No.897773

読心裁判新刊「まるで悪意のない変Tがさとりを襲う」本文サンプル

FALSEさん

久しぶりに頭の悪い本を書きました。
3月26日(日)「東方合同祭事伍」内部開催の「地底の読心裁判-控訴-」にて新刊を頒布します。ファッションセンスが致命的に合わない地獄の女神をさとり様が受け入れて一週間ガマンするお話です。頭の悪い本です。二回言いました。読16「偽者の脳内」にてお待ちしております。
イベントのみの頒布となりますので、悪しからずご了承下さい。
表紙とか: http://www.tinami.com/view/897776

2017-03-18 22:51:34 投稿 / 全18ページ    総閲覧数:1119   閲覧ユーザー数:1119

 

 

 

 序

 

「この汚らわしいうすのろめが」

 古明地さとりのみぞおちに、鋭い足が食い込んだ。

 妖怪だって、痛いものは痛い。苦しんで地べたを転げ回る。そのたんびに地面の泥やら枯れ草やらがまとわりついて、麻のボロ服をさらに黒く汚していった。

 ぐるぐる回る世界の中に青白い女どもが何度も横切り、さとりの姿をアハハウフフと嘲笑う。

 なんというはずかしめだろう。頭の中で怒りがとぐろを巻いた。

「みじめな、やつだ、と、おもいましたね」

 頬にガツンとかかとが刺さり、さとりの寝返りを無理やり止める。血走った目を向ければ、さとりを足蹴にするのもまた着物を淫らに着崩した長い長い黒髪の女だ。

「ああ、汚らしい。足が腐って落ちてしまう」

 口じゃそんなことを言っちゃあいるが、頬に食い込む足の重みはますます強まるばかりだ。この女、さとりの頭を蹴り潰して二目と見れぬ面に変える気満々である。

「左様さ。人の考えを読むしか能のない、なけなしの忌みを啜る木っ端のごときあやかしが、惨めでのうてなんであろう。そんなやからが小癪にも、我らの贄をかすめ取ろうとしよる」

 女はこれ見よがしにさとりの頬へ、足をぐりぐりとなすりつけた。周りでそれを楽しむ女どもの心の声が、ヤッテシマエヤッテシマエとかしましい。

「貴様がごとき卑しいサトリなど、山奥に篭り泥でも食んでおればよいのだ。さもなくばその忌々しい目玉を潰して、哀れな抜け殻になるのが似合いぞ。ほれ貴様の妹の、なんと言うたか」

 血が鮭の里帰りみたく頭へ昇っていく。

「それとも、何か。貴様らに心の声を繰り返す以外の取り柄があるてか。ほれ何か出してみよ。せめて我らがもう少し楽しめるよう努めてみせよ」

「……くせに」

「なんだと?」

 びたり、と女の頬に冷たいものが触れた。

 女は目を見開くと半ばむしり取るように、頬に張り付いたそいつを手に取った。

「ぎ、ぎゃああああああああ!?」

 女の顔が、若木が痩せ枯れるみたいにしわくちゃに歪んだ。金切り声をあげながら、手にまとわりつくそいつを振り払おうとする。

 だが、無駄だ。新しいのが次から次へと湧き出して、女の顔に、素肌にぬるっとした液体の筋を残していく。さとりを踏みつける足にもそいつはいた。

「ひい、ひい、ひいいっ」

 様子を眺める女たちが、いっせいに色めき立った。さとりは暴れ狂う女を捨て置き、女たちに向けて顔を上げる。悪夢みたいなその顔を。

「おまえら、なんか、よわいくせに」

 さとりの目から、口から、そいつがぼろぼろとこぼれ落ちた……大粒のナメクジの群れが!

 森はあっという間に、地獄になった。

 

 §

 

 全てを片付けると、さとりは痛みなどどこへやら、山道を駆け馳せていた。

「みんな、みんなやっつけたわ、こいし。もうあいつらを怖がることもないの」

 たどり着いたのは山林の奥、薄暗い森の中に設けられた小さな庵だった。木々と枯れ枝を組み合わせ、むしろを上に乗せただけのそいつが本当に庵と呼べるのかどうかは、さておこう。

「もうあんたを傷つけるやつはどこにもいない。だから、どうか」

 そう言って庵の薄暗い穴ぐらの中まで踏み込んでいく、と。

 オレンジ色の明かりに照らされた小綺麗なカウンターバーが、中に広がっていた。

 さとりが入り口で固まってる間に、後ろで重い扉がバタンと閉まる音がする。

「ようこそー、バーボンハウスへー」

 声をかけてきたのはカウンターの内側の、マスターらしき女であった。白黒のワンピースにボンボンをいっぱいくっつけ、サンタクロースじみた赤いナイトキャップをかぶっていた。

 さとりがまだまだ固まってる間に、女は琥珀色の酒で満たされたグラスをカウンターに置く。

「このテキーラはサービスですので、まずは飲んで落ち着いてください」

「なるほど、この脈絡のなさ。どういうことかわかってきました」

 ようやく動いて席に着く。着物はいつの間にか、シルクのシャツとスカートに変わっていた。

「夢ですよね、これ。どういう趣向ですか。あなたがあの悪趣味な夢を私に?」

「いえいえ、悪夢を見たのはあなた自身。私もその悪夢の元凶に少々関わっていた時期がありまして、それで引き寄せられたものかと」

「何はともあれ、関係はあるのね」

 さとりはテキーラを口に含んだ。なぜか妙に強い味がした。

「それはさておきあなた、きちんと眠れてないでしょ? 悪夢の原因は多々あれど、おおむね普段の生活が乱れて、ストレスを感じているから見てしまうのですよ」

「余計なお世話ですわ」

「何はともあれ、私はここではただの傍観者ですのでー」

 女はへらへら笑いながら、さとりの肩に手を置いた。

「まあ、ありきたりな激励ですが、頑張ってください。あれは誰にとっても強敵です」

 

 §

 

 いつもと変わらない自分の部屋の天井が、目の前に見えた。

 まぶたがひどく重たかったのだが、起きないわけにはいかなかった。地霊殿のあるじが寝坊などしていたら、ペットたちにとても示しがつかない。

(悪夢はまだ続くのね)

 さっきまで見ていたのが、胸糞の悪い夢だったことくらいは覚えている。布団をはねのけ、クローゼットに歩み寄り、そこから少し考えにふけった。

 錆びついた音を立て首を横に向ければ、小脇に控えた小テーブルに衣類が一式乗っていた。

 黒い半袖の、襟元が大きく開いたTシャツだ。毒々しい赤で血しぶきが描かれたそいつには「Welcome Hell」などと書いてある。スカートは赤青緑のトリコロールに彩ったチェック柄。

 一度そいつを見て、ため息。

 クローゼットに手をかけたところで動きを止めて、二度見した。

 そして、もう一つため息。結局テーブルに進路を変えると、その変Tに袖を通した。

 いったいどうして、こんなことになっているのか。そいつを知るには一週間ほど前、さとりに起こった出来事を話していかなければなるまい――

 

 零日目

 

「近日中に、地獄の女神様が旧地獄の視察をすることになりました」

「ええ、その面倒を私に見てほしい、ですか?」

 地霊殿特製のローズティーをたしなむ四季映姫・ヤマザナドゥの表情は、限りなく硬かった。

「私などに比べたら、はるかに格上の相手です」

「十王様がたよりも?」

「同格か、それ以上の。異邦の神ですから、さしづめ別部門の大物といったところでしょうか。旧都の住人に粗雑に扱わせるわけにもまいりません」

「是非曲直庁で直接おもてなしなさってはいかがですか?」

 楽園の閻魔が力なく首を横に振る。こういう映姫の様子は、滅多に見られたもんじゃない。さとりとしては興味深かったが、茶々を入れられるような空気でもなかった。

「先方はあくまで割譲地の視察と滞在を望んでおられます。それにこれは、あなたにとってもよい機会となり得るものです」

「女神に顔を覚えてもらうべき、ですか。媚でも売ればいいんです?」

「そうではなく。あなたは少し減刑のことを考えなさすぎる。然るべき相手に然るべき敬意を払うべきだということですよ」

「単純に言い方を変えただけのような気がしなくもないです」

 映姫は渋い顔をさとりに向けた。

「神違いとはいえど、地獄の最高権威です。誠意を尽くしてもてなせば善行になるばかりか、地獄の衆生を減免していただける可能性すらある。それだけの便宜をはかる程度に口をきけるかたでもあるのです」

 さとりは映姫の、毎度繰り返されるこの手の説教にあきあきしていた。旧地獄の怨霊を管理するとがを負ってもう何年か忘れてしまったが、彼女は依然としてさとりの減刑に余念がない。

「職権濫用は気が進みませんが、あなたに拒否権はないと思ってください。十王様全員一致で承認済みです」

「押しつける気満々ですね」

「期待の裏返しということです」

 断れば地霊殿の主の地位を奪われ、もっと重い仕事を負わされかねない。気が進まないが請け負う以外に道はないのであった。

 だがしかし、全然駄目ってわけでもない。誰に対しても物おじしない、時として十王にすら物事をズバズバ言うこの閻魔が、いつになく心をこわばらせているのがわかるからだ。映姫をここまで追い込む女神がどれほどのものか、見てみたいという興味はあるのだった。

 

 一日目

 

 地霊殿は元焦熱地獄の真上に造っただだっ広い敷地に建てたお屋敷で、人型ペットに貸し与えてもなお余る程度の部屋がある。そのくせさとりに近づきたがるやつなどいないものだから使ってない部屋なんて両手じゃ足りない。さとりはそのいくつかを適当に見繕うと、ペットに掃除させて洗い立てのシーツをベッドにあつらえ、出迎えの準備を万端整えたのであった。

 当のさとりはあらかたの指示を出し終えると書斎に戻って、三文小説の続きを書いていた。

 部屋を訪ねてきた火焔猫燐はそんなさとりの様子を見て、呆れた感想を思い浮かべたものだ。

「びっくりするほど普段と変わりありませんねえ、ですか?」

「だって地獄のお偉いさんが来るんですよ? もう少しかしこまったほうがよかぁないすか」

「滞在期間は一週間もあるのよ。下手に猫をかぶってボロを出すくらいなら普段通りにやったほうがいいわ。不安がないと言ったら嘘になるけど。神様とはいささか相性が悪いからね」

「さとり様の場合風の神さんでなくても、そりの合うかたはまれだと思います」

「ほっといてちょうだい。ま、お空に神様を飲み込ませたあいつだって私を嫌ってノンアポでやらかしたのだから、心を読めないなんてことはないでしょうよ。女神のご機嫌を取り損ねるなんてことは、そうそうないと思いたいけれど……」

 びゅん、と頭の上を青白いかたまりが通り過ぎていった。地霊殿に住み着く怨霊どもだ。

「ちょっと、あいさつもなしに入って来るなんて」

 不平を言う端から新たな怨霊が壁をすり抜け、通り過ぎる。さとりの顔にしわが寄った。

「お燐、執行班を招集。エントランスホールへ向かわせなさい」

 燐もわかった顔で書斎から走り出る。さとりもすぐさま重い腰を上げた。

 通路なんかはもっとひどい騒ぎで、壁抜けのできない獣どもが逃げ場所を探している。こういう時にはペットのどいつかが「野生帰り」を起こしたものと相場が決まってるのだ。

「でも、よりによってなんで今日なのかしら」

 逃げていくやつらの心を盗み聞きしたところによると、野生帰りを起こしたのはペットの中でも最大の部類に入る洞穴ライオンときた。当然、肉食獣であるからして力も強い。こいつが暴れ出せばペットが何体か食い殺されたっておかしくはない。しかもその場に女神がやってきて襲いかかったとなれば、そりゃもう目も当てられないというわけだ。

 すでに無慈悲なヘルハウンド執行部隊がペットの鎮圧に向かっただろうが、もし手こずった時には……とそこまで考えたところで妙なことに気がついた。

 逃げるペットと怨霊の列が、さっぱり途絶えた。それどころか、エントランスから聞こえて来るはずの獣の雄叫びやら、争いの音やらがまったく聞こえてこないのだ。

 さすがに、さとりも妙だと思ったわけだ。むしろ騒ぎが起こる前より速足でエントランスにたどり着くと、中央にでっかい影が見えた。

くだんの洞穴ライオンらしき姿が、静かにうずくまっている。すでに息絶えたあとかと思えば、どうやらそうでもないらしい。

「よし、いい子。お前は私とタルタロスへ来るといいわ。過酷だけど慣れればいいところよ」

 小山みたいな体のふもとから、聞き慣れない声がする。回り込んでみれば長身の影が、洞穴ライオンの頭をなでていた。その足元にはヘルハウンドたちが、忠犬みたくかしこまっている。

「これは驚きました。あなたが彼を鎮めたのですか」

 さとりはそいつに寄っていった。入り口からの明かりでよく見えないが、長い髪の上に奇妙な球体を乗せた女であることはわかった。シルエットが示すバストがやたらと豊満だ。

「動物の扱いにはわりと手馴れてるのよ。この子、寝床が少し狭くて合わなかったみたいね。だいぶんストレスを溜め込んでたみたい」

 女の言葉にさとりはかなり驚いた。お得意の心を読む程度の能力でもってペットのストレスチェックは万全、見逃すはずがないと踏んでいたのだ。

「そんなこと、この子は今までおくびにも出したことが」

「本人、いや本猫か、が気づいてなくても普段の生活の中でちょっとずつ溜め込んできたものがあったってわけ。なんにせよこの館での暮らしはこの子に合わないわ」

 ストレスを受けてる当人が、そいつに気がついてない。それなら心を読んでもわからない。なるほど盲点だ。そいつをあっさり見抜いた上に、凶暴な洞穴ライオンをここまで簡単に手なづけてしまった手腕に、さとりは素直に恐れ入った。

「あなた、この館のお手伝いさんか何か? ここの主人に会いたいんだけど」

「ええ、それには及びません……」

 さとりは明るさに慣れた目で、そいつの姿をはっきりと見た。

 

 そいつこと地獄の女神、ヘカーティア・ラピスラズリに対するさとりの第一印象は、直前の派手なデモンストレーションも相まって「なんだコイツ」であった。

 

 §

 

「改めまして地霊殿へようこそ、ヘカーティア・ラピスラズリさん。先ほどはペットが迷惑をかけてしまい大変失礼をいたしました」

「いいのよ、気にしないで? こちらも面白いものが見れたし」

 家事ペットがヘカーティアのティーカップに紅茶を注いでる間に、さとりは対面に座って目線をできる限り動かさないまま彼女の姿をつぶさに眺めた。

 頭にルームライトよろしく異界の星を模した球が座っている。首には皮のチョーカーを巻き、喉元に繋がってる鎖はヘカーティアの両脇に浮かんだ青い地球、黄色い月の球まで通じている。

 まあそれくらいの奇抜さは幻想郷じゃ珍しくない。問題は外界の「へびーめたる」とかいう音楽団をそのまま持ってきたみたいな「Welcome Hell」の変Tとトリコロールのスカートだ。

 先立って映姫から説明を受けてなければうっかり一九八〇年代のヤンキーと間違えるところだった。加えてどぎつい色彩感覚は、パステルカラーを好むさとりのセンスと真逆である。

 これに追い打ちをかけるみたいにさとりを悩ますことが、もう一つあった。ヘカーティアがローズティーに口をつけると、一言告げた。

「いい匂いね。タルタロスは霧が濃すぎてバラは育たないからねえ」(しかし薄味ねえ。ペルセとセレナの舌には合わないかも)(ちょっと酸っぱすぎ。あたしはもっと甘いのがいいー)

 さとりはいっぺんに聞こえてきた何人かぶんの「心の声」に戸惑った。ペットたちの声とはまた別だ。そいつらはヘカーティア本人の声に対する同意でもあり否定でもあり、どれが彼女の本心なのか、まるでわからないときている。

「ええと、先ほどのペットの件ですが。彼は地獄のほうが気楽に過ごせるというのであれば、里子に出すのもやぶさかではありません。滞在終了のあかつきには、お連れになりますか?」

「願ってもないわ。ちょうどケルベロスの遊び相手が欲しかったのよねぇ」(そんな勝手なこと言っちゃって、ハデスに怒られないかしら?)(楽しそう。血みどろの宴になりそうねぇ)

「あの、餌にするとかはちょっと」

「やぁねぇ、そんなことするわけないじゃない」(わからないわよー? ペルセは気まぐれだから)(あたしがこっそりけしかけてやろうかしら)

 そこで、さとりはついにたまらなくなった。

「あの、失礼なことをお聞きするかもしれませんが。中に何人いらっしゃるんですか?」

 ヘカーティアは見開いた目をさとりに向けたが、すぐに笑顔を取り戻す。

「なるほど。サトリ妖怪ってやつだから、あなたにはわかるのね」

 ブザーみたいな音が、どこからともなく鳴り響く。するとヘカーティアの髪の毛が真っ青に変わっていた。頭の上の球体も、赤い異界から青い地球になり果てた。

「あたしはねぇ、三位一体の神なの。異界と地球と月、それぞれの地獄を統べる体を持つ」

 再びブザーが鳴ると、今度は髪が月の金色に変わる。

「こう見えて、けっこう忙しくてね。ほかの二人に仕事を代わってもらって、その間にこっち側に出てきてるのよ。意識は共有してるから、二人にも話は伝わるのだけれど」

「べ、便利なのですね。お三方で喧嘩したりとかはないんですか」

 ヘカーティアは再び、赤に戻った。

「あ、その辺は心配いらないわ。あたしたちはそれぞれ別々の神格持ちだけれど、それぞれが下した決定には決して逆らわないのがあたしたちにとって絶対のルールだから」

「それがどんなに相反するものであったとしても?」

「そうだけれど、どうして?」

 さとりは言葉をにごしながら、まずいと思った。だってそうだろう、この女神の本心は常に三通りあるってことだ。心が読めてもその三択問題から一つの正解を選ばなくちゃならない。

「それはさておきさとりちゃん、あたしからも受け取ってもらいたいものがあるの」

「初対面から三ページでちゃん付けっすか。いえ、それには及びません。お譲りするペットも、地霊殿に千の単位でいるペットの中のほんの一匹にすぎませんがゆえに」

「遠慮しないで。押しかけてきたようなものですもの、手ぶらで厄介になるのも悪いわ」

 ヘカーティアはかたわらに寄せたキャリーバッグを漁りだした。さとりにゃ止める暇もない。

 いったい何を渡されるのか。さとりが身をこわばらせていると。

「はい、どうぞ」

 透明ビニールに包まれたそいつは、中身を確かめるまでもない。さとりは表情筋が引きつるのを必死にこらえつつ、その「Welcome Hell」の文字を見た。

(贈り物? これが? まさか、着ろと?)

 おそるおそる第三の眼をヘカーティアに向ける。

「ほら『元』とはいっても地獄じゃない? 殺伐とした地底にはぴったりかなぁと思って(うふふ、気に入ってくれるといいなあ)」(あら、またおすすめするつもりなのね? 微妙な反応されなきゃいいけど)(あははっ、着なかったらこの館、お取り潰しになるかしらぁ)

 ……さっばりわからない。どれが本心か、どれが本心になるのか。

 ヘカーティアの動きがゆっくりになった。代わりにさとりの頭の中がぐるぐる回る。

 受け取らない手はない。物騒なことを考えてるやつもいる。

 さりとて、こんなに壊滅的な変Tを着ずに済ませる手があるものか。着ようが、着まいが、さとりがこのセンスを受け入れがたいのは、いつかばれる。

 ボロが出たあとどうすればよいかまでは、考えたくない。

「……あとで試着してみますわ」

「受け取ってくれるのね、よかった。実はつい最近も人間相手に弾幕ったことがあってねぇ、その時に戦った人間の一人が不遜なやつでさぁ。いや、あいつは神だったかな?」

「ああ、風神様のとこにいる現人神ですね。覚えがあります」

「そう、たぶんそいつ。私のブルタルな地獄スタイルを見て、あいつ『変なTシャツヤロー』なんて言いやがったのよ? うっかり本気で地獄送りにしてやろうかと思っちゃったわ」

「左様でしたか、それはお気の毒様でした」

 「マジで地獄に送ってくれりゃよかったのに」と「その感想だけは悔しいけれども現人神に同意だわー」が同時に頭の中を通り抜けていった。それと一緒に「いやそうな態度を見せてたらいったいどうなっていたか」とも。

「それではひとまず、寝室までご案内いたしますわ。何部屋かあつらえましたので、お好きな部屋を選んで下さいな」

「うーん、そうねえ。ではこのお屋敷にはT字路はあるかしら? それに面した部屋がいいわ。なんとなくそのほうが落ち着くのよ。なければ十字路でもいいわ」

「なるほど」

 さすがは三叉路の守護神なだけある。こんなところでも三択にこだわるということか。

「あと、夕餉はできれば賑やかなのがいいかなあ。その時にでもさとりちゃんのご家族も紹介してくれると、嬉しいわ」

「ええ、全員が同席できるとは限りませんが、それでもよろしければ……」

 さとりはそこまで言ったところで、ヤバい事実に気がついた。

(それって、晩餐に変T着て出てこいってことかい!)

 

 §

 

 無事ヘカーティアをT字路近くの空き部屋まで送り出し(別れ際に「お夕食楽しみにしているわ」とやんわり釘を刺されたが)書斎に戻る。

 文机には、あの変Tが所在なく放ってあった。大きな大きなため息が出る。

「さとり様、ファーストアタックの首尾はいかがなもんですか」

 すかさず部屋に燐がやってくる。

「最悪ではないけど手強い相手なのは間違いないわ。閻魔様が及び腰になるのも仕方ないかも」

「それほどの相手なんですかい」

 さとりは客間でのヘカーティアとのやり取りを、包み隠さず燐に教えてやった。そうしたほうがさとりの気分が紛れたからだ。

「……で、夕食にはこれを着てみんなの前に出る羽目になりそうなわけ。まいっちゃうわ」

「それってもしかしなくてもパワハラってやつなのでは?」

「本人にその気があるんだか、ないんだか。何しろ本音が三人ぶんいっぺんに聞こえるからね」

「でも、いやなら地霊殿を潰すとまで考えてるのもいるんでしょう。穏やかじゃない」

 燐は間髪入れずに身を乗り出した。

「さとり様、その神さんのお世話、あたいに任せてくださいな」

「あなただったら、どうにかなるというの?」

「なぁに、話を合わせるのは得意技です。ちょいと裏表の多い怨霊を相手するみたいなもんだ。それに三位一体だか秋刀魚一杯だか知らないが、さとり様には相手がお辛いでしょう?」

「正直なところ、その通りね。そこまで言うなら女神様の相手はお燐に任せましょう。地霊殿一の怨霊の操り手、その手腕を私に見せてちょうだい」

「ま、猫車に乗ったつもりでご覧になっててください」

「その例えはかえって不安になるのだけど?」

 

(以降は、「地底の読心裁判」で頒布の本編にて)


 
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