No.944131

孤剣 最終話

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。
童子切の昔語り、これにて完結です。

2018-03-06 20:28:12 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:710   閲覧ユーザー数:698

 童子切の傍らを離れ、青行灯の方に、ゆっくり歩いて行く小夜の背を、童子切はどこか茫然と見送っていた。

 あの顔は。

 

(童子切……ごめんなさい)

 

 その目が、小夜を引き留めようと伸ばそうとした童子切の手を止めた。

(小夜様……)

 人は……何故。

 

 青行灯を見上げるように小夜が立った。

 すっと背筋を伸ばし、恐れげなく、卑屈さも見せず、青行灯に正対する姿は、ぼろぼろになった衣を纏って尚、高貴の風が有った。

「よう参られた」

「ええ、一族の悲願を思えば、当然の選択です」

「そうじゃなぁ、そなたは自身は難しいが、適当な夫を見つけてやろう程にな、そなたのややこに、官職を授ける位は、妾の力を使えばいと易い」

「そうですか……いと易い」

「おお、容易い事じゃ」

「そう……そうですよね、容易い事」

 そう、何も難しい事なんてない。

 小夜は青行灯に、にっこりと笑いかけた。

「……何?」

 どっ。

 小夜は、後ろ手に隠していた懐剣を、行灯に開いた一つ目に、突き入れた。

 式姫である童子切と、この地で、青行灯を封じていた一族の末裔の血に濡れた鋭い刃を。

 その目の中央に、束元まで懐剣が埋まる。

 抉った小夜の手に、確かに何か、得体のしれない手応えが返ってきた。

 やっぱり……こっちこそが、あなたの本体。

 あの女の姿は、男たちという蛾を誘う為に、青白く輝く夜闇に浮かぶ幻。

 わざと、怪我をしている童子切の攻撃を受け止めたりして見せて、自分は道具だと言わんばかりに振舞っていたけれど。

 おじいさまが、厳重に木箱に入れて、ここに奉納した、あなたこそが。

 ぐんにゃりとした感触をかき回す様に、小夜は手の内で懐剣を抉った。

 

 ぎゃあ、と、獣のような叫びが上がった。

 良かった。

 手も震えなかった。

 怖くなんて無かった。

 ただ、彼女の事を助けてくれた人の事だけを考えて。

 私は、自分が為すと決めた事を成し遂げた。

「童子切!」

「おのれっ!」

 青行灯が、左手で小夜を突き飛ばす。

「きゃっ!」

 咄嗟の事とて、力の籠もらぬ一撃であったが、小柄な少女の体が僅かに宙を飛び、地に転がった。

「おお、おのれ、おのれ!」

 行灯の口から、男の声での叫びと共に、青白い炎が無差別に吹き出す。

「あああ、何故じゃ……何故妾を害す」

 青行灯もまた、目の辺りを押さえて、苦鳴を上げる。

 その炎を縫って、童子切が走り込んで来た。

 

 式姫と主は、言葉なくとも、互いにその意を通じ合う。

 あの時。

(……ごめんね、童子切)

 後はお願い。

 その主の決意を、覚悟を……私は確かに受け取った。

 踏み込む足に、妖炎によって付けられた火傷から、発狂しそうな程の痛みが走る。

 だが、まだこの足は付いている。

 ならば前に踏み込め。

 

 汝は、刀なり。

 

 我が主に、戦う意思があるならば、貫く覚悟があるならば。

「寄るな!寄るなぁ!」

 青行灯を取り巻くように放たれた炎が、童子切を阻むように壁となって立ち上る。

「笑止」

 この一剣もて、我が主の道を切り開くために。

 地鳴りを伴う程の踏み込みが、炎の壁を、障子紙か何かのように、容易く貫く。

「ひぃ」

 青行灯が、おのれの体を盾にでもするように、行灯を後ろ手に隠した。

 例え、この身が折れようと。

 童子切の刃が、鞘内を滑る。

 優美な曲線を描く、二尺六寸五分の鋼が、空気すら両断するかのように、刹那に閃いた。

 

 我、敵の命を両断す。

 

 いつ抜かれ、いつ納められたのか。

 身を起こして、じっと童子切を見ていた小夜にも、辺りで息を詰めていた猿神も……。

 いや、無心で刀を振るった童子切すら、判らなかった。

 ああ。

 どこか官能的ですらある吐息が、僅かに夜の中でささめく。

 それが、童子切の物だったのか、青行灯の物だったのか……。

 もしかしたら、二人の物だったのか。

 かちゃん。

 青行灯の後ろで、金属製の何かが地に落ちて跳ねる音がした。

「……見事だ、式姫」

 地上で、青白い炎が、半分になった行灯からゆらゆらと燃える。

 そして、青行灯の半身もまた、炎に包まれていた。

 童子切の刃に両断された、その傷口から……内側に納めていた炎が溢れだす。。

「此度の百物語は……妾の滅びで締める事となったか」

 それも一興。

 男と女の声が、どこか愉快がるような響きを帯びて、しばし低い笑いを響かせる。

「さようなら……青行灯」

 その、童子切の言葉に、頷くようにして……。

 青行灯の体が、灰となって、ぱさりとそこに崩れ落ちた。

 その身を包んでいた、青白い炎が千切れながら空に昇って行く。

 見果てぬ雅を追い求めながら、ついにこの山里を離れる事叶わなかった魂が。

「……綺麗ね、まるで蝶みたい」

「そうですねー」

 今自由を得て、飛び去って行った。

 

 それを、童子切と小夜は静かに見上げていた。

「平安の御代より続いた百物語が、終わっちゃいましたねー」

 どこか寂しそうに、童子切の呟きが空に溶けていく。

 敵ではあったが、また一つ、自分の知っていた存在が消えた。

 この、何とも言えない寂寥感には、慣れる事が無い。

 最後まで、童子切は青行灯に告げられない事が有った。

 今はもう、都に雅など残っていないのだと。

 青行灯を呼べるような……そんな、腐敗とも熟成とも付かない、濃く、甘い香りを纏う……そんな爛熟した文化の時代は、とうに終わってしまっていたのだと。

 また、あのような妖が産まれる時代は来るのだろうか。

 それとも……。

 ぎゃーぎゃーと喚く猿の声で、童子切は、ふと我に返った。

 木々を揺らし、猿たちが逃げ去っていく。

「……ねぇ童子切、あの猿たちはどうなるのかしら?」

「妖気の源が無くなった以上、あの程度なら、放っておけばだんだん正気に戻ると思いますよー」

「そう、良かった」

 まぁ、消えていく妖気を己の体内に納め、増幅し、いずれ猿神になる者が現れる可能性が無いでもないが……それは、小夜に告げてどうこういう話でもあるまい。

 それより……だ。

「小夜様は、これからどうされます?」

「あら、面白い事を言うのね、童子切」

 くすっと笑って、小夜は童子切の傍らに立った。

「貴女と酒盛りをする約束でしょ」

「……そうでしたねー」

 童子切の唇が、既に美酒をその口に含んでいるかのように、自然に綻んだ。

 よっと、刀を杖に、脚を引きずって歩き出す。

「大丈夫、歩ける?」

「大丈夫とは言いませんが、私、お酒呑んだ方が傷の治りは良いんですよ」

 呑ませてくれるんですよね?

「お酒は百薬の長?」

「うーん、その言葉の使い方としては違うと思いますが、まぁ、私に関しては、間違ってはいませんねー」

 二人が歩き出す。

 ゆっくりと森を抜け、街道に出る。

 人の世界に帰って来た……そんな実感を込めて、二人は同時に深呼吸して……お互い苦笑した。

 じいやの隠れ小屋はこっちよ、と村と反対の方に小夜が歩き出す。

 一年前に亡くなってるから……今では私だけの小屋かしら。

 そう寂しそうに、小夜は笑った。

 落人の住まう村には、こんな風にいざと言う時に逃げ込める隠し田や、隠れ家が有る物だ。

 それは、村人にも誰にも知らせずに、作る物。

 何かの時に敵に村が襲われた時、知らなければ、お互いの隠れ家に関して、口の割りようも無いから。

 大変よね……人間って。

 歳に似ない、どこかほろ苦い表情で、小夜はそう呟いて、思ったよりしっかりした小屋の入り口を引いた。

「火傷に効く薬草、取ってくるわ、童子切は鎧を脱いで休んでて」

「助かりますよー、さすがにしんどかったです……所でですね」

「判ってるわよ、ちょっと掛かると思うから、その間はお酒でも呑んでてね」

「いやー、持つべきは物わかりの良い主ですねー」

「童子切ったら……ちょっと待っててね」

 ふふっと、小夜が笑う。

 童子切はその笑顔にどこか安堵した。

 それは、年相応の、まだ、あどけない物で。

 この、過酷な生を突きつけられた少女の中に、まだ笑みが残ってくれていた事に。

 

 童子切の前に、五合徳利と、木をくり抜いて作られた茶碗、そして大根と胡瓜の漬物が並んだ。

「ごめんなさいね、こんな器しかないの、でもお酒は絶品の筈よ」

「それはそれは」

 さっそく頂戴します、と注いだ徳利からは、思っていたより濁りの無い、見るからに旨そうな酒が零れだした。

 馥郁と立ち上る香りに、思わず童子切の喉がごくりと鳴る。

「……これはこれは、実に美味しそうな」

「じいやはお酒好きでね、よく山の幸を下の村と交換してたのよ」

 しかも、氷室まで用意してお酒集めてたのよ、凄いわよね。

「では、頂戴します」

 くっと口に含んで、童子切は、世にも幸せそうな笑みを浮かべた。

「よもや、山奥でこんな美酒にありつけると思っていませんでしたよ、いや、怪我の痛みも疲れも吹っ飛びますねー」

 そう言いながら、大根の漬物を齧って、ぱりっという良い音を響かせる。

「これは……なんとも」

 塩加減も出汁も絶妙な糠漬け。

「小夜様、これは酒屋でも開かないと勿体ないですねー」

「喜んでくれて嬉しいわ、この位しか、私には出来ないから」

 暫し童子切の飲みっぷりをニコニコと眺めていた小夜が、土間の方に立った。

「それじゃ、火傷の薬取ってくるから……」

 草鞋を履き直して、小夜が童子切の方を向いた。

「ね、童子切」

「なんですかー?」

 

「本当にありがとう、私を助けてくれて」

 

「いえ……」

 救われたのは、果たして、どっちだったんだろう。

「それじゃ、行ってくるわね……きゃ」

 歩き出そうとした、小夜の足が少しもつれた。

「小夜様!」

「……大丈夫、ちょっと立ちくらみしただけだから」

 流石に一晩中動いてたから、ちょっと疲れているみたいね。

 そう笑って、戸口の向うに歩いて行った小夜の背を、童子切は、どこか寂しそうに見送った。

(……ああ……やはり)

 童子切は、脚の包帯を外した。

 そこには、爛れも無く、淡い薄紅の肉が、すでに再生してきていた。

 痛みも、とうに無い。

 やはりそうなのだ。

 式姫と主の縁深い時、主の力は、式姫の力を支え、そして高めてくれる。

 青行灯に放った最後の一撃は、間違いなく、童子切一人の力では放つ事が出来る物では無かった。

 だが、それが意味するものは……。

 童子切は、手にしていた酒を干すと、徳利と椀を手に、立ち上がった。

「……約束ですから、このお酒とお漬物は頂戴していきますねー」

 つ……と。

 目の端から零れた雫が、窓から差し込んできた朝の光を弾いて床に散った。

 

「さようなら、小夜様」

終幕

 

「……別れも言えず、か」

「はい」

 私は、あの少女を。

 父も、村も、何もかもを失った少女を放り出して……また、旅の中に戻って行ってしまった。

「仕方ない事だったが……辛ぇな」

「ええ」

 式姫の主たる者には、絶大な力が要求される。

 その為に、陰陽師は己を鍛え、ある者は自身の霊力で、またある者は、天地自然の力を味方につけ、それを借りて、彼女たちを支えた。

 現に彼もそう……。

 この庭に満たされた巨大な力によって、彼は、彼の下に集った式姫達の戦いを支えている。

 だが、その小夜という少女には、陰陽道の心得も、霊地の加護が有るでも無い。

 人の体一つで式姫を支えようと言うのは、凡そ、不可能な話なのだ。

 童子切は、小夜の為にも、彼女と別れねばならなかった。

 男は、黙って童子切の杯に、最後の酒を注いだ。

 こくり……。

 音さえ凍るような夜の中、童子切の喉の音が微かに響く。

 

「ご主人様」

「……何だ?」

「言って詮無き事は理解してるんですが」

「ああ」

「私は……どうすればよかったんでしょう?」

「そうさな……」

 男は、杯に残った僅かな酒に視線を落とした。

 どこか、そこに映る自身に問うように。

 童子切の手にした杯の中の酒が、半分ほどなくなった頃、男が口を開いた。

「なぁ、童子切よ」

「何でしょう?」

「俺には童子切の行動の良し悪しは言えねぇ……けどな。」

 俺の見も知らぬ、彼女の主だった人よ。

 だけど、君も、多分俺と同じ。

 陰陽師でも無いのに、いきなり彼女たちの主という立場に立ち……そして共に戦う事を選んだ。

「小夜さんは、気が付いていたんじゃねぇかな」

「……え?」

 自分が童子切とは一緒に居られないと。

 式姫と心を通じ合わせたその時。

 童子切という存在の大きさと、それを納めるだけの器が、己に有るや無しやを。

「小夜様……が」

「本来なら、傷の治療を優先するもんじゃねぇかな……でも、彼女は酒とあてを準備してから、薬を取りに行くって童子切を一人にした」

「……あ」

 あの時の彼女の表情が、時を隔てて、今、鮮明に思い出せる。

 

(本当にありがとう、私を助けてくれて)

 

 もう、多分二度と会えない貴女に。

 お別れは、私からは言えないから。

 だから、せめて感謝だけは伝えたい。

 ありがとう、そして、さよなら、童子切。

 私の……式姫。

 

「小夜……様」

 俯いた童子切の背に、羽織がふわりと掛けられた。

「……ご主人様」

「風邪ひくなよ」

 それじゃお寝み、童子切。

 それだけ言って、足音が遠ざかっていく。

 それが聞こえなくなった頃、童子切は顔を上げた。

 上げた目に映る月が滲んでいる。

 百の時を隔てて、今ようやく、私は貴女にちゃんとお別れとお礼が言えそうです。

「私こそ、ありがとうございました、小夜様……」

 貴女に出会えたあの日から……私は孤剣ではなくなった。

 だから、私は、ここまで旅を続けることが出来ました。

 そして、これからも。

 きっと……。

 

              式姫プロジェクト二次創作小説 孤剣 了


 
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