刀が助けた少女の父親である。
どうやらこの男、許昌では名の知れた富豪らしく、一刀たちが義勇軍を結成したときにその補給に関しての寄付を買って出てくれたのだ。
そのおかげで一刀たちは現在、義勇軍の中でも異例なことに一万五千をいくほどの軍勢にまで成長している。
「色々と頼んでおいて今更こう聞くのもなんだけど・・・大丈夫なのか?家が燃えてしまったのだから何かと物入りのはずだろ?」
「ははっ、大丈夫ですよ、御遣い様。こんなご時世ですから、価値のある物は全て地下に移してあるんです。ですから実質的な損害は家が燃えてしまったぐらいのものですよ」
なるほど・・・だからあの時、放火魔は金目のものを見つけることが出来なかったのか・・・。
・・・・・・それにしても、家が燃えてしまっただけでも結構な損害になると思うのだが・・・・・・これがブルジョワっていう奴なのだろうか?
「それに最近は御遣い様のご活躍のおかげで、御遣い様に寄付をしたいという方々も増えております。ですから私のことはどうか心配なさらないでください」
「そうか、それならいいんだが・・・」
「ええ。・・・・・・ところで御遣い様、少しお耳に入れたいことが」
「・・・なんだ?」
唐突に声のトーンを落とした男に、一刀はただならぬ内容だと思い、耳を傾けた。
「どうやら并州とこちらの境目の辺りに黄巾党の大軍がいるとのことです」
「并州・・・って言うと、ここからおよそ北の辺りになるな」
「はい。どうやら向こうとこちら、それと他の州からの敗残兵が寄り集まって出来たらしいのですが・・・」
「なるほど・・・それで規模はどれぐらいのものになる?」
「・・・およそ十万はいるものかと思われます」
十万・・・・・・自軍の六倍以上か・・・。
「・・・わかった。貴重な情報をありがとう」
「いえ、私に出来るのはこれぐらいのことですから」
男はそこで頭を下げると、その場から去っていった。
一刀は立ち去った男を見届けると、そばにいた雫に声をかけた。
「・・・雫、聞いたね?」
「はい」
「なら華佗も呼んで天幕に行こうか。話しはそれからにしよう」
「分かりました。それでは呼んで参ります」
「うん、頼む」
一刀たちは華佗も呼び、天幕の中で今後のことについて話し合っていた。
「それで一刀、その人が言っていた黄巾党の軍勢はどうするつもりなんだ?」
一刀たちが聞いたことをそのまま華佗にも伝えると、華佗が尋ねてきた。
「そうだな・・・・・・放っておくわけにもいかないだろうが・・・」
「・・・?どういうことだ、一刀?」
てっきりすぐにでも出発するとばかり思っていた華佗は、一刀の乗り気でない態度を見て疑問に思った。
その疑問を一刀に変わって雫が答えてくれた。
「・・・華佗さん。相手の数はおよそ十万はいるのです。それに対してこちらは一万五千ほど。・・・正直、私たちだけでは手が余る相手です」
「それもそうだが・・・・・・何も俺たちだけで戦う必要もないだろう?他にも黄巾党の連中と戦っている人はいるんだ。だったらその人たちと一緒に戦えばいいんじゃないか?」
「・・・それも難しいかと思われます」
華佗の意見は至極もっともなものだったが、それでも雫は難色を示した。
「どうしてだ?」
「・・・実は現在、黄巾党は二箇所に結集しつつあります。一つは先ほどの敗残兵の集まりである十万の軍勢。そしてもう一つは本隊である二十万の軍勢です」
「名のある諸侯はみんな本隊の方に行っているんだ。だから華佗の言った方法は恐らくとれない」
華佗はしばらくの間、思案顔でうなっていたが、それでもわけが分からないと首を傾げた。
「・・・・・・何故なんだ?確かに本隊の方が多いのだから、そっちの方に多く行くのは分かる。だが、どうして皆そっちの方に『だけ』なんだ?」
「・・・・・・おおよその見当は付くけど・・・」
「一刀は分かるのか?」
「ああ、・・・だけど、あまり聞いていて気持ちのいい話じゃないぞ?」
一刀はそれでもいいのか?と華佗に尋ねると、華佗は力強くうなずいた。
「構わない。教えてくれ、一刀」
「・・・分かった。・・・・・・今の大陸の情勢は、諸侯の活躍によってこちら側に傾いている。黄巾党はもう風前の灯だろう。・・・ここまではいいな?」
華佗うなずくのを見て、一刀は再び話し始める。
「その状況下で諸侯は功名を立てるとするならどっちの方にいくと思う?多くの諸侯が集まってくるだろう二十万の本隊。そして恐らくは誰も来ないであろう十万の敗残兵の集まり」
それを聞いた華佗は信じられないとばかりに目を見開いた。
「・・・つまりこういうことなのか?本隊の方に行った連中は功名が欲しくて楽をしたいばかりに向こうに行ったのか?」
「全部がそうだとは言えないがな。中にはそのことを知らない者だっているはずだ。それに本隊を落としてしまえば、十万の方も自然と瓦解するはず。だからわざわざ、そっちに兵を送る必要は無いと、そう考えている者だっているかもしれない」
「だが・・・・・・その間にも奴らは何の罪も無い人たちに暴虐の限りを尽くしているのかもしれないのだぞ!何とかならないのか!?」
「・・・・・・ですが実際に私たちだけでこの戦力差を相手にするのは無理があるかと思います・・・」
それでも華佗は納得できずにいると、一刀がポツリともらした。
「・・・・・・方法が無いこともない」
「本当か、一刀!?」
「ああ、・・・・・・だけどその方法をやるには『地図』が必要だ。それも詳細な地形が載っているものが・・・」
この時代に地図は貴重品だ。しかも、一刀が希望するほどの地図は漢王朝や官軍でなければ持っていないほどの代物なのだ。
どうしたものかと思案していると、雫が遠慮がちに声をかけた。
「あの・・・一刀様。そのことでしたら問題はありません」
「えっ、どうして?」
「僭越(せんえつ)ながら私は水鏡先生のツテで正確な地図を見たことがあります。ですから、おおよその地理ならある程度は覚えています」
「そうか・・・・・・なら雫、黄巾党がいる付近に今から言う条件に当てはまる地形はないか?」
そう言って一刀はその条件を口にする。
雫はそれを聞いたあと、瞳を閉じ、しばらくの間ずっと黙考していたが、不意にその瞳が開くと共に一刀にそっと告げた。
「・・・・・・一刀様の条件に当てはまる地形はあります。・・・ですが一刀様、もしかしてその方法というのは・・・・・・」
雫は一刀が何をするのか感づいたようだった。
「・・・雫が考えているので間違いないと思う」
「・・・お止めしても無駄ですね?」
「ああ、それにこの戦力差では出来ることは限られてくる。恐らくこれが現状で出来る最善の方法だと俺は思う」
「・・・・・・分かりました。それではお教えします」
雫はどこか諦めた風な声でそうもらした。
「・・・なぁ二人とも、俺には何のことだかサッパリ分からないんだが・・・・・・二人はいったい何を話しているんだ?」
二人の会話についていけなくて、どういうことか尋ねた華佗に対し、一刀はこう答えた。
「決まっているだろ?・・・・・・俺たちで奴らを打ち破る策だ」
一刀たち北郷軍は現在、雫が教えてくれた場所まで軍を進めていた。
その最中、一刀は一人の伝令にとある書簡を手渡していた。
「じゃあ頼んだよ」
「はっ!必ずやにこの書簡を無事に届けてまいります!」
伝令はその場で礼をして、駆け足でその送り先まで向かって行った。
「今のは何だ、一刀?」
それを見ていた華佗は走り去っていく伝令を見ながら尋ねた。
「一応、念のための保険・・・かな?まぁ、駄目で元々だけど」
「・・・よくわからんがそうなのか?」
華佗はあいまいにうなずくと一刀に向き直った。
「・・・それより一刀、大丈夫なのか?今回の作戦はどう考えてもお前が危険だと思うのだが・・・」
「・・・私もそれには同意します。一刀様、やはりこの役目は他の者に任せたほうがよろしいのでは?」
いつの間にか雫も会話に入ってそう提案してきた。
一刀はそれ聞いて思わず苦笑を浮かべた。
「何を言ってるんだ二人とも。どう見たってこの作戦は二人のほうが負担が大きいだろ?それにこの役目はこの中では俺が一番成功率が高いんだ。なら俺がやるべきだろう?」
「それは・・・そうだが・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
それでも納得がいかなそうな二人に、一刀は笑いかけた。
「ありがとう、二人に出会えて俺は幸せ者だな。だから信じてくれないか?俺は必ず無事に二人の所に戻ってくるから」
「「一刀(様)・・・」」
二人が声も出せずにいると、偵察に行っていた兵士が戻ってくるのが見えた。
「報告します。ここより先に黄巾党の集団が数十人ほどいるのを発見しました」
それを聞いた一刀はすぐさま真剣な表情で聞き返した。
「それは相手の偵察隊なのか?」
「いえ、違います。なにやら争っている様に見えましたが・・・」
「争っている?・・・内輪もめか?・・・とりあえず行ってみるとしよう。案内をしてくれないか?」
「はっ!」
「・・・・・・・・・あっ、一刀様!」
兵士に案内され先を行く一刀を見て、呆然としていた雫は慌てて声をかけた。
「悪い、雫。後を頼む」
そう言い残し、一刀は先に行ってしまった。
「・・・まったく・・・・・・あの方は」
憤然とため息を吐く雫に華佗が声をかけた。
「俺も行ったほうがいいか、雫?」
「・・・はい。お願いします、華佗さん」
「いやぁーーーーーっ!!」
少女の悲鳴が響き渡る。その悲痛な叫びは聞いているだけで胸が痛ましく思うほどだ。
しかし、少女を囲んでいた男たちはその叫びに呼応して少女に群がり殺到する。
「来ないでぇーーーーーっ!!」
少女はなおも叫び続ける。もしこの男たちに欠片ほどの良心というものがあったなら、それを聞いているだけで思わず躊躇(ちゅうちょ)してしまうだろう。
しかし、男たちはためらうことはなかった。何故なら・・・・・・
ブゥンッ
「ぐはぁっ!」
少女は斧を振り回しているからだ。
その細い体には不釣合いなほどの重厚なよろいは少女の動きを阻害することはなく、また、その長大な戦斧は的確に相手をとらえている。
ブォンッ
「げふぅっ!」
向かってくる相手を次から次へと倒しているのだが、数が多すぎてキリがなかった。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
次第に少女は息を切らしはじめ、先ほどまでの悲鳴もなりを潜めていた。
「クソッ!手間取らせやがってこのアマぁ。この礼は後でじっくりとその体に教えて込んでやるからな・・・」
隊長格の男はなめ回すようにその少女の体に視線をはわせた。
「うぅ・・・・・・ぐすっ・・・」
少女は恐怖と嫌悪感で目に涙をためはじめていたが、その手の中にある戦斧はしっかりと握られていた。
「よし、テメェらっ!さっさとこの女をひっ捕らえて楽しんじま――――」
ザシュッ
突如、隊長格の男の首が飛んだ。
ぐらりと男の体が傾きだして倒れ、その背後には日の光を浴びて燦然と輝く服をまとい、その手には白銀色に輝く棒をもった青年・・・一刀が立っていた。
「・・・ゲス共が」
一刀が短く吐き捨てると、周りの黄巾党の兵たちがざわめきだした。
「な、なんだ、テメェはっ!?」
「いや待てっ!そ、その格好はもしや・・・」
一刀に向かってこようとする者を止めた兵は、一刀の姿を見てその声をふるわせはじめた。
「・・・なるほど、確かに敗残兵の集まりであるらしいな」
一刀は自分のことを知っていそうな者たちを見てそうつぶやいた。
「ま、間違いないっ!こいつ『天の御遣い』だっ!」
その者が悲鳴まじりに一刀のことを指さすと、他の者たちもがいっせいに動揺しだした。
かの者の噂はすでに中央付近から来た仲間から聞いている。その噂が本当だとするのなら自分たちだけでは絶対に勝ち目はない。
「に、逃げろっ!そしてこのことを早く他の奴らに知らせるんだっ!」
その言葉を合図に全員がいっせいに退却しだした。
一刀は黙ってそれを見届けながら聖天を収めると、後になって華佗や兵士たちがやって来た。
「一刀、無事か?」
「俺は平気だよ。華佗、俺なんかよりその子を診てやってくれないか?」
「彼女は?」
華佗はおびえた表情で自分たちを見ている少女を見た。
「さっきまで黄巾党の奴らと一人で戦ってたんだ。だから怪我をしているなら治してやってくれないか?」
「そういうことならお安い御用だ」
そう言って華佗は少女に近づいていった。
「君、大丈夫か?怪我をしているのなら俺が治してやるぞ」
「・・・・・・いで」
「ん?」
華佗は少女の声が聞き取りづらくてさらに近づいた。その途端、
「来ないでぇぇぇーーーーーーーーっ!!」
少女が絶叫とともに斧を振り上げた。
「なっ!?」
不意を突かれた華佗はそのまま斧の餌食になったかと思った瞬間、
ゴキッ
一刀が華佗を押しのけ、その長大な戦斧の柄の部分を左腕で受け止めていた。
「・・・・・・・・・っ!!」
一刀は痛みで顔をしかめて片ヒザを着くと、華佗や兵士といった周りの者たちが慌てて一刀に駆け寄った。
「一刀っ!?」
「「「北郷様っ!?」」」
我に返った少女は目の前の状況を目にして、自分がとんでもないことをしでかしてしまったのだと認識した。
「あ・・・・・・あの・・・・・・・・・わ、わたくし・・・・・・・・・」
その時、後方から追いついてきた雫がやって来た。
「どうされたました・・・か、一刀様!?いったいどうされたのです!?」
雫が慌てて一刀に駆け寄ると、そばにいた兵士が少女を指差した。
「あの女だっ!あの女が北郷様を・・・!」
指を差された少女は、全員の視線を受けてビクリと身をすくませた。
「ちがっ・・・・・・わ、わたくし・・・・・・・・・そんなつもりじゃ・・・」
『・・・・・・・・・・・・』
「本当に・・・・・・わざとじゃ・・・・・・・・・許し・・・」
もはや支離滅裂(しりめつれつ)になってきている少女は、その目に涙を浮かばせ、がたがたと体を震わせていると、
「その子の・・・・・・せいじゃないっ・・・!」
一刀が立ち上がり、その少女をかばうように両者の間に立ちふさがった。
「「一刀(様)!?」」
二人が慌てて一刀に駆け寄ろうとするが、一刀は無事な方の手のひらを向けてそれを制した。
「いいか聞けっ!この子はさっきまで黄巾党の連中に襲われていたんだ!その時に俺たちがやって来た!」
一刀は痛みで額(ひたい)に汗を流しながらも全員に向かって言い聞かせるように話し出した。
「この子は怯えていたはずだ!それなのに俺が華佗に近づくよう命令した!だからこれは俺の自業自得・・・決してこの子は悪くない!」
「分かりましたから一刀様、早く治療を受けてください!」
「そうだ一刀!いいから早くその腕を見せてみろ!」
「いいやよくないっ!こういったことはちゃんと言っておかないと――――」
「ご、ごめんなさいっ!」
突然、少女が謝りだしたのを見て、一刀たちは呆然とその少女を見た。
「わたくし・・・こんなつもりじゃ・・・なかったんです・・・・・・ただ・・・男の人が苦手で・・・それで・・・・・・本当に・・・ごめんなさい・・・ごめんなさいっ・・・!」
声を詰まらせながらも必死に謝り続ける少女を見て、周りは水を打ったかのように静まり返った。
「・・・君、名前は?」
「ぐすっ・・・・・・徐晃・・・と・・・申します」
一刀がさりげなく名前を尋ねると、思いがけない名前がかえってきた。
「!!・・・そうか。・・・・・・でも大丈夫だよ徐晃。君が悪いわけではないのだから」
「で、ですがその腕は・・・」
「平気だよこのぐら・・・っつぅ!?」
一刀は問題がないことをアピールしようとして左腕を動かそうとするが、あまりの激痛に思わず痛みの声をもらしてしまった。
「何をやってるんだ、馬鹿!」
華佗は一刀の腕を取り、その袖をまくって腕を診た。
「・・・どうですか、華佗さん?」
「・・・・・・完全に折れているな。そこの君、すまないがそえ木になるようなものを持ってきてくれないか?」
「は、はいっ!」
華佗は近くにいた兵士に頼むと、一刀の腕をしっかりとつかんだ。
「少し痛むが我慢しろよ」
グキッ、グギリッ
「~~~~~っ!」
一刀は上げそうになった悲鳴を何とか飲み込んで、痛みに耐えた。
「・・・これで後は固定すれば大丈夫だ」
「・・・っつ~~~、す、すまない、華佗。・・・・・・雫、急いで軍を進めよう。先ほど逃げていった奴らが俺たちのことを知らせているはずだ」
一刀は先ほどの痛みをごまかすかのように話を進めだした。
「はい・・・・・・ですが一刀様、作戦のほうはどうされるのですか?」
「・・・・・・・・・どうもこうもない。作戦は最初に決めていた通りにやる」
「駄目です」
「雫・・・」
一刀が聞き分けてくれとばかりに視線を送るが、雫は頑として譲らなかった。
「駄目なものは駄目です。今の一刀様を戦場に出すわけには参りません」
「なら・・・・・・華佗。何とかしてこの腕を治せないか?」
「無茶を言うな、一刀。いくら五斗米道(ゴットヴェイドー)の医術を用いたとしても折れた骨をくっつけることなんか出来るわけないだろう。せいぜい治るのを早めるぐらいだ」
もしかしたらと思って聞いてみたのだが、やはり現実はそうそう甘いものではないらしい。
「一刀様には本陣にいてもらいます。一刀様の代わりは他の者に任せますのでどうか今回は自重してください」
「だが・・・・・・この役目は作戦の要だぞ?絶対に失敗するわけにはいかないんだ。・・・幸い、利き腕が無事なのだから、やはり俺が行ったほうが・・・・・・」
「一刀、今回ばかりは俺も賛成できない。お前は自分をかえりみなさすぎる」
三人とも「俺が行く」、「「駄目(です)だ」」の繰り返しでどうするべきかと悩んでいると・・・・・・
「あ・・・あの・・・・・・」
話を聞いていた徐晃が意を決したかのように声をかけた。
三人が視線を向けると、ビクッと肩を震わせたが、それでもめげることなく恐る恐る口を開いた。
「よ、よろしければわたくしを・・・その・・・・・・せ、戦列の一端としてく、加えては・・・もらえませんか?」
三人は顔を見合わせ、そして一刀が三人を代表するように尋ねた。
「えっと・・・いいの?」
「は、はい!あなた方は・・・あ、あの黄色い布を巻いた人たちを・・・追い払いに来てくださったのですよね?」
「ああ、そうだが」
「わ、わたくしも・・・あの方たちから村や街を守ろうと思って、その・・・武器を手に戦ったのですが・・・・・・に、人数が多すぎて・・・」
徐晃の話し方は所々つっかえていて、正直なところ頼りないことこの上なかったが、弱い人を守ろうとするその意思は本物だった。
「・・・・・・分かった。雫、彼女に作戦の内容を教えてやってくれ。彼女に俺の代わりをさせる」
「・・・よろしいのですか、一刀様?」
「雫も聞いただろう、彼女の思いを。その強さは本物だよ・・・・・・そして恐らくは武の腕も・・・」
「そそそ、そんなことはありませんっ!?わ、わたくしなんかがそんな・・・・・・」
わたわたと顔を赤くして照れている徐晃を見て、一刀たちは微笑ましく笑った。
「・・・分かりました。それでは徐晃さん、これから作戦を話しますので一緒に付いてきてくれますか?」
「えっ!?そ、それでは・・・・・・」
「ああ。これからよろしく頼む、徐晃」
「は、はい!ありがとうございますっ!」
一刀たち北郷軍は目的地へ軍を進めるのだった。
一刀たちが目的地に着いた時にはまだ黄巾党の軍勢が姿を現していなかったので、北郷軍は小休止をとることにした。
各々がこれから起こる戦闘について英気を養っていると、一刀のところに徐晃がやって来た。
「あ、あの・・・御遣い様・・・・・・」
「ん?何か用か、徐晃?」
「その・・・少し御遣い様とお話がしたくて・・・・・・で、出来ればですけど・・・」
そう言ってチラリと周囲に視線を向けたのを見て、一刀はその意図に気づいた。
「俺は別にいいけど・・・・・・君は平気なのか?男性が苦手なんだろ?」
「だ、大丈夫です。突然、近づかれたりしなければ平気ですから・・・」
「・・・・・・そうか(・・・後で華佗たちにも言っておこう)。それなら少し歩かないか?その方が君も話しやすいだろ?」
「は、はい」
一刀と徐晃は近くにある森の中に入り、本陣にそれほど離れすぎないところで向き合った。
「それで、話というのは?」
「えっと、御遣い様にお聞きしたいことがありまして・・・」
「俺に聞きたいこと?」
「はい・・・わ、わたくしは・・・その・・・・・・小さいころに・・・い、いじめられていたことがありまして・・・」
唐突に徐晃は自分の過去を語り始めた。
「それ以来、男性の方が苦手となってしまって・・・・・・これでは駄目だと思って、わたくしは武芸を学んだのですが・・・・・・こ、克服するにはいたりませんでした・・・」
なるほどと一刀はうなずいた。そのような事情があれば、あれほどまでに過剰な反応にも納得がいく。
「だ、だからわたくしには分かるのです。御遣い様がとってもお強い方だということを・・・。何故あの時、御遣い様は武器を抜かれなかったのですか?」
確かにあの時、一刀が聖天を抜いていれば怪我を負うことなどなかったかもしれない。
徐晃の目は真剣だ。嘘やごまかしなどは通じないと感じた一刀は正直に話すことにした。
「・・・最初に君と出会ったとき、君はすごく怯えていたように見えたんだ。俺は・・・そんな子に武器を向けたくなかった」
「それが理由・・・ですか・・・?・・・どうして御遣い様はそこまでして・・・・・・」
これ以上尋ねるのは失礼になると思ったのか、徐晃は最後まで言えなかった。
「天の世界・・・俺のいた国は、戦争のないすごく平和な国でな・・・」
「え・・・?」
「国で何かを決めるにしても大勢の人と一緒に話し合って・・・・・・武力で物事を解決することは絶対にしない国なんだ」
「それはすごい・・・です」
この大陸ではありえないことに、徐晃は思わず感嘆した。
「だからこの世界に来たばかりの頃はすごく・・・動揺した。あんなに多くの人が傷つけられて・・・・・・殺されたりしているのだから・・・」
その時の一刀の心境はいかばかりのものか、徐晃には想像することも出来なかった。
「そしてその後で俺は決意したんだ。もうこれ以上、人々が苦しむことがないようにと、人々を苦しめる者たちから真っ向から立ち向かうと」
「御遣い様・・・」
そこで一刀は苦笑をこぼし「・・・話がそれたな」とつぶやいた。
「徐晃には本当にすまないと思っている。本来なら俺がやるべきことなのに、君みたいな子にこんな危険な役目を押し付けてしまったのだから」
「い、いえ!わたくしこそ御遣い様に怪我を負わせてしまって、本当に申し訳ないと思っていましたし・・・」
「・・・それなんだけどさ」
「えっ?」
「その御遣い様っていうのやめてもらえないかな?なんだかよそよそしく感じちゃって・・・・・・北郷か一刀って呼んでくれないか?」
「そ、そんなっ!?み、御遣い様を呼び捨てるなんてそんな恐れ多いこと・・・!」
「別にいいって。兵士たちにも名前で呼ぶように徹底してあるんだし」
それでも徐晃はしばらくの間「う~~~」とうなってはいたが、やがて意を決したかのようにうなずいた。
「わ、分かりました・・・その・・・・・・・・・ほ、北郷・・・様・・・」
顔を赤くしながらも、一刀とは呼んでくれないことに一抹(いちまつ)の寂しさを感じた一刀ではあったが、そこは笑顔で応じた。
「うん、ありがとう、徐晃」
「・・・・・・あ、菖蒲(あやめ)・・・です」
「ん?」
「わたくしの真名・・・菖蒲・・・と申します」
「・・・いいのか?君の真名を呼んでしまっても」
「・・・はい、北郷様になら・・・そう・・・・・・よ、呼んでもらいたいです・・・」
徐晃はそこまで言い切ると、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
まるで愛の告白でもした少女のようなのしぐさに、一刀は訳もなくうろたえてしまった。
「そ、そうか・・・・・・なら、ありがたく呼ばせてもらうよ・・・菖蒲」
一刀が真名を呼ぶと徐晃――菖蒲はますます顔を赤くさせてしまい、一刀もどうすればいいのかと途方にくれてしまった。
その後、二人がその場を離れたのは一刀を呼ぶ華佗の声を聞いた後のことだった。
北郷軍は現在、谷間の中ほどに陣取っていた。
これが一刀の言っていた条件その一だ。数で圧倒的に劣る北郷軍が黄巾党に対抗するにはこの狭い道を利用して数で負けない状況を作り出すこと。
やがて、向こうの平原から黄巾党が現れだした。
最初は黄色い点だった。だがその点は徐々に数を増やし、やがてそれは大きな面となって現れたのだ。
「・・・・・・多いな」
思わずそうつぶやいてしまうほどそれは多かった。どうやら十万というのはただの誇張でもないらしい。
「一刀様、部隊の展開が完了しました」
「そうか・・・・・・後は万事を尽くすのみだな」
「ああ、きっと上手くいくさ」
「・・・そうだな。(無事に戻って来いよ・・・菖蒲)」
一刀はここにはいない少女の無事を願わずにはいられなかった。
黄巾党陣地内
「敵軍を発見いたしました!やはり相手はあの『天の御遣い』のようですっ!」
「聞くまでもない。ちゃんと俺様にも見えている」
兵士の報告を聞いたこの軍を束ねる渠帥(きょすい"将軍のようなもの")の男は、はるか前方にひるがえる白銀の十文字旗を見た。
「・・・ほ、本当にやるんですか?あ、相手はあの『天の御遣い』なんですよ?」
恐らく中央付近から来たであろう、そばにいた男を冷めた目で見て、渠帥は別の兵に告げた。
「おい、こいつをつまみ出せ。天和ちゃん達に命を捧げた我が軍では臆病風に吹かれた奴はいらん」
「は、はっ!」
指示された兵が男を陣地の外へ引っ張り出していくのを尻目に、渠帥は思わずほくそ笑んだ。
「くくっ、それにしてもあいつ等は馬鹿なのか?いくら地の利を活かそうが、あれだけの数で俺たちに勝てるわけねぇじゃねえか」
どうやらこの男、十万という人数を束ねているだけあってか、それなりの戦略眼を持っているようである。
「全軍に通達しろっ!俺たちはこのまま進軍し、あのふざけた名をかたってる奴らを叩き潰すぞっ!」
「一刀様、敵が来ます!」
「よし、敵を谷の中まで引き入れろ!」
次々と谷間の中に入っていく黄色い軍勢を北郷軍は待ち構える。
そして一定数が谷の中に入った瞬間、一刀は指示を下した。
「今だっ!銅鑼(どら)を鳴らして伏兵に合図を送れっ!」
「はっ!」
ジャーン、ジャーン、ジャーンッ!
谷間の中に銅鑼の音が鳴り響くと、谷の上の両側から伏兵が現れた。
その伏兵は下にいる黄巾党の者たちに次々と岩や丸太を落とし始めた。
黄巾党の者たちは落ちてくる岩や丸太に逃げ惑う。
「弓兵隊、一町(約109メートル)先に向け斉射。三・・・二・・・一・・・今です!」
混乱している軍勢に雫がトドメだとばかり弓兵隊に号令を出す。
襲い掛かる矢の雨はさらに敵の混乱を増大し、谷間の中は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の様相をていしていた。
「ちぃっ、小癪(こしゃく)な真似を!」
前方に広がる惨劇を見て、渠帥は盛大な舌打ちをした。
このままではまともに進めやしない。渠帥は近くにいる部隊長に命令した。
「そこのお前!一万の軍勢を五千ずつの部隊に分け、谷の上にいる連中を根絶やしにして来い!」
「はいっ!」
「それとそっちの奴!三万の軍勢を率いて谷を迂回し、やつらを背後から強襲しろ!」
「分かりましたっ!」
谷の上にいる奴らは多くはないが、登ってくる者たちにも岩や丸太を落としてくるだろう。それなら大人数で一気に片付けたほうがいい。
谷という狭い地形のせいで、大軍である我が軍では大量の幽兵がいる。ならそれを有効活用すると同時に奴らの逃げ道をふさぐのだ。
渠帥の指示は的確だった。十万という大軍だけあってか、惜しみなく軍を分散させていく。
だが彼は気づかない。それこそが北郷軍の狙いだということに。
遠く離れた物陰から黄巾党の軍勢を見張っている者たちがいた。
菖蒲を筆頭とした奇襲部隊である。
「敵の一部が谷を迂回しています!早く我々も・・・!」
「だ、駄目です!まだ相手の本隊にはたくさんの兵がいますので、も、もう少しだけ抑えて・・・」
はやる兵たちを何とか押しとどめ、菖蒲はつぶさに相手の陣地を見続ける。
正直このような大役、自分には分不相応だと、作戦を聞いたときに思っていた。
だけど森の中で一刀の気持ちを聞いたときに菖蒲は思ったのだ。
『この人のために力になりたい』と。
そう思ったら不思議と、自分の中の苦手意識が薄らいでいくのを感じた。
さっきみたいに兵士(男)に声をかける程度なら、何とかなるようになったのだ。
(北郷様・・・ご無事で・・・・・・)
菖蒲もまた一刀の無事を祈っていた。
谷の中では激戦が繰り広げられていた。
狭い道の中では両軍がひしめきあっているのである。
だが時間が経つにして、数の差が如実に表れ始めてきた。
倒しても倒しても、わいて出てくるような敵軍を相手に、北郷軍は疲労の色が見え始めてきたのだ。
谷の上で岩などを落としていた伏兵も、今は谷に登ってこようとしている敵兵を相手にしていて、援護は期待出来ない。
北郷軍は谷から押し出されるかのように、じりじりと後退していた。
「くっ、やはりこの数はキツイか・・・!」
「一刀様、このままでは前線が・・・」
「分かっている!だけどもう少し持ち堪えてくれれば・・・」
本来ならとっくに前線が崩れていてもおかしくないのだが、華佗が負傷兵を次々と癒してくれているので何とか持ち堪えているのだ。
今でも負傷兵を入れた天幕から「げ・ん・き・に・なれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」と、華佗の叫び声が聞こえている。
「報告しますっ!はるか後方より敵軍が迫っております!その数三万!」
報告しに来た兵士がそう告げると、二人に緊張が走った。
もし、その部隊に背後を襲われてしまえば退路はなくなり全滅は免れないだろう。
一刀は唐突に歩き出した。
「雫、ここは任せる」
「っ!一刀様、いけませんっ!」
雫は一刀の向かう先が黒兎のいる方だと思い至り、一刀を引き止めるべく背後から抱きしめた。
一刀はそれを振り払わずに、そっと腰に回された雫の腕に触れた。
「雫、離してくれないか?ここで全滅するわけにはいかないんだ」
「いやです、絶対に離しません!」
「大丈夫だって。少しの間、足止めさせるだけだから」
「それでもですっ!そんな状態の貴方を絶対に行かせはしません!」
頑として離さない雫に、一刀は無理やりにでも引き離すべきかと考え始めると、さらに別の兵士が報告にやって来た。
「ほ、報告っ!さらに後方より何者かの軍勢が近づいています!」
「そんなっ・・・まだ敵が!?」
「いや違うっ!あれはもしや・・・!」
一刀は近づいてくるもう一つの軍勢の旗を見た。その旗は・・・・・・・・・
「よっしゃっ!何とか間に合うたみたいやな!」
紺碧の張旗
「・・・・・・・・一刀・・・・・・今助ける・・・」
真紅の呂旗
「そうだな、借りを作ったままでは私の気が済まないからなっ!」
漆黒の華旗だった。
「二人とも、こいつらはウチが相手したるさかい!二人は急いで一刀の所へ行くんや!」
「・・・ん・・・・・・・・・(コクリ)」
「分かった、ここは任せたぞっ!」
二人は少数の兵を率いて急ぎ一刀の所へ急行した。
「・・・・・・ウチも一刀の所に行きたいんやけど、あそこじゃ騎馬は役に立たへんしなぁ・・・」
一刀の元へ行く二人を見ながら霞は小さくつぶやくと眼前の敵に目を戻した。
「まぁええわ。・・・総員、我が紺碧の張旗に続けぇーーーっ!!」
「恋、華雄!やっぱりお前たちか!」
「ああ・・・・・・ところで徐庶、おぬしは何をやっているのだ?」
華雄はいまだ一刀の背中に抱きついている雫に尋ねた。
「・・・・・・・・・恋のマネ・・・?」
「・・・・・・なんでもありません////」
雫は努めて平静に一刀から離れた。・・・・・・もっとも、顔が赤くなっているは隠しようがなかったのだが・・・。
「・・・む、北郷。その腕はいったいどうした?」
今度は一刀の首にかけた布につるしてある左腕を見て尋ねた。
「これ?ちょっとしたヘマをやらかしちゃってね・・・」
一刀は詳しい理由を述べるでもなく苦笑していると、
「・・・・・・・・・許せない・・・」
恋が尋常ならざる気をまとって、『方天画戟』を手に前線へと向かって行った。
「・・・・・・あいつらにやられた怪我じゃないんだけど・・・」
「・・・まぁ、詳しくは知らぬが私も前線に行ってくるぞ」
「すまない。よろしく頼むよ、華雄」
「ああ」
軽く返事をして、華雄も『金剛爆斧』を手に戦場へと向かって行った。
「くそっ!あんな小勢にいったいいつまで時間をかけてるつもりなんだっ!?」
渠帥はいまだに頑強な抵抗を続けている北郷軍に苛立ちを隠せないでいた。
「谷を迂回した連中は何をやっているっ!?」
「はっ!相手の後方からやって来た敵の援軍と交戦中とのことですっ!」
「前線の方はっ!?いったいいつになったら敵の前線を崩せるんだっ!?」
「そ、それが、前線のほうにもえらく強い奴が二人も現れて、味方が恐れているとの報告が・・・」
「ちっ!役立たず共が・・・!」
恋と華雄の武勇を知らないこの男は、ただ自軍の兵の不甲斐なさに憤(いきどお)るばかりだった。
「もういいっ!こうなったら数で押していくまでだっ!貴様も部隊を率いて前線の方に行けっ!」
「わ、分かりました・・・」
渠帥は自軍が勝利するのだと微塵も疑わなかった。今までの戦場で勝利をしてきた実績も自負もあるし、何よりこちらは十万の軍勢なのだ。相手はどう多く見積もっても絶対に二万には届いていない。五倍以上の兵数を覆す方法なんて存在しないのだと男は思っていた。
だが彼は知らないだろう。一刀のいた世界の国では五倍の兵数どころか、十倍の兵数差で勝利をおさめた武将がいたという事実を。
敵の本陣からさらに敵兵が前線に向かうのを見て、菖蒲は今だと行動に移った。
「い、今です!合図をお願いします!」
「はっ!」
兵士が一刀の発案で作った、やじりに特殊な細工を施した矢、鏑(かぶら)矢を空に向けて放った。
ピイィィィィィーーーーーーーーーー・・・・・・・・・・・・
矢はかん高い音を発して空へと消えていった。
「な、なんだ、今の音は・・・?」
渠帥は今まで聞いたこともない音を聞いて意味もなく周囲を見回した。
「報告しますっ!敵の伏兵が右手の山から姿を現しましたっ!」
「何っ!敵数はどれぐらいだっ!?」
「数は二千ほどかと!」
「・・・ふんっ、それなら大した数ではない。右翼の連中に当たらせろ」
「はっ!」
一人に命令すると別の兵がやって来た。
「ひ、左手の山にも伏兵が出現しましたっ!」
「今度はいったいどれほどだっ!?」
「森の中に隠れて正確な数は・・・ですが旗の数からして相当の兵数であるかと思われますっ!」
それを聞いて渠帥はさっきの伏兵は陽動なのだと思い至った。
「それなら左翼の奴らを向かわせて足止めをするようにしろ」
「分かりましたっ!」
伏兵を冷静に対処する渠帥にまたもや別の兵士がやってきた。
「ほ、報告っ!今度は後方から二千騎以上の騎馬隊が向かってきますっ!」
「な、何だと・・・!?あいつらにはもうそんな兵力があるわけ・・・・・・」
そこで渠帥はハッと何かに気づいたようだ。
「まずいっ!急いで左翼を呼び戻せ!そいつらは囮(おとり)だ!」
恐らくそいつらは旗を持たせただけの、左翼の目を引きつけるためだけの極少数な部隊だ。
「間に合いませんっ!敵騎馬隊、来ます!」
騎馬隊はそのまま、黄巾党本隊の背後を強襲した。
このとき、黄巾党の兵士たちはなす術もなく騎馬隊の突入を許してしまった。
それもそのはず。不足の事態もあったのだろうが、そもそも陣形というのは正面からの攻撃に備えて組んでいるのだ。前方はどんなに強固でも背後からの攻撃にはとてももろい。
これが一刀の出した条件その二。谷の付近に敵の全軍を展開できる空間があり、その周囲は奇襲に適した地形であること。
たちまち、敵味方入り混じっての乱戦となる。黄巾党本隊は一万、対して奇襲部隊は二千五百だがこうなってしまってはもはや数は関係なかった。
その奇襲部隊の中にいた菖蒲は、向かってくる敵を打ち倒しながら周囲に目を配っていた。
一刀に指示されたことは二つ、一つは奇襲を成功させること。もう一つは必ず総大将の首を挙げることだ。
失敗は許されない。失敗したら北郷軍に勝ち目はなくなる、すなわち敗北のうき目に会うだろう。最悪、北郷軍の壊滅、一刀の死すらも・・・・・・。
(そんなことは・・・・・・させませんっ!)
菖蒲の心は信じられないほど研ぎ澄まされていた。戦場で入り乱れている無数の男性も、今ではまったく苦にならない。
やがて菖蒲は屈強な兵たちに囲まれて周りに指示を出している男を見かけた。
菖蒲がその方向に馬首を向けると、そのことに気づいた兵たちが馬を止めようと怪我をも辞さない覚悟で束になって立ちふさがった。
「っ!・・・はぁっ!」
突破が難しいと判断した菖蒲はすぐさま鐙(あぶみ)を外し、その重厚な装備からは想像もつかないほど身軽に飛んだ。
馬と兵たちは互いに衝突してその場で倒れ、人の垣根を飛び越えて地面に降り立った菖蒲は目前にいる総大将と思われる男に向かって、菖蒲の武器である大斧『鬼斬』を構えた。
「・・・参ります」
静かな、それでいて気迫のこもったその声に渠帥は逃げだすことは不可能だと感じた。もし背中を向ければその瞬間にやられる。
その時、横合いから一人の兵士が菖蒲に襲いかかった。
「っ!」
振り向きざまの一閃で菖蒲は兵を切り伏せたが、その隙に渠帥は菖蒲に切りかかった。
「う、うおおおおおおおおぉっ!」
意外なほど速い渠帥の一撃を、菖蒲はわずかに体をそらすことで避けた。そして、相手にできた隙を逃さずに菖蒲は斧を振りぬいた。
「はぁっ!」
その一瞬で勝負は決まった。
「・・・ごふっ」
立ち尽くしていた渠帥の口から血が吐き出され、力の抜けた手から剣が落ちる。そして、その後を追うように体が前のめりに倒れ一人の男の命が今、幕を閉じた。
菖蒲は黙ってそれを見届けると、敵味方全兵士に聞こえるように堂々と宣言した。
「敵総大将、この徐公明が討ち取りましたっ!!」
この瞬間に北郷軍の勝ちは決まった。総大将の戦死は瞬く間に黄巾党全軍に伝わり、戦意をなくした兵士が次々と脱落。逆に北郷軍の士気は最高潮に達し、逃げ惑う黄巾党兵士を存分に追い散らしたのであった。
日も暮れたころ、北郷軍陣内では戦勝の宴が催されていた。
ここいら付近の黄巾党を一掃したことにより、そのことを聞きつけた近辺の街や村から、そのお礼として酒や食べ物などを持ってきてくれたのだ。
一刀としては丁重に断りたかったのだが、将や兵の周囲からの物欲しそうな視線(特に霞と恋)に負けて、それらを兵たちの慰労として振舞うことにしたのだ。
外では兵たちの笑い声が響き渡り、一刀たちは天幕の中でささやかな祝宴を開いていた。
「それにしてもさ。自分が呼んでおいてなんだけど、よく霞たちはこっちに来られたよな?」
菖蒲の紹介も済み、互いに交流を深めて宴もたけなわになった頃、一刀が不思議そうに霞たちに切り出した。
北郷軍が行軍中のとき、一刀が伝令に渡した書簡はつまり、霞たちへの共闘願いだったのだ。
正直、霞たちはともかく、霞たちが組み込まれた官軍の上層部の者たちは義勇軍と共に戦うことを良しとしないと思い、無視されるのかと思って半ば期待していなかったのだが・・・
「ん~、ウチも正直駄目やと思ってたんや。けど、盧植(ろしょく)っちゅうオッチャンが色々と手ぇ回してくれてな、そのおかげでウチら行けるようになったんやで」
「ああ、上の連中にしては珍しく芯の通った御仁だったな」
「・・・・・・もぐっ、あむ、もむもむもむもむ(コクリ)」
「そうですか・・・そのような方がまだいらしたのですね」
雫が感心したようにうなずいていた。
(盧植・・・か・・・・・・確か劉備に学問を教えた人だったかな・・・?)
「どうしたんだ一刀?」
「いや・・・なんでもないよ、華佗。それよりも、今回は霞たちが来てくれて本当に助かった、改めて礼を言うよ」
「なにを言うとるんや。一刀たちが困ってたら力になるんは当たり前のことやろ?」
「それに以前助けてもらった借りがあるからな。今回のことでそれも帳消しだ」
「もむもむもむ・・・ごくんっ・・・・・・恋は一刀に会いたかったから・・・」
思い思いの返事を聞いて一刀はいい仲間を持ったものだと嬉しく思った。
「そうか・・・本当にありがとう、みんな」
(・・・いいな。・・・やっぱりこの人になら・・・・・・)
それらを見ていた菖蒲は一刀の嬉しそうな表情を見て意思は定まった。
「あの・・・北郷様」
「ん?なに菖蒲?」
「よ、よろしければ、これからもわたくしを共に戦わせてはくださいませんか?」
「・・・つまり、一刀様の臣下になりたいと、そういうことですか?」
雫が菖蒲の言葉を意訳するように尋ねた。
「は、はい・・・厚かましい願いだとは分かっているのですが、それでも北郷様のお役に立ちたいと思いまして・・・その・・・・・・」
「ああ、喜んで歓迎するよ。これからよろしく頼む、菖蒲」
「あ・・・はいっ!・・・・・・・・・ご主人様・・・////」
菖蒲が顔を赤くしてとんでもないことを言いだした。
「ご、ご主人様っ!?」
「だ、駄目ですか?」
「・・・・・・い、いや、かまわないけど・・・」
正直、こんな可愛い子に『ご主人様』と呼ばれると色々とクるものが・・・
『・・・じーーーっ』
「・・・はっ!?」
いつの間にか全員に見られていた。
「むふふ~、こない可愛ええ子を仲間にして良かったな~、ご主人様♪」
「・・・・・・私もご主人様とお呼びしましょうか?・・・一刀様」
「・・・・・・・・・ご主人様・・・」
くっ・・・霞はからかっているのが分かるが、雫のその冷めた視線がつらい。・・・あと恋も呼び方変えなくていいから。
助けを求めようと華雄に目をやるが、自分は関係ないとばかりに酒を飲んでいた。
「それなら・・・・・・華佗っ!」
華佗は何やら考え事をしていた。
「・・・なぁ、一刀。俺もご主人様って呼んだほうがいいのか?」
「お願いだからそれはやめてください」
俺にそんな趣味は無い。一刀は思わず敬語で話してしまっていた。
「・・・くす・・・くすくす・・・」
視線を戻すと菖蒲が口元を手で隠して笑っていた。
「ご、ごめんなさい・・・・・・だ、だけど何だかおかしくって・・・くすくす」
初めて菖蒲の純粋な笑顔を見た一刀たちは、その笑みにつられて一緒に笑い出してしまう。
「あーっ、もう可愛ええなぁ~徐晃はっ!」
いきなり霞が菖蒲に抱きついてきた。
「ちょ、張遼さん!?」
「そんなによそよそしくせんといて、ウチのことは霞って呼んでくれたらええ。ウチも徐晃の真名を呼んでもええやろ?」
「そ、それはもちろん構いませんが・・・・・・あの・・・」
「あかん~、ウチ酔いが回ってきたみたいやわ~。菖蒲~ヒザまくらしてくれんか~」
「あう・・・」
突然の展開に目を白黒させている菖蒲を眺めて、一刀は雫に話しかけた。
「現金な話だけど、この娘を仲間に出来ただけでもこっちの方に来た甲斐はあったね」
「そうですね。これで一刀様の負担も減らせます」
「雫・・・」
「いくら一刀様が強いとはいっても、常に軍の先頭に立って戦おうとする一刀様を見て不安にならなかった日などありませんでした。これからはもう少しご自身を大切にしてください」
一刀は先の戦いを思い浮かべる。あの時は本陣で仲間の無事を祈ることしか出来ない自分が、ひどくもどかしいと思ったものだ。
雫はいつもこんな気持ちでいたのだろうか?そう思うと雫の言葉に素直にうなずく自分がいた。
「・・・そうだな。いつも心配をかけてすまなかった、雫。これからはもう少し気をつけるよ」
「・・・・・・はい」
この時、雫はほんの少しだが笑ったような気がした。
「・・・雫、一緒に飲まないか?」
そう言って一刀は盃を手に取った。
「はい、喜んで」
雫も盃を手に取り、互いの器に酒を満たすと、同時に盃をかかげた。
「「乾杯っ」」
新たな仲間を迎え入れた一刀たちは一夜限りの平和な時間を過ごすのであった。
人物紹介
『徐晃公明』
真名は菖蒲(あやめ)。幼少時にいじめに会いそれ以来、男性恐怖症になる。
男性に限り、背後に立たれると十三な人ばりの反応速度で攻撃される。
重厚な鎧に長大な戦斧という重装備な見た目に反して戦い方は力で振り回すようなものではなく、むしろ軽やかに舞うような戦い方をする。
容姿や話し方から良家の子女のように見られるが、出身は農村の出。意外ときらびやかなものに憧れている。
男性は苦手だがそっちの気があるわけではなく、いつか素敵な恋がしてみたいという乙女チックな一面も。
武器『鬼斬』
華雄のような片刃の戦斧ではなく両刃の戦斧。
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やっと仕上がりました。
今回はやや長めに書きましたので読みごたえがあるかと思います。
あと、新たにオリキャラが出ます。郁さんというイラストレーターの創作キャラを使わせていただきました。この場でお礼申し上げます。
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