No.89499

Singin' in the Rain

遊馬さん

ヱヴァ破より、新キャラの真希波・マリ・イラストリアスとシンジ君の物語。
らぶらぶ・マリ・シンジなのでご注意ください。

*マリの年齢はシンジ君より年上、ということにしてあります

2009-08-12 20:03:27 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:4808   閲覧ユーザー数:4598

 雨の日はキライだ。

 ココロの中だけが乾いていく気がする。

 

「行きたくないな……学校」

 塗り潰された鉛色の空。傘を広げていても、したしたと降る小糠雨がシンジの身体にまとわり付く。

 慣れた通学路。だが足は重い。湿度のぬかるみを歩っているようだ。

 ――それでも行かなきゃ。ミサトさんが心配するし。

 そんな義務感にも似た思いが圧し掛かり、ますますシンジの足取りを重くする。

 そしてため息を吐く。いつもは歩道橋の前で待っていてくれるトウジやケンスケの姿も今日はない。きっと先に学校へ向かってしまったのだろう。

 その代わりに。

 意外な人影をシンジは見てしまった。

 真希波・マリ・イラストリアス。

 この雨の中、傘も差さずに電柱に寄りかかって缶コーヒーを飲んでいる。制服姿にも関わらず、鞄の一つも持っていないところを見ると学校をサボる気マンマンらしい。

 ――相変わらず奇矯な人だな。

 シンジは彼女が苦手だった。ユルくて奔放で頑固な上に平気で無茶はするし、どうにもシンジの理解の範疇を越えている。

 一生、名前で呼び合うような仲にはならないだろう。

 今も、雨など知らぬ気にマリは歌いながら。

「I'm singin' in the rain Just singin' in the rain♪」

 飲み干したコーヒーの空き缶を、あろうことか車道の向こう側にあるゴミ箱にアンダースローで放り投げていた。小気味いい金属音を残して、見事に命中。

 不意にマリが振り返った。どこか挑発的なふてぶてしい笑顔と共に。そして、右手を挙げながら。

「や、おはよう。いい天気だね、ワンコ君」

 

「真希波……先輩。雨の日なのに楽しそうですね」

 シンジは精一杯の皮肉を込めたつもりだったが、マリには一向に通じていない様子。

「楽しいよ。うん、楽しい」

 腰に手を当てつつ胸をそらすマリ。

 ――うわぁ、雨でブラウスが透けてインナーのラインが見えちゃってるよ。

 いやいや、そんなこと考えちゃいけない、と必死に妄念を払うシンジに、不思議なものを見るような眼でマリは言った。

「ん? ワンコ君は雨が嫌いなのかにゃ?」

「……好きな人、いないと思います」

「あたしは日本の雨、好きだな」

 笑顔を消して、マリはぽつりと言った。

 ――そんなのおかしいじゃないか。服はずぶ濡れになるし、それなのに、ココロは―― 

 視線を逸らし、濡れたアスファルトを見ながらシンジは言う。

「僕には分からないですよ。なんで日本の雨が好きなのか……」

「暖かいから」

 え、とシンジは面を上げた。マリが真っ直ぐに両腕を伸ばし、てのひらに雨を受けている。それは、あたかも恵みの雨を受け取るかのように。

 明後日の方を向いて、誰にともなくマリは呟く。

「英国の雨は冷たいんだ。骨の芯が凍るくらい。我慢できなくなる」

 その声音は驚くほど硬い。普段の気さくなユルさはなく、シンジが見たこともないマリがその場所に立っていた。

 シンジは今さらながらにこの少女のことを何も知らないことに気付かされる。

「だから」とマリは振り向き、メガネを直しながら、いつもの表情で。

「あたしは暖かい雨が楽しい。蒸し暑いのも楽しい。第三新東京市、この街が楽しい」

 ――そんなこと言うひと、初めてだよ。

 こんなにも楽しそうに生きている少女。

 オトナのミサトさんはもちろん、綾波もアスカもそして自分も、何かを背負って、そしてそれに押しつぶされそうになりながら生きているのに。

 彼女は、マリは、それすらも軽々と飛び越えて。

 生きることを楽しんで、いる。

 そして、シンジは軋むように自分に問う。

 僕にそんなことが出来るだろうか、と。

 

「ねぇ、真希波……先輩。でも、そのままじゃ、風邪引くよ」

 ――せめて、このくらいしか僕にはできないけれど。

 傘を差し出すシンジに、しかしマリは。

「相合傘かにゃ? うーん」

 勢い良くその傘をひったくり、くす、と悪戯っぽく笑って、くるくると傘を畳むと。

「What a glorious feelin' I'm happy again♪ おりゃーっ!」

 車道の向こう側目掛けて槍投げのごとく放り投げた。

「ちょ、あ、あぁーっ! い、一体何を……」

 見事ゴミ箱に突き刺さった傘と、にまっと微笑むマリの顔を見比べながら、シンジはおろおろとうろたえる。

「あたしに傘を差し出すなんて、じゅーねん早いんだよ、ワンコ君」

 あまりと言えばあまりの仕打ち。なんて容赦なし。この惨状に我を忘れて叫ぶシンジ。

「ひ……ひどいよマリさん! 僕の傘が……」

 不覚にも彼女の名を呼んでいることすら気付かずに。

「ん。ちゃんと名前で呼んでくれたね、ワンコ君。嬉しいよ」

 くすぐったそうに柔らかく目を細めるマリに、あ、とシンジの意識が向かう。

 ――乾いたココロに、雫のような水滴が一つ。

「じゃあさ、相合傘の代わりと言っちゃなんだけど、こんなのはどうかにゃ?」

 マリがシンジの手を握る。暖かく優しく手を握る。

 とくん、とシンジの鼓動が早くなる。

 ――雫は、乾いたココロに、染みて、沁みて。

 雨の中、触れ合う指先で繋がるふたり。

 シンジは思う。

 僕には理解しがたい彼女の突飛な行動にも、彼女なりの意味があるならば。

 僕はもっとこのひとのことを知りたいと、秘かに願うのも悪くはないだろう。

 それにしても、自分の名前を呼ばせておいて、僕は「ワンコ君」のままとはいかがなものやら。

 本当にこのひとにはかなわないな、とシンジは内心苦笑する。

 

「楽しいですか、マリさん?」

「楽しい! さいっこーに楽しい!」

 西の空に薄日が差している。もうすぐ雨は上がるだろう。

 歯車めいた日々の中、マリという少女がシンジの中で加速する。

 マリは歌う。歌い続ける。

「The sun's in my heart And I'm ready for love♪」

 ――やがて降り続く雫は、乾いたココロを潤すだろう。

「マリさん、ちょっと急ごうよ。遅刻するよ」

「おっけー! サボるのやーめた。学校だって楽しいよね……くちゅん!」

 あーあ、だから言わんこっちゃないのに……と、シンジ。

 マリのリフレイン。

「The sun's in my heart And I'm ready for love♪」

 シンジはマリの手を握り返し、そして一歩踏み出した。

 見知らぬ恋までの、もう一歩。

 


 
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