No.946932

夜摩天料理始末 36

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/946698

夜摩天さんの名誉の為に言っておきますが、本描写は小説的脚色を含みます……こんなにマズい料理では無い筈……多分。

2018-03-29 20:12:40 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:618   閲覧ユーザー数:616

 揺らぎの無い足取りで、夜摩天の隣に男が立つ。

 盆の上には、覆いを掛けられた、椀。

 その覆いに手を掛けた彼に、俯いたままの彼女が、低く呻くような声を出した。

「ごめんなさい」

「……気にしないでくれ、頼んだのは俺だ」

 寧ろ、悪い事したな。

 そう低く口にした男の言葉に、夜摩天は顔を伏せた。

 

 彼女の言葉が、答えの全てだった。

 奇跡は起きなかった。

 この下には、鬼すら殺しかねない毒があり。

 俺は、それを喰わねばならない。

 

 流石の彼の手も、僅かだが震える。

 ゆっくりめくっていくと、刺激臭が鼻をつく。

(……むぅ)

 成程、これは、良く判らんが凄まじい。

 暗紫色のどろりとした液体を時折割って、何やらぬらりとした長虫がその胴を見せてから、再び液体の下に沈む。

 面には眼球と、最早黒にしか見えない、暗緑色をした何かが浮かぶ。

(確かに、食い物には見えんなぁ……こいつは)

 

「顔を上げられい、元夜摩天殿」

「……都市王っ」

「好きだった料理をさせてやったのですよ、礼を言われこそすれ、そのような目を向けられる謂れは無いと思いますがね……まぁ良いです、そのまま顔を上げていたまえな。その男が、味噌汁……いや、その汚らわしい毒を食う様を、見届けるのです」

「美人にじーっと見られてると、落ち着かねぇんだがなぁ」

 男は軽口を叩いて、にやりと笑った。

「全部食わせて貰うぜ」

 箸を片手に、男は椀を手にした。

 顔に近づけると、立ち上る湯気で目がピリピリと痛い。

 味噌汁の面に浮かぶ眼球が、こちらをじーっと見ている。

 ……しっかりと火が通って無いな。

 というか、火が通ってこれなら、こいつは眼球に見えるだけの何か別の物なんだろう。

 入れた箸が、じゃがいもの味噌汁を煮過ぎた時のような手ごたえを返す。

 さて……どれから箸を付けようかな。

 こういう悩みは、旨い物でやりたいもんだが。

 こっちをじーっと見ている眼球は、後で、汁のような物と一緒に流し込む事に決めて、彼は毒々しい緑の葉を箸で摘まんだ。

 品の良い小さな椀に盛られたそれは、量からすると、三口と言った所か。

 箸でつまみ、口に入れ、噛む……。

「ぐっ!」

 慌てて口を押える。

 噛んだ葉から吹き出す液が、口中を焼く。

「どうしました、一口でおしまいですか?」

 苦しさに耐える、硬くなった彼の背中を、都市王と宋帝はニタニタと笑いながら見おろしていた。

 それでも、男は更にその葉を噛んだ。

 一口……二口。

 唾液が毒を帯びていくのが判る。

 喉を通せば、多分声も出なくなるだろう。

 胃に下れば、内腑を焼くだろう。

 だが、躊躇いをふり捨て、男はそれを嚥下した。

「……なんて精神力」

 閻魔が、覚えず感嘆の声を上げた。

 あの料理は、ある意味で言えば完璧な、判りやすい毒。

 外見も、匂いも、味も、全て生き物が拒絶する要素を練り固めたと言っても過言では無い……そんな毒。

 故に、体も魂も全力でその摂取を拒絶する。

 あの料理は、その、本来の在り様として、そうできているのだ。

 本来であれば、誰も殺すはずの無い、そんな完璧な毒。

 だが、彼はそれを飲み下した。

 男の額に、どす黒い脂汗が浮かぶ。

 排出されようとする毒が、黒い汗になって、男の顔を流れ、入った眼を焼く。

 苦痛の呻きを上げようとするだけで、いや、息をするだけで焼かれた喉が痛む。

 それでも、男は、置いてあった椀を手に、二口目を口にした。

 どろりとした紫色の液体が、喉を通って行く。

 その中で、噛む前に喉に紛れ込んだ長虫が暴れる。

 体の自然な反応として、喉がそれを排除しようと動く。

 吐きだそうとえずく、その口を必死で押さえて、男は上を向いた。

 口中と喉を、不気味な液体と長虫が行ったり来たりする感触がある。

「吐いてはなりませんよ」

「お願いだから、もう!」

 男に駆け寄ろうとする夜摩天に、階の上から鋭い声が掛かる。

「手出しはなりませんぞ!」

 夜摩天の足が止まる。

 都市王の言葉にでは無い。

 こちらを見た男の目が、彼女の足を止めた。

 

 頼む、最後までやらせてくれ。

 

 その意思を、涙の滲んだ目に宿し。

 男は上がって来た長虫を、何とか噛んで、つぶし、喉の奥に流し込んだ。

 次だ。

 朦朧とする視界の中で、何とか椀を手にする。

 これで……最後。

 男は三口目を……最後の味噌汁を。

 箸を使う余力も無かった故に、椀に直接口をつけ、それを流し込んだ。

「ははは、何と滑稽な、箸を使わないとは、犬の如き様ですね」

 今となっては誰も、その軽い戯言など耳にもしていなかった。

 人の身にして、鬼すら含んだだけで吐きだした毒を、二口まで飲み下した。

 そして今、最後の三口目を、自らの意思で口にした。

 ずるん。

 目玉が自分の意思を持つかのように、彼の口中に入り込み、咀嚼する暇も無く喉の奥へ奥へと勝手に入っていく。

 焼けた喉が擦れ、傷口を広げ、更にその肉を、後から流し込まれた毒が焼いて行く。

 その傷から拡がる血管を、毒が流れていく。

 体の隅々までが痛みに浸食されていく。

 毒から立ち上る瘴気が、体を中から腐らせていく。

 気絶も出来ず、声なき悲鳴を上げながら、男は口を押え、体を限界まで曲げて、胎児のように丸くなり、冥府の法廷の冷たい床に転がった。

 

 痛みに強張った体から、徐々に感覚が失われていく。

 朦朧とした意識の中で、願う事は一つ。

 地上に。

 人の世界に。

 彼の時を動かしてくれた少女の待つ。

 彼を信じて力を貸してくれた、式姫達の元に。

 彼女たちと歩む、その旅路を……最後まで。

 

 苦痛に痙攣していた体が動かなくなった。

 荒く吐いていた呼吸音も聞こえない。

「……いや」

 夜摩天の声が掠れる。

「人にしてはよく頑張った物だが」

 都市王が階から下りて、男の傍らに立った。

「所詮こんな物だ」

 その背を蹴った。

「都市王……っ!」

「私の事は夜摩天と呼びたまえ、ついにその料理で人の魂を消滅させる事となった化け物よ」

「……!」

「さて、では、この男の魂を消失させた咎で、君を裁こうか……」

「あんたって奴は……何処まで腐ってんのよ」

 低く、殺意に煮えるような閻魔の声に、それが寧ろ心地よいと言わんばかりに都市王は傲然とした笑みを向けた。

「君の審判も後でやってやるよ、元閻魔、罪状は職務怠慢で誰も異論は無かろう……さて、見る目、嗅ぐ鼻、この汚らわしい代物を運び出したまえ」

 そう言って更にその背を蹴ろうとした、その足が払われた。

 思わぬ事に、さしもの都市王がみっともなく尻餅をつく。

 足が払われたのでは無かった。

 蹴ろうとした背中が動いていた。

「まさか……」

 茫然とした都市王の眼前で、男の手がぴくりと動き、石の床を引っ掻いた。

 二度、三度。

 ガリガリと爪が石を引っ掻く音が、静まりかえった廷内に響く。

 突っ張ろうとする腕が何度か萎え、その度に床に転がりながら……それでも彼は身を起こした。

「あ……あ」

 これが現実なのか疑うような、だが確かに喜びの声が、夜摩天からもれる。

 足が崩れそうになる……だが、彼はゆっくりと立ち上がった。

「……馬鹿な」

 宋帝が信じられない物を見たように呻き、都市王に至っては声も無くその様を……そして彼の足許を見ていた。

 床に、彼の口から流れた血以外の汚れは無く。

「やり遂げた」

 閻魔の声が信じがたい思いに、震える。

 この世界で、初めてあの料理を食べて。

 その器の裡に納めた人が現れた。

 どうなるの、これは。

 髪をざんばらに乱した、その間から、男の眼光が、床に座り込む都市王の顔を睨み据えた。

 その眼光の中に鬼神を……いや、それすら凌駕する何かを見て、都市王の喉がこわばった。

 人如きに、彼は確かに恐怖した。

 私の目の前に居る、こいつは、一体何だ。

「喰ったぞ」

 掠れる声と共に突きだした手の中には、空の椀。

「約定を……果たせ」

 俺を、人界に。

「うわぁっ!」

 更に一歩、都市王の方に踏み込んだ男の背から、剣が突きだした。

「都市王!!」

 座り込んだ都市王が握った剣が、男の胸を、貫いていた。

 最初きょとんとしていた男が、視線を落として、自らの胸を貫く剣と、その手を見て、最後に都市王の蒼白な顔を見た。

「……哀れなもんだ」

 恐怖に硬直した都市王に向けて、男はその剣に貫かれたまま、一歩踏み出して、手を伸ばした。

「くっ……」

 最後の反撃を覚悟して、身を固くする都市王。

 だが、男は、その体になど、何ら価値も無いと言わんばかりに、その頭を飾る、夜摩天の冠に手を掛けた。

「テメェは、人一人の裁判にも耐えられなかった……」

 焼けた喉から、絞り出すような、掠れた声。

 一言毎に、口から血が滴る。

 余りに凄絶な光景に、誰も動けない。

「惨めな凡人だ」

「……私は……私は夜摩天だ」

「いいや……」

 死にゆくその顔で、哀れむように笑って。

「お前には、こいつは、過ぎたものだ」

 男は都市王の頭からその冠を引き毟った。

 こいつは……彼女だけが。

 あの、海と空の色を宿した瞳をした、彼女の頭にこそ。

「ひぃっ!」

 冠を毟られ、髪を乱したまま、都市王は剣から手を離し、へたり込んだまま、じたばたと後ずさった。

 支えが無くなった男の体が、石の床に、ゆっくり倒れる。

 その身を庇う力も、いや、痛みを感じる力すら、もう彼には残ってはいなかった。

 

(……わりぃ、みんな)


 
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