第三章 組立
1
頭を覆う鈍い痛みと共に、犯人の顔を思い出す。あの事件以降、寝起きはずっとこんな調子だ。
この家を離れてから、久しぶりに自分の部屋で寝た。
父との確執以来、実家に戻るのは苦痛でしかない。もしかしたら、自分の部屋でさえ落ち着かないのではと心配していたが、むしろ昔の感覚を思い出して、懐かしい気持ちになった。郷愁感というやつだろう。昨晩はぐっすり眠ることができた。
頭の傷を療養するために帰ってきた、と父には言ったが、療養するだけなら警察寮のほうが断然良い。それくらい実家には居たくない。だが、ここで調べたいことがある。
犯人に頭を殴られ気絶した日、目を覚ますと、見知らぬ男が横にいた。声をかけると、その男はこちらを一度見て、無言で部屋を出て行く。一分ほどで看護師が現れ、自分が病院にいるのだと気付いた。それから一時間ほど経過したあとだろうか、ヨコウラが部屋へ入ってきた。
「お加減はいかがですか?」
そう言ったヨコウラの顔が微笑む。
「頭が少しボーッとしますが、大丈夫だと思います」
「そうですか……しばらくゆっくり休まれるのが良いと思います」
「……家主は、亡くなられたでしょうか」
「……大変残念な結果となってしまいました。全ての責任は、指揮していた私にあります。申し訳ありません。責任をとるため指揮から外れることも考えましたが、犯人を逮捕することでしか責任はとれない、というお言葉を王から賜りました。一刻も早く犯人を検挙しなければなりません。そのために、リュウガイさんの協力が必要不可欠です。どうか、ご協力をよろしくお願いします」
ヨコウラが深々と頭を下げる。
「そんな、協力だなんて……それは私の、警察官としての義務です」
「ありがとうございます」
そう言いながら頭を上げたヨコウラの顔は、とても申し訳なさそうだった。
「犯人は……」
「……依然として、足取りは掴めていません。リュウガイさんの話だけが頼りです。どうか話をお聞かせください」
「そういえば、張り込んでた奴らのケガは?」
「三名とも軽傷です。リュウガイさんの傷が一番酷い状態でした」
「そうですか、良かった、いや良くない……被害者は……」
「……あの日の状況、すべて教えてもらえますか? どんな些細なことでも。なんとしても犯人を検挙しなければなりません。犯人を検挙することでしか、被害者に謝罪することはできないと考えています」
ヨコウラの目から、水分が一滴。
水分。
この病室にヨコウラが入ってきたときから、ずっと脳が震えている。
今ならはっきりと脳の言葉が分かる。
嘘だ。
嘘だ。
脳の言葉を聞きながら、ヨコウラに全てを話した。
犯人との会話を除いて、全て話した。
それから二日間休んだあと、仕事へ復帰した。復帰してから五日間は、怪我を理由にデスクワーク中心にしてもらった。その真意は、犯人が口にした言葉を検証しなければならないという焦燥感。デスクワークをしながら、警視庁のデータベースを使って検証していった。
少子対策法。
養子。
十年前。
クリスマス。
『少子対策法』という検索ワードでヒットする事件はゼロだったが、十年前の十二月二十五日でヒットした事件の中に、気になる事件が一件見つかった。資産家の家と児童養護施設で起きた殺人事件だ。既に終結している事件だったが、報告書を入念に読む。
報告書によると、犯人は児童養護施設の経営者。殺されたのは資産家の家の家主一人と、施設で暮らしていた子供十二人。経営者は、家主を殺したあと、施設に火をつけ、施設で暮らしていた子供全員を焼殺。その直後、経営者は近くのマンションから飛び降り、自殺。
報告書を読んでいるうちに思い出した。大学生のころ、大きく報道されていた事件だ。被害者の人数の多さ、そして、事件現場が実家に近かったので、なんとなく覚えている。
犯行の動機は、家主からの資金援助を打ち切られた経営者が施設を運営できなくなったため、と報道されていた。報告書にも同様の記述があった。子供を焼殺したのは、無理心中のためだ、という記述も報道と同様だった。
報告書を読み終えたあと、この事件を調べ直したほうがいいなと考えた。
頭の傷の療養を理由に有給休暇をとり、実家から事件現場へ向かえば、周囲を気にせずに事件現場を調べられる。同僚などに会っても、実家が近いから、と言えば良い。まずは殺された家主の家へ行ってみよう。そのあとに、放火された児童養護施設だが、既に取り壊されているだろう。周囲の住民に、当時のことを聞くしかない。
なぜこんなことをしているのだろう。
こんなこと、したいわけではない。しなければならない、という言葉が近いかもしれない。
ヨコウラは何かを隠している気がする。見過ごしてはいけない何かを隠している気がする。脳は、それを見つけようと必死になっている気がする。気がするだけで、こんな懲戒処分ものの行動をしている。頭がおかしくなったのだろうか。
犯人の目が、じっとこちらを見る。
まばたきを一回。
背後のドアが開く音で、朝食を食べていることを思い出した。一分間くらい、箸の先が味噌汁に浸かっている様子を眺めていたようだ。
向かいの席に食事が用意され始める。サアラの昼食だ。英語にはブランチという言葉があるが、それに対応した日本語が存在しないのは、昼まで寝ているような怠惰な人間を排除するためだろうかと想像したが、三秒後にはどうでもよくなった。
しばらくするとドアが開き、サアラが部屋に入ってくる。十二時ちょうどだ。
「おはようございます」サアラがにっこり笑う。
「おはよう」
「遅いお目覚めですね」
「うん。ぐっすり眠れた」
「いつまでこちらでお過ごしになるのですか?」
「休みは一週間だけど、どうかな、早めに帰るかも」
「そうですか……とても淋しいです」
席に着いたサアラが、テーブルの上にあるティーカップをじっと見つめている。昨日のこともある。こんな小さな子が、淋しさをうまく処理できるはずもない。
「食事が終わったら、昨日の、えっと、なんだっけ、わんたろう? を連れてってくれた人に連絡してみようと思うんだけど――」
「本当ですか! 私もしたいです!」
「うん、でも、このあと勉強だろう?」
「今します!」
サアラが急いで料理を食べ始めた。予定よりも早く食事を終わらせて、勉強を再開する前に、わん太郎のことを訊くつもりだろう。ヒラタさんがいたら、行儀が悪い、と間違いなく怒られる。
「もっとゆっくり食べな。わん太郎のことは、あとでちゃんと教えるから」
サアラはパンを食べながら、首を横に振る。どうしても自分でわん太郎のことを聞きたいらしい。
結局、十五分ほどで食事を食べ終えてしまった。サアラの昼食の時間は三十分なので、連絡するのに充分な時間が残っている。ポケットから携帯電話を取り出す。
「じゃあ、まず僕が電話して、そのあと代わるから」
「ありがとうございます」
昨日と同じように、とても嬉しそうに応えるサアラ。こちらも嬉しくなる。
携帯電話に登録しておいた連絡先を呼び出す。王都放送社会報道部、月本志朗。名刺には、社内電話、携帯電話、メールアドレスが書かれていたので、全部登録しておいた。まずは携帯電話に連絡する。もし携帯電話に出なければ、会社に電話することになるが、それにも出なければ、サアラのお昼休憩中に連絡を取ることはできなくなる。できれば、サアラに直接連絡を取らせてあげたい、そう思いながら携帯電話のボタンを押す。
コール音が五回。
「はい」
「突然のお電話、申し訳ありません。ツクモト様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうです」
「私、昨日の夜、公園でお世話になりました子供の兄で、リュウガイと申します。初めまして」
「あ、初めまして、サアラちゃんのお兄様ですね。リュウ、ガイ、さんですか?」
「はい、リュウガイ、アキヒロ、と申します。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「今お時間よろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
「昨日はサアラが大変お世話になりまして、本当にありがとうございます」
「いえ、お世話だなんて、そんな……」
「いえ、本当に感謝しております。サアラの友人を救ってくださり、お礼の仕様がございません」
「その件ですが、実は私ではなく、私の同僚の知人が引き取ってくださいまして……」
「そうでしたか。それでは是非その方にもお礼を申し上げたいと思うのですが」
「では、同僚にその旨申し伝えます。今は……ちょっと席を外しておりまして、申し訳ありません」
「いえいえ、お手数お掛けします。すいません、実は今、サアラもおりまして、友人の様子を直接お訊きしたいと申しております。お話頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです」
もう待ちきれない、という様子でずっとソワソワしていたサアラに、携帯電話を手渡す。
「お電話代わりました。リュウガイサアラです」
サアラが元気良く話し始めた。
こんなに楽しそうに話しているサアラを見ると、普段の生活の制約の大きさがよく分かる。やはり、あんな生活を続けていては駄目だ。そう思っているのに、やめさせることができない。情けないとしか言いようがない。
「お兄様」サアラが耳から携帯電話を離した。「私のパソコンにわん太郎の写真を送ってもらおうと思うのですが、よろしいでしょうか?」
大きく頷く。それを見たサアラは、喜んで携帯電話を耳に戻す。
「はい、それでは私のパソコンに送って頂きたいです……はい……そうですね、分かりました。兄に代わります」
サアラが携帯電話を返してきた。
「お電話代わりました」
「あの、今サアラちゃんに、昨日撮った犬の写真を送りたいという話をしてまして、サアラちゃんのメールアドレスをお兄様に教えて頂きたいと思いまして」
「分かりました。それでは、このあとメールでお伝え致します。送信先は、ツクモト様の名刺に書かれているアドレスでよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「では……」サアラを見ると、もう一度携帯電話を渡してくれとジェスチャーする。「最後に、サアラに代わります」
サアラに携帯電話を渡すと、わん太郎によろしくお伝えください、と言って、元気良く電話を切った。
「わん太郎は今、山梨県にいるそうです」
「そうか。なかなか遠いね」
「いつか会いに行きたいです」
「うん。いつか会いに行こう」
十年前に殺人事件があった資産家の家の住所へ行くと、当時の家は既に取り壊され、マンションが建っていた。豪邸だと報道されていたので、取り壊されていないだろうと思っていたが、甘かったようだ。これであとは、周辺の住民に当時の状況を訊くだけになってしまった。
周辺は閑静な住宅街で、外を歩いている人たちはマダムという言葉がよく似合うご婦人ばかり。皆一人で歩いている。重そうなスーパーの袋を両手に下げていたり、重そうなスーパーの袋を自転車のカゴに押し込んでフラフラと進んでいたり、重そうなスーパーの袋を地面に置いて「まぁ」とか「うそぉ」と何十分も言い続けるご婦人たちは一人も見当たらない。スーパーの袋の代わりに、かわいいミニチュアダックスフンドを何匹も連れていたり、かわいいチワワが電柱や塀の匂いを嗅いでいるときにリードを強烈に引っ張ったり、かわいいパピヨンが向こうから来た別の犬に対して激しく吠えているときに無言でリードを短く持ち直してすれ違うご婦人しか見当たらない。まあ、きっと、どちらのタイプのご婦人も本質的には同じだろう。平和だ。
できるだけ古い一軒家を探しながら付近を歩いたが、下町にあるようなボロボロの木造一軒家はもちろん、大手メーカーが大量生産した無個性の一軒家さえ見当たらない。そのような建物に住んでいた人たちは、土地を売って、別の場所へ引っ越したのだろう。引っ越し先を贅沢にしなければ、売却益だけで数年間は遊んで暮らせるはずだ。
新しそうな家や豪邸にも聞き込みをしようかと考えたが、十年前から暮らしている人は少ないだろうし、いたとしても、都会特有のガードの硬さで、聞き込みは難しい。都会、特に高級住宅街などの聞き込みで警察手帳を見せて話を聞こうとすると、その警察官が本物かどうか警視庁に照会する人は比較的多い。もちろん照会するほうが良いのだが、今の自分にとっては、照会されると面倒なことになる。休暇中に十年前の事件、しかも、解決済みの事件を調べていることが上司にバレてしまう。聞き込む相手を見極めて、慎重に動かなければならない。
資産家の家付近での聞き込みは保留して、児童養護施設があった場所へ向かった。歩いて二時間ほど。付近の様子を見るため、タクシーは使わなかった。
児童養護施設があった場所は空き地になっていた。売地を知らせる看板が道路との境界上に立ち、看板の奥の敷地内は、一メートル以上の雑草が茂っている。子供十二人が焼死した場所だ。立地が良いわけでもないので、十年間買い手が現れないのも無理はない。
付近で一番古そうな一軒家を探していると、門もインターフォンも無い木造平屋建ての家を見つけた。迷わず玄関の戸を叩いた。反応がないので、もう一度戸を叩く。先程よりも強く四回叩いた。しばらく待っていると、家の中から、はいはいはい、という声が聞こえ、開錠音なしで玄関が開いた。腰が曲がった小さな老婆が立っている。
「突然申し訳ありません。私、警察の者で、今このあたりの聞き込みをしております」警察手帳を見せた。「少しお話をお聞きしたいと思うのですが、お時間よろしいでしょうか?」
「え? なんかあったかい?」
「いえ、実はですね、十年前の事件についてお聞きしたいと思うのですが」
「十年? そりゃあまた昔だね」
「はい、覚えていらっしゃいますか? 児童養護施設でお子さんが十二人亡くなられた事件なのですが」
「あぁー……よーく覚えてるよ。本当に酷い事件で、あんたら警察も素っ頓狂なことしか言わんで、捜査し直す気にでもなったかい」
「あ、すいません、私、当時のことを詳しく知らずに、御無礼ありましたでしょうか?」
「無礼も何も、シミズさんがあんなことするわけないじゃろが」
シミズ。児童養護施設の経営者の名前だ。十年前の被疑者の名前が淀みなく口から出るということは、経営者のことをよく知っているのかもしれない。
「シミズさんとお知り合いだったのですか?」
「んー、本当にいい人じゃった。あんないい人がなんで人殺しなんかするもんかね。しかも我が子同然に可愛がってた子たちまで焼き殺しただって? ふざけるんじゃないよ」
老婆の口調がどんどん厳しくなった。普段の聞き込みなら落ち着かせるところだが、老婆の率直な意見を聞きたかったので、そのまま続ける。
「施設で亡くなったお子さんは十二人でしたが、おばあちゃんは全員ご存知でしたか?」
「ああ、もうみんないい子じゃった。チーちゃんとヒロちゃんは下の子の面倒をよーく見るし、ユウタはイタズラばっかりしとったが実は思いやりのある子で、ばあちゃん、何か困ったことがあったらすぐ言ってこいよ、助けに行くから、なんて、一丁前にあたしに言って……あぁ、思い出したら泣けてきたよ」
老婆の目に涙が溜まる。年齢のせいか、頬を流れ落ちることのない僅かな涙に、想像以上の悲しみが濃縮されているようだ。この老婆は、児童養護施設の子供たちを本当の家族のように想っていたのかもしれない。その家族を一瞬で失った老婆の絶望と悲しみが流れ込んできた気がした。冷静さを保つように努めなければならなくなった。
「心中お察しします。大変辛いことを思い出させてしまうかもしれませんが、事件の起きた日、施設で暮らしていた子供は全員で十二人だったのは間違いないでしょうか?」
「十四人じゃろ?」
「え?」
「十二人じゃなくて、十四人」
「十三人ではなくて?」
「十四人じゃ」
「亡くなったお子さんは、十二人?」
「ああ」
「ということは、二人の子供が助かっているのですか?」
「あんたらが保護したんじゃろ?」
そんなこと、報告書のどこにも書かれていない。
「その二人とは、事件後会いましたか?」
「会っとらん」
「その二人は何才ぐらいでしたか? 事件の時」
「十才とか、そんなもんだったか。あんたらの方が詳しいじゃろ?」
「二人とも?」
「ああ」
「性別は?」
「女の子だが、さっきからなんだいあんた、バカにしとるんか」
「すいません、そのようなつもりは全くありません。もし気分を害されたのであれば、お詫びします。申し訳ありません」深く頭を下げる。「誠に恐縮ですが、最後にひとつだけお訊かせください。その二人は少子対策法の養子でしたか?」
「んなこた知らん……まぁ、雰囲気は全然違っとった。酷く怯えとって、可哀想じゃった。ずっと二人でくっ付いて縮こまってたのう。確かに、戦場で生きてきた心の傷と言われれば、そんな感じかもしれんな」
「施設で暮らしてる間、ずっとですか?」
「ずっとと言っても、二、三日だがな」
「二、三日? 事件の数日前から暮らし始めたんですか? 二人とも?」
「そう。わしはまだ名前も聞いとらんかった」
それから五分ほど老婆と話したが、警察への不満や怒りの発露が大きくなり、情報を引き出せる状態ではなくなってしまった。有用な情報がまだあるかもしれないと思いながらも、老婆に謝罪とお礼を言って、話を終わらせた。
まだ一件しか聞き込みをしていないが、充分な成果だった。いや、寧ろ、これ以上不用意に動いてはいけないと感じるようになった。
十年前の事件で、警察が何かしらの事実を隠蔽した可能性が高い。組織ぐるみなのか、個人の仕業なのかは判然としないが、警察内部での他言はできなくなった。
病室で会ったヨコウラを思い出す。
笑顔。
謝罪。
水分が一滴。
ヨコウラだけには絶対に話さない。その決意が一番堅かった。
老婆の話を整理しながら、様々なことを考えて歩いていると、公園の入口が目についた。昨日、サアラに友達ができた公園だ。実家へ帰ろうと思っていたが、公園のベンチで考えをまとめるのも良いかもしれない。実家へ帰ったところで、居心地の悪さしか感じないだろう。
公園へ入る。小さい頃、一度だけここに来たことがあるが、その時の記憶と一致するものは何も無い。代わりに、たくさんの遊具が並んでいる。
平日の夕方、夕陽になりきれていない黄色い太陽が、空と地面の間に浮かんでいる時間、学校帰りの子供たちが賑やかに遊んでいる。
公園の入口から一番近い場所にあるブランコに目がいった。誰も乗っていない。
そういえば、一度も乗ったことないな、ブランコ。
乗ってみようかな。恥ずかしいけど。
子供たちを横目に見ながらブランコまで歩き、ゆっくりとブランコに座った。
慌てるな、余計に注目される、と自分に言い聞かせながら、一漕ぎ。
金属が擦れる甲高い音が子供たちの声に混ざる。予想以上に大きな音だが、耳元で鳴っているせいだろう。自意識過剰だ。
思い切って漕ぎ始める。
足と地面の接触を避けるため、体操選手のように足を一直線に伸ばす。重心移動を小刻みに繰り返し、振幅を長くする。金属の擦れる音が大きくなるにつれて、速さと高さの極大値が増えていった。そして、つま先が頭の高さを越える頃、子供たちは全員こちらを見ていた。
これは、自意識過剰ではない。
足を地面に突き立て、一瞬でブランコを止める。
砂埃。
静寂。
「にげろおぉぉぉ!」
突然の叫び声で、一瞬視界が白くなった。こんなことでヨコウラに目を付けられてしまうなんて、恥とか不注意とか、そういうレベルではない。穴があったら入りたい。いや、このブランコで成層圏までテイクオフしたい。
辞世の句に手を出しそうになった時、背後から三人の子供が走ってきて、遊具で遊んでいた子供たちと合流した。走っていた三人の子供たちは興奮した様子で、まじこえー、とか、のろわれるかも、などと話している。どうやら、先ほど聞こえた『逃げろ』という叫び声は、私とは関係ないようだ。子供たちは、再び賑やかに騒ぎ始める。呪いの石像、とか、銃で殺される、などと聞こえてくる。心の底から安心した。
後ろを振り返ると、林がある。走ってきた子供たちは、あの林から出てきたようだ。
そういえば昨日、サアラが隠れていた場所は林の中だったとヒラタさんが言っていた。石のオブジェとも言っていたので、サアラが隠れていたのは、あの林だろう。サアラに初めて友達ができた場所だ。呪いの石像というのも少し気になったので、行ってみることにした。本音は、一刻も早くブランコから離れたかっただけかもしれない。
林の樹木の密度は想像以上に高く、中はとても暗い。きっと昼間でも薄暗いだろう。子供たちの度胸試しに使われるのも頷ける。
足元に注意しながらしばらく歩くと、先の方に明るい場所が見えた。石のオブジェも見える。サアラが隠れていたのは、あの場所だろう。
石のオブジェは噴水のような形だが、水は無い。噴水の中心に石像が立っている。髪の長い女性の石像のようだが、あちこち欠けている。経年劣化というよりは、人為的に傷付けられたように見える。もしかしたら、子供が石をぶつけているのかもしれない。子供たちが『呪いの石像』という仮想敵と戦っている状況は容易に想像できた。
女性の石像は、左手で何かを抱えているように見える。先ほどの子供たちは『銃で殺される』と話していたので、子供たちのあいだでは、ライフルを抱えているという設定になっているのだろう。そう考えていると、ライフルにしか見えなくなってきた。
よく観察してみると、石像の右腕が無い。そういうデザインではなくて、折れて無くなったようだ。
おそらく、この石像は、小さな竪琴のようなものを両手で持ったデザインだったのだろう。しかし、右腕の脇が開いた状態でデザインされていたため、竪琴の半分と右腕が一緒に折れてしまったのだ。人為的に折られたのかもしれない。
人間に造られ、人間に壊されていく石像を見つめる。
不意に、あの犯人を見ている感覚に引き込まれた。
どうしてそんなに傷付いた?
そのライフルで誰を撃つ?
沢山の疑問をぶつけたくなったが、散々石をぶつけられてきた彼女に、これ以上辛い思いをさせたくなかった。
2
黒光りする重厚な机が縦列し、猫のように柔らかいカーペットが床一面に敷かれている会議室で、仕立ての良いスーツを着た男達が声を荒げている。
「少子対策法の裏知ってる奴の数なんてたかがしれてるだろ! 何してんだテメーは!」
「お前らに何億かけてると思ってんだ!」
「申し訳ありません」
末席で立っているヨコウラが頭を深く下げる。
「頭下げんじゃなくて、犯人連れて来い!」
「ヨコウラ」
上座に座っている国王が、落ち着いた声で話しかけた。
「はい」
「本当に見つからないのか?」
「はい」
「生誕祭までには見つかるか?」
「発見できない可能性が高いです」
ヨコウラを睨んでいた国王は、視線を下げると、眉間を親指の先で押し始める。
「……どうしようもないな」独り言のように国王が呟く。「生誕祭は予定通り行う。難民救済法も予定通り公布する」
「危険過ぎます! 何か起こったらどうするのですか!」
「何か起こらないようにするしかない。生誕祭も救済法も、どれだけの人間が関わっているか知っているはずだ。中止すれば、死ぬようなものだ」
国王の言葉に反論する人間は誰もいない。部屋の中が凍りついたように誰も動かない。そんな状況と裏腹に、仕立ての良いスーツを着た男たちの顔色は赤みを帯び、汗が滲んでいる。
「クーラーは……」
誰かが呟いた。
今は十月だよ。
ヨコウラは思った。
3
サアラちゃんのメールアドレスを呼び出して、昨日撮ったばかりの写真を添付して、送信ボタンをクリック。送信済みメールを開く。フラッシュのせいで、わん太郎の目が赤く光ってる。
サアラちゃん、こんなのわん太郎じゃない、って思ったらどうしよう……画像補正したかったけど、お昼休憩終わっちゃうし……。
少し後悔してる僕の前では、イリカさんが机に突っ伏して寝てる。いつもなら、かわいい寝息が聞こえるんだけど、今日は、呼吸をしてるのも分からないくらい静か。やっぱり、昨日の疲れだろうな……本当に申し訳ない。どうしよう、あと五分でお昼が終わっちゃうけど、起こせない。
「ツクモト」
後ろから名前を呼ばれた。内臓に直接働きかけてくるようなダンディーな声だったから、振り向かなくても上司のサガミさんだって分かる。
「はい」
振り向きながら、今の自分の仕事について思い返す。サガミさんは、仕事以外のことでは話しかけてこないんだ。
後ろにいたサガミさんは、すでに僕を見てなくて、イリカさんを見てた。僕もイリカさんを見る。
「タカミヤ」
イリカさんがビクっとなりながら、ものすごい速さで頭を起こした。
「シロウ君! 成長したの?」
……ど、どうしよう、意味が分からないけど、なんか悲しい。
「起こしてすまない。二人とも、ちょっと来てくれ」
サガミさんの表情はいつも通り、っていうか他の表情見たことないけど。いつも通りなんだけど、僕ら二人に声をかけたあと、僕らが返事をする間もなく歩き始めた。いつものサガミさんなら、必ず相手の反応を見てから動くのに、ちょっと変だ。僕もイリカさんも慌てて立ち上がり、サガミさんのあとについてく。
サガミさんは、このフロアの打ち合わせスペースに入った。打ち合わせスペースは透明なガラスで仕切られてて、外の音がほとんど入ってこない。逆を言えば、よっぽど大きな声を出さなきゃ、外に音は漏れない。内緒話もできる。
「単刀直入に訊く」僕がガラス戸を閉めた瞬間、サガミさんが話し始めた。「連続殺人について調べているのか?」
「はい」
イリカさんが即答する。たぶん、サガミさんの質問の内容を予測してたんだ。しかも、この先の対応の仕方も全部決めてるような気がする。
「分かった。じゃあ、今の俺の考えは二年前とまったく同じだから、あとでツクモトに伝えておいてくれ」
サガミさんは僕をチラッと見て、イリカさんに視線を戻す。イリカさんはまったく動かない。そのまま数秒間沈黙。
じっと見てなきゃ分からないくらい本当に少しだけ、サガミさんは目を伏せた。
「その取材は禁止する。そんな仕事の指示は出していない。もし今後、同様の取材行為が発覚した場合は、二人併せての懲戒解雇とする。副社長からの厳重注意だ」
そんな――
「すいません、僕がタカミヤさんを巻き込んだんです、責任は僕にあります、解雇されるなら僕だけです」
予想以上の罰を突きつけられて早口になる。僕は自業自得だからしょうがない。だけどイリカさんは違う。僕が取材するって言ったのが一番の原因なんだから。
「責任の割合は関係ない。指示された業務の範疇を超える取材行為を王都放送職員の肩書きを使って行っていた事実。その事実に対しての処遇だ」
「どうして二人一緒の解雇なんですか? タカミヤさんはもうその取材をしません。解雇されるなら僕一人です」
「タカミヤは取材しないが、お前は取材を続けるのか?」
「……」
「お前がもう取材しないと言えば、タカミヤも取材をやめるはずだ。お前が取材を続けると言えば、タカミヤも取材を続けるだろう。落ち着いて考えろ。意地張って取材続けて、そんな方法でしかお前のしたいことはできないのか?」
「できません」
「シロウ君」
イリカさんが僕を見てる。イリカさんの表情がない。僕に、黙って、ほしい、のかな。
「すいません、失礼しまぁす……」
後ろから突然声がした。びっくりして振り返ると、ガラス戸を少しだけ開けた別部署の女性が、こっちの様子を窺ってる。
「一時から予約していたのですが……」
いつの間にか、打ち合わせスペースの周りに五人くらいのスタッフ。みんな書類やパソコンを持ってガラス越しにこっちを見てる。
「すまない、もう出るから」
サガミさんはそれだけ言うと、僕とイリカさんをまったく見ずに、打ち合わせスペースから出てった。僕は、イリカさんと話がしたかったけど、イリカさんもすぐに出てってしまったから、慌ててついてく。イリカさんは、そのまま自分の席に戻った。サガミさんはいない。
「どうしますか?」
ほとんど意味のない言葉をイリカさんの背中にぶつける。
「仕事終わってから、話そう」
やまびこみたいな返事だった。
その日、イリカさんもサガミさんも普段と同じように仕事をしてた。だけど僕は無理だった。気がつくと、いつもより声が小さかったり低かったりした。意識しないといつもどおりの声が出せないなんて、こんなに自分が気分屋だとは思わなかった。もしかして、昨日イリカさんが言ってた『素直』っていうのは、こういうことなのかも……もっとタフにならなくちゃ……。
仕事が終わってから話そうとイリカさんに言われたから、とりあえず、ずっと仕事をしてた。やらなきゃいけない仕事は山ほどあるから、いつまでも続けてられる。だけど、明日の朝まで仕事をしてるわけにもいかないから、二十四時になったら僕から話しかけようと思ってたけど、二十二時のちょっと前、サガミさんが帰ってすぐ、イリカさんが話しかけてきてくれた。まだフロアには結構人が残ってるけど、僕らの班はもう僕とイリカさんしかいない。
「さて、話そうか」
席に座ったまま話しかけてきたイリカさんの表情は、いつもどおり柔らかい。向かい合って座ってる僕とイリカさんのデスクの上には、お互いの顔を隠す物が無いから、二人とも座ったまま話せる。周りからはパソコンの操作音くらいしか聞こえてこないから、ひそひそ声でも充分聞こえる。
「はい」と返事したものの、何から話そうか迷ってしまう。
「じゃあまず、サガミさんの考えっていうのかな、二年前に私が言われたこと話すね」僕の様子を見て、イリカさんが話を始めてくれた。「こないだメグちゃんと三人でごはん食べたときに話した、少子対策法に良くない部分があるんじゃないかって話、覚えてる?」
二回うなずく。忘れるわけない。あのときのメグ、もとい失礼の塊のせいで、僕の寿命は三年くらい縮んでる。
「その話を最初にしたのがサガミさんだったんだけど、二年前ね。そのときに言われたのが、任された仕事を完璧にこなしていて、なおかつ、王都放送職員としての将来性に繋がる行動であれば何をしても構わない、って感じの言葉だった。で、サガミさんのその考えは今も変わってない、らしいね」
「もしかして、僕の仕事に何か問題があったんですか?」
「んー、私の見てる限りでは無かったと思うよ。たぶん、私たちの仕事が問題じゃなくて、私たちが調べようとしてることが問題なんだと思う」
「前言ってた、国の圧力ってやつですか?」
「かもね。そうだとしたら、二年前の私のときとは比べものにならないくらいの圧力がかかってることになるね」
「懲戒解雇ですもんね」
僕が言うと、イリカさんはなぜか微笑んだ。
「それは、たぶん、うそ」
「え? 嘘?」
イリカさんに言われて気付いた。僕らが勝手にやってる取材は、確かに指示された業務の範疇を超えてるけど、かといって犯罪をしてるわけじゃない。しかも、休日の自主的な行動だし、担当の仕事をサボってるわけでもない。なのに、減給とか停職をすっ飛ばして、いきなり懲戒解雇っていうのは変だ。そんな理由で懲戒解雇なんてしたら、むしろ、会社が違法な状態になるんじゃないか?
「じゃあ、取材続けられるんですか?」
「取材は中止しよう」
微笑んだイリカさんが、よどみなく言った。僕の頭は、イリカさんの言葉と表情を同時に処理できなくて混乱してる。太陽と月を同時に見てるような気分。生きてるのに死んでるような気分。懲戒解雇が嘘だから取材するんじゃないの? なんで中止なの? 中止って言ってるのになんでイリカさん笑ってるの?
「え、なんで、ですか? 懲戒解雇は、嘘なんですよね?」
「お昼ね、サガミさんの話のあと、メグちゃんにメールしておいた。取材は中止って」
「大丈夫です、あいつ意外といい奴なんで、取材再開ってメールしておけば何も問題ないです、むしろ――」
「シロウ君」イリカさんが僕の言葉を遮った。微笑んだままのイリカさん。「私は王都放送にいたいの。お願い、中止して」
「……言っ、てることが……めちゃくちゃですよ……」
僕は、それだけ言うのが精一杯だった。イリカさんの顔も見れず、自分のデスクにあるキーボードを見続ける。言いたいことはたくさんあるのに、どの言葉も自分勝手で惨めでろくでもないことばっかりだ。やばい、なんか泣きそうだ。
沈黙が数十秒間続いてるあいだ、僕は涙が出ないように我慢してた。そのあいだずっとイリカさんに見られてた気がする。きっと、イリカさんは微笑んでたと思う。いつもドキドキしながら眺めてたイリカさんの笑顔なのに、今は見たくない。
静かなフロアだから、イリカさんが動いてるのが分かった。マウスを操作してる。書類をまとめてる。デスクの下からバッグを取り出して、ごそごそしてる。ノートパソコンを閉じた。立ち上がって、イスを動かして――
「おつかれさま」
言葉と同時に足音。躊躇も迷いも感じられない一定のリズムが僕から遠ざかってく。
イリカさんの背中を見て、全部終わらせよう。我慢してる涙を全部出して、お酒をちょっと飲んで、すぐ寝れば、明日からまた楽しくイリカさんとおしゃべりできる。
たぶん、それは、きっと、とても、幸せだ。
どうやって帰ったのかあんまり思い出せないけど、気が付いたら家にいた。
お酒は買ってない。涙も出てない。きっと、こうやって人間は強くなってくんだな。もしかして僕、少しだけハードボイルドになったかも。
帰ってくるあいだずっと考えてたのは、どうやったらイリカさんに迷惑をかけずに取材できるか、ってことだった。
もうイリカさんは取材しない。これは確定。だけど僕は取材する。これも確定。僕が取材してるのバレたら、僕だけじゃなくてイリカさんまでクビになる。これは可能性低そうだけど、サガミさんがあそこまで言い切ってるのが怖い。だから、僕が取材しても、イリカさんがクビにならない確率百パーセントの方法を考えなきゃいけない。でも、そんな方法あるのか?
コンビニ飯を食べながら、シャワーを浴びながら、歯を磨きながら、ずっと考えてたけど、良い方法が何も思い付かない。部屋の電気を消して、布団に入って、スマートフォンで時間を確認したときに思い出した。メグにまったく連絡してない。まずい。メグのことすっかり忘れてた。
夜中の一時、いつものメグなら間違いなく起きてるけど、最近は昼型生活になってるから、きっと寝てるだろうな。とりあえずメールかな。いや、でも、メグだって今の詳しい状況を知りたいだろうし、怒られるの覚悟で電話しよう。
部屋の電気をまた点けて、メグに電話。ツーコールくらいでメグが出た。
「おせーよ」ぶっきらぼうなメグの声。でも、怒ってなさそうだ。
「ごめん、忘れてた」
「なんかあったのか?」
「うん、上司にバレた。上司というか会社というか」
「取材が? やっぱ中止か?」
「んー……イリカさんからのメール、なんて書いてあった?」
「問題が起きたから取材は中止、詳しいことはシロウから、みたいな」
どうやら、イリカさんのメールには、取材の中止しか書かれてなかったみたい。とりあえず、今日の出来事を一通り話した。
「確かに、シロウの話聞いてるだけだと、イリカさん変だな」メグが言う。
「でしょ」
「ケンカでもしたか?」
「してないよ」
「冗談だよ、怒るな」
「怒ってない」
「とにかく、イリカさんはもう取材しないってことだな」
「うん」
「シロウは? どうすんだ?」
「取材したいけど、イリカさんに迷惑かけずに取材する方法が思い付かない……」
僕はまた考え込んだ。メグも黙り込んで、けっこう長い沈黙。
「……分かった。俺もなんか考えといてやるから、今日はもう寝ろ」
「うん、ごめん、寝る」
4
ヨコウラが、窓から外を見ている。空には青しかない。
視線を下に移動させると、広大な空間がある。ひたすらに平らな地面。周りは高い壁で囲われていて、その壁もひたすらに平ら。広大な空間は立方体の形に切り取られているが、天井は無い。地面も壁も茶色で、空だけが青い。
ヨコウラから見える壁は三辺。残りの一辺は、ヨコウラの足下にある。ヨコウラは壁の上から広大な空間を見渡している。地面も壁も茶色いので、ダンボールの中を覗いているみたいだな、とヨコウラは感じた。二週間後には、このダンボールの中に数万人が集まる。国王の生誕祭と、難民救済法の公布式に参加するためだ。ヨコウラの正面に見えている壁と地面の接線部分にあるゲートから、数万人がなだれ込んでくる。数万人に踏みつけられる茶色の地面と壁はレンガでてきており、一週間前に修繕作業が完了したようだが、相変わらずの茶色で、違いは何も分からない。税金の無駄遣い、という意見が出てもよさそうだが、そのような意見は聞いたことがないので、目に見えない効果があるのだろう。
外を見るのをやめて振り返るヨコウラ。ヨコウラがいる部屋の中を清掃業者が掃除している。部屋の出入り口付近には、たくさんの清掃機器が置いてある。この部屋は、生誕祭や公布式などの様子を国の重役たちが眺める部屋になる。部屋の中に置かれている物は、清掃機器を除けば、椅子と机しかない。どの椅子と机も煌びやかに施されている。
ヨコウラの指が、目の前にある椅子の装飾部分を撫でる。ヨコウラの指の痛覚を刺激するものが無い滑らかな曲線、滑らかな表面。装飾部分に指を押し付けるヨコウラ。装飾部分が指にめり込み、ヨコウラの痛覚を刺激した。自らの意思で痛みを望み、痛みを得ることは、小さいころ時々あったな、とヨコウラは思い出す。例外無く、何かに耐えているときだった。
「念入りに掃除してくださいね。日本で一番偉い人たちが、この部屋に集まります」
ヨコウラは清掃業者に言った。突然話しかけられた清掃業者は、少し驚いた顔をしたが、短く返事をしながら頷いた。
5
暗い部屋の中、三台の液晶ディスプレイが光っている。ディスプレイの前に置かれた灰皿からは途切れることなく煙が立ち上っている。部屋に充満しているタバコの煙で拡散されたディスプレイの光が、弱々しく部屋の中を照らす。
マウスに手を置きながらディスプレイを見つめるメグ。ディスプレイ画面には、いくつもの動画が同時に再生されている。メグの視点はひとつの動画に定まっておらず、すべての動画をぼんやりと眺めているが、身体は微動だにしない。灰皿に置かれている吸いかけのタバコの先に付いている灰が自重を支えきれずに崩れ落ちた。
一週間前にシロウから『イリカさんに迷惑かけずに取材する方法が思い付かない』と言われたメグは、数秒で最適解を導いていた。ただ、それをシロウには伝えなかった。難しい解答ではない。平均的な大人がシロウと同じ状況になれば、誰でも思いつく解答だ。なぜシロウが思いつけないのか、その理由も、メグは把握していた。シロウは自分以外の誰かに労力をかけさせることができない、否、労力をかけさせるという選択肢がそもそもない。優しすぎる、とか、甘い、などの表現とは一線を画す性質だ。自己犠牲、という言葉が近いかもしれない。シロウは、仕事のできる上司にはなれないだろうな、とメグは思う。
一週間前の電話以降、シロウとまったく連絡をとっていないメグは、一日のほぼ全てをパソコンの前で過ごしていた。目的は、警察と政府のネットワークに侵入し、今回の連続殺人事件について秘匿されている情報を見つけること。警察のネットワークへの侵入は二ヶ月前に成功しているので、同様の方法で、政府のネットワークへ侵入した。公的機関のセキュリティで一番脆い部分は、例外無く人間だ。年配の人間になるほどセキュリティ意識が低く、しかも、様々な権限を与えられた役職に就いている確率が高い。メグにとって、課長クラスの人間は、エレベーターガールのような存在だった。非常用階段を一段一段踏み締めて目的のフロアへ行くことも嫌いではなかったが、今は時間が優先である。遠慮なくエレベータを使い、ネットワークへ侵入した。
侵入したのは、少子対策法を管轄している外務省のネットワークである。外務省のネットワークに侵入したのち、外務大臣の個人パソコンを特定し、そのパソコンに保存されている文書データ、画像データ、動画データをすべて抜き取った。抜き取ったデータのうち、数が少ない動画データを最初にすべて見てしまおうとメグは考えた。
突然、マウスを握っているメグの手が動き、メグの視点がひとつの動画に固定された。同時に、メグの視点が固定された動画の再生画面が最大化された。画面の中では、全裸の子供が二人立っている。子供たちの様子を見たメグに鳥肌が立つ。
動画を見ながらメグが最初に考えたことは、外務大臣が職場のパソコンに自分の趣味動画を保存したのではないか、という可能性だった。メグにとって、その可能性が一番望ましかった。その可能性を検証するため、動画データが格納されていたフォルダの中に、他の動画データが格納されていたかどうかを調べたが、他の動画データは格納されていなかった。その代わりに、文書データが一つ格納されていた。その文書データを開き、内容を斜め読みしていくメグ。どうやら、この動画に関する調査が行われ、その報告書のようなものらしい。報告書の内容は、メグにとって一番望ましくないものだった。報告書には『国王直轄特別部隊 第四係』と、報告者の所属機関名のようなものも書かれている。メグは一度も聞いたことがない名称だったが、字面だけでも、メグにとって一番望ましくない可能性を裏付けるには充分だった。
机の上にあるスマートフォンをとり、シロウへ電話するメグ。現在は夜中の二時だが、メグの動作に迷いはなかった。
コール音がしばらく続き、留守番電話が応答する。すぐに電話をかけ直す。
「もしもし」シロウの低い声が聞こえる。
「悪いのは、重々承知してる。今すぐ、うちに来い」メグがゆっくりと言った。
「ん……え?」
「今すぐ、俺のアパートに来てくれ」
「えっと……なんで?」
「イリカさんの考えが、分かったかもしれない」
「……電話じゃ、無理?」
「無理というか、見てもらいたいものがある」
「……んー……じゃあ……タクシーか」
「ああ。待ってる」
言い終えた瞬間、耳からスマートフォンを離すメグ。通話終了の赤いボタンを見るまでの間に、メグは考える。シロウは次に不満を言う。シロウの不満を聞いている時間はない。少しでも早くここへ来てもらい、次の行動を決めたほうが良い。シロウが来るのはおよそ四十五分後。その間に、他のデータをなるべく多く調べよう。
メグは、赤く光るボタンの上に親指を乗せた。
轟音、振動。
爆発? 雷? 飛行機の墜落? 隕石の落下?
突然の状況に混乱するメグ。メグの脳は、音と揺れの原因を無秩序に推測した。推測した原因の可能性を検証するまでもなく、メグは音と揺れの原因を把握した。なぜなら、再び轟音と振動が発生し、玄関のドアが狂ったように開き、そこに誰か立っているのを見たからだ。
玄関に立っていた人間は、そのままメグへ走り寄る。メグの眼前に迫り、顔が認識できる距離になったが、メグにはまったく見覚えがない男の顔だった。男の目は見開かれ、白目の部分が際立っている。
メグは恐怖と混乱で身動きがとれない。悲鳴を上げながら、走り寄ってくる男の右手が突き出す何かを反射的に防ぐのが精一杯だった。
メグは左胸に衝撃を感じ、そのまま仰向けに倒れた。
倒れたメグの足元に立つ男の右手には包丁が握られている。男の呼吸は荒く、倒れているメグを見ながら「ひとさし、ひとさし」と呟いた。メグの表情は苦痛で歪み、左胸を手で押さえながらうめき声を上げている。男はメグを数秒見ると、すぐに視線を移動させて、「パソコン、パソコン」と呟きながら、ディスプレイが乗っている机の周囲を調べ始めた。
数分前に外務大臣のパソコンに保存されていた子供の動画を見ていたメグは、左胸の激しい痛みで脂汗を流しながらも安堵した。これ以上襲われることはない、と感じたからだ。ただ、その安堵感はすぐに消えた。シロウが来てしまう。シロウにも危険が及ぶかもしれない。
メグが男の様子を見ると、男は机の下に潜っていた。パソコン本体に繋がっている全てのケーブルを引き抜いている。机の上のディスプレイ画面が黒くなり、入力信号が無くなった旨を伝えるメッセージが画面に表示されると、部屋の中が一気に暗くなる。男は、机の下からパソコン本体を引きずり出すと、「スマホ、スマホ」と呟きながら、ポケットからスマートフォン取り出して、スマートフォンのライトを点けた。男はライトで部屋の中を照らしながら何かを探しているようだが、目当てのものが見つからないのか、唸り声を出しながら、机やベッドの上の物を片端から掴んでいる。男の唸り声は徐々に大きくなり、行動も荒々しくなる。
「くそが!」
男は叫び、スマートフォンのライトでメグの顔を照らした。
「スマホどこだよ!」
苦悶の表情で脂汗を流しているメグの両頬を鷲掴み、男はメグの顔を揺さぶる。メグは、てめぇが今持ってるだろ、と皮肉を言いたかったが、うめき声しか出なかった。男の質問に答えようにも、自分のスマートフォンが今どこにあるのか、メグにも分からない。シロウへ電話したあと、男に襲われている間に落としたか、シロウ、今電話すんじゃねーぞ、と心の中で祈る。痛みが酷くなり、血の匂いも感じるようになったメグは、自分の死を意識しながら、シロウが安全になる方法を懸命に考えた。しかし、何も思い付かない。何もできない。時々現れるのは反省と謝罪ばかり。活かせない反省。伝えられない謝罪。メグの目から涙が溢れる。
「んだよ、命ゴイかぁ?」
苛立ちで歪んでいた男の表情が一変し、おぞましく柔和になった。
「……ちょっとぐらい楽しんだっていいよなぁ?」
男は、メグの頬から手を離し、ジャージのウェスト部分に指を引っ掛ける。
「うるせーんだよ!」
突然の怒声に反応して、男は玄関方向を見た。誰かが玄関の外に立っている。
男は慌てて立ち上がり、パソコン本体を抱えると、玄関の外に立っている人間を突き飛ばしながら走り去っていった。突き飛ばされた人間は、走り去っていく男に対して「てめぇ殺すぞ」と叫んだが、追いかけることはなく、メグの部屋の中を覗いていた。そして、ゆっくりメグの部屋に入り、電気を点けると、声とも息ともつかない音を吐き出したあと、メグに駆け寄り、声を掛けた。
メグは、男がいなくなったことは分かったが、痛みと失血で意識が混濁し始めていた。
シロウは大丈夫だろうか。ここへ来ても大丈夫だろうか。自分のように殺されたりしないだろうか。シロウは関係ない。シロウは関係ないんだ。俺の行動で、俺の大切な人が不幸になるのはもう嫌だ。なのになぜ行動した。行動しなければお母さんも悲しまなかった。シロウも殺されなかった。
「なぜ行動したの?」
……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……
6
部屋に入ると、微かにタバコの匂いがした。
玄関のドアは、事件発生時からずっと開いているようなので、一時間近く外気を入れていることになる。それにも関わらず、タバコの匂いが残っているということは、この部屋の住人は愛煙家なのだろう。警視庁に入庁した頃、警視庁のどの部屋も、こんな匂いがした。
救急車で搬送された女性は、この部屋で倒れていたらしいが、もしも、この部屋の住人がその女性だとすれば、あまり女性らしくない生活をしていたようだ。タバコの匂いだけでなく、部屋の中のシンプルさも、女性らしくない生活を想像させる。
シンプルな部屋なので、調べる箇所は少なそうだ。鑑識が到着するまでの間に、自分が調べたい箇所を調べ終えてしまうだろう。
地面に財布が落ちている。財布の中身を調べると、お札は一枚も無い。運転免許証はあった。運転免許証には、町田恵、と記載されている。運転免許証の写真は女性のように見えるが、この部屋で倒れていた女性かどうかは分からない。玄関前で見張りをしている警察官に運転免許証を見せると、「はい、この人です」という返事があった。この警察官は、現場に最初に到着した警察官だ。救急車よりも早く到着したらしい。
「倒れていた人の様子は?」私が質問した。
「話しかけてみたのですが、うめき声のような返事をするのがやっと、という感じでした」
「どんなケガだった?」
「たぶん、左胸に一箇所だけだと思います。私が来たときには、下の階の方が止血していたので、実際に傷口を見てはいませんが……」
左胸に一箇所と聞いて、嫌な予感が脳を支配する。
あの犯人が、こんな見窄らしいアパートを標的にするはずがない、ただの偶然か、模倣犯だろう。そこまで一気に考えたが、嫌な予感はまったく薄まらない。外で光っているパトカーの赤い光のように、その存在を主張している。パトカーの光を見つめていると思考が停止してしまう気がしたので、部屋の中に戻り、調査を続けた。
部屋の中で気になる箇所は、玄関のドアと、机の周辺くらいしかない。
玄関のドアは、中央部分がやや凹み、蝶番が緩んでいる。また、ドアノブの動きに連動する爪の部分が拉げ、削れている。おそらく、体当たりで、力任せに、ドアを無理矢理開けたのだろう。
机の上にはディスプレイが三台乗っていて、電源は入っているが、いずれも黒い画面のままだ。パソコン本体が置かれていたと思われる机の下には、ケーブルが散らばっている。この部屋の中で一番高価な物を盗んでいったと言われれば、それで納得してしまうくらい、この部屋の中はシンプルだ。
机とパイプベッドの間には、赤い染みがある。
これで、今の自分が調べられるところは調べ終わってしまった。鑑識はまだ到着しない。アパート付近の道路は車一台が通れるくらいの幅しかなく、マスコミ車両や野次馬に行く手を遮られて、到着が遅くなっているのかもしれない。
止血していたという下の階の住人に話を聞きに行こうか、と考えていると、部屋の隅からメロディが流れてきた。メロディと同時に、振動音も聞こえてくる。着信音だろうか。音は、パイプベッドと壁の隙間から聞こえてくる。パイプベッドの下には収納ボックスがあるが、ベッドから独立しているため、簡単にパイプベッドを動かすことができた。パイプベッドを少しだけ動かし、壁との隙間を作り、腕を突っ込み、音の正体を拾い上げる。スマートフォンだった。
スマートフォンの着信画面を見ると、少し驚いた。月本志朗と表示されている。同姓同名だろうか。とりあえず、電話に出ることにした。
「もしもし」私が言うと、相手は数秒沈黙した。
「……マチダの携帯電話でしょうか?」相手が言った。
「はい、たぶんそうだと思います。ツクモトさんですか?」
「はい、そうです。あなたは誰ですか?」
「申し遅れました。申し訳ありません。私はリュウガイです。お久しぶりです」
「え……リュウガイさん、ですか……?」
「はい、リュウガイアキヒロです」
「どうしてリュウガイさんが……?」
今の状況をどこまで話すべきか迷った。ツクモトさんは恩人だが、王都放送の職員でもある。犯人である可能性もある。今の状況を伝えたいが、重要な情報の流出は絶対に避けたい。
「……ツクモトさんは、恩人なので、少し無理して話します。まず始めにお伝えしなければならないのは、私は警察官だということです。なので、今から私が話すことは、どうか、口外しないで下さい。よろしくお願いします」
数秒待ったが、ツクモトさんの反応は無かった。話を続ける。
「マチダさんと思われる方は、何者かに襲われ、病院へ搬送されました」
「襲われたって、ケガをしたんですか?」ツクモトさんの声が大きくなった。
「はい」
「大丈夫なんですか?」
「私が現場に来た時にはすでに搬送されていましたので、ケガの詳細をお伝えすることが難しい状況です」
「そんなに酷いんですか?」
「すみません……本当に分からないのです……申し訳ありません」
「……どこの病院に運ばれたのでしょうか?」
「……青柳病院です」
「ありがとうございます。無理を言って申し訳ありませんでした。今からその病院へ行きたいと思います。あの、マチダの家族には、もう連絡しましたか?」
「いえ、これからです」
「実は、マチダには母親くらいしか家族がいなくて、その母親も、普段ほとんど家にいなくて、連絡がとりづらいので、繰り返し電話をかけてあげてください。僕からも電話してみます。よろしくお願いします」
「ありかとうございます。そうしてみます。ただ、ツクモトさんからのご連絡は、どうか、ご遠慮ください」
「分かりました。すみません。それでは失礼します」
言い終えるとすぐに、ツクモトさんは電話を切った。一刻も早く青柳病院へ行きたいのだろう。ただ、青柳病院には、すでに警察官が配備されている。おそらくツクモトさんは被害者に会えないだろう。そのことを伝えようかとも考えたが、今のツクモトさんには不要な情報だと勝手に判断した。私が何を言っても、ツクモトさんは青柳病院へ向かったはずだ。
通話状態が終了したスマートフォンを眺める。まずは、ツクモトさんが話していた被害者の母親に電話をしようと考えていたが、スマートフォンの画面に表示されていた『バックアップ完了』の文字が少し気になり、その文字をタップする。表示されたデータを見たあと、すぐに電話をした。
7
「お客さん、こりゃだめだね、入れないよ、何かあったのかねぇ」
これまで全然喋らなかったタクシーの運転手さんが一気に話した。おぉ、こんなに喋る人だったのか、と思ったけど、目的地に着けない言い訳を僕に伝えたかっただけかな。
夜中にメグの電話で起きてから、寝ぼけた頭でタクシーを呼んで、メグのオンボロアパートの近くまで来たんだけど、メグのオンボロアパートへ向かう道路の入り口付近に、たくさんの人や車が集まってる。テレビ局の車もある。何か起きてるのは間違いないなさそうだけど、その原因がメグなわけないよな。そう思いながらも、嫌な予感がむくむくと大きくなってなってく。早く、この感じを消したい。
「じゃあ、ここでいいです、降ろしてください」
タクシーの運転手さんに伝えて、料金を精算し、タクシーから降りて、人や車が集まってる場所を通ってメグのアパートへ向かう。メグのアパートに近付くほど、人が多くなってく。報道関係の人も多くなってく。
メグのアパート前に通じてる道路の前まで来ると、赤色灯をクルクル回してるパトカーが道を封鎖してる。真っ黒になった僕の嫌な予感が、僕の手を操って、メグへ電話をかけさせた。
コール音が続いてる。どうして電話に出ないんだろう。トイレとかに行ってるのかも。いいよ、いつまでも待つから、電話に出てよ。
コール音が止まった。なぜか男の声。頭が混乱。
「……マチダの携帯電話でしょうか?」言葉を絞り出す。
電話の相手はリュウガイと名乗った。リュウガイって……えっと……女の子のお兄さんだっけ。
「どうしてリュウガイさんが……?」
リュウガイさんは、自分は警察官だと言った。くらくらして、何も考えられない。
「マチダさんと思われる方は、何者かに襲われ、病院へ搬送されました」
最悪の言葉が聞こえた。
「襲われたって、ケガをしたんですか?」
「はい」
「大丈夫なんですか?」
「私が現場に来た時にはすでに搬送されていましたので、ケガの詳細をお伝えすることが難しい状況です」
「そんなに酷いんですか?」
「すみません……本当に分からないのです……申し訳ありません」
リュウガイさんの誠意の籠った声を聞いて、少しだけ冷静になった。今の僕がしなきゃいけないことは、リュウガイさんを困らせることじゃない。早くメグのとこへ行かなきゃいけない。
メグが搬送された病院の名前をリュウガイさんに訊いてる途中で、メグのお母さんのことを思い出した。メグの家族はお母さんしかいないけど、たぶんメグのスマートフォンには、お母さんの携帯電話の番号が登録されてない。固定電話はあったと思うけど、メグのお母さんが家にいるのを見たことは、ほとんどない。そんなことを一気に思い出した。リュウガイさんに、その情報を伝えて、電話を切る。
電話を切ったあとは、ひたすら走った。タクシーを降りた場所まで戻ったけど、タクシーは一台も見当たらない。スマートフォンでタクシー会社を検索して電話しようかと思ったけど、タクシーを待ってる時間が惜しいから、大通りに向かって走った。五分間全力で走り続けて、大通りに出て、ようやくタクシーを見つけた。
「アオヤギ、病院、お願い、します」
息を切らせながらタクシーの後部座席に座り、大きな声で目的地を言った僕を見て、タクシーの運転手さんの表情が強ばる。目的地が病院だからか、運転手さんが「大丈夫ですか?」と僕に訊く。僕は、知り合いが救急車で運ばれたから急いでほしい、とだけ応えた。
アオヤギ病院に向かってる間、タクシーの中で呼吸が落ち着けば落ち着くほど、頭の中がどんどん荒れてく。頭の中だけ台風に遭ってるみたい。いろんな考えがそこら中を飛び回って、いろんな場所にぶつかって壊れてく。壊れたものも、そこら中を飛び回って、他のものを壊してく。壊れて砕けた思考と感情の破片が、僕の体中にぶつかってくる。僕は頭を抱えて踞り、身を守ろうとするけど、いろんな方向から吹き付けてくる風の唸り声に責立てられながら、背中や腕や足や顔にぶつかってくる破片でボロボロになった。どうすればいいんだろう。何を考えればいいんだろう。
アオヤギ病院の正門前には、夜中とは思えない人数が集まってた。たぶん全員、報道関係者だ。病院の敷地内には入れそうにない。
「ここで降ろしてください」とタクシーの運転手さんに伝えて、料金を精算した。運転手さんは何か言いたそうに僕の方を何度か見たけど、最後まで何も言わなかった。
タクシーを降りて、人集りのほうへ歩いてく。照明が何機もある。カメラが何台もある。マイクが何本もある。いろんな声が聞こえてくる。
「今日未明、女性が刺されていると通報がありました」
「刺されていた女性は病院に搬送されましたが、間もなく死亡が確認されました」
「警察では、女性が何者かに刺されたとみて、殺人事件として捜査しています」
「現場の状況から、現在、都内各所で起きている連続殺人事件との関連性も疑われます」
ここまでご覧頂きまして誠にありがとうございます。
この作品は、AmazonのKindleストアで販売している電子書籍の中盤(第三章)までを載せたものです。
残りは、第四章(狙撃)・第五章(薬莢)・第六章(硝煙)・エピローグです。
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「覚えといて。綺麗な人ほど、何かに汚れを押し付けてるかもしれない」
都内のテレビ局に勤務している僕ーー月本志朗(ツクモトシロウ)が知ってしまったものは、本当に汚いものだったの?
警察の不正を暴くため、大好きな先輩と美人の幼馴染に協力してもらいながら、月本が辿り着いた場所は、薄暗くて、光が届かない部屋だった。
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