第66話 美味探訪
あの食事処は、確かこっちのほうだったなあ、名前はなんだったかなあ、と思いながら歩いていると、俺を呼ぶ声が聞こえた。
「一刀殿! 探しましたよ!」
この声は鴻鵠か。珍しい、わけでもないけれど、探していた、ということは何か用事でもあるのだろうか。
「どうしたの鴻鵠? わざわざ探してた?」
「はい。一刀殿はこれから何か予定はありますでしょうか?」
「予定……というと今日は重要なことはもうないかな。こっちのほうにとても美味しい飯屋があるって聞いててね、一人で行ってみようかと思ってたくらい。名前も知らないんだけどね。鴻鵠もまだなら一緒にどう?」
「まさか、
俺がこっちへきた理由を告げると鴻鵠はかなり驚いた表情をした。そんなにヤバイところなのか?
「有名なの?」
「はい。元々は朝廷の使者をもてなすために作ったらしいのですが、今は富裕層向けに贅沢な食事を出すところに変わっています。」
なるほどなあ……。資本主義的な国つくりをしているところもあるからやむを得ない面ではあるけれど、やはりここでも貧富の格差はできつつあるのか……。
「予約なしでいけるかわからないけれど、行くだけ行ってみようか。そこで鴻鵠の話も聞ければいいし。案内できる?」
「もちろんです!」
そうして鴻鵠に連れてきてもらった場所にあったものの第一印象はお屋敷だ。一般的な食事処とは違い、「いらっしゃいませ~」といったような活気のある声が飛び交っているわけではなかった。入り口には一人の男性が立っている。来店者の確認と接客のためだろうか。
「さて、聞いてみようか。鴻鵠もおいで。」
「はい……。」
明らかに一般人の入る店ではないと理解したせいか、鴻鵠はかなり緊張しているらしかった。俺も緊張するけど開き直るしかない。とはいえ金が足りてくれることを祈るのみ……。
「こんにちは~。」
「これはこれは……。北郷殿と太史慈殿ではありませんか……。いつ来ていただけるのか密かに楽しみにしておりましたが、ついに……。」
客商売だからこの都市の金持ちの顔と名前くらいは覚えている、ということなのだろうか。楽しみにしてたってことは仲間うちでも俺らが一番先かあ。皆の中で興味ありそうなのは俺くらいだもんなあ……。美味しいものを食べるのってわりと好きなのだけど、皆はそこまで興味が無いらしい。
「予約、とかしてないけど入れる?」
「もちろんでございます。最高の個室でご案内いたします。」
最高の個室て……。顔がちと引きつるなこれは。
「一つお伺いしてもいいだろうか?」
「なんでございましょうか?」
「他の訪ねてきた者にも同じ対応をしているのですか?」
「いえ。基本的に以前からお付き合いさせてもらっている方以外の入店はそもそもお断りさせていただいております。ですが北郷殿や太史慈殿たち為政者の皆様は別でございます。この地を平和にしてくださった英雄様たちですから、入れなければ店の名が廃ります。」
鴻鵠の問いにはそう答えていた。いわば一見さんお断りの店か……。どうしてそれで商売が成り立つのかちと疑問だけどそれより支払いの話を先に聞いておくか。恥ずかしいけど……。
「先に言うのもすごく失礼な気がするけど、支払いってこれで足りる?」
見せた額は一般人なら1ヶ月分の食事代に相当するくらいの額だけども……はたしてどうなるやら。
「間に合わせることもできますし、遊びたいというのであればその倍くらいは。ただ太史慈殿もいらっしゃるのにそれはいかがかと僭越ながら個人的には思いますが……。ただ、必ずしも今日お支払いしていただく必要はありませんよ。こちらとしてはそのほうがありがたいです。」
遊ぶってアレか? 女性を呼んでお酒注がせて琴でも弾かせるのか?? 全く経験もない話で多少興味はあるけどさすがになあ……。祇園のお茶屋さん?とか俺とは縁もゆかりもなかったそういう世界の話のような気さえする。
「要するにツケということ? なぜそのほうがありがたいのかな?」
「仰るとおりです。それは要するに何度も来ていただけるということですから、私どもにとってもそのほうがありがたいのですよ。」
これは俺が今まで生きてきたのとは違う世界があって、それを知るっていう感じのような気がする。それ自体は楽しいしどんな食事が出てくるのかすごく楽しみだけど、やっぱり少し緊張するなあ……。
「みんなに知られるとちょっとよろしくないから今日はそれで足りる範囲で作ってもらってもいいかな? 今度予約して皆で来るからそれからツケにしたい。」
「かしこまりました。それは大変嬉しいことです。こちらです。」
3階建ての建物の3階、窓からは都市がよく見える。いいところだなあ……。
「こんなにいい部屋が空いていたのですか……。」
「空いていた、というよりも“空けておく”と言ったほうが正しいかもしれませんね。特別なお客様が来てくださる可能性がありますので、常に余裕はもっておくようにしております。」
高級店ってそこまで気を使っているのか……。たぶん旨い飯が出てくるとは思うけどそれなら今後の接待はここを使うってのも充分ありだなあ。彼らにとっても州牧から重用されるというのはお金も入ってくるしいいことだろう。それで国庫が傾くようなことがなければ問題はさほど出ないはずだ。朱里たちに相談してみるか。
「なるほど……。ちなみに食事中に席を外してもらうことってできる?」
「もちろんでございます。水やお酒がほしいとき、あるいは次の料理をもってきてほしいときは鈴を鳴らしていただければ伺います。もちろん耳に入った会話が他言無用なのは当然ですが、そういったご要望にも可能な限りお応えいたします。」
心遣いもさすがだなあ……。そして席についてひとまずと出された梅酒の旨いこと。これは料理も期待できそうだ。
「さて、鴻鵠。探してた用件って何だったの?」
「はい。一刀殿にいくつか相談したいことがありまして。一つは母のこと。もう一つは“警察”の職務内容に関わることです。」
「なるほど……。お母さんの話はここでしてもらって構わないけど、職務内容の話は戻ってからだね。俺の部屋でじっくり聞くよ。」
「ありがとうございます。ひとまずいただきましょうか。これが前菜ですか。クラゲの酢の物とのことですが、そもそもクラゲが食べられるとは……。」
たまに胡瓜なんかと酢の物にして母親が作ってくれたことあったけど、まさかそれをここでも食えるとはなあ……。このコリコリした食感好きだわ。
「猪やら兎まで食べられるんだし、クラゲ食べててもそこまで驚くことはないかな。とはいえとても美味しくていいね。それにこのお酒、老酒もすごく合う……。」
「確かにそうですね。で、話というのは下邳に異動が決まることを母に報告したらまた同じことを言われてしまって……。さすがに喧嘩をしたりはしませんでしたが、今後行くのがちょっと憂鬱にはなりつつあるんですよね……。」
「同じこと?」
「はい。一言で言ってしまえば武に重きをおくなと。北海は太守が悠煌さんで、空き時間に弓や騎射の指導をしていただけてだいぶ上達したので、余計に腹が立ってしまって……。ましてや嫁のもらい手がなくなるぞとまで……。」
どう言ったものかなあ……。そもそも鴻鵠のお母さんって俺はすごい人だと、会ったこともないのに尊敬してるから、その話からかなあ……。
「まずね、前提として一つ言っておくことがあるとすると、俺ね、鴻鵠のお母さんはものすごい人だと思ってるんだよね。まずはそこから話そう。」
「母がですか?」
「そう。だってね、鴻鵠に学問やれって言って孔融さんに習わせたのはお母さんなんでしょ? それってものすごいことなんだよね。」
「はい、確かにそれは母の教えですが……。」
俺がそんな話をするというのは鴻鵠にとってかなり予想外の話であるらしかった。身近な人のすごさってなかなかわからないものだし、そもそもそういう見方をする人が少ないだろうからなあ……。
「でしょ? 悲しいことに、街には文字が読めない人はたくさんいるんだよ。だってそもそも使わないもの。
でも、翻って俺ら為政者の側を見たときに、文字が読めない人は誰もいないんだよ。鈴々だって愛紗が個人的に教えて文字の読み書きはできるし、焔耶も紫苑に言われて勉強したらしいからなんとかできる。」
むしろ俺ができませんが、という話はするとややこしくなるからしないことにした。いわば文の世界であの2人よりできないことがあるのはかなり悔しいけど白文の漢文の勉強をする暇があったら今ある教材で英語とか数学やるか武術の鍛錬をしたいというのが本音なんだよなあ……。
「それにいわば管理職、要するに報告書書いたりする俺らの部下も全員読み書きはできるんだよ。つまり、学問もできないと出世ができない。でもそれに気づいてるのなんてそれこそ朱里たちみたいな知識人の人たちくらいなんだよね。それに言われずに気づいて娘に学問させたっていうのは相当のことだよ。度胸もあったし当初はたぶん叩かれたと思う。」
「え……。叩かれた、ですか?」
「いつから武術できたのかは知らないけど、普通だったら武術やれって言うか、自分の絹織る手伝いやれって言うと思うし、周りがなんで手伝わせないのか相当色々言ったであろうことは想像に難くないんだよ。」
俺の世界でさえ、学問、勉強なんてどうでもいいと考える親が多少はいる。さすがに少数派だろうけども、確実に。しかしここでは俺の世界とは真逆で学問なんてゴミ、子供は遊べ、大人になったら家業を継げ、それだけだ。そこで学問をやらせたのは相当に度胸のいることだったろうと思う。おかげでウチの看板の一人にまでなってくれたのだから感謝しかないけれども。
「確かになぜそれを手伝わせないのかは私も疑問には思っていました……。聞いてもこんなことやらなくていいとしか言ってくれませんし……。なぜなんでしょうか?」
「学問を修めればそれこそ“故郷に錦を飾れる”と思ったからじゃないのかなあ。家業を手伝っても今より上にはなれないっていう判断なのかも。武に重きをおくなってのがどういうの意味なのかわからないから何とも言えないところはあるけれど……。」
「どういう、とは?」
「武をこれ以上伸ばしても伸びしろが少ないから別のことやれって言ってるのか、そのうち武じゃなくて文で国を治める時代が来るから学問やれって言ってるのか、あるいは他に何かあるか。
後者ならそれは充分ありな考えだと思う。前者なら正直俺にはわからんから愛紗とか悠煌、星あたりに聞いた方がいいと思う。俺より鴻鵠のほうが武強いし、今後どこを鍛えたらどう伸びるかなんて俺には判断できない。
そもそも騎射苦手なの?」
「はい……。北海での戦で悠煌さんが騎射であっさり敵将を射殺したことがありましたが、私は大の苦手です……。ただ、悠煌さんに聞いたらそもそも最初から騎射をやろうとするのが間違いだと言われまして……。」
「と言いますと?」
「まずは普通に立った状態で遠くの的を射貫く、それが弓の基本だということです。目から鱗が落ちた思いでした。さすがにそれくらいはできたのですが、悠煌さんに言わせれば馬の上でそれをするだけだと。そして私は才能だけでこれまで弓をやってきていたということでした。まずはすべての動作を考えて、要するに意識化して、できるようになったら考えずに、要は無意識でやれるようにする、それができないと騎射で敵将を射貫くのは無理だと……。さすがに騎射が上手くなるまでは上達していませんが、弓の腕前自体は昔より格段に上手になったと自分では思っています。」
悠煌も愛紗や星みたいに天才肌の印象があったけど決してそれだけじゃないのだろうか。それに意識無意識の話は俺も剣道でされたことがある。あるいは勉強でも。
それをやると動作が格段に速くなるし、なにより最終的には意識せずにできるようになるから他のことに意識をより向けられるようになるのだ。
「なるほどなあ……。鴻鵠も自分の苦手なところを上手くなるために頑張ってるんだな。さすがだ。」
後書き
徐州は位置的に江蘇料理に分類されるのだろうと思われますし、現代のような中華料理ができたのは宋代以降のようであり、また満漢全席などの宮廷料理が盛んになったのは清代のようですが、干しなまこなど大半の食材は当時からあったのだろうという判断で書いております。
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第5章 “貞観の治
物理的に時間がなかなかとれず、執筆がかなり遅れてしまっておりますが、今後も更新を続けていきたいと思っておりますのでどうかよろしくお願いいたします。