「穏やかなー春の陽光降り注ぐー……」
んー、なんか違うな。
「光のどけき……光のどけき……」
なんかそんな歌があったような気がする。しかし、うまく思い出せない。
歌に詠まれる程に、春の陽気は実際強い魔力を含んでいる。
冬のコタツと同じように、俺の思考力を奪って眠りへと誘う恐ろしいモノだ。
それを防ぐために頭は日陰に置いてあるが、この少し冷んやりする上半身とぽかぽか暖かい下半身の差がまた心地良い。
昼寝するにはうってつけだが、ここで寝ていると間違いなく廊下を通る誰かさんの邪魔になる事は分かっていた。
例えば葛の葉なら、喜んで俺の腹――どころか、顔面を踏んづけて通りそうだ。
「ん?」
トントンと響く小さな足音を捉え、寝転がったまま顔をそちらに向けると空狐がこちらにやってくるのが見えた。
盆に何か載せて運んでいる。
小さな来客は俺の手前で歩みを止めると、おずおずと話しかけてきた。
「あの、オガミさん」
「何だい?」
「良かったら、一緒にお団子でも食べませんか……?」
「んー……じゃあ、俺を踏んでくれたら馳走になろうか」
「え、ええっ!?」
空狐が一歩引いた。当然らしい当然の反応。
俺は勢いをつけて上半身を起こすと、苦笑いを浮かべた。
「はっはっは。冗談だって、冗談」
「は、はぁ」
「そんな顔しなさんなって。ほれほれ、団子を持ってきておくれ。狐さん」
そんな顔にさせたのはお前だろうが、と心の中で一人ツッコミを入れた。
「はい、お茶をどうぞ」
「うむ、頂こう。ふー、ふー……ずずっ。お、旨いなぁ。かぶきりひめのお茶みたいだ」
後半のはお世辞だが、本当に旨いと感じた。
春の陽気がそう感じさせるのか、それとも空狐の気持ちが込められているのか……。
「えへへ、ありがとうございます」
少し恥ずかしそうに空狐が微笑んだ。こちらも連られて笑顔になる。
そのまましばらくお互いに無口になり、団子を咀嚼する作業に没頭した。
「そういえば、さっきの歌は……?」
「ん?あぁ、あれね。なんかそういう歌があったようななかったような……思い出せんのだ」
「もしかして、ひさかたのーですか?」
「何?」
「えーっと、確か……久方の 光のどけき 春の日に……」
「そうそう、それそれ!」
「しづこころなく 花の散るらむ」
「おー、空狐やるじゃん!」
喉に詰まっていたモノがようやく取れた。
「確か、こんな暖かい春の日は気持ちがいいなーみたいな意味だったよな?」
「え?えー……ちょっと違うような……」
実際は、そんな単純かつ馬鹿馬鹿しい意味ではないのだが
結局二人とも答えに辿り着く事は無かった。
「空狐は変わらないな」
「えっ?」
主の独り言に、空狐の手が止まる。
「お茶を淹れるのが上手くなっても、お前は出会った頃からあまり変わった感じがしないんだ」
「そう……でしょうか。自分では、よく分かりません」
「いやいや、別に責めてるわけじゃないからいいんだ」
時は、森羅万象を変化させる。式姫とて例外ではない。
本来であれば、そのささやかな変化に気付いてやる事も陰陽師の役目の一つ。
俺の目もまだまだ節穴かな。視線を上げた先に広がる、澄み切ったあの青空には遠く及ばない。
心の中で苦笑しながら、お茶を再び口元へ持っていく。
暴走した空狐に屋敷の一部を壊された事も、随分前の話。勿論本人は覚えていない。
「オガミさんも、あの頃からあまり変わってないような気がします」
「そうかな?随分式姫も増えたし、おかげで色々手を焼いたり振り回されてるけど」
「私から見ると、根っこの所は変わってませんよ」
「根っこは変わってない?」
「はい」
「…………うーん、ぼちぼち生え際が後退してくる年齢なんだが」
「ぶふっ!」
空狐がお茶を吹き出した。
「ゲホゲホッ……髪の毛の話じゃないですよ」
「わーってるって。冗談だ冗談」
「もう、オガミさんってばー」
「お詫びに最後の一本をくれてやろう」
「えっ、いいんですか?」
「ただし、一つ条件がある」
「……条件?」
「目を瞑って、あーんせよ」
「え……?そ、それって……」
目を見開いている空狐の頬が、ほんのりと赤く染まる。
「何だ、恥ずかしいのか?」
「は、はい……少し……恥ずかしいです」
モジモジする空狐に対し、俺は追撃を仕掛ける。
「この俺が手ずから食べさせてやるなど、滅多にない事だぞ?」
もちろん嘘である。
だがそんな事を知らない空狐は、煩悶の声を呟きながら顔を俯かせた。
その小さな頬は、さっきより赤く染まっている。そのうちシュウウゥという効果音と共に湯気でも出てきそう。
「…………」
むむ、軽くからかってやるつもりが思ったより効果がありすぎたかな。
「あぁいや、その、どうしても嫌ってんなら別に……無理強いは……せんが」
あたふたと弁解を始める俺と、羞恥に悶える空狐。
微妙な雰囲気になってしまった。
「お、お……」
お?
「お願い……します……!」
絞りだすような声で、ついに空狐が意を決した。
「…………」
「…………」
「空狐、何も目ぇ閉じなくてもいいんだぞ」
キスするわけじゃあるまいし。
初めて予防接種を受ける子供のように、目を閉じたまま小刻みに震えている。くそっ、可愛い。
「もうちょっと顔上げて」
「こ、こうですか……?」
「はいストップ」
空狐の口元に狙いを定める。
「あーん」
「あ、あーん……」
ちょん、と下唇に当て。
「ゆっくり口閉じてー」
「……はむぅ。…………?」
違和感に気付いたのか、空狐が目を開ける。
ニヤリ、と笑いかけてやると空狐の表情が一瞬で驚愕のそれに変化した。
「ふぁ!?ふぇ――」
そう、咥えているのは団子ではなく俺の人差し指。
空狐が涙目でヒドイですよ、と訴えている。あぁ、可愛い。
「…………」
「…………」
そのままお互いに硬直する。
俺は空狐が指を吐き出すのを待っているのだが、一方で空狐は俺の指示を待っているらしく動かない。
サッと引き抜くのは簡単なのだが、もう少しだけ様子を……。
「れろっ」
「!?」
指先に、ぬるりとした感触が走る。
「んっ、じゅるっ、れろれろっ……」
空狐の舌が、唾液を俺の指に塗りたくるように動いている。
いっそガブリと噛んでやればいいものを、まさかこういう仕返しで来るとは。
「はむっ」
さらに深く指を咥え込むと、舌の動きが再開される。
顔を赤らめ、上目遣いで見つめてくる空狐の真意は読めない。
怒っているようには見えないが……しかしこの状況、色々と……。
ちゅぽん、と空狐の小さな口から指が引き抜かれる。
「お返しに、私も意地悪しちゃいました」
ぺろり、と空狐の舌が下唇を滑った。
「お、おう……」
「どうしました?オガミさん、顔が赤いような……」
「いや、なんでもねぇ」
「私、何か、その……」
少し不安げな顔になる空狐を、素早くなだめる。
「ほ、ほら、団子やるよ団子。なっ?」
「もう、今度は意地悪ナシですからねー?」
「ほれほれ、あーんせよ。あーん」
「あーん……ぱくっ」
もぐもぐ。
「どうだ、上手いか?」
「オガミさんの指よりは美味しいです」
「空狐も言うようになったなぁ」
「ふふっ」
「隣の客はよく団子食う客だ」
「……何ですかそれ?」
変わる所もあり、変わらぬ所もある。
目の前の少女は、どちらでも良い。
今暫く、この平和な時間を共に過ごしてくれるのならば。
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くーちゃんと縁側でまったり過ごすお話です。
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