頭が良く潔くが良いとは言うけど・・・。について書きます。
頭が良く潔くが良いとは言うけどについて書きます。
確かにそう思いますが、昨日かおとといくらいにヤフーニュースで見ましたが、ある場所のコンビニに包丁を持った強盗が入り、犯人が店員にお金を要求したら、店員が「お金は渡せません!警察を呼びます!」と言い、するとその途端お金も取らずにその場から犯人が立ち去ったそうです。
でもこの事件の場合はたまたま運よく助かっただけだと思います。
もしそこで犯人が逆らってお金を出すまで包丁で脅したら、そしてその時、コンビ二店員が何処までも正義を貫いてカッコいい言葉を吐きつつ拒否したら、最悪はその場で刺されて死ぬことだってあり得ますよね。
で、思うんですが、よく最後まで行動が立派で素晴らしかった・・・とか表彰するような表現で、もしかしたら死ぬかもしれないのに最後の最後まで勇敢で正義溢れる行為をした人物を褒め称える表現をする場合があります。でも、本当にそういうことで良いのでしょうか?!
もし本当に死ねば困る人は沢山いると思います。死後立派な人だと褒められたいためだけに最後まで正義を貫き、死んでこの世にいない時に“素晴らしい”“立派だ”と言われても残されてしまった家族が一番不憫だと思うんです。
もう二度と会えないしもし死んだ人が一家の大黒柱だったとしたらその後の家族の未来はすごく不安になるに違いないのです。
でもそういう英雄的な潔い死に様を尊び永遠に褒め称える傾向が強いのは、もちろん美談を好む純粋な英雄崇拝思考でもあると思いますが、その他にもしそういう形で死ねば、その後遺族給付金や保険金が(動くから、その後そのお金を遺族を通じて運用できるから)もらえるから・・・特にそのような死に方をしてしまった人物の奥さんがすごい美人で他のお金持ちとかあっせん業界の大勢が狙っていたとしたら、そういう死に方をパートナーの人がしてくれた方がすごく有難かったり美味しかったりすることも絶対にあると思うんです。
なので、正義感が強く潔くいつも立派な言動であることもとても大事ですが、誰にも迷惑をかけることも無いと思えば緊急事態にちょっと自分を変えて、演技をしたり、薄汚い言葉を吐いてでも犯人の真相心理に足並みを揃えて、何とか生き延びようとする努力もとても大事なように思うのです。―もし自分が死んだら残された人がその後どのような運命を辿るかとかも生前の自分にじっくりとよく考えることがとても大事だと思うんです。
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