知らぬ間に消えた煙
匂いだけが今も記憶に残る
―― cigarrillo
青い空にゆらりと白い一線。
雲のようでありながら、しかし風に吹かれれば消えてしまうその紫煙を眺めることを、いつからか好きになっていた。
制服が汚れることも気にせず寝転んだスザクは、ネクタイを緩ませていつものように隣で煙草をふかす友人を眺めた。
人がひしめきあう窮屈な教室に比べ、特別棟の屋上であるここは静かで穏やかだ。
遮るものが何もない空の下、そこにいるのは二人。
会話すらないその間に、けれどぎこちない雰囲気はない。
あるのは、薄い雲がかかったやわらかい光と時折強く吹く風と、わずかな匂いを漂わせる煙だけだった。
「次の時間、何だったっけ?」
授業終了の鐘が響いて、それまでの静寂を壊す。
同時にスザクもまた、その声で静寂を壊した。
「確か…… 国語じゃないか?」
煙草を片手に、虚ろへと向けていた視線を、意志を持った瞳に変えてルルーシュが答える。
紫煙は変わらず立ち昇り、青い青い空へ溶けゆく。
「国語かー。やだな、僕、苦手なんだよね。このままサボろうかな」
「出席数は足りるのか?」
ルルーシュが横で寝転ぶスザクを見下ろす。
スザクは、その瞬間が好きだった。
何か見てるようで何も見ていないアメジストが、その色を濃いものにしてはっきりと自分を認識する。
誰からも注目されているにも関わらず醸し出す雰囲気からか、ルルーシュに話かける人間は少ない。
そしてまた、その存在を彼に認識してもらえる人間も少ないのだ。
その数少ない人間に自分は含まれる。
そのことがスザクに少なからず優越感を与えていた。
「此処でずっとサボってる君には言われたくないんだけど」
「俺はテストで挽回できるからな」
嫌味を込めて言ったつもりが、見事に打ち負かされてしまった。
スザクはルルーシュに背を向けて、全身で不貞腐れた様子を表す。
背中越しにルルーシュの小さな笑い声を聞いて、始めはその怒りを増したけれど、その内にどうでもよくなってしまった。
「あれ、苦手なんだよね、作者の心情を選びなさいってヤツ。そんなの作者にし
か分からないと思わない?」
「お前は人の気持ちなんて考えないからな」
どきりとスザクの心臓が跳ねる。
苦笑交じりに発せられたその言葉はきっと何の意味も含んではいない。
けれど、とスザクは思う。
先ほど授業を終えたであろう教室にいる友人たちは皆、口を揃えてスザクをこう評価する。
こんなお人よしは見たことがない、と。
もちろんスザク自身は自分がそうだとは思っていない。
むしろ心苦しくさえある。
なぜならスザクがお人よしと呼ばれるその行動は、すべて自分のためにやったことだからだ。
誰かが困るからだとか、悲しむからだとか、そういった想いとはかけ離れた場所からの行い。
すべては自分のためで、そんな美しい心など持ち合わせていない。
そう、人の気持ちなんてどうでもいいのだ。
けれど周りはそう評価せず、まるで聖人のようにスザクを見る。
自分の意識と周りの認識とのギャップ。
それはいつからかスザクを苦しめるものになっていた。
「お前、何笑ってるんだ?」
怪訝そうな顔で覗き込まれ、スザクは慌てて顔を引き締めた。
友人と呼ぶ仲でも1番共有した時間が少ないルルーシュが、自分の奥底を分かってくれている。
そのことがたまらなく嬉しかった。
そして、それまで名前しか知らなかったルルーシュの存在を教えてくれた、彼の妹であり自分の彼女でもあるユフィに心から感謝した。
「ごめん、なんでもないよ」
スザクは元のように仰向けになり、次の煙草へと火をつけるルルーシュを見上げる。
興味をなくしたのか次第に虚ろへと戻るアメジスト。
いつもならどこかうら寂しさを感じさせるその行為が、今日は気にならなかった。
結局、始業のチャイムが鳴り響き、2人はまたしてもサボりを決め込むことになった。
授業が開始して10分ほど経ったころだろうか。
屋上へと続く階段から小さな足音が届く。
スザクははっとして起き上がり、ちらりと横を見れば、ルルーシュが携帯灰皿に煙草をねじ込むところだった。
2人は一瞬目を合わせ、同時に扉を見つめる。
足音が止まり、ドアノブが回る音が響いた。
「ルルーシュ?」
始めに飛び出したのは紅。
全体像が見えたとき、その姿が紅月カレンだということがようやく分かった。
「カレンか」
「やっぱりここだったんだ。先生が呼んでるわよ。まったく、なんであたしがわざわざ……」
納得できないといった表情をするカレンにルルーシュは苦笑を洩らす。
「それにしても何の用事だ? サボりについてなら今更だろう?」
「あ、うん。それなんだけど…… たぶん、あのこと、だと、思、う」
言葉を濁しながらカレンが答える。
ちらちらと向けられる、あからさまに邪魔だというような視線を受けて、スザクはぎゅっと手のひらを握り締めた。
そして、邪魔をしに来たのは向こうだという考えに辿り着いてしまう自分を恥じた。
(なんか、おもちゃを取られた子どもみたいな気分だ)
何だかよく分からないまま下を向いてしまった二人を見て、スザクは原因を探る。
しかし、情報も何もあったものじゃないこの状況では、答えを出すのは不可能だった。
しばらく落ちる沈黙に、スザクは入り込めない。
「ねえ、行かなくて良いの?」
思ったよりも硬い声が出てしまい、スザクは内心ひやっとした。
こんなことで気分を害しているような小さな自分に気付かないでくれと思いながら、ルルーシュへと目を向ける。
その声にハっとしたルルーシュがスザクの方を見て。
そんな些細な動作はスザクを忘れていたことをありありと描きだし、スザクはまたイライラがつのるのを感じた。
再び静まり返った屋上に、今は一人。
果てのない青をしばらく見つめたかと思えば、スザクは突如、背もたれにしていたフェンスを殴り付けた。
そして思い出す。
ルルーシュを先に、屋上から去ろうとしたカレンが一瞬見せた瞳。
優越感、満足感、そして少しの嘲笑を含んだそれは、きっと主観ではない。
ルルーシュとカレンの間に入り込めない自分。
先程、急に近くなったと思った距離感が空に吸い込まれて消えてゆく。
まるで、煙草の煙のように。
そして匂いの代わりに、言いようのない、果てのない感情を残して。
何を期待していたのだろう。
スザクは自分自身に問い掛けた。
自分だけが彼の特別だと思っていたのか。
彼のことをすべて知っているつもりだったのか。
(馬鹿馬鹿しい)
心の中で罵ってはみたものの、苛立った気分が納まらない。
苛立つ理由も分からないというのに。
(いったい僕は何が気に入らないっていうんだっ!)
分からない。
分からない分からない分からない。
ガシャンガシャンと断続的にフェンスが揺れる。
かつて経験したことのない感情に揺さ振られるまま、スザクは何度も何度も拳を叩きつけた。
やがてだらりと腕を下ろしたスザクは、そのままずるずるとへたりこんでしまった。
真っ赤になった右手で顔を覆い、荒くなった息を落ち着ける。
「はっ、本当に馬鹿馬鹿しい」
口元を奇妙に歪めて、ぽつりと一言吐き出した。
誰にも届くことのない言葉は、スザクの心に降り積もる。
(煙草の煙のように、理由の分からないこの感情も、跡形も残さず消えてしまえば良い)
(そうすれば、きっと、きっと……)
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
文章力はともかく気に入ってるやつです。
またしても古い作品を死ぬ気で掘り起こしました。